239. 夏至祭の夜を閉じます(本編)
ネアは、図らずも約束をこんな形で叶えてくれたウィリアムにも、食後の林檎のケーキをふるまった。
若干、短時間内で二度目の林檎ケーキとなる者達もいるのだが、ここは我慢して貰おうではないか。
タルトとクリームケーキでは趣きが違うので、それぞれの良さを見付けて欲しい。
食事を終えたエーダリア達は、艶やかな盛装姿でリーエンベルク前広場に向かうと、祝祭の夜を締めくくる最後のダンスに立ち会っている。
昼間の事件を受け、周囲には、大事なウィーム領主に何かをしたらすかさず滅ぼすという意気込みの領民達が集まり、エーダリアの会の中でも名だたる過激派が顔を揃えたようだ。
普段は遠方で潜入捜査などをしている手練れもいるそうなので、ダリルからは、警備はそちらに任せていいだろうと連絡が入っている。
「現在の被害状況は、エーダリア様に微笑みかけた妖精さん二人に、近付こうとしたもふもふ三匹、謎生物が五体に、踊り狂いの精霊も一匹駆除されたそうです…………」
「ご主人様………」
「むむ。そして、……………夏至車輪なる謎生物も……………」
ネアがその名前を出すと、さっと立ち上がったアルテアとグラフィーツがどこかに連絡をしに行く。
高位の魔物の二人がこれだけの反応を示すからには、それはどんな生き物だったのだろうと首を傾げていると、ディノが、祝祭の中階位の精霊だと教えてくれた。
「……………駆除してしまったのだね」
「あちらの会の中で、精霊さんと妖精さんは近付いた瞬間に滅ぼすという号令が出ているようです。なお、魔物さんは、何の目的で現れたのか様子を見、竜さんは追い払うだけでいいのだとか」
「うーん。なかなか過激だな。終焉の予兆には至らないが、……………祝祭の系譜を簡単に駆除出来るのか……………」
「なお、エーダリア様を悲しませてはならないと、広場では事前に何かの儀式が行われたようです。この際、夏至祭の祝福が目減りしても、エーダリア様が悲しまないのが一番なのだとか……………」
「という事は、事前に祝祭の災い祓いをしたのだろう。茨の魔術師もいるし、封印庫の魔術師達も来ていたようだからね」
祝祭の多くは、災いに見えるものの中にも祝福がある。
特にその傾向があるのが夏至祭で、花輪の塔の周りのダンスでは、危険と隣り合わせのダンスだからこそ、得られる祝福も大きなものになるのだ。
という事は、一定の災いを先んじて払ってしまうともなると、得られる祝福も減ってしまう。
(でも、それでもいいと思う人達が多かったのだろう………)
カードから次々と上がってくる報告に、ネアは、今迄、なぜかずっと一般人風の佇まいでいたエーダリアも、今日こそは一般人の皮を脱ぐ日だと考えていた。
静かな部屋にはそのリーエンベルク前広場からのものと思われる喧噪が届き、近くの庭園や森からは、優美な旋律だが少しだけ空恐ろしい気配のあるワルツが聞こえてきている。
(夏至祭の夜……………)
そんな夜に、ずっと昔は誰もいない森の中で立ち尽くしていた人間は今、いそいそとダンス用の靴に履き替えながら、リーエンベルクの広間の一つに入ったばかり。
同席してくれているのは四人の魔物達で、けれども、こんな風に寄り添ってくれるのが人間ではなく魔物であるからこそ、ネアは安心して微笑めるのかもしれなかった。
この在りようは異端だと言うものがおらず、そもそもが人間とは違う価値観の者達だからこそ。
(私が、夏至祭の怪物でも、魔術の成果物でも何でもいい)
あの日のネアハーレイは自分の意思でその選択肢を取り上げたし、一度だって後悔しなかった。
一人ぼっちでも、誰にも見付けて貰えなくても、家族を殺した人は許さないし、ちくちくしているセーターなんて着ようとは思わなかった。
だから、この美しくも恐ろしい世界の人ならざる者達に囲まれて暮らす不思議で安らかなこの家で、これまではどこにもなかった筈の広間の扉が開き、その広間の真ん中に夜の湖があったとしても、何も躊躇う事はない。
円環の中に怪物を収め、夏至祭の輪を閉じることでそれを鎮めて定着させる。
思えばその通りなのだが、封印や調伏の多くは、災いを鎮めるのと同時に、その場に収めるものでもあった。
差し伸べられた手に、安心して手を重ねる。
ネアの前に立っているのはそれはもう凄艶な美貌の魔物であるが、ネアがこの世界で得た最初の家族で、ネアをこの場所に呼び落としてくれた大事な魔物だ。
白いコートの裾には複雑で精緻な刺繍模様が入り、枝葉や花々のモチーフの中にも、どこか聖衣めいた趣もある。
真珠色の三つ編みに、今日はラベンダー色の最初のリボンだ。
時々とても当たり前になるけれど、この魔物が当たり前のようにいつも隣にいてくれるので、ネアは安心して生きられるようになったのだった。
「私が最初でいいのかな」
「ええ。シルハーンが最初で、次がウィリアム、その次にアルテア、俺の後に領主達を挟み、最後にシルハーンで輪を閉じるのがいいでしょう」
「…………ネア。随分沢山踊るようになるけれど、疲れてしまわないかい?」
「あら、私はかつて、壮絶なダンスバトルを繰り広げた事のある猛者なのですよ?」
「薬湯を飲んでおかなくても、大丈夫なのかな………」
「……ぎゅ。沼味はいらないのですよ……」
「……………祝福過多になると、内側に押し込める要素が減りますよ」
ディノにだけは敬語で説明してくれるグラフィーツにそう言われ、水紺色の瞳を悲し気に揺らしていた魔物はこくりと頷いた。
ネアは、大事な魔物の手を取り、夏至祭風の白いドレスにさっと着替えて来て美しい広間に立つ高揚感に心を弾ませつつ、伴侶の顔を見上げた。
はらはらと、白い花びらが、僅かに動いた魔術の風に揺れる。
「ディノ。私と、夏至祭のダンスを踊ってくれますか?」
「…………うん。君が、…………この世界やこの土地に、少しでも深く根付けるようにね」
「はい!…………ずっと、なのでしょう?」
「虐待した………」
「解せぬ」
ここでなぜか、ディノはくしゃくしゃになってしまい、ネアは、少しだけ体幹が安定しない魔物と一曲目のワルツから踊り始める事になった。
流れ始めた音楽は、優美で美しく、少しだけ切ない。
見慣れない広間には美しい湖があって、そこには、ディノが振り撒いた真珠色の薔薇の花びらがある。
特別な伴侶の薔薇の花びらを踏むのは悲しかったが、これは、踏み締めて輪を象る魔術の技法なのだ。
背中に回された手に、一緒に踏み出すステップの爪先。
ふわりと広がるドレスの裾は、かつての夏至祭用に仕立てたものを少し手直しした、コットンのスカラップレースが繊細な花びらのように重なるものだ。
頭にはリーエンベルクの庭園から貰ってきた薔薇で作った薔薇冠を飾り、ネア達のダンスではらはらと舞い上がる白い花びらの影の落ちる湖の上で踊る。
耳には念の為にヒルドの耳飾りを付け、この広間は、ダンスの間だけ、ウィリアムの固有魔術で遮蔽されていた。
(後で、夏至祭のお仕事から戻ってきたら、エーダリア様やヒルドさんに、ノアとも踊るのだ…………)
祝福と災いを司るグラフィーツは調整役で、家族全員と踊って夏至祭の輪を重ねて閉じるというこちらの手法は、今夜だから許された贅沢な守護の重ね掛けなのだという。
これ迄のように、ネア一人が盤石でもいけないのだと発覚したのが今日であったので、今後の漂流物の訪れも踏まえ、家族の輪として結びをずしりと重たくする方式である。
これは、エーダリアにも効果があるのだと聞き、思いがけない時間ではあるが、ネアは張り切っていた。
確かに、意識を失うような目に遭った日の夜に、これでもかと踊る事になるので体力面での心配はあるものの、あの夏茜のスープを飲んでからは妙に体調がいい。
(アレクシスさんのスープが、体力も回復させてくれたのかな……………)
なお、グラフィーツがとても弱ってしまったが、トマトの何某から付与された祝福は、一度だけ、偉大なるトマトの守護を得られるという素敵な物だった。
そんな祝福を紐解いてくれた砂糖の魔物によれば、あのトマトは、犠牲の魔物ですら弱らせることが出来るので、かなり有用なものらしい。
また、鳥籠の中でその威力を見たばかりだというウィリアムによると、広範囲で高位の者達にも魔術付与出来るので、使い方次第では思いがけない祝福となるかもしれないそうだ。
ネアは、一年間美味しいトマト料理を、服にトマト染みが出来ず好きなように食べられる祝福がいいなと思っていたので少し残念だと考えていたが、トマトの助けを得られるというのは想像以上の事であるらしい。
(グレアムさんを弱らせてしまうくらいともなると、寧ろ漂流物にも効くのでは…………)
そう考えないでもなかったが、もし、トマトの存在しない世界層やあわいから訪れるものであった場合は、望んでいたような効果を得られない可能性もある。
過信し過ぎず、ここは慎重に使っていこう。
くるりとターンを回り、見つめる先で目元を染めて嬉しそうにしているディノに、ネアも微笑みを深めた。
今日は何だかややこしい話を沢山したし、ネア自身の履歴に触れるような事や、大事な家族が酷い怪我をするような悲しい事件もあった。
(…………ああ、でも、もうすぐ夏至祭の夜が終わる)
その最後に、必要だからという理由であっても、大事な人達と夏至祭のダンスを踊れるのは、なんて幸せで贅沢な事なのだろう。
守りたいものがあって、守ろうとしてくれる人達がいるという証でしかないダンスの時間は、ネアにとってこの上ない贈り物でもあるのだった。
(これからも私は、何かを守ろうとしたり、怖い目に遭って威嚇したりして、天秤を災いに傾け、怪物としての魔術の結びを浮かび上がらせてしまうこともあるかもしれない)
けれどもここは、そんな怪物も安心して生きていける素敵な土地なのだ。
そして何よりも、大事な家族がここにいる。
「………ディノ、有難うございました。今度は、ウィリアムさんと踊ってきますね」
「……………うん」
「ディノは私の特別な伴侶だということで、特別に最後のダンスもあるのですよ。次のダンスを楽しみにしていて下さいね」
「ずるい……………」
「シルハーン、ネアを借ります。………ネア、続けてで大丈夫そうか?」
「はい!五曲くらいまでなら、これでも通しで踊れるのですよ。……………季節の舞踏会で、すっかり鍛え上げられてしまいました……………」
「おっと、そう言えばそうだな」
少しだけ遠い目をしたネアにくすりと笑い、今度はウィリアムが手を取ってくれる。
この際、男性側がネアの手を離さずに引き継ぐことで、ダンスという行為そのものにも円環の役割を持たせるのだそうだ。
幸いにも途中休憩はありで、その代わり、必ず誰かと手を繋いでいる必要がある。
ダンスの中であれば手を離すのは構わないが、それ以外の時に手を繋いでおくのは、皆で踊るという行為そのものを円環に繋ぐ為の目印になるらしい。
「本当は、……………俺の祝福で足りるなら、思い切って増やすこと自体は吝かではないんだがな」
「………ですが、確か他のやり方だと、偏ってしまうのですよね?」
「ああ。少し残念だが、こちらのダンスで我慢しておこう」
「むむ?」
ふっと淡く微笑んだウィリアムの眼差しは、先程のディノの水紺の澄明さとはまた違う鮮やかさで、夜の湖に落ちる雪白のシャンデリアによく映えた。
先程よりも手の位置が少し高くなり、就寝時は少し体温が上がるウィリアムは、こんな時の体温は誰よりも低い。
しっかりと腰を抱き寄せられ、二曲目のダンスが始まった。
「今回は、夏至祭らしい少し早い曲になる。俺のステップに合わせていてくれ」
「はい!……………ふふ、…………ウィリアムさんのエスコートのお陰で、素晴らしくダンス上手になった気分です!」
「……………まさか、今年はこんなに贅沢な夏至祭を過ごす事になるとは思わなかったな。ネアが安全に過ごしてくれるのが一番だが、こんな夜を過ごせるのも悪くない」
そう言ってにっこり笑ったウィリアムは、本来ならどんな戦場にいたのだろう。
終焉の魔物の代わりにそこに残ってくれたグレアムの身が案じられたが、ギードもそちらに入ったと聞けば少しだけ安心だ。
ウィリアムはここでダンスの儀式に参加した後、夏至祭の夜が終わる真夜中から、また戦場に戻るらしい。
ネアは、その際にグレアムやギードに渡して貰えるよう、片手で簡単に食べられる林檎の一口ケーキを持って行って貰う事にした。
ほんの一口だが、その場で三人で食べれば、夏至祭の林檎のケーキ相当にならないだろうか。
生クリームを立てたのはディノなので、きっと、グレアムやギードも喜んでくれそうな気がする。
(わ………!)
ふわっと、体が浮くようなターンがあり、ネアは満面の笑みを浮かべてしまった。
ウィリアムの体格だからこそなのだが、このターンで感じられる浮遊感はやはりわくわくしてしまう。
そして、弾むようなテンポの速いダンスだけではなく、曲の結びのしっとりした部分も安心して任せられるダンス上手な終焉の魔物の手から、今度はアルテアの手に引き渡された。
「いいか。転ぶくらいだったら、少し休めよ」
「あらあら、季節の舞踏会では、二曲で終わるような事などないのですよ?」
「祝祭と音楽と信仰による精神圧だ。お前の可動域ではどれだけ感じ取れたか分からないが、違和感を覚えたら無理に進めず合図をしろ」
「私の上品な可動域は、如何なる時も有能なものなのだ…………」
「やれやれだな……」
次の音楽は、艶やかだが僅かに仄暗い、心を揺らすような美しい音楽だった。
ネアは、ステップ自体は踊り慣れたワルツからの転用のこの曲をどこかでも踊ったなと感じ、秋告げの舞踏会の代わりに出掛けたメデュアルの舞踏会の夜を思い出した。
死者の国にもある歌劇場と同じ場所で踊ったダンスだと思えば、どこか不思議な彩りが深い色を湛えた夜の湖面に落ちるような気がする。
ネアは、ほんの少しだけ幼い頃の記憶に焼き付いている壮麗な歌劇場を思い、舞台に立つ為のドレスを着た母がどれだけ美しかったかを考えていた。
でも、それはほんの一瞬だけのこと。
多分、この夜に考えるべきなのは、ネアハーレイがネアになってからのことがいいだろう。
であれば、メデュアルの夜の美しくも悍ましいお客達だろうかと考えかけ、ネアは、フルーツケーキを貰ってくたくたになっているちびふわの方が素敵だなと考え直す。
「……………おい」
「何も言っていないのに責められる体ですが、私が、なぜちびふわの事を考えていると分かるのです?」
「いいか、その妙な目つきをやめろ。……………それと、少し左側のステップが浅いんじゃないか?」
「むぐ?!」
ぐいっと抱き寄せられ、ネアは慌てて体を寄せる。
ここはしっかりステップを踏むべき箇所なので、ターンのように身を任せきりには出来ないではないか。
ネアは赤紫色の瞳を見上げ、小さく唸りながらも既に踊り慣れたこの魔物とのダンスの山場を、ステップの間違いなく乗り越えてみせた。
「ほお、……………なかなかだな」
「ぐるるる…………」
「相変わらず、情緒らしきものは、欠片も見付けられないがな」
「まぁ。こんな素敵なドレスと、薔薇冠が見えないのですか?」
「残念ながら、道具を揃えても情緒は足し上げられないらしい」
「ぐるる」
こちらを見て、ふっと微笑みを深めたアルテアは、どこか危うくぞくりとするような背徳的な美貌である。
ウィリアムにも危ういような美麗さがあるが、やはりどの魔物も身に持つ微笑みの温度が違うのだろう。
今日はグラフィーツが漆黒の装いなのだが、代名詞かなという漆黒のスリーピース姿ではなくても、選択の魔物らしい佇まいは少しも揺るがない。
そんなアルテアのリンデルの光る手から、次にネアの手を引き取ったグラフィーツは、まったく未知の魔物とのダンスである。
思わず、次のパートナーをじっと凝視してしまうと、少しだけ眉を寄せ、真面目に踊るようにと叱られてしまった。
「ほわ、……………先生です」
「弟子というよりは、出来の悪い……………子供のようだがな」
「まぁ。となると私は、義理のお父さんが二人になってしまうのです?」
「……………続けて踊れそうなのか?」
「はい。まだまだ踊れますよ!ただし、未知の過激なダンスが適用されると、途中で儚くなる可能性もあります」
実は、ネアは、この魔物とのダンスをとても警戒していた。
こんな風に漆黒のスリーピース姿の落ち着いた雰囲気であるが、時々丁寧にピアノを教えてくれるグラフィーツばかりが、砂糖の魔物の姿ではない。
明らかに様子がおかしい、極彩色の装いのお食事風景を先程見たばかりなので、あちらのダンスを持ち込まれると、繊細な乙女の心は死んでしまう可能性があった。
「普通のワルツでいいだろう。まずはここで一度目の調整を入れるので、最後に踊るシルハーンと経路を重ねておいた方がいい」
「はい!ワルツなら得意なのですよ」
微笑んでそう言えば、こちらを見た砂糖の魔物の不思議な青い瞳が、僅かに揺れた。
ああ、この人は額縁の向こうに今どんな風景を見ているのだろうと思えば、何やら不思議な気持ちにもなってしまう。
他の魔物達とは違い、グラフィーツの視線の先に居るのはネアではない。
勿論、こうして手を貸してくれるにあたりネアもいるにはいるのだが、彼が守りたいのは、ネアの向こうに見えるもっと別のものなのだろう。
けれども、そんな感覚が少しも不快ではなく、寧ろ、こんな眼差しをしている時のグラフィーツは、とても頼もしいのだった。
(最初に接点があったのは、私とディノのとても大切な日だった)
あの時はやや遠くにいて、グレアムに捕縛されていたようだが、ディノによれば、ウィームで姿を見かける事自体は以前からそれなりにあったという。
とは言え、すれ違うだけならそのような者達は決して少なくないので、ディノもあまり気に掛けていなかったのだろう。
こんな風に一緒に踊るなんて思いもしなかったが、グラフィーツのエスコートは一番穏やかで柔らかく、ネアは、まるで家族のように大事にして貰えるのだなと驚いてしまった。
「不思議ですね。今の私の家族とは少し違うのですが、グラフィーツさんとダンスを踊ると、家族や親族と踊っているような感じがします。…………実際には、親族とダンスを踊るような機会はないままでしたが」
「…………お前の一族が背負っていた祝祭による災いは、………本来は祝福だったのだろう。約定の下での奉仕と守護であったものが、どこからか、扱いを間違えた者達のせいで災いに転じてしまった。そもそも信仰の系譜は、自分を望まない者を自身の領域に置かないからな」
「きっとそれを、……………誰も正しく知らなかったのかもしれませんね。私のかつての家族も、ここに連れて来られたら良かったのですが」
「……………向こうでも幸せだったんだろう」
「………ええ。ええ!そうなのですよ。今の私がもう、ただのネアでも、みんな私の自慢の家族だったのです」
ああ、どうかどこにも行かないで。
どこにも行かずに、昨日と同じように愛させて。
一緒に手を繋ぎ、この先もずっと共に居て欲しい。
そんな願いはどこにも届かなかったけれど、きっとここで、今度こそは願いを叶えられるだろう。
そう思いどこか晴れやかな悲しみと共にグラフィーツに微笑みかけると、こちらを見てどこか困ったように微笑んだ魔物は多分、ネアの履歴に重なるどのような方法かで、たった一人の恩寵を失ったのだと思う。
「因みに、先生がつけている鈴蘭のコロンの香りは、私の母の大好きな香水の香りによく似てるのですよ」
「……………そうか」
「なので、母と踊っているような気持ちにもなりますね」
「…………いや、それはやめろ」
(……………もし)
小さな可能性が心に灯り、けれどもネアはそれ以上その囁きを追いかけはしなかった。
知るという事が知られる事である以上、この世界には隠されたままのこともあるのだろう。
例えばネアは、自分の元の名前がどんな名称に紐付くのかを知らないが、それを是非に聞き出さなくてはならないとは思わない。
最初の約束通り、不慣れなネアの代わりに面倒を見てくれる年上の魔物がいるので、そちらに任せておけばいいだろう。
「ああ、間に合ったようだな」
ここでそんな声が聞こえて、最後のステップを踏み終え、振り返った。
外での夏至祭の儀式を無事に終え、エーダリア達も駆けつけてくれたのだ。
「次は私だな、…………こうして踊る事はあまりないので、少し緊張するが」
「ふふ。エーダリア様、宜しくお願いします。広場での最後のダンスは、無事に終わりましたか?」
今夜のエーダリアは、ウィームを象徴する美しい青色の盛装姿であった。
細やかな刺繍はきっと、アーヘムの手によるものなのだろう。
縫い込まれた結晶石には、ヒルドやノアのものがあるに違いなく、生真面目な顔をすれば少しだけ怜悧にも見える面立ちには、何だか微笑ましい感じの緊張感がある。
「………二組の者達が姿を消してしまったが、思っていたより被害を抑える事が出来た。………痛ましい事件であったが、あのような事が起きた後に領民達が団結してくれたのは、本当に有難かったな………」
「あらあら、それはきっと、領民の皆さんがエーダリア様を大好きだからなのでしょう。スープ屋のおかみさんが、広場に集まる方々に、夏至祭対策スープを無料で振舞ってくれていたのですよね?」
「ああ。あのようなものは、作ろうとしても作れるものではないからな。………あらためて、領民達の頼もしさを感じた」
軽やかな踊り始めのステップに、優雅な動き。
成る程、元王子のダンスだなという繊細で上品なステップに、ネアは心の中で頷く。
どのような環境であれ、エーダリアが、自分に課せられた役割の為の努力を怠る事はなかっただろう。
ネアにはあまり馴染みがないままの王宮で、これまでにどんな人達と踊って来たのかなと考え、ネアは、これからはたっぷり、ヒルドやノアとも踊るがいいと微笑む。
そんなネアの微笑みに何を感じたのか、こちらを見たエーダリアも淡く微笑んだ。
「不思議なものだな。……………こうしているだけで、おかしな程に安心するのだ。リーエンベルクの中に戻り、家族の誰かの顔を見ると、……………どのようなときも、不思議なくらいに安堵してしまうようになった」
「きっとそれが、自分の家族のいる、自分のお家なのでしょう」
「……………ああ。そうだな。ここが、私がずっと探していた、私の家なのだろう」
「あら、奇遇ですね。私にとってもそのようです」
顔を見合わせて微笑み、ダンスを終えて、今度はヒルドに引き継がれる。
ヒルドは、ネアの手をエーダリアと繋がせたまま少し休憩させると、冷たいニワトコシロップのジュースを飲ませてくれた。
きりりと冷たい飲み物をいただき、すっきりした思いで次のダンスに向かう。
まだ疲れているという感じはなかったが、こうして一休みさせて貰うとほっとしたので、最後の魔術の結びに向けて、このような部分に気付いてくれるのもヒルドなのだろう。
「では、参りましょうか」
「はい!夏至祭の日にヒルドさんとダンスを出来るのは、ちょっぴり特別ですね」
「おや、ではこれからもお誘いいたしましょう」
こちらを見て微笑んだヒルドの美しさに、ネアはくしゃんとなってしまい、伴侶とは別の領域での憧れの妖精であると胸を熱くした。
エーダリアとのダンスも素敵なエスコートだったが、やはり心のどこかが、こちらの家族は守ってあげなければと考えてしまうので、ヒルドとのダンスになると途端にほっとする。
僅かに開いた羽には、シャンデリアの煌めきと夏至祭の夜の森の光が差し込み、不思議なことになぜか、信仰とは無縁のヒルドに大聖堂のステンドグラスの色影を思った。
「……………ほわ。今、体が浮きました!」
「ええ。夏至祭の魔術のより豊かな場所を踏む為に、少しだけ」
「ヒルドさんと踊り始めてから、足元の湖面や、窓の向こうの禁足地の森が、いっそうに綺麗に見えるようになりました。何だか贅沢な気分です」
「どちらも私の系譜ですからね。…………不思議なものですね。私の一族の治めた土地はもうないのに、こうして、その資質を必要とするネア様に、羽の庇護を与える事になったのですから」
「ディノが、ヒルドさんが私を早急に保護してくれたのは、どこかで自分の領域で庇護するものだという感じがしたからではないかと教えてくれました。妖精さんは時々、ほんの僅かな縁でも、自分に繋がるものを見付けてくれるのだとか」
「かもしれませんね。お陰で、再び家族を得る事が出来ましたから」
「はい!賑やかな家族になりましたね」
瑠璃色の瞳を細めて満足気に微笑むヒルドは、夏至祭の盛装姿の、妖精王らしい美しさであった。
長い髪は縛らずに下ろしていて、今年は、ふくよかな青緑色の装いである。
羽や髪色よりは暗い色なのだが、同系色でまとめているので、系譜を治める高貴な妖精という感じがひと際鮮やかであった。
魔物達のダンスに比べると軽やかでどこか清廉なヒルドとのダンスを終え、次に一緒に踊るのは、義兄でもあるノアとである。
青紫色の瞳をきらきらさせて待っていてくれたノアに手を取って貰い、ネアは、何だかよく似ている魔物の瞳を見上げ、にっこりと微笑む。
「さーて。張り切って踊るぞ」
「まぁ。という事は、少し早い音楽でしょうか?」
「ところがここでさ、しっとりと落ち着いた音楽を選ぶのが、僕だからね」
「むむ、ちょっぴり大人の音楽ですね………」
「ダンスはね、これでもかって踊っていた時期もあるから、色々知ってるよ。でも、家族が出来てから踊った時みたいな幸せなダンスじゃなかったけどね」
「うむ。家族なので、他の誰かには負けないのですよ!」
「うん。……………そんな大事な僕の家族が、もう二度と厄介なものに触れられないようにしよう。もう、あちら側には帰してあげられないけど、それでいいかい?」
「まぁ。私のお家はここなのですよ?」
ネアがそう言えば、そう答えるのを分かっていたくせに、ノアはくしゃくしゃになる。
幸せそうに小さく笑った塩の魔物に、ネアは、今日はあちこちで怖い思いをしたであろう義兄がやっと安心してくれた様子に安堵した。
その指には勿論リンデルが嵌められており、この大事な宝物をきらきらに磨いておくのがノアの日課である。
ノアだけではないが、リンデルというものの役割のままに使わずにがっちり守ってしまうのは、目下の悩みの種でもあった。
「ノアのダンスは、…………また違う安心感がありますね」
「求婚しちゃってもいいよ?」
「困りましたねぇ。実はもう家族なのですよ?」
「ありゃ。そうだった」
ノアのダンスは、エスコートしながらもネアの自由にさせてくれる部分もある。
伸び伸びと守られている感じがして、それでいてダンスを綺麗に優雅に導いてくれるのだ。
「さて、次で結びだね。…………時間もいい頃合いだ。真夜中の少し前で、もうすぐ、夏至祭の最終幕になる」
「しんみりせずに、最後の一杯を飲むのだと荒ぶる妖精さんが多いのですよね」
「そうそう。森も大騒ぎだよ」
ノアの手から、もう一度ディノに戻され、ネアは、やはり一番安心する伴侶の腕の中にえいっと飛び込んだ。
目を瞠って飛び込んできた伴侶を受け止め、ディノは少しだけ恥じらいながら、こくりと頷く。
「祝福と災いの円環を閉めて、夏至祭を閉じようか」
「はい。………今日は怖い事も多かったのですが、最後のこのダンスがとても楽しくて、何だかいい気分で終わってしまいそうです」
この大事な魔物が恐れるのは、ネアが、この世界で縮こまってしまうことこそだろう。
なので、素直にこの時間の楽しさを伝えてみると、真珠色の睫毛を揺らした当代の万象の魔物は、どきりとするくらいに艶やかな微笑みを深めた。
「…………うん」
「…………なお、いい感じに小腹が空いてきたので、ダンスが無事に終わったら、お夜食にする予定なのです。きっとアルテアさんが阻止してきますので、私の伴侶は味方をして下さいね」
「ご主人様……………」
「いつだって、怖い事があってもそれが終わると、ディノがぎゅっと抱き締めてくれるのです。私はここに来て、ディノに出会えて……………なんて幸せなのでしょう」
「ネア……………」
しゃわんと音がして、湖面の床石に落とした薔薇の花びらが結晶化してゆく。
窓の向こうが賑やかになったので、虹が出てしまっているのかもしれない。
ネアは、ほふぅと安堵の息を吐きながら、幸せで贅沢な気分でひたひたに満たされた夏至祭の最後の時間を終え、ダンスが終わったところで、ノアとグラフィーツが円環の魔術を閉じてくれる。
時計の針が真夜中を示す少し前に無事に魔術が閉ざされ、大広間にはきらきらとした祝福の光がこぼれた。
ネア達は顔を見合わせて微笑み合い、さて、ここで一杯と特別なシュプリが開けられる。
今夜の戦場にほろ酔いの終焉の魔物が現れるかもしれないが、乾杯も大事な魔術儀式なので許して貰おう。
(…………私の、大切な家族に)
また来年の夏至祭もおかしなものが現れても、この家族であればきっと大丈夫だという願いも込めて。
賑やかな夜は、ゆっくりと流れていった。
作業繁忙期が重なってしまいまして、
7/14から7/20までの一週間は、こちらでのSS更新となります。
期間内は、2000文字程度の更新となります。
(時々増えるかもしれません)
 




