薬湯の注文と桃のゼリー
「……………ほこり」
ネアはその夜、思いがけない言葉を聞いて目を丸くしていた。
向かいに座っている義兄は真面目な表情をしていて、ふざけているような様子はない。
窓の外の天候は少し落ち着いてきたようだ。
被害の状況などは追って上がって来るに違いなく、エーダリア達は、幾つかの被害を想定した上で様々な物資や支援の手筈を調え、明日の執務の準備をしていた。
「もしくは、黴とかかなぁ」
そしてネアは、そんな執務の手伝いを終え、こちらの部屋にお見舞いに来てくれた義兄に、びしゃびしゃで戻ってきた結果、やっぱり体調を崩した二人の魔物の診察をお願いしたところだった。
「ぎゃ!!もう一度洗います?」
「ウィリアムとアルテアが………」
「ありゃ。自分で一度洗ったのに、二度洗いの必要ってあるかな………」
「………善意で引き受けてくれた修復のせいで、申し訳ないことをした」
そう項垂れてしまったのはエーダリアで、こちらも、執務準備を一通り終え、お見舞いに来てくれたところだ。
ヒルドは騎士棟の様子を見に行ってくれているようで、嵐が漸く過ぎ去ったとは言え、リーエンベルクの働き者たちはまだまだ休めない。
だが、それだけで済んだのは、ここで寝込んでしまっている終焉と選択の魔物が、魔術師団を派遣すればその半数の者達は犠牲になっただろうという、あまりにも危険な障りを取り除いてくれたからであった。
事件の一報を聞いた時、エーダリアは死地に赴かせる者達を選ばなければならないという壮絶な覚悟を決め、その上で、少しでも被害を軽く出来る方法がないかどうかを魔物達に相談したらしい。
「エーダリアのせいじゃないよ。そもそも、あの道を作ったレイラがいい加減だったって話だからね」
「……………ほお。あの道を作ったのはレイラか」
「姦淫と商売って言ったら、信仰の魔物の嫌いなものの代表格だし、杜撰な工程にせよ、アルテアとウィリアムが寝込める程のものを貯め込めるひび割れが出来るってことは、地盤そのものは頑強なんだよねぇ」
現在、ウィリアムとアルテアは、リーエンベルクの外客用の部屋の一つで、二つ並んだ寝台に寝かされていた。
この措置に対してはアルテアが激しく抵抗したが、同じ症状の魔物を別々に看病するのも手がかかる。
感染するようなものではなく、一種の魔術の障りであるので、並べて看病してしまうのが手っ取り早い。
今はもう、二人とも熱が上がってきたのか、抵抗もなく大人しく横になっている。
「………恐らく、選定の為に必要な魔術と、反応の排除の相性が悪かったのではないかな。信仰の魔術の領域には試練がつきものだし、あの隠れ道は、聖職者としての装いでしか通れないところだからね」
「うん、そうだろうね。アイザックは使えないみたいだから、アルテアが入れたのも驚きだったんだけど、レイラの事だから排除術式に名前を入れるのを忘れていただけなんだろうなぁ………」
「そもそもの、ガーウィンの教区で被害を出し、その被害を信仰の隠れ道などでウィームにまで波及させかねなかった被害は、ただのお天気の影響なのですよね?」
ネアがそう尋ねてみると、ノアは疑わし気な目をして首を傾げた。
こんな時には如何にも魔物であるという表情になるので、頼もしさも倍増するのだ。
「一応、調査報告でもただの雨だったんだっけ?」
「ああ。王都では、そのような結果だったと、兄上やガレンからは聞いている。とは言え、教区の中のことなので、ガーウィン側の調査団しか入れなかった敷地も多い。あの長雨そのものが、何某かの魔術異変だったという可能性は否定しきれないな」
「お陰で、こっちには嵐が来るし、嵐の前の騒動をやり過ごしたと思ったら、嵐の持つ浸食の特性で隠れ道の被害が進んでウィームにまでひび割れが到達しかけるとか、迷惑しかないよね」
「むぐ。……………それもこれも、レイラさんの仕事がいい加減だったからなのです?」
目の前の魔物達は、ぜいぜいしながら寝込んでいるだけなので、明日の朝までには回復出来るそうだ。
ノアの診察によれば、隠れ道の問題のあった箇所を修復した際に、修復の作業で引き起こされる反応を回避する事が出来ずにずぶ濡れになり、その修復箇所に溜め込まれた魔術の穢れのようなものを吸い込んでしまったらしい。
元々、当人たちもある程度の障りが出る事は承知の上でそのまま作業を進めたそうだが、まさか、ほこりや黴的なものによるインヘル的な反応が出るとは思っていなかったのだとか。
二人の魔物は、まさか、信仰の庭のひび割れが魔術的な汚れまで溜め込んでいるとは思わず、びしょ濡れにされただけで終わるか、出ても頭痛くらいだと信じていたようだ。
「ネア。二人は大丈夫だよ。今回は傷ではないから、それも飲ませなくていいからね」
「ぎゅ。千億倍にしたのですが、いいのですか?」
「……………ネア、やめてくれ。今それを飲まされたら、本気でまずい気がする」
「むぅ……。ウィリアムさんにも却下されました」
「おい!そのスプーンの上のものを、そのまま瓶の中に戻すな!お前は、いつかそれをまた、加算の銀器の効果にかけるんだろうが!!」
「……………む。もう戻してしまったので、仕方ありませんね」
「…………ふざけるなよ。それを、絶対に俺に飲ませるなよ……………」
ネアは、目の前でぜいぜしている二人を見ているだけでも、レイラのいい加減な仕事にむしゃくしゃしたが、とは言え、あの道が作られてから数百年は経っているそうなので、信仰の魔物としても、人間達がその後あの道をどう管理するかまでは責任が取れないというところのようだ。
報復をするまでではないと判断し、今は、看病を優先することにした。
「このような時は、体を冷やさないようにしましょうね」
「………ネア。俺は、元々体温が高いみたいだから、靴下は履かせなくて大丈夫だぞ」
「なぬ。………しかし、ウィリアムさんは眠る時以外の体温は低めなのですよ」
「わーお。そこまで知ってるのって、何だか複雑だなぁ………」
「なお、アルテアさんについては、ご本人の普段の自己管理がしっかりしているので、体が手入れに甘やかされていると推測します。よって、ちびふわ靴下だけでなく、腹巻も用意しました!」
「……………いいか、絶対にやめろ」
「アルテアが……………」
ディノは、ネアがそんな準備をしている時から慄いていたが、それでも、冬用のいい毛布を使うかなと貸してくれようとした、優しい魔物であった。
「なお、ディノがお二人の症状を某所に相談してくれたことにより、薬湯が用意されました。これは、私には作れないものなので、どうかこちらをお飲み下さいね」
熱が出ているのか、ウィリアムもアルテアも、僅かに目元が赤く、瞳がうるんでいるように見える。
呼吸の荒さや、乱れた髪の具合などを見ていると、何やらいけない光景にも見える、壮絶な色香が感じられた。
ネアが、そんな魔物達が体を起こすのを手伝ってやり、うっかり体勢を崩したウィリアムの下敷きになりかけたりしながら奮闘した結果、漸く二人が薬湯を飲めるような姿勢になった。
ネアだと下敷きになると判明したので、ウィリアムにはディノが、アルテアにはノアが介助に入りつつ、ほかほかと湯気を立てる薬湯のカップが渡される。
ネアは、エーダリアと共に観客の位置に待機だ。
「……………うーん。まさか自分が、この手の薬湯を飲む羽目になるとは思わなかったな」
「飲めそうかい?」
「すみません、シルハーン。ご心配をおかけしていますので、飲んでしまいましょう」
「よーし。こっちも飲もうか。…………あれ、もしかして、飲ませて欲しい系?」
「…………そんな訳あるか。おかしな目をするな」
ネアは、はらはらしながら二人が薬湯を飲むのを見守り、カップに口を付けてごくりとしたところで、この世界の二席と三席というたいへんに高位な魔物達が、くぐもったような苦痛の呻き声を上げる様子に、ぶるぶる震えてしまう。
「ま、まさか、あまり症状が宜しくないのでは……?!」
「だ、大丈夫なのか?!」
「……………っ、……………おい!まさかとは思うが、この薬湯は……………」
「……………アルテア、……………作ったのはグレアムだと思いますよ。………っ、………酷い味だな」
「くそ、………何であいつに頼んだんだ………」
薬湯を飲んだ直後はそうして荒ぶった二人だが、すぐに、ぱたりと寝台に倒れ動かなくなってしまった。
ノア曰く、犠牲の魔物の作る薬湯は、対価としての不味さも比類なき部類に入るので、ちょっと弱っている二人には刺激が強かったようだ。
とても冷酷な人間は、効くのが一番であると重々しく頷く。
「ふむ。口直しを求める事も出来ないままに儚くなりましたので、お腹や爪先を冷やさないよう、ちびふわシリーズを装着しておきますね」
「ウィリアムとアルテアが………」
「そ、その、あまり落ち込ませないようにしてやるのだぞ……?」
「わーお。僕の妹は残虐だなぁ……」
「お二人が、早く元気になりますように」
ネアは、二人が目を覚ましたら何か美味しいものを食べて貰おうと思い、新鮮な桃を使って桃のゼリーを作っておくことにした。
家族にもお裾分けしたところ好評であったので、今後のレパートリーに加えておいてもいいのかもしれない。
気絶したように眠っている二人を見つめ、隣に座ってくれている魔物にこてんと体を寄せる。
「今日は、沢山の事がありましたね」
「……………うん。君も怖い思いを沢山しただろう。そろそろ寝ようか」
「はい。ディノも、今日はお疲れ様でした。私達の大事な家族がみんな無事で、良かったですね」
「うん」
その言葉が気に入ったのか、嬉しそうに目をきらきらさせ、ディノが微笑む。
ネアは、まだ僅かに残る雨音を聞きながら、くあっと欠伸をした。
嵐が通り過ぎたところなので、明日はいいお天気になるかもしれない。
7月いっぱいはSSの更新となります。