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243. 誕生日はその中を巡ります(本編)




薄闇を踏んで、ネア達が降り立ったのはウィーム中央の美術館の前であった。


向い合わせになっている博物館との間にある広場は、庭園や小さな緑地で上手に切り分けられているが、この美術館前のアプローチに立つと、背後の木々の向こうには自然史博物館が見える。


対になるような建物は王宮にも似た建築で、その壮麗さから観光客がリーエンベルクと間違えて近付いてきたりもするのだそうだ。

けれども、そこで、何だ美術館かと立ち去ってしまわずに、気付けば美術館の中にいる事が多いと言われるのは、入り口から一階のエントランスに見える絵画の魅力故である。


大きく開かれた入り口から見えるのは、ひょいと中を覗き込んだお客がふらふらとチケットを買ってしまうだけの、季節に応じた絵画だ。

つまりは、季節の数だけの、そのような力を有する絵画を所有しているという事でもある。



「本日は、誕生日チケットですね。お誕生日おめでとうございます」

「……………あらあら、隠れてしまうのです?」

「……………有難う?」

「はい。こんな時も、お礼が言えるとお互いに素敵な気持ちですよね。…………ほわ、チケットがきらきらしゅわんとしました!」



美術館のチケット売り場で、ネアが提示したのはお誕生日の前売り券だ。

本日の予定は一部屋を貸し切りに出来るチケットなので、事前に申し込んである。


美しい線画に水彩を乗せた一枚の絵のようなチケットには、綺麗な深緑色の文字でお誕生日チケットと記されていて、勿論こちらのチケットも持ち帰る事が出来るそうだ。


そして、そんなチケットは今、入り口の女性係員の手で日付のスタンプが押され、何かの魔術をかけて貰った途端にしゅわんと結晶化したのだ。



「当館の美術修復の魔術師が構築しました、保存魔術です。これで、表面の描写などが劣化しませんし、硝子質な保護ですが光の反射などでチケットが見えなくならないように工夫されております。どうぞ、小さな記念品としてお持ち帰り下さい」

「まぁ。何て素敵なんでしょう!薄く泉結晶で覆われたようになったので、鞄や金庫の中で折れてしまったりもしませんね」

「うん。…………結晶化してしまえるのだね。このような守護をかけられるという事は、………もしかして、手書きのチケットだったのかな」

「なぬ………」

「ええ。当館の領民の皆さまへの誕生日チケットは、一枚ずつ手書きとなっております」



ネアは、印刷だとばかり思っていたチケットの美術館の建物の絵が、まさかの手描きだったと知り驚いた。


思いがけないところで小さな贈り物を得てしまった魔物も、目をきらきらさせてチケットを受け取っている。


「では、エントランスより当館の魔術師がご案内させていただきますので、こちらよりお進み下さい」

「はい。有難うございます」


チケットの確認をしてくれた女性が、微笑んでお辞儀をしてくれる。


その横を通り抜けて美術館の中に入れば、こちらに来ると時折見かける、美術館の魔術師の装いである漆黒のケープを羽織った青年が立っていた。


青年魔術師は、ネア達に向かってにっこり微笑むと、本日は館内観光の馬車までご案内いたしますと優雅な仕草で行き先を示してくれる。



「馬車、……………なのかい?」

「ええ。私も最初は驚いてしまいましたが、特別に、絵の中の観光に出られる馬車があるのですよ」



このチケットの存在を知ったのは、美術館のお知らせからであった。


ネアがこちらの世界に来たばかりの頃に関わった、一枚の絵に纏わる小さな事件がある。

事件というよりは事件切っ掛けの事故のようなものだったが、今思えば、あの頃にしては珍しい顔ぶれで巻き込まれた事故だったのではないだろうか。


そんな事件の発端となった絵の季節展示が今年より再開するというお知らせがリーエンベルクに届き、そこに同封されていた美術館で受けられるサービスや季節展示のお知らせのパンフレットに、このチケットの紹介があったのだ。


実は一年前から行っていて大好評だったらしいのだが、周囲に知っている者がいなかったのだろう。

慌てて、ディノと一緒にシュタルトの湖底美術館とどちらがいいか話し合い、今年はこのチケットにした。


理由はもはや気分的なものだが、今年は、ネアにとって漸くウィームの領民簿にも登録される節目の年である。

であれば、こちらに来た最初の年に携わった事件の結んだ縁に触れるのもいいだろうということになったのだ。



(………わぁ!)



入り口を入ってすぐのエントランスホールに飾られているのは、ウィームの森の絵のようだ。

淡い緑色を多用した森の入り口には不思議な煌めきが落ち、一本の細い獣道を目で辿ってゆくと、森の奥深くへ視線が誘われる構図になっている。


描写は緻密だが、どこか優しい色合で不思議な瑞々しさと繊細さに満ちていて、一目見ただけで特別な力のある絵だとわかるものだった。



「こちらの絵は、こうして、あらためて見ても素敵ですねぇ」

「見る者を誘う魔術を宿す絵ですので、絵の中の季節と同じ時期には、この場所に飾っております。行き止まりの通路の奥や、続き間のない部屋に飾ると絵の中に誘われてしまいますので、展示場所を選ぶ絵なんですよ」

「魔物が描いたものだね。…………森結晶が随分と使われているようだ」

「おお、やはり高位の方にはわかりますか。この絵を描いたのは、当時ウィームに住んでいた高位の魔物の方だと窺っております。統一戦争後に保管していた領民が寄贈してくれたのですが、絵そのものに付与された魔術が複雑なので、修復を行う際にはかなり苦心しました」


微笑んでそう語ってくれる青年に、ネアは、おやその頃からという事は少なくともエーダリアよりは年上の御仁のようだぞと心の中で首を傾げた。

やはりと言うか何というか、魔術師は年齢不詳の者が多い。



こつこつと床石を踏み、高い天井の美術館の中を奥へと進む。


通り抜けて行く部屋にも素晴らしい絵画が飾られていたが、このあたりは常設展示の区画なので何回か見た事があるものばかりだ。


遠くから聞こえて来る僅かな喧噪は、美術館の中央ホールにあるカフェのお客の話し声だろうか。

時々、絵の中の舞踏会のワルツなども聞こえてくるそうなので、誰もいなくても賑やかだったりするのがこのウィームの美術館なのだ。



途中で、美術史美術館はここでいいのだろうかと困惑している観光客がいて、おやっと眉を持ち上げた美術館の魔術師が、すれ違いざまに、こちらで合っていますよと教えてやっている。


この美術館の名称は幾つかあり、統一戦争前の名称であるウィーム美術館や、現在の統一表記になっているウィーム中央美術館、更には、向かい合わせに建つ博物館と対になる名称として、美術史美術館という通り名もあるのでややこしいのだ。



「こちらの馬車になります」


二部屋を抜けたところで一般展示区画を抜けると、その先の貸切の部屋には確かに、馬車が待っていた。



「ほわ……」

「このような馬車なのだね………」


塗装などもない素朴な木製の馬車はチェスナット色で、繊細な彫刻はリースを模したものだろうか。

彫刻だけで木の馬車の側面に花輪がたくさんかけられているような美しさを表現するのだから、この馬車もまた収蔵品なのかもしれない。


けれども、思っていたような華美なものではなく、どこか温かみのある馬車であった。


ただし、馬がいるべきところには馬の形をした灰色のもやのようなものがいて、その内側では花びらを巻き込んだような不思議な風が吹いている。

御者はおらず、御者台には一輪の黒い薔薇の花が置いてあるばかり。



(なんて不思議な馬車なのだろう…………!)


ネアは紹介された馬車を見つめて目を瞬き、ディノが、運行の魔術を使った魔術道具だねと呟く。

馬の位置にあるものは、魔術そのものを馬に見立てた術式馬なのだそうだ。


またしてもとんでもない魔術のものが出てきたぞと、ネアは遠い目になったが、この馬車に乗ると絵の中の様々な美しい場所を巡ってくれるのだと知っているだけで充分なのだろう。


黒衣の魔術師が用意してくれた魔術錬成の踏み台を使って馬車に乗り込むと、にっこり微笑んだ青年が、一枚の上質紙に記された行程表を提示してくれる。

上から順に記されているのは美術館所蔵の絵画の名前で、驚くべきことに、今日ここに来た理由でもある、ネア達が事件で携わった絵の名前も記されていた。



「まぁ。イブメリアの祝祭のお城の絵にも立ち寄れるのですか?」

「はい。無事に魔術経路の調整や修復が終わりましたので、こちらのも含めております。本来ですと、クロウウィン以降に展示再開される絵なのですが、お二人は以前にご縁があったとお聞きしましたので、こちらだけ、別の作品と入れ替えさせていただきました」

「思い出のある絵なので、とっても嬉しいです」



リストの中には、知っている絵も、知らない絵もあった。


どんな観光になるのだろうとわくわくしながら席に着けば、馬車の座席はふかふかとした青いクッションが張られていて、背もたれも同じようにふかふかしている。

体を固定するようなものはないので、安全運転なのだろう。


美術館の魔術師に同行して貰って解説を聞く事も出来るが、今回は誕生日なので、二人でただ絵の中の美しい風景だけを楽しむコースにした。



「順路はこちらで指定しておりますので、馬車自ら、半刻程でこの場所に戻ってきます。ただ、絵画の中では、決して馬車から降りませんように。馬車には当館の魔術師達が道を繋いでおりますので問題があればいつでもお伺い出来ますが、それ以外の部分となりますと、絵の中に見知らぬ領域が増えている事もあります。くれぐれも、迷い込みにご注意下さい」

「はい。では、馬車からは飛び出さないようにしますね。何かあったら声をかけて下さいとありますが、その場合は、馬車の中で声を発するだけでいいのでしょうか?」

「それは、裏面にございます合言葉を言っていただけますと、それ以降の会話を、魔術回線を閉じるまでこちらで拾えるようになります。今月の合言葉は、…………クッキーですね」

「クッキー祭りがあるからでしょうか……」

「だからなのかな……」



二人は、手を振ってくれた美術館の魔術師に見送られ、いよいよの絵画の中の観光ツアーに出かける事になった。



入り口はどこなのだろうと思っていると、このまま、正面にある花畑の絵の中に入るらしい。

ネアは、ここで絵の中に入れずに画布に激突する事はないのだろうかと不安になったが、絵の中に続くような淡い光の道筋が見えたので大丈夫だろう。


それでも、絵の中に入る瞬間になると、思わず目を瞑ってしまった。



「ぎゅ!」

「ネア。……………怖かったかい?」

「ふぁぐ。………絵の中に入るにあたり、こうして正面から飛び込むのは初めてでしたので、思わず目を瞑ってしまい……………デ、ディノ!!お花畑です!!」

「うん。季節の風景というよりは、何かの慶事があって咲いたものなのだろう。街道沿いの森の方かな」

「綺麗な青紫のお花が、どこまでも咲いていてなんて綺麗なのでしょう!」



無事に、馬車は絵の中に入ったようだ。

目を開いた先に広がっていたのは、木漏れ日の差す森と、そこに広がる花畑であった。


領外の者達には神殿の森と呼ばれる深い森の中には、見渡す限りどこまでも、紫陽花に似た青紫色の花が咲いている。

そんな青紫色の花に混じり、この森本来の花々が咲き乱れているので、画布の上に描かれた際には色とりどりの花々が咲いているように見えたのだろう。


絵画の上での表現では、青く塗られ木々の影だと思っていた部分も満開の花だったと知り、ネアは座席の上で小さく弾んだ。



「雨の系譜の祝福の花のようだね」

「だから、紫陽花に似ているのでしょうか。……………ディノ、向こうの奥に妖精さんがいますよ!」

「おや、雨の系譜の妖精の婚姻かな。だからこの花なのかもしれないよ」

「まぁ。結婚式なのです?」



ネアが目を輝かせると、ディノは少しだけ困ったように微笑んだので、そんな伴侶の手をぎゅっと握ってしまったご主人様は、こちらの結婚式はいつだっていいのだと伝えておく。


様々な要因を調整しても、今年は漂流物などもあるので危ういのだろうし、その訪れで損なわれたものを再び補いきるまでは、時間もかかるだろう。

ぼんやりとした予定が順調に延期されている背景には、これまでにネア達が遭遇してきた様々な事件の影響や調整がある。



(でも、それでいいのだわ。私にとって重要なのは、大事な人達がここにいることこそなのだもの)



強欲な筈のネアがそう思えている背景には、季節の舞踏会や雪白の香炉の舞踏会などで、結婚式ではなくても素敵なドレスを着る機会が多いお陰でもあった。

そちらでドレス欲は満たされてしまうので、結婚式は、いつか、みんなが集まれる万全な日でいいと思っている。



ざざんと、風が吹き抜けその風に花びらが舞い散った。


ふわっと立ち昇る素晴らしい芳香に、ネアは思わず深呼吸してしまう。



「いい匂いですね………。沢山の食べごろの果実や、花瓶に生けたお花のようです」

「可愛い………。沢山深呼吸するのかい?」

「絵の中で、こんな風に香りに癒されるとは思っていませんでした。余さず吸い込んでゆきますね!」


また次の風に花びらが舞い散り、奥のお祝いの席には柔らかな雨のヴェールがかかる。

普通の結婚式だったら雨が降ったら台無しになるのだが、妖精達は喜んでいるようなので雨の系譜の慶事に相応しいお天気なのだろう。


ネアが心奪われた香りは、沢山の香りが混ざっているのに瑞々しくすっきりとしていて、この青紫色の花に囲まれた森の中の結婚式だからこそ、こんなにも素晴らしいのだという気がする。


そんな馨しい風がしゃわんと揺れ、吹き抜けた。



(……………あ!)



その先に広がる二枚目の絵画の中の風景で、ぱっと色相が変わる。


今度は、周囲を覆う木々が塗り替えられたように鮮やかな黄色に包まれ、ネアは、突然の変化におおっと眉を持ち上げた。


よく見れば木の種類も違うようで、先程迄の神殿の柱のような高い木々ではなく、何種類もの木々が複雑に枝を伸ばしている森のようだ。

手を伸ばせば届きそうなところに枝葉があり、枝の上で日向ぼっこをしている毛玉妖精がいる。



「ふぁ!二枚目の絵は、紅葉の森なのですね。落ち葉が花びらのようにひらひらしていて、森の奥の方には湖もありますよ!」

「おや、向こうに見えるのは、ノアベルトの城だね」

「ノアのお城があるのですか?!」



思いがけない目撃情報に、ネアは慌てて反対側を見た。


すると、鮮やかな黄色に色付く紅葉の森の向こうに、もう少し深い色合いの紅葉の森が見える。

馬車が走っている場所は、平地ではなく少し高くなっている場所なのだろう。

こちらの森との間には渓谷のような、ぐっと低くなっている部分があるようだ。


木々の間から、真っ白な城壁にすらりとした尖塔のお城が見え、ネアは思わず座ったまま足踏みしてしまう。

随分遠くにあるようで小さくしか見えないが、どこか儚い雰囲気のお城は絵本の中の造形であった。



やがて馬車が檸檬色に色付いた木々のトンネルに入ると、はらはらと舞い落ちる黄色い葉っぱが馬車の中にも落ちてくる。

ネアが、この綺麗な落ち葉は持って帰れるのだろうかと凝視していると、ディノが、絵を出ると消えてしまうものだと教えてくれた。



「ノアのあのお城は、今でもあるのですか?」

「いや、もうなかったのではないかな。この辺りの土地は、今はほこりの統括地の中にあるよ」

「そうなのですね。こんな綺麗な森がまだ残っていたら、ほこりがお散歩しているかもしれません」

「あの辺りでは大きな土地の変化は出ていない筈だから、まだあるのではないかな。ただ、この絵に描かれているのは、近くにノアベルトの城があったからこそ森が階位を上げていた時代の風景なのだろう。これだけの紅葉は、今はもう見られないかもしれない」



絵の中に塩の魔物の城が描かれていないのは、不敬にあたるからなのだそうだ。

それでも、こうして絵の中に入る事が出来れば、当時の光景を見る事も出来てしまう。


ネアは、鮮やかな紅葉のトンネルを見上げ、この美しさが様々な偶然によって生み出されたほんのひと時のものであったことを思い、その世界を残してくれた絵画に感謝する。



(エーダリア様やヒルドさんにも、ノアの昔のお城を見ることが出来るのだもの)



帰ったら是非に教えてあげようとほくそ笑み、ネアは、次の絵の中に向かう馬車の中でわくわくと胸を弾ませた。


どんな風景があって、どんな瞬間が切り取られているのだろう。

今もまだ残るものも、今はもうないものも、その全てが美しく特別なものばかり。



そんな絵画の中の小さな旅は、雨の日の得も言われぬ色に染まったウィームの秋の夜の美しさや、黄金色に色付いた麦畑に降る流星雨、ウィーム王族の誰かが迷い込んだという、水晶細工の本だけが並ぶ不思議な大図書館に、薔薇の妖精の慶事があって、ウィームの夜明けにこれでもかと薔薇の花びらが降り注いだ日のリーエンベルク周辺を巡り、最後にイブメリアの祝祭の城に向かう。



「……………ほわ」



最後の絵画の中は、雪景色であった。


どこまでも煌めく飾り木のようにオーナメントを下げた木々を有する森に囲まれた、美しいお城がある。


そこはしかし、かつてネア達が招かれた際に見たお城とは違い、イブメリア当日の朝のようだ。

はらはらと雪が降る中、雪曇りの空の仄暗さに森の煌めきが滲むような色彩を添える。


以前に見た時の何の飾りもない森も素敵だったが、祝祭飾りの煌めく森はなんて美しいのだろうと思えば、ネア達を乗せた馬車はお城の周りをぐるりと回り、そこから中庭に向かってくれるようだ。



「以前にこの絵の中に招待された時には、この森の飾りつけはありませんでしたね。イブメリアの夜なら見ることが出来ましたが、お城の外に出たところでお家に帰ってしまったので、森の方は見ていませんでした。………こんなに美しいだなんて」

「ここは、かつてのクロムフェルツの城でもあるから、最も美しい祝祭の姿を揃えているのだろう。この絵を最後に選んで貰って良かったね。今の君にとっては、あの時以上に祝福を授かり易い場所だと思うよ」

「まぁ。こんな素敵な場所でディノと一緒にいられるだけでも嬉しいのに、祝福まで貰えてしまうのです?」

「…………ずるい」



お城の中庭では、さすがに花壇などのある庭園の方には行けなかったものの、馬車は速度を落としてくれ、窓越しにお城の大広間が見えるような順路にネアは大興奮した。


かつてその大広間からこの庭園を見た日の事を思い出しながら、大きな飾り木のある大広間を、庭に咲き誇る白薔薇や雪ライラックの額縁から眺める。


「不思議ですねぇ。絵の中にいる筈なのに、まるで一枚の絵を見ているようです」

「…………うん。綺麗だね」

「私の大好きな魔物との沢山の思い出があるイブメリアは、特別な日なのですよ。今日は、とても特別なディノのお誕生日で、そこに、こんな思いでの日までをも添えられてしまうだなんて、何て贅沢なのでしょう」


振り返ってディノにそう言えば、魔物は目元を染めたままこくりと頷いた。

どうやら、大好きだと言われて恥じらってしまったようなので、ネアは少し伸び上がると、そんな魔物にえいっと口付けを落とした。


いきなりそんな事をされてしまった魔物はすっかり体が傾いてしまったが、最後にまたお城の周りを走ってくれた馬車に、すっかり大はしゃぎのネアが椅子の上で弾むと、落ちないようにしっかり拘束していてくれた。


やがて馬車は、イブメリアの森を通り抜けてどこかで見た事のある壮麗な部屋に出る。


ネアが、先程の美術館の展示室だぞと気付き目を瞬くと、いつの間にか馬車は止まっていた。

迎えに出てくれて優雅に一礼した美術館の魔術師が、このツアーのお土産となる小箱を持たせてくれる。


まるで、夢から覚めるような不思議で美しい旅であった。



「お土産は、巡った絵画のポストカードと、美術館の限定シュプリでした!お誕生日だけでなく記念日でも使えるようです。とても素敵なので、お勧めですよ」

「そうなんだな。……………ヴェンツェル、今日は駄目だぞ。午後から海商ギルドの代表達との会談が入っているだろう」

「どうせ、漂流物の影響を訴えての、税率緩和についての打診が狙いだろう。一度くらい延期させてもいいのではないか?」

「わざと延期にするという方法もあるだろうが、その日にウィームにいたと知られた場合に面倒な事になるから、他の日にした方がいい。この会談の準備のために、今年は昼食会も辞退したんだろう?」

「…………それなら、この週末だな」

「…………週末は、ガゼットの大使との共同宣言の内容を詰めるんじゃなかったのか?」

「気分転換が出来た方が、その作業も捗るだろう」



しれっとそう言ってのけたのは、今年も、ドリーと一緒にディノのお誕生日のお祝いをしに来てくれたヴェンツェルだ。


漂流物関連で何かと不安定な時期ではあるが、だからこそ高位の魔物の慶事に触れるというのは良い備えにもなるそうだ。

公式な訪問に出来ない以上は、忙しい執務をやり繰りしての訪問となる。

それなのに、ネアがうっかり薦めてしまったせいで、週末には絵の中を旅する為にまたウィームに来てしまうかもしれなかった。



「今年は、昼食までいられなくてすまないな。あまり持てない機会だけに、本来ならゆっくりしていきたかったんだが」

「いえ。お忙しい中、こうしてディノの誕生日にお祝いに来て下さって有難うございます。ディノは、ドリーさんの贈り物を毎年楽しみにしているので、とても嬉しいです」



ネアがそう言えば、ヴェンツェルがどこか誇らしげな顔する。


言い方としては、第一王子の贈り物よりも契約の竜の贈り物を優先する形になるのだが、ヴェンツェルにとっては自分の贈り物を喜ばれるよりこちらの方が嬉しいのだと一目で分かる表情であった。



「いや、こちらこそヴェンツェルが我が儘を言ってすまない。…………エーダリア、料理の件は礼を言う」


ドリーの言葉に少し後ろに控えていたエーダリアが苦笑していたのは、ヴェンツェルの申し出で、今日の昼食会で出される筈だった料理を、バスケットに詰めて持ち帰れるようにしたからだ。


毒味などの必要のない温かな料理であり、尚且つリーエンベルクの料理は味自慢である。

美食家であるヴェンツェルにとっては、時間がなくてすぐに帰らなければいけないにせよ、どうしても諦められないものであったらしい。



「ディノ、あらためてだが、……誕生日おめでとう」

「有難う………」



ここはまだ慣れないものか、ディノはお礼を言った後にすこしだけそわそわしている。

しかし、とろりと深く豊かな金色の瞳を細めて微笑んだドリーが、今年の陶器人形の入った箱を取り出すと、はっとしたように目を瞠った。



「今年は、漂流物のこともあって海遊びであまりゆっくり出来ないのではないかと思い、このようにしたんだ。この陶器人形を作ってくれる工房で、湖水陶器の販売が開始されたので丁度良かった」



ことりと、テーブルの上に載せられた陶器人形を、みんなが覗き込む。



「ネアが、……………可愛い」

「まぁ。海にボートを浮かべて、ディノとお喋りしているところでしょうか!私の手のひらの上のムグリスディノの三つ編みが、ご機嫌にぴーんとなっていますね」

「わーお。この湖水陶器、商品化に成功したんだね。僕も何か注文しなきゃだ」

「今年のものも、とても可愛らしいものですね」

「湖水陶器というものがあるのだな……」

「ネアが……………可愛い」

「あらあら、さてはすっかり気に入ってしまいましたね?」

「うん……」



ドリーが教えてくれた湖水陶器は、置物の中で海の表現に使われているようだ。


摺り硝子のような透明度と柔らかな質感がどこかシーグラスにも似ているが、元々透明なものではなく、砕いた湖水結晶を練り込むことで、焼き上げるとこの透明感が出るのだそうだ。


透明度が出るのでと、海の底には海結晶だと思われる綺麗な青い石が仕込まれていて、エメラルドグリーンや淡い水色などの、あの秘密の島の何とも言えない美しい海の色も正確に表現されている。


浅瀬に浮かんだ一艘の船には、水着姿のネアが花飾りのある帽子を被って座っていて、揃えた両手の上にムグリスディノを乗せ、向かい合って微笑み合っているよう。


船の上には水色のバケツとその中に詰め込まれたきらきら光る海結晶や素敵な巻貝があり、バスケットに入った葡萄酒の瓶やサンドイッチなども見ていて楽しいではないか。


ディノは今年の陶器人形もとても気に入ったようで、微笑んだドリーから手渡されると、足元の床石にぽこんと結晶石の花が咲いてしまう。

大事そうに抱き締めたディノにお礼を言われているドリーを、ヴェンツェルが満足気に見ていた。



「私からの贈りものは、これになる。コルクの結晶化が進み、いい状態になってきたのでな」

「……………有難う。おや、夜海と星月夜のテーブルの酒だね」

「兄上、……………これは」

「いいのだ。贈るのなら、ここがいいだろうとドリーとも話して決めた。他の場で魔術補填の為に使ったところで、私自身はさして嬉しくもない」

「……………ありゃ。飲み分けると仲間の縁を深める酒かぁ」



ヴェンツェルが取り出したのは、ロゼシュプリのような色合いの液体の揺れるお酒であった。


これは夜海と星月夜のテーブルと呼ばれる蒸留酒で、二本一対になっているお酒なのだそうだ。

分け合って飲んだ者達との間に、途切れる事のない幸福な縁を結ぶとされており、海で愛する者達と離れ離れにならないように作られた酒ながら、現在は、政治的な利用をする者が多い。


生産時に二百本だけ販売され、今は、悪用されかねないということから魔術の約定に於いて生産が禁止されている。

現存しているものしか残らない、希少なお酒であるらしい。



(ヴェンツェル様の立場であれば、このお酒を必要とすることも多い筈なのに)



だからこそエーダリアが驚いたのだろうし、けれどもヴェンツェルはここでいいと決めたのだろう。


ヴェンツェルが第一王子として成人した際に贈られたものであるらしく、万が一の事故や持ち主の独断による事故を防ぐ為に、国の規定で贈与可能な相手に若干の縛りがあるらしい。


どのような線引きがあるのかは分からないが、エーダリアには贈れないものなのだそうだ。



「ヴェンツェルは、ここが好きなんだ。どうかこれからも仲良くしてやってくれ」

「……………うん。そうだね、飲ませて貰うよ」

「有難う、ディノ」


この贈り物は、ヴェンツェルがこの上のない切り札であるのと同時に、こちらでもヴェンツェル達との間に縁を結ぶものである。

ドリーが一言付け加えディノが微笑んで頷くと、ヴェンツェルはほっとしたように深く息を吐いていた。



「うーん。まぁ、いいか。もう現存数が殆どない珍しい酒だし、エーダリアも喜ぶしね」

「ノアベルト?!」

「贈り物の選び方としては及第点ですが、ドリーに補足させるのではなく、ご自身でしっかり贈り物に選んだ理由を説明するべきでしたがね」

「ヒルド………」



最後に元代理妖精であるヒルドにそう採点されてしまい、ヴェンツェルは苦笑して帰っていった。


ドリーが手に取った食事の入った籠を見てそわそわしているので、王都に戻ってすぐに、しなければいけないと話していた会談の準備の前に、執務室でいただくのだろう。



「ディノ。今年も陶器人形が貰えて良かったですね」

「……………うん。ネアが可愛い」

「あら、私の手のひらの上にいるムグリスディノだって、とても可愛いのですよ?」

「海の中には、海老もいるのだね………」

「なぬ。………じゅるり」

「わーお。僕の妹にとっては、食材に見えるらしいぞ……」

「では、そろそろ昼食の準備に入りましょうか。先程、イーザから、こちらに向かうと連絡が来ましたからね」

「ウィリアムさんとアルテアさんも、お昼にはこちらに来るそうです!」



ディノは、まだ嬉しそうに眺めている陶器人形を、会食堂にも持っていくそうだ。


ネアは、新しい商品であるらしい湖水陶器を見たヨシュアがきっと欲しがるだろうなと考え、くすりと微笑んだ。






本日のお話で触れている一枚の絵を巡る事件は、イブメリアの頃にご紹介させていただく予定です!

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