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238. 夏至祭に軽くなります(本編)





「イブメリアに準じる………こちらの前の世界層のものなのです?」

「迷宮の褒賞で、出会った者がいるだろう。恐らく、今回はそちらのものだ」

「……………むむ?」



ネアは、これぞと思い慄きながらも思い浮かべた答えとは違うグラフィーツの指摘に、眉をぎりりと寄せると、そのままこてんと首を傾げた。


ミノスの祠守りの竜のあわいでそんなものに出会ったし、イスキアの時間でもあの時のものと思わしきものの声を聞いたのではないかという場面があった。

しかし、あの時とはまるで気配が違うように思えたし、何よりも今は夏至祭である。


前回の不安がイブメリアが過ぎた後に和らいだ事からも、今回は違うものだと考えていたのだ。



(という事は、あれが、夏至祭で接触可能な状態として、あのような形を取るという事なのだろうか)



昨年のイブメリアの周辺で、ネアは、幾たびとなく、クリスマスという響きに不安を覚える場面があった。

言葉にし難い恐怖の温度は、確かに、ネアに手を差し伸べたものと似通っている気もする。


あの時にディノは、季節の運行に合わせて状態を変えるものかもしれないと話していたし、状態などを変えて現れたのかもしれない。

今代のイブメリアとは違う要素を有していたようなので、季節を違えてもあれだけの力を有しているということはあり得る。



(………それに、現れる怖いものがまた増えたのではなく、ずっと一つだけだった方がいいのだとは思う………)



ただ、今回ネアが見た人物は白い髪であったのに対し、迷宮の褒賞で見たあの男性の髪は、黒真珠色の艶を帯びる白い髪だったのだ。

イブメリアのようなものを司り、その祝祭の運行を司るのであれば、夏至祭の時にこそ階位を上げているのはなぜだろう。



(…………あ!)



そう考えかけ、ネアは気付いた。

相手の姿が認められた中で、色として白が勝つ今回の出現であったが、世界層が変わってくると、色に纏わる階位も違うのかもしれないではないか。



「………夏至祭にもなるのですっかり油断していましたが、私が見たのは、ミノスで出会ったものなのですね」



ここで、ネアが思わず両隣の魔物達を見てしまったのは、迷宮都市で最初に得体の知れないものに遭遇した時に一緒にいたのが、ディノとアルテアだからだ。

実際に会ったのはネアだけだが、もし、今回の接触があの時の者ならば、二人は、グラフィーツともその話をしてくれているだろう。



「まず間違いなく、あの時のものだろうな。こちら側に於いては、そいつが該当すると言うべきか。………お前の生育環境のどこかで別の形のものとしても接触があった筈だが、今回はこちら寄りなんだろう」



しかし、アルテアが同意してくれたので、やはりそちらで間違いがないのだとなりつつと、今度はこちら寄りという新しい区分名称が飛び出してきた。



「むぐぐ………ちょっと待って下さいね。頭の中が大混乱です。………今回のあやつは、こちらより……」

「ノアベルト、先程私達が話していたことを、この子に説明してあげてくれるかい?」

「よーし。お兄ちゃんが分かりやすく説明しようか!ネアが迷宮で遭遇したものが、どこかや何かの経緯で、……………多分、君の生まれ育った世界に同一の資質を落としたんだ。場合によっては、君が見たもの自体が、そちらに渡った可能性もあるって話はしてたよね」

「はい。私が、私の生まれ育った世界にあった名称を気にかけていた事からでもあるのですよね」

「うん。でも今回のものは、その前段階のものかなって結論になったんだ」

「突然にややこしくなりました………」



説明の難解さに困惑していると、こちらを見たノアが、くしゃりと笑う。


その微笑みがとても優しくて、家族めいていたので、ネアは、わたわたしていた心がすとんと落ち着いた。

心配しなくてもいいよと、そう言って貰えた気がしたのだ。



「ネアがミノスで見たものがいつの世界層のものかはさて置き、それが、何処かやいつかの接点か、……もしくは、橋が落ちる分岐前にそちらに渡ったものが、去年のネアが怖がっていたものなんだと思うよ。ちなみに、ミノスで出会ったものは、それがこちらに繋がっていた時の状態や時代のものだと推測出来るかな。………なんて言うか、複数要素の状態が、若いんだよね。あの領域のものってさ、信仰の積み重ねでも階位を上げるからさ」

「ふむふむ。何となくですが、そちらの方が瑞々しい感じでしたので、あやつの方が若いというのは納得です!」

「で、今回のものはさ、背景がなかったでしょ?」

「はいけい………」



ネアは、背景とはなんぞやと思ったが、階位の高い人外者は自分の領域を伴って顕現するのだそうだ。

言われてみれば確かに、イスキアの事件の際にネアが見たものは、確かに高位そうな舞台装置付きであった。



「そこで、身に持つ階位が少しわかるんだよね」

「今日が夏至祭で、冬の祝祭とは対極にある日だからという訳ではないのですか?」

「うん。僕としてはその可能性も考えていたんだけど、グラフィーツがさ、君の知っている形の祝祭なら、もっと深刻な被害が出ていたって言うんだ」

「…………ぎゃ」


慌ててグラフィーツの方を見ると、渋い顔をして頷かれてしまった。

ネアは、ここで疑問を解消しておかねばならないと感じ、慌てて、今回のもののが今までで一番怖く感じたということも重ねて伝えてみる。



「守護の外壁が薄くなったことで、精神圧を感じやすくなったんだろう。それに、いくら祝祭そのものの季節であるイブメリアとは言え、この世界でのイブメリアはクロムフェルツだ。その愛し子であるお前に、ここではないどこかのイブメリアもどきが接触した場合、ある程度の影響が軽減される」

「………ちょっぴり気になる言葉が出てきましたが、ある程度腑に落ちましたし、これからのご説明の前提段階ですので、取り急ぎ、ささっと受け入れますね」

「ありゃ…………。ええと、………じゃあ、君がそこで持っていたものの何かが、そいつを退けるものだったってこともすぐ受け入れちゃう?」

「…………それが、夏至祭の質を持つという部分で、………恐らくは私の名前が有していたものだったのではありませんか?」




あの湖には、見覚えがあった。

ずっとずっと、ネアが見ていたのは、夏至祭の日に一人で訪れたあの女神の森だった。


だからネアはそう問いかけ、ノアが頷く。

頭の上にふわりと載せられた手のひらに視線を戻すと、気遣わしげにディノがこちらを見ていた。



「恐らく、そうなのだろう。………そしてそれが、こちらに来てから君の出会ったものを、幸運にも退けてきたのだと思う。ただ、退けられたことで、余計に興味を持ってしまったのかもしれないね」

「ぎゃふ………」

「君のかつての名前の持つ祝福と災いは、君の生まれ育った土地では目に映らないものだったとしても、………恐らくそちらでも、何らかの形で意味を成していたものだったのだろう」

「……………私の、名前が」



でも、それはもう手放してしまったのだ。

あの世界を手放したくて、こちらの世界でやり直したくて。



そう思い眉を下げると、慌てたように、ディノがギモーブを取り出してくれる。

因みに、誰が用意したのか、夏至祭用の林檎味だ。



 

「私はもう、その名前を完全な形では持っていないのです………。せっかく、こちらの世界でもそれが助けになると分かったのに、手放してしまいました」


そう言えば、今度はウィリアムが答えをくれる。

なお、戦場はとても厄介な状態だが、そちらにいるグレアムがある程度状況の管理を引き受けてくれるらしい。

また、今回は死の精霊王が現場にいるので、ある程度のことは任せておけるようだ。



「いや、名前を変えた事については、寧ろその方がいいだろう。名前を持っていた女神の履歴をなぞってもいけないし、ネアの元の名前は、こちらでは、少し厄介な資質に繋がるかもしれないんだ。………有り体に言えば、よく似た響きの名前を持つものがいるから、これ以上の負荷をかけるのはやめておこうな」

「まぁ。そうなのですね。………ですが、あったものを欠いているとなると、これからも力を借りようとした時に、何かが足りなくなってしまったりはしませんか?」


ウィリアムの言葉にまた一つの疑問が生じ、今度は、グラフィーツがその返事をくれた。


「欠けたものについては、追々話をするが………」

「や、やっぱり、何か欠けているのですね………」

「重要なのは名前ではなく、名前を受け継いだという行為自体だ。魔術の認知を抑える為に詳細は省くが、………完全な形ではなくとも、かつてのそれを退けられる条件を揃えていたという履歴があることで、偶然出会った迷宮の災いを退けられてきた」

「………む。確かに、名前を変えたのは随分前のことですが、これまではまだ使えていますね………」

「………とは言え、こちらで出会ったものと、今回のもの、そして向こう側にあったものが、必ずしも同一のものとは限らない。………片方が影絵かもしれないし、どちらかが物語のあわいや、伝承の上で再現されたよく似たものかもしれん。或いは、………その全てを継続的に退けている可能性もあるが、………何が主で、何が写しなのかは確認のしようがない」



(………その全てを)



ネアは直感的に、それが正解なのではないかと思った。



迷宮の褒賞で出会ったあの男性は、初対面の筈のネアのどこかに、自分に繋がるものを見付けていたようだ。

である以上、きっとネアのどこかに、その資質の証跡や、そのものとの因縁のようなものが、当人には気付ける形であるのだろう。



それに、時折感じ取れる何かの気配や揺らぎは、決して一律ではないという考えには、ネアも同意するところだ。


今回のものが齎した負荷はやはり異様であったし、迷宮で出会ったものよりは、よりネアを知っているような気がした。


一度出会ってしまい、魔術の縁がないとも言えないそちらの層が掘り返される事もあるに違いないことはもう諦めるとして、それ以外のところからの接触も、一箇所ではないようだ。



(でも、………私が、ネアハーレイとして直接に関わったものは、………こちらにはもう接触出来ないのではないだろうかという気がする。ディノが最初に、私のように異なる世界から招き入れたものはいないと話していたように、ディノだからこそ遠隔地から呼び入れられた私とは違い、………それ以外のものは、こちらとは完全に分断されているのではないかな………)



だが、直接ネアハーレイを知らなくても、多分それは、ネアを見付けることが出来るのだ。


そう思うに至ったのは、あの迷宮での出会いだけではなく、それがクリスマスに相当する者であり、尚且つ、ネアの母親の一族の不思議な履歴や、クリスマスの季節に生まれたネアが、なぜ夏至祭に縁深い女神の名前を与えられたのかと言う疑問に尽きる。



(多分それは、一族に障るものなのだろう)



説明されないままその機会は永劫に失われてしまったけれど、ネアの祖父母が、母の養父母だったことの秘密や、母だけが夏生まれであったことも関わっていたのかもしれない。


必ずクリスマスの季節に生まれ、長らく教会に音楽を捧げてきた一族だからこその、障りや約束があったのではないだろうか。


そしてそれを、ネアハーレイは、授けられた名前で退けていたのではないだろうか。




(何らかの対価と引き換えに………)





「…………グラフィーツさんの説明で、何となく呑み込めたような気がします。私が、かつての名前を授かった履歴があることで、特定の要素に纏わる全てを運良く避けられていたのですね?………ただ、ご説明がずっと過去形なのが気になるのですが………」

「ここからが、欠けたものの話だ。………どうやらお前は、その名前の核となるものの祝福や災いを、どこかに逃がしてきたらしいぞ」



そんなアルテアの言葉に、ネアは、ぎぎぎっと顔をそちらに向ける。

こちらを見ている赤紫色の瞳は呆れたような温度を湛えていたが、どこかに少しだけ、労るような柔和さもあった。



「…………ほわ。逃がした………」

「君が眠っている間に皆で話していたのだけれど、海遊びの時に、花葬の船に乗せたものではないかなと思うんだ。それに加えて、先程の理想郷の通過で、僅かに残っていた証跡も、剥がれ落ちてしまったのかもしれないね。………グラフィーツの確認では、中身がとても軽くなっているらしい」

「………だ、だから、グラフィーツさんは、先ほど、私のことを軽くなっていると言っていたのですか?」

「そうだ」

「せっかくの軽い認定が、少しも素敵なものではありません………」

「………ごめんね、ネア。私は、輪郭がそのままだったから、君の内側のものがなくなっていることに気付かなかったんだ。内側の状態については、特定の条件下でしか測れないものだったらしい」

「特定の条件下でしか調べられないなんて………」



何と面倒な仕組みなのかと、呆然としながら頷いたネアに、ノアが、観測の条件を説明してくれた。



「と言うか、それって天秤が災いに傾いている証拠だから、本来は、観測出来ない方がいいんだよ。ウィリアムが、こちらでは名前に纏わる要素をあまり残さない方がいいって言ったことと同じようにね」

「………そうなのです?」

「僕の妹は、もうイブメリアの愛し子だから、非ざるものの接触がなければ、障る可能性もない筈なんだよね。となると、必要な時に最低限機能していればいいものだから、視認出来る程に動く方が厄介なんだ。………その上で、その資質を観測出来るとしたら……」



一つは、夏至祭であるらしい。

ネアが名前を借りたものが、夏至祭の系譜、もしくは夏至祭そのものを司る役割を担っていたからなのだそうだ。


もう一つは、その名前を得たネアが、名前から得た運命の果てに、魔術の成果物として成立している時だと言う。


こちらの説明では少し言葉を濁されたが、ネアが、ネアハーレイの名前を貰った事が手段であるのなら、それによる影響の果てには、力を持つ名前を受け継いだ者としての顛末がある。

その顛末としての状態を、魔術上の成果として満たしている時だけは、ネアの背負ったものの状態が観測出来るというのだ。



(それが何のなのか、私にはわかるような気がする)



つい先ほど、怪物というものは魔術の成果でもあるのだと、そんな説明を聞いたばかりではないか。

であれば、ネアがネアハーレイという人間の顛末として選ぶに足りる名称など、それ以外にあるまい。

それに、怪物が現れる祝祭は夏至祭だけなのだ。



ネアハーレイは、怪物だったのだろう。

魔術の顛末として、自身の選択の末路として。



自分が怪物になったと言う自覚があり、それを知らない筈の人々からもなぜか、爪弾きにされていたのは、魔術を視認出来ないあちら側で、災いにもなり得る名前を受け継いだネアが、怪物となったことでその継承が成就したという事なのではないだろうか。



(………どこかで、ずっとそうではないかと思っていたのだ)



愛する人の全てを亡くした女神と同じように、ネアハーレイは一人ぼっちになった。


魔術のあれこれを学び、様々な事件に触れて思考材料を得る度に、こちらでは良く聞く無知さ故の障りのようなものが、授かった名前からネアハーレイの運命を蝕んでいたのではないだろうかと考えた。


おとぎ話と違い、この世界の本来の魔法は、扱い方を間違えた者には少しも優しくないものなのだ。

ましてや、扱い慣れておらず、結果を確認する術もない土地で、それをどう正しく扱うというのか。



(……………でも)



その名前はどうやら、ネアハーレイの運命を歪ませただけではなかったらしい。

強い毒はそれを飲んだものの体を蝕む一方で、何かを退けるという役割も果たしていたようだ。


偶然とは言え、グラフィーツが、ネアのその資質を毒に例えたことは、ジーク・バレットを破滅させる為に飲み込んだ毒で多くの普通さを失ったネアらしい例えなのだろう。



(必要とした毒が、欲した役割を果たしたのだと思う。でも、その毒はいつだって、何某かの対価を求めるものなのだ)



失われていった対価こそが、ネアハーレイにとっての失われたくなかったものばかりだったのだとしても、もしかしたらそれはもう、ネアが生まれる前から取り返しのつかない事になっていたのかもしれない。


その説明を聞く機会を失ったまま取り残されたのは、或いは、退けきれなかった障りが齎した災いだったのだろうか。



(………ずっとずっと、クリスマスが大好きだった。それなのにクリスマスの障りを受けていたのであれば、私は、この世界に来てやっと大好きな祝祭を受け取る事が出来たのかもしれない)



とは言え、クリスマスを忌避していた様子のなかった両親なので、何が障りを齎しているのかも分かっていなかったような気がする。

もしくは、唯一と言っていいほどに根付いた信仰そのものから災いを得ていると考えるのは、さすがに恐ろしかったのだろうか。




静かな部屋の中で、からりと氷が音を立てた。

窓の向こうからは、まだ夏至祭の音楽が聞こえてきている。


夜になったということは、リーエンベルク前広場では、踊り狂いの精霊とハツ爺さんのダンスバトルが繰り広げられているのかもしれない。


グラフィーツが、グラスの中のお茶をごくりと飲んだ際に、持ち上げた義手がきらきらと光り、ネアは、こんな時だが少しだけ、何で綺麗なのだろうと思ってしまった。



「………初めて見た時から、とんでもない祝福と災いの均衡だと思っていたが、まさか、それを育んだ核ともなる、直接の祝福や災いをどこかに逃したとは思ってもいなかったがな」

「………となると、私はもう、………厄介なものを退けるだけの力はないのです?」



恐る恐る尋ねたネアに、グラフィーツはどこか呆れたような目をしたまま、やけに重たい溜め息を吐いた。

手を伸ばした者の発言の意味を理解すれば、ぞっとするような言葉ではないか。



(…………あれは、私を守っていたものが、いなくなったと話していたのだ)



であればそれは、これからもずっと、事あるごとにこちらに手を伸ばし続けるのだろうか。




「えぐ………」

「えーと、引き継いだ名前を型取りして作られたのが、ネアの持っていた守護だと思ってくれるかい?同時に災いにもなり得るものだけど、今の話の流れ上、暫くは守護の方の表現でいくよ」

「はい………」

「その守護の型となった中身がなくなっても、輪郭や資質は残ってるんだ。………逃がしたものを乗せたのが円満な旅立ちを示す花葬の船な訳だし、名前を受け取る行為は、………望まなくても一種の継承だからね。でも、………いきなり剥離したから、現段階だとまだ成熟度がね。見習い騎士な感じかな………」

「…………つ、つまり、無事に輪郭は引き継いだものの、中身にあった前任者さんの要素が空っぽになった今は、とても軽くて強度も下がったということなのですね?」

「うん。そういうこと。さすが僕の妹は理解が早いね」

「…………ちょっと感傷的な気持ちであの船を見送ったことを、心から後悔しています」



がくりと項垂れたネアの頭を、おろおろした伴侶の魔物がそっと撫でてくれる。

安心出来る提案をしてくれたのは、グラフィーツであった。


「…………イブメリアまでは、俺がその一部を補填しておいてやる。元々、お前に守護を与えるという約束ではあったが、それを増やせば何とかなるだろう。………当分は今回のような事は暫くは起きないだろうが、………漂流物の影響が出始める前には、終焉の祝福を増やしておけ」

「………はい。有難うございます。そして、そう言えばなぜ、あの時に、ウィリアムさんを呼べたのですか?」



ネアだって、ディノを呼んだのだ。

けれども、黎明の妖精のせいで、ディノ達は一時的にそこに入れなかった。


それなのに、グラフィーツがウィリアムを呼んだ時にはすぐに来てくれたし、そもそもグラフィーツ自身が、ディノ達が近付けなかったあの場所に入って来れたことも謎めいている。



「それが、ネアの持っていた夏至祭の要素の有する祝福と災いの中にあったかららしいな。グラフィーツのものと、俺のもの……というよりは、ネアが終焉の子だったこともあるんだろう」



その説明に、ネアは森の女神で聖女なネアハーレイの履歴を思った。


一人だけ生き残った彼女もまた、終焉の子供のようなものだったのだろう。

であれば、その名前を受け継いだネアの守護の中には、終焉の要素があっても不思議はない。



「ふむふむ。黎明の妖精さんの領域の中で、そちらの場が出来ていたので、お二人が入れたということなのですね!」

「いや、俺達が入れたのは、ネアの目に見えていたものの方の領域だ。閉ざされていたように思われたあの場所だが、元より存在するものなら入り込める。シルハーンやアルテアが入れなかったのは、その優位性を持たなかった為だろう」 

「むむ、………妖精さんの領域とは違う………」

「ああ。二層になっていたと考えてくれ。黎明の妖精の領域の中に、ネアを守ってきたものの弱体化に気付き接触しようとしたものと、それを退ける為の領域が顕現していたんだろう。俺とグラフィーツが入ったのはそちら側だ」



ネアは、よく分からないなりに頷き、自分の見ていたものがエーダリア達には見えなかった事を考えた。

となるとあの時、ネア達は同じ黎明の妖精の領域の中ですら、分断されていたのだろう。



(それは、あの呼びかけが、私に介入する為のものだったからなのだろうか………?)



そう考えるとぞっとしてしまい、ネアは慌ててディノに体を寄せる。



「……で、では、今後もしあの場所が現れたら…」

「あの場所そのものは、寧ろ、ネアの守りとなるものだと思うぞ。本来なら、しっかり輪を閉じていた円環の守りの中に、資質の階位が下がったことで、外側のものが入り込めるようになったということなんだろう」

「………では、あの場所は私を守る為に、見えていたものなのですね………」



だからあの森なのだと思ったら、ネアは、もう湖とそれを取り巻く夜の森を見るのが怖くなくなったような気がした。



(そう言えば、私はいつだってあの森は怖くなかった………)



名前を貰うということは危うい手段だが、その資質を引き受けてしまう代わりに、森の女神の領域では、同じ系譜のものとして守られていたのかもしれない。

そう考えたところで、ネアは、すっかりこちらの考え方になってしまったぞと少しだけおかしく思う。



「それと、便宜上は接触として表現しているけれど、………君に聞こえた声や見えた姿は、託宣や啓示のようなものであるのだろう」

「なぬ………」

「イスキアの時のものと同じだね。君にだけ見えていて、実際にはこの場にはないものだ。………けれども、信仰の系譜のものは、授けられたものを受け取ろうとすると、姿を表すとも言われている。君が望んで差し伸べられた手を取ってしまったのなら、………望ましくない事が起きたかもしれない」



ここでまた提示された新事実に、ネアは目を瞬いた。


上手く想像出来ず、神の声的なやつだろうかと考えたが、こちらに来てから様々な不思議に触れてきたので、もはや、元々想像出来た神秘現象を思い浮かべる時の方が想像力が貧弱になってしまった。



「あの場には、………いなかったのですか?」

「だろうな。結んでおいた円環の外側とは言え、顕現があれば夏至祭の魔術に証跡が残る。エーダリアやヒルドに見えなかったのは、その為だ」

「ほわ………」

「やはりどこか、今の時代のレイラと教会の信徒達の関係にも似ているね。信仰の系譜の者達は、託宣や啓示として、離れた位置にいる信仰の魔物の言葉や助力を受け取る事が出来る。今回のものも、信仰の持つ仕組みを使っての介入だったのだろう。ただ、グラフィーツの考えでは、ヒルドが君の側にいたことで、もし君がその手を取ってしまっても、影響はかなり抑えられた可能性が高いらしい」

「むむ!そう言えばあの時、ヒルドさんが抱き締めてくれた時に、とても安心したのを覚えています!」



その言葉に頷いたのはグラフィーツで、ネアの守護のピースには、夏至と森と湖がある。


その系譜を治めるヒルドがいたことで、ネアが失ったものの重さを随分と補ってくれていたらしい。

錨のようなものだと言われ、ネアは何だかふんすと胸を張ってしまったし、エーダリアもなぜか誇らしげである。


今回の事件は、そんなヒルドを始めとする、ネアの失われた守護の重さを補ってきた者達が同時に怪我をした事も引き金になっていたらしい。



「…………円環の内側に置かれたものが外に出るのも問題だが、今回は、円環の外周が崩されたのが一番の要因でしょうね」



ディノにそう説明しているグラフィーツに、ネアは、新たなる武器の開発を誓った。

どのみち家族は守るので、必要な開発である。




(………そういえば、………どこかやいつかで繋がっていたのなら、私の生まれ育った世界のどこかにも、かつては妖精さんがいたのかもしれないのだわ)



ふと、そんなことを思った。



子供達の為かもしれないが、亡くなった両親はそのようなお話がとても好きな人達だったという記憶がある。

夏至祭には、見知らぬ橋を渡ったり、妖精のサークルの中に入ってはいけないと教えてくれたのも両親だ。


ネアの元の名前は、二人が出会った森だからこその名前だが、そんな両親だからこそ、一族の過去を踏まえた上で、何かの幸いを願って選んでくれたのかもしれない。


つけて貰った名前と共に受け取ったものが、あちら側では背負いきれず負担になっていたのだとしても、これまで厄介な何かから守ってくれていたのなら、両親の愛情が報われたようでとても嬉しいではないか。



(それに………)



それに、層を違えているとは言え、向こうにもこちらの世界の欠片があったのなら、ネアハーレイから愛する人たちを奪ったものがただの不幸の羅列ではなく、災いや障りのようなものであったのかもしれない。


もし、そうであればと思うだけで、その悲しみもまた名前のない不幸などではなくなるのだろう。

ネアは、それがただの偶然だなんて言われるより、意味があると言われた方が嬉しかった。


その他大勢の悲劇に分類出来るようなものに、愛する人達が一人残らず奪われたと考えるのは、あまりにも無惨過ぎるではないか。



勿論、その履歴があったからこそ、迷宮都市で出会ったものの目を引いた可能性もある。

しかし、核というものをまんまと逃してしまったのもネアなので、こちらは自己責任の側面もある。


迷宮都市で迷宮の褒賞として与えられたものが厄介な災いを引き寄せてしまい、尚且つ、迎えにきた花葬の船が、ネアにとっての大事なお守りを連れて行ってしまった経緯を頭の中で並べ直し、ネアは、なぜあの時に花葬の船を襲撃して沈めておかなかったのだろうと小さく唸った。



「むぐる………むぐ?!」



すると、すかさずギモーブが口の中に押し込まれるではないか。



「ネア、今夜は、あまり怒ってはいけないよ。……祝福と災いの均衡を崩さないように、祝福の嵩を増やそうか」

「…………それが、先程ノアが話していた、天秤のお話なのですか?」

「うん。今はもうリーエンベルクの中だけど、今夜はまだ夏至祭だから、魔術の成果としての資質を帯びるのはやめておいた方がいい」

「………こんな事があったのは、今年の夏至祭だからでもあるのですよね。それとも、これからはもう、慎ましやかに生きた方がいいのですか?」

「ここではないどこかを映す今年の夏至祭でなければ、ここまでの事は起こらなかっただろう。先程、皆で話をしていたのだけれど、今年のイブメリアになったら、クロムフェルツの祝福を重ねて貰える見込みになった。祝祭は当代のものが最高位となるから、どのようなものが現れても、クロムフェルツがそれに劣ることはないから、安心していいよ」

「はい!今年のイブメリアの季節が来てしまえば、もう安心ですね!」

「うん。……………エーダリア、この土地に、魔術上の住民名簿はあるかい?何か、対価を有するような名簿がいいのだけれど」

「税金台帳が一番だろうな。あれ程分かりやすい、住人の対価はない」



ディノの問いかけを補足したアルテアの言葉に、エーダリアが頷いた。

隣のノアとの視線の交わし方からすると、今まさに、その話をしていたようだ。



「今年のネアを迎え入れた日で、そちらの台帳にも登録可能となるのだ。ノアベルトは、規約を変更して登録を急がない方がいいと考えているらしいが、やはりそうした方がいいだろうか」

「………であれば、その方がいいだろう。魔術の規則性に関しては、ノアベルトの判断が一番だからね」

「漂流物に関しては、その登録に間に合う見込みもあるでしょう。先日の気象性の嵐の影響で、少し表層が薄まりましたから」

「………だろうね。今回の事がなければ、あまり後ろ倒しになって欲しくなかったけれど、こうなってくると話が変わってくる。………漂流物の到着が遅れたのは、誰かの調整によるものかもしれないが」



その呟きは、どこか魔物らしい声音であった。

ディノの言葉を受け、グラフィーツがふわりと微笑む。



「さて。どうでしょう」

「とは言え、今は、少しでも季節の後ろに倒れてくれた方がいいだろう。名簿の登録が間に合ってくれると、こちらとしても有難い」

「………元通りの重さに戻れば、漂流物については、彼女程に盤石な者もないんですがね」

「む!戻れば………」

「おい、やめておけ。油断させると、こいつはすぐに事故るぞ」

「ぐるる………」



迷い子は、一定の期間を経てから、また新たに幾つかの魔術上の名簿に追加登録されるのだが、それを終えると、より強く土地の魔術に結ぶことで魔術的にもウィーム領民としての認識が深まる。 

ウィームに属する事で、イブメリアとの結びもいっそうに深めることが可能なのだ。


ただし、相手は納税者名簿であるので、これまでの優遇が終わり納税額が一般住民と同じなった段階で、お財布的にはぎゃっとなることも少なくない。




報告会や話し合いが終わると、ネアはまず、一人で立てるかどうかを調べられることとなった。



「大丈夫かな………」

「この通りです!」

「うん、大丈夫そうだね。………良かった」

「………やれやれだな」

「ぎゃ!おでこを叩くのはやめるのだ!」



ディノに手伝って貰って自立してみたネアは、ふらつくこともなく立てたのでと、お待ちかねの晩餐の時間にして貰えることになる。



「まぁ、みなさんもまだだったのですか?」

「祝祭の日の食卓だからさ。こんな日は、絶対にみんなで食べた方がいいんだよね。騎士棟にも、一人じゃなくて複数名で食べて貰ってるよ」

「夏至祭は、祝祭の試練を超えた後に仲間や家族と食事をすると、成就の因果として良いのだそうだ。………それと、今年の夏茜のスープには、アレクシスが手を加えてくれてあるよ」

「なぬ。アレクシスさんが……」

「ああ。ディノが話をしてくれて、お前用のスープを用意して貰ってあるのだ。薬湯の代わりにもなるらしい」

「まぁ、ディノはアレクシスさんに連絡もしてくれたのです?」



沼味がなくなったと知り、笑顔で振り返ったネアにこくりと頷き、ディノは、ウィームで育てた野菜を使って一手間加えた、特別な夏茜のスープなのだと教えてくれた。


ここで、新たなスープを使うのではなく、既存のスープに手を加えるのが、スープの魔術師たるアレクシスである。

用意されたスープを無駄にするのは、アレクシスの信念に反する事なのだ。





「まずは、スープからいただきますね!」



夏至祭の晩餐の席に揃ったのは、リーエンベルクの家族の他に、ウィリアムとアルテア、そしてグラフィーツだ。


ネアは用意された夏茜のスープをごくりといただき、あまりの美味しさに椅子の上でびょいんと弾んだ。

夢中でごくごくと飲んでから、かっと目を見開くと、鋭い目で周囲を見回す。



「お代わりします!」

「ご主人様!」

「………おい、程々にしておけよ」



しかし、ネアはどうやら体がこの味を求めていたらしく、夏茜のスープを四杯も飲んでしまった。


途中でアルテアが止めようとしたが、グラフィーツが、何だかよく分からないがそのまま飲ませた方がいいとそれを止めたので、渋々引き下がる。




「ぷは!」



思うがままにスープを飲み干したネアが、たった今飲み終えたスープと同じ色のものを窓の外に見付けたのも、祝祭の結ぶ祝福だったのだろうか。


おやっと目を瞠りそちらを凝視すると、その赤い塊は、こちらを見て満足げに頷いたような気がした。



「ネア?何かあったかい?」

「窓の外にいた、トマトさんに頷いて貰いました」

「………は?」

「…………うーん、まさかとは思うが、………あれじゃないだろうな………」

「………無事に祝福が結んだな。……………もういいだろう!カーテンを閉めてくれ。それと、砂糖を食わせろっ………!!」

「わーお。あの巷を騒がせてるやつかぁ………」

「むむ?なぜ皆さんがそわそわし始めたのでしょう?」

「どうしてなのかな………。ネア、君に祝福をくれたのは、トマトのもののようだよ」

「うむ。たっぷり美味しくいただきました………」

「いや、訳がわからんぞ。以前は、スープは嫌だと言ってなかったか………?!何で今回は祝福なんだ?!」

「そしてなぜか、グラフィーツさんが頭を抱えてしまいました………」

「どうしたのかな………」




おかしな影響が出てしまったが、ウィリアムがあまり気にしなくても大丈夫だと言ってくれたので、ネアは、美味しい晩餐を優先させていただくこととする。




グラフィーツが湖に投げたのは、ウィームにイブメリアの季節だけ開くリースの専門店の白薔薇のリースなのだそうだ。


ディノからの呼びかけの際に、それが必要だと考えて取りに行ってくれていたらしく、私物を投じてくれたのでしっかりとお礼をしなければならないが、もう、あの湖の白薔薇が足りないということはないだろう。



そう考えるととても安心したのだが、いやに揺るぎない安心感があるのは、もしかするとアレスシスのスープのお陰であるのかもしれない。

トマト的な何かがくれた祝福の正体は、これから調べて貰う予定だ。










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