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誕生日と三人の王子 7




「さてと。そろそろ誕生日の贈り物を出そうかな。あ、その前にケーキか」

「うむ。檸檬クリームと、月光蜂蜜のケーキですね」

「おい。ケーキを食うなら、もう一皿用意するのをやめろ」

「まぁ。甘いケーキを食べてから、このお皿のローストビーフや鶏さんに戻るのが、お祝い料理の楽しいところなのですよ?」



ゆっくりと、楽しく美しいお祝いの夜が深まってゆく。


別のお酒も飲み始めていたが、何となく一口分を残していたチェスカのシュプリを飲むと、さあさあと静かな雨音が聞こえた。


美しい広間の中に落ちる家族の声や影に、お皿の美味しそうなご馳走。

次のお休みの日にこそ、発作がなく起き上がる事が出来たなら掃除をしなければと考える乾いた埃の匂いもせず、魔物達のふくよかでうっとりとするようないい匂い。


でも、雨音の向こう側にはいつかのネアハーレイの願い事が、まだ閉じ込められている。

わぁっと響く喝采の音に、暗い歌劇場の艶やかさと美しさ。



遠くで響く鎮魂の鐘と、曇り空の下の墓地。




「……………ネア。すまない。俺の気配に引き摺られたか?」


ふっと、耳元で吐息が触れるように柔らかな囁きが落ちネアが振り返ると、薄く微笑んだウィリアムが、背後からこちらを覗き込むようにしていた。

ネアは目を瞬いて首を傾げてから、ふるふると首を横に振った。



「何か、影響を及ぼすようなものがあったのですか?」

「あれ、…………だとすると回想か。ほんの少しだけ、目の中に終焉の欠片があったからな」

「……………そのようなものも、ウィリアムさんには気付かれてしまうのですね」


それで声をかけてくれたのかと得心し、ネアが小さく微笑むと、ノアが開けたばかりのシュタルトの湖水メゾンのシュプリを飲んでいたウィリアムが少しだけ悪戯っぽく笑う。


目を覚ましてからは、しっかりとした軍服ではなく、少しばかり寛いだ服装になっている。

襟元から覗く首筋の白さは人間だと繊細にも見える色だが、それが魔物のものだと脆弱さのかけらもなく、どこか扇情的ですらあった。



「こんな夜は、いつもより耳が良くなるし、目も良く見える。王都や大きな街という規模ではなくて、国ひとつを死者の国に落としたばかりだからな」

「…………謁見の呪いの中で久し振りに見たあの歌劇場の事を、考えていました。ずっと私の中にあって、私の後ろにいたあの影はとても呪わしく恐ろしいものでしたが、……………多分、あの中にはずっと私の家族もいたのでしょう」



ネアは、ヒルドがケーキを切ってくれている間だけ、皆の輪を少し離れて幸せな誕生日の様子を見ていたのだった。


ウィリアムが後ろにいたので、ディノはそちらに話しに行ったのだと思っていたかもしれないが、こうして輪の中から一歩だけ出てみて、檸檬の香りのする雨音を聴きながら、自分の新しい家族や仲間を眺めていた。


広間の中には、リーエンベルクで育てられた白薔薇が飾られている。


一緒に生けてある淡い緑色の紫陽花のような花がふんわりしているので、どちらかと言えば白緑に偏る印象の仕上がりだが、ふっくらと花びらを膨らませた白薔薇は少しだけ記憶を揺らした。


シャンデリアの影に、談笑の声。

料理の香りに、音楽などがなくても心が弾むような空間。



「いい光景だな。……………リーエンベルクに来ると、不思議な感覚だが、帰ってきたような気がするんだ。だからと言って、ここが俺の拠点となる訳じゃないことも理解しているんだが、それでも不思議な安らぎを感じる」

「ええ。とても素敵な日で、素敵なお祝いですね。こうして大事なものを腕いっぱいに取り戻したので、安心してあの遠い日々の景色を思い出してみました」

「それもまた終焉の子には、必要なものなんだろう。…………君は特に、…………俺の守護のせいでその資質に深く触れるからな。だが、あまり覗き込み過ぎないようにな」



見上げると、白金色の瞳の美しさはやはり人ならざる者らしい。


ネアは、見慣れた同族ではなく、こんな特等の生き物が寧ろ安全を促す忠告をくれるのだなとくすりと微笑み、しっかりと頷いた。



(みんながいる………)


視線の先では、ネアが少しだけ離れた間に、ノアとアルテアの間に何かがあったらしい。

ディノがおろおろしながら間に入っているが、アルテアがとても遠い目をしているので銀狐関連だろう。


ケーキを切っているヒルドの隣には、それを当然のものとして受け取るにはまだ不慣れさも見えるが、嬉しそうにその様子を見ているエーダリアと、目を輝かせているゼノーシュがいて、そんなゼノーシュの隣に契約の魔物を我が子のように見守っているグラストがエーダリアと話している。



「ええ。そうします。ウィリアムさんも、…………あまり耳を澄ませない方が良いのでしょうか?」

「おっと。それを言われると確かにそうだな。幸い、終焉の声を聞いていてももうあの土地に残党もいないようだし、そちらの感覚は閉じておこう」

「ええ。そうし…………あちらでは、何が起きたのだ」

「シルハーンが、こちらに来るようだな」



ネアが、なぜか光の入らない目になってしまった使い魔の様子を案じていると、戦線離脱してきたディノが、選択の魔物と塩の魔物の間にどんな会話があったのかを教えてくれる。



「ノアベルトが、…………アルテアに、タオルの端を噛みたくならないかと訊いてしまったんだ」

「ほわ。…………何という取り返しのつかない質問をしたのだ」

「…………ノアベルトは、もう気にしないんだな。……というか、彼自身はそれでいいんですかね」

「アルテアが、そういう事はないと答えていたのだけれど、酔っ払うとネアの指を甘噛みしているので、何かを噛みたいという欲求はあるのではないかとまたノアベルトが訊いてしまって……」

「おっと………」

「恐らくもう、ノアは純粋に疑問に思っている事を、同じ毛皮動物になるアルテアさんにぶつけているだけだと思うのですが、使い魔さんの心が死んでしまうのでやめていただきたいです…………」



あんまりな会話に、それはアルテアの表情が暗くもなるだろうと頷き、ネアは、意を決して公爵位の魔物達のあまりにも危険過ぎる質疑応答を止めに行った。


(アルテアさんは、今の段階ではしっかりと受け止めてくれているようだけれど…………)



しかし、あまりにも衝撃的な真実というものには揺り戻しがある。


事実確認だけは受け止められたが、そこに付随する細かな物語や情報などは抱えきれないという事もあり得るのだ。



「ノア、ケーキが配られ始めたので、贈り物の準備をしませんか?」

「ありゃ。もうなんだね。…………って事だからさ、アルテアは、何か絨毯や履き物を齧らないで済むようなこつがあったら教えてよ」

「……………いいか。そもそも俺は、そんなものを齧ってはいないからな」

「うーん。絶対に、何か一つはあると思うんだよねぇ。もしかすると、海老かフルーツケーキかな」

「ノ、ノア、贈り物の準備に行きましょうね!今回の贈り物は、設置準備があると聞いています!」

「あ、そうだったね。じゃあ、アルテアまたね」

「……………二度と俺に妙な質問をするな」



ノアは、贈り物の準備の為にエーダリア達の方に戻っている。

塩の魔物の魔術で作り上げられた不思議な台座に、エーダリアが目を丸くしているのを見て、ネアはほうっと息を吐いた。



「あのような会話をやり過ごすには、耐えきれないような部分だけ、狐さんとノアを別の生き物だと思うといいそうなのです。ウィリアムさんはそれで乗り切ったのだとか」

「だいたい、あの予防接種は必要なのか?絶対にいらないだろう」

「擬態しているのが純粋な狐さんだからなので、念の為の措置なのですよ。もし、狐さんなノアが踊り去っていってしまったら、どうやって助けてあげればいいのか分かりません」

「いや、放っておけよ。自分でどうにか出来るだろうが」



怪訝そうにそう言われても、どうにか出来ない気がするので予防接種は必須なのである。


そもそも、銀狐時は廊下で仰向けに寝ている生き物が、更に自我を奪われた状態で己を救える筈がないではないか。

そう考えると確かに心が迷路に入りそうだったが、ここで、エーダリアの誕生日のケーキがネア達にも配られた。



「ほわ。檸檬クリームのケーキでふ!じゅるり……」

「いいか、今夜は数的に大丈夫だろうが、食い過ぎるなよ」

「ぐるる………」



カットしたケーキを載せたお皿を配り終えたヒルドが、人数分の紅茶を淹れてくれる。


基本的に家族の誕生日会は、立食と着席の混在型なので、居心地のいい位置を探った結果、ケーキは皆で座っていただく事になった。

いつもであれば、ここからカードバトルなども始まるので着席必須なのだが、今夜は大きな任務があるのでそちらの成功こそが優先されていたのだ。



「……………桃は、入っていないのだな」

「ありゃ。警戒しているぞ………」

「今回のケーキは、生地を焼くのと蜂蜜の採取を私が担当しました!」

「……………は?」

「ネア、……………このケーキに使われているのは、月香りの竜の月光蜂蜜という名称を聞いていたんだが、俺の気のせいか?」



ネアが、皆で顔を揃えたのでついつい制作秘話を明かしてしまうと、なぜか、ウィリアムとアルテアが呆然とこちらを見るではないか。



「月香りの竜さんの巣には、ヒルドさんが一緒に行ってくれたので、採取は簡単だったと言えるでしょう。唯一の心残りは、竜の巣の中に財宝めいたものが置かれていましたので、少しだけ貰ってくるべきだったという事です」

「ネア、月香りの竜は、獰猛なんだ。階位も高いんだぞ?」

「まぁ、そうなのです?ヒルドさんが私を巣の中に運んでくれたのですが、竜さん達は、その時にはもう怯えてきゅんきゅん鳴いていましたよ」

「……………わーお。それはお兄ちゃんも初耳だ」

「私の一族が、古くから採取に出ていた竜の集落でしたからね。羽色などを見て怯えたのでしょう」

「そ、そのようにして材料を集めてくれたのだな……」



エーダリアがちょっと慄いたようにケーキを見ているので、ネアは、月光蜂蜜は、身内や仲間が採取すると薬の魔術の祝福が得られるものなのだと、ふんすと胸を張る。


「なので、厨房にも三瓶程の蜂蜜が蓄えてあります!」

「…………どれだけ採取してきたのだ」

「あら。便利な蜂蜜なので、少し多めに貰っておいた方がいいとお聞きしております」

「薬効がある食材ですからね」



そう補足したヒルドは、無言で自分の方を見たエーダリアににっこりと微笑みかけている。


月光の系譜の蜂蜜は何種類もあるが、その中でも、月香りの竜の蓄える蜂蜜は高価で希少とされた。

ジャム瓶一つ分くらいで、一匹の竜の七十年分の蓄えになるので、三瓶という事は二百十年分だろうか。


とは言え、蓄えた蜂蜜は竜が食べるものではなく、蜂蜜の甘い香りにおびき寄せられてやってきた旅人や魔術師を襲って財宝を奪う為の囮なので、若干ではあるが、世界の為とも言える収穫なのだ。



(美味しそう!)


薔薇枝の縁取りのあるお皿に載った白いケーキには、ふわふわのスポンジにも蜂蜜を使い、爽やかな香りが素晴らしい檸檬クリームには、檸檬のほろ苦く瑞々しい香りだけではなく、少し大人の香りのある夜明けの森の蒸留酒も香り付けとして足している。


檸檬のムースを挟み、じゅわっと口の中で蕩けるような果実味と、物足りない軽さにならないような奥行のある香りや甘さのあるケーキとなった。



「クリームはディノが立ててくれたのですよね」

「うん………。ネアが沢山ご褒美をくれた」

「それは、まさかの声援的なやつのことです……?」

「僕は、ネアに教えて貰ってスポンジの切り抜きと重ねるのをやったし、ヒルドがクリームやムースを挟んだんだ。あ、中に挟むムースやクリームの花は厨房の料理人が作ってくれて、上に細く糸みたいにかけてある蜂蜜もそう」



そんな訳で、今回はリーエンベルクの料理人との共同制作のケーキである。


作りたいケーキに対し家族の技術力が足りず、また、料理人達にもエーダリアのケーキ作りに参加したいだろうという思いから、レシピの構築からお手伝いして貰った次第だ。


クリームの花は、可憐なエーデリアと、ウィームを示すホーリートのリース模様になっていて、チョコプレートには、家族と仲間からのお祝いをと書かれている。



「……………美味しいケーキだな。有難う」



皆が見守る中、まずはエーダリアが一口食べ、鳶色の瞳を震わせると恥じらうようにお礼を言ってくれる。


その途端に、待ち構えていたのか、素早く頷いてゼノーシュが実食に入った。

ネアもさっとフォークを持ち上げ、きらきら光る金色の煌めきを添える蜂蜜を垂らしただけのご主人様の仕上げに、ディノは小さく手料理と呟いている。



「あぐ!」

「……………美味しいね」

「はい!料理人さんが、檸檬ゼリーやコンフィチュールを使うか迷って、試作品を作った上でムースにして下さった拘りぶりだったので、最高の檸檬ケーキになりましたね」

「可愛い。弾んでる……………」

「おい、弾むなと言っただろうが」

「……………ぐぬぅ。家族の誕生日に制止するなど、許すまじ」

「ネア、アルテアは俺が後で叱っておくよ」



美味しいケーキを頬張り、雪影のような光を落とすシャンデリアの広間で、家族や仲間とお喋りをする時間は、この上なく贅沢なものだ。

そしてここからは、贈り物の受け渡しも始まる。



「私と、騎士達からの贈り物です」

「……………これは、ギィムの魔術書ではないか」



グラストが取り出したのは、黒塗りの木箱に入った青い革表紙の魔術書で、エーダリアが目を丸くしただけでなく、ノアとアルテアがはっと目を瞠っているので、有名なものなのかもしれない。



「まぁ。綺麗な装丁の魔術書ですね」

「ザルツの一族が所有しているもので、ガレンですら、ずっと閲覧許可が取れずにいたのだが………」

「なぬ。ザルツ…………」


ネアが思わず眉を寄せてしまうと、グラストがふわりと微笑んだ。


「ゼノーシュにその一族の中にいる持ち主を探して貰い、私が、持ち主の趣味である賭けカードで勝ち取りました。少し約束と違う提案をしてきましたので、賞品の持ち帰りの際には、ゼベルとリーナが協力してくれています」

「…………そ、それは、大丈夫だったのだな?」

「ええ。勤務外の時間に、全員擬態して出向いていますので私達の正体には気付いていないでしょう。魔術洗浄と一部修復は、ダリル様が」

「……………ダリルが」



他の騎士達は、グラスト達が魔術書奪取に出掛ける日の仕事を引き受けたり、ザルツ側がその日の賭けカードにやって来た旅の剣士の情報を掴み難いようにする為の関係者の記憶操作と、はるばる三か国分の謎の剣士の証跡を作り込んできたりしたそうだ。



後半は、もはや会も関わっているとしか思えなかったが、この魔術書には、統一戦争前までのザルツ所蔵の銘持ちの楽器の正式な名前が記されている。


謂わば名簿のようなものだが、楽器の銘はそのまま調伏術式としても有効なので、楽器が暴走したり障りを受けた際に有用な資料となるのだ。



「……………ウィーム中央にあった資料は、国の紋章が表紙に記されていたせいで戦後の焚書に加えられてしまったし、ザルツ側は、戦前のような名簿の提出を拒んでいたのでな。どうにかして、今後の管理の為に必要な情報を得られればと思っていたのだ……………」

「わーお。こっちの名簿がなくなっているとなると、かなり貴重なものだね」

「以前より、閲覧の申し込みをガレン経由でされていたので、皆で、いつか入手出来ればと話していたんです」

「……………有難う、グラスト、ゼノーシュ。明日、騎士棟にも礼を言いに行こう」



先程も騎士棟を訪れたエーダリアだが、誕生日というものもこれだけ高位の魔物が集まると、魔術の儀式的な要素を帯びるようになる。

従って、お祝いの品もこの場で渡すとより確かな縁を繋げるので、騎士達はグラストに預けて渡して貰うようにしたのだとか。



「……………これで、ザルツが何かをしても少しの安心材料となる」

「ほわ。エーダリア様がこんなに安心していると、寧ろおのれザルツめという気分になってくるのはなぜなのだ……」

「ご主人様………」

「何も問題を起こさないということは、ザルツの場合はないでしょうからね」

「ヒルド………」



やがて、本日は何かと忙しかったリーエンベルクでの警備記録などの確認の為に、グラストとゼノーシュは騎士棟に戻る時間になる。


家族からの贈り物が控えているのだが、微笑んで首を振ってそろそろ戻らないとと、最後にもう一度エーダリアにお祝いを言い、帰っていった。



(きっと、家族で過ごせるようにと気を遣ってくれたのだわ)


こんな時、出会った頃には長い時間を一緒に過ごしていたグラストとゼノーシュが先に退出してしまうと、実は、ほんの少しの寂しさも覚える。



だが、それぞれの領域を持つ高位の魔物達が、こうして共にお祝いの席につけるだけでも奇跡的なのだ。

そんな環境下で見極めを誤らずにこちらの領域をきちんと取り分けて残そうとしてくれる気遣いが出来るのがグラストであるし、過分な祝福や魔術の知識などを得ないよう、ゼノーシュも警戒するのだろうからと過分に引き止めないのがエーダリアである。


だからこれは、あの頃とは違うけれど、それもそれで幸せな線引きなのだった。



「さてと。次は僕達家族からの贈り物だね。今年の贈り物はさ、グラスト達が魔術書なら、結構当たりかもしれないよね」

「…………魔術書に関するものなのだろうか」

「ふふ。エーダリア様の目がきらきらです」

「これだよ。…………魔術の家だ」

「魔術の家………!」

「……っ!!リームウォックの作品か………!」

「これはまた、凄いものが出てきたな……」



ノアが、お披露目用にと作った台座に置いたのは、ドールハウスのような置物であった。


大きさとしては、アルテアの帽子が入るくらいの箱の大きさといったところだが、この精巧な家形の置物には凄まじい仕掛けがある。



「ほら、魔術師として所持していたい魔術書ってさ、結構扱いが面倒でしょ。物によっては、封印術式をかけて特殊な布でくるんで、更に箱に入れて他の魔術書と触れあわないようにしておかなきゃなんだけど、エーダリアの持つような魔術書って、その階位の物が多いから、簡単に結構な冊数を持ち歩けるように魔術の家を作って貰う事にしたんだ」



魔術の家は、区分としては魔術金庫に近いもので、職人の腕次第で価値や価格が上がる。

そして今回の贈り物は、アルテアとウィリアムが驚いたくらいには、有名な職人の手によるものであった。


何しろ、部屋の区切りで複雑な魔術属性を幾重にもかけているので、属性ごとに魔術書を普通の本のように収められるばかりか、魔術の家の上に手を翳すだけで欲しい魔術書を取り出す事が出来る。

魔術の扱いに長けていることと、その細工を可能とする繊細な手があって、初めて作り上げられる道具なのだ。



「職人の捕縛と同意の取り付けを、ネアとシルがやってくれて、設計図は僕が引いているんだ。ヒルドが材料になる鉱石や結晶石を揃えてくれたし、魔術書の仕分けはダリルが手伝ってくれるみたいだよ」

「…………こんなに素晴らしいものは、………王都の宝物庫にもないのだろうな」

「うんうん。この職人は特に気難しいからね。この中でも、僕とアルテアが持っているくらいかな」

「…………おい、七部屋もあるのはどういう事だ」

「うん。それはさ、……………ネアとの契約で、部屋数は可能な限り増やす事になったからかな」

「うむ。職人さんは、森の賢者さんとの兼業でしたので、丁寧に話し合い、すぐに同意してくれました」

「……………は?いや、おかしいだろ。三百年先まで予約が埋まっている職人だぞ?」

「とても従順…………親切な方でしたよ?」

「言い直す前の表現で台無しだな………」


アルテアはとても疑わしげに見ているが、森の賢者はネアを見つけるとすぐに平伏してしまうので、後は優しい声でお願いするだけで事足りる。


「これはさ、リーエンベルク内に置いておいて、呼び出し用の召喚術符を金庫の中に備え付けておくといいんだ。もし金庫を奪われたりした場合には、術式が無効になるようにしておけるからね」

「そうか……。そのような使い方が出来るのだな!」

「ですので、使用が多い魔術書だけ、本体を金庫に入れておくといいそうですよ」

「………素晴らしい贈り物だ。有難う」

「ありゃ。ここで泣いちゃったぞ………」

「い、いや、………贈り物だけではなくてだな。………贈り物も素晴らしいのだが……」

「祝いの夜ですからね。さて、………ウィームの風習に則っての祝いをしますので、桃菓子などを食べられては?」


あんまりな続け方に目を瞬き、エーダリアは暫し沈黙した。


「…………お前はもう、隠しもしなくなったのだな」

「おや隠す必要がありますか?私は、そのままでも構いませんよ」

「因みに、リーエンベルクの結界類には支障をきたさないから、安心して子供姿になっていいよ」

「……そ、そうか…………」



ここで断れなくなってしまうのがエーダリアなので、お誕生日のウィーム領主は、とても複雑そうな表情のまま桃ゼリーを食べていた。


食べ終えた頃にぽふりとちびころ化するので、この中の誰かがより高度な改良を重ねたらしい。

ネアはじっと桃ゼリーを見つめ、あのタイプのものが来たら用心しようと凛々しく頷いておく。



「では、私から」

「ヒルド、…………その、………っ?!」

「わーお。外には出ないとしても、ここは天井が高いからなぁ」

「…………ほわ。エーダリア様が、空中放り投げです」

「投げられてしまうのだね………」

「前から思っていたが、ウィームの風習は時々荒っぽくないか?」

「あのスープ屋の気質の人間が多いんだぞ。考えるまでもないだろうが………」

「よーし。次は僕がやろうかな」

「むむ、その次は私なのです!」

「お、お前もやるのか?!」

「あらあら、ちびころエーダリア様を抱っこしない訳がないのですよ?」

「エーダリアなんて………」



和やかなお祝いの時間が流れ、皆が幸福であった。



異変が起きたのは、ネアが、ヒルドの膝の上で眠そうに目を擦っているちびころ主賓を、何て愛くるしいのだろうとほくほくと見ていた時のことだ。


その時は、お酒が入ったのか、再び、ノアとアルテアの間に、予防接種はいらないのでは議論が持ち上がっていた。

ウィリアムも不要派で、エーダリアやヒルドは念の為にやっておいた方がいいという判断だ。

なお、ディノは震えてしまい、冷静な判断が出来ないようである。



「………でもさ、ウィリアムとアルテアも不要だと思うなら、僕、一度だけ見送ってみようかな」

「まぁ。狐さんに会えなくなってしまうのです?」

「え、そんなに危険………?」

「疫病の系譜なら、ローンあたりに排他術式を………っ?!」

「ウィリアム?」



急にウィリアムががたんと音を立てて立ち上がったので、ディノが驚いたように声をかける。


ネアも慌てて振り返ると、ウィリアムが見つめるそこには、何とも不思議な麦穂的謎生物が鎮座していた。

寧ろ、ほぼ、直立する麦穂である。



「ありゃ。どこから入ったのかな………もしかして、疫病の系譜かな」

「……どこから入ってしまったのかな」

「疫病の系譜ですが、前兆などを知らせるもののようですね。俺が排除します。………ん?……因果の結びもあるな。………っ?!」

「っ?!何だこれは………」



とは言え、謎麦には、ちびこい両手があった。

そしてそれを、トルチャを思わせる仕草でえいっと振った途端、ウィリアムとアルテアの足元で金色の魔術の光が走ったのだ。



「っ?!………ノアベルト!予防接種を受けると宣言するのだ!」

「え?………ええ?う、受けるよ!僕は予防接種は受ける主義!!」



何かに気付いた様子のエーダリアの焦ったような声に、ノアが酷く動揺しながらもそう宣言する。


すると、謎麦穂は、こくりと頷き姿を消した。



「……………わーお。何だろうあれ」

「以前に、バンルから聞いた事があるのだ。その、………予防接種で防いでいる病は、ばらばらと症状が出るらしくてな。数も多いので疫病の系譜の中でも、専門で予兆を司るものがいたらしい」

「え、……専門の担当者がいるんだ……」

「ほわ、獣さんごとにお知らせがあるのでしょうか……」

「ああ。まさに、その個別の知らせに疲れてしまい、接種を疎かにすると呪われるという言い伝えがある。………一本の麦の姿で現れるそうだ」



ちびころ説明なので若干緊迫感は霧散するが、そんなエーダリアの話を聞き、明らかに呪われたと思われる魔物達は呆然とノアを見ている。


「……………ノアベルト、お前のせいだぞ」

「……………俺は無関係だったんだがな」

「え?………アルテアとウィリアムは、………呪われちゃった感じ?解術するなら、僕がやるけど……」

「ディノ、……お二人が手を差し出してくるのですが、どうしたのでしょう?」

「………舞踏の呪いだね。………その、因果で結ばれてしまっているから、呪いを解くのは難しいようだよ。………たくさん踊らないといけないのではないかな」

「となると、呪いの症状はもしや、予防接種で退けているやつなのでは………」

「わーお。………え、僕の妹を巻き込まないで、二人で踊れば良くない?」




然し乍ら、ネアは普通に巻き込まれた。



夜明けまで踊り続ける呪いをかけられた二人の魔物の為に、女性パートで駆り出されたのである。


疲労回復薬を飲まされながら巻き添えにされ続けるネアを、エーダリアは慄きと心配の眼差しと、ちょっとだけの魔術師的なわくわくの観察眼で見ていたが、ちびころ仕様だったからかこてんと寝てしまう。



ディノはずっとご主人様を案じて震えていたし、ウィリアムとアルテアの目には、どんどん光が入らなくなり、ノアはずっと謝っていたような気がする。



せめてもの救いは、その呪いがかけられたのが、日付が変わった頃だったことだろう。

エーダリアもちびころだったので朝まで付き合わずに寝てしまえたし、ヒルドはそんなエーダリアに添い寝する形で早めに部屋に下がれたので、お誕生日の家族が一人になる事もなかった。




哀れな乙女の願い通り、家族のお誕生日の夜の安寧は守られたのである。



なお、エーダリアに予防接種の呪いの話を教えてくれたバンルは、大事な山猫の使い魔に予防接種をさせるのが嫌で回避しようとしたところ、一晩一人で踊る羽目になって、使い魔に笑われたらしい。











明日10/8は、こちらでの2000文字程度のSS更新となります。

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