表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
72/880

結びの花畑と毛皮の魔術師 1




ネア達はその日、ウィーム南端の小さな集落を目指していた。


ここは険しい山の中腹に位置する土地柄、ウィームの南の秘境と呼ばれており、独自の文化を持つ山の民が暮らしている土地なのだが、毎年この時期になると華やかな祭りがある。



(ちょっぴりお洒落をしたので、もぞもぞする…………)



本日のネアは、最新のケープを羽織り、優しい菫色がかった水色に擬態させた戦闘靴とくすんだ薔薇色のニットドレスで少しばかりお洒落をしての出張任務である。


なぜ儀礼用にもなるとっておきのケープを羽織っているのかと言えば、ウィーム領主の代理として挨拶に訪れているので、今回の仕事はなかなかの大役を担う事になるからなのだ。


とは言え、山の民の集落で行われる祭りに楽しく参加すればいいだけなので、役どころが大きい以外には難しいこともないのだが、長年この集落の祭りに参加したいと思っていたエーダリアにはそれが叶わない理由があった。



(あ、そこにも書いてある………)


ふと視線を向けた駅舎の壁にも祭りの告知ポスターのようなものが貼ってあった。

そこには、人間のお客様には参加条件がありますとしっかり注意書きがある。



実はこの祭りは、得られる祝福が特殊なので外部参加者は厳しく制限されており、新婚さんしか入れて貰えないのだ。



勿論、悪い魔物達などが身分を偽って潜入する事は可能だろうが、エーダリアとしては、正式に招待された者の目線から祭りの記録を得ておきたいということで、参加資格のある今年の開催に合わせ、リーエンベルクを代表してネア達が訪問することになったのである。


祝福を授かる祭りであるので特に危険などはないのだが、やはり秘境とされる土地のお作法なので、想像もつかないようなものがあるに違いない。

ネアはこれまでに参加してきた奇祭の中でも、特にボラボラ祭りを頭に思い浮かべつつ、今日の仕事に臨んだ。



「まぁ、木の線路なのですね。ところどころ結晶化していて、何て趣があるのでしょう!」


ネアが目を輝かせて駅舎に入れば、一緒に切符を切って貰った魔物もご主人様の真似をして線路を覗き込む。


簡素な石造りのホームには可愛らしい木のベンチがあり、緑の艶々とした瓦屋根の駅舎はだいぶ年季が入っているのか、風にぎしぎしと壁を軋ませていた。


表面を焼いて防水加工の魔術を施した駅舎の建材は、その上から更に表面に砕いた鉱石杉の祝福結晶を刷毛で塗ってあるらしい。

炭黒色に僅かに焦げ茶色が混ざり、ざらりとした質感だが釉薬をたっぷりと塗り込んだ陶器のような質感は何ともこの土地に合うので、ネアはすっかり気に入ってしまった。



(標高の高い山に登ってゆくのだという感じがものすごくする…………)



実はウィームなども、国内にある他の領地よりは少し高いところにある土地なのだが、体調に変化がある程の差異はない。


しかしここは、南端でありながらも切り立った山脈の中腹から登るようになるので、ごつごつとした青い鉱石の山肌にはまだ雪が残っており、ネアの知る同じような高地のルドヴィーク達の暮らす土地よりも切り立った岩山が目立つ。



「あ、獣さんです!」

「ネア、あの獣とは浮気出来ないよ?」

「しません…………」


可愛らしい黄色やピンク色の花を咲かせる高山植物のひたむきさを楽しんでいれば、見たこともない謎の毛皮生物が走り抜けてゆく。


ネアは、浮気の疑いをかける魔物の視線に晒されながらも、小さな唐揚げのようなこわこわもこもこの生き物に目を瞠り、ダリルから借りて来たこの土地の固有種の図鑑を引いて、それが根まんじゅうの妖精であることを突き止めた。


根まんじゅうの妖精は、少しこわこわの巻き毛を持つ茶色い鼠姿の妖精で、ネアの感覚では前の世界のモグラに似ているような印象の生き物である。


この土地特有の植物たちの頑強な根の中に巣を作って育ち、春になると出てきて土地の植物たちの受粉を手伝う良い妖精なのだが、見た目が無害そうなので子供などが持ち帰って飼おうとすると、家の中を苔だらけにされてしまうので、お持ち帰りは厳禁であるらしい。


ネアとしても、手触りが堅そうなので撫でてみたいと思うことはなく、せかせかと草花の間を走る姿をほんわりと眺めるだけだ。




「登山列車が来ましたよ!お土産が決められない方を迎えに行ってきますね」

「一両しかないんだね…………」

「この登山列車は、特殊な鉱石を燃料にしているそうなのです。エーダリア様から、説明用のパンフレットをお土産に頼まれているので、中で買わなければいけません」

「そこでないと買えないものなのかい?」

「ええ。乗車しないと買えない上に、人間で麓の境界線の先に入れるのはお祭りの参加者だけなので、滅多に手に入らないものなのだとか」



早春から夏の終わりまでを高地で過ごす山の民達は、秋から冬の終わりまでを麓の村で過ごすそうだ。

エーダリアはその土地への訪問は果たしているが、登山列車で登る彼らの本物の集落を知らない。


ウィームに暮らす人間でここから先を知っているのは、ダリルの弟子であるとある伯爵家の夫婦と、商工会議所の職員夫婦くらいのもので、人外者であれば、エイミンハーヌなども訪れるという。




「記念…………」

「ディノと私は、登山列車の記念色鉛筆を買いましょうね」

「ご主人様!」


旅の思い出の品を欲しがる系の魔物は、ネアが彩りが可愛くて目をつけていたこの赤い列車が描かれた色鉛筆を買う予定だと知り、嬉しそうに目元を染めた。

残酷なご主人様が、しっかりその鉛筆を使ってしまう予定だとはいざ知らず、記念品として保存する気満々である。



(五色のセットだから、一色好きな色をあげればいいかな……………)


ネアのお目当ては赤鉛筆と青鉛筆なので、他の色は魔物の思い出の品博物館に寄贈しても構わない。



「ヨシュアさん、もう列車が来たので乗りますよ」

「ほぇ…………。まだどっちを飲むのか決めてないんだ………」

「岩牛の牛乳たっぷりのまろやかな紅茶か、独自の焙煎方法を使ったリスプの珈琲豆の珈琲か、どちらがお好きですか?」

「僕は、珈琲が好きなんだよ」

「ではこちらですね。注文してあげますので、お金を下さい」

「…………振る舞われるのではないのかい?」

「まぁ、売り物ですよ?」

「僕は祭りに招かれているんだよ?…………ふぇ、ネアが怒ろうとしてる………」



ネアが腰に手を当てると、ヨシュアはびゃっとなってしまい慌ててターバンの中から小さなお財布を取りだした。


小さな財布とは言え、この質量のものが隠れている気配はないので、あのターバンの中はどうなっているのだろうと謎が深まるばかりだが、ネアはその中からイーザが用意したと思われる小銭を取り出して支払いをしてやり、ほかほかと湯気を立てている珈琲のカップを受け取った。


「お砂糖やミルクは入りますか?」

「知らないのかい?珈琲は、そのまま飲んで香りを楽しむものなんだよ」

「ふふ、苦くて飲めないとしょんぼりだったのに、いつの間にかそのまま飲めるようになったのですねぇ」

「僕は偉大だからね。しっかり崇めるといいよ」


誇らしげに胸を張り紙カップを受け取ったヨシュアに、ご主人様が他の魔物に飲み物を奢ったのではと飛んできたディノは、ヨシュアのお買い物を手伝ってやっただけなのだと知りほっとしたようだ。


小さな売店は硝子戸を引き開け、中のお婆さんに飲み物や食べ物を売って貰うのだが、珍しい煙草や不思議な乾燥木の実なども売られていたので、見たことのないものは一種類ずつ購入して、エーダリアへのお土産にしている。


煙草を吸うのかいとお婆さんに尋ねられ、ここに来たかった上司へのお土産なのだと言えば、これも珍しいからと欲しがる人がいるよと、先週の日付の鉄道新聞をおまけにつけてくれた。



(この山で冬籠りから目を覚ました動物や妖精、その週に見られる花の説明もあるし、獣害のお知らせや、魔術的な気候異変の諸注意も書かれている…………)



内容的には、観光案内と住民達への生活情報の共有が半々というところだろうか。

けれどもネアは、このようなものが領主として、或いはガレンでの知識の蓄積としても、どれだけ得難い情報であるのかを知っている。


今週の新聞はお祭りの影響で人の出入りがあったので完売していると聞きがくりと肩を落としたが、先週の新聞を有難くいただき、首飾りの金庫の方に大事にしまっておいた。



(店頭になかったから見落としていたけれど、他にも発行物があるのなら手に入れておいた方がいいかも………)



これだけお土産が充実していることや、週に一回発行される新聞があることといい、秘境とされてはいるものの、やはり、人外者達にとっては知られた観光地のようだ。



リスプは元々、山の精霊と高山植物の妖精達、そしてリスプ山脈にだけ生息する山羊竜達が治めていた土地なのだそうだ。


なので、元々特定の系譜の人外者達の出入りは頻繁で、山の系譜の人外者達や高地を好む竜種などは観光地として訪れる事も多い。

しかしながら、土地の特有の魔術があまりにも濃い為に、その他の系譜の人外者達はあまり好んで立ち入らないらしい。


何しろここは、雲の魔物の直轄地である。



「ふふ、それにしてもヨシュアさんがここをご存知でいてくれて良かったですね。安心して頼れる魔物さんですから」

「僕の偉大さに感謝するといいよ。ネアの頼みだから、仕方なく来たんだからね」

「むむ、先程はお祭りに元々呼ばれていると仰っていたような………」

「ほぇ、そうだったっけ…………」

「とても不安になってきましたが、兎に角ここではヨシュアさんを捕まえておけば、安心してお祭りに参加出来ますね?」

「浮気…………」

「ディノも、今日はヨシュアさんから離れないようにしておきましょうね」

「…………ネアでいい」



魔物はぺそりと項垂れてネアにへばりついて来たが、ご主人様は高山の女王ではないので、やはりヨシュアを押さえておくべきだ。


人間でもそうであるように、やはり平地の人々と高地の人々には生活や文化に違いがある。

ましてやここは、人間主導の土地ではなく、人外者達が治る土地の中の人間の集落なので、ウィームの領内とは言え注意が必要なのだった。



「…………それにしても、この列車はいい匂いですね」

「木の匂いかな。独特な香りがするね」



ネアがまず気に入ったのは、真っ赤な登山列車の内装が、艶のある焦げ茶色の鉱石と綺麗な深緑色の布張りの椅子だったことだ。


可愛らしいカーテンは小花柄で、四席タイプのボックス席で小さな木のテーブルが造り付けられている。

テーブルには翡翠に似た石の一輪挿しが備え付けられており、可憐な野の花が生けてあった。



おまけに中に入るとふくよかな木のいい匂いがするのだから、幸せな気持ちで選んだ席に座れるというものだ。



(む……………!)



しかし、車両の先頭部分に小さな売店スペースがあると知ると、ヨシュアに席取りを任せたネアは、しゃっとそこに駆け付けた。



「まぁ!これが、エーダリア様の欲しかった登山列車のパンフレットですね。私とディノのお目当の色鉛筆もあります」

「可愛い、弾んでる…………」

「カードも売っているので、これはまたいつかのトトラさん用にお土産にしつつ、むぐぐ、列車模型が安価なのにこんなにも精巧で心惹かれてしまいますが、もはや飾るところがもうないので…ぎゃ!買ってる!!」

「君との記念だからね」


ネアが悩んでいた登山列車の模型は、いつの間にかディノが買ってしまっていたようだ。

恐らく、後から乗ってきた妖精達がわらわらと集まり始めたことと、模型の箱が二つしかないので、よく食べ物の購入競争で荒ぶるネアの為に先手を打ってくれたのだろう。


目元を染めて嬉しそうに登山列車模型をお買い上げしたディノを見て、登山列車模型の人気は突然爆発した。


不穏な気配を感じたネアが、慌てて、パンフレットを三部とポストカードを三枚、色鉛筆セットを二つを手早く買ってしまうと、売店主兼車掌さんは、模型が買いたい妖精達にわっと囲まれてしまう。



(向こうの駅に着けば、在庫があるみたいで良かった……………)



登山列車模型の残り一箱は、妖精達より早く手を伸ばした謎の大柄穴熊風の生き物がお買い上げしてしまい、妖精の一人は見本展示品を押さえ、残りのお客達は到着駅にある在庫を予約購入するようだ。


あまりの盛り上がりに、他のお客達も取り敢えず在庫があるなら買っておこうという空気になってしまい、登山列車の発車は五分程遅れた。



「僕を一人で残してゆくなんて、不敬だと思わないかい?珈琲がなかったら、僕だって怒るんだよ」

「はい、席取りをしてくれていたヨシュアさんには、このパンフレットを差し上げます。登山列車のお土産になるので、今日は来られなかったイーザさんに差し上げて下さいね」

「……………イーザは喜ぶと思う」

「ふふ、それなら良かったです。ご兄弟が多いので、このようなものも楽しいかなと思って、パンフレットにしました」



実は今回、イーザはヨシュアに同行したがったが、来られない事情があった。

特殊な魔術の影響で、霧雨の妖精達はこの土地には入れないのだそうだ。


入山が叶わないというよりは、酷い頭痛や吐き気に悩まされるので近付かないという事であるらしく、症状的には、魔術的な高山病のようなものなのだろうか。

なので、雲の直轄地であるにもかかわらず、イーザはこの地を訪れた事がないらしい。


だからなのか、リーエンベルクで待ち合わせをしたヨシュアは、そんなイーザからのうちの魔物がお世話になりますな手土産を持って来てくれており、ネアは、このパンフレットだけでなく首飾りの中にある汎用菓子折りの一つを帰りに渡しておこうと思っている。



「動き出しました!」

「弾んでしまうのだね………」

「わくわくしますね」

「ネアが可愛い…………」

「ほぇ、珈琲が揺れるよ………」



がらごろと動き出した登山列車に、ネアが思わず窓に顔を押し付けると、色鮮やかな糸をたっぷり使ったタッセルのような独特な駅舎飾りが、窓の向こうに遠ざかってゆくところだった。



列車の中では、ちょうど車輪の真上の席を選んでしまったお客達が、お尻ががたがたすると渋面になっている。


素早くその位置を計算しこの座席を選んだネアは、やはりそうなるだろうと頷いた。

駅に入って来た時の列車の音から、車輪の真上の席は避けようと思っていたのだ。



しかし、そんながたがた響く座席にお尻を預けなければいけないお客達も、すぐに素晴らしい景色に夢中になってしまったようだ。



「……………なんて綺麗なところなのでしょう!こんなに険しい山肌なのに、あたりが一面お花畑で、雲があんなに低いところに浮かんでいますよ!」

「僕の治める土地なのだから、美しくて当たり前なんだ」

「ディノ、見て下さい。……とても足の短い馬のような生き物がいます!」

「おや、岩狼だね。晴れた日にしか見られない珍しい生き物だよ」

「……………馬さんではなく………?」



ディノが教えてくれた生き物が狼だと知り、ネアは、なぜ、どう見ても短足ポニーにしか見えない生き物が狼とされたのか、命名者をがくがくと揺さぶりたい気持ちになった。


のんびりと花を食んでいる馬達は、足の短さからコミカルな印象を受けそうなものだが、面立ちの優美さが際立つのでとても可憐で優雅な生き物に見える。

だがどうしても狼的な要素は皆無であり、あの外見でなぜ狼になったのか、その理由をとても知りたい。



切り立った山肌は、険しい山脈の頂近くの風景のように見えた。

だが、このような風景が半刻ほど続いてゆき、目指す集落に到着するのだという。


となると、俯瞰では随分とげとげした山に見えるのだろうなと考えながら、ネアは、窓を開けなくても列車内に入り込んで来た素晴らしい花々の香りを楽しんだ。



がたんごとん、ゴロロと登山列車は険しい岩山を登って行く。


ゆっくりと蛇行して走る線路脇には美しい花畑が広がり、ネアが、何だかもう今日の目的は観光だったのではという気がしてきた頃に、ふっと周囲の景色が変わった。



「…………町があります」

「リスプの竜の町だね。外周にあるのが竜の町、その奥に妖精や精霊の町があり、最も中央に人間達の集落があった筈だよ」

「…………むむ、さては私の伴侶は来たことがあるようです」

「……………少ししかいなかった」



ネアの指摘に、さもここに来るのは初めてですという顔をしていた魔物は、慌ててそう付け加える。

しかし、一緒に初めてのリスプを楽しんでいるつもりだった人間は、大人気なく暗い目をして伴侶を見つめた。



「私が、この赤い列車に無邪気にはしゃいでいる姿を見て、ディノはほくそ笑んでいたのですか?」

「ご主人様…………」

「ご主人様はとても傷付いたので、帰り道にあの駅の売店で乾燥林檎の詰め合わせを買って下さい」

「何袋でも買ってあげるよ」

「うむ。それで伴侶の心を弄んだ悪い魔物を許してあげましょう」



ぴゃっとなった魔物がもう二度と初めてのふりをしないとぎゅうぎゅうと抱き締めてくるに任せ、ネアは正面の席で白銀の瞳を瞠ってこちらを見ている魔物におやっと首を傾げた。



「ヨシュアさん?」

「僕にも、その乾燥林檎を買うといいよ。乾燥させた果物は好きだからね」

「まぁ、では今日のお仕事が無事に終われば、お疲れ様でしたでお土産にしましょうか?」

「ヨシュアなんて…………」

「魔術的に問題があるのなら、ディノがお支払いします?」

「……………うん」



こくりと頷いたディノをネアが撫でてやっていると、何だか列車の中がざわざわしている。


ネアが視線を巡らせれば、こちらを見てざわざわしていたお客達はさっと顔を背ける。

雲の魔物がという囁きが聞こえてくるので、今日は擬態などしていないヨシュアが登山列車で会場入りする事に驚きが隠せないようだ。


ネアとしては、もう少し早く気付かれると思っていたが、みな、観光気分が落ち着いた今頃になって、同じ列車の中に雲の魔物がいる事に気付いたのだろう。



「山羊竜さんの町は、水色の壁のお家が沢山あるのですね。…………あれは、要塞でしょうか?」

「あれが、この土地の竜の王の城なんだ。飛び立ちやすい所に建ててあるらしい。妖精と精霊はよく知らないかな…………」

「と言うことは、前に来た時には竜さんに会いに来たのです?」


そんな問いかけに魔物は突然窓の外の景色に夢中になったので、ネアは、これはあまり言いたくないお相手と来たのだなと目を細めた。


長く生きている魔物なので、例え以前に恋人と来た土地があっても不思議ではないのだが、この魔物はロマックや騎士達からおかしなご婦人心理を教え込まれてしまっており、その種の話題にはとても繊細なのだ。



(でも、この竜の町もとても趣きがあって綺麗だわ………)



石造りの水色の建物が並ぶ竜の町は、煉瓦のように切り出した水色の鉱石を積み上げた、素朴な四角い建物が並んでいる。

国境域の要塞のような無骨さの王城といい、この土地の固有種である山羊竜達は、質実剛健な嗜好の竜達なのかもしれない。


事前に学んだ知識によると、山羊達は竜種には珍しくひょろりとした背の高い人型を持つ竜なのだそうだ。

特徴的な山羊角はどの竜も黒檀色で、水色の髪に、水に溶いた墨のような黒檀色の瞳を持つ彼等は、滅多に他の竜達と交わらずにひっそりと生きているので竜の隠者とも呼ばれている。


このリスプの岩山でしか採掘されない水晶を好んで食べているが、それ以外には綺麗な水と強い酒を飲むばかりなのだとか。



(人型になると、美貌というよりは端正な面立ちになるそうで、燕のような羽が特徴の竜さんなのだとか…………)



円筒形の帽子と前合わせの民族衣装は、どこか異国の羊飼い達を思わせるが、事前資料で学んだ絵姿を思い出せば、刺繍や装飾が華やかで色鮮やかな装束は目にも楽しそうだ。



だが、このリスプで最も興味深いのは、山の精霊達だろう。



彼らは犬鷲の姿と人の姿を持つ精霊の中でも独特な文化を持つ一族で、三氏族に分かれて暮らしている。

おまけに、女性達は少年のように短い髪で動きやすい服装をするのに対し、長く髪を伸ばした男達は華やかな装束を纏い美しさを競うのだ。


彼等は、孔雀という生き物のルーツだと言われているそうだが、それについてはディノも把握していないらしい。



「…………建物の色や形が変わりました。ここからは茅葺き屋根の木のお家ですが、屋根が花畑になっていて、とても素敵です…………」

「妖精の家だよ。風でよく吹き飛ぶんだ」


そう教えてくれたのはヨシュアだ。

少し飽きてきたようなので、ネアは質問を重ねてみる事にした。


「まぁ、とても綺麗なのに耐久性に欠けるのですね。ヨシュアさんは、高山植物の妖精さんに会ったことはありますか?」

「あるけれど、あまり面白くない」

「………切ない感想が出てきました。では、山の精霊さんはご存知でしょうか?」



そう尋ねたネアに、なぜか列車の中の空気がぴしりと張り詰める。

眉を寄せたネアに対し、なぜか隣のディノから三つ編みが投げ込まれてきた。



「三つ編みが現れました…………」

「君が浮気するといけないから、これを渡しておこう」

「なぜいつも浮気前提なのだ………」

「ほぇ、ここの精霊は人間をすぐに捕まえるからだと思う………」

「む?邪悪な精霊さんなのですか………?」

「人間が求婚に押しかけるから、伴侶を得たばかりの人間しか祭りに入れなくしたんだよ」

「………もしや、モテモテ的な…………」



(そう言えば、男性の精霊さん達については、とても目に華やかなので一目で心を奪われてしまう人もいると説明に書いてあったような…………)



ネアは、事前勉強会で、エーダリアの説明がとても歯切れが悪かったのはこの辺りだなと頷き、装いが美麗で目を奪われるのかと思っていた部分がもしかすると精霊達そのものの美貌故なのだろうかと考えた。


だからこそこの土地の精霊達は、男達が大切に守られ女性達はそれを守るのかもしれない。



「ネア、君が参加するのは人間の祭りだけなのだから、この土地の精霊とは話をしないようにね」

「リスプの管理者さんだと伺っているので、場合によってはご挨拶をしなければならないのかもしれませんが、お会いするのであれば、凛々しくて強いという女性の精霊さんがいいですね!」

「精霊なんて………」

「同性の精霊さんとの交流は、時として大きな財産になる可能性もあるので、ディノはそんな伴侶を優しく見守って下さいね」



狡猾な人間はそう言い含めておいたが、やがて登山列車が終着駅であるリスプ山頂駅に着くと、ネアの企みは一瞬で砕け散った。



靄のような雲と花畑の広がるこの山頂付近には、そんな山の精霊達の町と、その精霊達の庇護を受けた人間の集落がある。

なので、美しい青磁のような建材の家々が立ち並ぶその駅を出たばかりのところには、ネアのお目当の精霊の女性達が何人かいたのだ。


どうやら、列車で上がってきたお客の中に知り合いがいたようで、迎えに来ていたらしい。


しかし、短い髪とぞくりとするような美貌で、こちらも充分に美しい山の精霊の女達は、凛々しくて綺麗な精霊ととてもお友達になりたいと目を輝かせて敢えて少し近くを歩いてみたネアを一瞥すると、なんと醜いのだろうとひそひそする。



「………ふぎゅわ。こちらの精霊さん達は、綺麗ではないと判断すると、石ころ扱いです。仲良くなって度々このお山にお泊まり旅行にくる野望は打ち砕かれました………」

「可哀想に。山の精霊にはもう二度と近寄らない方がいいよ」

「ふぁい…………。確かにあちらの精霊さん達は、背がとても高くて腰がぎゅっと細いので、あんな美人さん方にちびくしゃめと言われると心がくしゃくしゃになります………」



そんなネアに対し、珍しい光景が一つあった。



ヨシュアを見付けたその山の精霊の女達は、まさかの列車でやって来た雲の魔物にきゃあっと群がっている。


ディノのところにも何人か近寄って来たが、ディノは、そちら見もせずに気配だけで追い払ってしまっていた。

ヨシュアについては、持ち上げられるのは満更でもないが、女性としての寵を求められるのは煩わしいようで、ひとしきり褒めそやされると満足してしまい、その後はそそくさとこちらに戻ってきてしまう。



「………巻き込み事故的に私が睨まれているので、ヨシュアさんはあちらの美女さん達に感じのいい微笑みを振りまくべきだと思います」

「別に欲しくないよ。邪魔なら壊してしまうかい?」

「むぐぐ、お友達にはなってくれませんでしたが、袖にされたからといって逆恨みはしない主義ですので、理由のない暴力はいけませんよ」



心の清らかな人間がそう言えば、ヨシュアはネアの偉大さに心を動かされたのか、人間の集落に続く道を大人しくついて来てくれた。




「ここですね、到着しました!」

「………うん」

「ほぇ、疲れた…………」




確かに空気は薄いが、美しい土地だ。

さわさわと風に揺れる花畑が続く道を駅から少し歩けば、伐採した後にしっかり乾燥させて結晶化した木を組み上げたような不思議な木の門が見えて来た。


色鮮やかな布を何本も巻きつけてあり、その布が風にはたはたと揺れている。

こちらに気付いてぺこりとお辞儀をしてくれたのが、この集落の新しい長となった青年とその妻だろう。



エーダリアが今年の祭りの視察をネアに任せたもう一つの理由として、リスプの集落の長が昨年の蝕で亡くなってしまい、その息子夫婦が長の座を引き継いだばかりだという事情もあった。


ネアの訪問は、ウィーム領主の代理人として、難しい土地で暮らす彼等が新しい長の下で上手くやれているのかどうかを調べる目的もあるのだ。


何しろここは人間の土地ではない。

場合によっては、この集落の不和がこの地に暮らす人外者達の不興を買う恐れもある。



(でも、………大丈夫そうだわ)



顔を上げて微笑みかけてくれた長達は、ネアと一緒にいるあんまりな魔物達を見てふうっと意識が遠のきかけてしまいよろめいてはいたが、このような土地で暮らす人間らしくすぐに我に返ってくれた。



彼等の眼差しは、ランシーンのルドヴィークの家族達に似ている。


それだけでもう、ネアはこの土地の人々が好きになれてしまいそうだった。








評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ