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陶器の星と運命の守り手




その日は夕暮れ近くまで仕事があって、少しばかり磨耗していた。

領境界近くで起きた事故のせいで追加された作業は、かなり面倒な作業であったが負荷という程のものではない。


今の仕事が好きなのだ。

大事なものがあり、自分の財産があり、そこにかける愛情と執着と安堵がある。

だからこそと奮起して仕事を終わらせ、家族が出かけるのを見送ると、一人きりの部屋を見回した。



(……………部屋が、広く感じられる)



いつもならそこに、こちらを見て目を輝かせる家族がいて、そんな美しい生き物の微笑みに心が緩み、つられるように笑顔になっていた。

でも今日は、大事な家族は外せない打ち合わせで外出している。

なので、この後の時間は自分の為だけに使おうと思案した。



何とはなしに庭に続く硝子戸を開け、夜空を見上げた。


いつの間にか季節は移り変わっていて、深く高い漆黒の夜空の色に一つ得心する。

招かれるかもしれないと思っていた舞踏会があったが、空がこんな色をしているのであればもう手遅れだろう。

どうやら、今年はその機会を逃したらしい。



(こういう時、無理なら無理だと言ってくれるといいのだけれど、そのように言えない事情もあったのかもしれないな)




ふうと溜め息を吐き、夜霧の向こうを眺めていた。

青を煮詰めたような夜の光も、この季節ばかりは漆黒の夜空までは届かないようだ。

細やかな金色の星を散らした秋の夜はどこか壮麗で、甘い秋の花の香りがする。


瑞々しさに重きを置く春から夏にかけての花々とはまた違う香りを分厚くするのは、秋になるとよく夜明けや夜に見られるようになる深い霧だ。

幾重にも重なるその香りが、クロウウィンを境にイブメリアの香りになるのがウィームだった。



少しの間、夜空を見上げて満足すると部屋に入り、今度はポットに用意されていた紅茶を飲んだ。

微かな甘みがある紅茶には檸檬と蜂蜜の香りが馨しく、先程まで触れていた秋の香りからぐっと印象が変わる。



そして、異変が起きたのは、これはこの秋のお気に入りの紅茶にしようと思った紅茶を飲み終え、お代わりを淹れようかなと思っていた時のことだった。



「……………っ、」



しゃりん。



何か、眩く強いものがどこかに落ちてきた。

建物の壁に遮られて見えないその向こうに、強く光る星のような何かが落ちてきたのだと、確かに感じられたのだ。



勢いよく椅子から立ち上がってしまい、僅かに躊躇してから部屋を出たのは、大事な家や家に残る家族に何かがあっては堪らないからである。


屋根を壊すものかもしれないし、どこかからやって来た良くないものかもしれない。

どのようなものであるにせよ、この家を壊すようなものであれば排除しておこう。


そんな事を考えていたせいか、何かが落ちたと確信した場所の近くに辿り着くまで、家族の誰にも会わなかったことを不思議に思いはしなかった。



(……………やっぱり、何か落ちたんだ!)



いきなり外に出る不用心さはないので、まずは窓を開けて先程感じた方角を覗き込むと、人だかりがある。

門の外側なので敷地内ではなかったようだが、外周の結界などが壊れてしまえば大問題だろう。


それを修繕するには手間がかかると知っているのだぞと考えながら、現場にいるに違いない家族を案じて小走りでそちらに向かう。



(大きな、明るい光が見えた)



となれば、やはり落ちてきたのは星だろうかと考え、その光が今も失われないままであるのなら、生きたままの星が落ちてきたのかもしれないと気付く。


よく分からないが、いつも拾い上げる星はきらきらしゅわしゅわ光ってはいても、鉱石や魔術結晶のような無機質なものであった。

だが、あんなに強い光を放ち続けているものであれば、その中の何かが生きている、もしくは星の系譜の誰かであるのかもしれない。


そう思うと先程までの懸念とは違う興味も疼き、重たい扉を開けて、人々が集まってわいわいとしている方へと向かう。



しゃりんと、時折聞こえてくる硬質な響きは、祝祭の夜に降る星の囁きのようであった。



「これは、…………実物を見るのは初めてですが、流星竜の卵でしょうね」

「……………ああ。抵抗値の高い者だけ残ってくれ!後の者達は、皆、排他結界の中に戻るように。………私の術式も使うが、何人かは、この通りの封鎖を頼む。………この輝きの強さだと、影響が出る範囲が広いかもしれな」

「あなたに影響が出ても困りますので、私はここに残りましょう。グラスト!」

「こちらは任せてくれ。………いいか、姿のいない騎士がいないかどうか、至急確認を取ってくれ。流星が既に誰かを呼んでいたらまずいことになる。様子がおかしい者がいた場合は、意識を遮断させて魔術隔離するように」

「あのね、山猫商会を呼んだ方がいいかも。この星の扱いが得意だから。アイザックは、流星竜が嫌いなんだ」

「………であれば、至急手配しよう。ヒルド、任せていいだろうか」

「ええ。………まだ、見付かりませんか」

「部屋にはいないようだし、こちらに連絡もないのだ。ゼベルが探してくれているのだが………」



そんな話し声を聞きながら、皆が囲んでいる場所を覗き込もうと飛び上がった。

しかし、背が高い者が多く騎士服のケープが視界を遮るので、思うように流星竜の卵とやらが見えない。



(でも、なんて綺麗な星明かりなのだろう)



辺りには、星屑の花火が弾けるように、しゅわしゅわぱちぱちと小さな星屑が弾けていた。

どうやらその卵とやらが放つ火花のようなものらしく、秋の香りのする漆黒の夜の中で明るく輝いている。


ふと、周囲の木々を見上げると、枝の上には小さな妖精や精霊達が集まっており、この騒ぎをじっと見守っているようだ。

そんな風に小さな生き物達が見守る様子にまた、かなり特別なものがそこにあるのだなと考えた。



(流星竜の卵)



であればそこからは、竜が生まれるのだろうか。

卵の時からこんなに美しい星の光を降らせているのだから、きっとさぞかし美しい竜が生まれるに違いない。


そうなれば俄然気になるのが、竜の卵の様子で、根気強く人垣の周囲をうろうろしていると、漸く取り囲んでいた騎士達が離れた。



(……………あった!)



しかしそれは、思っていたものとはだいぶ様子の違うものであった。

しゃりんしゃりんと小さな星屑を落とす光の中心にあるのは、想像していたような卵ではなかった。


石畳の歩道に落ちていたのは、人差し指の第一関節から先くらいのぶ厚さのある、素朴な絵付けのある陶器の星のよう。

だが、その、女性の手のひらの中にも充分に収まるくらいの陶器の星が、明るい光を放ち、星を散らしているのだった。



(思っていたものとは違うけれど、………本物の星のように明るくて、とても温かい光だわ)



あの小さな陶器の星を取り上げ、ぎゅっと抱き締めたらきっと素敵だろう。

そう考えて唇の端を持ち上げたが、とは言えそれは見知らぬものでもあった。


触れてみたくてうずうずしている指先を握り込み、少しだけ触ってもいいかどうかを誰かに聞こうと、周囲を見回して家族の姿を探してみる。


誰かがこちらに近付くのを止めたり、触れないようにと言う事はないので危ないものではないのだろう。


とは言え、不確かなものに近付く場合はやはり、大事な家族に確認を取ってからでなければ。

落ちてきた陶器の星がどれだけ素晴らしい輝きでも、何が一番かと言われればやはり、家族に勝るものはないのだから。


そう考え、ばたばたと忙しなくしている騎士達の近くでしゃがみ込んで足元の隙間から星を見ていた体勢から、よいしょと立ち上がった。



「ネア!!」



その直後、ネアは誰かに勢いよく腕を掴まれ、そのままぎゅっと抱え込まれてしまう。



「……………む?」

「どこにいたんだ?!まさか、卵に触っていないだろうな?!」

「………アルテアさん?」



いきなり手を掴んだのは、どうやらまたこちらに来ていたらしい使い魔である。

本日は青みの灰色のスリーピース姿で、僅かに菫色がかった艶のある白いクラヴァットがはっとする程に美しい。


けれども、こちらを見た宝石のような赤紫色の瞳には焦燥が見え、なぜだかとても動揺しているようだった。



「星には、触っていないだろうな?」

「……………ええ。あの綺麗な陶器の星に、触ってもいいかどうか、家族に聞いてみようとしたのですが」


しかし、ネアがそう答えるとアルテアの表情は目に見えて厳しくなるではないか。

すっと瞳を細めた魔物がぞっとするような冷ややかな眼差しになれば、まるで、一枚の透明な硝子板を重ねたように周囲の景色がくらりと翳る。


「いいか、あの星には絶対に触れるな」

「……………む。分かりました」

「………それで納得したのか?」


ネアが、あまりにも静かなアルテアの声音に目を瞬き、すぐさま了承すると、なぜか今度は目を瞠っている。

どうして驚かれたのだろうかと首を傾げていると、ややあって、こちらを凝視していたアルテアが深く息を吐いた。



「触らない方がいいと言われたものであれば、そうするのですよ?」

「…………お前には、伴侶も、……………俺もいるだろう」

「………むむ?……………ええ、勿論、私には大事な家族や使い魔さんや、他にも大事な方々がいます…………?」

「…………そうか。お前の執着が引き摺られたのでなければ、あちら側が目を付けたようだな」

「話がさっぱり見えてきませんが、…………よくないものなのです?」

「星を得る者によってはだがな」



呟くようにそう言い、アルテアにしっかりと持ち上げられる。



先程の翳りはやや晴れたようだが、星の光は少し弱まっただろうか。

けれども、しゃりんと音を立てて落ちる小さな星はあちこちに転がっていて、木から下りてきたもちうさ形状の生き物が、さっとその中の一つを持ち去っていくのが見えた。



(…………あ、)



少し離れた位置に、先程まで騎士達に指示を出していたエーダリアの姿が見える。

こんなに綺麗なものが落ちてきたのに、なぜ青ざめているのだろうと思っていると、こちらに気付き目を丸くした。



「ネア!無事だったか!!」

「ネア様、ご無事でしたか!」


思ってもいない言葉に困惑していると、その隣で振り返ったヒルドからも同じことを言われ、ネアは、ますます困惑して首を傾げる。


まるで事故現場で生き残った家族を見付けたような、そんな表情だったのだ。



「……………無事、とは?」

「ゼノーシュから、お前の姿が見当たらないと報告を受け、ゼベルにも探させていたところだったのだ。流星竜の卵の周囲に排他結界をかけたが、私やヒルドのものだと、お前は通り抜けてしまう可能性もある。何とかして見付けて保護しなければと思ったのだが、……………流星の祝福は厄介なものだからな」

「アルテア様、有難うございます」

「……………ああ。あの卵を見張っている騎士達のすぐ側にいたぞ。屈み込んで、卵を見ていたようだ」

「…………っ、さ、触ってはいないのだな?!」



ここで、またしても先程のアルテアと同じことを言われてしまい、ネアは、なぜなのだとぎりりと眉を寄せた。



「触ってもいいか、エーダリア様やヒルドさんにお聞きしようと思っていたのですが、アルテアさんが触ってはならないと言ったので触りません」

「……………ああ。アルテアが、お前を見付けてくれて幸いだった」

「近くに居たのに認識出来なかったという事は、…………間違いありませんね」

「ああ。………危なかったのだな………」

「むむ?」

「こいつがお前達の了解を得ようとしていたということは、惹き寄せられたというよりは、選ばれた状態に近いんだろうよ。………壊して障りを出すよりは回収させた方がいいだろう。山猫商会を呼べ」

「先程、ゼノーシュ様にも同じことを言われましたので、既に手配済です。よりにもよって、ディノ様とネイが不在にしている日に落ちてくるとは…………」

「ジルクが来る迄の間は、俺が排他結界をかけておいてやる。…………だが、山猫商会の竜の星ランタンに入れるまでは、油断は出来ないと思っておけよ」



ヒルドと話しているアルテアの声は、不自然な程に整ったものであった。

その冷ややかさと平坦さを訝しく思ってじっと見つめていると、気付いたのかこちらを見て小さく溜め息を吐く。



「む…………」


ふつりと落とされたのは、鼻先への口付けだ。

これもなぜなのだろうと考えていると、こちらを見ていた美しい魔物が、僅かに眉を顰める。


「……………守護を重ねてある。いいか、あの卵が回収されるまでは、絶対に俺から離れるな」

「謎めいた事ばかりですが、そうしますね」

「シルハーンがいた方が良かったんだろうが、どちらにせよ影響は受けるだろうな。……………あの領域は運命の魔術の恩寵と祝福だ。運命の魔術領域は、俺達にも完全な排除は難しい」

「何か、………特別な竜さんなのですね」

「いや。生まれ落ちる竜はさしたる特徴もなく、階位も高くない。ただ、卵の状態で付与される運命の絆とやらだけは、この世界でも特等の魔術領域にあたる」

「ほわ…………」



アルテアが排他結界をかけたということで、周囲は少し落ち着いたようだ。

騎士達の安否確認を終えたグラストがこちらに戻ってきて、ネアを見付けると安堵したような笑顔を見せてくれる。


どうやら、この流星竜の卵が落ちてきた直後から無事が確認出来ていなかったのがネアだけだったらしく、皆で探してくれていたようだ。



「あのね、流星竜の卵は凄く脆いから、運命の守り手を探すんだ」



そう教えてくれたのは、こちらも全面警戒態勢なのか、グラストに抱っこされている見聞の魔物である。

恐る恐る尋ねてみると、やはり、グラストが卵に触れられないようにそこにいるらしい。



「運命の守り手、なのですね」

「うん。見付けた守り手があの卵に触れると、生まれてくる竜と一緒に暮らせばずっと幸せになれるっていう祝福と、その竜への強い愛情が授けられるんだよ。でもね、それが強過ぎて、…………他の人の事はどうでもよくなることが多いんだ」

「まぁ。…………ここで漸く、ちょっと迷惑なものだぞと分かってきました」

「僕、流星竜の卵なんて嫌い…………」

「ぎゃ!ゼノのお顔が……!!」

「だって、ネアの事を呼んでいたんでしょう?僕達だってここにいたのに、ネアに気付かなかったんだよ」

「それも、…………卵さんの力なのですか?」

「祝福を誰にも奪われず、手に入れられるための幸運と言われています」



珍しく、僅かな嫌悪感を滲ませて会話を続けたグラストは、以前にリーエンベルクにいた騎士の一人が、この流星竜の卵を拾ってしまったのだと話してくれた。


卵を拾った騎士には幸運が約束されているが、生まれてくる竜の守り手になり、その竜を何よりも愛するようになるので、騎士という仕事を続けるのは難しくなる。

仕事の時には、私事よりも領主を守るという判断が、取れなくなるのだ。



「彼は、……………将来有望な騎士でした。どれだけの熱意を持ちこの仕事に就いたのかを知っていましたので、私は、……………悲劇だと思いました。その為に重ねた努力や、彼が元々持っていた夢はそれで潰える。愛する竜を守る限りは生活に困る事もない祝福ですが、それを強いる為に奪われたものは戻りません」



その騎士は、ウィーム貴族の三男だったという。

曾祖父が氷竜であったので、氷の魔術の類稀なる才能があり、冷静な判断力や穏やかな人柄から皆にも好かれていた。

席次のある騎士になりたいと堅実に努力を重ね、仕事に誇りを持っていた人物だった。



「彼は、思わぬ事になってしまったが、幸福だと話していました。……………とは言え、流星竜の卵を得た者の多くは、竜を喪った後も生き続ける事は少ない。あの竜は、階位が低く、ウィームの一般的な人間より短命の竜ですからね」

「それを得てしまう人によっては、…………運命を狂わせてしまうものなのですね」

「守り手を探す卵なので、……………残念ながら、このような場所に落ちてくることが多いそうです。私が知る限りでも二度目ですから」

「ネアは僕の友達なんだよ。僕、あんな竜は大嫌い。でも、グラストを選んでいたら、もっと大嫌いになったと思う」

「ゼノーシュ、怖がらなくていいんだぞ。あの卵には絶対に触らないからな」

「……………うん。絶対だよ。触れないような魔術があるかどうか、ディノにも相談してみるね」




(そう言えば、……………ここまで出て来る間に、誰にも会わなかった)



グラストの話を聞いた後にそんなことに気付くと、ネアは、少しだけぞっとした。

エーダリア達や騎士達は、ネアにあの場に近付かないように言わなかったのではなく、ネアがあの場にいることに気付いていなかったのだ。



(もし、私が卵に触ってもいいかどうかを誰かに聞かずに、……………あの陶器の星に触っていたなら)



あの輝きに魅せられていたネアにとって、あの星よりも家族が大切でなかったのなら。



その時には、どんな事が起こっていたのだろう。



「わ、私にも、あの竜の卵めに触れなくなるような、そんな守護をかけて貰います!」

「………あれは運命の恩寵とされる。対抗策は呪いの形となるだろうが、早急に準備してやる」

「ふぁい。…………私を家族から引き離したら、絶対に許さないのですよ……………」

「お前の場合は、その執着の嵩が勝ったというよりは、この世界での運命を持たない事が幸いしたんだろう。…………ったく」



呆れたような物言いであったが、背中に回した腕にぎゅっと抱き締められ、ネアは今更ながらに相当危うい場面であったのだと胸を撫で下ろした。

もう一度落とされた口付けに、アルテアもかなり神経質になっている様子が窺える。


聞けば、アクス商会でアイザックとの商談をしていたところ、リーエンベルクの周囲に流星卵が落ちてきたという一報がヒルド経由で入ったのだとか。


慌てて駆けつけ、ネアをずっと探してくれていたらしい。



「そうだったのですね。私は、アルテアさんが来てくれて一安心ですが、お仕事の方は大丈夫でしたか?」

「そちらは問題ない。アイザックもそれどころじゃないだろう。あいつは、補佐官の一人をこの竜に取られているからな。急ぎ、ウィーム中央内の職員の回収を行う筈だ」

「…………どうしてアイザックさんがこの竜の卵を嫌うのかなと思っていましたが、そのような事があったのですねぇ」



奪われたのは、優秀な女性職員であったらしい。


卵を得るとすぐに仕事を辞め、生まれてきた流星の竜を溺愛し、竜が儚くなった後に後を追って自分の命を絶ってしまった。

個人的な執着ではなかったそうだが、その女性の類稀なる商才を買っていたアイザックは、何とか竜の死後にアクスに呼び戻そうとしていただけにかなり落胆していたのだとか。



(そうか。商会にどんな影響が出るのかと思っていたけれど、優秀な人材をそんな風に奪われるのは堪らない事だろう。あのような仕事であれば、生まれてきた竜を第一に考える人にとっては、働きやすい職場だとは言えない筈だし…………)



乞われて雇われた職場であればあるほど、大事な人材に大きな影響を与えた流星の竜の存在を、周囲が快く思わないのは当然の事だろう。

雇用主や同僚がそんな思いを抱けば、当然守り手にも影響が及ぶ事になり、運命は守り手をそのような現場から遠ざけるように働くらしい。


当人が幸福なのが何とも言えない事だが、グラストが悲劇だというのも尤もであった。



「星の系譜の方とお話をして、こちらに近付けないようにという約束は出来ないのですか?」

「あの竜は個別派生だ。派生してすぐに卵の状態で落ちてくるせいで、星の系譜にも管理は難しい。アイザックが何度か抗議をしていたが、解決策がないという事で対話が打ち切りになっていた」



そんな話を聞けば、ネアは、星祭りの日に落ちて来たらとても紛らわしいのではと怖くなったが、そのような日の方が、夜空に他の星の系譜の者達がひしめいているので、派生の予兆に気付き素早く回収してしまうという。


また、星の系譜の者達は卵の持つ運命の魔術に影響を受けないらしく、そんな者達に保護されても溺愛はしてくれない為に、自然と、同系譜の他の者達が多い場所に流星の竜は生まれなくなったのだそうだ。



「回収された場合には、星の系譜の方々が育ててくれるのですね」

「流星の系譜の竜には、階位が高くまともな連中もいる。そいつらが引き取って育てるらしいが、同族という意識ではないだろうな。……魔物で例えるなら、パンの魔物のような存在に近い」

「なぬ。パンの魔物さん………」



顔を上げると、エーダリアとヒルドは、この卵が落ちた際に光が届いた範囲内に、ネアのような影響を受けた者達が他にいないかどうか、各方面への連絡に追われているようだ。


被害が出ないように取られる対策だが、もし、本当の意味でこの卵を必要とする領民がいた場合は、そちらに引き渡す事も想定した上で調査をしているらしい。




「やぁやぁ。今回はまた、希少なものをお持ち込みいただけたようで」



暫くすると、満面の笑みを湛えたジルクがやって来て、落ちている星を銀水晶のトングのようなもので掴み、持っていたランタンの中に素早く入れてしまった。


そうするともう、ネアには照明器具にしか見えなくなったが、こうして特殊なランタンで回収しておけば卵は孵らないので、その間にお客を探すのだそうだ。



「そのランタンに入れると、周囲に影響も出なくなるのですね」

「ええ。こいつは、我が子を流星の竜に奪われ、竜を呪いながら死んだ魔術師の骨を、水晶に置換して作ったものですからね。前々から、引き取り手を選べば有用なものなのに勿体ないと思っていましたから、流星竜の卵はいつでも歓迎ですよ」

「……魔術師さんの骨製のランタンでした」



リーエンベルクは無償の引き取りで依頼しているので、山猫商会としては大儲けなのだそうだ。

こちらは難を避け、あちらはいい商品を手に入れるという双方が笑顔になれる取引きである。


アクス商会とは違い、山猫商会に属する者達の気質だと、流星の竜の卵を仲間が得てもあまり気にしないようなので、商品として扱うリスクも低いのだろう。

優秀な人材の流出を恐れ、取り扱いを禁じているアクス商会とは対照的な関り方だ。



「早く来てくれて助かった。こちらには、自分の意思で流星の竜を得たいと思う者はいなかったようだ。そのまま持ち帰ってくれて構わない」

「そいつは良かった。どちらにせよこっちは儲けしかありませんが、ウィームに売るとなると、さすがに良心が痛むので値段を吊り上げられませんからね。ではでは、卵の輝きが弱まらない内に失礼させていたきましょう」



胸元に片手を当てて優雅に一礼すると、輝く星を入れたランタンを持ったジルクは、ふわりと転移で姿を消した。

強い星の輝きが消えて夜の暗さが戻ってきたリーエンベルクの外周で、エーダリア達だけでなく、騎士達も安堵したように息を吐いている。





その後、流星の竜の卵が落ちたと聞いて大慌てで帰ってきたディノに、ネアはもみくちゃにされた。

しくしく泣きながら無事を喜んでくれているので、万象の魔物ですらこんなに怯えてしまうようなものなのだろう。


同じように戻ってきたノアは、その夜はエーダリアとヒルドと三人で寝ると言い張ったようで、翌朝のヒルドは若干疲れているように見えた。


使い魔がその夜は同じ部屋にいると言い張ったので、ディノの以前の寝室を開放したネアも、その気持ちはよく分かると重々しく頷き、夜中ずっと一定間隔ごとに目を覚まして無事を確認される事の辛さを語り合いたいと思った。




ジルクが回収した卵は、とある小国に生まれた妾腹の王子の手に渡ったそうだ。



他の王子派の者達からの暗殺の危険に晒される幼い我が子を案じた国王が、その卵を与える事で守ろうとしての、極秘裏な買い物だったらしい。


跡継ぎ争いには参加しないと周囲に理解させる事が出来ると見込んで、母親も亡くし離宮で傷だらけになって生きてきた王子に与えられた小さな竜は、笑顔を失くしていた小さな子供の大事な相棒になった。


共に暮らす限り、誰にも損なわれないという運命の祝福があるので、王子の安全も確保された事になる。


大事な竜と暮らす王子は、離宮に部屋を与えられたままであったが、その後は誰にも命を脅かされず、誰も脅かさない兄弟の側に居心地の良さを感じた兄王子達だけでなく、国王や正妃からも大事にされたそうだ。


得られるべくして得られた幸運は、確かに皆を幸福にしたのである。







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