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避暑地の秘密と美味しいお祝い 3



それは、真夜中の事であった。

ネアはぱちりと目が覚め、寝台の上で起き上がった。

窓のカーテンは開けてあったが、いつもとは違う位置に窓がある事に気付いて目を瞬くと、ああ、今日は指輪の中のお城に泊まっているのだったと思い出す。



星の明るい夜であった。



晩餐ではたっぷりシュプリをいただき、みんなで楽しくお喋りしたような気がする。

記憶がない訳ではないのだが、目を覚ましたばかりでぼんやりとした思考のまま、ネアは、大事な家族の笑顔や、シャツを脱いでしまったノアに顔を顰めているアルテアの姿などを切れ切れに思い出した。


隣では、大事な魔物がすやすやと眠っている。

出会った頃のように縮こまらずに隣で眠るようになった魔物に微笑みかけ、ネアは、そう言えばどうして目が覚めたのだろうかと考えた。



(……………誰かに、……………呼ばれたような気がしたのだわ)



普段の家とは違う避暑地のお城の中で、真夜中にネアを呼ぶのは誰だろう。

どこか秘密めいた不思議な展開だが、そもそも、ネアを呼んだ何者かは、こちらの人間が健やかな眠りを邪魔する者は万死に値すると考えている事を知っているのだろうか。


そしてネアには、これまでに一人ぼっちの時間で読み貯めてきた、様々な物語の知見があった。


夜がどんなに美しく魅力的に思えても、こんな場面で一人で部屋を出ると大抵が後悔する羽目になるのだ。

ごくごく稀に、秘密を守った子供にだけ特別な冒険が待っていたりもするが、こちらにおわす狩りの女王は、夜は冒険をせずともいいのでふかふかの寝台で心地よく眠りたいのである。



「……………むぅ」


しかし、何か必要なものが欠けていたり、どこかで正さないものがあった場合はどうだろう。

予兆や前兆としての響きや、啓示や託宣のようなものであったらという危うさもある。


そこでネアは、隣ですやすや眠っている魔物を起こそうとし、あまりにも心地よく眠っている魔物にそれを躊躇ってしまった。


そしてこんな時、多頭飼いの乙女には使い魔なるものがいるのである。

ネアは首飾りの金庫からカードを取り出し、まずはアルテアのものを開いてみると、真夜中の探索のお伺いを立てた。


とてつもなく真夜中もいいところだが、パジャマに着替えて寝台に入っていなければ、応答してくれるだろう。



“……………部屋から出るな。寝台からも下りるなよ。すぐにそちらに行く”


はたして、返事はすぐにきた。


ここは、仕事のものらしき革のトランクを持ち込んだアルテアは起きているに違いないと踏んだ己の推理力に惚れ惚れとしながら、今は寝台の上で大人しく待っていよう。


部屋の中は変わりないかを聞かれ、ひとまず、窓の外の星が明るいとだけ伝えれば、わかったという短い返事が返ってきた。



(ディノと離れるのは嫌だから、ムグリスになって貰おうかな)


だが、何かが起こっているのであれば、大事な伴侶を無防備な姿にしてしまうのも怖いかもしれない。

そう考えたネアは、就寝時は解いているディノの長い髪の毛をそっとどかして伴侶に近付き、寝台に投げ出された手をぎゅっと掴んでおく。


如何なる時も離れないようの備えであるので、敢えてぴったりと体を寄せておいた。



こつこつ。


その直後、部屋の扉が鳴って、ネアは無言で寝台の上で垂直飛びをしてしまう。

びゃんとなった乙女のせいで寝台が大きく揺れ、真珠色の睫毛がばさりと揺れる。



「……………ネア?」

「ほわ、ディノを起こしてしまいました。……………それと、ノックがしたのです」

「ノック?」

「ええ。今、アルテアさんがこちらの部屋に向かってくれている筈なのですが、……………あの方は、ノックなどするでしょうか?」


そんな説明を聞きながら、ディノが体を起こす様は、どこか優美な獣のような静かさであった。

眠たげな眼差しが魔物らしい鋭さを帯びると、水紺色の瞳は暗闇でも光を孕むような酷薄さである。



「扉の向こう側のものは、アルテアではないようだね。………午後に出会ったもののような感覚はあるかい?」

「……………いえ。あの時の優しい感じとは、どこか違うような気がします。扉が閉じているので何とも言えませんが、……………とても無機質な感じでしょうか」

「では、開けずにいようか。君が感じ取ったものであれば、君に働きかけるものだろう。……………大丈夫。私がいるから安心していい」

「ふぁぎゅ。……………アルテアさんは、」


大丈夫だろうかと続けようとして、ネアは、ふわりと揺れた空気にその魔物の香りを感じた。

はっとしてそちら振り返ると、寝台と窓の間の暗闇がふわりと揺れ、寛いだ白いシャツ姿の選択の魔物が現れる。


転移でこちらに来たのだと思えば、リーエンベルクとは違い、このお城は転移の規制が緩いのだろう。

アルテアはすぐに、寝台の方にやって来るとネアの頭の上にぼさりと片手を載せた。



「アルテア、……………何か起きていると思うかい?」

「いや。特に変わりはないようだが、敢えて窓の外から来たからな。呼び声が窓の外なら、星の光が明るいなどと悠長な感想は言えない筈だ」

「む。だから先程、部屋の中の様子を私に訊いたのですね」

「ああ。…………で、扉の向こうに何かがあるのか?」

「ここから続き間を挟んで少し離れているけれど、廊下沿いの扉を誰かがノックしたようだ。………私にも何も感じられないから、種族的な知覚に触れるものなのかもしれないね」

「ノアベルトは?」

「ノアベルトは随分と酔っていたようだから、ウィリアムに頼んだよ。彼は、屋内から動いてみるようだ」

「もしかして、エーダリア様のお部屋ですか?」

「うん。人間だけに感じ取れるものだと、そちらにも変化が現れているかもしれないからね」



ネアは、すぐにそこまでを考えてくれるディノの頼もしさにこくりと頷き、青白く明るい星の光の中で、目を覚ますに至ったものが何だったのかを思い出そうとした。


(起き上がってすぐに、星の光で部屋が明るいなと感じて、でも、窓の外を見ることを怖いとは思わなかった。…………何か、不穏さというよりは違和感や奇妙なずれがあるような感じで、…………でも、あの夜の書庫に居た人に繋がった時のような温度とはまるで違う)



では、何が起きているのだろう。

そう考えているとまた、こつこつと扉を叩く音がする。


すっと眉を寄せたアルテアが頷き、寝室を出て行こうとするので、ネアは思わずその袖の端を掴んでしまった。



「……………問題ない。寝室の扉を閉め、こちらとは切り離して対応するだけだ。…………確かに、何かいるな。だが、悪意や障りが出るようなものではなさそうだ」

「きりんさんを持っていきます?」

「いらん」


ネアは安全の為に言ったのだが、アルテアは顔を顰めるとそのまま部屋を出ていってしまった。


寝室から居間に繋がる扉を開け、ぱたんと閉じる。

扉という区切りは、境界の最たるものだ。

こうして向こう側との区切りをつけておけば、部屋の扉を開けても何かを招き入れる事はないだろう。



(でも、もし扉を開けたアルテアさんに何かがあったら…………)


「ああ、ようございました。こちらにおられましたね」

「ぎゃ!!」



聞き覚えのない声が突然届いたのは、その直後であった。


思わず悲鳴を上げたネアだけでなく、ネアを抱きかかえるようにしてくれていたディノも驚いたのか、水紺色の瞳を瞠っている。



「おや、……………ご伴侶の方とお見受けします。お一人でないのなら、我々が気遣う必要もなかったような気がしますが、王が、もう一人の娘が怖い思いをするといけないからと言うもので」



そこに立っていたのは、貴族らしい装いの銀髪の男性であった。


ふさふさとした長い銀髪を一本に結び、どこかエーダリアの瞳を思わせるオリーブ色の瞳をしていて、整った面立ちは僅かに神経質そうにも見える。


手帳と思われるものを開き片手にペンを持っていて、どこか事務的な目でこちらを見ていた。

白い服に星明かりが落ち、美しい水色に見える。



「……………君は、この城に勤めるものかい?」

「ええ。…………恐らく、あなた方にとってもそう伝えて問題はないでしょう。そちらがいつで、どの部屋の扉を開いたのかは検証が必要でしょうが、ここでは、私は王に使える者として働いております」

「では、君の王はウィーム王なのだね」

「………ふむ。それをご存知となれば、縁者には違いないということでしょうかね。…………さて、今夜のご訪問は、これから夜明けまでの間に、あわいの鴉達が引っ越しを始めるようですので、そのお知らせに参りました」



静かな声は、擬態もしていないディノを見ても揺らぎもしない。


どこか飄々としていて、少しだけ疲弊している様子のその男性は、お城の伝達事項を伝える為に来たという風にしか見えなかった。



「こちらの城には、いるだろうか」

「いないのであれば、それで結構なのですがね。……………王は、恐らくはどんな形であれ、あの子は娘なのかもしれないとこちらのご令嬢を案じておりましたので、名簿に加えさせていただきました。鴉などおらず、異変に脅かされずに眠れるのであれば、それもまた幸いでしょう」

「……………もしかして、その王様は、黒い巻髪に灰色の瞳をしている方ですか?」



ネアがそう尋ねると、銀髪の男性はふっと目を細めて微笑んだ。

途端に柔らかくなる表情は、どこか、ヒルドに似ていなくもない。


「ええ。やはり、あなたで間違いないようだ。漂流物が近くなると、対岸のさざめきがあわいを揺らすのでしょう。鴉達が乱暴に引っ越しを始めますからね。とは言え、あの方に出会ったのであれば、あなたはもう漂流物に損なわれる事はないでしょうが」

「…………え、」

「さて、用件は伝え終えましたので、私は出ていきましょう。扉を開けてくれた従者に、今夜は家族の訪れでもない限りは部屋の扉を開けない方がいいと伝えておくといいと思いますよ」

「その、待って下さい……………ほわ、いない?!」



どこか遠くで、ぱたんと扉の閉まる音が聞こえた。


そこにはもう銀髪の男性はおらず、先程と変わらない星の光が青白く部屋を照らしている。

ネアは目を瞬き、ディノを見上げると、ディノもゆっくりと頷いた。


そして、二人で首を傾げてしまう。



「……………廊下には、何もいないようだな。………なんだ?」



すぐに戻ってきたのはアルテアで、その返答はやはり、想像した通りのものであった。


「こんなに素敵な魔物さんなのに、従者さんだと勘違いされてしまったのですね……………」

「どの時代にも、白という色の階位の認識はあった筈だけれど、………向こう側とこちら側で、見え方が違うのかもしれないね」

「……………おい。まさかとは思うが、何か来たんじゃないだろうな?」



廊下を確認し、どうやら先程の男性とは会わずに戻ってきたらしいアルテアは、ネア達のやり取りから何かを感じ取ったのか、怪訝そうにしている。


なので、ネアがまずは起こったことを説明し、ディノが魔物としての目線での捕捉をしてくれることになった。


「……………収まりの悪い銀髪に、オリーブ色の瞳。初期のセッター家の一族の特徴だな」

「私もそう感じたけれど、あの人間は見た事がないようだ。ただ、君を見ても、私を見ても特に目立った反応を示していないのなら、互いに見えているものが違う可能性もある」


ディノがそう言えば、アルテアは顎先に指を当て、考え込むような表情になる。

もう寝台から下りても問題はなさそうだという事だが、ネアは、ディノから離れないようにと持ち上げられていた。


「どちらにせよ、ここはウィーム王家所縁の土地だ。土地の記憶を汲み上げ、必要な形を備えて現れたものだという可能性もあるが、……………場合によっては、時間軸どころか、世界層ごと違う可能性もあるぞ」

「だとすれば、こちらとあちらを行き来し、道を間違えた者がいるのかもしれないね」

「………むむむ?」

「ああ、ごめん。分かり難い話だったね」


ぎりぎりと眉を寄せたネアに、ディノが、違う世界層にもウィーム王家が存在しているという可能性は、本来ならない筈なのだと教えてくれた。


「過去や、あわいや影絵ではないのです?」

「その可能性もあるのだけれど、規則性に少し疑念があるんだ。どちらの可能性にせよ、断定は出来ないけれどね」



そこがもし、影絵やあわいであるのなら、よく似た別の空間である事は、決して珍しくない。

規則性が多少乱れても、そちらの特性で済む可能性はあった。

だが、部屋を訪ねてきたあの銀髪の男性は、漂流物の訪れがあるという言葉を口にしており、それが問題であるらしい。



「そのような巡行があるのは、主となる世界だけだとされている。なので、今の私達の持っている材料で判断すると、どこか別の世界層にウィーム王家の者達が迷い込み、そこでこちらと変わらずに暮らしていた可能性があるというくらいだろうか。……………単純に、我々の色相を認識出来なかっただけという可能性もあるけれど、彼は、白い服を着ていただろう?」


そう言われたネアは、先程の男性の装いの特異さに、今更ながらに気が付いた。


「……………は!……………そうです。真っ白な装いでした。こちらの世界では、あまりない事ですよね」

「うん。……………けれども、彼等がどこにいる者達なのかの答えを得るのは、もう難しいかもしれないね。このような交差は、滅多にある事ではないだろうから。…………今回は、向こう側で君を認識した者が、…………恐らく、何の事情も知らない部下に君に、君への伝言を命じた。時として、説明のない命令は、認識の魔術の理によって離れた空間を繋ぐこともある。……随分と高度な魔術の扱いだけれど、前例がない訳でもない」



(…………それは、私を探している人が、このお城の中に私がいる筈だという前提でいることによって、あちら側とこちら側が繋がるという事なのだろうか)



「そんな事が出来るのですか…………?」

「禁術中の禁術だ。……俺の階位でも、やろうとしても出来るものじゃない。数千回に一度、可能かどうかという確率だが、……………恐らくは、俺達よりも世界そのものに属さない人間の方が、扱いやすいのかもしれないな」



顔を顰めたアルテアがそう言い、片手を振った。

器用なこの魔物ですらその成功率なら、数千回に一度のその先は、もは未知のものに近いのかもしれない。



「盲目の魔術と呼ばれるものの一種だね。信じて疑わずに橋を渡ると、その橋が在るはずのないどこかに繋がる事がある。様々な系譜の魔術を取り込んだ、魔術の奇跡や、反対に、魔術の禁忌とされる成果だ。………私やアルテア、グレアムにグラフィーツ、物によっては、ブレメやかつてのクライメルの系譜にも可能だが、私達自身が橋をかけることは出来ない。………出来るのは、そこに橋がないと知らない者だけだからね」

「ほわ……………。ぼんやりと、どういう事があったのかと、それがどのようなものかもしれないのかは理解出来るのですが、その説明の部分が少しも呑み込めません………」



ネアが素直にそう言えば、ディノが微笑んで頷いてくれた。



「それで、いいのだと思うよ。……………このような事は、滅多にはないのだろう。君が出会った誰かが、その時に扉を閉めるようにと言ったのであれば、その人物は状況を正しく理解していて、君にとってのあちらとこちらの繋がりは、既に絶たれている筈だ。けれどもその人間は、扉を閉じた後で、君にもあわいの鴉の動きを注意するべきだと考え、盲目の魔術を部下にかけたのだろう」

「そう言えば、あの方は王様だったのですよね………」



ここでネアは、扉の向こうの景色を思い出し、気付いてしまった。



(………このお城も立派なものだけれど、……………あんなに天井の高く、どこまでも見上げるような書架が置けるような部屋は、どこにもないわ…………)


慌ててそのことを伝えると、ディノ達は最初から気付いていたようだ。



「うん。君や私達にとっては、ここはエーダリアの持つ指輪の中の城なのだろう。彼等にとっては、また別のどこかなのかもしれないね」

「それでも、繋がってしまうものなのですね………」

「いや、何の取っ掛かりもないということはあり得ない。この城がそれを許したのなら、お前が見たのは、違う世界層のこの場所にある城や王宮なのかもしれないし、同じ職人が作った扉が向こう側に持ち込まれているのかもしれない」

「或いは、その扉の素材となる木材が同じなのかもしれないし、たまたま、全く同じ扉が向こうでもこちらでも作られているのかもしれないね。………それとも、君がその人間に感じた何かこそが、交差した点なのかもしれないよ」



その言葉を聞き、ネアは少しだけ呆然とした。

よく噛み砕けなかったというのものあるし、まさかそこを指摘されるとは思わなかったという事もある。



「私の父に似ているということが、……… …でしょうか?」

「その人間は、君を自分の娘と間違えたのだろう?」

「ええ。…………すぐに気付いたようですが、最初は、お嬢さんと私を間違えて声をかけたようでした」

「うん。だとすると、その人間が待っていた子供と、君が思う父親がそれぞれに近しく、双方の思いが重なった事で、偶然結ばれたものがあったのかもしれない」

「………そしてそれを、このお城は必要だと思ったのでしょうか」

「数多くの扉や窓を有する建物の一部には、我々が本来であれば見聞きしない層の情報や交差に触れるものがある。このような場所にあるのだから、この城もそうだろう。先程訪れた者は、ウィーム王家の紋章の入った名簿を持っていた。どちらにせよ、彼はウィームに属する者なのだろう」



だがそれは、ネア達の知るウィームでは、ないのかもしれない。

白を当たり前のように身に纏い、白を持つ魔物達を恐れなかった不思議な訪問者だ。


(あの人は、…………先程の書庫で会った人が、私のことを案じていたと話していた)



あの男性が、こちらもまた自分の娘なのかもしれないと感じたのは、そんな風にどこかと重なり合う不思議さを理解し、例えば、こちらの世界での自分の娘に相当するような人間なのかもしれないと考えたのだろうか。



(だとすれば、あの人は………あの世界の中の、父だったのだろうか)



そんな事を考えると頭が上手く働かなくなる複雑さだが、幾重にも重なる世界層や、複雑に混ざり合う領域については、夏至祭にも履修済みである。

となるとこれは、そんな不思議もあるのかもしれないと、ただそう思うだけでいいのかもしれない。



「彼は、君が王に会ったのであれば、漂流物への心配はないと話していた。………となると、出会っただけで条件を満たすのかはさて置き、その人物は、先程の層の中でも迷い子のような履歴なのかもしれないね」

「………まぁ。そんな方が王様になられていたのであれば、何だか不思議で素敵ですね」

「うん。……………今回のものは私にも、不思議だった」

「そう言えば、……………あわいの鴉さんのお引越しは、こちらでもあるのでしょうか?」

「言葉は魔術の指標にもなる。……………念の為に備えておいた方がいいだろうな。シルハーン、ノアベルトを叩き起こせ。ウィリアム達とも共有しておいた方がいいだろう」

「そうだね。今夜は同じ部屋に居た方がいいだろう。………夜明けまでは、二刻半といったところかな」

「ぐるる。睡眠時間…………」

「ギモーブを食べるかい?」

「おい、妙な時間に与えるな」




かくして、エーダリア達にも連絡が取られ、そちらにも先程の男性が訪れていた事が判明した。

だが、エーダリア達の部屋への訪問は、特定の人物を訪ねてというものではなく、こちらにも人がいるようなのでという親切心によるものだったらしい。


全員でひとまずはネア達の部屋に集まることになり、なかなか起きなかったノアは、ヒルドが抱えて運んできてくれた。


そして、ネア達の出会った人物については、思わぬところから情報が入る事になる。



「まぁ。ウィーム王家に伝わる、昔の王様なのですか?」

「ああ。私にそれを教えてくれたのは、ディートリンデとバンルだった」



エーダリアによれば、ウィーム王家には、古くから言い伝えられる二人の王様がいるらしい。

黒い巻き毛に水色がかった灰色の瞳を持つ男性と、淡い砂色がかった銀髪に鳶色の瞳を持つ王様なのだそうだ。


「そのどちらも、ある日扉を開けたらそこにいたり、廊下ですれ違うのだそうだ。お前のように会話迄した例は稀なのかもしれないが、それぞれにウィームの王であることと、一人には、セッター家の血筋だと思われる宰相が、もう一人には栗色の髪の女性の補佐官がいることが記録に残っている」



多くの場合、その二人の王は何某かの助言を与えてくれることが多い。


これから嵐が来るよというような簡単な忠告もあったりするので、必ずしも、特別に重大な予兆を司る訳ではないのだが、どこかや何かがウィーム王家と重なり続けているのだと言われてきたそうだ。



「おや。そんなに昔から観測されているものなのだね。そうなると、繋がりはウィーム王家そのものか、ウィーム王家の直轄地なのかな」

「もしくは、リーエンベルクやこの城に、王族相当の指定を受けた者が対象なのかもね。どうやら建物外では目撃されてないみたいだし。…………ふぁ。………僕が気付かなかったってことは、悪いものじゃないのは間違いないかな」

「……………となると私はやはり、狩りの女王としての立場を、揺るぎないものにしたからでしょうか」

「以前から何度か議論している区分がここでも適応されるんだろうが、お前の場合はシルハーンの伴侶としての魔術的な位置づけがある。その上でリーエンベルクの住人だと認識されるだけでも、その区分として認識される可能性が高いだろうな」

「むむむ…………」



夜明けが近付き、夜はぐっと暗くなっていた。

不思議なことに、こちらの世界でも夜明け前が一番暗いのだ。


生まれ育った場所とすら相似性があるこの場所なのだから、きっと、あの優しい灰色の瞳の王様がいたどこかとも、何かが似ているのだろう。



(ディノ達は魔術的な規則や理を見ているけれど、………私は、そんな風に考えてしまうのだわ)



ネアからしてみれば、生まれ育った世界からこちらに来ているぐらいなのだ。


おまけにこちらでも、物語のあわいや影絵どころか、湯気の立つスープ皿がどこまでも並ぶあわいの駅すら見ているのだから、どんな事でも在り得るという覚悟は既にある。



「でも、僕の妹の家族に似ていたっていうなら、僕も見ておきたかったなぁ」

「お前はまず、何かを羽織れ。……………ウィリアムもだ」

「わーお。僕はシーツを巻いているけど」

「アルテア、俺は少なくとも服は着ていますよ。ノアベルトと一緒にしないで下さい」

「むぐ。ウィリアムさんは上半身がはだかで、ノアはシーツしか着ていません……………」

「昼寝をしたせいで目が冴えていたから、丁度、入浴していたところだったんだ」



苦笑してそう教えてくれたウィリアムは、髪の毛の水気も払わずにエーダリア達に合流してくれたらしい。

いきなりそんな終焉の魔物が部屋に飛び込んできたエーダリアはかなり驚いたようだが、部屋が近く道中で起こされたヒルドも含め、立場上、このような真夜中の有事には慣れている。


ふわりと、どこからともなく取り出したシャツを羽織っているウィリアムを見ながら、ネアは、シーツの魔物のままでいるらしい義兄に、書庫で出会った人物の話をしていた。


するとなぜか、ノアが首を傾げるではないか。



「……………ありゃ。ネアの父親って、黒髪に灰色の瞳だったよね」

「はい。……………む?」

「それなのに、その男とは配色が違うって思ったんだ」

「むむむ…………?」



話し終えると、ノアがそんな疑問を呈し、ネアは驚いて目を瞬いてしまった。



(……………そう言えば、……………そうだわ)




よく考えずとも、記憶の中の父と同じ配色ではないか。


父は、祖国ではやや珍しい配色だったのでよく覚えているし、本来なら、こんな風に間違える筈のない情報である。

それなのに色相が違うと認識したのだと気付いてしまい、ネアはぞっとした。


腕の中の伴侶が表情を強張らせたことに気付いたのか、ディノがそっと頭を撫でてくれる。

くしゅんとして見上げると、ディノは、安心させるように微笑んでくれた。



「色が違うと感じたのは、間違っていないのだと思うよ。あちら側の者達が白に反応を示さないように、こちらとは色相の認識が違うのだろう。同じはずのものが違うと感じるのは、それが、君の知らないものだと感じたからだ」

「そう、……………なのですか?」



優しい声に少しだけ強張りを解き、ネアは、首を傾げる。



「うん。色覚には魔術認識が過分に含まれている。それはきっと、君が生まれ育った世界とは違う部分なのだろう。君が、どれだけ擬態をしてもアルテアを見付けてしまうのも、色や気配を無意識に識別しているのではないかな。……………そこは恐らく、私達とは異なる感覚が残っているようだ」

「ではあの方は、………とても父に似ていて、けれども決して父ではない方だったと、そう私は認識したのでしょうか?」

「そうなのではないかな。もしかすると、こちらでは黒髪に見えていても、それはあくまでもこちらでの観測の結果に過ぎないという事かもしれない」

「自分の知らないものを、そのように知覚することは妖精にもありますよ。我々には悍ましい姿に見えていても、本来の場所では美しいものもあるそうです。そのような差異は、ディノ様の言うように、観測する側の規格に合わせて変質しているものなのでしょう」



微笑んでそう教えてくれたのはヒルドで、こちらの種族は、ある意味この世界の中で最も境界の向こう側に近いと言ってもいい。

ここではないどこかとはまた違う、この世界層の中にある様々なあわいに近いのが妖精達の国なのだ。



(……………そう言えば、ずっと昔に)



ネアはふと、幼い頃に父から聞いた怖いおとぎ話を思い出した。


それは、旅を終えた旅人が橋を渡って家に帰ると、自分が住んでいた町が、微妙に変わっているというものだ。

そしてそこでは、居た筈の兄弟がいなくなっていたり、ある筈の時計塔がなかったりもするらしい。



(だから、間違った家に帰る羽目にならないように、霧の日に橋を渡る際には、注意をするようにという話だった)



怖い物語だったので今でも覚えているのだが、そんな話をなぜか思い出した。



(こことは色相の違う、………よく似たものがあるどこか…………)




「長い間、………その二人の王の話は、王家に関わる者達だけの間で秘されてきたという。それがなぜなのかは分からないが、王家に属する者以外には明かさない方がいいと、いつからか言われてきたそうだ」

「魔術洗浄や、境界の敷き直しが行われるからだろうな。事情を知らずに遭遇すれば、少なくとも俺はそうするだろう」

「私も、この子が向こう側のものを好ましいと感じなければ、そうしただろう。………そのような重なりは残さない方がいいのだけれど、……こちらで長く観測されているものであれば、残しておこうかな」

「王家の中にいたグレアムが知らないとは思えませんね。恐らくは彼も、問題ないと判断したんでしょう」

「うん。私もそう考えていたところだ。グレアムとオフェトリウスは、何かを知っているかもしれないね」



そんな話をしていると、突然、ばさばさという忙しない羽ばたきが聞こえてきた。


はっとして周囲を見回すと、窓の向こうで何か黒いものが無数に揺らめき、鳥が飛び立つようにして空に羽ばたいてゆく。

窓の外が暗くてよく見えないが、そうして現れたのは、確かに鴉のようなものなのかもしれない。



「これが、あわいの鴉なのだろうか……………」

「わーお。こっちにもいたんだ。こりゃ、何だか知らずに寝ていたら驚くかもね」

「うむ。ただのお引越しだと聞いていれば、大騒ぎでも気になりませんね。……………とは言え、引っ越し先は、この指輪の中のどこなのでしょうか?」

「少し離れた森などかもしれないね。漂流物が近くなると、土地のあわいとこのような意図的に魔術の整えられた建物とでは、接触面が複雑に変化する。あわいの隙間に暮らしているもの達には、それを好ましく思わないもの達もいるのだろう」



(そうか。……………あちら側で伝達が行われていたということは、あの人達もこれから漂流物を迎えるところなのわ…………)




ふと、そんなことを考える。


重なって、けれども重ならない違う層だけれど、どこかがよく似ていて。

そんな不思議な感慨で胸の中を賑やかにしながら飛び立つ鴉達を見ていると、いつの間にか空が白んできた。



やがて最後の鴉が飛び立ち、朝日が昇る。

その頃になると、眠そうな目をしていたノアがくあっと欠伸をし、さて、そろそろ自分の部屋に帰るかなという雰囲気になった。



「……………朝食の時間をずらし、昼食と一緒にしますか」

「ああ。俺は、そうさせて貰うと有難い」

「何か食うなら作ってやるが、……………その様子だと大丈夫だな」

「……………ふぁい。朝食でお昼の時間まで、眠るのですよ……………」

「僕もそうするよ。まぁ、夜更かしも休日の楽しみだけどね」

「お前はずっと寝てただろうが」

「ありゃ。だからこそ、鴉の引っ越しが終わるまでは頑張ったんだよ。……………でも、もう限界かな!」

「では、そろそろ各自の部屋に戻るか。……ヒルド?」

「念の為、私はそちらの部屋にある寝台を使いましょう。ネイは、起きなさそうですからね」

「うん。僕は暫くぐっすりだと思うよ。今回は何て言うか、……………良くないものじゃなかったしね」



そう考えると、鴉の引っ越しが終わるまで見届ける必要もなかったのだと気付いてしまい、室内には何とも言えない沈黙が落ちた。


爽やかな朝の空気と眩しい朝日をどこか恨めしい思いで眺め、よれよれと一人、また一人と立ち上がる。



それでもアルテアとヒルドは、朝だけの収穫の何かを済ませてから休んだようだが、変な時間に起きる羽目になってしまったネア達は、お昼までぐっすりと眠ってしまい、明るい光の中でもう一度集まる頃には、夜明け前の出来事はどこか遠い夢のようにも思えたのだった。








区切りが悪く二話分重ねてしまいましたので、明日8/26、明後日8/27の更新は、お休みとなります。

明日はこちらでのSS更新が出来るかもしれませんので、Twitterにて当日のお知らせをご確認下さい。

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