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夜の酒席と小さな花瓶



静かな夜の中で、窓の外を見ている。

夜の光は明るく、窓の外の禁足地の森はまだ賑やかだ。


万象の祝福が煌めき落ちるリーエンベルク周辺の土地では、今夜、どれだけの生き物への恩恵があることか。

唇の端を持ち上げ、そんな夜の光のこぼれ落ちる窓の前に立っていた。




「グレアム?」



その声に名前を呼ばれ、胸の奥が深くさざめく。

どこかで抱き締めた幸福とは違う温度だが、これもまた新しい形での最良なのだろう。


振り返ると、小さな笑い声が上がり、ウィリアムがギードと何かを話していた。



「……………いえ。窓の外の明るさを、見ていました。今夜は、リーエンベルク周辺に暮らす者達にとっては素晴らしい夜なのでしょう」

「そうなのかな」


こちらを見たシルハーンは、小さく目を瞠ると首を傾げている。

腰かけている長椅子には、ネアが横になって眠っていて、そろそろ寝室に戻してやりたいところだろうか。



(でも、……………もう少しだけ)



もう少しだけ、この不思議な幸福に身を浸していたいので、グレアムは気付かないふりをする。



この部屋には、シルハーンがいて、彼の再愛の伴侶であるネアがいて、ウィリアムとギードがいる。

なぜか今はアルテアとヨシュアもいて、皆で酒を飲み交わし、たわいもない話をしている不思議な夜だ。


ずっと昔にシルハーンに得て欲しいと思ったその全てが、いささか予想を超えた形でここにあって、どうしようもなく胸の奥の柔らかな部分に触れるような、言葉にし尽せない喜びがあった。


ノアベルトも先程までこの部屋にいたが、エーダリアとヒルドが部屋に引き取ったので、騎士等の方の見回りをしてくると席を外している。

塩の魔物がそんな風に誰かを守る姿なんて、かつてのグレアムには想像も出来なかったに違いない。




燃え尽きては落ちてゆく星の雨の中で、自らの首に手を当てて願ったのはどんなことだっただろう。



願いはしても悲壮感もあり、どこかで諦観や執着のようなものの方が大きかった。

こんな風に願いを叶え、己の新しい居場所を見付け、何でもないものの大きさに胸が潰れそうになるだなんて、あの時の犠牲の魔物は思いもしなかっただろう。



それでも、もう一度この方の側に戻りたいと願い、今ここにいるグレアムに全てを返してくれた。



「……………グレアム。ウィリアムに言ってやってくれ。酒は、林檎の蒸留酒が一番だ」

「うーん。それは狼の味覚だと思うけれどな。グレアムもそうも思うだろう?」

「あんたは、高価な酒でも水のように飲むじゃないか。林檎の酒の繊細な甘さは、特別なんだぞ」

「ほぇ。僕は霧雨の蒸留酒が好きだよ。二人ともそちらを尊ぶべきなんだ」

「…………おっと。俺が返事をする前にややこしくなったな」

「放っておけ。酒の嗜好なんぞ、この階位で同じ筈がないだろうが」

「そう言えば、ネアが、アルテアが最近甘い酒も飲むようになったと喜んでいたよ」

「……………どうだかな」



シルハーンの言葉に露骨に視線を逸らしたアルテアに、ウィリアムが呆れたような顔をしている。


元はと言えば、アルテアの嗜好はウィリアムのものと近かった筈だ。

対岸に立つようで共に過ごす時間も多かったこの二人は、趣味の領域で重なる部分も多い。


(だが、甘い酒というとネアの嗜好だろうか。そのあたりは、彼が選択の魔物だからこそだろな)


選択の魔物とは、そういうものなのだ。

悪辣で残忍に見えても、情深く繊細に見えても、そのどちらの面も彼が手にした選択の顛末である。

だからこそ、ネアの使い魔になるという選択は、当然のように、何かの顛末や影響を過分に齎している筈で。


(それがつまり、味覚の上でネアの嗜好を取り入れ始めたという事なのかもしれないな)


そう思えば、ネアが、最近は牡蠣や海老を見るとアルテアが好きそうだと考えると話していたことを思い出し、そちらにも戻し入れがあるようだぞとくすりと微笑む。


ギードが不思議そうにこちらを見たが、言葉にする事ではないなと考え、微笑んだまま首を横に振った。



「それで、林檎の酒についてだが…………」

「今気付いたが、ギードは、……かなり酔っていないか?」


同じ言葉を繰り返した友人に気付き、グレアムは慌ててウィリアムにそう問いかける。

苦笑したウィリアムが頷いたので、いつの間にか二人でかなり飲んでいたらしい。


しかし、こちらの会話を聞いたギードは、やけに座った目でそうなるのも当然だろうと言うではないか。



「こんな風に、俺達がシルハーンの誕生日を祝える日が来るとは思わなかった。今夜は、ずっと楽しいんだ」

「……………ああ。それは間違いない。………だが、ウィリアムは止めるべきだったぞ」

「言っておくが、そいつもかなり飲んでいるぞ」

「ほぇ。……………僕はそろそろ部屋に帰ろうかな」

「おい、何で泊まっていく風なんだよ。お前はさっさと自分の城に帰れ」

「ふぇ。……………シルハーン、アルテアが意地悪なんだよ。ノアベルトが部屋を貰っているくらいなんだから、僕だってリーエンベルクに泊まるんだ」

「でも、あの妖精に迎えに来て貰うのだろう?」

「イーザは、きっとまた会で遊んでいるんだと思う。連絡がこないから、エーダリアにあひるを見せにいこうかな………」



目元を染めて黙々と林檎の蒸留酒を飲んでいたギードに、何とか水を飲ませていたグレアムは、その発言を聞いてひやりとする。



「ヨシュア。向こうの会の規約に触れると面倒なことになる。くれぐれも、就寝中のウィーム領主の部屋に押し掛けるような事はしないでくれ」

「ほぇ。僕は偉大なんだよ?」

「……………だとしても、エーダリアももう眠っているだろう。起こされればいい気はしない筈だ」

「じゃあ、ネアに見て貰おうかな」

「彼女も眠っているから、起こさないでやってくれ」

「でも、そうなると、僕のあひるは誰が見てくれるんだい?」

「……………よし、俺が見よう!」

「ギード?!」


水のグラスを置き、ギードが危なっかしい足取りで立ち上がる。


ウィリアムは、ヨシュアの話は長くなるぞと無責任に笑っているばかりだが、どう考えても、今の状態のギードとヨシュアを二人きりにしておくのは危険過ぎる。



「ヨシュア、どうせなら明日になってから皆に見せたらどうだ?」

「明日には城に帰るから、時間が取れないよ」

「…………そうか」

「おい。この程度の事で苛々するなよ。いつもだぞ」

「苛立ってはいないが、……ギードは酔うと面倒見がよくなるんだ。それも、酔っ払いらしく過分な形で」

「……………ヨシュア、あひるは明日以降にしろ」


全てを説明せずとも何かを察したのか、アルテアも重ねてそう言い含めている。

ヨシュアは困ったような顔をすると、なぜかシルハーンの袖を掴んだ。


「ヨシュア…………?」

「シルハーンに、僕のアヒルを見せてあげるよ。ギードも見るから、三人で行けばいいんだ」

「構わないけれど、…………客間の浴室でいいのかい?」

「もっと広いところだよ。ここには、大浴場がある筈だからね」

「あの浴場は、今夜は開いていないようだね」

「ほぇ。……………じゃあ、プールにするかい?」



困惑した様子でヨシュアがそう問いかけ、シルハーンも困ったように首を傾げている。



「よし。それなら、俺がどこかから浴場を……」

「ギード!もう少し水を飲んだ方がいい」

「………っ、あんたは、世話焼きだな」

「時と場合によってはだがな。……………シルハーン?」

「元々が浴槽で使うものなら、プールより、温水の方がいいのかな?」



こんな時に、少しだけかつての万象の面影が見える。


困惑したように視線を揺らしたシルハーンは、眠っているネアの頬をそっと撫でた。

慈しむような行為であったが、その実、どれだけ彼女を頼っているのかもよく分かる。

そしてかつては、シルハーンがそのように見つめる先はなかった。


(誰も、……………いなかった)



まずはヨシュアを窘めなければいけないのだが、今のシルハーンには、もうそんな風に触れられる相手がいるということが、どうしようもなく胸を打った。

どこにもいないと思っていたけれど、今はもう、ここにいるのだ。


そう考えると誇らしさに目の奥が熱くなり、ハンカチを取り出した。




「………おい。何でお前は泣き出したんだよ。さっさと、この状況をどうにかしろ」

「ほぇ。グレアムが泣いているよ…………。何か食べるかい?」

「はは、最近のあんたはすぐ泣くなぁ」

「確か、真夜中とサンザシの酒があった筈なんだが、それも開けるか」

「お前は、この状況を見て良くもそんなことが言えたな………」

「アルテアは、まだあまり飲んでいませんね。ネアが起きているときは、もう少し機嫌よく飲んでいる印象ですが」

「ほぇ、いちゃいちゃしてる…………」

「……………何だその表現は」



頬に触れられたせいか、グレアムが五枚目のハンカチをそっとポケットに戻したところで、ネアが目を開いた。


はっとしたように手を引き戻しかけたシルハーンに、ゆっくりと瞬きをした少女が眠そうな目でふわりと微笑みかける。

その途端、ぱきぱきと音がして、夜結晶のテーブルに美しい真珠色の鉱石の花が咲いた。



「むぐ。…………喉がかさかさなので、お水を飲みますね」

「可愛い……………」

「そして、もう一度横になり、怠惰に過ごします」

「そろそろ、部屋に戻るかい?」



シルハーンの質問に、ネアは小さく微笑むと首を横に振った。

その弾みで、肩口に載っていた髪がさらりと落ちる。



「いえ、今夜は大事なお誕生日なので、ディノが楽しい限りはここにいますね。ディノがお部屋に帰ろうかなと思った時に、一緒に持ち帰って下さい。それまでは、ここで皆さんの楽しい雰囲気を感じ取りながらごろごろするのですよ」

「…………けれども、君は疲れてしまわないかい?」

「まぁ。大事な伴侶が楽しそうなのにですか?今夜は、ディノが楽しいと私も楽しい仕組みなのですが、今の私の魔物はどんな気分なのでしょう?」

「………………こんな風に過ごすのは、楽しいね」

「うむ。では、私ももう少しここにいなければなりません!とは言え、ご主人様は営業を最小限にしてしまいますので、おつまみが欲しくなったら、アルテアさんに頼んで下さいね」

「おい。勝手に決めるな」

「むぐ。…………そろそろ、ほかほかおかずパイの季節になりましたし、ウィリアムさんのパスタも好きでふ。………むむ」



水を飲む起き上がっていたネアは、ここでテーブルの上の鉱石の花に気付いたようだ。


おもむろに手を伸ばしてぱきりと摘み取ると、その花を当たり前のように、ギードと、立ち上がったままだっなグレアムに渡した。

そして、こちらが何かを言う前に再び横になってしまう。



「………では喉も潤いましたので、ディノの隣で営業を縮小していますね。……………ぐぅ」

「ネアが、……………可愛い」

「こいつも酔っ払いかよ。…………くそ、何の酒だ?」

「やれやれ、祝いの席なんですから、このくらいいいでしょう。アルテアも、もう少し飲んでは?」

「何の収集もつけないからこそ、言える言葉だな。……………おい、泣くのか座るのかどっちかにしろ!」

「……………ああ。すまない。この花を飾る為の、最高の花瓶が必要だな」

「俺は、宝石箱にする。……………宝物にする」



手の中の真珠色の鉱石の花を見つめ、ギードが目を潤ませている。

アルテアは呆れた様子で肩を竦めていたし、ウィリアムは、そうなるよなと呟いて微笑んで頷いていた。

ヨシュアは、もうこの場でもいいと思ってしまったのか、取り出したアヒルをシルハーンに見せていて、説明を聞きながらシルハーンがそろりと頷いている。



(……………どのような花瓶にしようか。やはり、ウィームの雪陶器の物を探すべきだろうか)



手の中にあるのは、一輪の真珠色の鉱石の薔薇だ。

この美しい夜の思い出にするにしては、贅沢過ぎる程の花が、しゃりんと音を立てて魔術を煌めかせる。



だが、きっとこの花を見ながら食べる朝食は、今迄以上に美味しく感じられるだろう。

ずっと昔に向かいの席に座り微笑んでいた人の代わりに、今は、たった一人の主君が、ずっと探していた伴侶に出会った日に咲かせた花を飾るのだ。


時折遊びに来る仲間達にも、この花はネアが咲かせたものだと言えば、喜んでくれるに違いない。




「ふぅ。やれやれ、今夜は森が賑やかだよね。………って、え?…………グレアムとギードが泣いてるんだけど」

「やっとまともな奴が戻ってきたな………」

「わーお。これって普段は僕の役割なのに、珍しく真面目に仕事をして戻ってきたら、一足先に酔っ払いばかりになっているのかぁ………」

「ノアベルトも、ヨシュアのアヒルを見るかい?」

「ありゃ………」




もう少しだけ。

そう考えて美しい花を所持している金庫の中にしまい、グラスを手に取る。

すると、おすすめの酒なんだと微笑んだウィリアムが、新しい酒を注いでくれた。








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