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手紙の結び文と終焉の休息




その日、ネアはとても珍しい知らせを聞いて目を丸くしていた。



「ウィリアムさんのお誕生日が、…………延期になるのですか?」



そう教えてくれたディノは、起き抜けに髪の毛を梳かそうとしてブラシを持ったネアがそのまましょんぼり眉を下げたからか、水紺色の瞳に案じるような色を浮かべ、こちらに歩み寄った。



窓の外は霧雨が降っている。

今日は一日どんよりとしたお天気であるらしい。



「…………うん。夜明け前にウィリアムから連絡が入ったよ。あまりよくない魔術道具が世に出て、土地の運命の道筋が変化してしまったらしい。なるべきではない所が、鳥籠になってしまったようだ」

「…………も、もしかして、スリフェアに一緒に来て貰ったことで、溢れてしまったお仕事があったのでしょうか?」

「いや、異変が起きたのは昨晩で、随分と突然の事だったらしい。…………恐らく、アイザックの仕事の影響だろう」



自分のせいではないと知ると、ネアは少しだけほっとした。

関係なければいいと思うのも身勝手な事だが、やはり、あの夜に一緒に出かけて貰った事で起きたものであれば心が痛む。



今回、問題が起きたのはカルウィよりも南西にある、小さな国なのだとか。

当たり前の事だがまだまだ知らない国が沢山あるのだなと感じ、ネアは見た事もないその国を思った。


小さなその国には、見事なひなげしの丘があって、その丘にある黄昏の結晶石を飾ったお城は花の城と呼ばれる美しさなのだそうだ。


国がなくなるような戦ではないとは言え、鳥籠が必要になる程の内乱はあまり良いものではない。



「ウィリアムさんが、困ったことになっていないといいのですが…………。私が乗り込むとご迷惑をかけるばかりでしょうが、せめて貸し出し希望の道具などがあれば…………」



明日に控えたウィリアム誕生日を楽しみにしていたネアにとって、勿論、この延期は悲しいものだ。

けれども、誕生日はウィリアムを祝う為のものであるのだから、祝われるべきウィリアムが苦境に立たされているというのが、一番避けたい事態である。


手が足りていないのなら、何個でもきりんボールを貸し出すつもりでネアがきりりとすれば、ディノがそれは大丈夫だよと安心させてくれた。



「戦としてはさほど大きなものにはならないと聞いているよ。ウィリアム一人で対処出来る範囲のようだけれど、…………運命が歪むと、鳥籠の中は怨嗟に満ちる。そのような時はね、どれだけ魔術の繋ぎを切っても、祝い事は避けた方がいいんだ」

「………それは、単純に不謹慎だからという事ではないのでしょうか?」



そう尋ねたネアを膝の上に乗せ、ディノは、祝い事を倦厭する理由について教えてくれた。



(こんな風に椅子になって頭を撫でてくれているのは、この魔物が私が悲しんでいると思っているからなのだろう…………)



なのでネアは、その胸に寄りかかり魔物の優しさに甘えおくことにした。

今日は肌寒い日なので、柔らかな温もりにぬくぬくと寄り添う。



「道筋にない運命で命を奪われた者の数が一定数を超えると、通常の手順で亡霊にならない者達が増えるんだ」

「…………まぁ。……………それを聞いただけでも、もう大変そうです…………」

「まだ命数が残っていた筈の死者の多さに、彼らを刈り取る死者の行列の者達が混乱するからだと言われているが、一概にそれが理由ではないから、真偽の程は確かではないね。………ただ、そのような時はいつも、彷徨う死者が増えて土地の穢れが濃くなる。祝い事や名付けの刻印魔術など、その穢れが羨望や怨嗟を向けるような事は慎む方が障りがない。不思議な事だけれど、どれだけ凄惨な戦場よりもこちらの方が災いは濃密になるんだ」



残されていた運命を無残に断ち切られた者達が歪むのは、何となく想像出来る気がした。


あった筈のものが失われる。

その無念さと恐ろしさは、到底言葉に出来るようなものではない。

ましてや人間は、自分のものを一欠片も奪われたくない強欲な生き物なのだ。



もしかしたら、これまでのネアであれば、ここで思い浮かべたのは、あの寒々しい安置室と病院のリノリウムの床だったかもしれない。



(でも、今はもうこの世界での思い出が沢山増えた…………)



だからネアは、ネアのことを見知らぬ誰かとして見返したディノや、物語のあわいで力なく倒れたウィリアムの事を思い出す。

炎の中に消えていったかつてのウィームに暮らした人達や、妖精の国で大切な人達とはぐれた時のことを。



「…………アイザックさんは、何てことをしてくれたのでしょう。ただでさえ、ウィリアムさんはお誕生日を延ばしてくれていたのに…………」



それもまた、ネアの大切な持ち物なのだ。

ウィリアムの誕生日を皆で祝い、時折痛ましくなってしまうような渇いた目で遠くを見る終焉の魔物に、ここに仲間達がいるのだと知らしめたい。


そんな機会を先延ばしにされてしまったのかと思えば、やはり苛立ちや失望を抱きはするものだ。

眉を寄せて小さく悩ましく呟けば、ディノは、少しだけ困ったような目をする。



「アイザックは欲望を司る魔物として、その言動によって、この世界の生き物達の命の流れを良くするような意味もあるんだ。アルテアが好む仕事などにも、その傾向があるかな…………」

「………つまり、今回の事は、ウィリアムさんにとっては残念な事ですが、必要な災いであった可能性もあるのですね?」

「そうだね。…………だから、アイザックを狩るのはやめようか」

「…………むむ。狩りませんよ!感じ方がふわっとしているので明確な言葉で語れませんが、アイザックさんのお仕事や振る舞いで損なわれるものに対しては、あの方はそういう生き物として成立していて、そういう事もあるだろうなという感覚しかありません。アルテアさんが、時々悪さをしたくなる森の獣さんであるのと同じ事で、その魔物さんごとの習性のようなものですから」


ネアがそう言えば、ディノは少しだけほっとしたようだ。



(でも、そう思えば、アイザックさんは得な気質なのかもしれないわ。アクス商会の印象が強いから、魔物さんとして齎した不利益や災厄があったとしても、個人への感情に反映されにくいというか…………)



もしくは、あの掴み所のない雰囲気がそうさせるのかもしれず、ネアは、全てが欲望の魔物なりの戦略だった可能性を考えて、あらためてアイザックの抜かりのなさに感心した。



「ウィリアムは、鳥籠が収束したら少し休息を取りに来るそうだ。ギード達もそちらに駆り出されているから、ウィリアムから話をするらしいよ。グレアムには私から伝えておいたから安心していい。彼も、統括の魔物として関わるのでそちらで、ウィリアムと顔を合わせるかもしれないね」

「では、エーダリア様達に…」

「それについても、ウィリアムから話したそうだよ。私に連絡を入れた際に、こちらの手間を考えて同時にダリル経由で話を通したらしい」

「…………お忙しい時なのに、ご本人に気を遣わせてしまいましたね…………」



ウィリアムからは、アルテアにも延期の旨を伝えておいたと話していたらしく、そのような律儀さも、ウィリアムらしさではあるのだろう。

けれども、そこは任せてくれても良かったのにと、ネアは、そんな連絡をせざるを得なかったウィリアムの心中を思う。



(きっと、自分のお誕生日会の延期をお願いするのは、憂鬱な作業だった筈なのだ…………)



なのでネアは、身支度を終えてエーダリア達との朝食の席で、終焉の魔物の誕生日会は延期続行であると確認をしてしまうと、会食堂に留まっていそいそとカードを取り出し、ウィリアムへのメッセージを書いておく事にした。




“ウィリアムさん。お祝いが出来なくなるような状態になってしまったことを、ディノから聞きました。ウィリアムさんをお祝い攻めにする予定だったお誕生日の延期はとても残念ですが、ウィリアムさんのお仕事を増やした困ったどなたかのせいで、いっそうにウィリアムさんを大事にお祝いしたい欲が募ってしまったようです。これはもう、絶対にお祝いを受け取って貰わなければならないので、困ったことがあったら無理をせずに相談して下さいね”



さらさらとそのメッセージを書きながら、ネアは結びの文をどうするべきか悩んだ。

こちらの世界での手紙の文末にも、定型の言葉などがあったような気がしたのだが、どうも思い出せない。


こんな時だからこそ、大人の女性らしい気遣いを感じられる文末にして、きっと疲弊しきっているであろう終焉の魔物の心に届くメッセージにしたい。



「…………ディノ、この世界でのお手紙の結びの文には、どのようなものがあるのか、知っていますか?」

「…………結びの文、かい?」

「はい。お疲れであろう、今回のウィリアムさんへのメッセージは、品良く気遣いの言葉を伝えられるような綺麗さで締めたいのです……」

「…………手紙の、結び文…………」



首を傾げて少しだけ考えた魔物は、今迄に見たことのあるものでと、美しい言葉を幾つか教えてくれた。

その中でも響きの気に入ったものを、ネアはウィリアムへのカードに書いてみる。



“夜の祝福と黎明の歌の祝福がありますように”



そう結んで、誇らしげにそのカードを掲げると、ディノもこくりと頷いてくれた。


これは、夜も昼もどうか健やかでいて欲しいというような親しさも感じさせる結び文であるらしく、変に込み入った結び文ではないが響きが柔らかく美しい。



「うむ!」

「ネアが可愛い…………」

「これで私が、繊細で博識な大人の女性であることを示しつつ、ウィリアムさんへのメッセージを送れました。…………む?」



ふっと、視界が翳った。


おやっと思って振り返って見上げると、こちらを覗き込むようにして背後に立った一人の魔物がいる。

リーエンベルクにまたしても泊まってしまったらしく、珍しくラフな白いシャツ姿で、昨日は春色のちびふわになってくまさんボールを打ち落す大活躍を見せた選択の魔物だ。




「アルテアさん…………?」

「…………何だそれは」

「むむ?ウィリアムさんへの、激励のメッセージですよ?さては覗き見ですね!」

「その結び文は何だ…………」



妙に静かなその問い掛けに、ネアはこてんと首を傾げてディノと顔を見合わせる。

こちらを見る赤紫色の瞳は、冷ややかで鋭い。



「ディノに、素敵な結び文を教えて貰ったのです。酷い戦場で心がかさかさになってしまうウィリアムさんに、少しでも優雅な気分を味わって貰えるよう…………むぐ?!」



ここで、突然べしりと頭を叩かれネアは呆然とした。



「何をするのだ。さては、ちびふわ刑の最中に甘く煮た桃とジェラートのおやつを分け与えなかった事を根に持っているのですね?それならば、また今度ちびふわにした時には、たっぷりお菓子を食べさせた後、酔っ払いちびふわを愛でて差し上げますね」

「やめろ」

「むぐる!なぜに頭の上に手を乗せるのだ。これ以上、か弱い乙女の首に負荷をかけたら許しませんよ!」

「お前は、その結び文が、常用でどう使われているのかを知っているのか?」

「…………ディノからは、親しいお相手への気遣い溢れる結び文だと聞いていますよ?」

「そのままの意味で使われていたのは、三百年ほど前までだ。今は、伴侶にしたい相手への恋文でしか使わないぞ」

「なぬ……………」

「え…………………」



聞けば、ネアが送った結び文は、近年になって、夜も朝もあなたの隣でという意味合いを持つようになってしまったらしく、アルテアは覗き見たネアのカードからその文章に目敏く気付き指摘したらしい。

衝撃の事実が明かされたネアは絶句したが、うっかりそのような結び文を勧めてしまったディノも、アルテアの言葉にくしゃりとなってしまった。


ディノは、それ以降もこの結び文の手紙を貰った事があるようなので、恐らくそれは、伝わらなかっただけで恋文だった可能性が高い。


幸い、本来の意味はディノが教えてくれた通りであるそうなので、完全に間違いかと言えばそうではない。

なのでディノは、本来の意味のまま理解していても特に支障がなかったのだろう。



(………とは言え、ウィリアムさんなら使い方を誤ってしまった事を察してくれそう。もしかすると、ディノと同じ認識かもしれないし……………)



愕然とはしたものの、ネアよりショックを受けているディノや、渋面でこちらを見ているアルテアの姿を見ていると、大雑把な人間は早々に送ってしまったものは仕方ないと潔く諦める気分になる。

書いてしまった結び文が間違った文章という訳ではなく、あくまでも近年になって使い方が変化したものであることも大きい。


ここで、やはり先ほどの結び文は誤りであったと重ねて送るのも、忙しくしている人に対しては煩わしいことだろう。



「ふむ。送ってしまったものは仕方がありませんね」

「…………………ネア」

「あらあら、しょんぼりですが、ウィリアムさんもディノと近いお歳ですし、近年の意味をご存知ないかもしれないですよ?ですので、ここは知らなかった体で押し通しましょう。訂正文を送ったりしてわしゃわしゃすると、戦場にいるウィリアムさんにご迷惑をかけてしまいますから」

「おい、ふざけるな。さっさと撤回しろ。あいつの執念深さを知らないのか」

「なぬ。なぜにそんな荒ぶるのだ。言葉の魔術としては、本来の意味のものしかないのではありませんか?」

「だとしてもだ」

「解せぬ……………」




翌日、誕生日会はまだ出来ないものの、その為に空けてあった日を使ってリーエンベルクを訪れたウィリアムは、ネアが後から送らされた訂正文の件で謝ると、にっこり笑って迷惑ではなかったと言ってくれた。

一瞬、近年の用法の意味で受け取ってしまい驚いたそうだが、決して不快ではなかったと言われ、ネアは、言われてみれば確かに恋の甘さはないにせよ、昼も夜もとお泊り会をするくらいに仲良しの魔物であったのだと安堵した次第である。




運命の歪んでしまった小さな国を悲劇に転ばせたのは、とある一本の槍だったのだそうだ。

その槍が老齢の王に代わって新しい王を決めるだけだった筈の王家に戴冠式に血生臭い混乱を齎し、血族たちが血で血を洗う継承争いに身を投じた為に、美しいヒナゲシの丘は凄惨な戦場になった。


その戦場に現れた死者の王は、見た者が語り継ぐ程に凄艶な微笑みを浮かべていたそうだ。

満足気な微笑みと一片の躊躇いもない制圧の残忍さに、哀れな小国の運命を変えたのはそんな死者の王の気紛れであったのだと言われ、終焉の魔物への畏怖はいっそうのものになった。


ただ、今回はウィリアムが精力的に動いたこともあり、彷徨う死者は殆ど現れず、結果としてその国に残された穢れや触りは、通常の戦乱と同じくらいの最低限のもので済んだらしい。


災厄を齎したと言われる死者の王こそが、その土地のこれからを助けたことを人々は知らない。
















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