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241. 恐ろしい敵が来ました(本編)




ばびゅんと飛んできた固焼きクッキーを、ネアは、ひょいと躱した。


攻撃目標を見失っておろおろしている隙に、わしりと掴み取り水路に放り込む。

水路から聞こえてくる喜びの声に微笑み、ふうっと息を吐いて周囲を見回せば、あちこちで呪いのクッキーと戦っている領民達の姿があった。


街の様子は騒然としているが、今日は、青空の部分が広く、珍しく天気のいい日であるような気がする。

だが、呪いや祟りの気配が空気を冷やし、晩秋のような気温でもあった。



「いつも、ぴっちり着込んでしまうので気にならなかったのですが、クッキー祭りの日は少し冷え込むのですね」

「特にこの時間は、祟りクッキーの気配が強まるから尚更だろう。寒いかい?」

「いえ。今更気付いてしまい、少し驚いているだけでしょうか。…………そして、ちらほら白い粉をかぶったような人が見えるのは、やはり、粉砂糖のクッキーがいるという事なのですね」

「ご主人様……………」



幸いなのは、問題視されていた妖精のクッキーが、まだ目撃されていない事だ。


馬車の落ちた湖の近くにも町があるので、そちらで荒れ狂っている可能性もあるのだが、街の騎士達の動き方や、時折見かけるリーエンベルクの騎士達の様子からは、人員がどこかに割かれている様子はない。


呪いのクッキーにもどこかに線引きがあり、こうして荒ぶらないのであれば幸運なのだろう。

安心して、粉砂糖のクッキーとの闘いに身を投じられそうだ。



「てい!」

「……………す、すまない」

「いえ、危うく、ミカさんの髪の毛の中に忍び込むところでした。悪い動物クッキーなどは、こうです!」

「にゃぐ!」

「わおん!」

「ぐー!!」

「パオーン!!」

「………またいる」



ネアが、こっそりミカの髪の毛の中に潜り込もうとしていたクッキーを捕まえて水路に放り込むと、美味しい呪いのクッキーにありつけた生き物達の、歓喜の声が聞こえてきた。


ディノは苦手な鳴き声の生き物がいるようですっかり怯えているが、この水路の仲間達あってこそのご主人様の働きぶりなので、どうか早く慣れて欲しい。


こちらに気付いた領民達が、クッキー祭りの死者の行列がやって来たぞと笑顔になっているので、ネアはリーエンベルクの職員の一人としての誇りに胸を張る。



「そして、ワイアートさんの目にすっかり光が入らなくなっていますが、……………やはり、お口の中に入り込もうとした求婚クッキーのせいなのです?」

「…………あのようなクッキーも、売られているのだね」

「ふむ。森のなかまのおやつの亜種感がありましたので、使い魔を得る為のものではなく、強引に伴侶を得るべく、自らを放り出す系の商品にも需要があるのかもしれません」

「……………僕は、絶対に嫌だ」

「ワイアート、もうあのクッキーはいない。安心してくれ」

「………あんなクッキーは滅べばいい……………」



すっかり世界を呪いかねない様子の雪竜の祝福の子を襲ったのは、可愛らしいハート型の素朴な質感のクッキーであった。


見かけたネアは、どこかのお好み缶に入っていたものだろうかと考えて気に留めていなかったのだが、近くにいた街の騎士が、呪いの求婚クッキーなので死ぬ気で逃げろと叫んでくれ、厄介な敵である事が判明したのだ。


クッキーを食べさせてきた相手との間に、婚約状態を無理矢理結んでしまう恐ろしいクッキーは、食べ物を与える際に結ばれる魔術の繋ぎを逆手に取った、たいそう危険なお菓子である。


人間同士であれば左程問題にならないそうだが、お相手が魔術の理に縛られやすい高位の生き物であった場合は、その繋ぎを切る迄の僅かな間だけ、仮初の結びを得る事が出来るという。



(そう考えると、もはや犯罪の道具かなという感じもしてしまうけれど、そうではないのだ)



求婚クッキーで結んだ縁は、怯えて調べたディノ曰く、お相手が望まなければ簡単に切れるものらしい。


魔術証跡がしつこく残るという悪質なクッキーでもないので、社会的な問題になるような危険さはないそうだ。

その代わりに、望まずに食べてしまった人外者にとっては、クッキーを食べさせた相手との間にほんのひと時の特別な時間を捻じ込まれたという、地味に嫌な記憶を残してしまう。


(だからこそ、周知されている程度には、承認されている商品なのだと思うけれど……)



もし、お互いに仄かな恋心などを抱いていた場合は、これ幸いと互いに縁を結んでしまうかもしれないし、そこまで必死ならと、気紛れに付き合ってくれる人外者もいるかもしれない。


どちらかと言えば、我が身を差し出してしまう贈り手の方が人生を賭けて挑むものなので、であればやむなしと承認されているのだろうか。


魔術師の中には、伴侶契約などを餌にして高位の契約相手を捕まえてくる者達もいるので、そのような現場で使われているものなのかもしれない。



(でも、ワイアートさんのように心に傷を残してしまう人もいるのだろう……………)



魔術証跡が残らなくても、記憶に残るだけでも嫌なものは嫌だろう。

その結果、ワイアートはこんな風になってしまったのだ。



「……………求婚クッキーは滅べばいい」

「ま、まだ回復していません。これは、深刻な心の傷を残しているのでは…………」

「ご……ネア、すまないが、ワイアートの背中を、一度強めに叩いてやってくれるか?」

「むむ。気付けな感じでしょうか?」

「ああ。私ではもう反応しなくなってしまったが、君なら或いは、正気に戻るかもしれない」

「そんなに傷付いてしまったのですね…………」



幸いにも、ワイアートはクッキーを食べずに済んでいる。


階位の高い雪竜である彼は、扱える魔術の幅も広い。

竜の祝福の子らしい聡明さや、ほんの少しの悪巧みや酷薄さも持っている。

だが、まだ竜の中では若い個体、即ち青年なのだ。


繊細な思春期に、突然呪いのクッキーと化した求婚クッキーが顔面に直撃し、唇をこじ開けて食べて貰おうとしてきたという体験は、ワイアートの心に深い傷を残してしまったようだ。


どれだけ生きているのかなというディノやミカですら震えていたのだから、ワイアート言葉にし尽せないような怖い思いをしたのかは言うまでもない。

なお、クッキー自らが食べて貰いに来た場合は、誰との間に縁を結ぶのかは考えてはいけないのだろう。



ネアは、すうっと息を吸い込むと、ばしんとワイアートの背中を叩いた。



「…………っ?!……………ご…………ネア様」

「ワイアートさん、どこか屋内に避難して、少し休みませんか?ここにいても、またあの悪いクッキーが来たら私が打ち払ってあげますが、心を落ち着ける時間があった方がいいと思うのです」

「……………僕の、背中を叩いてくれました?」

「む?……ええ。もしかして、いきなり叩かれてしまい、むしゃくしゃしています?」

「まさか!!……………っ、い、いえ、……………幸せです」

「………なぜなのだ」

「ネアが浮気した………」

「なぜなのだ………」



ネアは弱っているワイアートをどこかへ避難させるつもりで背中を叩いてやったのだが、美麗な雪竜は、なぜか目元を染めて恥じらっている。


ネアは仕方なく、今回の措置は意識が朦朧としている人を正気に戻らせる古典的手法だが、竜種に於いてはちょっぴりはしゃいでしまう仕打ちだったのかもしれないと、伴侶の魔物に説明しておいた。


しかし、生真面目な表情をしたミカが、ワイアートは取り分けこのような扱いをされるのが好きなのだと補足してくれたせいで、ネアは一瞬だけ心の迷宮に入りかけてしまった。

でも多分、全部竜だからだと思っておけばいいのだろう。



無事にワイアートが正気に戻ってくれたので、一名の心神喪失者を出しかけながらも、ネア達は水路沿いの道を進んだ。



そろそろ祟りクッキーが現れてもいい頃合いなのだが、今年はまだ姿が見えないようだ。

となると、仲間を減らされ不利な状況に追い込まれた呪いのクッキー達の集結が起っていないこととなり、実はあまりい状況ではないのかもしれない。

そう考えながら警戒を強めたネアは、はらりと待った白いものに目を瞠る。



そして、その瞬間は唐突に訪れた。



「……………雪でしょうか?」

「これは、………祝福と災いの系譜の魔術だね」

「ワイアート、しっかりしろ。……………どうやら、囲まれたようだ」

「…………これは。………まさかとは思うが、…………固有領域を持っているのか………?」


さらさらと舞い落ちる白いものは、粉雪のように石畳の地面に降り積もる。

ぐっと周囲が冷え込んでいるのは、これが雪だからではない。

深い怨嗟と強い憎しみを抱えた呪いのクッキーが、見上げた街路樹いっぱいに集まっているからだ。



(まさか………)


ふわんと甘い香りが漂い、ネアは、ここが、警戒対象であった粉砂糖のクッキーの縄張りだと気付いた。

ミカとワイアートの会話はつまり、生まれて初めて粉砂糖のクッキーの群れに囲まれた者達の会話なのだ。



「…………よく見ると、あちらこちらに、討ち死にした街の騎士さんが倒れています。さては、粉砂糖で視界を奪いましたね!」

「ゴーグルをつけていても、駄目なのだね」

「あまりにも細かい粒子だと、ゴーグルの表面にへばりついてしまうのです。………ディノ、私達がこの白い粉を浴びないように出来ますか?」

「うん。そうしておこう。ただ、何か、………固有魔術を動かしているようだ。油断しない方がいいだろう」

「因みにこの場合は、白持ちのクッキーになるのです?」

「………ご主人様」



きりりとして排他結界を展開してくれたディノだったが、敵が、白持ちの呪いのクッキーかもしれないと考えるのは耐えられなかったようだ。

途方に暮れたようにふるふると首を振るので、ネアは優しく微笑み、知らないままでいましょうねと頷きかけてやる。


(……………とは言え、このクッキー達をどうやって滅ぼせばいいのだろう)


相手は、可動域の高さがちょっと謎めいているウィーム領民を倒した呪いのクッキーである。

幸い、倒れている騎士達は呻き声を上げているので、死んでしまってはいないようだが、動けないくらいには痛めつけられているようだ。


周囲には粉々になった粉砂糖のクッキーが散らばっているので、騎士達もかなり奮戦したのだろう。

ネアは、守ろうとしてくれた騎士達の分も、頑張ってここで粉砂糖のクッキーを滅ぼして見せると心に誓った。



「負けませんよ!……………ぎゃふ?!」


勇ましくネアが声を上げた瞬間であった。


ぎゅんと飛び込んできた粉砂糖のクッキーが、ディノの排他結界にぶつかって粉々になる。

その瞬間にぼふんと白い粉を爆発させたような粉塵が上がり、直接の被害はないものの視界を遮られたネアは動転した。


「ぶつかると、…………粉々になってしまうのだね」

「ぐぬぅ!恐ろしい敵です。打ち払おうとしても粉々状態のものが増えてゆくばかりなので、どうやって滅ぼせばいいのでしょう?」

「この形状と質感だと、………水か火だろうか。……………とは言え、火での排除をする場合には、遮蔽した中で行わないと、粉塵爆発に繋がりかねないだろうな…………」


ミカの言葉に、ネアは、ここにいるのが思っていた以上の難敵であると気付いた。

水をかけてどろどろにしてしまっても、呪いのクッキーは粉状でも動くのだ。

逃げ沼状態の生き物に襲われないと、どうして言えよう。


「雪で………いや、こちらの魔術とクッキーの境界が識別し難くなる。……………どうすれば………」

「粉状態になった仲間を足場にして、固有領域を構築しているようだね。四方を覆う事で展開される魔術だけれど、…………このようなものに展開されてしまうと、どうやって排除するのがいいのかな…………」


どうやら、粉砂糖のクッキーは粉々になった仲間が石畳の地面に広がり、尚且つ、木の上から粉砂糖を降らせる事で固有領域を作っているらしい。


降らせる粉砂糖に限界はないのだろうかとか、そもそもクッキーとは何だったっけという事は、もはや考えていても仕方がない。

これが、クッキー祭りなのだ。



「このような相手に対し、有利に動ける方というのはいるのでしょうか?」

「ドリーの炎であれば、爆発や延焼を防げるかもしれないね。………後は、ダナエや、この系譜となるとグラフィーツもかな」

「まぁ。もしかしなくても、先生の系譜のクッキーなのですね………?」

「うん。…………殆どの菓子類にも砂糖は入っているけれど、こうして、個の領域を扱えるようになった上に、祝福と災いの両方の天秤を満たしたとなると、確実に彼の系譜のものなのだろう」

「では、……先生を呼んでみます?」

「この時期は、ウィームにいないのではないかな。……………ミカ、グラフィーツの予定を知っているかい?」

「いや。……だが、こちらの連絡網から呼び出す事は……」



ここで、ミカの言葉が途切れ、ぞっとしたネアは慌てて振り返った。

その直後、ディノにひょいと持ち上げられ、ミカとワイアートが素早く前に出てくれる。



ごうっと、不思議な音がした。




「あらあら、ここにもクッキー、あそこにもクッキー。……………私、当分の間は、クッキーなんて見たくないのだけれど、まだいるの。……………私が焼いたクッキーは全部壊したのに、どうしてこんなにクッキーが目に入るのかしら」



(………っ!)


凍えるような可憐な声音というのも、この世にはあるらしい。


ネアは、朗らかだが空虚で、この世界の全ての怨嗟を寄せ集めたようなその声が聞こえてきた途端、ディノの腕のなかでびゃんと飛び上がってしまった。


現れたのは、ぼろぼろになった花嫁衣裳を着た、可憐な妖精だ。

艶やかな橙色の羽は燈火のようで、赤系統の色彩に近くはあるのだが、どこか親しみやすい容姿を見ていると、情愛などの系譜ではないような気がする。


しかし、本来なら柔和な顔立ちであった筈のその妖精の目は、明らかに狂気に満ちていた。


ふくよかな茶色の髪はざんばらになっていて、裾が汚れるのも構わず引き摺っているヴェールが、禍々しい深紅に染まっている。



ごうっと、真っ赤な火がうねり、渦巻いた。


まるで意思のあるもののように火が持ち上がると、大きな手で掴み取るようにさらさらと降っていた粉砂糖や、身の危険を感じたのか、慌てて飛び掛かろうと集結した粉砂糖のクッキー達を一度に掴み取ってしまう。


そして、その刹那、ぎぃっと鉄の扉を開くような音がして、花嫁の胸の前にごうごうと燃える火を宿した扉が開いた。


大きな炎の手は、掴み取ったクッキー達をその中にポイっと入れてしまい、ばたんと扉が閉まる。



ごうごうと、扉の向こうで火が燃え盛る音がした。




「……………まさか、あの方は」


ネアがそう呟いたのは、花嫁衣裳の妖精がふらふらと歩いてゆき、通りの向こうに消えてからだ。

ふうっと息を吐いたディノの様子を見て、もう脅威が去ったのだと肩の力を抜く。


「グラストとゼノーシュが捕縛した筈だから、逃げ出してしまったのだろう。エーダリア達に連絡を入れておいた方が良さそうだね」

「ふぁい。……………あの様子を見るに、警戒されていたクッキーは、花嫁さん自ら回収しているのかもしれませんね…………」

「オーブンの妖精か。……………これ程、クッキーを回収するのに相性のいい者もいなかったな」

「………オーブンの妖精が、あのような無尽蔵な力を振るうとは思わなかった。…………飲食店など以外の場所で見たのは、初めてだ……………」



ミカとワイアートも呆然としている中、エーダリア達への連絡の前に、先程の妖精を追いかけてきた街の騎士達が到着した。


先ほど見かけた妖精はやはり、収監されていたウィーム中央の街の騎士団の牢獄から、脱走していたオーブンの妖精な花嫁のようだ。


窓の外に自分が結婚式の為に焼いたクッキーが飛び交っているのを見て怒り狂った花嫁は、壁を焼き尽くして外に逃げ出すと、叶わなかった思いを焼き尽くすように自分の焼いたクッキーを滅ぼし始めたのだそうだ。


そんな脱走の経緯を教えてくれた街の騎士達が、目撃情報のお礼を言ってくれる。

エーダリア達との連携もそちらで取ってくれるそうなので、ネアは、街の騎士達に任せる事にした。



しかしネアは、脱走班捕縛の為に走って行く騎士達の後姿を見送りながら、小さく首を傾げる。



「クッキー祭りの間は、あのお嬢さんを解き放っておいた方がいいのでは?」

「そうなのかな………」

「いえ、先程は、万象の方が排他結界でこちらの姿を隠してくれましたが、夫婦や恋人達の姿に反応してもいけませんので、早めに確保した方がいいかと………」

「ぎゃ!ワイアートさんにそう言われるまで、そちらの可能性を失念していました。領民の誰かがオーブンに入れられたら大変です………!」



なお、倒れていた騎士達は、一部こちらに残った騎士達の手で、クッキー祭りの負傷者を収容している治療院に運ばれたが、外傷などはなく、魔術浸食による術式汚染だけで澄んだようだ。

体が資本となる仕事であるので、薬湯や治療薬だけで済む状態だったのは不幸中の幸いである。



「粉砂糖のクッキーさんは、とても体が脆いので、どんなに体当たりしても自身が爆散するだけだったようですね」

「うん。………それなのに、どうして体当たりしてしまうのかな………」

「ただその時は固有魔術感はなかったそうですから、もしかすると、私達が遭遇した時こそが、次なる段階への進化を遂げた直後だったのかもしれません。苦戦しそうな相手でしたから、オーブンの妖精さんが焼き尽くしてくれて良かったと言わざるを得ず…………」

「うん。階位を上げていたようだから、魔術的な段階は踏んでいたのだろう。あのクッキーは排除されて良かったと思うよ。……………ご主人様」

「ディノ?……………まぁ。水路の方が、ぐーぺこでこちらを覗いていたのですね?騎士さん達の聴取や情報提供も終わったので、またクッキーを放り込みますから、もう少しだけ待っていて下さいね」

「ぎゃお!」


きゃっと震え上がったディノの視線を辿り、ネアは、水路の縁から鹿角のあるうさぎのようなものがこちらを覗いている事に気付いた。


まだクッキー祭りが終わっていないのに、どうしてクッキーが投げ込まれなくなったのだろうと不思議に思っていたようだ。


言葉は通じるのか、そう言えばこくりと頷いて水路にぽしゃんと戻っていったので、ネアは、可愛い舎弟たちの為にも更なるクッキー狩りを進める事にした。



「……………ミカ?!見てしまったのか?」

「…………っ、…………あのようなものを、容易く手懐けてしまう姿を見ただけでも、…………本望だ」

「しっかりしろ!まだ終わっていないんだぞ?まだまだ、見たいものがあるだろう!ここで倒れては、先程の僕の事を言えないではないか」

「………ああ。……………そうだな。まだ見なくてはならないものがある筈だ。何とか復調する」



そんなやり取りが背後から聞こえてきたので、ネアは、もしかして先程の生き物は合成獣扱いなのかなと羽織ものになっている伴侶を見上げる。

目をぎゅっと閉じて震えているので、よしよしと撫でてやると、怖々と目を開いた。


「ディノ、もう水路に戻っていきましたので大丈夫ですからね?」

「ご主人様……………」

「さて。残りの区画を進んでしまいましょう。………むむ。てやっ!!」



ここで飛んできたのは、ネアも見覚えがあるクッキー専門店の葡萄クッキーだ。

常にお店にある商品は、閉店間近になると量り売りのいつもの量にクッキースコップで一杯分のおまけを貰えるのだが、そうして余分に手に入れてしまったクッキーを食べ損ねる者がいるらしい。


比較的よく見るクッキーなので、素早く体を捻って飛んできた勢いのまま水路に叩き落とせば、賑やかな歓喜の声が聞こえてきた。



その後は、順調に進んで行く事が出来た。



大小様々なバタークッキーに、保存用の少し硬めのミルククッキー。

数々の飛び交うクッキーを叩き割り、鷲掴みにし、時には蹴り飛ばして水路に投げ込んでゆく。

時折水路からしゅわしゅわと立ち昇る煌めきは、心が満たされた祟りものが浄化してゆく様や、美味しいクッキーに幸せいっぱいになった生き物が落とす祝福なのだろう。


そんな光景を見た街の領民達が、わぁっと喝采を上げてくれる。



(……………おや?)



しかし、そのまま前進してゆくと、妙に人気のない区画に入った。

どうしたのだろうと首を傾げていたネアは、ふっと翳った視界に目を瞬く。

ゆっくりと顔を上げると、承認販売となった筈の竜用クッキーが路地裏から顔を出したところではないか。



ぎぃっと不思議な音を軋ませ、路地裏からこちらを見ているのは猫型の巨大クッキーだ。

竜用なので獲物感を出す為にこの形にしたのかなと首を傾げ、ネアは拳を握る。


しかし、大型のクッキーの相手を可憐な乙女にさせる訳にはいかないと思ったのか、飛び込んできたワイアートがすかさず叩き割り、それをミカが器用に連携して水路に投げ込んでくれた。



「まぁ。ワイアートさん、ミカさん、有難うございます」

「ワイアートとミカなんて…………」

「あらあら。ディノだって、さっきは私を穴あきバタークッキーから守ってくれたではないですか」



少しだけ荒ぶる魔物に微笑みかけながら、ネアは、竜用のクッキーが出てきた路地を覗き込んだ。

クッキー祭りの日は、あちこちから領民達の鬨の声が聞こえてくるのだが、不思議と、この周辺だけ静まり返っている。

だからこそ、先程のクッキーの接近に気付けなかったのだ。


近くに大きな戦場があるのかもしれないが、この静けさがなぜか、不穏な事のように思えた。



(でも、負傷者がいたり、物陰にクッキーが潜んでいる様子はないから、大丈夫かしら…………?)


不自然さは感じるものの、目立った異変がなければと考えたネアだったが、また少し進んだ先で、近隣の静けさの理由を知る事になる。




「……………おい!手間取り過ぎだぞ。到着がどれだけ遅れたと思っているんだ!」

「ほわ。……大型クッキーを殲滅したアルテアさんです……………」



先程の路地を越えた先には、水路沿いに小さな公園がある。


そこで、地面に倒れ伏してじたばたともがく大きなクッキー達を踏みつけ待っていたのは、すっかりクッキーの粉でくしゃくしゃになった選択の魔物だ。


周囲には人もおらず、同行していたほこりの姿もない。

ここでどんな死闘が繰り広げられたのだろうと慄いていると、光の入らない暗い目をした選択の魔物は、やっと来たなと呟き、手近なクッキーから水路に投げ込み始めた。



「ピャ!!」

「ぎゃお!」

「わおーん!!」

「がう!」

「パオーン!!」

「クルックルー!」

「にゃーん!」


大量のクッキーの投入に、水路からは歓喜の声が上がる。

その声を聞いたアルテアは心なしか青ざめているようであったが、黙々と、地面に倒れ伏していた大量のくまさんクッキーを水路に入れる作業を進めていた。


「…………沢山の大きなクッキーがあるように見えますが、よく見れば全てデコレーションが違うだけの、くまさんクッキーです。という事は、アルテアさんは、お一人でこのくまさんの群れと戦ったのですか?」

「おい、その目をやめろ。……………こいつ等がどれだけ狡猾な殲滅作戦を敷いたのか、知らないだろうが」

「なぬ。知能犯的くまさん…………」

「おや。このクッキーは、何かの儀式で使われたようだね………」

「この区画の古い井戸にある、精霊の障りを鎮める為に奉納されたようだな。…………まさか、井戸の底から戻って来るとは思わなかったんだろうよ」

「まぁ。という事は、精霊さんはクッキーはいらなかったのですねぇ………」



儀式で使われたものは、その儀式の魔術に染まって階位を上げる事がある。

今回、大量のくまさんクッキーを奉納した儀式では、中階位以上の精霊を鎮める為のものだったので、鎮めの品とされたクッキーも、かなり階位を上げてしまったらしい。



「儀式で使われる食品類は、形式上だけの消費ということもあるからな。鎮めの儀式で井戸を塞いでしまい、その後の確認が出来ていなかったのかもしれない。本来は、障りを鎮めた後に確認し、役目を終えた後には不用なものであれば、片付けておく方がいいのだが、井戸を開けない状態だったのかもしれない」


そう教えてくれたのはミカで、じたばたと暴れるくまさんクッキーを、こちらも水路に投げ込んでくれている。

残念ながらくまさんクッキーの階位が高く、ネアは伴侶な魔物の腕に持ち上げられたままだ。



「むぐぅ。この程度のものであれば、私だって水路に搬入出来るのですよ?」

「うん。でも、儀式で使ったものだから、念の為に触れないでおこうか」

「………む。こうしてただ見ていると、アルテアさんが沢山のくまさんクッキーを抱えている姿は、何だか微笑ましいものにも見えますね」

「…………やめろ」

「そして、くまさんクッキーの始末を優先している内に、頭の上には檸檬クッキーが載っているようです」

「……………は?」


頭の上に、リボン型の檸檬クッキーの乗車を許していたアルテアは、ぎょっとしたように片手を伸ばして潜んでいたクッキーを掴み取ると、その形状に目を瞠ったまま固まった。


ネアは、ちびふわであればけばけばになっているところだなと思いながら、こちらにもどこかから飛んできた、檸檬クッキーを掴み取ると水路に投げ込む。



「ふむ。このクッキーは、夏季限定でお子さん用に販売されたのですが、苺味ばかりが売れてしまい、檸檬味が残っていると聞いた事があります。なお、苺味はうさぎさん型でした」

「檸檬味だと、売れ残ってしまうのかな。……君が、一度買ってきたものだろう?」」

「ええ。爽やかな檸檬の風味があって美味しかったですよね。………でも、箱が上品な黄色で檸檬味でしたので、お子さん向けにはしては、少し少し大人っぽい組み合わせだったのでしょうね」



ぎゃおおおと凄まじい雄叫びが聞こえてきたので顔を上げると、遠くで、ずしんと地響きを立てて立ち上がる巨大クッキーが見えた。

奇しくも今年はうさぎさん型で、愛くるしい姿で周囲に集まった愚かな人間達を薙ぎ倒そうとしているようだ。


だが、すぐにぎゃーという叫び声が聞こえてきたので、ここからでは見えないものの、足元でほこりがお食事に入ったと思われる。


アルテアは、大きな被害を出していたくまさんクッキーを滅ぼすべく、ほこりをゼノーシュ達に託してきたらしい。



(良かった。ほこりも元気そうだわ…………)



「祟りクッキーが現れたという事は、そろそろ終わりかな」

「はい。今年も、沢山の敵が現れましたが、ディノが怪我などをしなくて良かったです」

「ネアが、……………可愛い」

「先程の街の騎士さん達が、無事にオーブンの妖精さんを捕まえられているといいのですが。……………む、こちらも終わったようですね」



水路へのくまさんクッキーの搬入が終わったようなので、ネアは、そろそろクッキー祭りも終わるようだと、水路の中に向かって声をかけておいた。

少し残念そうな声が返ってきたが、最後の大量投入があったので水路の中はまだ楽しくお食事中のようだ。



「とは言え、まだエーダリア様達の姿を見ていませんので、もう暫く、この水路沿いに進んでみましょうか」

「そうだね。……………アルテア、君はここに残るかい?」

「あいつの回収があるからな。………ったく。今年は働き詰めだぞ」

「お祭りの後で、リーエンベルクの騎士棟前でシュプリや軽食の配布があるので、アルテアさんも来ますか?」


選択の魔物がお疲れの様子であったのでそう声をかけると、こちらを見たアルテアは、思案するように赤紫色の瞳を細める。

髪色を黒に擬態はしているが、はっとする程に美しい魔物の筈なのに、クッキーの粉にまみれている様子が、どことなく親しみが持てる姿だ。



「…………あれを送り帰した後に、気が向けばだな」

「ふふ。お待ちしていますね。さて、我々はもう少し頑張りましょうか」

「………向こうから来るのは、ウィームの領主では?」


ネア達が前進しようとしたところで、ミカが何かに気付いて声を上げてくれた。

はっとして前方に目を凝らすと、なにやら白い人影がある。


「……………粉をはたいたように真っ白ですが、エーダリア様達なのです?」

「粉砂糖のクッキーかな……………」

「ほわ…………」



どうやら、エーダリア達は、粉砂糖のクッキーとの交戦があったようだ。


よれよれで歩く家族の周囲には、鋭い目で周囲を窺うバンルとスープ屋のおかみさんがいてくれたので、粉砂糖のクッキーとの闘いで弱ったウィーム領主を、そちらの会の人達がしっかり護衛してくれていたらしい。



「……………もう終わりだよね。僕さ、…………生まれて初めてこんなに粉砂糖とクッキーの残骸まみれになったし、固有領域を確立したクッキーと戦ったんだけど………?!」

「あの手のクッキーは、今後の販売時に、期限を切らした場合の廃棄方法などを明記させるべきでしょうね……………」

「………ああ。来年は、戦わずに済めばいいのだが」


すっかりくしゃくしゃの粉砂糖まみれのエーダリア達を見て、ミカとワイアートは顔を見合わせている。

ああなるところだったのかと安堵の表情で囁き合っているので、ネアもオーブンの妖精に感謝しておこうぞときりりと頷いた。


なお、アルテアは、塩の魔物までが真っ白にされてめそめそしている姿に呆然としていたので、実際にあのクッキーに遭遇していなければ、その脅威は想像し難いのだろう。


ネアは、そんな使い魔に対峙したのがくまさんクッキーであった事がどれだけ幸運だったのかを語ってきかせるつもりであったが、無事にクッキー祭りが終わってから上がってきた被害報告で、くまさんクッキーによって三人の犠牲者が出ていたことを知り驚いた。



今年のクッキー祭りの死亡者は、十九名であった。

行方不明者十三名に、負傷者は数えきれない程いるのだろう。


オーブンの妖精は無事に確保されたが、数々のクッキー達と戦った事で何かが発散出来たのか、酷く穏やかな顔で聴取に応じているらしい。


粉砂糖のクッキーが危険な程に階位を上げていたことから、オーブンの妖精がいなければもっと被害が出ていたかもしれないと判明し、刑罰の軽減をするかどうかの議論も出ているそうだ。




ネアは、帰りがけに水路を覗いてみたが、そこにはもうなにもいなかった。


祝福の煌めきが落ちる水はとても澄んでいて、戦いを共にした仲間達がどこに帰っていったのかは、ディノでも分からない事であるらしい。











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