砂の怪物と砂の呪縛
じゃらんと、重たい音を立てて宝石飾りのある帯が揺れる。
重たい装飾の帯を腰に巻き付け、様々な絵柄とタッセルのようなものや宝石を連ねた飾り紐に、刺繍帯などを頭に巻いた美しい精霊が、金糸の髪の下の鮮やかな緑の瞳を細めて微笑んだ。
はっとする程に艶やかな美しさだが、残忍さや邪悪さも窺える。
そんな美貌であった。
辺りには光を孕んだ霧のような月光がけぶっていて、何とも月の明るい夜だ。
遠くの砂丘の上にいるのは竜かもしれなかったが、見た事のないような悍ましい羽の形をしていた。
何しろここには、少し前まで怪物がいたのだ。
僅かに残る障りや災いの残滓を嗅ぎ付けて、どこからか集まってきたのだろう。
しかし、そんな生き物達は、月夜の砂漠に翻る真っ白なケープを見た途端、慌てたように駆け去っていった。
「いやはや、助かりましたよ、ご主人様」
「私はジルクさんのご主人様ではありませんので、その呼び方はやめていただきたい」
「おや、あんなに情熱的に手ずからクッキーを与えて下さったのを、忘れてしまわれたようだ」
「じゃあ、忘却のついでに、この山猫はお兄ちゃんが捨ててきてあげようかな」
「ノアは、ここです!」
「…………ありゃ?」
先程まで、砂の怪物と呼ばれる生き物がのたうちまわっていた砂の上は、いつの間にか静まり返っていた。
珍しい山猫商会からの依頼を受け、ネアとノア、そしてウィリアムとで今夜は砂漠に来ている。
依頼された仕事も無事に終わり、後はもう帰るだけなのでと、ジルクをどこかに連れ去ろうとしいた塩の魔物は、はっとしたように目を瞠った人間にすぐさま捕獲されてしまい、鮮やかな青紫色の瞳を瞬いた。
ネアは、そんな義兄の腕をぎゅっと掴んでおくと、目をきらきらさせる。
何しろ今夜のノアは、初めて見るような擬態でいるのだ。
仕事が終わって擬態を解いてしまう前に、ネアはそんなノアの擬態を堪能しておく所存であった。
「………ええと、僕の髪が長いの、そんなに好き?」
「ノアが、黒い長い髪を複雑な感じに結い上げ、砂漠の民の装束を着ているのですよ?義兄の晴れ姿なので、是非に堪能しないといけませんし、思っていたよりもずっと似合うので、この場でくるっと回ってみてもいいのですからね?」
「わーお。熱烈だなぁ」
「…………おかしくないですかね。その手の装束は、俺の方が似合う筈なんですけどね」
「ジルクさんは、残念ながらいつもと同じ感じですので、となると、もう見飽きたのでぽいです」
「はは、これは残酷なご主人様だ…………」
「取引も無事に終わりましたので、もう帰っていいのですからね?確か、お一人で帰れるご年齢の筈ですから」
「くっ、なんでこの雑な扱いが、思った以上に嫌じゃないんだ………!」
「どうしてはしゃぎ出したのか分かりませんが、もう用はないので、あちらの街に戻り給え」
「………もしかして、その言い方の方が、却って喜ばせるんじゃないかなぁ………」
「なぬ………」
さらさらと、夜風に砂流れてゆく音がする。
砂が流れるというのも不思議な表現だが、砂漠は、いつだって風向きで地形を変えるのだ。
今夜の僅かな風にも砂はゆっくりと崩れ、流れ落ちてはまた違うところに砂丘を作り、朝までにはだいぶ周囲の様子を変えてしまっているのだろう。
(………怪物がいなくなって、辺りも静かになったわ。…………満月の夜の砂漠が、こんなに明るいとは思わなかったな)
大きな月が、夜を明るく照らし上げている。
ネア達が立っているのは、サナアークにほど近い砂漠の都市の近くにある丘だった。
立地としては、サナアークを挟んでカルウィ側となるからか、カルウィの商隊が多く見られる土地だ。
ネア達が立っているこの丘は、ずっと昔に妖精の森があった名残で今も古い宝石水晶の井戸が残ってはいるものの、オアシスのような草木はなく、周囲は砂に沈んでしまっている。
だが、今もまだ宝石水晶が汲み上げられるのでと周囲には妖精除けの篝火が焚かれているが、今夜ばかりは、そこを見回る兵士達の姿はない。
それもその筈である。
振り返ると見える石壁の中に暮らす、カラドラと呼ばれる砂漠の中継都市の住人達は、今は、山猫商会の持ち込んだ夢守りの香炉によって深い眠りについている。
本来であればこれだけの規模の都市を香炉の煙で覆う事は不可能であったが、今夜ばかりは、都市を治める将軍とその部下達が協力を申し出た事によって、予め、計画的に香炉が配置されたらしい。
そして、砂嵐を避ける為の立派な石壁に囲まれた中規模の都市の全ての人々が、深い眠りについたのだ。
(カラドラの人々が眠りについている間に、砂漠に現れる怪物を滅ぼすのが、今夜の仕事だった)
香炉の煙に包まれて眠っている人々が、街を囲む防砂壁の外側で、長年この土地の人々を苦しめてきた怪物を、遠くウィームからやってきた一人の美しい乙女が討伐したことを知ることはない。
明日の朝になれば、事情を知る将軍が、山猫商会に依頼し、砂の怪物を駆除したと発表するくらいだ。
ネア達は、そんな山猫商会の会長から現場作業を依頼されたに過ぎないので、英雄として、この地に名前を残すことはないのである。
「……………やれやれ。これで、終焉の予兆も消えただろう」
「砂の怪物めは、これでもう、すっかり滅びたのでしょうか?」
「ああ。ネアのきりんで一撃だったな」
「ふふ。愚かにも、あの不思議なもじゃもじゃは、きりんさんの絵をじっくり見てしまいましたからね」
「砂の怪物は、目が悪いんですよ。だから、最終的には眼鏡を取り出していたでしょう?」
「そして、眼鏡をかけてきりんさんを凝視し、呆気なく滅びたのでした…………」
「うーん。悲しくなるような顛末だけど、僕の妹が危ない目に遭わなかったからまぁいいや」
この歳の宝石水晶の井戸の近くには、五十年に一度、砂の怪物が現れる。
砂の怪物と呼ばれるのは、三百年前にこの地に暮らしていた豪商の妻の成れ果てで、残虐さで名を馳せたその一族に復讐しようとした奴隷達が狩ってきた精霊の血を飲まされ、怪物になってしまったらしい。
あまりにも怨嗟が深く怪物になってしまったその女性を、最初に討伐したのは、通りがかりの茨の魔術師だと言われている。
だが、茨の魔術師の術式調伏をもってしても、怨嗟が深く、完全に払うには至らなかった。
五十年に一度に訪れる砂の年になると封印の下から這い出てきてしまい、自分を殺した奴隷を受け入れた都市の人々を貪り食らうようになっていたのだ。
とは言え、それは一晩の事であるので、いつもであればカラドラの住人達は、力を合わせて門や防砂壁を守り、怪物の襲撃を凌いでいた。
しかし今年に限って、近くのオアシスの街から仕入れた野菜の中に、棘の実と呼ばれる猛毒の果実が紛れ込んでしまっており、多くの人々が、よりによってこの夜に寝込んでしまったのだ。
一報を受けたのは、カラドラを治める将軍と付き合いのあるジルクで、ジルクは、この都市の重要性を逆手に取り、ネア達に交渉を持ちかけた。
(カラドラは、カルウィとこの先にある国々を繋ぐ、重要な中継都市にあたる。この都市が落ちると、カルウィの西側から北側にかけての州が、力を削がれる事になり兼ねなかった)
決して大きくはない都市だが、そのような中継都市を幾つか繋がないと、砂漠のような土地を横断する、隣国との交易路の管理は難しくなる。
この都市一つが壊滅的な被害を受ければ、水面に石を投げ入れて広がる波紋のように、周辺の国々に深刻な影響を与えかねかったのだ。
(そして、それは、ウィームも例外ではなかった)
公にはしていないが、ウィームはヴェルクレアの第一王子派である。
その第一王子とカルウィの重要な結びであるニケ王子の治める土地こそ、カラドラを失うと影響が出たであろう州であった。
第一王子派の中でも、ヴェンツェル王子とニケ王子の密やかな交流を知る多くの者達は、ニケ王子にこそ次の王位を継いで欲しいと思っている。
とは言え、その間に継承争いがあれば他の王も挟むかもしれないが、ヴェンツェルが王になる頃には、ニケ王子がカルウィの王になっていて欲しいというのがヴェンツェル王子の陣営側の理想であった。
討伐を依頼してきたジルクによれば、砂の怪物は、ネアの持つきりん符で簡単に倒せる可能性が高かった。
エーダリアとダリルを含めた議論がなされ、その程度の労力で、ニケ王子のような有用な人物を失わずに済むのであればと、ネア達は、山猫商会からの依頼を受ける事にしたのだ。
土地の魔術特性を踏まえ、今夜はノアが一緒に行ってくれることになり、この地に終焉の予兆を感じ警戒していたウィリアムも同行してくれている。
「カラドラの人々が弱体化すると力を弱めるという怪物めが呆気なく滅びたのは、やはりカラドラの方々が眠っていたからなのでしょうか?」
「念の為の措置でしたが、伝承というのは大抵真実を含みますからね。用心しておくに越したことない」
「お兄ちゃんは、砂の怪物がどんな状態でも、僕の妹は一撃で倒したと思うんだ……」
「あまりにも儚い最期でしたので、きっと弱っていたと思うのですよ………」
怪物が力を付けないようにと、カラドラの人々は、山猫商会を信じ自ら眠りを選んでくれたのだが、その眠りは怪物対策だけに効果がある訳でもない。
解毒作用のある煎じ薬も配布され、眠っているうちに体調の回復も図ろうという作戦なのだ。
棘の実は、体の痛みが主な症状となるので、眠ってやり過ごすというのは、古くから用いられる治療法でもあるのだとか。
「カラドラの方々も、早くお元気になられるといいのですが……………」
「棘の実の中毒だからな。完治までには、最低でも三日は必要だろう。とは言え、砂の怪物による全滅という最悪の事態は免れた訳だから、後は自分達でどうにかして貰うしかないな。……………だが、俺としても、今ここでの鳥籠は都合が悪い。防げたのは幸いだった」
剣を収めながらそう言ったウィリアムは、ネアが滅ぼしてしまった砂の怪物を腑分けして、精霊の障りが残らないようにしてきてくれたばかりだ。
砂の怪物の厄介なところは、殺された夫人の亡霊と、豪商の一族を殺す為に使われた精霊の呪いが混ざり合って残ってしまった部分にあったらしい。
複雑に絡み合った障りであったので、望ましく欠片などがこの地に残らないよう、終焉の魔物は、亡霊の部分だけを切り出して死者の国に落としてきてくれたのだそうだ。
かくして、カラドラの砂の怪物と呼ばれた、思いつき易い命名であるが故に、全部で八体もいる砂の怪物シリーズの一体が、歴史上から姿を消すことになる。
悪しきものが討たれても、それだけで災いが去る訳ではないのだと知らしめた、古い災いの一つであった。
「ジルクさんは、怪物になった方をご存知なのですよね?」
「商談を何回邪魔されたかわかりません。死んでせいせいしましたよ。……強欲さと残忍さから、死後も怪物になった女でしたから、カラドラの住人の殆どが動けないと分かれば、朝までに一人残らず食っちまったでしょうよ。そうなれば、都市の復興は絶望的になる。カルウィも、反対側にあるサナアークを初めとした周辺諸国へも、その影響は計り知れなかったでしょうね」
高位の人ならざるものらしい酷薄さでそう言ったジルクに、ウィリアムも頷く。
「……………この地には、複数の終焉の予兆が出ていた。となると、鳥籠を必要としたのは砂の怪物の被害だけではなかっただろうな。交易路を絶たれた王族の治める土地を奪い取る為に、カルウィ南部の王族達が動いても不思議はなかった」
「そうなると、大規模な内戦になっただろうね。ウィリアムも、ふた月くらいはかかりきりだったかな。」
「かもしれないな。…………さすがに、それだけの期間の拘束は避けたい。無事に回避出来て良かったが、……………この砂はどうにかしないとだな」
帽子を外し、ざらりと零れ落ちた砂に苦笑したウィリアムは、断末魔の悲鳴を上げて暴れていた砂の怪物の跳ね飛ばした砂を全身に浴びていた。
砂まみれなのは何もウィリアムばかりではなく、ネアとノアも、実はあちこちがじゃりじゃりしている。
唯一無事だったのは逃げ足の速かったジルクだけで、そんな彼は、古い友人だというカラドラの将軍の看病の為に、この地に残るらしい。
「まぁ。となると今回のご依頼は、お仕事でもあり、ご友人の為でもあったのですか?」
そう尋ねたネアに、ジルクは燐光を宿すような緑の瞳を細め、にんまりと笑う。
こんな表情をすると、ああ猫科の生き物だなという雰囲気に見えるのだが、決して酷薄なばかりではない、どこか邪悪な生き物の気安さとでも言うべき感情の温度があるのも、山猫の精霊らしい色合いであった。
「とは言え、俺は商人ですからね。仕事でこうすると決めたのなら友人でも裏切りますが、あの男とは、今後二百年くらいはいい取引が出来そうですから」
「二百年……………」
「妖精なんですよ。カラドラは、妖精と人間が共存している都市ですから。…………あ、興味がおありですか?………メランジェの様な色合いの肌に、青い瞳と黒髪と蝶のような黒い羽を持つ砂嵐の妖精で、勇猛さと美麗さで名高い一族です。不思議な事に、竜とどこかで混ざったのか、巻き角を持つ者が多いんですよ」
ジルクの説明は商人らしい巧みさで、ネアは、これまでに見たことのないような妖精が現れたぞと、わくわくしてしまう。
蝶寄りの羽を持つ妖精は見たことがあるが、どちらかと言えば柔らかな印象の物達が多かった。
(竜の角に、黒い蝶のような妖精の羽………!)
話に聞くだけでも、さぞかし美しいのだろうという説明ではないか。
ネアは、にんまりと微笑んでこちらを見ているジルクをそろりと見上げ、質問してみることにした。
「………まぁ。せっかくなので、そんな妖精さんを、どこかで見られたりはしますか?」
「では、これから、俺の友人に、お持ちの薬の何かを売りつけに行きますか?勿論、俺が損など内容に仲介しましょう。奴だけは起きていますからね」
「……………黒い蝶の羽に、巻き角の妖精さん……」
「あ、こりゃまずいぞ…………」
ネアは、勇猛だと名高い将軍が、前述の特徴を持つ砂嵐の妖精だと聞くと俄然興味を持ってしまったが、何やら顔を見合わせた魔物達が、さっと、そんな乙女を抱え上げてしまうではないか。
持ち上げられてしまったネアは、一仕事したご褒美として、珍しい妖精を見るのだと、慌ててじたばたした。
すっかり、初めましての妖精のお宅訪問気分になりかけていたのだ。
「むが!物陰から妖精さんを観察するだけでもいいので、カラドラの街の中に入るのだ!」
「ほら、僕たちは砂だらけだからさ。妖精なんか放っておいて、水浴びしなきゃだよね。ウィリアムの屋敷があるみたいだから、そこに移動しようか」
「ぎゅ。黒い蝶々の羽を持つ妖精さんなのですよ………?」
諦めきれない人間は、悲しげな眼差しで魔物達を見上げてみたが、こちらを見てにっこりと微笑んだウィリアムも、きっぱりと首を横に振る。
「アルテアじゃないが、危険を冒してまで知り合いを増やさなくてもいいだろう。今回はやめておこうな」
「むぅ。オレンジと間違えて棘の実を食べて寝込んでしまう、とてもうっかりで儚い妖精さんなので、危なくない筈なのです」
「それに、砂の怪物を倒して疲れただろう。サナアークの串焼き肉を買って帰って食べようかと思うんだが、あまり興味はないか?」
「………妖精さんは、また今度にしましょう。労働の後の串焼き肉に勝るものはありません!」
串焼き肉と聞けばそちらをご贔屓するしかなく、ネアは重々しく頷いた。
ジルクが、優先順位はそっちだったかと天を仰いでいるが、家族などの緊急事態を除いては、大抵の場合は串焼き肉に勝るものはない。
お仕事は終わりであると、そそくさとジルクに別れを告げると、ネア達は、月光のけぶる砂の丘から転移を踏むことになった。
「……………ありゃ?」
「ん?………おかしいな」
「む………?」
しかし、いつもならふわっと薄闇を渡る筈のところで、なぜかノアが首を傾げ、ウィリアムが眉を顰めるではないか。
「あー、これってさ、まさか………」
「僅かだが、…………月の光と砂の祝福の気配があるな。…………そのせいか」
「………何か、問題があったのですか?」
「すまない。余計なものを持たされたらしくて、重くて転移が踏めないんだ。………少し待っていてくれるか?」
「重過ぎる………。こ、腰は残っていますよ?」
「僕の妹のことじゃないよ!………今夜は満月の夜だから、僕かウィリアムが、砂の呪縛っていう厄介な祝福を持たされた可能性があるんだ。擬態を解いて、探すしかないかなぁ………」
「………まぁ。いつものノアです………」
「え、いつもの僕にがっかりしないで?!」
お気に入りの擬態を解かれてしまい、ネアが肩を落とすとノアは悲しそうにしていたが、いつもの装いになった義兄が、おもむろにコートやシャツを脱ぎ出したので、ネアは目を瞬いた。
「…………なぜ、服を脱ぐのですか?」
「砂の呪縛ってさ、幾つかの条件を満たした結果に授けられる、月光の祝福を宿した一粒の砂のことなんだよね。人間達の間では、滅多に手に入らない砂漠の祝福だって言われているけど、………知らない間に持たれてるとさ、転移が出来なくなるくらいに重いんだ」
「………おまけに、重さのわりに、祝福の階位はそこまででもないからな。……ノアベルト、まだ無理そうか?」
「何でなのかな。まだ重いみたいだね。ウィリアムもかい?」
「…………ああ。俺もだな。一度、全部脱ぐか」
「可動域的に、ネアだと持てないから、僕かウィリアムなんだよね。やっぱり、脱ぐしかないかぁ………」
「………砂漠の真ん中で、脱ぎ始めてしまうのですね………」
砂の呪縛は、土地の穢れを祓った者などが得られる祝福であるらしく、その程度の祝福などには何の興味も持たない魔物達は、こうして、転移が上手く出来ずになってから、その所持に気付くことも少なくないのだそうだ。
不要なもの達からすると、足止めをされる迷惑な祝福にもなってしまうのだ。
「だからさ、僕たちの間だと、砂の呪縛って呼ばれているんだ。……うーん、僕じゃないみたいだね。やっぱり、ウィリアムじゃない?」
「…………先程、砂を被った時だろうな。…………面倒だな」
「わーお。苛々してるぞ………」
「…………にゃぐ。早く二人が服を着てくれますようにと、星に祈っておきますね」
「僕はもう、……………ありゃ。まだ重いぞ?」
「となると、二人ともなのか?………いや、さすがにそれはないと思うが………」
脱いだ服をばっさばっさと振っている、どこか顔色の悪い魔物達の隣で、このような場面に立ち会うのはあまりにも酷とも言える清廉な乙女は、視界の安全性を求めて夜空を見上げた。
(…………なんて綺麗なのかしら)
辺りには、まるで霧がかかったように砂の表面に反射した月の光が立ち籠め、手を伸ばせば、その月の光の織りにすら触れられそうだ。
そんな美しさに目を向け、お近くの肌色は直視しないよう、まだ問題の砂粒が見付からないのか徐々に荒んでゆくウィリアムとノアの会話を聞いている。
どうやら、この土地の積年の災いは素早く倒せたというのに、こちらの砂の呪縛というものの方が、なかなかに厄介なものであるらしい。
「良かれと思って渡された、重量制限超えのお土産のようなものなのでしょう」
「………うん。帰れるのかな」
随分と待ったが、一向に砂の呪縛の発見に至らなかったので、ネアは、伴侶な魔物に来て貰い、一緒にその発見を待つ事にした。
砂の怪物は退治済みなので、もうディノが来ても大丈夫であるらしく、二人が落ち着く前までネアが不用心だからと、ノアが提案してくれたのだ。
「…………もし、このまま見付からなければ、私は、お二人をここに置いて、お家に帰ればいいのでしょうか」
「帰ってしまうのかい?」
「むぐ。………眠くて、目がしぱしぱしてきました。二人とも裸になったのに、未だに見付からないのですよ」
「何でなのかな………」
「きりんさんを見てしまった怪物さんが恐怖のあまりに暴れた際に、沢山の砂が飛び散りましたので、お口の中に入ってしまったのかもしれませんね」
ネアのそんな言葉を聞き、この世界ではそれなりに上位の魔物達が、呆然としている。
共に、過去にも砂の呪縛を貰ったことはあるのだが、ここまで見付からないのも初めてなのだとか。
また、今回のように砂を巻き上げて荒れ狂う生き物に、したたかに砂をかけられたのは初めてなので、砂の呪縛を飲んでしまったかもしれないというようなことには、そもそもならなかったらしい。
「今回は、怪物が逃げ出さないように、擬態して近付いたのが仇になったな………」
「………え、もしこのまま見付からなかったら場合って、どうやって帰るんだっけ?」
「近くの街でクルツを手配して移動するにせよ、今夜は、砂漠の中のどこかの都市に泊まる事になるんじゃないのか。………それくらいなら、カラドラに泊まった方が手っ取り早いだろう」
「……………わーお。絶対に嫌なんだけど」
「ふむ。転移が出来ないだけで、徒歩移動は可能なのですね。………むにゃ」
「眠たくなってしまうまったかな。先に帰るかい?」
「ふぁい………」
「え、待って!お兄ちゃんを砂漠に置いていかないで!!」
「…………よし。一度、切り分けるか………」
「わーお。ウィリアムが、とんでもない手段に出ようとしてるぞ………」
「ウィリアムが………」
「…………ふと思ったのですが、………いただいた祝福なのであれば、失せ物探しの結晶でどうにかなりませんか?」
ここで、聡明な乙女が打開策を見付けなければ、終焉の魔物は、自らを切り分けて砂の呪縛探しをしてしまったかもしれない。
安堵のあまりにへなへなになっていたウィリアムとノアが同時に失せ物探しの結晶を使ったところ、双方の手に、一粒の、きらきらと光る砂粒が現れた。
途中でその可能性も取り沙汰されていたが、やはり今回は、よりにもよって、二人が同時に授かる方式であったらしい。
「困ったものだけれど、珍しい祝福なんだ。同時に二つ現れるのは、とても珍しいことだね………」
「まぁ。であれば、貰って喜ぶような方達にこそ、この祝福が届けば良かったのですが……」
一粒の砂を探すのに疲れ果てていた魔物達は、無事に砂の呪縛を発見出来た事に、たいそう喜んだ。
その結果、カラドラには、邪悪な砂の怪物を倒してくれた死者の王が、同じような白を授かる高貴な魔物達と共に夜の砂漠で祝杯を上げていたという謎の伝説が生まれてしまったが、その場面を目撃した者が、終焉の魔物と塩の魔物が裸でいた時に、防砂壁の外を見ずに済んだのは、幸運であったのだろう。
不名誉な目撃情報が流布された場合は、カラドラは別の理由で滅びてしまったかもしれない。
なお、ウィリアムもノアも、暫くはカラドラに近付きたくないそうだ。