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海辺の昼食と味消しシュプリ




「海です!」


誇らしげにそう宣言したネアに三つ編みを持たせ、ディノがきりりと頷いた。


ざざんと砂浜に打ち寄せる穏やかな波はえもいわれぬようなエメラルドグリーンで、ネアはその美しさと透明さに唇を持ち上げる。



「うーん、眩しいなぁ。徹夜明けの目に染みるね」

「ノアベルト、…………無理をさせてすまない」

「ありゃ。そんな顔しないでよ。因果の周回が崩れると嫌だからって、みんなを無理矢理海遊びに連れ出したのは、僕なんだからさ」

「とは言え、随分な無理をしたのは間違いないのですから、今日は飲み過ぎないように」

「え、………僕、ここでシュプリ飲むのだけを楽しみに頑張ったのに………?」



そんなやり取りを背後に、ネアは、砂浜でびょいんと弾んでいた。


すっかり諦めかけていた海遊びが実現し、背後のテーブルには美味しそうなスパイシーチキンの焼ける、じゅうじゅうぱちぱちという音がする。

香ばしく美味しい香りには美味しい予感があって、勿論、ウィーム中央でとっておきのお店の氷菓子だって買ってきてあるのだ。



(だから今日は、限られた時間をたっぷりと楽しもう)



振り返って微笑めば、こちらを見たノアが青紫色の瞳をきらきらさせて笑うのは、こんな風に家族に喜んで欲しかったからでもあるのだろう。

何よりも、家族が家族であることを喜んでいる魔物なのだ。



「なので、今日は半刻の上限時間いっぱいに楽しんでしまいますね」

「うん。ノアベルトも、喜ぶのではないかな」

「ウィリアムさんも来られたら良かったのですが、お土産を持って帰りましょうね」

「……………うん」



アルビクロムの国境域に面し、どこか遠くからやって来た奇妙なものを受け入れた異国の王都では、どのような駆け引きや攻防戦があったのだろうか。


ぽっかり穴が空いてがらんどうになってしまったという異国の大聖堂周辺には、真っ白なケープを翻した死者の王が、使者の行列を率いて現れたのだそうだ。


四日間の油断のならない情勢の後に、国の中に災いを引き入れていた小さな国は、王族の末席にいた一人の賢明な青年を新たな国王にするという約定の下で、今は、ヴェルクレア国の支援を受けている。


ヴェルクレアの支援を受けるまでにどのようなやり取りがあり、少なくはない弔いの鐘を鳴らしたアルビクロムがどのような犠牲を払ったのかは、またこれから詳細が上がるのだろう。


だが、ネアが心配しているのは、そんな出来事の後で、今日の海遊びには来られず、未だに元気な姿を見ていないウィリアムのことだ。


幸いにも、同じ現場にいたというアルテアは今日の海遊びに参加しているし、様子を見に行ったディノからも大丈夫だとは言われているが、それでもやはり、この手で無事を確かめるまではと不安に揺れる思いがある。



ディノも、アルテアも、ノアも、誰一人として何の問題もないとは言わなかった。

ただ、大丈夫だと返されるその状態が、どうか少しでも優しいものであればいいのだが。



「まずは、泳ぎの練習をします?」

「その上着は、脱いでしまうのだね………」

「ええ。ディノが新しく買ってくれた水着なので、張り切って脱ぎますね」

「たくさん出てる…………」

「ふむ。水着なのでこのようなものなのですよ。…………む。アルテアさんがこちらを見て顔を顰めていますが、あまりにも見事に着こなしているので、感心しているのでしょう」

「そうなのかな………」


本日のネアが着ているのは、ダリルがくれたカタログからネアが選び、お支払いはディノという方式で手に入れた最新の水着である。


なぜか今年は沢山水着を貰ったのだが、春先にプール遊び用の水着をシシィに頼んでくれたディノのものよりも後から贈られたものばかりであったので、伴侶な魔物は、夏用の水着を準備していなかったとしょぼくれてしまった。


ネアとしてみれば、水着は一年に一着でも充分であるので、春先に用意して貰ったもので構わないのだが、ディノがあまりにもしょんぼりしていたので、こうして海遊び用の水着を強請ってみたのだ。


その結果、本年の新作水着が五着になってしまうという謎の大渋滞だが、賢い乙女は、時としてその面倒を受け止める覚悟で伴侶の思いを汲むのである。


かくしてこの、淡いラベンダー色のヴェルリア風の最新水着が本日お目見えしたのだった。



(ウィリアムさんとノアの水着もこちらの系統だったけど、ヴェルリアには、大人の女性らしいすっきりとしたデザインの水着があっていいな)



ウィーム風の水着となると、ふりふりのミニスカートのような腰回りを隠すデザインになるのだが、もはや新婚さんでもなくなったネアとしては、無駄を削ぎ落とした形の水着で大人の女性としての魅力を訴えてみたいこともある。


そんな主張をぶつけたこちらの水着だが、色合いはディノのリボンを意識してみせるなど、各所に伴侶への心遣いも現れている。



「上は、首の後ろでリボン結びにする形ですので、ちょっぴりディノのリボンみたいでしょう?」

「ネアが虐待する…………」

「ささっと泳ぎの練習もして海遊び感を出しますので、儚くなっている時間はありませんよ!」

「虐待…………」


へなへなになっている伴侶の三つ編みを引っ張り、ネアは、波打ち際に向かった。

ほんの少しだけ、海水に触れる直前に躊躇ってしまったが、こうして海遊びに来られるようにと、ノアが、徹夜で魔術洗浄や排他結界での準備してくれたのだ。


であればもう、楽しんでこそではないか。



「……………大丈夫だよ。ノアベルトの排他結界と、私が重ねてかけている結界もある。海から、厄介なものがやって来る事はないからね」


ふっと背後から抱き締められ、ディノがそう言ってくれた。

こんな時ばかりはすぐに気付いてくれる伴侶を見上げ、ネアはこくりと頷く。


「私の伴侶と義兄がいれば、怖い事など何もありませんね。少しだけですが、海に一緒に入ってくれますか?」

「…………ずるい」

「むぅ。またしても弱るのはなぜなのだ………」




波打ち際から海に入ると、波の満ち引きに合わせて足裏から砂が持ち去られる。

その動きと僅かに温かな砂の温度が楽しくて、ネアは裸足で立っていた。


遠浅の海の色の変化や、美しく透明な水に浸かっている不思議な高揚感。

さすがにここではと手を繋いで立ってくれる魔物にとっては、この手繋ぎは泳ぎの練習用の措置なので問題はないらしい。



ほんの少しだけ。



こちらへの滞在時間が半刻ほどしかないと思えば、海の中にいられる時間はあまりない。

勿論、砂浜での収穫は殆どないのだが、そもそも今日は使用区画をノアが事前に調べ上げているので、何か特別なものがこっそり隠れているということもないのだった。



(それでもここで過ごせるのは、ほんの少しだけなのだけれど………)


けれども、この僅かな時間が、たっぷりと心を満たしてくれる。




「こうして海結晶も拾えるのですね」

「拾えてしまうのだね………」

「ふふ。淡い色合いだと階位は下がると聞いていますが、綺麗な色合いのものですので、ウィリアムさんへのお土産にしましょうか」

「うん。喜ぶのではないかな」

「来年は、またみんなで来られるといいですね」

「そうだね。……ほら、向こうの海をご覧。この島の外側では、雨が降っているようだよ」

「まぁ。………どこか不思議で、幻想的です。………むむ、エーダリア様が」



ここで、外海で雨が降っていることに気付いたエーダリアが慌てて走ってきたのは、魔術の境界に雨が降る事で見られる波紋や虹などを観測する為のようだ。

鳶色の目を輝かせておおっとなっているので、ネアは何だかにこにこしてしまった。



「………こうして海の中に立つだけでも、いつもの暮らしでは触れることのない魔術に触れ、その煌めきや道筋を感じられるのだな………」

「はっとするような色合いがざざんと揺れていて、とても綺麗ですよね。ノアのお陰で、こんなにも素敵な時間を贅沢に楽しめてしまいます」

「ああ。………ウィーム程に美しい場所はないと思うのだが、それでも、この景色は美しい………」



いつのものようにわいわいやるのではなく、ただ海の中に立っている事で、その美しさを感じ取りやすくなったものか、エーダリアはそう呟き、しばらく海の向こうを見ていた。


銀糸の髪は耳上の編み込みがあり、水着姿でいるとしっかりと男性らしい筋肉もついていることがわかるので、いつもとは少し印象が変わる。



静かな波音と、背後からの家族の話し声。

ただじっと海の中に佇んでその穏やかさを楽しんでいるエーダリアの側で、ネアは伴侶との泳ぎの練習を済ませ、二人で波に揺られてみたりと海感を堪能した。



「むむ、スパイシーチキンが焼けたようです?」

「ああ、そろそろだと話していたからな。戻るとするか……」

「ええ。ディノ、上着はまだ着なくていいのですからね?」

「沢山出てる………」

「あらあら、これが最新の流行なのですよ?」

「ヴェルリアなんて………」



なぜか少しだけ荒ぶる魔物を羽織りがちになりながらパラソルの下にある昼食会上に戻ると、酷く暗い目をした使い魔がいた。


海で泳げずにスパイシーチキンを焼いていたからかなと思えば、どうやら違う理由であるらしい。



「………おい。何だその水着は」

「ディノに買って貰った、今年のヴェルリアの流行の形なのです。勿論、見事に着こなしてしまうので、褒めてくれても良いのですからね!」

「………いいか、今日は絶対に弾むなよ。足踏みもなしだ」

「ぐるる………」

「おや、よく似合っておいでですよ」

「うんうん。寝不足だけど、今日のネアを見てると、幸せな気持ちになるよね」

「可愛いけれど、……沢山出てる」



とは言え、食事時には上着を羽織るのがいいだろう。

焼きたてあつあつのスパイシーチキンの脂が跳ねても嫌なので、ネアは大人しく上着を羽織った。



「むが!お尻側の裾を引き下ろそうとすると、首がぎゅっとなるのでやめるのだ!」


しかし、ネアが上着を羽織ると、すかさず裾を引っ張る悪い伴侶の魔物がいる。


「もう少し隠してもいいのではないかな………」

「おい、前もしっかり閉めておけ」

「海遊びは、開放感を楽しんでこそなのですよ?アルテアさんとて、………むむ?意外にしっかりしまってあります。……これは、海辺でお酒と美味しいものだけを堪能しに来たが日光には当たりたくないお父さんスタイルでした」

「おい、その妙な設定をやめろ………」



よく見れば、アルテアは水着ではないようだ。

麻地のシャツは白い糸も混ぜ込んで織り上げているので柔らかな印象になるが、鮮やかな赤紫色のシャツを着ているので、てっきり水着だと思っていた。


だが、シンプルな麻の白いパンツに、同色の革のサンダル姿である。



(…………ふむ)



ネアはそんな姿のアルテアをすっと目を細めて観察すると、心の中で一つの結論を出した。



「そして、スパイシーチキンが焼けています!」

「お前の分はこちら側だ。食いすぎるなよ」

「衣をつけて揚げた海老に沢山のお野菜と、こちらは蛸揚げです!」

「………おい。弾むなと言わなかったか?」

「あら。私は、この時間をたっぷり楽しむと誓ったのですよ?」

「うんうん。お兄ちゃんは、ありのままで楽しめばいいと思うよ。………ありゃ、シルはまた裾を引っ張っちゃうかぁ………」

「もう少し下げてもいいのではないかな……」

「むが?!」



ネアは、伴侶の魔物の手で、何度か背面の裾を引き下ろされながらも、焼き立てのじゅわっと美味しいスパイシーチキンを頬張った。


表面がかりりとし、じゅわっと美味しい脂の溢れる焼き立てのスパイシーチキンは、毎年恒例の海遊びの日の美味しさで、第三席な選択の魔物のオリジナルレシピだ。


きりりと冷えたシュプリでそんなチキンをいただき、他にも準備されていた料理を頬張る。



「今日は時間制限があるからな、品数は少な目だぞ」

「このチキンだけで、充分に幸せです。それなのに、蛸揚げや海老揚げまであるなんて!」

「ったく……………。その足踏みもやめろ」


そう言いながらも、アルテアはネアのお皿に焼き立てのチキンを置いてくれる。



「すぱいし!」

「ネアが可愛い…………」

「………飲み物は、ネイと同じシュプリで構いませんか?香草茶などもありますが」

「……………そうだな、香草茶でいい」

「僕はやっぱりシュプリかな。後で眠たくなっても、戻った後でごろごろ出来るしね」

「ぷは!………デザートには、美味しい氷菓子があるのですよ。杏と苺の二種類ですが、朝一番でゼノと一緒に並んで、すぐに売り切れてしまう人気店のものを買えたので、楽しみにしていて下さいね」

「やれやれだな………」



今年はチキンを焼いているアルテアの作業を、それとなくヒルドが手伝っているようだ。


ネアは、そんな様子を見守りながら小さな銀色のスプーンの準備をし、そろりとディノの方を窺う。

こちらを見たディノは少し困ったような微笑みを浮かべたが、頷いてくれた。



なので、狡猾な人間が行動に出たのは、食後の氷菓子の時間であった。

それ迄の時間では、スプーンを使うような料理がなかったので、頑固な使い魔に逃げられてしまうのを警戒していたのである。



「アルテアさん、こちらもどうぞ」

「……………情緒はどうしたんだ」

「むぅ。スパイシーチキンを沢山焼いてくれたので、お疲れ様のお裾分けなのですよ」


怪訝そうな顔をしてはみせるものの、スプーンで味の違う氷菓子を差し出すと大人しく食べてくれる、よく懐いた魔物である。

なのでネアは、すかさず二口目で、もはや何倍だったかなという傷薬をえいっと飲ませてしまった。



「……………っ?!」

「わーお。アルテアが動かなくなったぞ……………」

「ご主人様の前で、負傷を隠せると思ったら大間違いなのですよ。そして、出来れば、チキンを焼くという労働の前に申請して欲しかったです………」



げふげふしているアルテアを、ディノとエーダリアが心配そうに覗き込んでいる。


だが、椅子の背もたれを倒してのんびりと寛いでいるノアが、シュプリグラスを取り上げながら、これで治ったみたいだねと微笑んでくれた。



「ディノ、必要であればウィリアムさんのところにも出張するので、案内して下さいね」

「うん。……………飲ませてしまうのかな」

「怪我など、これでぽい出来るのであれば、そうするべきなのです。……………あぐ!……むふぅ。苺の甘酸っぱさとお口の中ですぐに溶けてしまうふわふわ氷が、素晴らしい美味しさでふ」

「……………くそ、……………治癒魔術の類の全てを弾いた負傷が、何でそれで治るんだよ……………」

「うむ。ご主人様が偉大なのと、標準仕様の千倍から、億倍くらいにした謎倍率の傷薬のお陰でしょうか」

「倍率がおかしいだろうが……………。ノアベルト、シュプリを寄越せ」

「え、結構いい銘柄だから、傷薬の味を消す為だけに飲んで欲しくないなぁ……………」



わいわいしながらも、今年の海遊びは、何事もなく無事に終わるようだ。



やっと落ち着いて食事を済ませられたアルテアが二杯目のシュプリを飲み終えた頃、すっと立ち上がったノアが時計を確認すると、どこからともなくぼうっと光る硝子細工のような魔術書を取り出した。



塩の魔物が開いてあったその頁をぱたんと閉じると、先程まで賑やかだった砂浜には、もはや誰もいないのであった。









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