いつもの散歩道と帰還者
日付が変わるまでをいつもの散歩道の周辺で過ごし、仲間達と、他の班の合流を待つ為に焼き栗の屋台に行くことにした。
明るい夜の光には祝福の煌めきが落ち、白銀だと言われることが多い長い髪を風が揺らしている。
ひんやりとした夜気の中を歩けば、森の方にはこの季節のウィームらしい霧が少し出ており、それが堪らなく嬉しかった。
久し振りに帰ってきたウィームの夜の街を歩くだけでも心が弾み、砂だらけの呪わしいカルウィを思う。
勿論、あの国も砂漠ばかりということはないので、それもそれで美しいと思う者もいるだろうが、この上なくウィームを愛しているのに、六年もあのような土地に暮らしていたのかと思うと、よくも耐え忍んだものだ。
「久し振りに戻ってきてどう?」
そう尋ねた幼馴染に、今日の出来事を思い出す。
「噂の歌乞いに出会えたのが嬉しかったな。あれが、アレクシスが勝手に娘夫婦にしている二人なんだな」
「ええ。勝手に身内になるのはどうかと思うけれど、とてもいい子よ。うちの店にもよく来ているし、契約の魔物を連れて買い物に出ていることも多いから、その内に何度も見かけるようになるわ」
「それは楽しみだ。………アレクシスから連絡はあったかい?」
「ああ、忘れていたわ。こちらに戻るのは、少なくとも来週以降のようね。あなたは当分カルウィには行きたくないでしょうから、近くそちらに行く事があれば、カルウィの第七王子は調べておくそうよ」
「何年か親族だった僕としては、彼は大丈夫だと思うけれどね。問題は、何かと彼に仕掛ける第二王子かな」
そう言えば、街の入り口で合流したバンルが小さく笑う。
「普通、あの国の王族にはそう簡単になれないからな」
「だとしても、君は必要ならなるだろう」
「そりゃ、俺は人間じゃないからな」
「こちらは同じ人間なだけ、紛れ込みやすかったのかもしれない」
「…………扱う魔術を全て組み替えて王族と入れ替われる人間は、この大陸を見渡してもそうそういないぞ」
「いや、やらないだけで、アレクシスやジッタは出来そうだけど」
「うーん。兄さんは出来てもやらないから、出来ないのと変わりないと思うわよ。あれで、スープ以外のことは面倒がるんだから」
「アレクシスは昔からそうだよ」
従弟は昔からそうだったと微笑むと、なぜかバンルが遠い目をしている。
おやっとそちらを見ると、お前達はいつもそうだという謎の言葉が返ってきた。
(だが、エーダリア様の誕生日のバンルは、いつだって上機嫌だな。誕生日に問題が起きても、あの方が生まれた日というだけで幸せらしい)
「焼き栗を食べながらザルツ班と合流したら、いつもの事務所かい?」
「いや、今夜はエーダリア様の誕生日だからな。ザハの貴賓室を借りてある」
「ああ、いいね。カフェの給仕に新しい会の会長がいるのだろう?今夜は閉まっているけれど、明日の朝食を食べていけば会えるかな」
「…………言っておくが、あれはまぁ、………特等の一種だからな。手は出すなよ」
そう言われて、他の誰かからも聞いたなと思いながら頷いた。
少し考えて、ダリルだったことを思い出す。
(確か、魔術的な障りから正体については詮索しないようにということだったか。とは言え、伯爵位以上の魔物である可能性が高い。……って彼が言うからには、間違いはないんだろう)
「給仕と言うから、本職の方で顧客にならないかなと思ったのだけどな」
「お前の面倒な顧客は、選択の魔物だけで充分だろう………」
「死の精霊の方が、お客としては面倒なんだ。選択の魔物は、注文は細かいけれど、こちらの手間や拘りに気付いてくれるいいお客だよ」
「…………ねぇ、アレクセイはブーツも作るわよね?」
不意に、幼馴染にそんなことを訊かれた。
「うん。女性ものはそちらの方が好きかな」
「今度、ネア様のブーツ作ってあげたら?………今でも、何でも踏み殺してしまうブーツだけれど、あなたが作ったブーツを使って貰ったら、もっと殺傷能力が上がるんじゃないかしら?」
「あの竜を踏んでいるのを見たけれど、あれも相当にいいものだよ。………でも、僕の工房に注文をくれたら、張り切っていいものを作るよ。何しろ、カルウィの王子稼業にはうんざりだ。これからの六年は好きなだけ靴を作りたい」
カルウィの王子の中に、厄介な素養を持つ者が現れたのは、六年と少し前のこと。
恐らく、国内でもまだ誰の目にも留まっていないその王子の魔術質に気付いたのは、あの国で諜報活動をし、その一族の専属魔術師となっている会員の一人だった。
早急にその王子を無力化し、尚且つ、持ち得ていた固有魔術を誰にも気付かせないまま葬らねばならないとなった時、その任務に向いていたのがアレクセイであった。
だからアレクセイは、大事なウィーム王家最後の主人の為にカルウィに渡り、まずは問題の王子と彼が持って生まれた固有魔術を排除してしまってから、不審がられるような痕跡を残さぬよう、時間をかけて足跡を消してきた。
王子本人を消しても、その履歴は容易には消せない。
あの魔術が生まれた経緯やその時の事を知る者達を、別件の粛清を引き込んで消しながら、少しずつ。
そんな日々の中で、リアッカ王子とは何回か食事をしたこともあるし、彼の副官の妹からは五回も求婚された。
ヴェルクレア第一王子が密かに交流を持っているニケ王子とも、一度だけ個人的な宴席を持っている。
刺激的ではあったが、決して愉快とは言えないその日々を乗り切れたのは、発見された固有魔術があまりにも悍ましいものだったからに他ならない。
体を通す魔術を毒に変えるという祝福は、人間の生き方を知らない愚かな妖精が授けた生誕の贈り物で、それを知らないままに生まれた子供を酷く痛めつけた。
周囲の者達や家族さえもが、王族を減らす為の呪いを授かり生まれてきたのだと思っていたあの有様が、もし、彼固有の魔術だと知られたならそれを紐解こうとする者達はどれ程いたことか。
(でも、あの王子は、生まれた瞬間からこちらの情報操作を受けていた為に、一度も表に出ないままに失われた祝福だ。………念の為に顧客の一人にも手を借りてある)
こちらだけで調整をかけても良かったのだが、人間の知り得ない経験や知識というものがあるので、上客から特別な災いを一つ借り、アレクセイは、あの固有魔術を徹底的に世界の表層から削ぎ落とした。
誰にもその執着を知らせず、けれどとウィームをこの上なく愛しているあの魔物であればこそ、この上ない共犯者になってくれている。
「そういや、グラフィーツも、あの歌乞いのお嬢さんの会の会員だぞ」
「ああ。それを聞いて驚いた。友人の君が誘っても、こちらの会には入らなかったのにな」
「…………やっと、いい具合の窓を見つけたんだろうよ」
そんな魔物の名前を出したバンルが、誰かを懐かしむような目で笑う。
だとすれば、カルウィで共闘した砂糖の魔物にとってのあの歌乞いの少女は、バンルにとってのエーダリア様のようなものかもしれない。
「せっかくのザハなんだ。であれば、ザルツの連中の靴に、早く家に帰れる祝福をかけてもいいかもしれないね」
「あら。部屋に忍び込むなら協力するわよ?」
「忍び込まなくても出来るよ。何しろ祝福だからね」
「………人間って何だろうな」
「でも、早く帰って欲しいだろう?」
「まぁ、そりゃ間違いないな」
「ついでに、帰り道で転んだり落ちたりすればいいのだわ。…………あと、ガーウィンの暗殺者を仕向けた連中は、全員許しません」
「ダリルが面白い仕掛けを考えたみたいだよ。その報告を楽しむとしよう。せめて最期に、僕達を喜ばせてくれるといいけど」
「…………人間って何だろうな」
「人間だというだけさ。いつだって」
アレクセイは、そう言って微笑むと、見えてきた焼き栗の屋台の近くにいた、懐かしい仲間たちに手を振った。
賑やかな連中もいるので、今夜は盛り上がるだろう。
大事な領主様がゆっくりと眠っているこの真夜中からが、我々の時間なのだ。
本日はSS更新となっております。