夜明けの森と宝石の竜
夜明け前のまだ薄暗い時間に、禁足地の森の調査団は森の入り口に揃った。
そして同時に、凛々しい気持ちで颯爽と現れたネアは今、出発前の試練に立ち向かっていた。
「…………ぐぬぬ、なぜなのだ」
「馬鹿かお前は。よりにもよって、森の系譜の象徴を纏いやがって。捕らえたことのある妖精を再訪する際に、その妖精の象徴を身に纏うのは嫁入り扱いだぞ」
「むが!……それなら、口で説明………ぎゃ!!」
ネアは、森の探索に相応しかろうと、まだ肌寒いウィームの春の夜明けを想定し、素敵な鈴蘭の刺繍のあるストールを首元に巻いていた。
首元をふわっと温めていたそれを、哀れな人間は冷酷な使い魔に剥ぎ取られているのである。
「可愛いのに…………」
「あれは、夜露の鈴蘭の系譜だろうが………」
「ごめんね、ネア。とても可愛いけれど、それは危ないから違うものにしようか。私が………ネアがアルテアに浮気する…………」
「わ、私の意思ではありません!アルテアさんが勝手に、新たなるストールでぐるぐるにしてきただけなのです…………」
渋面のアルテアに、なかなかお洒落だが明らかに赤紫色のショールを首元にふわっと巻かれてしまい、ネアは、何とも言えない表情でこちらを見ているエーダリア達に視線で助けを求める。
それに応じてくれたのは、いつもの白いシャツに黒いコートを羽織ったノアだ。
「ありゃ、何でアルテアの所有色なのさ。普通に考えたらシルの色か、僕の色だよね?」
「あったものを巻いただけだ。あのまま森に入れる訳にはいかないだろうが。それと、お前の色はないな」
「アルテアなんて…………」
「…………むぐ。森らしい色合いを選んだのに、華やかな装いにされました。狩りは森と友達になってこそなのです………」
「狩りに来た時点で、友達じゃないだろ」
アルテアが呆れ顔でこちらを見るので、ネアはぐるると唸って威嚇する。
とは言えネアの支度も整ったので、一同は取り敢えず森に入る事にした。
勿論、魔物達の精神圧で森の異変を見逃してはならないので、三人の魔物達はそれぞれ人間に擬態している。
ノアは髪色を青みがかった灰色の髪に、鳶色の瞳という家族色に擬態してエーダリアをそわそわさせているし、ディノはネアの熱い要望により普段は見た事のない擬態をしてくれた。
そしてディノは、紫がかった黒髪に温度の高い炎のような白に近い水色の瞳だ。
「…………ご主人様」
「む、…………今日のディノは格好いいので、ついつい見てしまいますね。一番素敵なのは本来のディノなのですが、時々見た事がない姿になると、それもまたとても贅沢な気持ちになります」
「…………ずるい。ネアが可愛い事ばかり言う…………」
ネアは、その隙に目元を染めて恥じらう魔物の手をぎゅむっと掴み、先行しているヒルドに合流するべくエーダリア達の隣に並んだ。
「よーし、こっちの手は僕と繋ごうか」
「お前は向こうに着いていろ」
「ありゃ、エーダリアが右手側にいても、ネアとは左手を繋げるんだけど?」
「片手は開けておかないと、狩りが出来ません」
「ネア、あくまでも今朝は調査なのだからな」
「…………は!ちょ、ちょうさでした」
けれども、夜明けの森はそれはそれは美しく、賑やかなのだ。
音としては微かに鳥の鳴き声が聞こえるくらいなのだが、木々の根元に咲いた野薔薇の茂みにはぺかぺかと光る小さな妖精達が群れているし、木の枝の上からこちらを覗いているのは、黄緑色の毛玉のような生き物達だ。
そこかしこにある小さな人ならざる者達の気配と、時折ずしんと音を立てて森の奥を揺らす不思議な生き物の影。
木立の向こうを弾み駆け抜けてゆくのは、淡い水色の紙に桜色の水彩絵の具を滲ませたような毛皮を持つ、春霞の鹿達だろうか。
しっとりとした夜露を纏い、花びらを揺らしているのはピンク色に色付くカモミールのような花の茂みで、その葉の一部はしゃりりっと凍ったかのように結晶化している。
どれだけ潤沢な魔術がこの土地に蓄えられているものか、木の根がぼうっと鈍い金色に光り脈打つ箇所もあった。
(綺麗だわ………。美しいばかりの所ではないけれど、こうして安全を確保されて眺めれば、この世界の森は見ているだけでわくわくする…………)
ふしゃんと小さな音を立てて、夜明けの森を歩いた。
春が来て芽吹いた草花の絨毯を踏み歩いていても、この時間はまだ足元が湿っているので独特な靴音になる。
エーダリアはノアに付き添われ、ネアはディノにいつの間にか入れ替えられた三つ編みを握らされつつ、隣の使い魔からの厳しい監視の中、薄暗い禁足地の森を進んだ。
「…………この辺りまでは、いつもの森と大差ないようだな。特筆するべき変化はないようだが、…………ノアベルト?」
「エーダリア、ここを見てくれるかい?………結晶化したカミヤの葉の色が、僅かだけれど色相を違えているって思わない?」
「…………ああ、確かに違う!」
唇の端を微かに上げた塩の魔物に教えられ、エーダリアは指し示された結晶を真剣に観察していた。
(最近、ノアはエーダリア様に色々な事を教えるのが楽しいみたい。エーダリア様は教えられた事を力に出来るから、その変化を見られるのも嬉しいのかしら…………)
今年に入って、ウィームの古い史跡の調査開始の土地鎮めの儀式で、仕掛けられた古い呪いの一つに、エーダリアが気付いた事があった。
気付かずに踏んでいたら、命を取るような事にはならないが、半月は療養が必要になる程の術式だったのだと言う。
そんな厄介な呪いを隠した罠を見付けられたのが、以前自分が教えた魔術の知識からだと聞いて、ノアはとても嬉しかったのだろう。
元々、自分の領域のものを守りたいという気質が強いノアは、与えた知識が自分の契約者を守るべき盾になるという目に見える成果を心から堪能しているところなのだ。
「…………確かに、肌に触れる程ではないが、数日前にこの土地の魔術に変動があったという兆候があちこちに出ているな」
そう呟いたアルテアは、それが気に入らないのか眉を顰めている。
頷いたディノが視線を向けたのは、一本の見事な大木だ。
「生き物が残した証跡ではないようだね。…………影絵やあわいが生まれた痕跡もなさそうだ。………そうなると、既存のあわいが触れたのかもしれないね」
「…………わーお、シルがいると、そこまで分かるのかぁ。その可能性を排除出来ると話が早くなるのがいいね」
「と言うことは、影絵やあわいが生まれた時にも、このような痕跡が残るのだな…………」
男性陣がそんな話をしている隙に、ネアはディノの三つ編みからは手を離さないようにしつつ、茂みの中にいた不思議な生き物を素早く掴み取る。
「ギニャ?!」
「ネア?!」
「…………ふむ。またしても、編みかけ生物が現れました」
「ネア、その生き物から手を離そうか。とても獰猛だから危ないよ」
「びちびちしながら私を噛もうとしていますが、首根っこを………これは首根っこなのでしょうか?それとも編みぐるみの裏っ側という表現でしょうか………」
「…………首でいいんじゃないかな」
「では、首で。………そんなところを掴まれておいて、私に噛み付ける筈もないのですよ」
「ギニャーー!!」
ネアに掴まれて暴れているのは、優しい草木染めの毛糸で編まれた編みぐるみの魚にも似た、不思議な生き物だ。
魚のようにびちびちしているが、森の生き物というよりは、作りかけの品物感が凄い。
「…………ネア、それは糸鯨だ。近年野生化したものが問題になっているが、森に棲みつかれると困るので、見付けてくれて助かった」
「エーダリア様のお役に立てたなら良かったです!…………売れますか?」
「う、売れるのではないだろうか。水の系譜の人外者が使い魔にする稀少な生き物だからな」
「野生化した使い魔さん…………?」
「おい、こっちを見るな。それと、妙なものを狩るなと言わなかったか?」
アルテアからは冷ややかな声で責められたが、ネアは現在野生化した使い魔こと、糸鯨なる生き物を金庫にしまえるくらいに静かにさせるのに忙しく、そちらを見る事は出来なかった。
「ふむ。滅びましたね。やはり、今後はぞうさんもきりんさんと同等の効果が出ると判断しての運用が出来そうです」
「わーお、息の根を止めつつ実験までしてるんだ…………」
「ご主人様………」
ノアから、この糸鯨の価値は使い魔として編み上げられたものではなく、素材となっている毛糸めいたものにあるのだと教えられ、ネアは、ぞうさん絵札を取り出し手早くびちびち暴れる生き物を黙らせた。
後はこの編みかけ風に出ている毛糸の先を引っ張ればいいのかなと、容赦なく毛糸を巻き取ってしまうと、びゃっと飛び上がったディノが慌ててノアと身を寄せ合っている。
エーダリアも青ざめているので、少々残忍だったのかもしれない。
「……………躊躇すらしないのか」
「解かれたくなければ、毛糸の端の始末をきちんとしておくべきです。………これで綺麗に纏まりましたね。端が分からなくならないように、ここは結んで…」
「あ、結んじゃ駄目だよ!」
「………………む?………ぎゃ?!」
ここでネアは、この糸鯨の材料となる水陽炎の糸が、結んでしまう事でも使い魔としての形となるのだという恐ろしい事を知ってしまった。
毛糸を束ねただけの筈なのだが、びちびち跳ねる毛糸束という悲しい使い魔を生み出してしまい、ネアはとても悲しい気持ちになる。
なぜかエーダリアはさっとメモを取り始めているので、せめてガレンエンガディンの研究の糧になったのであれば、この毛糸束にも生まれ出た意味はあるのかもしれない。
びちびちする毛糸束をそっと差し出されたアルテアは、初対面だったら走って逃げたかなという凍えるような眼差しでこちらを睨み、その糸束の結んでしまった部分を解いてくれた。
「ネア、その糸鯨を売りにゆく前に、少しの間借りてもいいだろうか?」
「エーダリア様?ええ、勿論構いませんよ。ただ獰猛らしいので、ノアと遊んで下さいね」
「…………わーお、僕の妹にとっては、使い魔は弄ぶものなんだなぁ………」
「周囲に誤解を呼ぶ言い方に抗議します…………」
結び目を解いたらただの材料に戻ってくれた糸鯨は、あの空を泳ぐ厄介な鯨が浮遊の為に身に纏う魔術を紡いで作るらしい。
その為に鯨を狩る者達もいるのだと知り、ネアは、鯨の糸紡ぎという新しい職業についての知見を得た。
(…………少しずつ、朝陽で森が明るくなってきたわ…………)
今回の調査の時間が選ばれたのは、森の生き物たちの内の最も多くの種類を見られる時間だからなのだそうだ。
木漏れ日のように木の枝葉を透かして、或いは光の帯のように夜明けの森に朝の色が入り込むと、夜と朝の生き物達の入れ替わりが行われる。
しかしながらこの境界があわいともなるので、本来なら魔物達は倦厭する時間でもあったのだが、今回はあわいも含めて森を見て見る事で異変を察知するのも重要な任務なのだ。
(この世界に来たばかりの頃に、ディノの指輪を失くしてしまったと思って、一人で禁足地の森に入った事があったな………)
人影のない森でネアが聞いたのは、そんな世界の隙間から聞こえる剣戟の音であった。
その時はまだ、禁足地の森で不思議な亡霊達の気配を感じたような気持ちでいたが、今のネアには音が聞こえるくらいの距離まで一人であわいに近付く事が、どれだけ危うかったのかがよく分かる。
「……………ネア、おいで」
「はい。…………あわいでしょうか?」
「うん。これは混じり気のない時間の境界だから困ったものではないけれど、いつもそれだけとは限らないからね」
「混ざりものがある時も………?」
「ほら、あの大きな霧楓の木の幹のあたりを見てご覧。夜の色をした炎のようなものが見えるかい?」
「…………見えました」
その静けさに、ネアはぞくりとした。
音もなくひっそりと虚空で燃える黒い炎は、ごうっと燃え上がる生きた炎とは違い、ゆらゆらと炎を閃かせる様子は平坦で冷たい。
胸の底がひやりとして、目にした途端に良くないものだと判断した。
「………長く見ていたくない、不思議で怖いものですね」
「あわいの起点については、観測者によって受ける印象が違うんだ。特に人間はこの起点を恐れると聞いていたけれど、君にとってもそうなのだね」
「…………はい。ディノにぎゅっと掴まっていますが、それでも近付かないようにしますね………」
「可愛い………。掴まってくる…………」
ネアにしっかりと掴まられた伴侶の魔物は弱ってしまっていたが、ディノの腕の中に収められたネアは安堵してふうっと息を吐いた。
(見知らぬものを手に取る時も、あの炎みたいなものには触れないようにしよう………)
こうして、見知らぬ怖いものを見るとやはりぞくりとする。
エーダリアにあれこれと教えているノアのように、ネアも、いつも近くにいる誰かに回避するべきものを教えて貰って歩く位置を変えるのだ。
この頼もしい魔物達がいなければ、とうに取り返しのつかない事故に巻き込まれていただろう。
ふっと体を捻り見上げた魔物は、夜明けの森を背景に凄艶な美貌にどこか仄暗い影が落ちる。
いつもとは違う配色がひたりと意識を攫うくらいの美貌で、ネアは、大好きないつもの色ではなくてもここまで美しいのかと驚きもする。
白を持つからではなく、色を違えても他の魔物達とは一線を画するものであるらしい。
「…………ネア?」
「ディノはやっぱり……………む?」
目元を染めておずおずと名前を呼んだディノにその思いを伝えようとして、ネアははっと息を飲んだ。
大きな木の影に、見たこともない奇妙なものを見付けてしまったのだ。
「エーダリア様、その木の影におかしなものがあります!」
「…………ネア?」
「エーダリア、僕の後ろから出ないようにね。……………わーお、こりゃ立派に育ったなぁ…………」
エーダリアを背中に庇って木の影を覗き込んだノアは、鳶色に擬態した瞳を丸くする。
今日の配色的には、まるでエーダリアの兄のようだ。
(あれは、…………獣…………?)
木の皮が固まって生き物の形を象ったような茶色い塊は、ぎぎぎっと音を立てて近付いたノアを振り返る。
ここから見ると、ノアの二倍くらいの大きさがあり、節くれだった前足のような部分に見られる鉤爪状のものが禍々しい。
おまけに、その木の皮の獣には真っ黒な毛髪があるのだ。
「ホ、ホラーです!これはどなたかにお任せしまふ!」
「可愛い、体当たりしてくる………」
「お前が持ち帰ろうとした妖精より、遥かに脆弱だぞ…………」
「ありゃ、僕の妹はこういうのが苦手なのかぁ…………」
「森の深淵にしか住まないという木陰牛がここにいるのは、やはり異常だな。この威嚇の仕方を見ると、実際に追われた様子はないようだ。となると、密猟者ではなさそうか………」
ネアは、そんなやり取りに聞き耳を立て、しっかりと抱き締めてくれている魔物の腕の中でそろりと顔を上げた。
(怖いものではなさそう………?)
「…………ぎゅ。ディノ、あやつは、怖い生き物ではないのですか?…………牛には見えません………」
「木陰牛だね。木陰に暮らす野生の牛の一種だよ。よく、………揚げ物になっているかな」
「…………揚げ物」
「うん。ザハのメニューでも見たことはあるかな………」
「食材でした…………」
どうやらホラーな見た目に反し、この生き物は高級食材として狩られてしまう事もある、牛の一種なのだそうだ。
その輪郭に牛らしさは微塵も感じられないので、この世界のどうしてそう命名したのかシリーズに新たな生き物が加わったことになる。
(でも、あの姿を見てしまった以上、食べるのは勇気がいるかも…………)
ザハの料理なら安心の筈だが、ちっぽけでか弱い人間の脳内では、食べたら呪われそうにしか見えないのだ。
「は!リズモです!!」
「あ、ネアが逃げた………」
ここでネアは、お馴染みの祝福の毛玉を眼ざとく発見し、羽織っていた魔物をぺっと捨てるとそちらに駆け寄ってすかさず掴み取った。
狩人に襲われたリズモ達は恐慌状態に陥ってふよふよ飛び交っている内に、次から次へと鷲掴みにされてしまい、残忍な人間から祝福を捥ぎ取られてしまう。
素早く狩りを終えて片手の甲で額を男前に拭うと、ネアは満ち足りた微笑みを浮かべる。
「うむ。やはり狩りはこうでなくては!」
よろよろと飛んで逃げて行くリズモの群れを見送っていたネアは、背後から忍び寄る魔物に気付かず、ふんすと胸を張った時だった。
「…………お前は、口で言っても分からないようだな」
「むが?!予告なくふわっとなると心臓が止まりかけるのでやめるのだ!後ろから持ち上げるなど、断固として許すまじ!!」
「……………おい、これはどうした?」
「………む?……これは、リズモに混ざって飛んでいたきらきら宝石鰻です」
「…………リッタか。………ノアベルト、宝石のあわいの出現の噂を聞いているか?」
すっと低い声になったアルテアに、ネアはおやっと眉を寄せた。
こちらを振り返ったノアの表情も、どこかぴりりとしたものになる。
「タジクーシャの宝石の街かい?」
「ああ。これを見てみろ、リッタだ」
「わーお、百年ぶりくらいに見たぞ………」
「リッタ?!あの、幻の宝石竜か?!」
慌てたように駆け寄って来たエーダリアに、ネアは手の中で暴れている宝石製の鰻にしか見えない生き物を差し出して見せてやった。
明らかに宝石製の煌めきなので、これは高く売れそうだと考えて逃さず捕獲したのだが、みんなが喜んでくれているようで何よりである。
「…………ネアが逃げた………」
「ディノ、見て下さい!宝石鰻ですよ!」
「鰻………?」
「はい。にょろにょろびちびちしております」
「これは竜だ。よく見ろ、鱗も手足もあるだろうが」
「…………この、ちびこくぴょんとしたものが、手足……………?これでどうやって歩いたり出来るというのでしょう…………」
自分を捕まえた人間に、疑わしげに覗き込まれ、宝石竜はとても腹が立ったようだ。
キシャーと唸り声を上げて歯を見せているが、やはりちびこいので怖さはない。
「…………実在していたのだな」
「まぁ、エーダリア様が涙ぐんでしまう程に、珍しいやつなのですね。籠に入れてリーエンベルクで飼ってみますか?」
「ネアが竜に浮気する…………」
「これは、宝石の街の顕現の予兆みたいなものだから、飼うのは無理だろうなぁ。ネア、アクスに売りつけるなら、アルテアに、この場でアクスに直卸しして貰うといいよ」
「………ノア?取り扱いが難しいものなのですか?」
「うん。特殊なあわいの顕現に合わせて派生するから、二日ほどしか生きない竜なんだ。でも、この通りの宝石の竜だから好事家も多いからね。アクスに持ち込めば、延命措置をして愛好家に売ってくれるんじゃないかな」
「まぁ、短命の竜さんだったのですね…………」
思いがけず自身の運命を知ってしまった宝石竜は、途端にふるふると震え始め、自分を鷲掴みにした残虐な人間にちょんとペン先で描いた丸のようなつぶらな瞳で縋るような視線を向ける。
「むむ、可愛い感じを押し出してきたので、是非に人道的な愛好家さんにお売りしたいです」
「リッタであれば、そもそもアクスの職員にも愛好家がいる。そいつは、今のところリッタの脱皮した抜け殻しか持っていないが、飼育用に城を建てた筈だ」
「……………それを聞いて大興奮の宝石竜さんがここにいますので、是非にその方にお売りして下さい」
かくして、ネアが捕獲したリッタこと宝石竜は、エーダリアの為の観察時間を設けた後、その場で部分的に擬態を解除したアルテアの手で、アクスに直卸しされた。
何も聞かずに金庫に入れておいた場合、二日でお亡くなりになってしまうところだったので、ネアもいい気分で見送ることが出来た。
エーダリアも欲しかったようだが、リッタは、財産の象徴であるのと同時に、長く留め置くと金銭関係で齎される災厄の予兆としての一面も発現するので、リーエンベルクに留め置くのは難しいのだそうだ。
「これではっきりしたな。森の異変は、タジクーシャの顕現の予兆が出たからだろう」
「最近だと、カルウィの近くに出たんだっけ?」
「百六年前に顕現したのは、カルウィの方だね。今度は近くの国に現れるようだ」
「………その、宝石の街は、ここに竜さんがいたのにウィームでは開かないのですか?」
不思議に思ったネアは、宝石という響きに寄せる一攫千金の願いに気付かれないよう、平静さを装って尋ねてみた。
「ここは通り道だっただけで、顕現は別の土地になるだろう。いつも、このように足跡をつけてゆき、その先で街開きをするからね」
「分かりやすく言えば、リッタは、広告のようなものなんだよね。タジクーシャがこちら側に触れると派生する竜をわざとあちこちに残してゆくことで、タジクーシャが開くと広く知らしめる意味があるからさ」
(タジクーシャ…………)
その響きにこてんと首を傾げ、宝石竜も渡してしまったので地面に下されたネアは、魔物達にどこか警戒にも似た眼差しをさせたそのあわいを思う。
怖いものなのだろうかと眉を寄せていると、ディノが淡く微笑んで頬を撫でてくれた。
「季節に固定されない、スリフェアのようなものだよ。この世界に存在する特殊な宝石だけを集めた宝石商の街だ。街と呼ばれてはいるもののその街には王がいるから、小さな国として機能している。あわいではあるけれど、あえてあわいに街を作った商人達の自治区と言えばいいのかな」
「…………とても興味深く思ってしまいますし、エーダリア様は既に目がきらきらしていますが、危ない所なのですか?」
「欲しいものがあるのなら、アイザックか、………アルテアも行くかい?……うん、であればアルテアに頼むといい。商人達の街という事もあって、タジクーシャには独自の法がある。それがとても厄介なので人間には危うい土地となるだろう」
ディノによると、その法律は、タジクーシャの収益の為に刻々と変わるのだそうだ。
法律が変えられる度にその法律に反しないように対応出来なければ取り締まられてしまうので、擬態や魔術の調整などを含め、多くの事を可能とする高位の人外者達でもなければ危険を覚悟で訪れるような場所になる。
ネアは、アルテアは必ず買い付けに行くと知り、であれば何か良さそうなものの代理購入を頼もうと考えて頷いた。
使い魔からはとても疑わしげに見られているが、そんな厄介なところに自ら行きたいとは思えない。
(む…………!)
その時、大きな木の影でまた、宝石質な輝きが揺れた。
ネアは鋭くその煌めきに目を止め、体を屈めて素早く伴侶な魔物の腕の中から抜け出すと、しゅばっとそちらに駆け寄りお目当のものを掴み取る。
「おや、」
「ヒルドさん?!」
しかしそれは、こちらに戻ろうとしていたヒルドの羽先だったのだ。
六枚羽の真ん中の羽を掴んでしまったネアは青ざめながら慌てて手を離したが、その際に、駆け寄って捕まえた事もありずるりと足が滑ってしまう。
そんなネアを片手で抱き止めたヒルドが、ふっと艶やかに微笑む。
「これは熱烈なお出迎えですね」
「…………ヒルドさん、羽をぎゅっとやってしまってごめんなさい。痛くありませんでしたか?」
「いえ、可愛らしいだけでしたよ。それに、ネア様から内羽に触れていただくのは久し振りですからね」
「……………む」
ネアはふと、それはとても危険な嗜好だったものではと思い出し、ひやりとした。
ヒルドはどこか満足気に微笑んでいるが、またしてもその領域に踏み込んでしまったネアは慄くしかない。
そこに、どこか遠い目をしたエーダリアや、魔物達がわらわらと寄ってくる。
「ネアがまた逃げた…………」
「ディノ、ヒルドさんの羽が見えたのを、先程の宝石竜だと思って捕まえてしまいました…………」
「宝石竜という事は、これのことでしょうか?」
「わーお、ヒルドもリッタを捕まえたのかぁ………」
「ヒルド、……………それは死んで………」
「ええ。茂みの中から飛びかかってきましたので、止むを得ず首を落としてしまいました」
「そ、そうか…………」
先程に幼気な宝石竜を見たばかりのネアとエーダリアは悲しく項垂れたが、死んでしまった宝石竜も宝石の塊になるので、なかなかに高値で売れるらしい。
やはりこれも、珍しいものだからと言って、リーエンベルクに残しておくのは宜しくないようで、先程と同じようにアルテアがアクスにぽいっと送ってくれたようだ。
「………そしてなぜ、私はディノに足紐をつけられたのでしょう」
「君はすぐに逃げてしまうからね。タジクーシャの顕現予兆は、害を為すようなものではないけれど、森の様子がいつもとは違うようだから危なくないようにね」
「……………ふぁい」
ざっとではあるが森の奥までを見てきたヒルドによると、今回の縁食い妖精が森の入り口近くで確認された一件は、タジクーシャの予兆で現れた宝石竜を警戒して森の生き物達が生息域とは違うところに逃げ込んだから起こった事であるらしい。
小さな妖精達や、力があっても警戒心の強い生き物達に威嚇されていた宝石竜を見付けてからそれを追いかけていたので、ヒルドは戻りが遅かったそうで、久し振りに竜を狩りましたねと微笑んでいる。
「リッタの可動域は五百弱だが、それを所有したいと思わせる宝石の系譜の固有魔術がある。感情に作用する魔術を持つ見慣れない生き物となれば、縁食いも警戒はするだろうな」
「もしや、先程の宝石竜さんを不憫に思ってしまったのも………?」
「君の守護を揺らす程のものではないよ。ノアベルトの守護を得ているから、エーダリアも問題ないだろう。ヒルドは系譜の上位にあたるかな」
「そうか、ヒルドは宝石を司る妖精でもあったのだな…………」
そう頷いたエーダリアは、森の異変の理由も判明し、加えて幻の宝石竜にも出会えたのでとても満足そうだ。
ノアと朝食の席で、タジクーシャの事を教えて貰う約束をしているので、エーダリアにとってはまだまだ楽しい時間が続くのだろう。
しかし、さて帰ろうかというところで、ヒルドが思いがけない一言を漏らした。
「タジクーシャと言えば、そろそろ昔馴染みが王になっている頃かもしれませんね。七代目の王には息子が一人しかおりませんでしたから」
そう呟いたヒルドに、魔物達が無言で振り返ったので、それはなかなかに衝撃的な情報であったようだ。




