花明かりと怠惰な一日
花明かりの下で目を覚ました。
そう考えかけてふと意識を揺らし、花枝の模様のある天蓋のカーテンである事に気付く。
リーエンベルクでは、土地の魔術を循環させ、祝福を上手く取り入れる為に織り柄や絵付けのある品物も多い。
単色ではなく柄物のカーテンや絨毯、寝具などを好むのは、最も無防備な自室での時間を過ごし易く安全なものにする為だ。
(もうこの時間か。………思っていたよりも眠れているんだがな……)
時計を見れば予定よりもしっかり休めているのだが、すとんと吸い込まれるような眠気が意識の裏にこびりついている。
覚醒しきらない意識の端で、もう少しだけ眠れないだろうかと怠惰な計算に入った。
窓の外は霧雨で、初夏から夏にかけてのウィームらしい天候である。
上掛けを剥ぐ程には暑くなく、それどころか僅かにひんやりとした朝の空気は何とも過ごしやすい。
体を起こしかけて片膝を立てていたが、ぱたんと投げ出し深い呼吸を重ねた。
素肌に触れる寝具はさらりとしていて、そんな肌触りの良さに、また心が緩んだ。
新鮮な花の香りと、澄んだ空気の香りに、昨晩飲んでいた紅茶の香りが残っている。
穏やかさというものは、このような形であるのだろう。
同じ屋根の下に誰かがいて、その微かな命の気配に触れると、少しだけ面映ゆくもある。
そんな、そこかしこにある柔らかな許容に身を委ね、上質な眠りの入り口に時折姿を見せる、深い快楽にも近い感覚を潜り抜けると、豊かな暗闇の中に意識を投げ出した。
その眠りはどこか官能的で、悦楽に近いだけの充足が得られたのは、やはり寝具や部屋の環境が整えられていたからなのだろう。
疲労を引き剥がす為だけの眠りも好ましいが、自分の意思では選べずに時々巡ってくるこちらの眠りも好きだ。
休息の中で様々な感覚が整理されてゆくことで得られる副反応かもしれなかったが、貪るというよりは溺れるように体と意識を預けてしまう。
そしてそこにどれだけ酩酊していたものか、こつこつというノックの音に目を覚ましたのは、それからまた暫く経ってからの事だった。
「ウィリアムさん、もう少し休まれますか?具合が悪かったら声をかけて下さいね」
「……………ネアか。入っていいぞ」
「むむ。では、お邪魔しますね」
扉を叩いたのはネアのようだ。
時計を見れば昼食も近い時間であるので、様子を見に来てくれたらしい。
扉を開いて部屋に入ってくる足音を聞きながら、寝台の横に置かれた水差しを取ろうとして手を伸ばし、また少しだけ目を閉じる。
「まぁ。…………きっとお疲れなのでしょうね」
「キュ」
「とても肌色ですので、もう少し上掛けを引っ張り上げておきますね」
「キュ!」
「こんな時は、髪を撫でて素敵な歌などを歌ってもいいのですよ。ですが、私がやると弱らせてしまうので、諦めざるを得ません………」
「キュ………」
柔らかな声が聞こえてきたので、手を伸ばして触れると僅かに驚いたような気配があり、肌に染み込むような繊細な体温が心地良かった。
もう少し深く腕の中に収めたいと思わないでもなかったが、こうして側に寄り添うだけの温もりの方が贅沢だという気がする。
「少しだけ、ここにいてくれ」
気付けば、そんな事を口にしていた。
「ええ。ではここにいますね。ウィリアムさんがゆっくりと休めますように」
「キュキュ!」
躊躇いもなく返された言葉は、語りかけるような優しさで、頬に触れた髪の毛の感触からすると体を屈めて耳元に囁かれたようだ。
睦言のような甘さだが、ネアはただ、こちらが眠っていると思い声が届くようにそうしてくれたのだろう。
髪を撫でてくれる手の感触に、ふうっと深い息を吐く。
また少し目を閉じていると、今度は寝台の周囲が騒がしくなった。
「おい、こいつに好き勝手にさせ過ぎだぞ」
「まぁ。アルテアさんも心配で来てしまったのですね?」
「放っておくと、お前が、何かしでかしているかもしれないからな」
「くたくたのウィリアムさんに、悪さはしないのですよ?」
「どうだかな。………ったく、もう充分甘やかしただろう。そろそろ起こすぞ」
「ディノ。アルテアさんは多分、ウィリアムさんが起きてこないので、寂しくなってしまったのだと思います」
「キュ?」
「仲良しさんですものね」
「…………やめろ」
(………アルテアか)
そう言えば、ヴェルリアのことで話しておきたいことがあったのを思い出し、心地よい眠りを惜しんだ。
確か昨晩、明日にまたと伝えておいたのだ。
「………やれやれ、アルテアが来たとなると起きた方が良さそうだな。………それと、ここは俺が借りている部屋なので、勝手に入らないで下さい」
「言っておくが俺は午後から用事がある。話しておきたいことがあるのなら、さっさとしろ」
「もう起きますよ。…………ネア?」
「起き抜けはとても肌色になりそうなので、そちらを見ないようにしています」
「おっと、すまない。すぐに浴室に行くからな」
「ふぁい………」
「キュ………」
「ったく。だから、こいつの部屋には入るなと言ったんだ」
「むぐぅ。しかし、今日のお昼はリーエンベルクの自家製ベーコンが切られるので、是非に食べて欲しかったのです」
そんなやり取りを背後に聞きながら、浴室に向かった。
どこかで僅かな終焉の予兆が感じられたが、今はいいだろう。
こんな日は、ゆっくりと怠惰に過ごすのも悪くない。
引き続き、7月いっぱいはSSの更新となります。