小さな嵐と妖精の家 1
その日、ウィーム中央には小さな嵐が到達していた。
気象性の嵐ではなく、魔術の障りによるものである。
昨日からの雨で、ガーウィン側との国境近くにある集落近くの斜面が今朝になって崩落し、古くからあった嵐の精霊の霊廟を押し潰してしまったのだ。
ネアは、またしても危険な土地にそのようなものを造ってと腹を立てたが、野生のもの達を祀り上げるための装置は、やはり、自然に近い場所に設けられることが多いらしい。
特に今回のような霊廟となると、人間の管理する集落の中に引き込むと、障りが強過ぎるのだ。
そして、崩れた霊廟から立ち昇った障りが、小さくても激しい嵐を引き起こし、ウィーム中央にまでやって来た。
道中では一つの町の河川を氾濫させ、それなりの被害を出した嵐なので、こちらでもかなりの警戒がなされている。
「河川が氾濫すると、よくないものを引き込みやすいのですよね」
「境界を崩すことに等しいし、流れのあるものは何かを招き入れるという役割を果たしているからね」
「ウィーム中央の川は大きなものなので大丈夫だと思いますが、街中の運河が少し心配です……」
「事前に手を打ったと聞いているから、大きな問題にはならないだろう」
ディノがそう言ってくれたところで、どぉんと大きな音がした。
二人で顔を見合わせ、風雨に晒され視界の悪い窓から外を見る。
「…………ほわ。物凄い音がしました」
「正門側の方のようだね………」
「心配なので、外客棟から見に行ってもいいですか?」
「うん………」
まだ嵐の本体はウィーム中央に到達していないのだが、今回の嵐は、前段階での風雨の方が強いようだ。
既に暴風雨の中に入っているので、何かリーエンベルクの外周でも問題が起こってしまった可能性がある。
そして、慌ててリーエンベルク前広場が見渡せる部屋に移動したネア達の目に、とんでもない光景が飛び込んできた。
「ぎゃ!家が飛んできています!!」
「…………どうして、家が飛んできたのだろう」
「し、しかも、小さな家が、幾つもあるのです?」
「…………恐らく、妖精の家だと思うよ。専門の商人がいる筈だから、運んでいる最中だったのかな」
「なぜ、今日運んでしまったのだ………」
リーエンベルク正門前広場には、小さな家がごろごろと転がっていた。
全部で五棟程あり、大きさとしてはリーエンベルクの庭園にある、五人程でのんびりお茶が出来る庭小屋くらいの大きさだろうか。
しかし、人間用の住宅程大きくはないにせよ、転がってきたら充分に下敷きになりかねない大きさでもあるので、門の前を守る騎士達が苦戦しているのは勿論のこと、どうやら現場には、エーダリア達まで出ているらしい。
「エーダリア様とヒルドさんも、外に出ていますよ!!」
「そう言えば、ノアベルトは外出していたね………」
「ノアは、大聖堂の屋根に登って嵐を待つと宣言した、失恋したての妖精さんを引き摺り下ろしに行っています…………」
そしてそこに、グラストとゼノーシュも同行しているのだ。
今回大騒ぎしている妖精が、ニワトコの妖精というそれなりに階位のある者だったせいである。
「…………外の状態は、私が手を貸した方が良さそうだね」
「はい!私も行きますね!!」
「ネアは、………中で待っていようか」
「なぬ……………」
「飛ばされてしまうといけないからね…………」
今回の嵐は、特別に大きな魔術異変などではなかったのだが、ディノ曰く、あのような妖精の家はとても頑強で困った資質を持つ物であるらしい。
あわいや影絵などにも併設出来る特別仕様なので、リーエンベルクの排他結界などに何回もぶつかると、妖精の持ち物独自の浸食魔術の影響が出てしまい、あまり宜しくないのだそうだ。
(そうか。だから、エーダリア様までもが外に出ざるを得なかったのだわ)
外部から助けを得ようにも、今日はみんなが大忙しの嵐の日である。
おまけに、嵐の発生から訪れまでに半日もかかっていない為、あちこちで現在も対応に追われていると聞いていた。
風雨そのものは嵐の前が強くても、嵐本体の障りは、その後からやって来るのだ。
この風雨は寧ろ、これから訪れる障りの前兆と言ってもいい。
(魔術的な備えが出来ていれば、やり過ごすこと自体は簡単だと聞いているけれど…………)
とは言えそれは、備えあってこそである。
これからやって来るのは嵐の質を持つ障りなので、崩したり荒らしたりという性質が強い魔術災厄だ。
今回はやって来る迄の時間が短い為、河川や斜面、山間部や森林部などには最大限の警戒が促され、建物の屋根や雨樋などの、この世界では魔術とは無関係ではない部分への被害が懸念されている。
(だからこそ、家が転がってくるのはかなり厄介なのだわ……)
もう少しすると、この嵐そのものが持つ魔術特性によって、結界への被害なども嵩増しされてしまう。
それまでに何とかして、あの家々を排除しなければならないのだった。
とは言え現状のネアは、部屋を出て行ってしまったディノの無事を祈りながら、窓の外の騒ぎをはらはらと見ているしかない。
「…………っ?!」
その時の事だ。
ひと際強い風に、ばぁんと排他結界に叩きつけられた一軒の家が、ばりばりと割れて崩れ飛んだ。
ばらばらになった木材や、砕けた石材のようなものが風に散らばり、周囲にいた騎士達や、門の内側にいたエーダリア達を飲み込んでしまう。
ある程度の遮蔽を可能とするリーエンベルクの排他結界だが、無機物などは、一定の大きさでなければ排除していない。
そして、今回飛んできたものは、ばらばらになった板や木材、瓦のような小さなものばかりだったのだ。
ひゅっと息を呑み、ネアは、慌てて部屋を出ると、階下に向かって走った。
あの家をどうこうする力がないのは承知の上であるが、今のは確実に負傷者が出る壊れ方である。
近くに控えていて傷薬を渡す人員が必要になると判断したのだ。
「……………むぎ!」
しかし、外に出ようとして二重扉を開けると、外側の扉が異常に重いではないか。
強風が吹きつけているので当然かもしれないが、か弱い乙女の腕では何とか押し開けるのが精いっぱいである。
うっかり、扉が風でばたんと閉まって挟まれたら大変なので、焦ってはいるものの慎重に外に出た。
そしてその直後、ネアは、吹き荒れる暴風雨でずぶ濡れになってしまう。
(おのれ、嵐め!!)
それだけでもう泣きたいくらいだが、こんなことで泣きごとを言う訳にもいかない。
ネアは大急ぎで、飛来物のないコースを選んで現場に近付くと、リーエンベルク正面玄関の屋根と壁の間を基地と定めてすっぽり収まり、現状を再確認した。
ここが正門前であればこちらから出ればいいのではないかと思うだろうが、残念ながら、リーエンベルクの王宮としての正面玄関は、通常時は魔術施錠されているのである。
「ネア様?!」
ネアが出て来た事にすぐさま気付いたのは近くにたロジで、ネアは、そんなロジに慌てて伝言を託す。
負傷者はこちらに一度駆け込んでくれれば、傷薬の備えが充分にあるので、もし酷い怪我を負った者達がいた場合の為にここで待機していると伝えたのだ。
「っ、助かります!騎士棟は風上にあたるので、転移が使えるゼノーシュ様と一緒のグラスト様がいないとなると、傷薬の補充に苦心していたところでした」
「こちらでは、たっぷり備えていますので、安心して下さいね」
「はい!」
慌てて駆け戻っていくロジは、負傷した騎士達の避難場所を探してこちらに来たらしい。
ネアの傷薬の所持は十本程なのだが、こちらには加算の銀器があるので、ひと匙で充分な効果が得られるのだった。
「ネア?!」
「ぎゃ!エーダリア様が!!」
ところが、すぐに運ばれてきたのは、なんとエーダリアではないか。
互いに動揺してしまい、飛び上がってしまう。
エーダリアを運んできたゼベルによると、飛来した石片が肩に直撃したらしく、近くにいたヒルドも負傷しているらしい。
「……………えぐ。千倍の傷薬です」
「……………飲ませようとしていないか?」
「飲むのですよ!」
幸い、打撲だけだと言うが、その場で作業を続けると動きに支障が出る可能性がある。
なので、一度傷を癒すべくこちらに避難しただけだったエーダリアは、とても動揺しているネアに千倍の傷薬を飲まされてしまい、くしゃりと蹲った。
「…………飛来した建材は、高価なものばかりでな。祝福を授けた木材や硝子、瓦や石材などは、災いや害意としてこの結界から締め出されないものばかりだったのだ」
ややあって、そう説明してくれたエーダリアによれば、それこそが、壊れて散らばった小さな妖精の家の残骸が、リーエンベルクの騎士達やエーダリア達を傷付けた理由であったらしい。
つまりそれは、暴風雨により凶器化しているものの、本来であれば幸運な落とし物という区分なのだ。
「嵐は、災厄の中でも祝福を運ぶ役割をする。なので、このようなものは敢えて遮蔽していなかったが、…………まさか、家が転がってくるとは思わなかった」
「誰が、こんな日に家を運んだのですか……………」
「妖精の商人達のようだ。あわいを抜けてきたので、突然の嵐の知らせを聞いていなかったらしい。すぐにあわいに避難したが、運んでいた家が六棟程、吹き飛ばされてしまったと聞いている」
「お、おのれ………!!そのせいで、私の家族が怪我をしました!!」
「ディノは大丈夫そうなので、安心してくれ。ただ、正門前に、一軒の家が引っかかってしまっていてな。それをどかすのに難儀しているのだ。そちらを手伝ってくれている」
「ぐるるる…………」
そちらの家は、祝福の質の強い建材が正門前の結界に癒着しかけているらしく、引き剥がして排除するのに時間がかかるようだ。
繊細な作業が必要とされるので、ディノはそちらにかかりきりなのだとか。
「……………アルテアさんを呼びます?」
「いや。………彼は、ウィームに住居を構えているのだろう?」
「むぅ。確かにご自宅の備えで忙しいかもしれませんが……………」
そう言いかけて視線を正門の方に向けようと壁の影から顔を出したしたネアは、ひゅんと音を立てて飛んできた何かに目を瞠る。
「もが?!」
「ネア?!」
「お、お顔に!お顔に、ずぶ濡れの毛皮が!!」
「ピギャー!!!」
すぐにエーダリアが引き剥がしてくれたので事なきを得たが、どうやら、ばらばらになった建材だけでなく、風に吹き飛ばされた生き物も飛来するようだ。
剥がされてぽいされた毛皮生物は、またすぐに飛んでいってしまう。
「大丈夫だったか?!」
「……………おのれ、あの平べったい何やつかは、なかなかの石頭でした……………」
「額に頭がぶつかったのだな。………赤くなっているではないか」
「そして、今の風がひと際強かったので、また崩れそうになっているお家があります………!!」
「っ、間に合えばいいのだが………!!」
崩れかけている家は、恐らく、ディノが対処しているというものとは別の家だろう。
ばりばりと不穏な音が響き、既に崩れ始めている屋根からは、ばらばらと何かが剥がれ飛んでいる。
何の被害もないならば、敢えて外に出て排除する必要はないのだが、結界を損なうので対処せざるを得ないというのが、今回の厄介さだろう。
「私は向こうに戻る。この嵐の中ですまないが、怪我をした騎士達を見ていてやってくれ」
「…………はい!エーダリア様も、気を付けて下さいね」
「ああ」
再び雨の中に駆け出していくエーダリアを見送り、ネアは、唇を噛んだ。
全くの予期せぬ災厄であるが、心を落ち着かせ、出来る限りの事をしていこう。
きりりと頷くと、すぐに、今度は自分の足での訪れではあるが、傷薬を求めてアメリアがやって来たので、用意してみた小さなカップで千倍の傷薬を授ける。
初めて加算の銀器のお世話になったリーエンベルクの騎士は、先程のエーダリアと同じようにくしゃくしゃになったが、すぐに立ち上がった。
「……………げふっ。……………た、助かりました。細かな負傷が多いのと、あまりにも突然の事でしたので、補充していなかった手持ちの傷薬を使い果たしてしまった騎士が多いんです。ヒルド様なども、そろそろ手当に入っていただきたいのですが………」
「ほわ、ヒルドさんが……………」
「街でも、修復中だった屋敷周りの足場が崩れたそうで、似たような被害が出ているそうです。そちらでも手が足りておりませんので、こちらはこちらで何とか対処するしかありませんね。まさか、妖精の家がこのように面倒なものだとは…………」
「そもそも、妖精さんの家が飛んでくるという想定が、なかなかありませんものね……………」
「ええ。まさにそこが盲点でした…………」
丁寧にお礼を言ってくれたアメリアが、もう一度正門側に戻ってゆく。
嵐の本体の到達まではまだ猶予があるが、風雨は先程より強まってきたようだ。
「……………っ?!」
ここで、正門側を見るべく、壁から顔を出してしまったネアは、思っていた以上に強く吹き付けてきた風に驚いた。
先程もこのように顔を出したのだが、あの時はもしかしたら、エーダリアが遮蔽の何かを設けてくれていたのかもしれない。
おまけに、何かが飛来して頭にごつんと当たってしまい、ネアは無念さを噛み締めて元の位置に戻る。
怪我を負うような重たいものではなかったが、完全な自損事故であった。
(……………怪我をしなくて良かった。こんなことで怪我をしたら、折角頑張ってくれているディノを怖がらせてしまうもの…………)
ばくばくしている胸を押さえてそう考え、またしても風雨でずぶ濡れになってしまったので、雨に濡れた顔を拭う。
その直後の事だった。
「馬鹿かお前は!!どうしてすぐに呼ばないんだ!!」
鋭い声が響き、驚いたネアは顔を上げる。
そこに立っていたのは、こんな風雨の中でも濡れもしない高位の魔物の一人で、思いがけない登場にネアは目を丸くしてしまう。
「……………ほわ。アルテアさんです」
「……………いいか。問題が起きているなら、すぐに俺を呼べ。……………シルハーンは、……正門側か」
「ええ。ディノは、結界に悪さをしている家を、引き剥がしてくれているのですよ」
「よりにもよって、妖精の隠れ家かよ。このまま魔術浸食を許すと、異物混入でリーエンベルクの結界そのものが崩れかねないな…………」
「なぬ。そんなに大変な状態だったのですか………?!」
だからこそディノは、すぐに外に出て行くと決めたのだと知り、ネアは瞳を瞠った。
なぜかネアの正面に膝を突いて体を屈めたアルテアは、手を伸ばしてネアのおでこに指先で触れる。
「……………むぐ」
「打撲痕だけか。…………血は落としていないな」
「むむ。先程何かがぶつかったのですが、どうにかなっていますか?」
「内出血だな。…………これだけの守護があって、この様子なんだぞ。どれだけの衝撃だったのか、分かっているのか?」
「……………まぁ。もしかして、ディノも気付いてしまいそうな程です?」
「当然だ。俺を呼んだのはシルハーンだし、そうではなくとも、守護が揺れた」
「……………この怪我は、完全に私の不注意でした。ご心配をおかけしました……………」
「ったく。……………診せてみろ」
おでこの打撲痕は、すぐにアルテアが治癒してくれた。
ディノが取り組んでいる剥離作業は、失敗してリーエンベルクの結界に異物としての魔術効果が溶け込めば、月単位の修復が必要になりかねないものであるらしい。
漂流物が懸念される時期に起きればとんでもないことなので、何としても丁寧に剥離しなければいけないのだそうだ。
「ノアベルトはどうした?街の方か?」
「はい。街でも、何か困った事が起きているのだとか………」
「大聖堂近くの一件だろうな。大聖堂も、この都市の魔術の要だ。今後の漂流物への備えも含め、同じように遮蔽結界を傷付ける訳にはいかないんだろう。…………ガーウィンでは、ウィームの嵐の切っ掛けとなった長雨による魔術磨耗で、一つの教区の魔術遮蔽にひびが入っている。漂流物の到来前に修復が間に合わなければ、放棄するしかなくなるだろうな」
「そんなことになってしまうのですか…………?」
「あの手の施設は、迎え入れ、祀り上げる為の装置としての魔術が構築されている。望まないものに入り込まれた場合は、悲惨なことになるぞ」
「ぎゅわ………」
そんな話をしていたら、再び、めりめりという破壊音が聞こえてきた。
わぁっと声が上がり、ネアは、もう一度顔を出して正門の方を確認してしまいたくなるのをぐっと堪える。
風雨の中から少しだけ切り取られた玄関前の屋根と壁の囲いの中で、アルテアが、無言で顔を顰めるのが見えた。
「……………この手の災厄は、珍しい事というものではないが、厄介な被害が出るだろうな。この様子からすると、傷の手当てを任されていたんだろうが。…………少しばかり覚悟をしておけ」
「……………え」
その言葉通り、負傷者がどっと増えたのは、その後からであった。
本日の更新は、通常更新寄りとなりました。
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