青い木の実と風の竪琴
風の竪琴と呼ばれる日が、必ず夏至祭の近くにある。
ぽろんぽろんと、どこからか竪琴を奏でるような風音が聞こえてくると、その日が始まるのだ。
特に障りがある訳でもなく、何か祝福が得られる訳でもない。
けれどもその日は、果実の実る木の側に長時間留まってはならないと言われていた。
その日、ルドヴィークは珍しく一人だった。
ミュウさんは昨晩、母の手作りの肉入りスープを飲み過ぎてしまい、まだテントで眠っている。
その他の誰かをというには一人で羊たちの様子を見に行くのが当たり前の暮らしなので、ただいつものように霧の這う山の斜面を歩き、気になる小石は拾って端にどかした。
「ああ、星の欠片かな。お茶に入れて溶かして飲んでしまおう」
途中で綺麗な星の欠片を見付け、思わぬ収穫に嬉しくなる。
きらきら光るものはすぐに妖精に取られてしまう季節なので、こんな風に上質な星の欠片を拾える事は滅多にない。
濃く淹れたお茶に星を溶かし、少しだけバターを溶かしたお茶は、この季節でも冷え込む夜明けに飲むと美味しいのだ。
そんな事を考えながら歩いていたら、どこからともなく風の竪琴の音が聞こえてきた。
おやっと眉を持ち上げ、聞き間違いではないと分かると、まずは自由にさせていた羊達を集めてしまう。
麓の町ではよく分からない程度のものとされている風の竪琴の日は、雲がかかった山の上の方からおかしなものが下りてくるのだ。
(…………子供の頃、僕がそう説明したら、信じてくれたのは家族だけだったな)
そんな事を思い出してくすりと笑う。
それは何も、ランシーンの人々がルドヴィークの言葉を蔑ろにしたということではなく、この辺りの土地では、よく子供が妖精に幻を見せられるのだ。
妖精の悪戯を退ける術を身に付けていない子供達は、怖い怪物や、美味しそうな果物のなる木などを見せられて大騒ぎしてしまい、妖精達はその様子を見て大笑いするのである。
なのでその時のご近所さん達は、ルドヴィークが妖精に悪戯をされたのだと信じ、香りの強い香草のリースや、ひと掴みの塩に、とっておきのお酒など、妖精が嫌がって退散したり、反対に喜んで悪戯を止めてくれるようなものを持たせてくれたのだ。
けれども、ルドヴィークの家族は、小さな息子が妖精除けの魔術に長けている事を知っていた。
恐らく近隣の誰よりも目が良く、星の降る夜には遠い砂漠の商人達の声を聞いている事を。
なのでルドヴィークの家族は、まずみんなで集まって真剣に話し合い、知ってしまったことで何かが障らないようにと、山の上から下りてくるものの対策はこっそりと行う事になった。
(木の実を求めてやって来るのではと話していたのは、大叔父さんだったな。古い言い伝えには意味があるから、決して蔑ろにしないようにその中で答えを探そうって話していたっけ)
そんな大叔父は、鮮やかな橙色の羽を持つはぐれ竜が現れた際に、甥のアフタンを守って食べられてしまった。
討伐も叶わず飛んでいってしまったのは、火食い鳥と竜の子供であるらしいということになり、こちらも今はいない畑の斜面の長老が、異なる種族が重なった生き物はとても危ないのだと、皆を集めて話をした。
あの夜は、暗くて悲しくて、少しだけ胡椒の匂いがした。
集まった誰かの家で、胡椒煮込みを作っていたのだろう。
そんな香りのする集会用のテントの中で、もしまたあの竜が来た際には、戦わず避難するという方針が決められ、実際に、間を空けずに二度もランシーンにやって来たはぐれ竜は、その後はぴたりと姿を消した。
(戦って被害を出してもいけないから、ここでは獲物が狩れないと思わせてしまえば、狩り場を変えるだろうというのが畑の斜面の長老の考えだった)
叔父は怒っていたが、結果として被害を拡大させることこそが危ういのだと説得され、警報が出ている間はむっつりと黙り込んでテント中にいたような気がする。
ルドヴィークは、大好きだった大叔父を食べてしまった竜を最初に見付けた時、綺麗だと思ってしまったことが悲しくて、黙ったままテントの中にいた。
気付いた兄が優しい味のする星を溶かしたお茶を淹れてくれて、怖いものは多くの場合は美しいけれど、だから怖いので仕方がないとなぐさめてくれたのだ。
「……………これでいいかな」
そんな昔の事を考えながら、子供の頃に大叔父が決めた通りに、慌てている様子を見せずに、羊達を連れ戻した。
山の上に行かないように羊達を柵の中に入れてしまうと、周囲にうっかり実をつけている木々がないかを確認する。
このような土地に大きな果実の木が人知れず自生している事はあまりないのだが、時々、何かが落としていった種が芽吹いていたり、土地の祝福が強くなった時に、鉱石の木が育ってしまうことは少なくない。
普段はないものだからと確認を怠らないように歩いて回り、テントの周りを全て調べる頃には、風の竪琴の音は随分と近くなっていた。
「そろそろお茶にしようか」
テントの入り口から顔を出し、そう言ってくれた母に頷いた。
これは、よくないものが現れた際に交わされる合言葉のようなもので、近付いてきているものに悟られないように、皆でテントの中に集まる為の呼びかけなのだ。
昨日のスープの肉を持ってきてくれた叔父さんは、既にテント中にいて、先程まで荷車の車輪を直していたからか、濡らした布で手を拭いている。
ミュウさんはまだ寝ていて、お腹を撫でてやると幸せそうにくぴくぴ鼻を鳴らした。
「不思議だよね。あの竪琴の音が聞こえてくると、昔の事を沢山考えるんだ」
「そういうものなんだろ。…………昔、親父達が、この世界ではない前の世界から迷い込んでくる影みたいなものだって話していたからな」
「うん。そんな風にずっと迷っているのなら、いつかは迷わなくなるといいんだけれど」
そう言って敷物を重ねた床に座り、ふうっと息を吐いた時のことだった。
背中を伸ばして天井を見上げたところで、テントの枠組みの木に干されている、青い木の実の刺繍がある飾り布が目に入った。
(しまった…………!!)
はっとして立ち上がったその時、ずぞぞぞと重たい音がテントの外から聞こえた。
湿ったものを引き摺るような、悍ましい音だ。
「母さん!!すぐに…」
「……………これだから、夏至の日は」
どうにか母を避難させようとしたその瞬間、隣に誰かが立つ。
ひっそりと静かな声が落ち、突然姿現れた黒い髪の友人に目を瞬いた。
テントの外の音が聞こえた瞬間、ぐっと周囲が暗くなったような気がしたが、今はもう普通の明るさに戻っている。
そして、あの悍ましい音は、もうどこにも聞こえなかった。
「…………アイザック」
「あれはなぜか、私の側には近付かないんですよ。前の世界層の私と同じものなのではないかと考えておりますが、確認のしようはないでしょうね」
「そうなんだね。………今回はちょっと怖かったから、君が来てくれて本当に良かった」
「……………偶々、こちらの支店に立ち寄りましたのでね。少し、こちらで休憩をして行っても?」
「うん。勿論だよ。もう少ししたら、夏至祭のお祭りが始まるから、少し見て行けるといいのだけど」
「そうですね。あなたの祝祭詠唱があるそうですので、そこまではこちらにいましょう」
「素直じゃないなぁ……………」
「叔父さん?」
「あらあら、お茶を出さなきゃ」
「あ、星の欠片を拾ったから、バター茶にしよう!アイザックも飲むよね?」
慌てて先程拾った星の欠片を取り出し、黒髪の友人が最近は床に座る事にも随分慣れたなと思いながら、先程通り過ぎていったものの事を思う。
前の世界のものは今の世界のものとは反対に女性が多いというので、山の上から下りて来るものも、女性だったのだろうか。
あんなに怖くなければ、アイザックに似ているならお嫁さんになってくれるくらい仲良くなれたかもしれないと思ったが、何となく、アイザックが喜ばないような気がして口には出さなかった。
後で叔父には話してみたのだが、絶対にアイザックには言わないようにと言われたので、やはり内緒にしておいて良かったらしい。
〜7/20までSS更新となります。