245. 誕生日の夜に贈ります(本編)
青い青い夕闇が落ちると、庭の花々がぼうっと光を帯びた。
その向こうに広がる禁足地の森にも細やかな光が揺れていて、木々の枝に育った結晶石がちかりと光る。
まだどこか青さを滲ませている夜空には細やかな星が煌めき、びゅんと横切ったのは遠くの空を飛ぶ竜だろうか。
今年のディノの誕生日会の会場は、夜空の広間であった。
大きな硝子戸で中庭に出られるようになっているが、広間の天井にもきらきらと星が光っている。
壁の柱が伸びて森の木々のように天蓋を覆う装飾は、見事な森結晶を使った精緻な彫刻で、その素晴らしい彫刻がここは森であると勘違いしてしまい、天井に夜空を呼び込んだと言われているそうだ。
なかなかに気難しい広間なので、昔から確認されているもののあまり使われてこなかった部屋だ。
しかし今回は、さて、誕生日会場の準備をしようとなった時に、ばたーんと音を立てて扉が開いたのだとか。
「懐かしい広間だな。………職人達と葉を彫り出していたら、夢中になって夜が明けていたことがある」
「……………ん?グレアムも、参加していたのか?」
「ああ。この部屋はダンスを好んだ森明かりの魔術書の為に作られた広間で、改装作業は王宮の魔術師達が総出で手伝ったからな。とは言え、肝心な魔術書の方が王都に届けられる前に脱走してしまって、その後は王宮に勤める魔術師や妖精達が好んで使っていた」
「ほわ。まさかの、広間を作った方がここにいます………」
「そのような履歴がある広間だったのだな…………」
まさかのご縁にネアとエーダリアは顔を見合わせてしまい、ヒルドは、広間が扉を開いたのは作り手が訪れると知ったからかもしれませんねと微笑んでいる。
とは言え、この広間は、休憩に入るヒルドを誘い入れたりと森と湖のシーをいたく気に入っているので、そんな事情も扉を開いてくれた理由の一端であるのかもしれない。
「では、今年も私が進行させていただきますね」
「……………ネアが可愛い」
「ディノ。今夜はディノが主賓なので、三つ編みのを受け取るのはもう少し後にしましょうか」
いそいそと三つ編みを差し出した魔物は、そう言えば少しだけおろおろしていたが、ネアがさっとシュプリグラスを持ち上げると、慌てて自分もそれに倣った。
今年のお祝いの席のグラスも、ウィーム伝統の精緻な彫り模様のあるグラスが使われており、こちらのセットは旧王朝時代よりリーエンベルクに残るものらしい。
王家の紋章が記された道具たちは統一戦争で廃棄されてしまったが、元より、ウィーム王家の者達が紋章よりも、花輪やリースなどの意匠や綺麗な季節の植物の絵柄などを好んでいた事が幸いし、今でも残されているものもある。
(今日のグラスには、花輪の彫り模様があって何とも華やかなのだわ)
そこに注がれたシュプリは、何と、ノアとアルテアが共同管理している葡萄園の新酒である。
お目当ての葡萄酒作りに入る前に、畑の出来がどれだけのものかを確かめるために作られたのが、今宵ふるまわれるシュプリなのであった。
「ラベンダーとライラック、という銘柄なのだそうですよ」
「…………何となく、その名前になった経緯が分かるな」
グラスを手に、ウィリアムが苦笑し、一緒にいたグレアムも小さく頷いている。
今年も参加してくれたギードは、淡い紫色のシュプリをしげしげと見つめていて、立ち昇る細やかな泡を見て、いい出来なのではないだろうかと生真面目に頷いていた。
「ノアベルトとアルテアが作ったものなのだね……」
「試飲はされているそうですが、しっかりお食事と合わせて飲むのは今夜が初めてのようですので、ディノのお誕生日に相応しいシュプリですね」
「………うん」
水紺の澄明な瞳を瞠って、ディノもグラスの中のシュプリを覗き込んでいる。
しゅわしゅわと立ち昇る泡に、広間のあちこちに立てた燭台のろうそくの炎が映り、その泡の煌めきがディノの瞳に映っている。
「欲しい味を求めて趣味で作ってるものだからさ、一般に卸すには祝福が強めなんだよね。でも、ネアやエーダリアは僕やアルテアの守護があるから大丈夫だからね」
「はい!瑞々しい果実の香りがしっかりとしていると聞いて、今から楽しみです!」
「まだ新酒の状態だからな。もう少し寝かせて味に深みを出してもいいんだが、お前やノアベルトの好みは果実味が強い方だろう」
「ふむ。ディノも、どちらかと言えば果実のお酒は、果実味の強い方が好きですよね」
「うん。そうなのだと思うよ………」
とは言え、ディノは子供舌だが、元々そちらのお酒が好きだったのではないそうだ。
ネアが、果実のお酒で毎回その香りの良さに喜んでいるのを見ている内に、果実の味がしっかり残っていたり、瑞々しい果実の香りのあるお酒を飲むと嬉しくなったらしく、元々の嗜好である辛口のお酒とは別に新たな好みを得たのだそうだ。
全員のグラスを満たしたシュプリの説明が終わり、ネアは、グラスを手にこちらを見ている真珠色の三つ編みの美しい魔物に向かって微笑みかける。
その三つ編みには、皆の贈り物であるラベンダー色のリボンが結ばれていて、リボンのお礼を言いに行ったディノに、こちらに到着したばかりのグレアムが泣いてしまうという事件もあったばかりだ。
星明りが素晴らしいのでと、大きなシャンデリアには火を入れず、今宵はネアの身長程もある大きな燭台を使って明り取りをしていた。
中庭から差し込む夜の光は明るく、森の広間を、いつもとは違う特別な夜の色に染め上げる。
シュプリの泡のようにふつふつと弾む楽しさに、ネアはお祝いの言葉に沢山の思いを込めた。
「ディノ、お誕生日おめでとうございます」
「……………有難う、ネア」
「これからもずっとお祝いをしていきますが、まずは今夜を楽しんで下さいね」
「ずっと……」
「ええ。きっと、ここにいる皆さんもお祝いに来てくれる筈です。全員が揃わない年もあるかもしれませんが、こんな日がこれから何度もあるのでしょう」
ディノは真珠色の睫毛を揺らしてゆっくりと頷き、ノアに、シュプリの感想が聞きたいなと言われてシュプリを一口飲む。
少しだけめそめそしているので、こんな風に皆で過ごせる夜がこれからも得られるのだと思ってしまった事で、少しだけ涙脆くなってしまったのかもしれない。
「……………美味しいシュプリだね。幾つもの祝福が複雑に入り込んでいるけれど、葡萄の味が瑞々しくて飲みやすいと思うよ」
「むむ。そうなれば、私も早速いただきますね!」
ここでネアが、シュプリの感想を言うべくノアとアルテアの間に移動すると、視線を素早く交わした際にふわりと優しく微笑んで頷いてくれたグレアムが、ギードと共にディノにお祝いを言いに来てくれる。
グレアムは、使っていたハンカチをポケットに戻しているが、先程のものとは別のハンカチのようなので何枚も持っているのだろうか。
「おめでとうございます、シルハーン」
「シルハーン、誕生日の祝いに招待してくれて有難うございます」
「有難う、グレアム。ギード。今年も来てくれたのだね」
「どのような事があっても、今日は必ず」
微笑んだグレアムは、本当にどのような事があってもという強い思いで今日を迎えてくれたようだ。
昨晩、カルウィのとある集落では、統括の魔物がその日ばかりは格別に機嫌が悪かったと言われる、何やら凄惨な事件があったらしい。
犠牲の魔物は、今日のお祝いの邪魔をするものを断固として許さなかったようだ。
「あらあら、ヨシュアさんは、少し眠たくなってしまいました?」
「……………ふぇ。僕はまだ、沢山食べるんだ。それに、カードもするんだよ」
「お昼から来ていてくれていますので、ちょっと休憩する時にはあちらに長椅子もありますからね」
「ほぇ。ネアは、どうしてそんなに少ししか食べないんだい?」
「む?これは、ディノ用のお皿なのです。いつも、最初は皆さんとお喋りしているので、私がこうして幾つかのお料理を取ってきてあげるのですよ」
ネアがそう言えば、こちらを見た少し眠そうなヨシュアが、不思議なくらいに静かな微笑みを浮かべた。
夜の雲であるからかもしれないが、銀灰色の瞳を細めて満足気に微笑む魔物は、はっとする程に美しく凄艶にも見える。
「それはいいことだよ。ネアはシルハーンの伴侶だから、シルハーンも喜ぶよ」
「ええ。ヨシュアさんにそう言って貰えたなら、間違いなく喜んでくれる筈です!」
「うん。僕は偉大だからね。……それと、牡蠣があるから沢山食べるんだ」
「そちらは、アルテアさんの領地でもあるので、全部食べ尽くしてしまわないようにした方がいいですよ」
「ほぇ。好きなだけ食べるんだよ………」
ここでヨシュアは、恐らく懐きつつあるらしいエーダリアを捕まえると、牡蠣にかけるソースを取って欲しいと頼んでいる。
おやっと眉を持ち上げたヒルドが代わりに進み出たが、慌てたようにノアが駆け付けていたので、大事な二人と仲良くされ過ぎないように見張るのだろう。
「今日も、美味しそうな料理が沢山あるね」
「ゼノ、グラストさん、今日は来て下さって有難うございます」
「いえ、本来であれば昼食の時にお伺いする筈だったのですが、こちらの都合でお騒がせしました」
ヨシュアを見送ったネアに話しかけてくれたのは、既に一通りの料理を食べたのかなというゼノーシュ、今日はもう仕事は終わりなので少しだけ寛いだ服装のグラストだ。
「お屋敷の家令の方は、大丈夫でしたか?」
「ええ。最初に荷物を受け取った料理人も、まさか、届けられた牛乳に妖精が罠を仕掛けているとは思わなかったようです」
「その妖精はね、僕が森に捨ててこようとしたんだけど、グラスをと見たらすぐにいなくなっちゃった。悪い妖精だったんだよ」
「ふむ、さすが、ゼノの大好きなグラストさんですね!」
ネアがすかさずそう言ってしまえば、ぴょんと弾むように背筋を伸ばすと檸檬色の瞳を揺らしたゼノーシュが、嬉しそうにグラストを見上げている。
そんな見聞の魔物が可愛くて堪らないという表情で微笑むグラストは、ウィームには珍しい、陽光の系譜の祝福を多く持つ騎士だ。
今回、グラストの屋敷の家人に悪さをした妖精は、影などに潜む階位の低いものだったらしい。
陽光の祝福を得ているグラストが近付いた途端に逃げてしまったが、それでも、料理人の叫びに慌てて駆けつけ、忍び込んだ妖精に気付いて追い払おうとした家令の腕に酷い火傷を残していった。
その治療や排他結界の再調整などを行っていた為に昼の休憩を使ってしまい、グラストとゼノーシュは急遽夜の部の参加となったのだ。
体が資本の騎士であるので、明朝の仕事に備えてある程度のところで退出させて貰うと事前に断りが入っているが、腹ペコのクッキーモンスターにケーキまでを楽しんで貰うには、充分な時間だろう。
「僕ね、今日のローストビーフも大好き。あとね、向こうにあるスープと一緒に食べるクネルも美味しいよ」
「それはまさかの新作情報では………!」
「うん!ジャガイモとお肉とチーズが入っていて、スープはさらっとしたサフラン色のクリームスープだよ」
「ぜ、絶対に食べます!」
「うん!」
ネアは鋭い目を料理のテーブルに向け、息を呑む。
そちらのお料理は、スープをかけていただくので取り分け皿には盛れないようだ。
まずは、現段階で取り分けてしまった料理を美味しくいただいた後に、専用のお皿で挑戦するしかない。
そこ迄の計画を脳内で綿密に組み上げ、狡賢い人間は、すぐさま伴侶のところへ戻った。
「ネアが逃げた…………」
「ディノのお料理を取りに行っていました。はい、色々貰って来たので、お食事も楽しんで下さいね」
「…………凄く可愛い」
「まぁ。ここでも恥じらってしまうのです?」
「ネアが、凄く懐いてる…………」
「未だに運用中のその表現ですが、そろそろ、凄く大事にしてくれる、ですとか、凄く好きでいてくれるという表現に変えてみませんか?……………む、くしゃくしゃになりました」
未だにそのような言い方は恥じらうらしく、大胆な提案に体が傾いてしまったディノの代わりに、グレアムが、まだシルハーンには早いかもしれないなと微笑む。
ギードは、シュプリから林檎のお酒に切り替えたようで、料理のお皿を受け取って嬉しそうにしているディノを見て、にこにこしていた。
「昼間は、美術館の絵の中の観光に行って来たんだな。シルハーンから話を聞いて、俺も行ってみたいなと思ったから、今度、グレアムと試してみるかもしれない」
「ええ。温かな風合いの木の馬車で、とても素敵な体験でした!雨の日のウィームの、何とも言えない情感のある美しさや、イブメリアのお城にも行ってきたのです」
「祝祭の絵に入ったなら、ネアは祝福を沢山持ち帰ってきただろう」
「むむ?ディノにもそう言われたのですが、あまり実感はないのです。ただ、あんなに美しいイブメリアのお城を見られただけでも、充分に幸せでした」
ネアが、そう言った時のことだ。
どこかで、しゃりんと水晶のベルを鳴らすような硬質な音がした。
こんな時はっとしたように周囲を見回す者達の対応の早さは、上から順番に揃ったのかなという参加者の階位の高さ故でもあるのだろう。
音のした場所をいち早く特定したのは、グレアムだ。
新しいグラスなどを置いてあるテーブルに歩み寄ると、近くに居たウィリアムと一緒に何かを覗き込んでいる。
そして、こちらを振り返って微笑むと、何かを持って帰ってきた。
「ネア、………祝祭の王の訪れがあったようだ。イブメリアの祝福が遅れて届いたらしい」
「まぁ。イブメリアの祝福なのですか?……………ほわ」
「クロムフェルツが、愛し子の君の為に用意したものだろう。絵の中で得た祝福は、ここで結んだようだ」
グレアムが渡してくれたのは、小さなリボンの形をした夜結晶のオーナメントであった。
小さなカードがついていて、イブメリアの子供の大事な家族のためにと流麗な文字で書かれている。
カードの文字を読んだネアは、思わぬ贈り物の追加に、喜びのあまりにその場でびょんと飛び跳ねてしまった。
「おい。弾むなと言っただろうが…………」
「むぅ。このような場合は、喜び弾むのが正しいふるまいなのですよ。……………ディノ。クロムフェルツさんが、ディノの為の贈り物を届けてくれたようです。今日のお祝いとお揃いのリボンの形ですよ!」
「私に、………なのかい?」
「ええ。ほら、ここにカードがあります。きっと私が、あのお城の絵の中で、ディノと一緒に過ごすイブメリアの事を考えていたからに違いありません!」
「…………絵の中の城の形だね」
「今年のイブメリアは、そのオーナメントをお部屋に飾りましょうね」
「うん………」
夜結晶ではあるが、淡い色彩のそのオーナメントは、どこかディノの瞳を思わせる色合いであった。
ネアは、渡されたオーナメントを見て途方に暮れたように固まっている魔物に、こんな姿を見れてしまうのも特別な贈り物であると唇の端を持ち上げる。
「わぁ。イブメリアの祝福が沢山だね。ネアは、クロムフェルツのお気に入りだね」
「ふむ。伴侶も家族も出来たので、もはや、イブメリアを楽しんでしまう思いは、誰にも負けません」
「…………おい。まさかとは思うが、祝祭の夜の祝福を、クロムフェルツの本人が切り出したものじゃないだろうな………」
「おっと。…………彼が自分で作ったものとなると、そうそう表舞台に出て来ないくらいの品物ですね」
「マリミレーの絵にある、イブメリアの城の形をしているのだな……」
「ありゃ。また僕の妹は、凄いものを貰ってきたなぁ…………」
「おや、これはまた美しいものですね。……………っ!!その料理は、こちらの皿を使うように」
「ほぇ。スープをかけるんだよ」
「ぎゃ!私のお目当てのクネルが、半分になっています!!」
「ネアが、また逃げた………」
ネアはここで、需要な案件の為に離脱させて貰ったが、ディノは、手にしたオーナメントをギードやエーダリアにも見せてあげているようだ。
昨年よりも一人で過ごせる時間が増えている筈なので、お誕生日の魔物がみんなとの時間を過ごせるようにという偉大なる計画も実行中であるご主人様は、お祝いに来てくれた人達に囲まれている伴侶を眺めてにっこりする。
「ネア、このクネルが食べたいのか?」
「ウィリアムさんです!ええ。新作のお料理のようなので、試さずにはいられません。ディノの分も取り分けておいてあげようと思います」
「ああ。それなら、あのテーブルがいいだろう。俺が持とう」
「まぁ。いいのですか?」
「ああ。俺も丁度、クネルを取りに来たところだからな」
ネアは、そんなウィリアムの言葉に甘えてしまい、専用のスープカップのようなお皿にクネルを入れると、とろりとしたスープを注ぎかける。
サフラン色のクリームスープが湯気を上げ、ふわりと香草とバターのようないい匂いに包まれた。
ネアが三人分を取り分け、ウィリアムがディノの分のお皿も持ってくれることになったのだが、さて移動しようかなと思ったところで、誰かのお皿が差し出されるではないか。
「むぐぅ……」
「お前だと、何もないところでも転びかねないからな。皿は俺が持ってやる」
「アルテア、自分の分は自分で盛り付けてはどうですか?」
「…………よくも、この流れでそう言えたな」
「アルテアさんの分もよそってあげますが、私とて、一人でお料理の入ったお皿を運べる淑女なのですよ?」
とは言え、ここはいつもの顔ぶれでのお喋りの輪となり、ネアは、ウィリアムとアルテアと美味しいクネルをいただく事にした。
少し粗めのクネルだが、中に入っているチーズがとろりと蕩け、ジャガイモやお肉の食感が口の中でも何とも楽しい。
あっという間に一つを食べてしまい、こっそりクネルを二個手に入れていた人間が次なるクネルに取り掛かろうとしたところで、ディノもこちらにやって来た。
「ネア………」
「ディノの分のクネルもありますよ」
「これも、取り分けてくれたのかい?」
「ええ。ヨシュアさんが随分と気に入って食べていたので、ディノの分もしっかり確保しておきました!」
「ネアの手料理………」
「スープを上から注いだだけなのですよ………」
夜空の下の会場を見回すと、グレアムはエーダリアとヒルドと話しているようだ。
ギードはゼノーシュとグラストと何かを熱心に話し込んでいて、ノアはなぜかヨシュアに絡まれている。
いつもとは少し違う組み合わせだが、こんなお喋りが楽しめるのもお祝いの夜だからだろう。
ディノは、はふはふしながら保温魔術であつあつのスープをかけた美味しいクネルを食べ、こちらの新しい料理も気に入ったようで目元を染めて幸せそうにしている。
ディノのお誕生日に合わせて作られた料理のようなので、こちらの魔物の好みをしっかり押さえてくれたのだろう。
子供舌のディノに合わせて、素朴で美味しいクネルになっている。
「グレアムさんやギードさんとも、たくさんお話出来ました?」
「ギードは最近、森に住む牡鹿に気に入られているそうだ。困っているみたいだね」
「なぬ。黒つやもふもふが、鹿さんに…………」
「グレアムは、ザハの秋のメニューに幾つか新作が出ると教えてくれたよ」
「まぁ。絶対に食べに行きます!」
「…………二人から、とても幸せそうで嬉しいと言われたんだ」
その言葉を噛み締めるように目を伏せたディノに、ネアは、睫毛の影の下でふるりと揺れた瞳を見ていた。
感じた喜びをどこの棚に入れればいいのかは分からないが、それでも大事に抱き締めるような眼差しで、ディノはほろりと微笑む。
「ええ。ディノの事は私が沢山幸せにしてしまうので、これからもずっと幸せでいましょうね」
「そうだね。………君が沢山動いているだけで、……とても幸せなんだ」
「……………なぜその表現にしたのだ」
ゼノーシュ達が窓の方を見て何かを話しているので、オーロラか虹が出てしまったのだろうか。
ネアは、大事な魔物の静かな微笑みに、今夜はこんなに胸がいっぱいだけれど、きっとこの先ももっと幸せな夜がある筈なのだと胸を張る。
そしてここで、折角虹が出ている間にということで、ゼノーシュ達がディノへの贈り物であるお酒を開けてくれることになった。
「あのね、晩秋の夜の雫とホーリートの祝福を入れた、ウィームのお祝いのお酒なんだよ。本当は、婚約した日や結婚式に飲むお酒なんだけど、ネアはまだ名簿に名前がなかったから、それが終わってからの方がいいかなと思ったの」
「まぁ。そんなに素敵なお酒があるのです?」
「うん。花婿が花嫁に飲ませてあげると、ずっと仲良しでいられるんだって。イブメリアの系譜の祝福もあるから、きっと今夜はしっかり効果が出るよ!」
結びと贈り物の酒と呼ばれるこのお酒は、花と果実と祝福の砂糖も使った甘いお酒で、シロップのように綺麗なピンク色をしている。
男性が婚約者や伴侶に飲ませると、その相手がずっと自分を愛してくれるような祝福が得られると言われているが、魅了や侵食の魔術ではなく、ホーリートからイブメリアに結ぶ願い事や贈り物の魔術が働くのだとか。
そんな効果を聞いてしまったディノは目をきらきらさせているし、ネアは、嬉しそうなディノを見てまた笑顔になる。
食前酒用の小さなグラスにお酒をとぷとぷと注いで貰い、ここは、おっかなびっくりのディノに頑張って飲ませて貰おう。
なお、お返しに花嫁が伴侶に飲ませるとよりしっかり祝福が得られると聞き、ネアも、体を屈めてくれたディノにお酒を飲ませてやった。
「………甘いものなのだね」
「甘酸っぱいお酒で、イチイのお酒に似た味ですね。ですが、ふわっと森の中にいるような爽やかな香りが残るのでそれがとても素敵です!」
「晩秋の収穫や結実の魔術を、イブメリアの贈り物や願い事の資質に結んだ酒なのだろう。……………有難う、ゼノーシュ、グラスト」
「うん。これで、ずっとネアと仲良しだからね」
しゃりりと音がして、床石に咲いてしまったのは薔薇だろうか。
これは、ディノがとても喜んでいる時に咲くものなので、ネアは、見て目元を染めた伴侶から渡された三つ編みをにぎにぎしてやった。
「そしてこちらが、騎士達からの贈り物になります」
「………有難う」
「むむ、これは……」
「チケットのようだね………」
「来月から運行が開始される、ウィームの展望列車の個室のチケットだそうですよ。是非、ネア殿とお二人で楽しんできて欲しいということでした」
「まぁ!もしかして、あのチケット争奪戦で、三ヶ月先まで予約が埋まっている列車ですか?」
「ええ。クロウウィン後からイブメリア前の初週までの期間のチケットだそうです」
「しかも、期間内で使用日が選べる、一番人気だったチケットです!」
ディノは、騎士達からもこうして贈り物が貰えたことをまだどう表現したらいいのか分からないようで、もじもじしながらもう一度お礼を言うと、手にしたチケットを嬉しそうに見つめ、さっとネアの影に隠れた。
そんな魔物を撫でてやりながら、そういえばグレアムはどうしたのかなときょろきょろすると、広間の端っこでギードに付き添われて泣いているようだ。
アルテアが呆れたように、ヨシュアは困惑したように見ているが、きっと喜びの涙に違いない。
「さて。ではそろそろ、ケーキを切りましょうか」
窓の外の夜明かりを確認し、そう提案してくれたのはヒルドだ。
ゼノーシュ達の戻る時間もあるので、確かにそろそろ切り分けた方がいいだろう。
「今年のケーキも、自信作なのですよ!」
「ネアの手作り………」
「今年は森苺が豊作で味も良かったので、苺のケーキにしてあります。霧蜜のシロップと、夜想曲とお砂糖で作った苺のコンフィチュールも使ってあるので、祝福たっぷりのケーキになりました」
「ネアが、可愛い………」
「そして勿論、クリームのお花で愛情をたっぷり込めてありますからね!」
「虐待………」
ケーキナイフは最初はヒルドが手にしていたが、進み出たアルテアに受け渡され、アルテアが切り分けてくれた。
誰よりも前に並んでしまったヨシュアが叱られており、苦笑したウィリアムが、アルテアはクリームの花狙いだなと呟いている。
とは言え、どうやらみんなはクリームを沢山食べたいようだと知ってしまった乙女は、今年はクリームの花で花冠のようにケーキの縁を飾ってある抜かりのなさであった。
「はい。ディノの分ですよ。アルテアさんが一番綺麗なところをお皿に載せてくれました!」
「………メッセージが」
「ふふ。今年は贈り物もリボンだったので、ちょっぴり張り切ったメッセージなのです!」
「……………ずるい」
「まぁ、儚くなってしまうのです?自慢のケーキなので、大事な伴侶に食べて欲しいです」
「ネアが可愛い………」
今年のチョコプレートには、ブルーベリーチョコレートで贈り物と同じ色のリボンの絵を入れてある。
メッセージには、大好きなディノのお誕生日にという文字を入れ、ハートマークも追加しておいた。
文字にしてケーキに飾ってしまうと少し気恥ずかしい言葉だが、時にはこれくらいの愛情を主張してもいいだろう。
(大切な伴侶のお祝いなのだもの!)
特別な日なのだ。
大事に大事に育て上げた思いと、これまでの日々が振り返った道にも残されている。
どれだけの悲しみや苦痛の上に今日があって、こんな風に愛しく思えることがどれだけの奇跡なのか。
だから、沢山大事にしてまた育てていこう。
「これからも、大好きなディノに怖い思いをさせるものは、私が全て滅ぼしますからね」
「ネア………」
「わーお。泣いちゃったぞ………」
「ほぇ。シルハーンが………」
「ネア、ケーキの皿をテーブルに置いてやった方がいいのではないか?」
「むむ。そうします?」
「これは、自分で持っているかな………」
「ふふ。では、一緒に食べましょうか」
「………うん。有難う、ネア」
あちこちに祝福の光が煌めき、窓の外はオーロラの出る明るい夜であった。
こんな美しい夜は他にはないと思い、けれどもと心の中で付け加える。
きっと、これからもまた、もっと美しい夜に出会えるだろう。