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悪い妖精と怖い魔術師




ひたひたと滴るのは、誰の血だろう。

その少しも清廉ではない雨の中を縫う様に歩き、散らばった被害者達の残骸を踏み荒らしたのであろう妖精を、手にした剣で切り捨てる。



洞窟の奥にいたのは、親しくしている部下の一人で、こちらを見ると、うんざりとした様な顔で首を横に振った。


成る程、襲われた同業者は助からなかったらしい。

こちらもうんざりだという顔をして溜め息を吐くと、ひとまず商人の亡骸だけは簡単に埋葬しておくように命じた。


散らばっている荷物の中から積荷のリストを探し出し、ぱらぱらと捲っていたのは、埋葬の駄賃代わりに、こちらで持ち帰れる荷物がないかと考えたからだ。


そしてそこに、同じ相手と商売をしているジルクにだけ分かる、厄介な納品先名を見付けてしまった。




「言っておくが、お前の為に繋ぎをつけた訳じゃないぞ」

「そりゃあもう、ご主人様の為である事は承知の上ですよ。ですが、……今回は少し厄介な問題ですからね」

「やれやれだな。………そちらはどうだ?」

「うーん。足跡が消されていますね。………あまり賢い妖精じゃない筈なんだけれどな」

「……………お前の場合は、問題を起こすなり首を落としているから、追うまでもないんだろうが」




今、ジルクの前にいるのは、終焉の魔物と選択の魔物だ。



会を通してまずは選択の魔物に繋ぎを取り、そこから終焉の魔物を呼び出して貰ったのだが、正直なところ、終焉の魔物が嫌いなジルクはもう帰りたい。


自分が主導しなければならない事件なのは確かであるし、そもそも、こちらの事情ではないにせよ、呼び出したのはジルクなのだ。

そんな事を言う資格はないのだが、とは言えこちらも被害者である。




「残業はしたくないんだがなぁ………」


ぼそりと呟くと終焉の魔物がこちらを見たような気がしたので、慌てて肩を竦めておく。

今夜は美味い肉でも食うしかないなと溜め息を吐き、もう一度経緯を説明した。




「被害に遭ったのは、ウィームの商人の一人ですね。荷物を狙って襲撃したのは疫病の系譜の妖精達で、この通りの惨状でしたので、たまたま遭遇した俺と俺の部下が、残って死体を食っていた妖精は駆除しました。………で、この名簿を見付けた訳です」



ジルクが見付けた名簿には、リーエンベルクの歌乞いが使う商品予約用の代理名があった。

リーエンベルクでは、幾つかの取引用の名簿名前を使っているが、その中でもジルクが最近やり取りしているご主人様用のものだったのだ。



「…………この香りからすると、特定の香料を幾つか運んでいたらしいな。流行り病の妖精の目当てはそれだろう。最近は、食事からの予防策などが広まっていて、悪戯を出来る人間が減ったことに不満を持っていたようだからな」

「よりにもよって、その中にあいつの注文した商品が入っていたのかよ……」

「ただの襲撃事件なら放っておくんですがね。ご主人様宛ての荷物で、相手は魔術を繋げることに長けた、流行り病の妖精ときている。こりゃ、早急に見付けて潰した方がいいかなと思って、声をかけた次第です」



ジルクは、とてもとても商人に徹した。


ここで自我などを見せ、終焉の魔物との質疑応答の時間を増やされても堪らない。

犯人が終焉の系譜の者だったので無駄を省く為に繋ぎを取りはしたものの、やはり、可能な限り関わりたくない相手ではある。



「……………で、何でお前はその恰好なんだよ」

「洞窟の天井まで血飛沫だったんで、着替えざるを得なかったんですよ。………と言うか、あの妖精は食い散らかし過ぎじゃないですかね」

「……………どうだろうな。このような方法で人間を襲う妖精じゃなかった筈なんだが、………何か、襲われた商人が対策を誤ったのかもしれない」

「ほお。…………妖精を狂暴化させるとなると…………」

「……………あー、………そう言えば、道中に狼の解き薬が落ちていたという報告があったような」



ジルクが部下からの報告を思い出してそう言えば、選択と終焉の魔物は酷く嫌そうな顔をした。


狼の解き薬は、獣化した使い魔の擬態を元に戻すときに使うものだ。

擬態解除に魔術を使わずに、薬草の力で強制解除出来て便利なのだが、獣化していないものが服用すると獣化するという副作用がある。



(……………妖精除けの薬と間違えて、そいつをばら撒いちまったのか)



となれば勿論、山猫であるジルクも歓迎しかねる事態なので、獣化した妖精などというものとは、早々に手を切りたい。



今回の発見は、結果としてはご主人様を守ったことになる。


何某かの恩恵もあるだろうが、こんな事件現場を見付けてしまった部下をこっそり呪いつつ、終業予定時間までどれくらいあるのかを考えてみた。

これから妖精を探しに行くとなれば、どう考えても奇跡でもない限りは終わる見込みの欠片もないが、いい肉にいい酒も付けるとして、一体、何時になったら晩餐に入れるのか。



「悪変の状態によっては、どこかに追い込んで橋ごと落とすしかなさそうですね………」

「お前は、その気軽さでこの世界を減らすのはやめろ。剥離が必要な段階以前に、お前の系譜の連中だろうが」

「アルテアだって、ボラボラの集落をこの世界から剥離出来るなら、そうしませんか?」

「……………その名称を出すな」


聞こえてきた会話から、そう言えばボラボラは選択の系譜だったかと思い、見合った系譜であるのに、系譜の王にとっては喜ばしくないのだなと考える。

こんな小さな事がいつか商売の助けになったりもするので、ジルクは誰かの会話には聞き耳を立てる方だ。




「……………っ?!」



しかしその直後、全身の毛が逆立つような、嫌な嫌な感じがした。


竦み上がって何歩かよろめき、このような場合は矜持などはどうでもいいのでと、素早く魔物達の方へ移動する。



「ジルク?」

「……………とんでもなく悍ましく、嫌なものがこっちに来ますね」

「ウィリアム、何か感じるか?」

「……………うーん。かなり終焉の気配が強いですね。…………でも、この気配はどこかで…………おっと」




ずだん。



その直後、何かを紐で纏めて引き摺って来た一人の男が、持ってきたものを投げ出すようにして、洞窟の入り口に姿を現した。

こちらに気付き視線を上げると、鮮やかな紫の瞳が、ぞっとするような冷ややかさを帯びる。



「……………ここで出会うとは思わなかったが、この荷馬車が襲われた一件に関係がある者は?」

「………お前絡みかよ。襲撃された荷馬車を見付けたのが、山猫商会だ。会を通して俺に連絡が入り、ウィリアムを呼んだのは俺だな。…………贔屓の業者だったのか?」

「そうだな。………たまたま近くにいたので、馬車を襲った妖精は全員捕まえたが、薪にもならない」



凍えるような声音でそう呟いたのは、界隈では有名なスープの魔術師である。


どうやら愚かな妖精達は、スープの魔術師の贔屓の業者を、よりにもよってスープの魔術師の近くで襲い、呆気なく捕縛されたようだ。


しかし、そんなことはもはやどうでも良く、ジルクは、一刻も早くこの場から離脱したかった。

冷ややかな怒りを滲ませるスープの魔術師の近くにいて、運悪くスープにされないと誰に言えるだろう。



機嫌の悪いときは勿論、機嫌のいい時ですら、気紛れに出会ったものを片っ端からスープにしていく邪悪な魔術師なのだ。

山猫商会では魔術師も扱うが、例え誰であれ、決して近付いてはならないとされる筆頭の魔術師である。



(同じ会には所属しているが、……………この状態は無理だ!!怖過ぎるだろう!!)



こちらが猫姿にでも擬態していれば、尻尾の先までけばけばだった筈だし、ここに犯人がいないと分かったのなら、まずは殺気をしまうような気遣いはないのだろうか。



「それとも、系譜の王の許可が必要だったか?」

「いや。俺も同じような狩りをする予定だったからな。あわいに逃げ込まれる前に捕縛してくれて助かった。君が処分を引き受けてくれるなら任せるし、そうでなければ俺が引き取ろう」

「…………であれば、ここは俺が引き取る。あの商人達は、死者の国に行けただろうか」

「ああ。管理状態が良かったから、俺が到着してすぐ、系譜の精霊に案内を任せてある。そこは安心してくれ」

「それなら、…………せめてもの幸いか。この血臭だと、死者を食うようなものも集まりかねなかったが、まずは妖精達の捕縛を優先してしまった」



ふうっと息を吐き、スープの魔術師は肩を竦める。


少し落ち着いたようだが、まだ充分に怖いので、ジルクは、何でこんな人間がいるのだろうと思わずにはいられなかった。



「…………やれやれ。思っていたよりも早く片付いたな。アレクシス、その妖精が馬車から持ち去ったと思える品物を見掛けなかったか?」

「それなら、洞窟の外に布袋がある。流行り病の妖精が触れたからには、注文した顧客が疫病との縁を繋がない様に焼却処分しておいた方がいいだろう」

「ああ。勿論そのつもりだ」

「ネアは、何を注文していたんです?」

「星明りの蜂蜜バタークリームだ。星明りごと漬け込んだものは、サナアークにしかないだろ」

「ああ、………結構珍しいものですね」

「あ、それであれば、うちの商会でも取り扱いがあるので、すぐに代わりの品物を用意しますよ。それでご主人様には無事にご所望の品物が届きますが?」

「支払いは俺でいい。代わりに届けておけ」

「はいはい。ではそうしましょう。………さーて、これで仕事が無事に終わりそうだ」

「……………この妖精達は、俺の娘の待っていた品物も台無しにしたのか」

「ここでまた、そんな感じになるのはやめてくれ!!」



怒りを鎮めかけたスープの魔術師の様子がまたおかしくなったので、ジルクは、慌てて宥めにかかった。


その結果、なぜだか分からないが、星明りの蜂蜜バタークリームを、注文数の二倍届けるということで何とか落ち着かせ、尚且つ、スープの魔術師が発注していたらしい、砂水晶の麦の取引きもこちらで請け負う事になる。



精神的な負荷が酷過ぎると、ほうほうの体で何とかアルテアに続いて洞窟を出ると、外で待たせていた部下が大きな木の根元で失神しているのが見えた。


その前をスープの魔術師が通ったのは間違いないので、相当に怖かったのだろう。



「……………違う意味で、お二人を呼んでおいて良かったですよ。あんな生き物と洞窟で二人きりになったら、間違いなく俺も失神しますからね」

「おい、少し離れろ………」

「うーん。今更ですが、ほぼ狂乱状態になった流行り病の妖精を三人も、彼がどうやって捕まえたのか不思議ですね………」



系譜の王ですら首を傾げるようなことをやってのけた相手と、当分の間は砂水晶の小麦の取引きをしなければならないと知り、ジルクは、今夜の晩餐ではダッカルの蜂蜜酒を開けると決めた。


利益は大事だが、もっと大事なのは己の人生なので、望ましくない相手との取り引きは可能な限り避けてきたのだ。

それなのに、納品に行った部下がスープになって戻されてきたら、一体どうしてくれるというのか。



スープの魔術師の話していた布袋は、確かに洞窟の外に置かれてあった。

この様な品物を放置してはならないと理解している者に犯人が捕らえられたのは、間違いなく幸運なことだろう。



「星明りの蜂蜜バタークリームは、ここにひと箱、………中は六瓶ある。これで全部だな」

「はいはいっと。…………ええと、残っていたリストにある数と一致しますね」

「それなら、これを処分して完了だな」

「俺がやっておきましょう。系譜の者の仕業ですし、終焉の領域で魔術の縁を絶っておいた方がいい」

「ああ。そうしておけ。……………ったく。あいつはその場にいなくても事故るようになってきたな……」

「はっはっは。やめて下さいよ。たった今、そんなご主人様行きの品物の注文と一緒に、スープの魔術師との取り引きが決まったばかりなので、今の発言は不穏過ぎる……………」


ぞっとしたので笑い飛ばそうとしてそう言えば、なぜかアルテアが、こちらをじっと見るではないか。



「さ、さぁ、解散だ!!解散にしましょう。俺の仕事は終わりですし、ご主人様も安泰だ。後はもう、ここから一刻も早く離れるに越したことはない」

「ああ。もういいだろう。…………そういえば、あの商人達の弔いを済ませたのは、お前達か?」



アルテアに尋ねられ、ジルクは失神したままの部下を肩の上に担ぎ上げながら頷いた。


商人同士で蹴落とし合いとてするし、商売敵の失態を喜んだりもするが、今回のような現場を発見し、こちらに余裕があれば、犠牲者を弔うのは当然のことだ。

使える素材があれば拝借するが、今回は素直に死者の国に差し出せる相手だったということもある。



(………でも、……もし、被害者が素材になりそうな魂の持ち主で、それを加工しているところにスープの魔術師が来たら……………)



ふと、そんな事を考えた。

その時に、自分達は事件に無関係だと説明しても、スープの魔術師はこちらの言い分を信じなかったかもしれない。



「………っ!!」



そう考えると悪寒がしたので、ジルクはそそくさとその場から立ち去った。


スープの魔術師を怒らせた妖精達がどうなるのかは分からないが、知ってしまえば悪夢を見るかもしれないので是非にやめておこう。



その夜は、洞窟の外で失神していた部下と二人で、上等な蜂蜜酒を開け、棘牛のステーキをたらふく食べた。


酔いが回るまで飲み続けて倒れるように眠りに落ちれば、幸いにも、洞窟に入ってきた瞬間のスープの魔術師の夢は見ずに済んだのだった。









本日の更新は通常更新寄りとなりました。


なお、7/20までとお知らせしておりましたが、

書籍作業にて追加作業が発生してしまいました為、

引き続き、7月中は2000〜程度の更新とさせていただきます。

お休みをいただく日や通常更新の日もあるかと思いますので、そちらはあらためてTwitterでお知らせさせていただきますね。

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