244. 誕生日は危険がいっぱいです(本編)
ディノのお誕生日初日の昼食会には、早くも高位の魔物達が集まり始めていた。
かつてであればあんまりな白さであると思ったに違いない顔ぶれだが、最近ではいつもの面々であると思うばかりである。
とは言え、テーブルに飾られた花々はそうは思えなかったようで、しゃりしゃりんと音を立てて結晶化してしまったようだ。
そんな薔薇を横目で確認しているウィーム領主は、魔術書を広げてしまいたい思いなのか少しだけそわそわしていた。
そして誰よりも落ち着かない様子でいるのが、本日の主賓のディノである。
口元をもぞもぞさせているので喜んでいるのは間違いないが、お祝いの席に置かられるとどうしても恥じらってしまうのだろう。
並んだグラスに注がれたシュプリにはきらきらと祝福の光が宿り、気取らず食べ易い組み合わせの前菜のお皿が皆の前に並べられる。
ことりと置かれたスープカップには、避暑地でもお馴染みのトマトの冷たいスープだ。
とは言え今回は、クリームスープ風にまろやかにしてくれているらしいので、こちらのスープ全般が大好きなネアは椅子の上で小さく弾んだ。
「ほぇ、卵揚げじゃない」
「ヨシュア、料理には順番があるんですよ」
「僕は、あの料理を先に食べたいんだよ!」
「ヨシュア?」
「ふぇ、ウィリアムが怒ってる………」
「あなたが我が儘を言うからでしょう。当然のことですよ」
思っていた以上に卵揚げを気に入っていたらしいヨシュアは、イーザに嗜められて早くも涙目になっている。
ネアは、ディノのお気に入りの酢漬け野菜をぱくりと頬張り、綺麗な硝子の小鉢に盛られた赤い野菜をじっと見つめているアルテアに首を傾げた。
「今日は、ディノのお気に入りのトマト中心の酢漬け野菜なのですよ?」
「………だろうな」
「ほぇ。アルテアはトマトが苦手なのかい?」
「ヨシュア、もう一度同じことを言ったらここから摘み出すぞ」
「………ネア、アルテアが変だよ」
「ふむ。諸事情によりトマトをちょっぴり警戒してしまうようですので、この場合はそっとしておいて差し上げましょう。使い魔さんは、時として繊細な事もありますからね」
「やめろ……」
「ありゃ。アルテア、まだトマト食べられないんだっけ?それなら、ネアの作ったペペロナータは僕が貰ってあげようか?」
「そんな訳あるか。おい、手を伸ばすな!」
酢漬け野菜だとトマトの形が残っているものの、スープやペペロナータについては問題ないのか、アルテアは暗い目でもくもくと食べている。
今回、昼食時の前菜にネアのペペロナータが追加されたのは、リーエンベルクの料理人の提案からで、せっかくのディノの誕生日なので、昼食会でもネアの手料理を差し込んでみてはと言ってくれたのだ。
本日二度目のご主人様の手料理に、ディノはすっかりくしゃくしゃになってしまったようだ。
「ネアの料理…………」
「ふふ。このペペロナータは、母から受け継いだ自慢のレシピなのですよ。この季節はまだ、冷やしていただいても美味しいと思うのです」
「うん。………美味しい」
「あぐ!………こちらの、あつあつじゃがいもグラタンと並ぶと、冷たいものと温かいものでどちらも楽しめてしまう並びにして貰いました」
「……………ほぇ。イーザが動かなくなった…………」
「イーザ、この場合は、気にせず食べる方が自然なのでは?」
「………っ、そうでしたね。いただきましょう」
イーザも少しだけ不自然な動き方をしていたので、何かトマトに懸念があるのだろうか。
ネアは、美味しくいただく分には何の問題もないのだと頷き、伴侶の好物だからか自分でもいつの間にかお気に入りになってしまった酢漬けのトマトを、またぱくりと口に入れる。
「ウィリアムさん、アルテアさん、今日のディノのリボンは贈り物のリボンなのですよ」
「ああ。ネアが選んだ色だけあって、シルハーンによく似合うな」
「やれやれだな。お前が箱に妙な細工を入れるかどうか悩んだせいで、ひやひやさせられたぞ」
「ありゃ。今の図案じゃないものも考えたのかい?」
「ディノへの贈り物を入れるので、贈り物を守ってくれるようにきりんさんの隠し図案を入れるかどうか悩んだのですが、アルテアさんに却下されてしまいました」
ネアとしては、どうせなら多機能なものがいいと思ったのだが、リボンの意匠がなくなってしまっていたのかもしれないと思ったのか、ディノも悲し気に首を横に振っている。
「………今の箱がいいかな」
「むぐぅ。いざという時には、その箱を掲げるだけで敵も滅ぼせるのですよ?」
「わーお。それ以前に僕達も直視出来ないし、そもそもアルテアが死んじゃうんじゃないかなぁ…………」
「ム?アルテアさんが………?」
「そうそう。結晶細工はアルテアに…………おっと、アルテアの贔屓にしているところに頼んだんだよね」
「ええ。アルテアさんの杖に使う石や、魔術金庫などもそちらで作ってくれているのだとか」
「ほぇ。…………それって、アルテアが作っているんじゃないのかな」
「……………ヨシュア、そろそろ帰りたいんだな?」
「ふえええ!!」
丁度、運ばれてきた卵揚げのお皿に釘付けだったので会話の一部を聞き逃してしまったが、なぜか、ヨシュアがまたアルテアに虐められているようだ。
ネアは、卵揚げが来ましたよと半泣きの雲の魔物を宥めてやり、添えられた二種類のソースに唇の端を持ち上げる。
「ディノの好きな、タルタルソースもありますね」
「うん。………これは、何のソースなのかな」
「マスタード感のあるクリームソースのようです。ちょっといただいてみますね。………むむ!」
初めましてのソースをちょびっとだけいただき、ネアは酸味のあるアイオリ系のマスタードのクリームソースであるという結論を出した。
爽やかな酸味で揚げ物をさっぱりいただけそうであるし、マスタードの風味も素晴らしい。
「……………美味しい」
勧められて卵揚げに使ってみたディノも、新しいソースを気に入ったのか目をきらきらさせている。
こちらのソースから食べたウィリアムは、タルタルよりもマスタードソース派になったようだ。
卵揚げの横には、玉葱とベーコンのシンプルなラビオリが添えられており、香草バターソースがかけられている。
お祝い多めの本日は、食事量はお好みで調整出来るようになっていて、しっかりと食べたい人には押し麦とサルシッチャのチーズリゾットも用意されている。
ウィリアムなどはこちらもいただくようで、ネアも勿論お願いしているのだが、様々な種族のお客や家族を迎え慣れたリーエンベルクの料理人らしい気遣いと言えた。
「ふぁ。…………この、黄身がとろりとしている卵揚げは、いつ食べても美味しいですねぇ。ディノと初めて食べたのは、ガーウィンの天上湖を見に行った時の事でした」
「うん。………三つ編みを持っているかい?」
「む。さては、あの時の事件を思い出して、不安になってしまいましたね?」
「ご主人様…………」
誕生日なので致し方あるまいと、ネアは、受け取った三つ編みは膝の上の布ナプキンの下に差し込む事にした。
それを見たヨシュアがじっとイーザの方を見ているが、イーザは気付かないふりをしているようだ。
だが、ヨシュアが二度目の卵揚げのお代わりを申し出ると、さすがに気になったのか形のいい眉を顰めている。
「…………ヨシュア、何個目ですか?」
「ほぇ。四個目だから、ネアよりは少ないよ」
「むぐ。………中がとろりとしているので、質量はそんなにありませんものね」
「妙な主張をし始めたが、総量は茹で卵と変わらないからな」
「ぎゃ!」
「はは、アルテアは意地悪だな。こんな時くらい、好きな物を食べていいんだぞ」
「ネアは、いつも可愛い…………」
「むぐ。ひとまず六個まではいただきますね」
誕生日のお祝いの席とは言え、こうしてみんなで集まれば、どんなお喋りでも楽しめてしまう。
何でもないような会話もとても楽しく、お昼ではあるが、シュプリなどを交えてわいわいとやりながら食事を終えると、イーザがテーブルの上に何かを取り出してごとんと置いた。
こほんと咳払いをした霧雨のシーは、エーダリアに最新のお風呂あひるの魅力を語っていたヨシュアを小突き、はっとしたヨシュアが贈り物を出したんだねと机の上の品物を手に取った。
「シルハーンに、イーザと僕からだよ」
奇しくもこちらの贈り物も、結晶石の小箱のようだ。
ディノは目を瞬き、こくりと頷いて小箱を受け取ると口元をもぞもぞさせる。
「…………有難う」
「うん。僕は偉大だから、ネアも喜ぶような贈り物にしてあるんだ」
「ネアも、なのだね」
「霧雨の妖精の城にいる音楽家に演奏して貰った、音楽の小箱なんだよ。ミシュットのピアノや、サスレリーのバイオリンもいるからね」
にっこり笑ってそう言ったヨシュアに、聞き覚えのある音楽家であるのか、ウィリアムとアルテアが慌ててそちらに視線を向けている。
説明を引き取ったイーザによると、この小箱に収められた演奏は、どれもダンス用の楽曲なのだそうだ。
以前にネアが、音楽の小箱を使って二人で踊っていると話した事があるので、そんな会話を覚えていてくれたのかもしれない。
「きっと、シルハーンとネアはこれからも沢山踊るから、こういうものもあるといんだよ。それに、祝福を持った演奏家の奏でる音楽には祝福が宿るから、一番いいときの演奏を持っているとずっと使えるからね」
「まぁ!素敵な音楽で踊るのが楽しみでならないので、今度また一緒に踊ってくれますか?」
「うん。……………ずるい」
「この音楽の小箱があれば、なんでもない日にも二人だけの舞踏会が出来ますね」
きっとヨシュア達は、一緒に過ごす為に使える贈り物を選んでくれたのだろう。
二人で過ごす時間にこそ使えるものを選べたのは、伴侶を持った事があるヨシュアだからこそなのかもしれない。
なのでと、ネアが早速の二人きりの舞踏会の提案をすれば、その言葉に瞳を揺らして嬉しそうに頷き、ディノは受け取った小箱を大事そうに手の中に収めている。
澄んだ水色の結晶石で作られた小箱は、内側に収めた艶消しの淡い金色の魔術の箱を透かすようになっていて、その色合わせの繊細さにも、霧雨の妖精のお城にいるという芸術家達の拘りが見えるようだ。
箱自体には装飾はないが、留め金は手の込んだ模様の打ち入れられた金細工で、よく見れば薔薇枝の模様になっていた。
「有難う。………ヨシュア、イーザ」
「うん。僕の贈り物は間違いないよ。ネアとも友達だからね」
「お好みであれば、またこのようなものを作ることも出来ますので、いつでも仰って下さい」
「有難うございます、ヨシュアさん、イーザさん。ディノへの贈り物なのに、私も一緒に楽しみ尽くしてしまいそうです」
「………そう仰っていただけますと、光栄です」
「ほぇ、イーザが…………」
イーザはなぜか、羽を少しだけばさりとしてしまったので、万象の魔物への贈り物を霧雨の妖精のお城主導で作成するにあたって、緊張する部分もあたのかもしれない。
だが、エーダリア曰く、音楽を贈るという事は儀式的なお祝いにもなるので、音楽の小箱はとても縁起のいい贈り物なのだそうだ。
(そうか。儀式奉納などの意味合いも兼ねる音楽の贈り物だから、ヨシュアさんが示してくれたような理由で作られたものだとしても、魔術的には献上品という意味合いも持つのだわ)
そのような品物であるだけに、イーザも、ディノが喜んでくれてほっとしたのだろう。
ネアは、こんな素敵な贈り物はすぐさま使ってしまうしかないのだと、明日あたり伴侶をダンスに誘ってもいいかなとにんまりした。
「さてここで、恒例のお祝いをしますね」
「恒例の、お祝いなのだね…………」
「はい!ディノはまず、ムグリスディノになって下さい」
「わーお。投げるつもりだぞ…………」
「いいか、絶対に落とさないようにするのだぞ」
エーダリアは少し心配そうであったが、ネアはこれでも動体視力などはいい方だと自負している。
ぽふんとムグリスの姿になってくれた伴侶を持ち上げ、三つ編みをしゃきんとさせているムグリスディノのおでこを、まずは指先で丁寧に撫でてしまった。
「……キュ」
「大事な伴侶を絶対に落としたりはしないので、安心していて下さいね。今年から、私も晴れてウィームの住民簿に加わりますので、ここはもう、しっかりと伝統のお祝いをしようと思います」
「キュキュ!」
しかし、事故というものは、思いもよらない理由で起こるものだ。
ネアはその日、よりにもよってなぜこの瞬間だったのだという恐ろしい目に遭う事になった。
「では、ぽんと上げますので準備はいいですか?」
「キュ……」
「ふふ。しっかりと受け止めますからね!では……………っ、ぎゃふ?!」
ネアが、大事な伴侶をぽーんと投げた直後だった。
何か、細長くてきらきらしたものがしゅばっと足元を駆け抜けてゆき、突然の事に驚いたネアは、思わず態勢を崩してしまう。
とは言えここで、伴侶を落とすような狩りの女王ではなかった。
予定よりも随分と下方での受け止めになってしまったが、すぐさま体を屈めて辛うじてムグリスディノを手のひらで受け止める。
その下には、素早く駆け寄って手を差し入れてくれていたウィリアムがおり、思わず二人と一匹で顔を見合わせてしまった。
「……………キュキュ?!」
「ふぁ!……………み、水差し聖人でふ……………?」
「……………びっくりしたな。……………シルハーン、大丈夫でしたか?」
「キュ…………」
「ネアも大丈夫だったか?無理な姿勢で受け止めただろう?」
「ふぁい。…………怖さのあまりに心臓がぎゅっとなりましたが、腰を痛めたりはしていないようです。何かが背中に当たってくれていたので、後ろにひっくり返らずに体が支えらえ、……………む。アルテアさんが背後に立っていてくれました」
「……ったく。お前はここでも事故るのか」
「今のは、完全なる貰い事故なのですよ……?」
お誕生日の放り投げがあまりにも危険なものになったので、けばけばになって三つ編みをへなへなにしているムグリスディノに、ネアは慌てて、お作法通りの口付けを落とした。
すると、ただでさえ動揺していたところにご主人様の口付けを貰ってしまい、ちびこい伴侶は手のひらの上で完全にくしゃくしゃになってしまう。
背後がどたばたしているので振り返ると、エーダリア達は、なぜかヨシュアを追いかけ回している水差しの聖人を、何とかして部屋から出そうとしているようだ。
どこから入り込んでしまったのだろうと思い、ネアは、動揺のあまりまだ力の入らない膝を押さえて体を起こそうとする。
「おい、落とすなよ」
「む。アルテアさんが腰を固定してくれました……」
「…………リーエンベルクの水差し聖人を初めてちゃんと見たが、………あんなに素早く動くものなんだな」
「もしかして、他の水差し聖人さんは、もう少しゆっくりなのですか………?」
「ああ。そっと忍び寄ってくるからある程度の活動域はあるんだろうが、………あんなに素早く走ったりはしなかったような気がするな…………」
「寧ろ、あの仕様の水差し聖人さんしか知りませんでした………」
ウィリアムの説明によると、水差し聖人は、本来は走ったりはしないものなのだそうだ。
言われてみれば確かに、水を入れたグラス姿であるので、走るとなると相当な技術が求められるだろう。
絶えずすばしこく走り回っているリーエンベルクの聖人は、明らかに他の個体とは様子が違うらしい。
追いかけられて怯えてしまったヨシュアが、泣き出しながらヒルドの影に隠れている。
水差し聖人はなぜか、ぎゃん泣きしている雲の魔物の爪先をわざわざ踏みつけて走り抜け、テーブルの上の飲み物などに悪さをしないように立ちふさがった塩の魔物の脛にごちんと体当たりしてから、颯爽と会食堂を出ていった。
会食堂のお誕生日会場には該当するような水差しはなかったが、ヨシュアもノアも枕元のテーブルに水差しを置いておく系の魔物であるらしく、解放運動の標的にされた可能性があるという。
勿論、強烈な腹痛と胃腸不良を齎す呪いを持つ聖人なので、リーエンベルク内には急遽、警戒令が出された。
「ディノ。怖い思いをさせてしまってごめんなさい」
ネアは、人型の魔物に戻っても震えていたディノを抱き締めてやり、水差しの聖人の脅威は去ったことを伝えておく。
「ネアが、……………いなくなった」
「むぅ。あの聖人めに突撃され、一瞬、受け取り軌道から逸れてしまいました。よりにもよってという時と場所で解放運動を始めるのは、やめていただきたかったです……」
「水差しの聖人なんて………」
「……………ネイ、念の為に聞きますが、部屋の水差しをまたひっくり返したままにはしていませんね?」
「ありゃ、疑われてるぞ………。昨日今日は普通に使っているから、特に問題はない筈なんだけどなぁ………」
そのやり取りを聞いたアルテアが、水差しもまともに使えないのかと呆れていたが、恐らくヒルドが心配しているのは、よく銀狐がそのままの姿で水を飲もうとして、水差しをひっくり返すからだろう。
魔物としての自覚強めの時にはペット用の水皿には抵抗があるらしく、テーブルの上に置かれた水差しに、ずぼっと頭を突っ込んで飲もうとするのだ。
頭が抜けなくなるとたいへん危険なので、ヒルドからは禁止令を出されているが、それからも何度か、懲りずに水差しをひっくり返しているような気がする。
なお、その日の内に、一人の騎士が水差しの聖人の呪いを受けて寝込むことになった。
水を使い切って空っぽになった水差しを、てっきり洗ってあると勘違いしたまま放置していたらしく、丁寧に管理していないと判断され呪われたようだ。
そのせいで、怯えた騎士達が自分の部屋にある水差しを一斉に洗い直すことになったのだから、ネアとしては、いきなり呪わずとも、まずは穏便に書面などでの申し入れをすればいいにと思わずにはいられない。
とは言え、水差しの聖人には手はないので、現状では荒ぶるばかりなのだろう。
階位が上がればもう少し落ち着いた主張が出来るようになるかなと考えた人間は、ひと月後に、廊下で見かけた水差し聖人を鍛えてみようと、きりん札の一部を見せてみた。
しかし、あまりにも修行の難易度が高過ぎたのか、水差しの聖人は、粉々になって滅びてしまうではないか。
ネアは、これはもう見なかったことにしようと考えると、あんまりな仕打ちに震える伴侶の魔物を連れて犯行現場から慌てて走り去ったのだった。