小さな嵐と妖精の家 2
「このカップで、傷薬を飲んで下さいね。まぁ、逃げようとしてはいけませんよ!」
「……ま、まだ死にたくありません」
「むぅ。……えいっ!……治療が終わりました」
「………お前な。飲ませるのはやめろ」
「飲ませた方が、効率がいいのです。傷薬も少量で済みますから」
嵐の前の荒天が続いていた。
ざあっと雨が強くなり、風がうねる。
おかしな表現だが、相変わらず、妖精の家との格闘は続いているようだ。
リーエンベルク周辺の結界との癒着など、どこまでディノの作業が進んでいるのだろうと心配でならないが、ネアの開いている臨時診療所には、次々と負傷した騎士達が訪れていた。
ネアが傷薬を飲ませた若い騎士と入れ替わりに、先程出会ったばかりのロジが、傷だらけになって入ってくる。
左手の肘下に酷い裂傷を負っており、ネアは、目を背けたいのを我慢して傷薬を飲ませた。
(アルテアさんが話していたのは、このような事だったのだわ………)
命を落とすような魔術的な危険がない代わりに、今回は、分かりやすい負傷の者達が多かった。
風雨に飛散する木片や石片で傷付いた体は、時として、目を覆いたいような無残な傷口を見せるものも多い。
今回のような事件では出血が伴う怪我が多いので、血を落とさないような魔術措置を施した騎士達が対処にあたるせいか、一人の騎士が数カ所に怪我をしたまま無理をしてしまうことも少なくないのだろう。
なぜ、もっと早くこちらに来なかったのだと思うような傷だらけの騎士もいて、ロジはまさにそのタイプであった。
「………さては、足にも怪我をしていますね?」
「額の傷からの出血で、かわし損ねました。……っぷ……で、………ですが、これで…………っく」
(額の傷に、目立つ手の裂傷。でも、足は恐らく、骨が折れていたのではないだろうか…………)
傷薬を服用したことですぐに傷は癒えたのだが、ロジは口元を両手で押さえたまま蹲ってしまい、涙目で咳き込んでいる。
そちらを見たアルテアが、またしてもほら見ろという顔をするので、ネアは、治療ならやむなしといういう眼差しでそちらを一瞥して、使い魔を牽制しておかねばならなかった。
先程迄はずぶ濡れであったが、アルテアが乾かしてくれたようだ。
とは言え、すぐに雨が吹き込んでくるので濡れてしまうのだが、顎先から水が滴るような状態ではなくなったのは素直に嬉しい。
「ヒルドさんが、まだ一度もこちらにいらっしゃらないのですが、最初の家が壊れた時にはもう怪我をしていた筈なのです……。大丈夫でしょうか…………」
「動けなくなってまで、無理を通すような男じゃないだろう。限界の見極めは出来る筈だ」
「………むぐぅ」
そう言ってくれたアルテアは、ネアの隣に立ち、そこから動く気配はない。
正門の方で行われている事が気になってはいるようだが、ネアが少しでも位置を変えると、途端に鋭い目でこちらを見てくるので、先程の負傷で余程警戒させてしまったらしい。
「………そろそろ終わるだろうな。風に飛ばされた家は、全部で五棟か」
「良かったです!なんとか、無事に終わりそうなのですね」
どうやらアルテアは、ディノと何某かの手段で会話が出来ているらしい。
小さく頷きそう言ってくれたことにほっとし、ネアは、もう一度傷薬対応になって戻されてきたアメリアに、二度目の傷薬を飲ませてしまった。
幸いにも、一度リーエンベルクの外周の結界から引き剥がしてしまえば、あとはもう、結界に浸食がなされないように覆いをかけてしまい、騎士達も屋内に入れるようだ。
それ以前に飛んできてしまった家がばらばらになったせいで想像以上に時間がかかったものの、何とか無事に収拾出来そうである。
(五棟もあったのだわ。……………五?)
ふと、何かが引っかかったような気がしたが、ごうっとひと際強く風が吹いたせいで、思考の中にあった違和感までが吹き飛んでしまった。
やっと治療に来られるようになったらしく、こちらに移動してきていたヒルドに何かが当たりそうになり、ネアは、玄関前の屋根の下で、びゃんと垂直飛びしてしまう。
「ヒルドさん!!」
「…………ったく」
「ほわ。飛んできていた石片らしきものが、きゅっと角度を変えました!」
「俺が遮蔽をしているからと言って、お前はあまり身を乗り出すなよ。今回転がってきたのは、恐らく、妖精の家の中でも最高級品に近いものだ。滅多に表には出てこない、穴倉妖精が仕上げたものだろう」
「穴倉妖精さん……………」
「地下に住む、家造りを生業とする小型の妖精達だ。一族で家を作っては、住むでもなく放置してまた旅に出る変わり者達だが、穴倉妖精の造った家を得た者は、一生安全に暮らせると言われている程の家を建てる。今でも妖精の国には、穴倉妖精の造った家を探して一攫千金を狙う奴等がいるくらいだ」
「…………つまり、穴倉妖精さんの造ったお家は、見付けた方が売り捌いていいものなのですね」
聞けばそれは、収穫物扱いなのだそうだ。
ネアは、それはもう、探索に乗り出してもいいのではないだろうかと欲を出してしまったが、穴倉妖精の造った家は、その家に住めるような中階位の妖精達にしか発見出来ないらしい。
本来は、見付けた者達がそこに住み着くだけで完結するものだが、今回は、どこかの商人絡みで、買い上げた妖精の家を売りに出そうとして運んでいたと見られる。
商品として取引される場合には相当な大金が動くものなので、五棟も壊してしまったとなれば、運んでいた者達は大損では済まない被害を被るだろうという事であった。
「アルテアさんが大損では済まないと言うとなると、相当なことだという気がしてきました……」
「好事家もいるからな。穴倉妖精は、漂流物の現れる年や蝕の年には家造りをしない。一方で、そのような被害が出る年程、穴倉妖精の造った家は重宝されると考えてみろ。…………売り出す前か後かでも、あの家を運んでいた商人が被る被害は変わってくるだろうよ」
「………か、考えただけでも心臓がぎゅっとなります。……………そして、ヒルドさんが来ました!」
こちらに向かっている最中に風が強くなってしまったので、ヒルドは一度、大きな木の影で風が弱まるのを待ってから移動を再開していた。
ネアが見付けて大騒ぎした飛来物はアルテアが排除してくれたようだが、その後も、ばらばらと細かな木材や石材が飛んできていたのだ。
「………ネア様、お怪我などはありませんか?」
「ひ、…………酷い怪我なのは、ヒルドさんの方ではないですか…………!」
案の定、玄関前の遮蔽地にやって来たヒルドは、悲惨な有り様であった。
左目の上には深い傷があり、羽も一枚ぼろぼろになっている。
飛来する家の残骸から顔などを守ろうとするからか、ヒルドも、大きな怪我は腕に集中していた。
「先程は、エーダリア様の治療をしていただいて、助かりました。私とエーダリア様は、騎士棟への連絡確認の帰りに気付いて外に出ましたので、傷薬の所持が殆どありませんでしたから………」
「えぐ。これを飲んで下さい。すぐに傷が治りますからね……………」
ヒルドは落ち着いた様子であったが、深い傷が一か所にあるよりも、中程度の傷が幾つもある方が、このような現場に不慣れなネアの目には怖く感じられる。
まさに満身創痍という様子にすっかり怖気づいてしまい、慌てて傷薬を飲ませてしまう。
「………これは確かに、酷い味ですね」
「ですが、すぐに傷が治るのです。スプーンさんが加算出来るものは飲用物だけですので、こんな時は我慢していただくしかありません」
「ええ。お陰で…………腕が持ち上がるようになりました。どうしても、ディノ様の方の作業が落ち着くまでは門の側を離れられませんでしたので、手首を痛めておりましたが、すっかり良くなったようだ」
「……………ふぇぐ」
やはり無理をしていたのだとしょぼくれたネアに対し、ヒルドはふわりと艶やかに微笑む。
立っていると、アルテアの遮蔽があっても、どんな飛来物が結界をすり抜けるか分からないので、床に座るようにして壁に背を預けていたが、ゆっくりと立ち上がり羽を広げる。
「問題なさそうですね。………さて、もう少し働いてきましょう。今回の嵐は、本体の接近の前に一度風が和らぐそうですが、徐々に風が収まってきたように感じます。そろそろかもしれません」
「ああ。その代わりに、障りの気配が強くなったようだな。そろそろ騎士達を回収しておけ。手傷を負った者達をあの嵐の中に晒すのは、やめた方がいいだろう」
「ええ。急ぎましょう」
アルテアの指摘に一つ頷き、ヒルドは、また表に出ていってしまう。
風が収まってきたとは言えまだまだ風雨は激しいので、ネアは胸が苦しくなったが、アルテアの目には事態は収束に向けて動いているように見えるそうなので、それがせめてもの救いだろうか。
「一度で全部壊れてしまって、こんなに続かなければ良かったのですが…………」
「いや、これで良かったんだ。シルハーンが、同時に崩壊しないように調整したんだろう。あの質量が一度に崩壊すれば、飛来物を避けるのは困難だろう。………お前は気付いていないかもしれないが、ここに来た騎士達もヒルドも含め、まだ、誰一人として、大きな建材や厄介な装飾には接触していないんだぞ」
「…………そうなのですか?」
「屋根飾りと、雨樋、………あの様子だと扉の装飾や、窓もだな。…………当たり所が悪ければ相当な損傷になりそうなものが、幾つかある」
伸ばされた指先が、そっとネアの額に触れた。
どこから駆け付けてくれたのか、アルテアは淡い灰色のスリーピース姿で、今は上着を脱ぎ、白いシャツの袖を捲ってジレ姿になっている。
風の影響を受けないようにも出来るのだろうが、前髪は掻き上げてしまい、ネアの隣に立って正門の方を見ている様子は、不思議と使い魔らしいなという雰囲気だ。
「皆さんは、この風雨の中で、危ないものを避けながら作業されていたのですね………」
「仮にも、リーエンベルクの騎士だ。そのくらいはな。……………終わったな」
ネアが、今の言い方は選択の魔物としては手放しの賛辞なのではないだろうかと目を瞠っていると、静かに息を吐くようにアルテアがそう告げる。
ぱっと笑顔になったネアが無言で弾んでも、珍しく弾みを止める気配もない。
「ディノは、大丈夫でしょうか。…………怪我などをしていませんように……」
「すぐに来るだろう。…………屋内に入った後で、お前も傷薬を飲んでおけよ。外的な損傷も含め俺が一通り治癒はしてあるが、妖精の家ともなると、どんな材料を使っているのか分かったものじゃないからな」
「……………傷薬は、塗っておきますね」
「飲んでおけ。…………そうだな。俺の時は確か、一億倍だったか?」
「ぎゃふ!」
アルテアの言葉通り、正門前には動きがあった。
集まっていた騎士達が離れ、安堵の声が風雨のとどろきの向こうに僅かに聞こえる。
ざざんと門の周辺が青白く光ると、先程までばらばらと風に混ざっていた細かな木片が飛んでこなくなったのは、癒着しかけていた妖精の家を引き剥がせた事で、次の手が打てたということなのだろう。
こちらを振り返ったエーダリアが見える。
表情までは分からないが、もう大丈夫だと伝えてくれているようなので、ほうっと安堵の息を吐き、ネアはへなへなではあるが、びょいんと飛び上がって合図を返した。
「もう、大丈夫ですか?!」
「ああ。だが、念の為にここから出るなよ。お前の場合、何でもない場所でも転びかねないからな」
「むぅ。…………ですが、これからまた皆さんの手当てなどもあるかもしれないので、向こうに駆け寄って第二の事件を引き起こしたりはせず、こちらで大人しくしていますね」
「毎回思うが、……………お前は、一定してそちら側の選択をするくせに、何で事故るんだろうな」
「ぐるる………」
そんな話をしていると、ふっと視界が翳った。
一瞬、また何か飛んできてしまったのかと思ってぎくりとしたが、すぐにぎゅっと抱き締められて、ディノが戻って来てくれたのだと知る。
「ディノ!……………怪我などはしていませんか?…………まぁ。髪の毛がくしゃくしゃです」
「…………ネア。どこも痛くないかい?」
「はい。頭に何か当たったのですが、アルテアさんが治してくれました!」
「……………うん。アルテア、有難う」
「通常の建材なら、こいつの守護を揺らすには至らない筈だ。騎士達が避けていたような物が当たったんだろう」
「星が弾けるような魔術証跡を感じたから、屋根飾りかもしれないね。祝福を宿した災い除けだから、大きくこの子を傷付けるようなことはないかもしれないけれど、…………風に叩きつけられた勢いはかなりのものだった」
「まぁ。……屋根飾りだったのですね」
いつものように揉みくちゃにされるのではなく、ディノはただ、静かにネアを抱き締めている。
そこからも、どれだけ怖かったのかが伝わってきて、ネアはまず、勝手に外に出てしまった事を謝った。
「ディノ、建物の中にいるように言われたのに、勝手に外に出てしまいました。心配をかけてごめんなさい………」
「……………うん。とても心配だったけれど、君がいなければ、私が手を回せなかった反対側の崩壊で、傷を増やした誰かがいなくなったかもしれない。………そのような何かが、君を必要としたのかもしれないね」
「まぁ。皆さんに心配をかけてしまいましたので、そうして役に立てたのなら、せめてもなのです。私の大事な魔物が無事に帰ってきましたので、騎士の皆さんがこちらに戻ったら、引き続きお薬班をしますね」
「騎士なんて…」
「でもまずは、沢山頑張ってくれたディノを、沢山撫でます!」
「虐待…………」
ネアは、恥じらう魔物の体を容赦なく触って怪我がないかどうか調べたが、一見した限りでは、どこも損なっていないようだ。
胸の奥が痛むような安堵の息を吐き、呆れ顔でこちらを見ていたアルテアを振り返る。
「アルテアさんも、落ち着くまでこちらにいられるのなら、怪我を治してくれたお礼に美味しいニワトコのジュースを作りますね」
「………今日は、ニワトコはやめておけ。妙な縁が付きかねない」
「なぬ………」
その時の事だ。
(……………あ)
ふっと、空が凪ぐように風が止んだ。
その突然の静寂が、なぜだか却って不穏に思えて、ネアは、思わず身を竦めてしまう。
引き続き雨は降り続いているので、ざあっと雨音だけが急に大きく地面を叩いたような気がした。
「…………ネア?」
「何かが、……………良くない感じがしました」
「アルテア、周辺に魔術変異はあるかい?」
「いや。この凪そのものも、嵐の魔術段階の変化だ。特に問題のあるものじゃないぞ」
「………うん。ネア、こっちにおいで。離れないようにしよう」
空を見上げる為に少し体を離していたが、ネアは、もう一度ディノの腕の中に戻る。
瞳を眇めたディノは魔物らしい凄艶さで、雨の中に出ていき、騎士達の様子を見ていたアルテアは、やはり何も感じないと怪訝そうにしている。
「だが、こいつの勘なら間違いないだろうな」
「急がせた方がいいかもしれないね。……………エーダリア、撤収を急いだ方がいい。ネアが、あまりよくない気配を感じたようだ」
ディノが話しかけたのは、ネアが連携用にと襟元に出しておいた、ピンブローチ型の魔術通信端末である。
こつりと指先で端末を叩く音がして、すぐにエーダリアが応じた。
「……………承知した。騎士達を急がせよう」
恐らく、最終的な被害確認などを行っていたのだろう。
門の周りに集まっていた騎士達の動きが、俄かに慌ただしくなる。
ヒルドが何か指示を出しているのが見え、頷いた騎士達が騎士棟の方へ走っていく。
成る程、風が弱まった今なら、あちらに移動も出来るのだなと思ったが、殆どの騎士達は、まずは正面玄関前に合流するようだ。
魔物達のように転移での移動は出来ないが、こちらに走ってくるのが見えてほっと息を吐きかけた、その時の事だった。
ぶおん。
何か、質量のあるものが大きく風に煽られるような、おかしな音がした。
「………っ、上か?!」
「アルテア、遮蔽と排除を七重にするよ。…………エーダリア、そのままこちらに急ぐように」
「…………くそっ、簡単に言うな!お前に合わせるだけで一苦労なんだぞ?!」
ぴしりと張り詰めたような魔物達の声に、ネアは、思わず上を見上げてしまう。
だが、玄関部分の屋根が重なっていて、上に何があるのかは視認出来なかった。
(……………あ、…………でも)
何か、大きなものがゆっくりと落ちてくる。
それは、きらきらと光る星のようなイメージで、ネアの瞼の裏に明るい光を宿した。
煌めく光の粒子は美しいものばかりだが、あまりにも頑強で重く、そんなものがここに落ちてきたらどうなってしまうのだろうとぞっとするような、そんな感覚だ。
少しも禍々しくないのに、甚大な被害を予測させる何かが、不思議なくらいゆっくりと落ちて来る。
風に煽られた紙がふわりと舞い落ちるように、けれども確実に。
「すぐに屋根の下に入れ!」
鋭いゼベルの声に、騎士達が一気に玄関前の屋根の下に駆け込む。階段の下に残って最後尾の騎士を待っているヒルドに胸が潰れそうになりながら、ネアは、そちらにもちらりと視線を向けたディノを見ていた。
(…………ああ。星だわ。……………まるで、星が降ってくるよう)
目を閉じている訳ではないし、周囲は嵐の前の土砂降りのままだ。
空には雲が立ち込め、周囲は薄暗いのに、奇妙な眩しさが近付いてくる。
「ネア、目を閉じておいで。……………一度、星の光に目を焼かれた事がある君には、この魔術の明るさは厳しいだろう」
「……………ええ」
ディノの手のひらが、目元を覆ってくれた。
頑張ってだとか、お願いしますだとか、何かを言いたかったけれどそんな猶予があるとも思えず、ネアはただ、ぎゅっと目を閉じてディノの腕の中に収まっていた。
うんざりするくらいに時間をかけて落ちて来る何かが近付く程、瞼の裏までが白く焼けるようだ。
「……………よいしょ。もう大丈夫だよ」
「ノアベルト!!」
いよいよだと思い体に力を入れた時、すぐ近くで、どこか場違いなくらいに穏やかなノアの声が聞こえた。
その途端に、ふうっとディノが短い息を吐く。
「良かった。では、五重でいけそうだね」
「うん。グラフィーツが門の外側にいる。星の祝福を一気に災いに書き換えて、僕と、シルとアルテアで補強したリーエンベルクの結界で焼き尽くすから、衝撃には備えて貰わなきゃかな」
(衝撃…………っ?!)
騎士達にも届くように、そう告げたノアの言葉が終わるか否かのところで、凄まじい風雨が吹き荒れた。
ネアは、一度だけ爆発を体験したことがあるのだが、まさしくそんな感じの勢いだ。
あの時は目の前の傷薬が爆発して吹き飛んだだけだったが、今度は、何か巨大なものが頭上で爆散したような激しさであった。
「……………ほわ」
ややあって、ぱちりと目を開くと、リーエンベルク前広場から上空に向けて稲妻が走るかのごとく、青白い大きな木が枝葉を広げるような光が見えた。
目を開くのが少し早かっただろうかとぎくりとしたが、直後、屋根の端から見える空の上で、何かがざあっと黒い灰のようなものになって崩れていった。
「……………はぁー。これで排除完了。グラフィーツがいると、こういう場合に助かるなぁ」
「ノアベルト、間に合ってくれて良かった」
「うん。リーエンベルクの結界は、僕が結構手をかけてるからね。僕がいた方が展開の書き換えが早い分、僕がいなかったせいで、シルに苦労をかけちゃったかな」
「どうだかな。シルハーンが調整していた家は、あわいの特性だ。あれは寧ろ、シルハーンでなければ難しかっただろ」
「わーお。……………相当、希少な妖精の家を運んでいたみたいだね。ハイレーンの二の舞にならなくて、本当に良かったよ」
「あの国の崩壊と同じ条件か。………危ういところだったな」
「ぎゅむ。ノアがいます!」
「うん、僕の妹も無事だね。………あれ?ヒルド、怪我してない?!」
「このくらいであれば、自分でも治癒が及ぶ範囲ですよ。やれやれ、もうひと棟ありましたか」
ヒルドのその言葉に、ネアは、漸くずっと感じていた違和感の正体に気付いた。
そう言えば、最初からエーダリアは、転がり落ちたのが六棟だと話していたではないか。
それなのに、その後の会話に出ていた数はずっと、五棟であったのだ。
(……………嵐の前の強風で、ひと棟は、上空に舞い上げられていたのだわ)
そしてその家が、嵐の凪に入ったことで、真っ直ぐにリーエンベルクに落下してきていたのだろう。
「………ネア、もう大丈夫そうかい?」
そう尋ねるディノの優しい眼差しに、ネアは微笑んで頷く。
「………ええ。もう、何か温かい飲み物でも飲みたい感じしかありません」
「良かった。では、嵐に備えて中に入ろうか」
「やれやれだな。嵐本体にこそ備えるべきところを、まさかのこの惨事か…………」
「聞いてよ、ニワトコの妖精も大変だったんだけど…………」
「その、…………門の外の者は、こちらに招かなくて大丈夫なのだろうか?」
「ありゃ、もう帰ったみたいだね」
「グラフィーツには、後で私から礼を言っておこう」
「贈答用に、焼き菓子セットを用意しますね!」
「おや。……ゼベルは、もう一度、ネア様に傷薬を貰った方が良さそうですね」
「ヒルド様?!……………い、いえ!!このくらいは部屋にある傷薬で…………っ?!」
こんなに大勢で、わいわいするのは初めてかもしれないと、ネアは周囲を見回した。
騎士達の中には、アルテアの存在に慣れずに竦み上がっている者達もいるが、ゼベルやアメリアなどの、すっかり選択の魔物にも慣れてしまった上官がいるので、そちらの影に隠れるらしい。
へなへなと座り込んで安堵の息を吐いているエーダリアは、ノアがひょいと持ち上げてしまい、慌てたウィーム領主がじたばたする場面もあった。
(グラフィーツさんが、祝福を災いに変えてくれた事で、リーエンベルクの結界で退けられるようになったのだわ……………)
今はもう、土砂降りの雨の中に星の光は見えなくなっている。
当たり前の暗さに戻った世界を見上げ、ネアはほんの少しだけ考えた。
夏至祭の日に感じたものの暗さや悍ましさに、聖なるものの調べが宿っていたのは、もしかするとその二つの要素が、背中合わせのものだからなのかもしれない。
まだ、嵐の本体が後からやってくるのに、不思議なくらいの安堵に包まれ、ネアはもう一度だけびょいんと弾んだ。
明日7/27、明後日7/28の更新はお休みとなります。