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野外演奏会と水色の鈴蘭 1




その日、ウィームでは野外演奏会の日を迎えていた。



この野外演奏会は、夏の資質の低いウィームが夏の系譜の者達をもてなすために行われるもので、人外者のお客はチケット代わりに花を持ち寄り、参加した楽団員はその花を持ち帰る事が出来るという素敵な運用である。


名の知れた音楽家であれば、必ず自宅にあるという水色の花を求めて、国内外を問わず、ウィームの野外演奏会への出演を望む楽団は多い。

時には国外の小さな楽団なども招かれるので、著名な指揮者や演奏家目当てで集まるお客にも人気の演奏会なのだ。



「でも今年は、急遽、楽団が変更になったのですよね」

「そのようだね。些細な事だからと隠してしまう事も多いような理由だけれど、障りの可能性があるなのら持ち込まれずに済んで良かったのだろう」



野外演奏会の会場に入ったネア達は、チケットを買って購入した席に向かいながら、そんな話をしていた。



周囲にはこの日の為に選んだドレス姿のご婦人や、本日の曲目について議論を交わす紳士達がいる。

ザルツから来た音楽家のご一団だなと思われる者達や、王都から来たと思われる装いの者達もちらほらといるが、加えて目に入るのは人外者の観客だ。


木漏れ日の中でひっそり席に着き、心地良さそうに羽を光らせている妖精や、目を輝かせて葡萄パイを食べている竜などは、身に持つ色彩から夏の系譜の者達だと知れる。

そんな彼等こそが、本日の演奏会の大事なお客でもあった。



「そのような問題を軽視せず、丁寧に対処出来る楽団だと、ヒルドさんが褒めていました。小さな楽団だったそうですが、枠が空いている再来年以降の調整に優先的に入れるそうです」

「魔術をよく知る者達であれば、音楽の扱いも上手いだろう。君も聴いてみるといい」

「はい!ふふ、もうそんな先の楽しみが出来てしまいましたね」

「…………可愛い」



本日のウィーム野外演奏会に招かれていた楽団は現在、側陸地に足止めになっている。


土地によって漂着に差のある漂流物だが、先日、早くも最初のものがその周辺で確認されてしまったようで、結果、側陸地の演奏会に招かれていた楽団がウィームに向かえなくなってしまったのだ。


楽団員の誰かに障りが出ておらずとも、土地にいるだけで付与される僅かな障りというのはあるらしい。

その影響を軽んじる事なく今回の判断をした楽団には、それだけ判断が出来る者がいるのだろう。


音楽の庭には、理由は分からずともそのような判断に長けている者が現れる事がある。

そして、もしそのような者がいた場合は、類稀なる音楽の才を得ている筈なのだとか。



(……………でも、もう漂流物が現れた土地があるのだわ)



ヴェルクレア近郊ではまだ大きな影響は出ていないが、アルビクロム領に面する小国では、前漂着と呼ばれる異質なものが現れたと聞き、ネアは、不穏な気配に少しだけ緊張を高めている。


とは言え、障りの近くにいても気付かずにやり過ごせる者達も多いので、今回の楽団員たちのように、たまたま漂流物の現れた街に滞在していたので障りの影響が抜けるまでは滞在を延長するという判断は、実は稀な事なのだとか。



ヴェルクレアへの到来は、どこかで誰かが調整をかけ、少しばかり後ろに倒れているようだ。

ここではないどこかから流れ着く得体の知れない者という感じであったが、そのように時期をずらすような事も可能なのだと驚くばかりであった。



だが、今日は野外演奏会なのだ。



ウィームの土地としての守りが弱くなるからか、夏になると少し厄介な事件が起こる事が多く、なかなかゆっくりと参加できない催しに、ネアは、ついつい弾むような足取りになる。

唇の端を持ち上げてプログラムを広げると、隣を歩くディノの方に向けた。


「今年の曲目は、少し変わったものが多いようです。初めて聴く曲ばかりですので、どれも全部楽しみなのですが、ディノの知っている曲はありますか?」

「一通りは知っているよ。君は、二曲目と五曲目が好きなのではないかな」

「むむ!最初の方と最後の方ですので、満遍なく楽しめるいい位置だと言わざるを得ません」


ネアが広げ持っているパンフレットの曲名を指差してくれた魔物は、いきなりぎゅっと体を寄せたご主人様のせいで少しだけへなへなになり、水紺色の瞳を瞠って目元を染めている。


それでも、二曲目は夏の夜明けの雨を題材にした曲であることと、五曲目は夏の夜の宴の為に書き下ろされた曲であることを教えてくれた。


「歌い手がつくのは三曲目だね。教会音楽に似ているように感じるかもしれないけれど、これはランシーンの辺りに古くから伝わる音楽なんだ。妖精の音楽を再現したと言われている」

「まぁ。…………あちらの音楽なのですね?」


ルドヴィーク達の暮らしぶりの印象が強いからか、バイオリンやチェロで演奏されるような音楽があちらでも好まれる事に驚いてしまったが、こちらの世界の人間の文化の多くは、元々は人外者のものだ。

その文化を残した者が持ち込んだのが、たまたま、オーケストラ音楽であったのかもしれない。


尤も、こちらの音楽には儀式の中で育まれたものも多くあるので、嗜好から伝えられたものではなく、儀式上必要な道具や手段として、離れた土地に同一の文化が根付くこともあるそうだ。


そして今年の野外演奏会では、そのような儀式的な意味を持つ曲が多く選ばれているらしい。


どちらかと言えば、不思議で荘厳な響きを帯びる儀式音楽が好きなネアは、滅多にオーケストラの演奏では聞けないような曲目に期待を高めていた。



はらりと、木の枝から花びらが落ちる。


視線を持ち上げると、木の枝の上を水色の薔薇を咥えて歩いている小さな竜がいた。

会場に下りて行こうとしているので、あの花はチケット代わりなのだろう。


輝くような眼差しからどれだけ演奏を楽しみにしているのかが伝わってきて、ネアは微笑みを深めた。

その喜びが豊かな祝福になって花に宿り、持ち帰る楽団員達のこの先の幸運を照らすのだろう。

なんて素敵な循環だろうかと思えば、見ているだけでも胸が弾むようではないか。


そして、そのまま視線を戻しかけ、少し離れた位置にいる家族に目を止める。



「今年のエーダリア様達は、最後まで忙しそうでしたね」

「季節の魔術に添うものだ。そちら側の調整を仕損じたくないのだろう。ノアベルトの得意なものだから、大丈夫だと思うよ」

「ふふ。そんなノアは、今日も騎士さんになって、エーダリア様とヒルドさんにぴったりです!」



この夏に行われる野外演奏会は、リーエンベルクも主催側に入る。


席に着きながら見ていると、今朝まで最終調整に追われていたエーダリア達の表情は、開催への期待よりも安堵の色が強いような気がした。


淡いオパールグリーンのような色合いの盛装姿のエーダリアに対し、深い青緑色の装いのヒルドと、紫の色味の入る水色のケープに白い縁取りのリーエンベルクの騎士服のノアが寄り添うと、何とも絵になる光景である。


ネアは、あそこにいるのは自分の家族であるぞとどこか誇らしい思いになり、そんな視線に気付いたノアがふわりと微笑みかけてくれたので、ネアは家族用の微笑みを返しておいた。




(………今年の色は、普段のウィームの祝祭や儀式では、あまり見かけない色のような気がする………)



会場には、野外演奏会と言えばの水色の花がそこかしこにふんだんに飾られているのは勿論のこと、観客席に置かれた椅子の端には、ふくよかな赤紫色のリボン飾りが下げられている。


その鮮やかな色合いとの対比が美しい水色の花々は、以前の開催で人外者のお客に好評だったということで、敢えて花器を統一せずに生けられていた。

様々な花器に溢れんばかりの花々が飾られ、ネアは、同じ色の中にこんなにも沢山の花があるのだと、うっとりと周囲を見回す。


咲きほころぶ花々からはそれぞれの花の芳香も届くが、演奏を妨げるようなきつさではない。

しゃわしゃわと枝葉を揺らす微かな風が、丁度良くリーエンベルク前広場の空気を循環させているのだろう。


その風の心地よさに頬を緩めていると、またどこかでしゃわんと、祝福の煌めきが落ちる音がした。



「…………綺麗ですねぇ」

「うん。……弾んでしまうのだね」

「ふふ。こんなにゆったり演奏会に参加出来るのですから、今日はのんびり楽しみましょうね」

「葡萄パイは、どちらの店のものも食べるのだよね?」

「はい!それぞれに違う美味しさなので、野外音楽祭の楽しみとして、余さずいただきますね!」

「…………避暑地でも食事量を落とすつもりがないのなら、腰は残しておけよ」


すかさずそんな注意をしたのは、やっと仕事のやり取りを終えたらしく、手帳をしまっているアルテアだ。


本日は淡い水灰色のジレに白いシャツ姿で、髪色はくすんだ灰色という初めましての色になっている。

だが、こうして会場の中に立てばあまりにもしっくりきてしまうので、もしかすると、洒落者な選択の魔物は、会場との色合わせをしてきたのかもしれない。


「む、………むぐ。海遊びもあるので、少しばかりの配慮は忘れないつもりです。では、三個ずついただくつもりだったのですが、二個ずつにしておきます?」

「そもそもの前提からおかしいだろうが…………」


おやつの分量に敏感な使い魔は呆れ顔だったが、ネアは、どうやらお目当ての音楽家がいるらしく、今年は野外演奏会にも参加している選択の魔物に、このような場合は、余さず楽しむのが正義なのだと優しく微笑みかけてやった。


漂流物の来訪を控えているこの時期、こうして一緒に音楽を楽しめる一日があるのはいいことだ。

音楽に造詣の深いウィリアムも来られたら良かったのだが、残念ながら、終焉の魔物はアルビクロム領の国境域に面する小国の問題の対処に当たっているらしい。


とは言え今回はまだ事前調査段階なので、実作業を行う際にはアルテアも同行するのだとか。



その仕事がなかなかに大がかりなものになる様子なので、ネアは、特製のきりんセットを用意してあった。

ここではないどこかから来る者達には作用しない可能性もあるが、そちらの場合に備え、この世界に来てからあまりの不思議さに心を不安定にした生き物シリーズも小さな絵札にしてある抜かりのなさである。


(あとは激辛香辛料油の武器と、アレクシスさんに貰った障りの解毒用スープと、ジッタさんの回復パンを渡しておけば大丈夫かしら……………)


そんな己の準備の良さにふんすと胸を張っていると、アルテアが怪訝そうな顔でこちらを見るではないか。

しかし、今はまだ、その備えについては秘密なのだ。


魔物達は、きりんに纏わる品々を持つことも不得手であるらしく、渡そうとすると逃げてしまう傾向があるので、出かける前に強引に持たせてしまう作戦である。



(出掛けていく大切な人達には、必ず、元気に帰ってきて貰わねばならないのだから)



そう考えたときに、どこか遠くで両親を喪った日の雨音が聞こえたような気がして、ネアは小さく身震いした。


これは、時折感じる不可思議な予兆ではなく、あの日からこんなに遠くまできてもなお完全に消える事はない、在りし日の悲しい記憶の音色である。



(でも、あの日の事を忘れないからこそ、私は、もう二度と何も失わないように備えが出来るのだわ)



大事な大事な人達なのだ。

この賑やかさや穏やかさがずっと続くよう、丁寧に大事にしていこう。


何しろネアは、手のひらの中が空っぽになる恐ろしさをよく知っているし、運命というのはいつだって優しいばかりのものではないどころか、たいそう不平等なものである。


だからネアは、こうして得られた新しい暮らしが、あの過去と地続きであることに感謝していた。

悲しい過去を忘れて真っさらになったり、全てを削ぎ落して生まれ変わって幸せになる方法もあるだろう。

だが、あの教訓を置いてきてしまえば、また同じ失敗をしたかもしれなかった。



「……………ネア?」

「ふふ。ずっと昔の事を思い出して、家族はしっかり守らねばと思いました」

「君が、守ってしまうのかい?」

「ええ。私の宝物を脅かすやつめがいたら、すかさず滅ぼしますよ!」

「……………ネアが可愛い」

「いや、何で毎回お前が滅ぼす前提なんだよ……」

「まぁ。それは、……儚いものが多いからでしょうか?」



きらきらとした木漏れ日が、石畳の地面に落ちている。


木々に吊るしたボール状の花飾りは、座席のリボン飾りと同じ綺麗な赤紫色の薔薇で作られていて、その鮮やかな色合いが、瑞々しい青緑色の木々の枝葉に何ともよく映えていた。


ネアはふと、その色合わせの既視感に首を傾げ、使っている寝具の色合わせに似ているのだと気付いた。

初めてこの世界に来た頃から自室で愛用している寝具のセットに、こんな色合いを使った花枝柄のものがあるのだが、数ある中でもお気に入りのセットなので毎年少し長めに使っている。



「ディノ。この花飾りの木々を見ていると、少しだけ、二人のお気に入りの寝具のセットの色合わせに似ていると思いませんか?」

「白は入っていないけれど、青緑と赤紫の組み合わせが、あの花枝模様の差し色に似ているのかな」

「はい!…………む?使い魔さんは、なぜこちらをじっと見るのでしょう?」

「足りない色相があるのに似ていると感じるのは、あの布地の絵柄や配色に収めた意味と、今回の会場の装飾は魔術の構築の仕方が似ているんだろう。あの布を買い付けた際にも、その要素を満たすようにと調整をかけ、花の色の変更をさせたからな」

「……………ディノ、どうやらアルテアさんは、仕入先の方のようですよ」

「アルテアが……………」



水紺色の瞳を瞠り、ディノが少しだけ途方に暮れてしまったその時、楽団員達が現れた。

いよいよ、野外演奏会の開始である。







暫くお休みをいただいておりましたが、本日、明日とリハビリのお話を更新させていただきます。


なお、「薬の魔物の解雇理由」発売日の8/20には、発売記念として、ネアハーレイの短編を上げさせていただく予定です。

SSなども予定しておりますので、宜しければTwitterをご覧下さい。



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