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月明かりと霧雨のドレス




最初にその女性を見た時、可憐で美しい人だと思ったのを覚えている。


柔らかな微笑みと穏やかな声音が印象的で、きっといい顧客になるのだろうと考えたのだ。

差し出したドレスのデザインを眺める真剣な眼差しを見つめ、この人であればと思う。


同じような階位の顧客といえば、その少し前からいる森の精霊で、気高く美しい女性であったが、細かな拘りを受け入れてはくれても新しいお客の水仙の精霊のように丁寧にドレスの話をしてはくれなかった。




「水仙のドレスを作るのですって?」



いつだったか、秋の舞踏会のドレスの注文をしながら、森の精霊がそう尋ねた事があった。


ギュスターヴは、僅かな誇らしさを胸に頷くと、話に聞くような苛烈さはなく、とても繊細で朗らかなお客だと答えたような気がする。

そうすると森の精霊は、何かを考え込むように頷き、であれば良かったと呟いた。



仕立て妖精の仕事は、多岐にわたる。



ドレスの縫製の前にはそのドレスの物語の骨格を作り、どんな色や形で主人を彩るのかを決めねばならない。


定番の形や流行りの形があり、けれども仕立て妖精ごとの署名もある。

どこの誰にでも作れるドレスを手早く作れることを売りにする妖精もいるし、決して流行りの形ではないが自分なりの物語のドレスを作ることを誇りとする仕立て妖精もいる。


顧客にはそれぞれの嗜好があり、様々な工房や仕立て妖精の中からお気に入りを見付け、流行というのは気紛れに跳ねまわるものだ。


そんな仕立ての土壌の中で、ギュスターヴは決して有名な仕立て妖精ではなかったし、流行りのドレスは好まないが、細々と食い繋げるだけの顧客を得てもいた。




(だからこそ、僕は、僕の署名に誇りを持っている)




描いた骨組みに相応しい物語を選び出し、そこに色を付けてゆく作業はひどく難しいものだ。


幾つもの色を削ぎ落し、幾つもの相応しくない輪郭を壊しながら丁寧に丁寧に。

ギュスターヴは糸から自分で紡ぐことにしていたので、紡いだ糸に時には重ねて色を付け、慎重に引いた線を裁ち落としては縫い合わせてゆく。


そんな作業をこつこつと積み上げ、自分の命や時間を削って象ってゆくのだから、流行りのドレスを作る者達とて決して楽な仕事ではない筈だ。

流行りには流行りの、そうではない者にはそうではない者の、それぞれの確かな執着がある。


その一枚やその輪郭に可能な限りの愛情を込め、いつだってギュスターヴは自分の仕立てたドレスを愛してきた。



「だから、あなたのドレスを作れることは、僕にとって光栄な事です。あなたは僕の作品を幾つも見た上でこの工房を訪ねてくれましたし、僕が得意としている形のドレスを好んでくれますから」



何度目かの訪問があった日、ギュスターヴは水仙の精霊にお茶を出しながら、そう告げた。

こちらを見て微笑んだ顧客は美しく、水仙の系譜の中でも高位の御仁だと聞いている。


そんな人が多くの工房の中からギュスターヴを見付けてくれたことは、まさに幸運と言っても良かった。

あのドレスの話をあれこれとして過ごした、胸が弾むような素晴らしい時間。



ギュスターヴは、美しく詩的な夜の霧雨色のドレスを使った。



(後は最終的な装飾だけだから、首飾りとの色合わせかな。………水仙の精霊のドレスだからある程度は工房に合わないものも強いられると思っていたけれど、思っていたよりもずっと美しいドレスになった。これは、僕の代表作になるかもしれないぞ!)



まだ仕上げには至っていないが、自慢のドレスである。


眺めては頬を緩め、うっとりとドレスを愛でた。

理想的な顧客とこのドレスを作れたことが、誇らしくて堪らなかった。


それが嬉しくて、こっそり祝杯を上げた夜。

自慢のドレスは、工房に飾られてきらきらと夜の光を宿していた。




「前回来た時に意見を聞いていた、首飾りがやっと決まったの。だから、ドレスはこのように調整してくれるかしら」




今回の注文は、銀白の色を主とした大きな夜の系譜の舞踏会で着てくれるものだという。


ここに至るまでの時間の中で、絞り込んだスケッチの中からそれぞれのドレスの色合いについて話をして絞り込み、ギュスターヴは、自分のお勧めやそうではないがこのお客に似合う色なども含めて、首飾りについても指定された候補からドレスに相応しいものの提案をしてあった。


水仙の精霊が望んでいるであろうドレスの主題には、正直なところギュスターヴの不得手とする方向の主張もある。

だが、彼女はその主張を工房に見合った形に落とし込み、その上でとギュスターヴに声をかけてくれたのだ。


これまでに沢山の対話を重ね、その上で最後の候補に残ったドレスの美しさに、首飾りはどんなものにしたのだろうとわくわくしながら覗き込む。



「ドレスは、首飾りに合わせてこの色にしようと思うの。色は月明かりの色で、夜の入りだから、しっかりと黄色みを出して欲しいわ」



だから、大きな雪樫のテーブルに置かれたドレスの絵を見て、ギュスターヴはすぐには理解が出来なかった。



「………この形は、…………その、当初のお話のものとは随分と印象が変わりますね。とても、…………煽情的なドレスのようですが、僕の工房では繊細で可憐なドレスの仕立てが個性なのです」

「そうね。でも、この形と色に決めたの。ここは、少し橙がかった温かな色合いの黄色がいいわ」

「……………お客様、その色合いの糸を紡ぐには、黎明の系譜の材料が必要です。僕は夜の系譜の仕立て妖精ですので、…………あまりにも工房の色から変わってしまう」



正直なところ、広げられた紙を見たギュスターヴは途方に暮れていた。


先週渡したドレスの絵は工房にある後は仕上げを待つばかりのドレスの色を映したものであったし、宝石の首飾りを仕立てる職人からの申し送りの一つに、なぜか夜の入りの黄色の月の提案があったので、他の色はどれも美しいがこのドレスに合わせるのに黄色はないという話も添えて戻してあった筈だ。


それだけは、どうしても合わないと。


ドレスには、系譜の色と物語の骨組みがある。

拘りを持たないことを売りにする仕立屋もいる中で、ギュスターヴの仕立ては、気難しいと評される事があるくらいに工房の色への拘りを持つものであった。



(それでも勿論、………お客様の為のドレスでもある)



だからこそ、幾つかの妥協案を呑み込み、丁寧に話をしてきたつもりだ。


その中で互いの意見があまりにも違うのであれば、この依頼を断るという判断もあっただろう。

お客にとっては一過性のものであっても、一枚のドレスは、仕立てた工房の作品として人々の記憶に残る。


決して多くの作品を仕上げてきた訳ではなく、けれどもそこに多くの物語や拘りを持つギュスターヴの工房にとって、そうして残される一枚のドレスの記憶の重さは、他の沢山のドレスを世に送り出す工房より重たいものかもしれない。



「そうね。でも月光のドレスなのよ。それと、首飾りは夜明かりの祝福石にしたわ。髪は鮮やかな青の夜薔薇を使った飾りをつけて、秋の夜の舞踏会に相応しいものにするの」

「……………率直に申し上げると、その色の組み合わせは強過ぎます。今回の舞踏会は夜曇りの系譜のものだと聞いていますので、月の光では先方にも失礼にあたるのでは?加えて、お客様の身に持つ美貌や雰囲気は、どこか詩的で繊細なものだ。……………本来の美しさを殺してしまう」

「あら、私がこれでいいのだから、あなたは何も気にしなくていいのよ。これで進めて頂戴」



困惑が指先まで染み落ち、ゆっくりと悲しみに暮れてゆく。


仕立て妖精にはそれぞれの誇りと色があり、望まぬ仕立てを断る為に飢える者も多い。


作り上げるドレスの一枚一枚がどのように工房の証跡を作り、手渡していた候補のドレスにどれだけの物語があったのか。

テーブルの上に置かれた一枚の絵は、そんな今迄の全てを殺してしまうものだ。


そして何よりも、ギュスターヴは今の段階のドレスが大好きで、渡された絵のドレスが大嫌いだった。



「………このようなドレスをお望みであれば、僕の工房である必要はありません」

「あまり有名な工房でもないのに、聞き分けの悪い仕立屋ねぇ。でも、もう時間がないのよ。来週には引き取りに来るわ」



その言葉は最後まで美しく可憐な声音で、水仙の精霊はにっこり微笑んでいた。


ギュスターヴの拘りや主張をどう思うのであれ、彼女にとってドレスの依頼はその程度のものなのだ。

一枚のドレスに、己の署名をかける仕立て妖精とは違って。




それが仕事だから、ギュスターヴは微笑んで頭を下げ、帰ってゆく水仙の精霊を見送った。


何度も深呼吸をして悲鳴と苦痛を呑み込み、美しかった自慢のドレスを、到底美しいとは思えないドレスに仕立て直し始めた。


ひと針、ひと針縫い込むごとに、これはギュスターヴがこれまでに仕立ててきたドレスの色を殺すものだと理解しながら、自らの傑作と工房の評判を殺す為のドレスを作り上げてゆく。



(夜曇りの系譜の舞踏会に招かれておいて、水仙の精霊が身に纏うには、あまりにもそぐわないドレスだ。きっと、主催者は眉を顰めるだろう)


普段の生活の中で身に纏う服とは違い、舞踏会での装いは着る者に相応しい品位や色合わせも求められる。

彼女の望む物語はとても明確だが、これは、どう考えても悪評しか生まないドレスであった。



(………そこに、あの人は僕の署名を添えるのだ)



ここは、ギュスターヴの大事な工房。

これまでに仕立ててきたドレスや、せっせと溜め込んだ大事な糸や布。

こうして縫い込んでゆく結晶石や刺繍も、決して安価なものではない。

相応しいドレスやその物語に合わせて使おうと、大事に大事に蓄えてきたものばかり。



縫いながら込み上げてくる涙を呑み込み、机の上に新しいドレス案の絵を置かれた瞬間に水仙の精霊を説得出来なかった自分の判断の甘さを呪った。

そして、高位の美しい精霊のお客に舞い上がり、一緒にドレスの話をして胸を弾ませ、自らの名前を渡してしまった日の自分の愚かさを笑った。


まだ間に合うけれど、もう、どこにも行けない。


今はまだどこにも出ていないこのドレスが、銀白の夜曇りの舞踏会でお披露目される日の事を思って胸が潰れそうになりながら、そこで記され踏みにじられる自分の名前と誰の目にも触れないまま壊れていくドレスを思って奥歯を噛み締めた。



ひと針、ひと針。



もっと別の形であれば美しい布と、それでも大事に仕上げてしまう優美な輪郭。

これを見た工房の他の顧客の失望を思うと胸が痛んだが、そんな失望を向ける間もなく、これまでのお客達はそっと背を向けるのかもしれないと思えば、堪らなく惨めになった。


彼等にとっては、ドレスなど所詮一過性のもの。

だからこそ、その取捨選択に常に晒されるギュスターヴは、滅多に任されない大きな舞台に出される一着を、決して間違える訳にはいかなかったのに。




失望と惨めさをこれでもかと詰め込んだまま、月明かりのドレスは翌週に引き取られていった。


細部を整え必死に印象を変えようとしたが、示された色や主張があまりにも強くどうにもならないまま、その月の内に銀水晶の舞踏会で着用され、ギュスターヴの心を粉々にした。



あの美しい水仙の精霊は、思ったような評価を得なかったドレスを酷評し、早々に捨ててしまったという。


有名な仕立屋ではなかった上に、ギュスターヴ自身には元々気難しい仕立て屋という評判もあった。

拘りをひけらかすくせに、話題性欲しさに、夜曇りのの舞踏会に無粋で上品さの欠片もない月明かりのドレスを仕立てた妖精としてギュスターヴを揶揄う同業者もいたが、それが大きな噂になる程でもないくらいの名もなき仕立屋でもあった。



けれども、そのたった一度の過ちが、ギュスターヴの工房にとっては致命的だったのだ。

たった一枚のドレスは、けれどもギュスターヴの作品で、それが望まざるものであっても、自らの署名を刻んだものは背負っていかねばならない。




舞踏会から三日後の夜、ギュスターヴは林檎の酒をしこたま飲み、声を上げて泣いた。



もう二度と水仙の妖精のドレスなど作るものかと思っても、向こうにとっては何の問題もないだろう。

それに、決定的な価値観が合わなかったけれど契約を決めたのはギュスターヴ自身であったし、最終的なドレスの色を決めるのもまた顧客の自由である。

あの精霊が嫌いかと言えばそうではなく、ただ、美しかったドレスが死んでしまったのが一番悲しかった。



あのドレスは、確かに途中まで、ギュスターヴのとっておきのドレスだったのだ。

だから、自らの手で送り出し、自らの手で殺してしまったドレスが可愛そうで堪らずにぼろぼろと泣いた。




誇りも物語も少しも輝かなくなり、ギュスターヴが派生してからずっと大事に守ってきた工房を閉じたのは、その翌年の春の事だ。


どうにかして挽回しなければと思っても、一度傷付いた誇りはそう簡単には息を吹き返さないまま、自らの手で殺してしまったドレスを思うと、どうしても次のドレスを作る気にはならなかった。


あの日に自分のとっておきのドレスを殺した時に、ギュスターヴの指先が作る物語は、その誇りごと死んでしまったのだろう。



意外な事に、あの舞踏会のドレスを見て、ギュスターヴを評価した者もいる。


しかしそんな者達が求めるドレスは、ギュスターヴが欠片も美しいと思わないものばかり。

そこでなされる評価は、何とか這い上がろうとしたギュスターヴを容赦なく踏みつけ、ただ、悲しみを重ねるだけであった。




「……………ギュスターヴ、もうお前は、ドレスは作らないの?」



あの日から、何年が過ぎただろう。


ギュスターヴは工房を畳んだ後、一日中、量産の紡ぎ糸を作るだけのくたびれた工房で働いていた。

仕立て妖精であることを隠し、糸紡ぎの妖精だと偽って砂を噛むような日々を送っていたのだ。


そんなギュスターヴが、はらはらと雪の降る町で偶然出会ったのは、かつて、ずっと贔屓にしていてくれたものの、少しも話の弾んだ事のなかった森の精霊だ。


声をかけられる迄は気付かなかったが、美しい雪影の色を纏った彼女はあの頃と変わらず凛とした佇まいであった。




「ご無沙汰しております」

「…………私は、あなたの作るドレスがとても好きだったのに」


思わぬ言葉を聞き、ギュスターヴは目を瞬いた。

込み上げてくる思いがあったが、だからといって、その言葉がどれだけ嬉しくても、もう自分にドレスが作れるとは思わなかった。



「そのような言葉を聞けるということは、どれだけ幸福なことでしょう。ですが、………仕立て屋としての僕はあの日に死んだのだと思います。………たった一度限りのこと。それっぽっちのこととお思いでしょうが、それでも僕の心はもう折れました。仕立てに戻ることはもう二度とないでしょう」



多分それが、ギュスターヴに残された最後の誇りで、あの選択が自分を殺したのだと示す、最後の主張であった。



「……………そう。とても残念だわ。でも、あなたが心にもないドレスを作るより、糸紡ぎでもしている方がよっぽどいいのでしょう」

「…………お客様」

「まぁ。私はもう、あなたのお客ではなくてよ。………ねぇ、この後は予定があったりするのかしら?」

「いえ、…………え?今日はもう、家に帰るだけですが………」




そう答えると、こちらを見て嬉しそうに微笑んだ森の精霊は、とても美しかった。


それではと連れて行かれたのは彼女が一人で観に行こうとしていた歌劇のボックス席で、ギュスターヴは、初めての歌劇を目を輝かせて楽しむと、高貴な森の精霊と共に老舗のカフェで朝までお喋りした。



それから二人は友達になった。



ギュスターヴは二度とドレスを作れなかったし、仕立て屋として派生し、仕立てに戻れないままだったので、とても短命であった。


それでも、二人はずっと仲良しだった。





「あの水仙は、麦の精霊に引き裂かれて、もういなくなったそうよ。私の特別な友達を傷付けた愚かな女。…………ねぇ、ギュスターヴ。もしこの先の予定がなかったら、次は精霊に生まれてきてちょうだい。……………私はきっと、生まれ直したあなたを見付けて、……………次こそあなたに求婚するわ」



ゆっくりと目を閉じるその最後に、ギュスターヴは大切な友人のそんな言葉を聞いた気がする。

それならもっと早く言って欲しかったなと思いはしたが、特別な人と同じ思いを抱くのは素敵なことだ。

お別れは寂しかったが、いい気分で意識を落とした。




いつかまたどこかに生まれてきたら、その時はこの大切な友人を幸せに出来る者がいいだろう。

けれども、指先から生み出す物語を狂おしい程に愛していても、もう二度と仕立て妖精に生まれたいとは思わない。




それが、ギュスターヴが殺してしまった美しいドレスへの餞で、ギュスターヴの仕立て妖精としての矜持である。

だからきっと、二度と仕立て妖精にはならないだろう。











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