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花輪の塔と雨煙の供物




夏至祭が近くなると、ウィームでは花輪の塔があちこちに立てられる。

儀式を行い花輪を重ねて立てる花輪の塔は、夏至祭の日には未婚の恋人達が周囲で踊る、祝祭と舞台としての夏至祭の中心そのものだ。



そしてその中でも最も壮麗だと言われるのが、リーエンベルク前広場に建てられる花輪の塔であった。


ネアは、この花輪の塔に花輪を投げ入れる儀式が大好きで、今年もいそいそと見学に来ている。

今年の同伴者はウィリアムで、昨夜は一粒の砂を探す悲しい事件があったので、少しばかり疲れた目をしていた。




(…………水の匂いと、花の香りがする)




この日にだけ触れる香りに頬を緩め、ネアは、どこか荘厳で、それでいて瑞々しい彩りのある儀式を眺めていた。


聞こえてくるのは、美しい詠唱だ。

静かだが硬質で甘く、清廉で澄み切った冬の夜空のような穏やかさもある。

儀式詠唱には音楽のような趣もあるので、選ばれる詠唱によって印象を変えるものだが、今回のものは静かな夜のような音階であった。



「……………夜に結ぶ詠唱にしたんだな。花輪に使われているものも、夜の系譜の花が多いようだ」

「むむ、本当に夜なのですね。今年のエーダリア様の詠唱は、どこか夜のような印象を受けるなと思っていたところだったのですよ」



ネアがそう言えば、こちらを見て微笑んだウィリアムは、本日は淡い銀髪姿の擬態である。


ネアの目には面立ちなどは変わらずいつものウィリアムなのだが、出会った頃に何度か見た擬態のように、不思議なくらいに雑踏に紛れてしまう気配や印象の薄さにしているようだ。


人間の騎士に擬態をしていると言われると、成る程という思いであるが、造作はさほど変えていないのに、今日のウィリアムに初めて出会う者は、端正な面立ちではあるがあまり記憶に残らない凡庸さだと思ってしまうだろう。


それでいて、ネアやリーエンベルクの騎士達などには、ああ、ここにいるのは終焉の魔物であると区別がつくようにしてあるのだから、擬態というものは奥が深い。



ウィリアムが、特別にリーエンベルクの騎士の装いでこのような擬態をしているのも、今年の花輪の塔の儀式を受け持ったのがウィーム領主であるのも、その全てが、漂流物の訪れの年の夏至祭を警戒してのことである。


とは言え今年は、既に復活祭で大きな影響が出ていたので、その魔術を均す為に霧の魔術が潤沢に切り出されたばかりであった。


復活祭の日より継続しての魔術観測が行われているのだが、実は、あの日のエイミンハーヌの助力のお陰で、一度丁寧に整られたウィーム中央の魔術基盤は、未だに小康状態を保っているのだそうだ。



(だから、花輪の塔の儀式はエーダリア様が行っておき、統括の魔物であるアルテアさんが、ディノと協力して少し複雑な守りの魔術をそこに浸透させてくれる)



専門的な魔術の扱いとなるので、相変わらずネアには理解が足りない部分も多いが、仲間達の協力が復活祭の霧の魔術が残るウィームに重ねられると、例年通りの夏至祭被害の範疇で収められる予測となるらしい。



勿論、夏至祭の日に開くあわいは、いつもよりは深いだろう。

とは言え、境界の揺らぎそのものを少しでも抑えられたなら、今年の夏至祭の被害予測数値をぐっと減らせるのではないかという希望が持てるのだ。



ざんと、花輪を投げこむ音がして、甘い香りが漂う。


花輪を重ね、エーダリアの詠唱が始まると、見物に来ている者達が目を輝かせるのは、儀式魔術の煌めきが見えるからに違いない。

その煌めきが見えないネアは少し寂しく思ったが、聖堂で響く聖歌のような独特な音階の詠唱に耳を傾けるだけでも、充分に素敵な気持ちになれるのだ。



「むふぅ。エーダリア様の詠唱は、やはり素敵です」

「確かにエーダリアの詠唱の扱いは、類を見ないようなものではあると思うが、…………ただ、隣でそう言われると、少し悔しいのは何でだろうな」

「むむ。ウィリアムさんも、詠唱をされる事があるのですか?」

「俺が詠唱を行うとしたら、殆どが、人間に擬態している時だろうな。魔術の質として、そちらの側にはあまり適していないんだろう」

「詠唱にも相性があるのですね………」

「魔術の扱い方の嗜好や、得意分野みたいなものだな。終焉の系譜は音楽に近しいことも多いんだが、詠唱そのものは、また別の系譜で育てられたものだからかもしれないな」



言われてみれば確かに、詠唱と聞いて最初に思い至るのは、魔術書や魔術師達に、教会などの施設である。

ウィリアムの説明でもやはりそちらの畑の領域であるらしく、実は、ノアなどが詠唱上手なのだとか。



「言葉で成す魔術でもあるから、グレアムも扱いは上手いだろう。だからよく、魔術師に擬態するんだ」

「まぁ。だからこそ、ウィームの王宮で魔術師のお仕事をされていたのですね」



この夏至祭の花輪の塔は、繊細な魔術文様の細工のある木の塔に、大きな花輪を投げ込み、都度儀式詠唱を重ねてゆくのだが、今年の木の塔は、なんとハツ爺さんのお手製である。


お孫さんの付き添いで出掛けた体験教室で、木彫りの魔術細工に目覚めてしまったウィームの茨の魔術師は、一年分の生活費を稼ぐ大事な夏至祭の夜が台無しにならないようにと、趣味も兼ねてこんなに大きな木の塔を作り、寄付してくれたのだった。


もはや趣味の領域を軽く超えているような気もするが、あまりの術式文様の完成度の高さに、リーエンベルクのもふもふではない時の塩の魔物も驚いてしまったくらいの代物なので、そのような側面からも、今年の夏至祭の準備は手堅い備えであった。



「今年の花輪の花は、白が多いのですよ。木の塔の魔術階位が高いので、負けないように祝福の豊かな花や、元々階位の高い、花びらのたっぷり詰まった白薔薇などを使っているそうです」

「ああ。揺らぎこそを資質とする夏至祭のような日になると、何をしても完全ということはないだろうが、それでもここまでの備えが出来る土地は、他にないだろう。ネアが、もう踊らずに済むのも安心だが、この花輪の塔があれば、夏至祭のダンスを予定している者達も心強いと思うぞ」



淡く微笑んでそう言ってくれたウィリアムにとって、夏至祭はいつも、凄惨な事件に関わる日である。


境界が揺らぎ、対岸の者達がこちらで狩りをすることも多いだけでなく、人々の心に波が立ちやすいのも、夏至祭の日の特徴だ。

その僅かな水位の変化が思わぬ事件を引き起こす事は少なくないようで、夏至祭の後のウィリアムは、いつも疲弊している。



「大きな事件がなければ、また、ウィリアムさんに林檎のケーキをお届けしますね」

「ああ。俺がどのような場所にいるかによっては、日にちをずらして貰う必要があるかもしれないが、今年もまた、ネア達と林檎のケーキが食べられるのを楽しみいしているよ」

「ふふ。今年は、煮林檎を使ったケーキを作る予定ですので、楽しみにしていて下さい!」

「おっと。ネアの手作りなら、何としてもどこかで時間を空けないとだな」


くすりと笑ったウィリアムに、ネアも繋いだ手をぎゅっとする。


周囲の目隠しをしているからと魔物達は油断していたかもしれないが、夏至祭の日に、この魔物がどんな思いで過ごしていたかくらいは、ちっぽけな人間にも想像し得る範囲なのだ。


不自然に隠された景色や、すっかり光の入らなくなった疲弊の眼差しから読み取れることも多い。


それをどれだけ厭おうと、終焉の魔物であるからこその役割をウィリアムが放棄出来る事はないのだろうが、せめて知ってさえいれば、大事な仲間を労わる事は出来る。



(なので、今年も、何としても林檎のケーキを届けねばならないのだ…………)



そんな誓いを新たにし、ネアはふんすと胸を張る。

騎士としての契約が結ばれた今、いっそうにネアからのケーキのお届けは大きな意味を持つようになった。



「…………ネア?」

「む。ウィリアムさんの方を見た流れで、ついついリーエンベルクの騎士服のケープを凝視してしまいました。身近な方々ですが、このくらいの距離で過ごす事はあまりないので、騎士さんの装いをじっくり観察することは、意外に少ないのです」

「そうか。ネアは、騎士が好きだったものな」

「はい!」



偶然同席しているお客ではなく、ネアの騎士として、また、リーエンベルクからの正式な招待を受けこの場に同席してくれているウィリアムは、リーエンベルクの騎士服を着てくれている。


だからこその人間の擬態でもあるのだが、魔物としての質を封じた上でこの場に立ち会う事で、扱える守護の一環を土地に紐づけてくれる作業でもあるらしい。


それは、終焉の魔物としてのものではないようなのだが、人間に擬態していても中身は第二席の魔物なので、扱う魔術は充分に稀有なものばかりなのである。

その中の一つの、とても古い魔術を結ぶ為に、ウィリアムは臨時騎士として儀式の場に入ってくれていた。



(儀式そのものに参加しなくても、リーエンベルクの騎士としてこの場に立つだけで結ばれる、魔術の輪があるらしい。私の騎士さんになってくれたことで、今年から、ウィリアムさんはこんな風にも参加出来るようになったのだわ…………)



「…………騎士さんのケープの白い縁取りは、よく見ると細かな刺繍模様があって、それがなんとも綺麗なのです。ですが、まずは何よりも色が際立つようにとされている為に、ケープ留めのベルト以外の部分は、同色の糸や結晶石の装飾になっていて、じっくり見ないと分からないのですよ」

「視認性の魔術を動かす意味では、賢い使い方だな。それに、遠目で見た段階では術式刺繍や守護の意匠が気付かれにくい方が、いざという時に敵の目を欺く事が出来る」


ウィリアムの言葉は、成る程という前線に出るものらしい意見であった。


「季節によって図柄が変わるそうですが、この時期は薔薇と紫陽花なのですね」

「ああ。この季節のケープみたいだな。グラストだけは、独自の魔術模様を持っているみたいだが、ウィームではあまり見られない系譜の魔術に長けているからとは言え、土地の色と上手く組み合わせてあって驚いた」

「ふふ。グラストさんのものは、エーダリア様が最初の術式模様を描いたらしいのですが、以前は、必要な模様が少しだけ足りていなかったそうなのですよ。それに気付いたゼノが、頑張って手直ししたのだとか」



当時はまだ、今のようにグラストとお喋り出来なかった見聞の魔物は、夜の内に、こっそりグラストのケープに追加の術式を足してしまったらしい。


仕事を依頼されたのがアーヘムだったので、気の回るウィーム在住の刺繍妖精は、注文内容をダリルに共有しても良ければ依頼を受けるという条件をつけ、代理妖精経由でエーダリアも術式模様の変更を把握する事が出来たのだとか。


グラストと仲良くなってからは、大好きな歌乞いの為に、ゼノーシュは、日々、ケープにかける守護を更に分厚くしているらしい。


グラストによくボール投げをして貰うノアも相談に乗ったりしているので、エーダリア曰く、ガレンの魔術師が見たら、その場で模写を始めかねない仕上がりになっているそうだ。



「毎日見ているせいか、柔らかな水色と白と組み合わせを見ると、リーエンベルクの騎士さんだなと思うようになりました」

「ああ。そうい色の印象は確かにあるな。………最近、少しの間だけ赤色が苦手だったが、すぐに気にならなくなってほっとした」

「それはまさか、スープ的な…………」

「俺の系譜では致命的だろう?」



どこか悪戯っぽい眼差しで苦笑したウィリアムに、ネアは、静かに頷いた。


こちらの人間も、激辛でなければ翌日から赤いスープが飲めた方であるのだが、ディノは、暫くの間、トマトスープが飲めないという可哀想な後遺症が残ったのだ。


祝祭の系譜として派生してしまった以上はまた来年もどこかに現れるかもしれない、激辛スープ社のお届けだが、もう二度とあのスープは飲むまい。


幸いにも、リーエンベルク内で緊急調査を行ったところ、辛い物は満更でもないという騎士が、グラストを含め五名いたので、そこにアルテアを加えると必要人数に足りることが分かっている。


なので、この頷きには、もう二度とあのスープを飲むものかという強い覚悟も重ねてあるのだった。



(わ、………いい匂い!)



また、ばさりと花輪が投げ込まれた。


あと数段で完成するようなので、そろそろ土砂降りの雨への備えもしておかねばならない。


そう考えてきりりとしたネアは、今年はふわりと滲むようなアイリス色が美しい儀式正装姿のエーダリアを眺め、隣に立ち、片側の肩を隠すように羽織ったケープの下で、恐らくは愛剣に手をかけているに違いないヒルドにも視線を移す。


夏至祭などに荒ぶりがちな妖精の系譜に対し、ネアの家族の中で最も大きな抑止力になるのが、森と湖のシーであるヒルドだ。


おまけに、家族としてのお祝いは夏休みに行っているが、ヒルドの本来の誕生日は夏至祭である。


ここではない向こう側という気質の強い祝祭なので、大事な家族をあまりそちら側に結んでしまうのも考えものらしいが、実際には、夏至祭そのものに深く関わるような魔術の特性もあるのではないかと以前にディノが話していた。



(でも、基本的に司るものから単一派生する魔物さんや一部の精霊さんとは違い、一族単位で育まれる妖精さんは、その役割や肩書を継承することで自分のものにしてゆく存在なのだとか…………)



なのでヒルドは、王としての役割を継承した森と湖、そして宝石の質を持つ妖精ではあるが、公のものとして、夏至祭の名前を拝するような役割を担ってはいない。

もし、妖精種であるヒルドがそのような役割を得ようとした場合は、認識や手続きを経て初めて、正式に扱えるようになるという。


とは言え、正式な肩書や区分ではなくとも、優位性があることは間違いないので、これからの夏至祭の日までの間、ヒルドは誰よりも頼もしい家族なのかもしれない。



「……………奥にいるのは、グレアムか」

「むむ。こちらからは見えませんが、いらっしゃるのですか?」

「ああ。バンルは見えるか?」

「はい。バンルさんは、いつもエーダリア様が素敵に見える、斜め後ろの定位置にいます」

「その右奥だな。ネアの位置からだと、花輪の塔の影になって見えないのかもしれないな」

「今日は、エーダリア様が詠唱をされるとあって、大勢の方が見に来られているのであちら側はかなりの混雑ですものね」



大聖堂などでの儀式とは違い、花輪の塔の儀式は、領主と周辺に集まった領民達との距離が近い。


より近くで素敵な詠唱が聞けてしまうので、リーエンベルク前広場には随分遠くのエーダリアの会の会員達が集まっているような気がする。


なお、一般人と会員の見分け方はとても簡単で、常に周囲の様子を確認し、騎士達ではないけれど騎士達と同じ眼差しで会場警備にあたり、尚且つ、エーダリアの詠唱の旅に幸せそうにしている人達を見ればいいのだ。


時折、会員同士での目配せなどもあるので、すぐに会員かどうかの判断がつけられるだろう。



ざざん。


とうとう最後の花輪が投げ入れられ、また濃密な花の香りが漂う。

夜明けの草原のような爽やかな緑の香りも混ざっていて、この瑞々しい初夏の香りを嗅ぐと、ああ夏至祭がくるのだなと毎年実感する。


白薔薇の多い今年は、花の種類による僅かな香りの変化はあるものの、基本的な香りには大きな変化がないので、儀式魔術や祝祭そのものに結ぶ香りでもあるのあかもしれない。



しかし、最後の詠唱の伸びやかな響きにうっとりと聞き入っていたネアは、その余韻を楽しもうとした次の瞬間にはもう、土砂降りの轟音に周囲を包まれていた。



「ぎゅわ。…………やはり今年も、終わった直後に、土砂降りの雨になりました」

「魔術が結ばれた証だから、本来は喜ばしいものなんだがな。…………おっと、ネア、持ち上げるぞ」

「むぐ?!」



今年は事前にお願いしてあったので、ウィリアムの排他結界が綺麗に雨を弾いてくれている。

ずぶ濡れになってしまうこともなく、安心して帰れるなと思っていたところ、いきなりウィリアムに持ち上げられた。


驚いてばたばたしてしまったネアは、ぎゃっと声を上げ、走ってきた黒いものに跳ね飛ばされた街の騎士を見てしまい、呆然と目を瞠る。



「……………ま、まさか、あやつは………!!」

「雨煙だな。…………随分と大きな個体だが、…………っ」



雨煙は、名称の通り、雨煙が立つような雨の中に現れる荒ぶる精霊だ。


特別魔術階位が高い訳ではないのだが、凄まじい勢いで走ってきて、それなりに防御していたに違いない街の騎士ですら簡単に跳ね飛ばしてしまうので、特殊な天候の中で、魔術の優位性を持つ生き物なのだろう。


跳ね飛ばされると良縁に恵まれるので、そう悪い生き物でもないのだが、このバケツをひっくり返したような雨の中でやられると、雨や泥汚れを魔術で排除出来る高位の人外者でもない限りは、無事では済まない。


よって、儀式を見に来ていた者達が、感嘆するくらいの素早さでわぁっと散らばって逃げてゆく。


逃げ遅れた観光客や、任務上その場から動けない騎士達が何名か犠牲になり、騎士は跳ね飛ばし易いと勘違いをしてしまったものか、こちらも騎士服のウィリアムに向けて雨煙が突進してきた。



「みぎゃ!!」

「うわ、完全に標的にされたな………」


ウィリアムもネアを抱えながら必死に避けてくれているのだが、如何せん、人間に擬態している状態である。


周囲の獲物が減った事もあり、元より身体能力や可動域の高いウィームの騎士ですら跳ね飛ばす雨煙は、容赦なくネア達を追い回してきた。



「あ、雨よ上がるのだ………!」

「避けてしまう者達が多かったんだな。………かなり苛立っているようだが………」

「は!わ、わたがしです!!」



ネアはここで、雨煙の大好物を思い出したが、普通の乙女は、魔術金庫の中に焼き菓子は蓄えていても、綿菓子の常備はない。

やはりどうにも出来ないのかという悲しみのあまりに、ウィリアムの腕の中のネアが、ぐるると唸った時の事だった。



「……………にゃ?!」



突然、顔を上げてネアを凝視した雨煙が、驚愕の声を上げると、踵を返して逃げ出してゆくではないか。


追い回されたことにも驚いたが、突撃してくるのが通常仕様の生き物に逃げられてしまうのも謎しかないので、ネアは目を瞠ってふるふるしていると、周囲がけぶる程に降っていた雨が、いつの間にか小雨になっていた。



「ネア、大丈夫だったか?」


慌てたようにこちらに駆けつけてくれたのは、儀式を終え、一時的にどこかに避難していたらしいエーダリア達だ。

さり気なく同行するヒルドが、エーダリアの儀式用のケープの裾を持ってあげている様子は、どことなく家族らしい姿で微笑ましい。


酷い雨だったが、エーダリア達の方からもこちらの騒ぎが見えたのだろう。

無事を確認しに来てくれた家族に、ネアはばくばくしている胸を押さえ、こくりと頷いた。



「散々追い回されましたが、突然、逃げていってしまいました」

「その瞬間だけはこちらから見えたのですが、雨煙のあのような反応は、あまり見ませんね……」

「うーん。何でかな。雨が弱まった時だったのかなとも思ったけど、ネア達がそう感じてないってことは、他に理由があるのかもしれないね」



そう言葉を重ねたのは、こちらもリーエンベルクの騎士に擬態しているノアで、青灰色の髪色の騎士が誰なのかは、ウィームの一部の領民の中では公然の秘密だ。

その騎士は他にも数多くの秘密を抱えているので、人型の時にボールの差し入れなどはしてはいけないということもまた、ウィーム領民の暗黙の了解なのであった。



「ウィリアムさんがいなければ、初撃で跳ね飛ばされていたと思うのです。それを、何回も回避してくれたので、なかなか手強いと思って諦めてしまったのでしょうか?」

「…………ふと思ったんだけど、僕の妹は、何個か、ラジエルの眼鏡を持っていたっけ?」

「三個なのですよ。いつかここぞという時に使うつもりなのですが、なかなか機会がないのです。今日は、花輪の塔を作り終えた時に雨が降るので、一つだけポケットに移動させておきました」

「ありゃ。……………それじゃない?」



ネアが、いつだって備えてはいるのだと誇らしげにポケットをごそごそすると、ノアが、なぜか、ウィリアムと顔を見合わせるではないか。

昨晩一緒に砂粒を探した仲だからか、少しだけいつもより仲良しな二人である。



「三個もラジエルの眼鏡を持っているのか。………魔物の道具は、………自身の魔術の切り分けでもあるからな。系譜の王にもあたる訳だし、何か感じたのかもしれないな」

「ほわ。……………という事は、雨煙さんが、直線上にいたアメリアさんを華麗に避け、奥の騎士さんを跳ね飛ばしたのも、そのような理由なのでしょうか?」

「おや、なぜアメリアを避けたのかと思っておりましたが、そのような理由でしたか……………」



くすりと微笑んだヒルドは、雨に洗われた景色の中ではっとする程美しく見えた。


ああ、魔術が結び、相応しい資質に触れるというのはこのような影響もあるのだなと感じ、ネアは、僅かに開いた羽先に落ちる色鮮やかな影を眺める。


「今年は、鴉達の姿がなかったようだが、…………別の土地で悪さをしていないといいのだが…………」

「ウィリアムがいたからじゃない?どういう訳か、最近のあの連中は、終焉の系譜の気配に敏感なんだよね。儀式の間は擬態していたけど、リーエンベルクに来た時は普通にしていた訳だから、その時の敬拝を嗅ぎ取ったのかもね」

「一時期は、よく仕事の邪魔をしに来ていたからな。最近、何度かしっかりと減らしてから、あまり俺には近付かなくなったみたいだ」



にっこり微笑んだウィリアムの言葉に、ネアは、種族的な天敵認識をされたのかなと目を瞬く。


終焉の魔物がしっかりという表現をしたからには、相当な規模の駆除が行われたのだろう。

だが、終焉の資質も持つ生き物であるらしいので、それを減らしてしまうというのもなかなかに壮絶な事案の気がした。



(あ………!)



そこに戻ってきたのは、儀式魔術の定着をしていてくれたディノ達だ。

ネアを見付けて目をきらきらさせたディノに対し、一緒にいたアルテアは、こちらを見るとすっと瞳を細めて怪訝そうな顔をする。



「……………また事故ったんじゃないだろうな?」

「開口一番に事故の伺いをしなくても、私は、見事な眼鏡の備えのお陰で、雨煙さんを追い払ったところなのですよ?」

「……………眼鏡?」



思わぬ眼鏡自慢にアルテアは困惑していたが、ネアは、ウィリアムな騎士から伴侶の魔物に手渡して貰い、ふすんと息を吐く。


仕事の上での別行動であったので、頑張った魔物を労うべく手を伸ばして頭を撫でてやると、目元を染めた魔物が嬉しそうに唇の端を持ち上げた。



「可愛い………」

「お疲れ様でした、ディノ」

「うん………。この子の側にいてくれて、有難う、ウィリアム」

「いえ。最後に雨煙が出たくらいで、特に問題はありませんでした。夏至祭当日はこちらに来れないので、今日は立ち会えて良かったです」

「儀式の最中に、グレアムも来ていたようだね」

「あいつは、儀式を執り行う側だったことも多いからな。在任期間中に、漂流物の年があった筈だ」

「そうなのだな。となると、有用な手立てを知っているかもしれないのか……………」

「まぁ、必要な事があれば、シルかウィリアム経由で事前に連絡があるか、グレアムの方で手を打ってくれているんじゃないかな。…………ありゃ」



ふいに、ノアが声を上げ目を瞠った。

その視線を追いかけて振り返ったネアも、思いがけない光景を目にして首を傾げる。



そこにいたのは、先程逃げていったばかりの雨煙で、なぜか、おずおずとこちら歩いてくるではないか。

何か大きな黒い塊を咥えて引き摺ってくると、ネア達の方を見てぽてりと落とす。

そして、にゃーんと一声鳴き、しゅわりと姿を消した。



「……………ほわ、貢ぎ物です?」

「え、明らかに僕の妹を見てなかった?」

「おい、余分を増やすなと言わなかったか………?」

「雨煙なんて……………」

「そうか。こうやって増えていくんだな……………」

「念の為に、会には共有しておきましょう。それと、運んできたのは鴉のようですね」

「わーお。獲物のお裾分けかな…………」

「なぬ。鴉はいりません………」




雨煙に狩られてしまったらしい鴉は、恐らく、激突されて気を失っていたところを、引き摺って運ばれてしまったのではないかということだった。


雨上がりの地面を引き摺られてびしゃびしゃになっていたので、ウィリアムがどこか遠くに捨ててきてくれることになる。


だがその際に、儀式に悪さをしようとでもしたのか、どこかで術式納めに使われた物であるらしい魔術の細工石を手に持っていたことが判明し、エーダリア達が安堵の息を吐く場面もあった。


もし、そんなものを儀式の場に投げ込まれたら大変な事になったので、雨煙の供物には、大きな意味があったようだ。



「どこかでお見掛けした際にお礼が出来るよう、今度から綿菓子を持ち歩いておきますね」

「雨煙なんて……………」

「ネア様、不用意に野生の生き物に食べ物を与えると宜しくありませんので、アメリアを介して、ミカエルにどのような謝礼がいいのかを聞いて貰っておきましょう」

「ヒルド……………」

「はい。では宜しくお願いします!」



どのような理由で献上品をするに至ったのかは推測の域を出ないが、とは言え、あまり厚くない系譜層の生き物の協力を得られるのは、リーエンベルクとしても得難い縁である。


これからも毎年行われる花輪の塔の儀式で、あの雨煙が協力的になってくれれば、今後も鴉達の悪戯を防げるかもしれないのだ。




後日、ミカエル経由で、件の雨煙にお礼の綿菓子が届けられた。


系譜の高位の生き物にお宅訪問されてしまった雨煙はびっくりして飛び上がっていたらしいが、先日の鴉のお届けが喜ばれたと知り、尻尾をぶんぶん振って喜んでいたようだ。



その報告を聞いたネアは、雨煙に尻尾があったことが今回一番の発見であったと思わずにはいられなかった。

しかし、雨煙の尻尾は、それはそれは見事な狐風の尻尾だと知った義兄の魔物が警戒していたのであまり話題には出さないようにしたのだった。






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