髪紐と星空
「ウィリアムさんは、何をしているのですか?」
嵐が過ぎ去った翌々日のことである。
ネアは、ひと仕事を終えてテントに戻ったウィリアムを訪ねていた。
今日は嵐の爪痕の残るウィーム中央の見回りの仕事をしてきたのだが、その際にアレクシスのスープ屋の近くを通ったところ、スープの魔術師に出会い美味しいスープを貰ったのだ。
外周の輪が傷付くと良くないと言われ、家族や仲間用のお持ち帰りスープも貰ってしまったので、砂漠の中にあるテントにスープのお届けに来たのである。
「……………ほわ。そして、アルテアさんもいました」
「………おい。お前は、こんなに気軽に、こいつのテントに来てるのかよ」
「気軽も何も、ご近所に私とディノのテントもあるのですよ?」
「アルテアもこちらにいたのだね…………」
ディノも少し意外そうにしたからだろう。
くすりと笑ったウィリアムが、グレアムの薬湯を飲んだ後の魔術変化などについて、互いに検証がてら話をしていたのだと教えてくれる。
「それと、今日の鳥籠はアルテア由来のものでしたしね…………」
「ほわ…………。どんな鳥籠だったのですか?」
「化粧筆の工房の有名な小さな街で、氏族同士の諍いがあったんだ。片方がもう片方をいやに思い切りよく処分したなと思っていたら、アルテアが介入していたらしい」
「だらだら氏族抗争を続けるよりも、面倒な連中を排除して仕事を続けさせたかったからな」
「その結果、俺の仕事になったんですけれどね………」
そんな話を聞きながら、ネアは、世界の広さを少しだけ思った。
絶え間なくあちこちで大勢の人達が死んでゆき、抗争や戦争や疫病や障りがある。
けれども、ネアの知る限りの世界の大部分はそれでも変わりなく健やかであるし、生活が脅かされるような変化を感じる事もない。
恐らく、戦乱が続きやすい土地というものもあるのだろうが、この世界そのものがどれだけ広く、また、どれだけ多くの見知らぬ人達が暮らしているかということに思えたのだ。
そんな事を考えていたら、しゃりんと音がしてどこからともなく星が落ちてきた。
青く青く染まった夜の砂漠の砂の上に転がると、細やかな星の煌めきがきらきらと散らばる。
そして、ゆっくりと砂の中に溶けていった。
「星が落ちてきました!」
「落ちてしまうのだね。夏の天蓋の時期だからかな」
「なぬ………」
「ああ。今夜の星は、少し性質が弱いんだ。外に出る時には、シルハーンに頭上を覆う排他結界を作ってもらった方がいいだろうな」
「まぁ。星が弱い、という事もあるのですね…………」
「季節性なんだが、大きな変化のある年や気象変化の大きな年によく見られるな。………星の界隈にとっては夜空が暗くなるのでいい事はないんだが、………こうして、星の落ちた砂から魔術を紡ぐと、夜と星の色を写し取った糸が紡げる」
「ほわ!!」
ネアは、こっそり心の中で、ウィリアムに糸が紡げたことに驚いていた。
何となくだが、そのような繊細な作業は、出来たとしてもアルテアくらいのものだろうと思っていたのだ。
(先程の作業、これだったのだわ………!)
しゅるしゅると音を立てて紡がれてゆく糸を、ウィリアムが両手を使って器用に編み上げてゆく。
見ていると、左手に紡いだ糸を絡めて器用に指先で編み込んでゆき、右手では糸紡ぎを行っているようだ。
オーケストラの指揮者にも、ピアノ奏者にも思える不思議で惚れ惚れとするような美しい指先の動きに、ネアはうっとりと見惚れてしまう。
そして、あっという間に、鉛筆より細いくらいの不思議な編み糸の輪が出来上がった。
「……………髪紐のように見えます」
「やっぱり、女性だとすぐに分かるんだな。伸縮性を持たせてあるから伸ばせるぞ」
「髪ごむ!!」
どうやらウィリアムが作っていたのは、細い糸を複雑に編み上げて髪紐に適した紐幅を作り、それを丁寧に輪にしたものであったようだ。
繋ぎ目をどこからともなくアルテアが取り出した小さな鉱石の留め金のようなものでぱちんと留めると、鉱石の飾りのついた可愛い髪ゴムのようなものに仕上がる。
そしてそれを、目を輝かせて見守っていたネアに渡してくれた。
「………むむ?」
「元々、ネアの為に作っていたんだ。アルテアと話している内に星が落ちてくるようになって、水回りで使う事の多い髪留めの類に加工すれば、小さな守護の日用品として使えるなということになってな」
「まぁ!そうだったのですね。………こんなに綺麗なものなので躊躇わずに受け取ってしまいますし、大事に使わせていただきますね」
「ああ。アルテアの髪留めもあると思うが、こんな風に、特定の条件下で使う道具に、その条件下での守護になる魔術を付与しておくと、便利だからな」
「綺麗なだけでなく、とても頼もしい髪紐なのですねぇ。…………ディノ、こんなに素敵なものを貰ってしまいました!また、色々な場面で使えますね」
「うん。良かったね。グラフィーツのものとは、違う使い方が出来るから、組み合わせて使うといいよ」
「はい!」
小さく弾んだネアが、さて、スープをと思って顔を上げると、なぜか、ウィリアムとアルテアがこちらを驚愕の眼差しで見ているではないか。
どうしたのだろうと首を傾げていると、ややあって、アルテアが口を開いた。
「……………グラフィーツからも、髪留めを贈られたのか?」
「むむ。…………先生は、ピアノの練習用にとくれたものなのです。音楽の周りには困ったものや危ういものが潜んでいる事もあるので、練習用に髪を纏める、災いと祝福の魔術を夜の祝福を借りて結晶化させたビーズを使った、ビーズの髪ゴムなのですよ!」
ネアは、見てみたいのかなと思い、首飾りの金庫からお気に入りの髪ゴムをいそいそと取り出す。
市販品で買った物もあるが、付与魔術がある物の方が素敵なので、最近は、アルテアの髪留めとこの髪ゴムを多用していたのだ。
今回貰ったものはまた別の付与効果なので、使い方の幅がぐんと広がった事になる。
「これです!」
「……………おい。あいつの色だろうが」
「うむ。白みがかった紫のビーズで、とっても綺麗ですよね!」
「うーん。グラフィーツも、結構手堅いものを選ぶな………」
「因みにディノは、指輪が特別なのでこれ一つでいいのですよ」
「……………虐待」
「最近、…………虐待の幅が広がっていません?」
取り出したスープのカップを開けると、冷たい南瓜のスープが入っていた。
災い除けとしても使われることのある南瓜と、こんな夜にぴったりの星の囁きの雫、家胡椒という、特別な一族にしか育てられない安定の祝福を宿した胡椒が使われていて、もったりとした濃厚さに旨味を添えているクリームはアルバンの山のものなのだそうだ。
ネアはもう自分のものは飲んでしまったので、うろうろそわそわしながら、美味しそうなスープを飲むウィリアムとアルテアを見守り、呆れた目をこちらに向けたアルテアから、一口焼き菓子を口に入れて貰い、むぐむぐとプラムの入った美味しさを噛み締める。
「おや、また星が落ちてきたようだね」
「落ちて来る星さんの色と、落ちた場所の砂の色で随分と印象が変わるのですね。いただいた髪紐は、濃紺に様々な色合いの星の煌めきが入っていましたが、今度の砂は水色がかった色に染まりました」
「星によって、魔術の属性が違うからな。今回のものは、少し薔薇色の煌めきが混ざっているだろう。魅了や婚姻の祝福が混ざっているから、お前向きの道具には使えないな」
「こんな星なんて…………」
「ふむ。私にはもうディノがいるので、今回のものはぽいですね。……………お二人は、いいのですか?」
「放っておけと、言わなかったか?」
「俺は、当分今のままでいいだろうな。こうやって、スープを届けてくれるネアもいるんだ。仕事が終わった後の安息の時間に、他の余分な要素はいらないかな」
「よぶん…………」
ネアは、成る程あまりにも忙しい人には、そのようなお相手すら癒しにならない事もあるのだなと目を開かされる思いで頷くと、みんなで座って見上げている夜空を彩る、数えきれないくらいの星を見つめた。
この中のどこかに、美味しいものをずっと食べられる祝福や、思わぬことで一攫千金するような魔術付与のある星があれば、どうにかして地面に落としてしまうのだが。
しかし、そんな事を考えていると、怯えたような目をした伴侶と、顔を顰めた使い魔から、夜空には何もしてはならないと言い含められてしまったのだった。
本日までSS更新となりました。
思っていた以上に繁忙期が終わらず、引き続き、少なめのお話が続くかもしれません。
お休みなどの情報も含め、こちらの後書きやTwitterからお知らせさせていただきますね。