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結びの花畑と毛皮の魔術師 2



リスプの集落の入り口でネア達を待っていたのは、色鮮やかな装束に身を包む人の良さそうな微笑みの若い夫婦だった。


男性は短い茶色の髪をしており、女性は優しい灰茶色の髪で、二人とも肩口までの長さに揃えている。

瞳の色も二人とも同じ赤みがかった茶色なので、この集落の人達は身に持つ色彩が似ているのかもしれない。



「ようこそおいで下さりました。私は、リスプの人の町の長、デデと申します」

「妻のリリと申します。遠いところまでお疲れでしょう。祭りは正午より始まりますので、まずはお茶でもどうぞ」

「リーエンベルクから参りました、ネアと申します。こちらが私の伴侶の魔物で、ターバン姿のこちらは雲の魔物さんです」



デデとリリが魔術の作法に則って挨拶をしてくれたので、ネアも安心して名乗る事が出来た。


しかし、彼等にとって負担になる高位の魔物達の名前を挨拶で伝える訳にもいかず、そちらはあえてふわりとさせておかねばならない。

高位の人外者の名前を渡されるのは、それだけ厄介な事なのだ。



「まさか、………雲の王をご同伴されるとは思っておりませんでした」



そう答えたデデの顔は若干引き攣っているが、きちんと長として受け答え出来ているのだから、かなり魔術的な抵抗力はあるのだろう。


人外者の領域であるこの地には、時折ウィームの王族もかくやという可動域の高い人間が生まれるらしい。

この長もそのような人間なのかもしれなかった。



(…………立派な門だけれど、扉が閉まるような入り口ではないのだわ………)



長達に案内され町の入り口をくぐれば、ネアはそんな事が気になってしまう。

こちらを振り返ったデデがおやっと眉を持ち上げたので、そのままの疑問を口にしてみる事にした。



「こちらの町は、観光列車が走っている土地にあるのに、扉のようなものでは仕切られていないのですね。私は、安易に観光客の方々には色々な方がいるのではと考えてしまいますが、治安の良い土地なのでしょうか?」

「この門は、招かざる者がくぐろうとすると燃え上がるのですよ。加えて、リスプの祝福は、土地の者を傷付けると受け取る事が出来ません。わざわざこの土地を訪れる方々にとっては、そのような結果は利口とは言えませんからね」

「まぁ、そのような仕組みになっているのですね!」



デデとこの町の入門編的な質疑応答をしながら、ネアは集会所まで歩いた。


祭りの日らしく、町はとても賑わっている。

そこかしこにいい匂いのする屋台が並び、観光客とおぼしき者達は、まずは腹ごしらえと言わんばかりに様々な食べ物を買っているので、ネアとしてもとても興味深い光景だが、まずは仕事を優先しなければならない。



「焼きトウモロコシだ………。あの人間から取り上げよう…………」

「ヨシュアさん、お仕事中なので我慢して下さいね」

「僕は好きにするよ。人間の集会所なんて行かないことにした」

「あら、それならお昼のお弁当はいらないのですね?」

「…………ふぇ」



幸い、ヨシュアは慌てて戻って来たので、ネア自身もぐぎぎっと視線を屋台から引き剥がし、周辺にある無難なものとして、リスプの家並みに視線を移す。

立ち並ぶ石の土台に建てられた鉱石化した木の家は、まずは木材の状態で家を建ててから、土地の祝福を借りて結晶化するのだそうだ。



「どうやって建てるのかなと不思議だったのですが、その順番なら納得です」

「結晶化には精霊達の力を借りなければいけませんが、この辺りは風が強いので、妖精達のような家ですと、建て直しだけで時間を取られてしまいますから」

「寧ろ、妖精さん達はそれで良いのでしょうか?」

「気になりますでしょ?でも、あの方々は、それで良いそうなんですよ。私は家財道具が吹き飛ばされるなんて耐えられませんから、やはり感性が違うのでしょうねぇ」



そう微笑んだリリは、デデの年上の従姉妹だったのだとか。


次期長としての資質は高いが家事全般が壊滅的なデデの世話役だったリリは、五年の求婚騒動の後に町を出ることを諦めて伴侶になってくれたと言うのだから、なかなかに波乱万丈の二人なのかもしれない。

二人が伴侶となった二年後に前の長が亡くなり、デデは長になったのだそうだ。



「エーダリア様の代理人としてはとても無知な質問になってしまいますが、やはり、この土地でのお仕事は大変なのですか?」

「はは、そう尋ねていただいた方が、我々もお話をし易いですよ。…………そうですね、人のものではない土地に暮らす以上は、麓の村々の生活より、それ相応の困難が多いのは確かでしょう。しかし、それにも勝るこの地で暮らせるという喜びがあります。その喜びが困難を上回ると知ってしまった我々は、山を捨てて生きてゆくのは難しい」


そんなデデの言葉に、からりとした陽光の微笑みを浮かべたのはリリだった。

ぱたぱたと風に揺れる独特の装束は、やはりランシーンの人々の装いに似ているが、とにかく使われている布の色合いが鮮やかだ。


「…………ネア様、ご存知だとは思いますが、この土地の固有魔術は、愛情をより濃く受け取れるというものなのです。存在しないものを作り出す事は出来ませんが、お互いを思う心の火種があれば、それを大きな篝火にしてくれる。私は、いつかここを出て違う土地に暮らしてみたいと考えていましたが、…………やはり、この土地だけで交わされる深い愛情のやり取りが染み込んだ心では、山を捨てて遠くに行く事は出来ませんでした」



そんな事を、どこか困ったような、けれども幸せそうに教えてくれたリリに、ネアも微笑んで頷く。



「ないものを得られるのであれば、得られる方にと変えてゆけるでしょうが、満たされているものを自分の意思で手放すというのは難しいことかもしれませんね…………」

「ええ。その代わり、人間の町に限らず、この土地では愛情が故の争い事は多いんです。激しい口論なども日常的ですから、リスプの人間は火のような気質だと言われることも少なくありません」

「ふふ、それもこちらに伺う前にお聞きしました。違う土地で育った私にはハラハラドキドキの環境ですが、それが皆さんにとっては当然の事だと知っておりますので、安心なされて下さいね」



ネアがそう言えば、夫妻はほっとしたようだ。


以前にヴェルリアの視察が入った際に、この土地は争い事が絶えないので要監視対象地だとされてしまった事があるらしく、そのような評価を受ける事を懸念したのであろう。


ダリルから、精霊寄りの気質の住人達であると聞いていたので、ネアは、今も通りがかった家先で夫婦らしき男女が取っ組み合いの喧嘩をしていても気にしないように努めている。



(勿論、そのような気質の人達とずっと一緒に居られるかと問われれば、私には無理だと思う。お祭りに参加するだけではなく、何日かの滞在型の視察であれば気質の違いで胃が痛くなったかもしれないけれど…………)



ネアとて、自分の気質は承知している。

その辺りの嗜好を誤魔化すつもりはないので、このような形の訪問であった事には感謝していた。


今度は通りで熱烈な求婚が行われており、雄叫びを上げて泣きながら抱き合う男女の激しさに慄きつつ、ネアは無事に集会所まで辿り着いた。



「…………変わった人間が多いね」

「ほぇ、刺されている人間がいたよ…………」



どうやら、初めてではない筈のリスプでも人間の町を訪れるのは初めてなのか、魔物達はすっかり怯えてしまい、ネアに体を寄せている。

ディノが悪影響を受けることを懸念していたネアは、ほっとしてそんな魔物達を慰めてやった。



その隣では、裏通りで刺された者がいると知ったデデが淡く苦笑すると、集会所に居た一人の男性に仲裁に向かわせている。

これもまた、あまり珍しい事件ではないらしい。



「申し訳ございません。なにぶん、祭りの日ですので、気持ちの浮き沈みが激しい者達も出てしまいまして。この通り、ぱっと火がつくような喧嘩や争い事は多いですが、あまり禍根が残るような事件は少ないんですよ」

「痴情の縺れで争い事が起こるのなら、例えば、好きな方と上手くいかなかった場合にはどうなるのですか?」



そう尋ねたネアに答えたのは、集会所で迎えてくれた老人達だった。



「うーむ。明確な拒絶があれば、三日は泣いて酒を飲んで泣いて、四日目には他の女に恋をするでしょうな。何しろこの土地は、愛情を育てる事に長けておりますから、新しい恋にも事欠きません。失恋した者は逆に求婚者が増えると言われています」

「デデは特殊な例でして、リリとは想い合っていたのですが、リリは山を下りたがっていたので求婚を受けなかったんですよ」

「ですがまぁ、この土地の人間が山を捨てるのは難しいでしょうなぁ。私も一度町に暮らした事があるのですが、誰も朝食の誘いに来てくれず、静かで寂しくてかないませんでした」

「おお、シシ殿は町に暮らした経験がおありか!」

「はは、情けない事に三月で泣いて山に帰りました」

「そりゃそうだ。毎日皆で三食を共にし、毎晩酒を飲み交わしていたんだ。一人でなど暮らせるものか」

「はは、違いない!」



がははと笑い合う人達を見て、ネアは唇の端を持ち上げる。

やはり自分はここでは暮らせないとは思うものの、一線を引いて眺めればいささか過激だが情深い気持ちの良い人達のようだ。



集会所は、大きな丸天井のある立派な建物で、集落の人間達だけでは大きな建物を造る技術が足りなかったので、山の精霊達の知り合いである木組みの魔物を招いて建てられた施設なのだとか。


巨大な船の船底のような独特の天井からは、銀製の美しいシャンデリアが下がっていて、住人達の結婚式などもここで行うようだ。



「はい、岩百合茶ですよ」

「有難うございます。まぁ、とても良い香りですね」

「この土地だけのものですから、お口に合うといいのですが。こちらでも魔術の繋ぎは切っておりますが、契約の魔物殿に見ていただいた方が宜しいかもしれません。お二人は、伴侶になられたばかりと伺っておりますので、見知らぬ土地で食べ物や飲み物を振舞われるのはご不安でしょう」

「お気遣い有難うございます。ディノ、いただいたお茶を見てみますか?」

「うん……………」



さすが男女間の愛情のやり取りに慣れた人々らしく、デデは魔術の繋ぎについてとても理解があった。

ディノが見たところ丁寧に魔術の繋ぎは切られていたが、それでも慣れない土地なのでと念の為に重ねて切ってくれたようだ。


隣では、自分もお茶を飲むのだと宣言した雲の魔物に、おっかなびっくりお茶を出している男性がいて、ヨシュアがそちらを見ると慌てて逃げていってしまう。

これから、町の人々からリーエンベルクの代表として色々と話を聞くのだが、あちこちを見て興味深そうにしているので、もう少し我慢していてくれるだろう。


これまた結晶化した木のカップに注がれて湯気を立てているお茶は、柔らかな緑色をしており、ふわりと花の香りがする。

一口飲んでみると、香草茶めいた味わいに微かな甘みがあって、ほっと心を寛げてくれる美味しいお茶だ。



「ディノのものも、飲んでみませんか?美味しいお茶ですよ」

「うん。飲食物を振る舞う者として紡がれた魔術ではないのに、ここで出されているものは魔術の繋ぎの切り方がとても慎重だね」



不思議そうに呟いたディノに対し、くすりと微笑んだリリが、ここの住人達が繋ぎの魔術を切るのが上手な訳を教えてくれる。



「このような土地ですから、皆が嫉妬深いんですよ。そんな環境でも仲間達で楽しく集まれるように、飲み物や食べ物を与え合う繋ぎの魔術を切る能力は、皆が高めております。………でないと、すぐに殴り合いになりますからね」

「………切実な理由でした」



祭りが始まるまでの半刻ほどの時間で、ネアは集会所に集まった住人達と様々な話をした。


魔物が伴侶に対してはとても狭量な事をよく理解しているデデは、集会所には伴侶のいる者しか入れないようにしてくれていたので、ネアも安心して領主の代理人として住人達から色々な話を聞く事が出来る。



「…………ふむ。生活の上で特に困っておられる事はないようですので、後は、領内で共有するべき情報が、山で暮らす季節にも手に入るようになれば良いのですね」



暫く話せば、現在のリスプは特に深刻な問題は抱えておらず、あらためて必要とするのはそこに尽きるようだ。


「ええ。昨年の蝕では、たまたま山を下りる季節でしたので難を逃れましたが、魔術の織りの強い山に住んでおりますので、またそのような事がある場合は、リスプの民にもその一報をいただけると助かります」

「…………魔術の流れの関係で、山の麓とは魔術通信が繋がらないのでしたよね」

「ええ。そればかりは、我々にもどうにも出来ない部分でして………」

「…………では、領内で急ぎ共有するような事柄があった場合は、あの登山列車にそのお知らせを運んで貰うような仕組みを作るのはどうでしょう?一番近くにある大きな町などとの間に魔術連絡板を設け、駅舎でそれを受けていただければ効率的かもしれません」

「しかし、魔術連絡板は高価なものですからね………」



リスプの山の民達も、それは以前から考えていたようだ。


しかし、設備投資については基本的にその町や村の予算内で行うものである。

勿論、リーエンベルクで運用しているウィーム領の予算もあるが、それには限界もあり、町で麓に人を駐在させれば済むような通信環境の向上については予算外なのだ。


とは言えそれは、相互間の必要区分の組み合わせで変わってくる。

要は、必要な設備投資としての条件を満たせばいいのだ。



「あら、ここにしかないものがある土地ということは、皆さんの強みだと思いますよ。品物だけではなく、天候や魔術の変化の情報の交換が図られれば、それが魔術連絡板を設置していただける充分な対価になる筈です。私はあくまでも、お祭りのご挨拶の代理人ですので、そのようなお話を出来る方と対話いただく機会を設けても宜しいでしょうか?」

「ええ、是非お願いしたいです」



こうして領主代理の仕事を一つ終え、ネア達は祭りの始まりに向けて、集会所を出て町の西側にある大きな花畑に向かった。



すっかり飽きてしまっており、あと少しでも話し合いが長引けば、外に遊びに飛び出しかねなかったヨシュアは、やっと外に出られたと不満そうに口を尖らせている。

町人達がとても怯えているので、ネアは仕方なく雲の魔物の片袖を掴んで逃げないように捕獲しておかなければならなかった。




ざざっと、強い山頂部の風に青い花びらが舞い散る。



ネア達が案内された祭りの会場は、これまでに見て来た花畑とは違い、真っ青な花が一面に咲いていて息を飲む美しさだ。



「………まぁ、どこまでも真っ青な湖のようです。なんて美しいのでしょう!」

「シシャファンタムの花だね。このような高地でしか咲かない、結びの花だ」

「このお花が、恋心や愛情を盛り上げてしまうのです?確か、青空に焦がれて咲くお花なのですよね?」

「うん。………ほら、真っ直ぐに天上を見上げているだろう?」

「本来は灰色の花なのですよね…………」



シシャファンタムの花は、空の青さに焦がれて青さを求め、空はそのいじらしさに青を授けたと言われている。


実際にシシャファンタムの妖精の王女と空の精霊王が恋に落ちて伴侶になった過去もあり、それからシシャファンタムは青い花になったのだそうだ。

恋の成就から変化した花であるが故に、この花畑には恋の成就や、まだそこに辿り着けない者達の為の恋の気付きなどを祝福として与えてくれる。


なお、ここが雲の魔物の直轄地なのは、リスプが雲の上の土地だからで、そのような土地は世界各地にあるらしい。



真っ青な花畑をネアが見回していると、ターバン姿の雲の魔物に気付いたのか、ヨシュア目当てだと思われる精霊の女達があちこちから集まって来た。

リスプの最高位はこのリスプの山の精霊になるので、デデ達はお辞儀をして道を開けざるを得ない。


「ほぇ、………また来た…………」

「むむ、またしてもヨシュアさんとお喋りしたい精霊さん達が…………」



ヨシュアはあっという間に囲まれてしまったが、後はもう祭りの開会の合図になる挨拶をするばかりなので、ネアはそのままお喋りをさせておく事にした。




シシャファンタムの祭りには、特別な儀式やお作法はない。



この青い花が満開になったその日に、花畑に入ってみんなでお酒を飲んでわいわいするだけのとても簡単な祭りだ。


勿論、花畑には花を踏み潰さないように山の精霊達の守護がかけられており、人々の賑わいや幸せな出会いの受け皿となることで、シシャファンタムの花は愛情の祝福を高める。

やがて祝福が高まると、花畑から祝福の光の粒子が立ち昇り、祭りはフィナーレを迎えるのだとか。


つまり、リスプの山の精霊に突撃してしまうので新婚さんしか参加出来ない人間達以外の単身者達は、花畑での良い出会い目当てで参加するお祭りなのだった。



「…………む。ヨシュアさんが囲まれて連れ去られましたが、大丈夫でしょうか?」

「ヨシュアは、空が雲で翳らないようにこの土地にいるだけでいいから、精霊達と過ごしていても大丈夫ではないかな。特例として、雲の上の土地の生き物達は雲の系譜になる。彼らにとっても系譜の王にあたるから、山の精霊達も悪さは出来ないよ」

「それなら、心配しなくても良さそうです。ふぁ、いよいよご挨拶ですね。ディノの三つ編みを持っていても、ドキドキしてきました………」

「ネアが狡い…………かわいい」



謎に恥じらい出した魔物はさて置き、ネアは、隣に立ちこちらを見たデデとリリに、羽織ったケープの裾を摘んで優雅さを意識しながら一礼した。


エーダリアの代わりにネアが務める事になったこの挨拶を以って、リスプでのネアの仕事はおしまいだ。

愛を囁くのに忙しい参加者達に野暮な締めの儀などを行わないシシャファンタムの祭りは、自由解散が決まりである。



「本日は、お招きいただき有難うございました。ウィーム領主、エーダリア様の名代としてシシャファンタムの祭りに参加させていただきますね」

「我々、リスプの人間の町の民は、リーエンベルクからのご訪問に感謝いたします。これからもどうぞ、ウィームの一員として宜しくお願いいたします」



シシャファンタムの祭りは、山の精霊達からこの花畑の管理を任された人間の町の長が、近隣住民代表であったり、観光客代表であったりする参加者の一人と挨拶を交わせばそれが開会の挨拶となる。

ネアの言葉に対しデデが挨拶を返せば、今年の祭りの開催が宣言された事になるので、あちこちで一斉にわあっと歓声が上がった。



花畑の外周に集まっていた人々が、一斉に花畑に繰り出してゆく姿は、何だか皆が子供になったようで楽しい気持ちになる。


おやっと隣を見れば、来賓を置き去りにして、リリの手を掴んで花畑の場所取りに駆けて行ってしまったデデの姿はもうなく、ネアは、やや呆然としているディノの三つ編みをくいくいっと引っ張った。

ここは伴侶探しの人外者も多いからと、安全の為にしっかりと握らされていたものだ。



「ネア……………」

「あらあら、皆さんが猛然と場所取りを始めたので、少し怖かったですね。私達も、この素敵な花畑を楽しむべくお出かけしましょうか?」

「屋台はいいのかい?」

「エーダリア様の助言を受けて、お昼はお弁当を持って来ましたので、まずはそれをいただきましょう。自由解散なので、屋台は帰りに攻めれば良いのです。鉄板で焼いたキャラメルクレープ的なお菓子のお店は外せません!」

「うん。では、花畑に入ろうか」



ばさばさと羽音が聞こえ顔を上げれば、空からは山羊竜達や山の精霊達が集まって来ているのが見えた。



(…………すごい数で飛んできた…………)



花畑は見渡す限り一面の広さがあるが、空を覆うような竜や精霊達の影は、襲撃かなと思うくらいの数ではないか。

これは場所取りが過熱しそうだと焦ったネアは、慌てて魔物の三つ編みを引っ張って花畑に突進する。



「おのれ、我々も負けてはいられません!走りますよ!!」

「ネア、転ばないようにね………」

「くっ、あの窪みは私も狙っていたのに奪われました。お仕事の締めなのでと、エーダリア様の代理人らしくお淑やかにしている時間など作らず、もっと荒々しく場所取りに行くべきだったとは…………」

「ご主人様…………」

「ディノ、あの少し小高いところを目指しますよ!…………む?……」



ここで、荒ぶる人間は、何かをくしゃりと踏んだが、あまり理解したくなかったのでそのまま駆け抜けた。


少し走ってからやはり気になってしまい、ちらりと振り返れば、場所取りに荒ぶる参加者達の合間に、踏まれた翼をだらりと伸ばして目を丸くしてけばけばになっている子馬くらいの大きさの白銀色の犬鷲がいるので、ネアが踏んだのは山の精霊だったようだ。



「ネア…………?」

「山の精霊さんの端っこを踏みましたが、不慮の事故でしたのでなかったことにします。精霊さんなら頑丈なので、罪の意識も感じなくて済みますからね」

「ネアが虐待する…………。精霊にご褒美をあげるなんて…………」

「…………むぐぅ。素直に話してしまうと、伴侶な魔物が荒ぶることを失念していました…………」



その後、ネアは無事に狙っていた場所を押さえる事が出来たので、ご主人様は他の生き物にご褒美を与えるとめそめそする魔物を宥めながら、綺麗な丘の上に魔術の贅沢使いで、椅子とテーブルを設置した。



地面に敷物を敷いてピクニック風でも良いのだが、風のある土地なので荷物が飛び去りかねない。

何しろ、花畑には守りの魔術がかけられているので、敷物を固定する金具を地面に打ち込めないのだ。



(みんな、あれこれ工夫しているみたい………)



高位の人外者達は、やはりネア達のようにテーブルセットを設置している者もちらほら見られるし、家族でやって来ているリスプの町の人々などは、重石代わりになってくれるだけの人数がいるので敷物対応が可能のようだ。


竜や妖精達は、そのまま花畑に座り込んでいる者も多い。



「ヨシュアさんのお弁当もあるのですが、絶賛行方不明中です。無事に生還出来るでしょうか………」

「ネア、爪先にするかい?それとも、飛び込みかな………」

「ご褒美を貰える前提なのはなぜなのだ…………」

「ネアが精霊に浮気する…………」



(…………ディノ?)




悲しげに伏せた睫毛は、美しい真珠色である。


実は、今日のディノの擬態は特別なもので、ネアにはいつものディノに見えているが、周囲には青灰色の髪の魔物に見えるという特殊なものだった。


ディノ曰く、特殊な土地なのでネアにはいつもの姿で認識される事が必要なのだと言うが、ノアからは、伴侶にしたばかりのネアが浮気をしないように、ネアの気に入っている本来の姿を見せていたいが故の措置だと聞いている。


そんな魔物が、水紺色の瞳を揺らしてしょんぼりとネアが握った三つ編みを見ている姿に、事故とは言え、精霊を踏んでしまったネアは、やはり甘くなってしまうのだった。



「私が三つ編みを握っていても、しょんぼりなのですね?」

「…………あの精霊はもういらないのではないかな………」

「ふふ、それなら、ディノが不安になってしまわないように、爪先を踏んで差し上げるしかありません」

「ご主人様!」

「それから、飲み物は私がディノのカップに注いであげますし、ディノは私の伴侶なのですから、リーエンベルクの料理人さんの作ったものよりも先に、私の手作りサンドイッチを食べなければいけませんよ?」

「ずるい…………食べさせようとする……」



我が儘な人間に、先に食べるサンドイッチはこれだと強要されてしまい、ディノは目元を染めて嬉しそうにもじもじした。


金庫に入れてあったピクニックバスケットから、エーダリアに貰った水筒を取り出し、麓よりは肌寒いことを聞いて用意した、暖かな紅茶をこぽこぽとカップに注ぐ。

周囲ではお酒を飲んでいる者達が多いようだが、まずはお昼ご飯なので紅茶から始めよう。



「………元気になりましたか?」


ネアが注いだ紅茶を飲み、最初にネアが作ったサンドイッチを食べると、ディノは少しだけ落ち着いたようだ。


椅子をぴったり寄せて、ネアの膝の上には三つ編みを献上してあるが、目元がほんわりと色づいているので、伴侶が精霊を踏んだという悲しみは和らいだらしい。



「精霊を踏んだのは、事故だったのだね…………?」

「ええ。あやつめは、頑張って場所取りをして、こんな綺麗なお花畑でディノとお昼を食べる為の犠牲に過ぎません。ディノが不安になってしまったのは、今日が出会いを齎すお祭りでもあるからでしょうか?」

「うん……………」

「でも、そんなお祭りなのに、ディノが、このお仕事を断るようにとは言わなかった理由があるのですよね?」



そう尋ねたネアに、ディノは澄明な瞳を瞠った。

花畑を吹き抜ける風に青い花びらが混じり、真珠色の髪の美しい魔物を、おとぎ話のように彩る。



(このお祭りの趣旨からしてとても嫌がりそうなのに、ディノは寧ろ、今日を楽しみにしているみたいだった…………)



こうしてお祭りが始まって花畑で過ごせば、なぜなのだろうと考えていたその理由がやっと紐解けたような気がして、ネアは今、敢えてヨシュアが戻らない内に二人きりの食事を先に始めてみたのだ。



「……………ネア」

「もしかして、以前にこの山を訪れた時には、あまり楽しくなかったのではありませんか…………?」



ざあっと、青い花びらが風に舞い散る。


見渡した花畑では、この祭りを楽しむ人達がそれぞれに大切な人達との時間を過ごしていた。

時々聞こえてくるのは、この日に成される告白で良い返答を貰えた誰かの喜びの声で、楽しそうにくるくると踊る妖精の恋人達の姿も見える。


もし、心を上手く動かせない頃のディノがここに居たのなら、幸せそうな彼等を、どんな思いで眺めたのだろう。



「…………随分昔に、竜の王女が私をこの地に呼んだ事がある。とても素晴らしい景色があるので、私に見せたいと言うんだ。…………恐らく、祭りの日だったのだろう。こんな風に大勢の人達がいて、その竜は、今日は特別な日なので、もし愛する心があるのならあなたは私に求婚するだろうと言ったんだ………………」

「…………そのように言われたのに、その方を愛せなかった事が、ディノは悲しかったのですね?」

「……………私が求婚しないと、その竜は泣き出して蹲ってしまったし、今度は他の沢山の生き物達が集まって来て、彼女ではないのなら、きっとこの中に本物の相手がいる筈だと言うんだ。…………息が詰まるようで、すぐに立ち去ってしまったよ」

「その場所が、愛情の嵩を持ち上げられるお祭りのある土地だと知ったのは、その後の事なのですね?」

「……………うん。それを教えてくれたのは、ヨシュアだった」



(ああ、やっぱりそういう事だったのだわ…………)




だからこの魔物は、ずっと憧れていたのだろう。


自分がいつか誰かと心を通わせた時に、かつては自分が入れなかったその輪に入れるのだろうかと考え、この仕事を引き受けたネアを止めず、こっそりと今日のお祭りを楽しみにしていた。



(最初から話してくれれば、来るまでにもその話を沢山出来て、もっと大切にしたのに…………)



何て困った魔物だろうと考えてくすりと微笑むと、ネアは、体の向きを変えて大事な魔物のおでこにこつんと額を押し当てた。



「頭突き…………」

「それなら、私がこのお祭りでディノをもっと大好きになってしまっても、我慢して下さいね?」

「……………ずるい」

「またしても狡いの用法が行方不明ですが、今日は特別にディノが大切な気分なので、気にならなくなってしまいます」

「ご主人様!」


ここは伴侶らしい一言であるべきなのだが、目元を染めて微笑んでいる魔物がとても幸せそうなので、良しとしようではないか。


「そのような思いのあるお祭りなら、良いお仕事を貰いましたね。今日は…………ディノ?」

「…………ネア、……この山の精霊達は、階位を超える美貌を持つと言われているんだ。特に人間は、誰でも一目で彼等を気に入ると言われている。………君は美しいものが好きだろう?もし私より気に入るものがいても、彼等は犬鷲姿にはなれても毛皮はないから、浮気してはいけないよ………」

「ディノの今の思い出話を聞いてからのこの流れだと、私はとんだ冷血漢のようですが、そもそも、精霊さんがあんまり好きではないので安心して下さいね?」

「…………人間の女性は、それはそれ、これはこれ……?………と言うのではないかい?」

「…………戦犯が判明しました。今度、私の方から、ロマックさんとはよく話し合っておきます。恋愛的な嗜好に於いては、私はその限りではありませんから、ディノが怖がる必要はないんですよ」

「それならいいのかな…………」



どうやら、今回の任務にあたり、リスプの山の精霊の噂を聞いていたものか、ロマックはネアの魔物におかしな忠告をしたらしい。


確かにロマックは数々の女性達と浮名を流しているし、ノアのように刺されてしまう事もなく、大人のお付き合いの後、彼女達とは綺麗に別れているようだ。

しかし、放蕩者らしい軽い忠告でも、見た目に反して純粋培養なこの魔物はとても真面目に悩んでしまうので、やめていただきたい。


帰ったら、ヒルドにも協力して貰って三者面談をしようと心に誓い、ネアは、やっと不安の全てを打ち明けてほっとしたように微笑んだ魔物を、伸び上がって丁寧に撫でてやった。



そこによろよろとやって来たのは、山の精霊の女達から解放されたらしいヨシュアだ。



「ふぇ、僕を放ったらかしにして、先に食べてる…………」

「まぁ。お帰りなさい、ヨシュアさん。綺麗なお嬢さん達とのお喋りは、もういいのですか?」

「今度貢物を持ってくるらしいよ。ネアだって、もっと僕を大切にするべきなんだ」

「しなければならない夫婦の会話があったので、一足先に始めてしまいましたが、ヨシュアさんの分はちゃんと取っておいてありますからね。……………なぬ、なぜ死んでしまったのだ」

「……………ずるい。夫婦だなんて…………」

「ほぇ、シルハーンがいちゃいちゃしてる…………」



ネアは、言動よりもずっと思慮深いところのあるヨシュアに、端的に事情を説明しようとしたのだが、夫婦の会話という慣れない響きを聞いたディノは、ぱたりと倒れてしまった。


ネアは、相変わらず儚過ぎる伴侶を介抱しつつ、すっかり拗ねている雲の魔物にサンドイッチを食べさせることになり、恋人同士の甘やかなお祭りというよりは、ご高齢の厄介な魔物達を抱えた介護士な気分を味わう羽目になってしまう。



もし、その時のネアにもう少し余裕があれば、少し離れた位置で美しい乙女達に囲まれた宴の輪から、じっとこちらを見ている一人の精霊の視線に気付けたかもしれない。



けれどもその時は、勿論気付く余裕はなかったのだった。





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