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雨の隠し道と果実のゼリー




こつこつと靴音を響かせて階段を下りていくと、ぞっとするくらいに暗い森が広がっていた。

整った石床が広がるのはその森の入り口までで、そこから先は落ち葉の降り積もり、魔術を宿した花の咲く暗い森が広がるばかり。



階段を下りきったところで取り出したカンテラに魔術の火を入れ、一歩森の中に踏み出せば背後の階段も消えてしまう。


夜の森らしい物音ひとつしない静謐さであったが、そうして地上との繋がりを断てば、どこか遠くで教会の鐘の音が響いた。



「こちらに来るのは、久し振りだな」



独り言のようだが、そう呟いたウィリアムに、アルテアは僅かに振り返る。

無理について来たくせにこの森の作法を忘れているようであればと眉を寄せたのだが、幸いにもそのようなことは失念していないらしい。



面倒なことに、この森には幾つかの禁則事項があるのだ。



「信仰の隠し道は、お前向きだろ」

「俺にも好みがあるので、信仰周りには、あまり近付かないですけれどね」

「どうだかな。終焉の系譜は聖職者だらけだろうが」

「死の精霊達が好むくらいですよ。アルテアみたいに、教区の中にも役割を持つほどにはとても」



とは言え二人は、神父服であった。

これは趣味でも擬態でもないのだが、信仰の隠し道に入ると自然とこの装いになってしまうのだ。

煩わしい仕掛けだが、あわいでも影絵でもない通路なので、そこにどんな規則性を持たせるのかは造り手次第となってしまう。


もし、この装いを嫌がって服装を変えると、戒律違反で追い出されてしまうし、この隠し道の中での姦淫と商売は、より大きな罰則を課せられることとなる。

姦淫と商売を同じ括りにした者がどんな嗜好なのかはさて置き、面倒な場所であることに変わりはなかった。



「………侵食された部位については処置の必要があるだろうが、あまり力任せに削るなよ」

「本当なら、まとめて崩しておきたいくらいですよ。ウィーム中央にある大聖堂や教会とガーウィンの教区との間に設けなかっただけましですが、余計なものには変わりないですからね」

「ウィームの旧王都の領域内は、祝祭の領域が強くて無理だろうな。あの大聖堂は、本来はクロムフェルツの祭壇の一つだったものだ。土地の管理者が変わる中で領域の譲渡を許しはしたが、別の資質を持つ土地と結ばせる程、あいつは寛容じゃないぞ」

「どうでしょうね。彼がイブメリアである以上、それを望むのが彼の愛し子だとそうもいかないかもしれませんよ。………おっと、そろそろ問題のひび割れですね」

「…………やっぱり雨漏りか。手入れが杜撰にも程があるだろ」



深い森にしか見えないこの場所は、信仰の系譜の人外者か、教会に属する者の誰かが、ウィーム中央から程近いところにある教会の祭壇から、ガーウィンのとある教区まで作り付けた魔術の隠し道である。


教会勢力が安定した基盤を設けるまでは弾圧を受ける事もあった信徒たちは、盤石な組織を手に入れてもなお、各教会を拠点にしてこのような隠し道や、隠し部屋を幾つも作っており、それが今日でも利用されているという訳だ。



とは言え今回は、そんな隠し通路の一部分に、魔術の障りが出ていた。

長雨で被害を受けたガーウィンの教区から、ウィームにまで影響を及ぼしかねない、魔術基盤のひび割れが発見されたのだ。



問題の箇所はすぐに分かった。

森の一部が絵の具をぶちまけたように青く染まっており、じわじわとその侵食を続けている。



「これは酷いですね。………こんなものをウィームに持ち込まれては堪らないな」

「よりによって、一番厄介な信仰の庭のものだからな。今代の魔術の多くは前世界の資質に沿わないが、信仰だけは別だ。あの領域だけは、こちら側のものですらなくても、祀り上げて祝福の縁取りに押し込めかねない」

「こういう隙間から非ざるものが混ざり込めば、そのまま信仰の庭で祀り上げられて、手に負えないくらいに育つ事もありますからね…………」



淡く微笑んではいるが、ウィリアムが不機嫌なのは言うまでもないだろう。

何しろこの隠し道の片側は、ウィームに繋がっているのだ。


今回は、ウィーム大聖堂に設けられた燭台で、この隠し道の入り口となった教会の火が消えたという連絡が入ったから事態が判明したのだが、妖精の家を転がしてきた嵐もそちらの長雨の影響であったと思えば、ウィームとしては、またかという思いである。



雨は降っていないが、ずっと雨音が響いている。

本来であれば、このひび割れの修復の為に、一師団規模の魔術師達が派遣されるような損傷であった。

この道にまで侵食し信仰の魔術にひび割れを生じさせているのは、人間とは相性の悪い雨音の祝福と呼ばれるものだ。


これをどうにかするとなれば、派遣される者達の半数は帰還が絶望的になる程の状況であるので、話を聞いたアルテア達が修復を買って出たという経緯であった。




「染み込んだ障りの掃き出しをお願いしても?」

「ああ。発見があと半日遅ければ、出口にあたる教会を有する土地は、今年いっぱい閉鎖するしかなかっただろうな。このあたりは、エーダリアの引きがいい」



今回の一報は、エーダリアの支持者経由で、リーエンベルクに届けられたものだったらしい。

たまたま、大聖堂で嵐の前の風雨をやり過ごす事になった青年が、燭台の炎の減少にいち早く気付いたのである。


聖職者たちよりも早くその情報をギルドに伝え、バンルを通じてリーエンベルクに連絡が入ってすぐに動いた上での状態ともなれば、通常の教会から領主館への情報回付の後では間に合わなかった可能性が高い。

引きの良さというのも一種の資質なので、勤勉な会員を飼っていたウィーム領主が有能だったということになる。




取り出した剣を構え、短く息を吐いたウィリアムの動きに合わせ、ひび割れを広げてゆく障りを注視する。


そして、気付いた。



「………場を整え直す為に必要な魔術と、雨音の祝福の相性が、これでもかと悪いかもしれないぞ」

「何が起きるかを考えると辟易としますが、時間がないので、受け流すしかありませんね。始めても?」

「………ああ。ウィームにこの障りを持ち込まれると、あいつが巻き込まれる予感しかしないからな。面倒だが、多少の影響は諦めるか」



溜め息を吐いてランタンを足下に置くと、取り出した杖をくるりと回した。


そして、ウィリアムが剣を振り下ろして劣化した魔術を剥ぎ取るのと同時にかけた修復の上から、アルテアは、染み込んだ障りの掃き出しと洗浄を行ったのだった。





「……………ほわ。なぜアルテアさんは、少し目を離した隙にびしゃびしゃになっているのでしょう。そして、いつの間にかウィリアムさんも合流しています。………まさかとは思いますが、お二人で嵐の中に遊びに出たりはしていませんよね?」

「何でだよ」

「うーん。雨は雨なんだが、今日だとその疑いがかけられるのか………」

「まったくもう。すぐに入浴して、体を温めてきて下さい。お部屋に用意するものは、冷たい飲み物で大丈夫ですか?それとも、今日は気温も下がってきたので、温かいメランジェにします?」



恐らくは何かを勘違いしたまま話を進めていくネアの後ろで、エーダリアが慌てたように走ってくるのが見えた。

ひらりと片手を振って、もう終わったと伝えておく。



「メランジェでいい。いいか、俺が出てくるまで、お前はくれぐれも外には出るなよ?」

「大雨なのだ……」

「俺もメランジェかな。それと、エーダリアにはもう大丈夫だと伝えておいてくれるか?」

「むむ?………はい。伝えておきますね」



ウィリアムの言葉に首を傾げ、ネアが頷いている。

ここにも雨音が響いていたが、少なくとも気象性のものなので特に支障はない。



「そういえば、傷薬は飲んだんだろうな?」

「のみました………」

「そうか。後で手伝ってやる」

「の、のみました!!」

「ネア、そういうものは、きちんと飲まないと駄目だぞ?」

「ぎゅわ………」




ネアの隣に立つシルハーンを見ると、悲しげにそっと首を横に振っていたので、今日は、まだまだやるべきことがありそうだ。

口直しをさせる為には、果物のゼリーでも用意しておけばいいだろう。

















7月いっぱいは、SS更新となります。

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