パジャマと糖蜜パイ
「おい!何だこれは!!」
目元を染めてそう声を荒げた魔物を見下ろし、ネアはこてんと首を傾げた。
早朝からとても元気な魔物は、つい先程まですやすや眠っていたので、動かしたりひっくり返したりしても大丈夫だったのだが、どうやら目が覚めてしまったらしい。
「………介護?」
「……………何でだよ」
「ちびふわな魔物さんが、腕の中から脱走してフルーツケーキを食べてしまい、へべれけで大暴れしてクリームケーキに突進したことは覚えていますか?」
「……………は?」
「私は、酔っ払って指をあぐあぐするちびふわをお風呂に入れ、………因みに、お隣では、同じ末路を辿った狐さんをヒルドさんが洗っていました…………こうして、人型に戻った後も、寝巻きではないのでと優しくパジャマに着替えさせようとしていたばかりなのです。………よって、これは間違いなく介護かなと」
「やめろ………」
明かされた真相に片手で顔を覆ってしまったアルテアを見下ろし、ネアは、着替えを続けてもいいかなと頷いた。
現在、ご主人様が使い魔を腰掛けにしているのは、効率的に着替えを済ませる為だ。
魔物はとても丈夫なので、パジャマのボタンを閉める間くらいは、座っても大丈夫かなと思ったのである。
なお、パジャマの上着を羽織らせるまでに寝台で転がした使い魔が、微妙に寝台の端に位置していた為に、そこに腰掛けなければならなかったのだ。
効率的な作業を行うにあたり、多少の工夫は必要である。
「ボタンを閉めてあげますので、その手をどかして下さい。それと、こちらの手で私を捕獲するのはやめるのだ」
「情緒皆無にも程があるぞ。どこに座っているんだお前は」
「アルテアさんの上です?」
「………ほお?寝室でか」
「……………長い戦いでした。酔っ払いちびふわを洗って乾かし、やっと着付けまで辿り着いたのですよ……」
「擬態が解けたのなら、放っておけ」
「しかし、アルテアさんはパジャマを着ないと眠れないのですよね?」
「そんな訳あるか」
「なお、ひっくり返す担当は、ウィリアムさんにやって貰いました!」
「……………は?」
ここで漸く、アルテアはネアの後ろに立つウィリアムに気付いたようだ。
部屋も暗く視界に入らなかったようなので、ウィリアムも手伝ってくれたのだと伝えておかねばならない。
「……………刺激的な夜でしたね。まさかあなたが、クリームケーキに飛び込むとは思いませんでした」
「術符を貼り付けたのは、こいつだろうが」
「むぅ。この大騒ぎが起こらなければ、私はちびふわを抱っこして眠れたのですよ」
「ネア、何度も言うが、アルテアを寝台に連れ込むのはやめておこうな」
「時々、ふわふわの生き物を、じっくり愛でたくなるのですよ。ディノを毎回ムグリスにするのも可愛そうなので、そんな時は使い魔さんを利用するより他になく……」
「いや、おかしいだろ」
「ウィリアムさんも毛皮の会の仲間ですので、今度、抱っこして寝てみます?」
ネアがそんな提案をしてみれば、魔物達は思わず顔を見合わせてしまったようだ。
「いや、ないな」
「いいか、絶対にやめろ」
「まぁ。素直ではありませんねぇ。………む!それと、使い魔さんが人型に戻ってしまったので、我々が部屋を出た後に一人で目を覚ました時に、この状態はちびふわ事件の後ですよというメッセージを残すべく、ちびふわ靴下を履かせておきましたからね!」
「……………は?」
ウィリアムは若干の懸念を示したが、素晴らしい作戦だと思ったネアは、そちらも伝えておく。
この巧みな伝言方法の発案者として、しっかりと己の功績を伝えておかねばならないのだ。
「それを見れば、ちびふわになっていた時に色々あったのだなと、一瞬で理解できる事間違いなしです!………ぎゃむ?!にゃ、にゃぜ、頬っぺたをつまむのだ!!許しませんよ!」
「ほお?こうして貰いたかったようにしか見えないがな………」
「ぐるるる!お耳の先からお尻まで丁寧に三度洗いしたご主人様に、何という仕打ちでしょう!……………ほわ、落ち込みました」
「………やめろ」
「まぁ、…………かなりの乱心でしたからね。あそこまでしっかりクリームに埋まると、さすがに一度洗いでは………」
「お前もいたんじゃないだろうな………?」
「いましたよ。シルハーンは、………あの狐を洗う手伝いをしていましたので、俺はネアを手伝っていましたから」
ウィリアムがそう言えば、アルテアがとても儚い目をしたので、ネアは、事の発端が糖蜜パイであることを告げておいた。
ちびふわ化した魔物が、ウィリアムのお土産であるザハの一口糖蜜パイが欲しくて荒れ狂ったのだが、食べ難いパイはふわふわ毛皮の生き物へのおやつに向かず、禁止するしかなかった。
美味しそうな糖蜜パイを貰えずにご乱心したちびふわは、いつの間に隠し場所を覚えたものか、目を離した隙に茶器がしまってあるおやつ棚からフルーツケーキを盗み、挙げ句の果てに、こちらなら食べられるだろうかとネアが持ってきたクリームケーキに飛び込んでしまった次第である。
「とは言え、大暴れだったちびふわ…アルテアさんもお疲れでしょうから、パジャマへの着替えが済んだら、今夜はゆっくり休んで下さいね?」
「ネア、アルテアはもう自分で着替えられるだろう。シルハーン達の様子を見に行かないか?」
「………一人で、お着替え出来ます?」
「……………さっさと出ていけ」
やはり相当に疲れていたのか、あまり動かなくなったアルテアの為に部屋を出る事にして、ネアはよいしょと、使い魔な腰掛けと寝台から下りると、手を繋いでくれてウィリアムと一緒に、別の客間に向かう事にした。
今夜、クリームケーキに飛び込んだ高位の魔物は一人ではないので、本来なら寂しくない筈なのだが、銀狐の正体はまだ秘密なのである。
時計の時間を見て睡眠残量を計算した人間は、くあっと欠伸をして、ふわふわな生き物との素敵な眠りを惜しんだのだった。
本日はSS更新となります。
Twitterのアンケート結果を反映し、「ご乱心」「アルテア」にて書かせていただきました。