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236. 妖精の恨みは怖いです(本編)





「皆に、心配をかけた。……………グラストとゼノーシュの報告によれば、その後もあわいのひび割れから何かが出て来たらしいが、アレクシスの妹御が滅ぼしてしまったらしい」



先程まで力なく横たわっていたエーダリアも、今はもう長椅子に座っている。

あの時床に敷かれていた布は、ノアが用意した魔術の遮蔽布なのだそうだ。



そうして、報告会が始まった。


まだまだ夏至祭の真っ只中なのだが、理想郷が通り過ぎたことで領主負傷という大きな事件が起きた為、ウィーム領は厳戒態勢が敷かれている。


これは、ウィームにある一つの仕組みで、行政外の各ギルドや商会などが、行政側に被害が出たときに運用されるものだ。

今回はリーエンベルクが動かない訳ではなかったのだが、所謂、自主警戒に近い形となっているらしい。


これは、各部門に状況を的確に判断出来る者達が多い土地であり、その判断を受け取る側の領民に状況の理解が可能で、尚且つ領民達の結び付きが強いからこそ可能な運用なので、他領では真似が出来ない運用なのだとか。


そしてそのお陰で、今のリーエンベルクには、領主としての仕事を最低限に収め、エーダリア達が体を休める時間が出来ている。


ネアの見立てでは、ウィーム領が大きく動いた一番の理由は、皆がエーダリアを休ませようとしたからこそであるような気がした。




「あ。そりゃそうか。……………エーダリアが怪我をした以上、あっちの会は黙ってないよね…………」

「会?ネアのものか?」

「ぐるる……。一般人のふりをするのはやめるのだ……」



部屋を変えて行われた報告会は、お茶の時間には早いものの、林檎のケーキが出されている。

疲弊しきった者達に嬉しい甘さであるし、祝祭の習わしとして、少しでも祝福の結びを深めておこうという意味もあるようだ。


コンビーフサンドが添えてあるのが、たいへんよく分かっておられるリーエンベルクの厨房である。

まずは、各自の適量で小腹を満たしてから、ゆっくりと冷たい紅茶と林檎のケーキをいただくのだ。 


遅めの昼食時間なので本来ならしっかり食べてもいいのだが、昼食の料理には夏至祭に沿ったものもある。

まずは、負担の少なく必要な効果の高い林檎のケーキで祝祭の祝福を取り込み、ゆっくりと体を慣らしてゆくのだとか。




そして、漸くエーダリアを始めとしたネアの大事な家族を傷付けたものの名前が明かされた。




「暦読みの太陽の聖女か。……………私はずっと、物語の中の登場人物だとばかり思っていた」

「物語からってなるとさ、それもそれで、物語のあわいが開くからまずいんだけど、今回はそれよりも危ない扉を開いたっぽいよね」

「………まぁ。霧の魔術では、足りなかったのですね」

「今回は、その隙間すら縫ったってことなんだ。普通ならそんな召喚が叶う筈もないんだけど、一つ前の世界層は、影の国なんかにまだ橋の残骸が残っているからなぁ………」

「………加えて、通り過ぎた理想郷が魔術の波の形を取ったからだな。象るものは、象られたものに紐付く。結果として海の質を帯び、影の国などのこの世界層に残された前世界と結んだのだろう」




そう付け加えたのはアルテアで、ディノが静かに頷く。


ネアは、あの訪れが風を模したものだったのなら、太陽の聖女とやらは現れなかったのだろうかと考えた。

加えて、理想郷が通り過ぎるというのも不思議な言い方だ。



(だからこそ、………リドワーンさんだったのだろうか)



需要と供給のそのどちらが先に揃ったのかは、誰にも分からないかもしれないけれど。



「今回は更に特別だよね。術者がとんでもない魔術師で、だからこそ可能にしちゃったんだと思うよ」

「ぐるる……」

「コンビーフサンドを食べるかい?」

「………むぅ。…………あぐ!」

「あの方の最盛期は、統一戦争前であったそうだ。現役の姿を見た事はないのだが、専門としていた分野の第一人者と言わしめる程の優秀な召喚師だったと聞いている。だからこそ、今はもう失われたとされていた大きな魔術を、……………動かせてしまったのだな」




老魔術師の召喚に応じ、広場に現れた怪物は、太陽の聖女と呼ばれる、今代の世界にも語り継がれる美しい乙女であったのだそうだ。



今はもういない古い精霊が、暦読みをしていたその乙女の美しさを子供達に語り聞かせた場に人間の吟遊詩人がおり、太陽の聖女の物語としてこの世界に記録が残ってしまった、前の世界層の生き物なのだとか。


前の世界は、夜が時間の座の中心になるこの世界層とは違い、また、魔術こそが生き物達を育むこの世界とは違う、太陽が中心となる価値観の築かれた世界だったそうだ。


それが全てではなかったが、今の世界よりは遥かに太陽の位置付けは大きかった。



「その為に、最も夏至祭が力を強めるのが夜である今代と違い、以前の世界層では、正午こそが夏至の中心だったようだ。聖女だという記述が残っているようだけれど、種族までは言い伝えられていない。………だが、夏至の祝福と時間の配列の祝福を持っていたということは、夏至の正午に生まれ落ちたものだったのだろうね」



そこで言葉を区切り、ディノは小さく溜め息を吐いた。


未だに残る酷薄な温度はこちらには向けられていなかったが、やはり、家族を傷付けられた事が不愉快なのだろう。



「だろうな。僅かにではあるが、時間の配列を規則性として持っていた。………だからこそ、そちらの世界層では大きな権限を有していたんだろう。そういう場所だ」

「怪物として現れたからには、以前の世界の終わりを知っているものだったのだろうね」

「………そうなのですか?」



先程そんな話をしたばかりだ。

だからネアは、思わず大事な魔物をじっと見てしまった。


だが、凝視された魔物は困惑して恥じらうばかりなので、その時の事を考えて悲しくなったりはしていないようだ。



「怪物と呼ばれるものたちはね、種族や系譜を特定出来ない異形の総称でもあるけれど、同時に、大きな魔術の成果物や顛末でもある。特に、今回のような大きな力を有する怪物は、魔術の結実として成就されるだけの資質がなければ生まれないものだ」

「むむ。となると、怪物になる以前からその力を有していた方なのですね………」

「力を有していたものが、怪物に成り得る事が出来たのは、世界の終わりだけだ。………あの麦畑の景色を思い出してみろ。異端さや歪さを許す世界じゃない。寧ろ、そのように規定から外れたものは階位を上げられなかった世界だ」




(………そうか)



だからこそ、その世界が崩れたときにだけ、怪物が現れ得るのだ。


アルテアの言葉に成る程と思い頷いていると、向かいの席でエーダリアも何度と頷いている。


こちらは目を輝かせてメモをとっていたが、今日ばかりは快癒がめでたいという思いでいっぱいだからか、ヒルドも止めはしなかった。




「以前より思っていたのですが、少しばかり息苦しい世界だったのですね。お話に聞く前の世界のものには、どこか彩り深いものもあると思っていたのですが、それは………不揃いなものとされてしまったのですか?」

「うん。前の世界層では、私と同じ万象が治めていたということもあって、そのようなものがない訳ではなかったからね。ただ、基準や価値観が今とは違うんだ。………この世界は、そこと同じではないものこそが望まれ、派生したからだと言えばいいのかな」



その言葉を聞くと、どこかの砂漠で、ウィリアムが話してくれた世界の終わりの情景が頭の中に描かれた。


壊れて死にゆく世界が、あの時にこうしていればと、別の分岐を望むのは考えてみれば当然のことだ。

それが、成就による幕引きではなく、悲劇による崩壊であれば、いっそうに。


おまけに世界を壊したのは、万象を始めとした者達の崩壊だと聞いている。

世界を支えていた者たちが壊れてゆくのなら、彼女達は確かに、自分達に報いなかった世界ではないものを欲したのだろう。



(…………だから今回は、同じ万象の下で、前の世界とは違う価値観が育まれた。かつての繁栄地は砂漠や海になっていて、かつての不毛の土地に今の世界の豊かな土地がある)



高位の魔物達の多くは女性から男性に変わり、夏至祭は正午に満ちるものから夜の賑わいに変わった。


そしてなぜか、この世界には、ネアの生まれ育った世界の女性名が男性名として使われていたり、こちらでも女性の名前であるものを男性が使うことが多い。

そちらは無関係かもしれないが、色々なものが反転しているという気がした。




「………やっと腑に落ちました!世界そのものの規格の相違ではなく、価値観や嗜好が違うというお話なのですね。望まれてより多く周知されたものが力を持って正しいものになり、望ましくないものは力を失う。だから、あの理想郷を見て、アルテアさんはくしゃくしゃに……」

「………やめろ」

「うん。それも珍しいことだというけれど、万象が続けて世界を治めているからね。世界を象る材料の種類はほぼ同じなのだろう。もっと違う気質の者が治める世界となると、世界の中にあるものも大きく変わってくるようだよ。………例えば、君の生まれた場所には、魔術というものがなかったように」

「…………むぐぐ。魔法もなければ妖精さんもいないのですよ。あちらはもう、ぽいです」



(であれば、ディノの前の万象さんが治めた前の世界は、この世界と同じようなものが鏡合わせの反対のもののように存在していて、…………多分、ディノが相反する資質の全てを持つことが当然のように受け入れられる今とは違い、………正しいとされるものだけを育むのが正解だとされた世界なのかもしれない)



とは言え、そこにはきっと、世界の理想を満たさない為に階位を上げられないものたちもいる。

だが、不人気なものなので、怪物になれるほどの力は持っていない。


その代わりに、世界の終わりに、正しく美しく尊かったものたちが滅びの中に転げ落ち、壊れて怪物となったのだ。




「………あの魔術師はさ、太陽の聖女を一度でいいから見てみたいっていう思いを心のどこかに、………それもかなり強い妄執のようにして持っていたんだろうね。理想郷なんかに触れなければ、開かなかった扉だったと思うよ」



ネアは、ノアの言葉に怪物を呼び込んでしまった魔術師への怒りがない事に驚いた。


エーダリアやヒルドにもその気配がないので尋ねてみれば、若い頃はウィームの魔術大学で教鞭を取り、戦後のウィーム復興に尽力した人格者であったという。



(エーダリア様にとっても、統一戦争の後のウィームを知っているノアにとっても、……………意味のある役割を担った人だったのかもしれない)



元より、魔術や人外者に関わる事件に自発的にではなく巻き込まれた場合は、被害者とされるのがウィーム領だ。

そこに故人の生前の評価も加われば、そのような反応なのかもしれない。

とは言え、ノアやヒルドも同情的なのは意外であった。



ネアが首を傾げたからか、くすりと笑ったエーダリアが、そんな老魔術師について説明をしてくれる。



「あの方は、………既に、寝たきりだったのだ。もう死者の国に旅立つ日が近く、後は残された日々を穏やかに過ごすだけだという、……………そんな状態だった。数日中に葬儀を執り行うようになるだろうと伝えられていたので、残念なことだと思っていた」

「エーダリア様は、………その方を、尊敬されていたのですね?」

「ああ。ウィームに得難いものを取り戻してくれた御仁だからな。………それなのに、誰かが、リーエンベルク前広場まで連れて来てしまった。明らかに尋常ではない様子にある家族を、……………それも、棺に入れて運ぶなど、高名な魔術師ばかりの家族がそのようなことをするものか。恐らく、あの場にいた妖精がやったことなのだろう」

「あれは、黎明の妖精でした。恐らく、あの魔術師の執着が招き入れたものの、守護が厚くその魂を奪えずにいたのかと。……………ずっと、獲物が手のひらに落ちて来ないかと様子を窺っていたものでしょう」



ヒルドがそう言うのは、件の妖精が、やっと破滅させてやったぞと大声で騒いでいたからなのだそうだ。


騎士達がその妖精を捕まえようと動いたが、召喚されてしまった怪物が危険過ぎた為に、怪物の討伐と、集まった領民の避難を優先させるしかなかったらしい。



「あれだけの人物が、最後の最後で、………悪意に持ち去られてしまった。祝福の形をした理想郷の姿などを見る事がなければ、あと数日の務めを終え、家族の待つ死者の国へ行けただろうに」



そう項垂れたエーダリアの背中に、ヒルドがそっと手を当てる。

怪物を呼び出してしまった老魔術師は、その場で怪物に取り込まれて噛み砕かれてしまったそうだ。


食べられてしまった魂の回収は死者の王にも出来ないことなので、諦めるしかなかったという。

死者の国へ行けば、昨年亡くなった奥方と弟がいた筈なのだと、エーダリアは悔しそうに項垂れる。


事情が事情であるだけに、ウィーム領主を巻き込んで引き起こされた事件とは言え、故人が責められずに済みそうなのが幸いではあるが、そんなささやかな幸いで救われる程に軽い悲劇ではない。



「高位の魔術師は、死に際にこそ狙われ易い。あの一族が守りを付けていなかったとは考え難いから、排除された可能性が高いな」

「ええ。アルテア様の仰るような懸念がありましたので、そちらについては、ダリルの弟子が確認に行っております。………あの一族の誰かが、他にも失われでもしたら、ウィームにとっては手痛い損失ですからね」



高名な魔術史の家門であり、教育者としての実績のある一族なのだそうだ。


そんな話をしていると、そのダリルから連絡が入り、理想郷に触れた家人達が呆然としている隙を狙い、老魔術師の部屋を守っていた代理妖精が殺されていた事が分かった。



なんとも言えない沈黙が部屋に落ちる。

敬愛する主人を奪われた代理妖精は、さぞかし無念だっただろう。

だがそれは、襲撃を可能とするほどのものの恨みを買っていたということでもあるのだ。



「アルテアの言うように、高位の魔術師っていうのはさ、何かとそういう縁も集めやすいんだよね。その手で祓われたり追い出された生き物もいるだろうし、魔術師を獲物に選ぶ者も多いんだ。……僕も知ってるけど、頑固だけど清貧な人間だったと思うよ。ただ、太陽の聖女に焦がれておきながら、堕落の誘いに応じなかった事に腹を立てって感じじゃなかったかな。……あの妖精の感じからすると、男女間の問題があったのかもね」

「………まぁ。そんなご様子だったのです?」

「うん。僕のそっちの勘は外れないよ」

「黎明の妖精は執念深いからな。大方、あの妖精の誘いをすげなく断りでもしたんだろう。精霊程じゃないが、運が悪ければ、そこから何十年も復讐の機会を狙うのが、あの系譜だからな…………」



ノアとアルテアの見解を見る限り、老魔術師を棺に入れてリーエンベルク前広場まで引き摺って来たという妖精は、その魔術師に女性としての執着があったようだ。


(………今回は、最悪の事態は防げたからこそ、その方の名誉はぎりぎり守られたけれど、これでもし、犠牲者が出ていたりしたら…………)



エーダリアがどれだけ愛されているかを思えば、もしそんなことになったとした、故人に対しても、一族に対しても、恐らく領民達の心象は変わってしまうだろう。


それが心の問題である以上、彼等も犠牲者なのだと考えようとしても、そうもいかない事態とてありえる。

故人に対して執着と復讐心を抱いていた妖精にとって、それ程に愉快な事もない筈だ。



(もし、エーダリア様に、取り返しのつかないような怪我や障りがあったなら……………) 



そう思うと胸が潰れそうになったので、ネアは慌ててそんな恐ろしい可能性は振り払い、林檎のケーキをぱくりと食べた。


ネアも夏至祭用の林檎のケーキを作ってあるが、こちらは、リーエンベルクの料理人が作ってくれた、林檎のタルトに林檎のクリームを添えたものだ。



「むぐ。………エーダリア様は、その系譜の妖精さんには注意して下さいね」

「あ、それは大丈夫だよ。エーダリアは、僕が契約してるから、一応はもう、僕の領域だからね」

「むむ、そうなのです?」

「お前がヒルドの耳飾りを持っているのも、その辺りが大きな理由だろうが。格段に階位の高い守護や契約を事前に得ておけば、ある程度の執着は払い落とせる」

「エーダリア様に於いては、ダリルを蔑ろにしたいと思う妖精はあまりおりませんからね。………加えて、一部の領民達も積極的に対処しておりますので、事前に周囲を減らせてはおりますから」

「………ほわ。減らしてしまっているのですね」

「まぁ、僕の妹の会も、そういう意味では野良狩りに有効なんだよね」

「かいなどありません…………」



とは言え、エーダリアは未婚の男性だ。

完全にそちらの危険がない訳ではないのだが、常人であれば持ち得ない程の守護を得ているので、危険としては格段に低くなっているという。


また、そのような危険が発覚さえすれば、エーダリアの持つ禁術ほどに、対処に向いたものはない。




「…………ねぇ、ヒルド。まだ、あの妖精は捕まらないって?」

「ええ。今の話に出ていた前世界ほどではありませんが、夏至祭はやはり、陽光の系譜は力を強めますからね。目的を達した以上は、姿を隠してしまった可能性も高いでしょう。となると、より捕縛に向いているのは、故人の親族達ですから、そちらが動けるようになるまでは様子を見た方がいいかもしれません」

「ふうん。…………僕の家族を傷付けたんだから、勿論このまま逃すつもりはないんだけどさ」

「ネイ………」

「分かってるよ。僕も、今日は夏至祭が無事に終わることを優先させるつもりだ。また何かがあったら、困るからね」



ひやりとするような暗い眼差しで微笑んだものの、ノアはそう付け加えると肩を竦めている。

ああそうか、まだ夏至祭はこれからなのだと思えば、ネアは、もう一度ざわざわする胸をそっと押さえた。




「そう言えば、影の国を訪れた時に、海から来るものの他に、森から来るものの話も聞きました。森のお城に住んでいたのなら、太陽の聖女さんが、そのような怪物だったのでしょうか?」

「どうだろう。該当しそうな者が他にもいるから、違うかもしれない。ただ、そちら側の者達が今回のように招き入れられないよう、注意は払うべきだろう」

「………ふぁい」



逃走している黎明の妖精は、見事な金髪の長い髪に、淡い水色の羽を持つ少女なのだそうだ。

ヒルドが、羽を隠していたがシーに違いないと言うので、ある程度の階位はあるのだろう。



ネアは、見つけたらただではおかないと心に誓ったが、それは、多くの領民達の思いでもある筈だ。

既に、ウィーム各地で、犯人となった妖精を狩ろうとする動きはあるらしい。



「とは言え、今は控えて欲しいですね。ネイの言うように、今日は夏至祭の方に注視していただきませんと」

「皆を動揺させてしまったのは、私の手落ちだ。午後の儀式には出ようと思っているので、その時に、少しでも安心してくれるといいのだが……」

「領外の動きはどうなんだ?今回の事が知られていないとは思えないが」

「ダリルの調べによりますと、歓迎されている…………というのも妙な話ですが、好意的なようですよ。完璧であるよりは、多少苦労しておいた方が心証はいいのでしょう」

「まぁ、そうだろうね。得られるものがあるなら、そうするといいと思うよ。………これを絶好の機会だと思うような連中は、それこそダリルあたりが駆除していくと思うし」



ひらりと手を振って微笑んだ塩の魔物は、こちらも見過ごしはしないという仄暗い眼差しであったので、よりにもよって今日動いてしまった者達は、その愚かさに相応しい報いを受ける事になるだろう。




「ところで、………窓に張り付いているもわもわは、何なのでしょう?」



ここで、報告会がひとまず落ち着いたのでと、ネアはそんなことを話題に上げてみる。


先程から、窓にびっしりと張り付いた綿毛のようなもわもわ妖精達がいて、とても気になっていたのだ。



「っ?!………おい、どうにかしろ」

「むぅ。なぜ私に言うのだ…………」

「ご主人様………」

「あらあら、ディノも弱ってしまうのです?」

「おや。………会食堂の方に動きがないので、どこかで食事をしていないのか、窓周りを探しに来たのでしょう。害のあるものたちではありませんので、ご安心下さい」



苦笑したヒルドが立ち上がり、窓辺に向かえば、気付いた妖精達がきゃあっと逃げてゆく。

今回は、ネア達人間ではなく、お食事風景を凝視していただけのようで、特に害がある生き物ではないらしい。



「連絡が来たのかな………」

「ディノ?………それは、アレクシスさんとのカードです?」

「うん。夏至祭が終わったら、こちらに、人員分のスープを持ってくるようだよ。そうするように、家族に言われたらしい」

「妹さんでしょうか………」

「そのようだね」




アレクシスのスープが届くという知らせを聞いたヒルドのほっとしたような表情を見て、ネアは、今年の夏至祭にアレクシスがウィーム中央にいてくれたことの有り難さを思った。


だが、今回の事件で円環としての守護が機能しているなら、それは有難いことであるのと同時に、それだけの備えをするべきだということでもあるのかもしれない。



そして、そう考えた直後に、その考えが正しかったのだろうかとひやりとする事が起きた。




「………グラストからですね」

「何かがあったな………」



ヒルドに通信が入り、その手元を覗き込んだエーダリアの表情が曇る。


何もなければ連絡が来る筈がなかったに違いないので、ネアは、素早く武器の準備に入った。



「…………ぐるる」

「ネア、君は外に出ないようにしようか」

「エーダリア様達に、沢山武器を持たせる準備なのですよ。本来なら、私もお外に出て悪いもの達を踏み滅ぼして回りたいのですが、面倒事を増やすばかりになりそうなので我慢するのです………」

「………うん。ギモーブを食べるかい?」

「はい!」

「おい、ケーキを食べたばかりだぞ………」



ネアがギモーブを貰っている間も含め、グラストからの通信は、少しの間続いた。

ノアも加わっての話し合いが行われ、通信を切った後も三人は難しい顔をしている。




「…………エーダリア様、何があったのですか?」



複数名で話せるようにと、部屋に備え付けの通信板まで出かけていたエーダリア達が戻ると、ネアはすぐにそう問いかけてみた。


口の中にギモーブが入っているので少しもごもごしているが、真剣な眼差しの方に着目していただきたい。




「…………リーエンベルクの西門付近に、妖精の輪が出来ているようなのだ。ゼノーシュの調べによると、人間に害を為すものではなく、小さな妖精達の避難路のようなものであるらしい」

「ほお。………となると、門の一方はリーエンベルクの中の可能性もあるのか」

「そうなのですか………?」



なぜアルテアがその結論を出したのかが分からずにネアは目を瞬いたが、場所から逆算しての推理であるらしい。



「そうなんだよねぇ。リーエンベルクの門の外側ってことは、夏至祭の緩衝地帯でもなければ、その輪を使う妖精の大きさを踏まえると、夏至祭が賑わう場所への経由地にしては不便過ぎるんだ」

「そうなると、先日の階段が現れた際に、夏至祭の系譜より、夏至祭の祝福の輪が閉じているという認識となったこの敷地内から、祝祭魔術の動きが活発な外に出かけようとしている可能性が高いのだ」

「………そのようなものが仕掛けられているのは、危うい事なのですか?」

「いえ、現状としてはそこまでの危険はなさそうなのですが、………今後、同じ不自由さをもう少し大きな個体が持つと、より大きな輪を作られる可能性はありますね。ですので、敷地内に急遽、リーエンベルクの敷地内に暮らすもの達へのふるまいを用意することになりそうです」



そんなヒルドの言葉に、ネアはふむふむと頷いた。

祝祭の輪を結ぶのは主に人間達が身を守る為のもので、夏至祭を楽しむ生き物達は、活発に外に出て行きたがるらしい。

祝祭の輪が完結していると見做されたリーエンベルクでは物足りなくなったのかもしれないが、折角安全なリーエンベルク内のあちこちに、外と繋がる門を作られては堪らない。


敷地内で過ごすのに足りるだけのものをふるまい、中にいるもの達を慰留する必要があるのだ。




「でもさ、程度を見極めるのが難しいんだよね。あんまり喜ばせても、夏至祭の魔術祝福を強めそうだし。………ネア、アルテアをちょっと借りてもいいかい?」

「はい。ただ、まだ弱っているかもしれないので、出来るだけ座らせてあげてくれますか?」

「なんでだよ。それと、俺を勝手に貸し借りするな」

「使い魔さんは、私のものなのでは………?」



腰に手を当ててとても不満そうに眉を寄せていたものの、アルテアは、新たに作るふるまいの品の祭壇に置くものの選定に加わってくれた。


グラストからの連絡が思っていたよりも怖い事ではなく、ネアは、ふうっと安堵の息を吐く。



「ディノ。皆さんは騎士棟に向かうようなので、お部屋に戻りますか?」

「うん。……………いや、騎士棟の入り口まで、同行しようかな」

「………何か、気になることがあるのですか?」

「少しだけね。………大丈夫だと思うよ。もし、何かがあっても私が対処するから、君は安心しておいで」

「………ふぁい」



ディノ曰く、どこかに引っかかりがあるのだが、その理由が分からないのだそうだ。

何か問題が起きているというのではなく、脆弱性を補強するべき箇所があった気がするのに、思い出せないというような事であるらしい。



「とても、………些細なことだけれど、思い出しておきたかった事があった筈なんだ。どうして思い出せないのかな……」



悲しげに呟いたディノの頭を撫でてやり、ネアは、魔物を乗り物にして、家族や使い魔と騎士棟に繋がる外回廊の入り口まで向かうこととなった。









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