誕生日と三人の王子 1
その日は、エーダリアの誕生日であった。
忌み日や呪いなどにも邪魔されず、健やかなお祝いの年を迎えたウィームの華やぎと、偶々とは言えヴェンツェルが滞在したまま迎えることが出来た朝食の席で、少しだけ恥じらうようにお祝いにお礼を言ったエーダリアがどれだけ幸せそうだったか。
それを知っているからこそ行われた極秘裏な配慮に、ネアは心から感謝していた。
そして、政治的な理由に加え、だからこそ今日ばかりはと思う者達がその配慮を行った結果、ネアは現在、リーエンベルクの外門に転がり落ちた不審者の対応を余儀なくされている。
ネアがこのリーエンベルクに暮らすようになってから始めて訪れた、ウィーム領主を差し置いて政治的な盤上に立たされた瞬間であった。
騎士棟の中には、遮蔽用の部屋が幾つかある。
その中でも何度か事件関連で足を運んだことがあるこの部屋は、ある程度高貴な来訪者の用に調度品が整えられているように見えるものの、有事の際には罪人の収監にも使える堅牢な魔術を備えた場所の一つだ。
カーテンを開けて庭園やリーエンベルク外周の木々などが見えるようになっていても、外からこの窓の内側を見ることは出来ない。
優美で繊細な造りの窓や扉には、強固な排他結界の層が敷かれている。
「半刻程の間だけ、ご対応をお任せする事になりますことをご容赦いただけますでしょうか」
「ええ。お任せ下さい。こやつめは、私が責任を持って排除しておきましょう」
「…………弟の誕生日だ。これくらいの贈り物は足しておこう」
冷ややかな声音のヒルドの申し出に頷いたのは、リーエンベルク所属のウィームの歌乞いであるネアと、この国の国際問題への対処という意味ではこの上ない適任者の一人でもあるヴェルクレアの第一王子である。
勿論、ドリーもその隣に立っており、ネアにしっかりと三つ編みを持たせているディノの姿もあった。
この部屋に入る前にも、ヒルドは同じ言葉をネア達に伝えた。
その際には向かい合って深々と腰を折り、ウィーム領主の代理としての依頼をしてくれている。
なので、わざわざ同じやり取りを繰り返したのは、この部屋に連行されたばかりの迷惑なお客に向けてのメッセージも兼ねていた。
「あー、ええと、大変申し訳ない事をした。本当に何の思惑も悪意もない見事な自損事故だったので、俺としても早々にこの場を離脱したいと思っている。どうか、非公式に対応いただけると有難い」
「……………この通り、愚かな主人の失態に巻き込まれただけですので、賠償金などはこちらから毟り取って下さい」
こちらの意図は承知の上なのだろう。
そろりと片手を上げ、謝罪を切り出した人物がいる。
続けて言葉を重ねたのはターバン姿の青年で、こちらはどちらかと言えば冷淡な反応であった。
「つ、冷たくないか?!」
「冷たくもなりますよ。あなたの迂闊さから、外交問題となりかねない魔術事故が起こり、そこに巻き込まれました。更には私が準備してきた重要な会議を幾つも潰す事になり、今日は妹と昼食に出る予定でした。特に最後の問題に関しては、万死に値する」
「妹大好き過ぎるだろう!!」
「それが何か問題でも?」
とても冷たい目のネア達に囲まれ、騎士棟に連行されたお客は、その装いや僅かに色合いの濃い肌色からどうしても異邦人であると一目瞭然な、カルウィの第七王子とその副官である。
王子に対して副官という肩書きだと軍人めいた響きであるが、第七王子がカルウィの魔術省長官というエーダリアのような肩書きを得ている為、副官という役職になるらしかった。
この二人は、幸いにも丁度正門前の見回りを行っていたグラストが発見し、見聞の魔物が捕縛に参加した結果逃げ損ねた異国の要人は、ややくたびれた面立ちに焦りを滲ませ、少しだけあわあわしていた。
「なぜだ。一人で事故に巻き込まれずに済んでほっとする筈が、どこにも味方がいない………!!」
悲し気にそう呟き、がくりと肩を落とせば、淡い水色の髪が揺れる。
よく見ると恐ろしい程に整った容貌なのだが、目元の僅かな皴と少し下がり気味の目元の印象のせいか、不思議なくらいに庶民的な印象がある。
淡い琥珀色ともドリーの瞳の色に比べると淡い金色とも見える瞳は、不思議な灰色の虹彩模様があった。
目元のくたびれ感からグラストよりも少し年上に見えるが、階位の高い魔術師らしい年齢不詳感も感じられた。
(……………カルウィの、第七王子)
つい先日、それはどんな人物なのだろうと考えたばかりの御仁である。
とは言えネアは、そんな人物に出会う事はないだろうと考えていたし、もしどこかで顔を合わせる事があったとしても、それがリーエンベルクの騎士棟の不審者隔離用の部屋だとは思わなかった。
ましてや、大事な家族の誕生日ともなれば、想定外というよりは、絶対に許さぬの活用例である。
(でも、アルテアさんの評価は、ある意味高いものだった。それを忘れないようにして、警戒を怠らないように対応しないと)
そう思ってきりりとしているネアの場合、いつもなら会う筈のない人に出会う場はだいたい己の事故現場である。
今回のように受け身で出会う事は滅多にないので、頼もしい魔物の同席にはほっとしていた。
問題が問題なのでアルテアにも連絡をしているが、まだカードには返事がない。
さすがの使い魔も、いつもすぐさま駆け付けてくれる訳ではないのだ。
用意された椅子から立ち上がり、ターバン姿の青年が深々と頭を下げる。
本来であれば王子の方もそうするべきなのだが、金木犀の王子には一見して分かるものではないが、既に魔術拘束がなされていた。
副官だという青年も同じ措置は取られているが、高位の魔術師であるリアッカに対し、用意された椅子から立ち上がるくらいのゆとりはあるらしい。
「ヴェンツェル王子、この度はこの愚かな上官がご迷惑をおかけして申し訳ありません。お詫びのしようもない失態ぶりですが、何卒、穏便に収めていただけますと幸甚でございます」
「俺からも謝罪をさせてくれ。先日のあれこれがあったばかりだったので、愚弟の尻拭いが終わったことをあなたにも連絡しようとしていたところ、うっかりな!」
「なんですかその軽いお詫びの仕方は!!」
「……え、そう?!軽い?」
「………貴殿がここに呼び落とされた理由になってしまったのが、私はこの上なく不愉快なのだが」
「あっ、さては凄く怒っているな?!実はちょっとだけ、笑って許してくれると思っていたのに……」
「ほお?これだけの事をしておいて、貴殿は、いつもの調子で済ませられると思っていたのか?」
「おやおや、私がお会いしない内に、リアッカ王子は随分と楽観的な御仁になられたようだ」
「あ、ヒルド殿、剣に手はかけないで欲しいな………」
異国に迷い込んでしまったものの顔見知りの者達が現れてくれたからと、へらりと愛想笑いをし何とかその場をやり過ごそうと思っていたらしいリアッカ王子は、あまりにも冷ややかな周囲の反応にさあっと青ざめている。
ヴェンツェルへの謝罪の手紙をしたためていた最中に、ついうっかり近くに広げてあった術具に袖をひっかけてしまい、作成中だった高位の転移門を誤作動させたというのが、今回の事件に対してのカルウィ第七王子の説明であった。
その際に、近くにいたチェスラフという名前の副官の青年が、展開された術式に落ちそうになった上官を、慌てて掴んでしまい、一緒に巻き込まれたらしい。
カルウィからヴェルクレアまでの結びを果たす転移門を作成しただけでも大問題であるが、リアッカ曰く、最近目をつけられてしまったという統括の魔物に呼び出された場合の為の移動手段として構築していた為、少しばかり様々な制限を無視してかかるような効果を付随させていたらしい。
少しでも無駄を省くのが信条であるので、この先頻発しそうな犠牲の魔物の召喚に対応するべく、その際の移動時間を短縮しようと構築していた特別な術式なのだそうだ。
(それを、どこまで信じるかという問題でもあるのだろう)
先日の問題があったからこそ、今日だったのだという言い分も確かに一理ある。
しかし、ウィームの排他結界などの効果を差し引くとやや可能性としては低くなるものの、先日の問題があったからこそ、意図的に仕組まれた事故ではないだろうかという見方もなくはないのだ。
そして、そんなリアッカ王子とその副官への対応がこちらの顔ぶれになったのは、今日が、エーダリアの誕生日で、ウィーム領主が議事堂に出掛けているからこそであった。
魔術事故によってリーエンベルク正門前に投げ出されてしまったリアッカは、すぐさまかけつけた騎士達に捕縛された際に、手紙の宛先であったヴェンツェル王子と魔術で結ばれてしまい、ここに迷い込んだことを説明した。
その結果、この部屋にヴェンツェルとドリーが呼ばれたのは当然であるし、代理妖精と筆頭騎士、更には契約の魔物を伴って出かけているエーダリアの代わりに、リーエンベルクを任されている、ヒルドとネア達も呼ばれる事となっている。
魔術通信でノアとダリルには連絡済みなのだが、久し振りに何の事件もない誕生日を過ごしていたエーダリアの側にも、早々に会談を打ち切れない事情がある。
ギルドとの会談は和やかなお祝いの場だが、続くザルツ伯の訪問には政治的な要素が多い。
また、そのザルツの側にカルウィの第七王子の来訪を知られたくない事情もある。
よって、不法入国者の対応よりも、ウィーム領主は本来の予定をこなすことの方が重要だと判断されたのだ。
(エーダリア様にはこちらに戻るまで事情の説明はせず、せめて今だけは本来の予定に集中させて差し上げようというのが、我々の総意なのだけれど、それまでにどれだけの交渉を終えておけるのかという問題もある)
なお、こちらのカルウィからのお客様は、事情聴取や魔術的な手続きが終われば、初めて弟の誕生日の席に同席する事が出来てつい先程まではご機嫌だったヴェンツェルが、王都に連行してくれるらしい。
楽しい時間の後にいきなりの国際問題を投げ込まれたので、それはもうご機嫌は急落しており冷ややかで尊大な対応だが、もしかするとこれは、外向きのヴェルクレアの第一王子としての役割の反映もあるのかもしれなかった。
ウィーム領内での事なので、戻り次第にエーダリアによる領主としての正式な対応が必要となるが、いきなりカルウィの第七王子を連行される運びとなった王都でも、その受け入れの為に騒ぎになっているらしい。
こちらの王子との関わりを深めた事で引き起こされた十七王子の事件があったばかりなので、今回の一件では、かなり慎重な対応が求められる。
リアッカ王子の側でも絶対に隠さねばならない失態だが、先日の一件でその関わりを回避したばかりであったヴェルクレア側でも、出来るだけ表沙汰にしたくない迷惑なお客であった。
じりりと、リアッカたちの座っている椅子の下に展開された魔術陣が揺れた。
異国からの高貴なお客達は現在、床に刻まれた魔術拘束陣の中に置いた椅子に座らせられている。
大国の王子なので一応お茶なども出してはいるものの、不法入国者という立場は否定しようがないので、拘束に関しては本人も了承していた。
リアッカ王子自身も、自身が警戒される理由をしっかり理解しているのだろう。
本当にただの事故でこちらに迷い込んだだけであれば、大人しく拘束に甘んじて王都に連行された方が、本人にとっても最善には違いない。
この国では、組織間でカルウィとの直接的な交流が許されるのは王都に限定されいる。
だからこそ、王都にさえ行ければ、自国の商人達と繋ぎを取ることも出来るだろうし、駐在している大使もいるのだ。
(む…………)
そんな事を考えていると、途方に暮れたような金色の瞳がこちらを見ている事に気付き、ネアはぎりりと眉を寄せた。
何しろ相手はカルウィの王子なので、本来であれば回避するべき出会いだが、異国の王子などという政治的にも面倒な肩書を持っている人物だったせいで、ネア達もこの場に同席せざるを得なくなったのだ。
国内の問題への対処であればまだしも、相手がヴェルクレアに匹敵する程の大国の上位王族となった場合、リーエンベルク側が立ち会わせる者として、ヒルドだけでは階位が足りなくなる。
つまり、グラストもエーダリアの護衛で出払ってしまっている為、消去法で、現在ここで対応することが可能な人物がネアしかいなかったのである。
(そのような意味でも、よりにもよってという日にこの事件が起きたのだわ)
ウィームの側にも、会談を終えるまでどうしてもエーダリアがこちらに戻れない事情があった。
ザルツ伯が、一昨年より個人的にこの第七王子との繋ぎを求めているが、リーエンベルクとしてはその接触を防ぎたいという政治的な背景があるのだ。
政治的な事情からではなく、リアッカ王子の所有する音階に署名を入れる固有魔術の使用許諾を取りたいという理由であったが、どのような理由であっても、カルウィ国内でのこちらの王子の複雑な立場上、国としても関わりに憂慮する人物と個人的な取引をさせる訳にはいかない。
法的には制限をかけられない理由であったとしても、国の立場を危うくする事態を引き起こしかねない王子が相手なのだ。
表立った規制はされていないが、国内では暗黙の了解として、新規取引が禁じられている。
つまり、そんな背景の上でまさかの今日というあまりにも都合のいい日の事故なので、ザルツ側との密約などがないかも調査しなければいけなくなっている。
それがどれだけ大変なことなのかを承知しているネアが、よくも家族の誕生日にしでかしてくれたなと腹を立てているのも、当然のことなのであった。
「こちらの失態であることは否定しようがない。すぐに立ち去るつもりだし、勿論、我が国との公的な国際問題にならないよう俺が責任を持って対処するつもりでいる。お嬢さんの職場を騒がせて申し訳ないが、どうか、作為的なものではないとご容赦いただけるだろうか」
「今日はとても忙しい日なので、面倒ごとしか持ち込まない不法入国者などは、人知れず処理し、沼にでも沈めてしまえばいいのではないでしょうか?」
「丁寧に謝ったら同情してくれると思ったのに、さては、この中でも過激な方だな?!」
「公式なご対応は後に戻られるウィーム領主とヴェンツェル王子にお任せしますが、個人的な立場でご返答させていただきますと、私の大事な予定の障害となるだけでも万死に値します」
「……………殿下。事態を悪化させないでいただけませんか?」
「いやいやいや、今は全力で俺を援護するべき場面だろう?!っていうか、政治的な瑕疵ありとして立場が悪くなるのは理解出来るが、全方面からの私怨も混ざっているようなのは気のせいだろうか?!しかも、一日に二度も万死の評価になることなんてあるのか?!」
あわあわと弁明していたリアッカが、ここではっとしたように視線を向けたのはディノだ。
髪色の擬態はしているが、優秀な魔術師であればある程度の階位は察せるだろう。
おまけに今回は、少しの威嚇も籠めて白灰色の髪色に擬態している。
「……………こちらの女性は、歌乞いでもあるそうだな。契約者の近くでこのような事故があれば、契約の魔物としては不愉快どころの騒ぎではないだろう。心よりお詫び申し上げる」
すっと表情を引き締め、頭を下げたリアッカに、ネアはすこしばかりひやりとした。
アルテアの前情報がなくとも、この世界でそれなりに危ない橋も駆け渡ってきたネアにも感じ取れる相手の力量というものがあって、今の対応を見て、この人物はその中でもかなり上の方だと判断したのだ。
「……………それが分かっているのに、この子に話しかけたのかい?」
「重ねてお詫びのしようもない。あなたの怒りを取り成していただけるとすれば、歌乞いであるこちらの女性しかいないと考えての浅慮さでした」
「ふうん。…………狡猾とも言えない愚かさだね。そしてここは、私の守護を得た領域でもある」
「……………では、こういたしましょう」
顔を上げたリアッカが、やや引き攣ったような微笑みを浮かべる。
ぱっと見た限りではとても怯えているように見えるが、ネアはふと、この国の国王の事を思い出した。
「今回の事故があなた方にとっての益となるよう、こちらで以後の不可侵などの誓約を差し上げましょう。我が国との正式な交渉経路を持たないウィームにとっては、意味のあるご提案だと思っています。ご存知のように私の祖国は厄介な国ですから、ある程度の虫除けにはなれると思いますが」
「おや、その善意に見せかけた提案が、こちらとの繋ぎこそを意図してのものではないとどうして言えるのだろう。そのような含みのある提案を受けるのは初めてではないし、君は、彼等と同じ匂いがするようだ」
「はは、これは手強い…………っ?!」
途方に暮れたように笑って、額の汗を拭おうとしたリアッカは、その直後の凶行に一瞬反応が遅れた。
それはヴェンツェル達やヒルド、ディノにも言える事で、いきなり立ち上がり異国の王子の手をばちんと弾き落としたネアに、全員が瞠目する。
「……………どうしたんだい?」
「そちらの方が額に巻いているのは、カワセミを使った装飾品ですね。私が週に一度は狩っている獲物を見落とすと思ったら大間違いです。武器などはこちらで回収させていただいていますが、カワセミは振り回すと立派な武器になるのですよ。よって、そこに触れるかもしれない角度に持ち上げた手は、叩き落とさせていただきました」
「そうだったのだね。この人間は排他術式の中に収めてあるので、そのようなものに触れてもこちらに害をなす事は出来ないから、安心しておくれ」
いきなりご主人様が異国の王子の手を叩いたのでびっくりしてしまったのか、ディノは少し困惑したようにそう教えてくれる。
しかしネアは、額の汗を拭おうとしたようにしか見えなかったリアッカの目つきが気に入らなかったし、これまでに読んできた物語では、大抵このような人物の方が抜け目がなく厄介なのだ。
ましてやここにいるのは、きりん札が出ただけで倒れてしまう儚い伴侶なので、漂流物に関わるような研究をしているというカルウィの第七王子は、ネアにとって最大の警戒対象である。
元より怪しい動きを見せたら無力化すると、ヒルドにも伝えてあった。
「……………す、すまなかった。紛らわしい行動に見えたな。この飾り布は俺の暮らしている州都の伝統的な装いなのだが、確かに暗殺などに備えてカワセミを使っている。……………し、週に一度は狩っている?」
「おかしいですね。可動域はどう見ても二十以下しかなさそうですが。そもそも成人すらしていないのでは?」
「チェスラフ!女性に対してその言い方は失礼だぞ!!」
「いやしかし、カワセミは狩れないと思いますよ…………?」
「まぁ。では、生きたカワセミをこの部屋に放り込み、実演してみましょうか?」
「それはやめておこう。ヴェンツェルにもしもの事があると困る」
「……………む。ドリーさんが心配してしまうので、やめておきます」
「ああ。我慢させてすまない。彼等には、君は俺の事も狩れたのだと伝えておこう」
慌てて制止に入ったドリーがそう約束してくれたので、ネアはふすふすとしながらも頷いた。
ただでさえエーダリアのお誕生日を邪魔されたこちらの乙女のむしゃくしゃ度は相当なもので、本日はとても沸点が低くなっている。
その上で警戒しなければいけないような動作に出たので、とても攻撃的になってしまったのだ。
「因みにこの方々は、本当に生かしてお国に帰す必要があるのですか?」
「私も同じような思いですが、残念ながらそうせざるを得ないでしょう。あの国での中立派、その上で他の派閥を黙らせるだけの力を持っている現王の実子のお一人ですからね。尤も、最近の我が国との関わりの状況によってはもはや有用な駒ではないかもしれませんが」
「………はは、ヒルド殿は相変わらず辛辣だなぁ」
「なんとかぎりぎり有用な筈なので、せめて私だけは、帰国させていただけると有難いのですが」
「チェスラフ?!何で上司を置いて帰ろうとしてるんだ?!」
「あなたが、そうやって敵意がないと示す為に、私の名前を連呼するからですよ。あの国でお仕えするに値するのはあなたしかいないとは思っていますが、私とて我が身が可愛いし、今日は妹との約束がありました」
「またそこだな?!妹君には俺からちゃんと謝っておくからもう勘弁してくれ………」
「約束した筈の兄が現れずに不安に苛まれる妹の時間を、あなた如きの謝罪で補えるとでも?」
「言い方!!」
頭を抱えそうになってしまい、ぎくりとして姿勢を正してネアの方を窺ったリアッカに、ネアは、すっと瞳を細めて鋭い視線を向けておいた。
政治的な旨味がなければ、握りつぶしてぽいの対象である。
こちらにいる人間はとても自己愛が強いので、目の前の王子とその副官が、今後、この事件を切っ掛けにして別の事件の経由地になっては困ると考えていた。
幸いにも、人間の一人や二人、それが他国の王子でも事故に見せかけて滅ぼす方法はあるし、魔術師だというので、山猫商会経由で売り払ってしまってもいいだろう。
「……………リアッカ王子、貴殿には術式解除の上で王都に移動して貰う事になるだろう。その後の対応は、我が国の宰相とその補佐官が引き継ぐことになっている」
「……………すまんな、ヴェンツェル殿。………だが、フランツ殿か。正直、大の苦手だ」
「選択の余地があるとでも?」
「どうにか、俺とチェスラフの身柄は、あなたに預かって貰えないだろうか。率直に言えば、魔術師としてヴェルクレア国王にはかなり興味があるが、対等な出会い方でないと不安しかない。国王派の管理になるのは出来れば避けたい」
「もう一度問うが、これは貴殿が自ら招いた失態だ。選択の余地があると思うか?」
「……………うーむ。では、これはどうだろう。俺の所有している術式の権利などを、幾つか個人的に完全譲渡しよう。これでも、魔術開発に於いては自信がある方だ。俺自身の価値はさしたるものではないが、価値あるものはかなり持っているつもりだが」
(……………油断のならない人だ)
飄々と交渉に入ったリアッカを見て、ネアはまた警戒を強めた。
ちらりとこちらを見たリアッカの表情からすると、ネアが警戒を強めた事にも気付いている。
本来であればこんな提案は一笑に付してしまえるのだが、この王子の厄介なところは、実際に彼が価値あるものだと言うだけの魔術を幾つも有しているところだろう。
また、ヴェルクレアとしても、出来るだけ無傷で国に帰したい中立派の王子であるのも間違いない。
(それに、国王派の方々が引き取るのであれば、私の一存でどうこうする訳にもいかないだろう)
だがしかし、それはあくまでも人間の盤上でのこと。
この場で、唯一その線引きを踏み越えられる者がいるとすれば、それはディノだ。
そんなディノは、単一では介入の基盤が整わないが、ネアがリーエンベルク職員としてこの場に立ち会う事で、契約の魔物という立場から大きな発言権を得ることが出来る。
この辺りは政治的な駆け引きという訳ではなく、魔術的な問題であるのでネアには詳細までは理解しきれないが、そんな事情もあって、ネアがこの場に同席する事が決まったのだった。
「国としての線引きもあるだろう。でも、私の領域に触れた対価は貰っておこうかな」
「……………ああ。そう思われるのは当然だろう。どのような対価をお考えだろうか」
ディノの冷ややかな言葉に応じたのはヴェンツェルで、少しわざとらしいが、ここからはこのやり取りを敢えてリアッカ王子達に見せる必要もある。
双方がある程度仕込みだと理解した上でも、条件交渉の序幕として必要なのだ。
「何なりとお申し付け下さい。こちらとしても、高位の方の不興を買ったままでは帰国の途につけません」
「けれども、交渉は代理の者にさせるよ。君達との直接の繋ぎを残すのも不愉快だからね」
(あ、…………)
その言葉にふっと揺れた気配に、ネアは、リアッカ王子がそれはまずいぞと考えているのが分かった。
勿論、ディノにはそんな事くらいお見通しのようで、ぞくりとするほどに美しい魔物が嫣然と微笑む。
「おや、それでは不服かい?」
「……………いえ。とんでもありません。では、ウィーム領を通してということでしょうか」
「いや、君達の国の統括の魔か、或いはアクス商会を通そう」
「……………っ」
「ふむ。統括の魔物さんを通した方が良さそうです?」
「反応を見ている限り、そのようですね」
隠しようもない程に青ざめたリアッカに、ネアは、こちらの魔術師がつい先日グレアムに呼び出しを受けたばかりであることを思い出した。
その上で、今後の召喚に応じる為の術式を作っていたという説明が本当であれば、余程怖かったのかもしれない。
(でも、何か……………)
小さな違和感に、ネアは眉を寄せた。
以前にもこうして向かい合ったカルウィの王子がいたが、その時も、失態を詫びる体での狡猾な交渉があった事を思い出したのだ。
とは言え、その辺りの含みについては、ここにいる者達はネアよりも敏感だろう。
威嚇は済ませておいたので、後は任せてしまおうと気付かれないように息を吐く。
交渉の場にディノを引き入れる役割を果たした以上、ネアのこの場での仕事はおしまいだ。
そして、そうこうしている内に、ヒルドにウィーム領主帰還の一報が入った。
一人は元という前置きが付くものの、リーエンベルクに三人の王子が揃ったのだ。
リーエンベルクがここまで外交の盤上に足を載せたのは、統一戦争後、初めての事なのは間違いなかった。