バルバと雨上がりの蜂蜜 3
バルバの後半は、網の上で焼く系のデザートなどが登場するのだが、その段階で焼き網を綺麗にする、不思議な不思議な魔術がある。
(あ………!)
すっと手を振ったアルテアの下で、きらきらとした淡い金色の光が焼き網に落ちた。
すると、小さな光の粒が触れたところから焼き網が綺麗になってゆき、やがて、水に濡れた石畳が色を変えるようにバルバで汚れた部分がぴかぴかになる。
昨年は使わなかったので、こればかりがお掃除魔術ではないのだろう。
だが、ネアは密かにこの瞬間を気に入っていた。
そして、綺麗になった焼き網を一瞥した選択の魔物が取り出したのは、後は焼くだけという美味しそうなものが詰まった長方形のお皿だ。
甘い香りととてもケーキな深さのお皿の登場に、ネアは思わず身を乗り出してしまう。
「それは………!」
「クランブルを使った林檎のケーキだな。今日は、森の杖も入れてある」
「森の杖……………」
ネアは、その食材をよく知っていた。
ウィーム中央市場で、素敵な牛乳割りの飲み物をいただき、これはもうバナナジュースに違いないと思っていたら、森の杖なる謎果実が登場した事がある。
そのときは、思いがけない見た目に困惑してしまったが、今では、よく見かける程ではないが、時々市場で見かける果実として認識していた。
なお、ウィームではそこまで馴染みはないが、バナナもちゃんとある。
森の杖は、杖の持ち手のような形をしたユリ科の花の蕾のようなものだ。
果実なのだが見た目が花の蕾にしか見えないのは、森の生き物に見付かって食べられてしまわない為であるらしいのだが、人間は皮が剥き易いと喜んで食べてしまうので、やや作戦失敗である。
閉じた蕾のような果実は、花びらを剥くように簡単に皮が剥けてしまい、その中には熟れる前の甘さ控えめのバナナのような美味しい部分が詰まっている。
緑がかった淡い黄色で、そのままでもいいがお菓子向きの甘さで、意外にも香りは無花果に似ていた。
「……そやつを、林檎と一緒にクランブルで………」
「他の連中は、好き好きで雨上がりの蜂蜜をかけるがな」
「おかしなことですね、何も聞こえなかったのですよ?」
「ご主人様……………」
一人だけ美味しい蜜がいただけなかったネアがつんとしていると、何かを考え込むようにこちらを見ているノアがいる。
こんな霧の日の光量でも光を孕むような美しい青紫色の瞳を見返せば、なぜだか、時々銀狐になってしまう義兄はにっこりと微笑んだ。
若干髪の毛がくしゃくしゃだが、不思議とノアには似合ってしまう。
「……………ノア?」
「もしかすると、雨上がりの蜂蜜が食べられるかもしれないけど、もう一度あの苦みを味わうかもしれない覚悟で、試してみるかい?」
「………場合によっては、苦いのですか?」
「うん。場合によっては、先程と同じ味になるかな。でも、美味しい蜜になるかもしれないよ」
「………ぐぬぬ。……………むぐ……………た、試しまふ!」
「よーし。じゃあ、そのケーキが焼けたら試してみよう」
「おい。こっちを巻き込むな。やるなら、蜜だけでやれ」
「ありゃ。デザートを死守したぞ……」
残念ながら、使い魔はデザートの使用許可を出してくれなかったので、ネアは、蜜粒だけを再び食べてみることになった。
先程の騒ぎの後なのですっかり怯えてしまった伴侶の魔物が、膝の上にそっと三つ編みを置いていく。
エーダリアも、不安そうな目でこちらを見ており、ダナエは、何かをぱくりと口に入れていた。
「じゃあ、僕が口に入れるからね」
「まぁ。食べさせてくれるのですか?」
「うん。もし、触れた者の魔術反応で変質するなら、それでどう変化するかなと思って」
「や、やってみます!」
淑女らしからぬ佇まいだが、ここは美味しい雨上がりの蜂蜜の為には身を切る覚悟で口を開け、そこに、ノアが指先で摘まんだ蜜粒をひょいと入れてくれる。
焼き網の上のケーキがじりりと音を立て、アルテアが、無言で焼き加減を調べていて、バルバ会場にはそれ以外の音はない。
それは、とても慎重な沈黙でもあった。
「……………むぐ」
「どうだった?」
わくわくとした顔でこちらを見ているノアを、ネアは、静かに見返した。
先程のようにネアが叫ばないので、恐らくこの場にいる家族は成功したと思っているのだろう。
だが、目が合うと、ノアがあっという顔をしたので、こちらの感情をしっかり受け取ってくれたらしい。
「……………甘いじゅわっとした蜜からの、紅茶の茶葉を丸齧りしたような苦みに変化します」
「ありゃ、失敗だった……………」
「ですが、最初に杏蜜のような美味しい蜜味がしたので、苦みが少し和らぎました。とは言え、渋さが残るので、美味しいかと言われるとそうでもありません……………」
「そっか。ってことは、口の中でも変化するんだね」
「これを飲むかい?」
「ええ。有難うございます、ディノ」
とは言え、すぐに飲み物が必要になる程の騒ぎでもないので、雨上がりの蜂蜜的にはかなり譲歩してくれているのだろう。
ネアは、目の前のよく刺されてしまう魔物や、時々国をどうこうしている魔物達よりも、なぜにか弱い乙女を警戒するのだろうと、グラスの中の蜜粒を凝視したが、先程のような憎しみはなくなっていた。
やはり、ほんのひと時であれ、甘さを感じさせてくれた事で心が和らいだのだ。
「………で?どうするんだ?」
「ケーキにはかけません………」
「だろうな」
「残念だったね。何か、他の蜜をかけて貰うかい?」
「ええ。使い魔さんの善意を信じているのですよ」
「なんでだよ」
半眼で呆れ顔になったアルテアだったが、とは言え、何か準備はあるようだ。
焼き上がったクランブルケーキは、平べったいスプーンで各自のお皿に盛りつけられ、その隣には、どこか素朴な小さめマフィンと、たっぷりふんわりの木苺のムースがたっぷり盛られている。
本日のバルバの魔物は、まさかのコースデザート風の一皿を演出してみせたのだ。
「……………アルテアさんが、デザートの魔物さんに進化しました?」
「おい、階位落ちだろうが。やめろ」
「おや、これは美しいですね」
「ダ、ダナエ!蜜を使うのだから、まだ食べてしまわないようするんだぞ!」
「蜜は上に置けばいいのかな…………」
「あ、僕、こういうマフィン好きなんだよね。ほら、どこかの家で焼いたみたいなやつ」
「ああ、分かるような気がする。それに、このくらいの大きさなら、無理なく三種で食べられそうだな」
エーダリアの言葉に思い出したのだが、ここにいるのは、ネアのようにタルトを五切れも食べる人間ばかりではないのだった。
エーダリアなどは確かに、甘過ぎると重たいに違いなく、このような組み合わせであれば無理なく食べれるだろう。
アルテアに近い者の手を介して回されたお皿が行きわたり、皆が、いそいそとグラスの中の蜜粒をスプーンでクランブルケーキの上にのせている。
すると、焼き立てのクランブルの上でとろりと蕩けた蜜が、つやつやとした輝きをクランブルに与えるのだ。
ネアはおろおろしているディノにも蜜粒の準備をさせると、鋭い目で観察したクランブルケーキを、スプーンで少しだけいただいてみた。
ざくざくと噛み締めるクランブルがアクセントとなった、林檎とバナナ味の素朴なケーキだ。
上にたっぷりのクランブルを敷いてはいるが、果物の間に僅かに生地も仕込んでいるので、ふんわりというよりはさくさくとした食感に仕上がった生地の味も加わり、これ一品でも美味しくいただける。
(でも……………)
「蜜なしでも美味しいのですが、果物多めで甘酸っぱくした作りですので、あの蜜で完成する美味しさに違いありません」
「アルテア、この子に他の蜜はないのかい?」
「……………ったく。お前はこちらで我慢しろ」
一人だけクランブルケーキが艶々しないお皿を悲しげに見ていると、ふうっと溜め息を吐いた使い魔が取り出したのは、初めて見るような不思議な小瓶だ。
僅かに灰色がかった曲線の優美な硝子の小瓶の中には、とろりとした透明な液体が入っている。
瓶の角度によって窓からの僅かな光が差し込むと、無色透明に見えた液体が細やかにきらきらするようだ。
魔物が好む蜜というだけあり、いつもよりも積極的にデザートを食べていたノアがこちらに気付き、はっとしたように息を呑む。
「……………え、それって露惑いの雫じゃない?!」
「さてな。……………おい、お前は弾むな」
「まぁ。孤独なクランブルケーキが、きっとその雫的な何かで、艶々になるに違いありません。喜びに弾むのは、もはや避けようがない事だと思います!」
「露惑いの雫のようだね。良かったね、ネア」
「むむ。このさらりとした透明な雫さんは、特別なものなのですか?」
「露惑いの雫ってなると、夜明けにだけ収穫出来る、蜜種の中でも最高級に近いものなんだよね。それ、紅茶とかに落として楽しむやつでしょ」
ノアの説明に、貴重なものなのかなと首を傾げていると、アルテアは、その瓶の蓋を開けてとろりとネアのお皿のクランブルケーキに回しかけてくれる。
「……………ほわ。たっぷりかけて貰いました」
「え、そんなにかけちゃう?」
「焼いた果実との相性はいい。量さえあれば、飲み物以外にも使うものだぞ」
どこか呆然としているノアに、アルテアがそう返している。
ネアは、貴重な蜜がとろりとクランブルに絡んだ瞬間を狙い、スプーンでさっくりすくいあげると、ほかほかの森の杖の薄切りと一緒にお口に運んだ。
スプーンの端に林檎も加わったのは、素敵な誤算であったが、そちらも一緒に口に入れる。
「……………あぐ!」
口に含んだ瞬間、かけられた蜜がじゅわっと瑞々しい甘酸っぱさを添えて、先程、一口だけ味見したクランブルケーキの味を劇的に変化させた。
元々のケーキにも素朴な美味しさがあったが、すっきりと調和が取れた結果、途端に垢抜けるような変化は、いっそ清々しい程ではないか。
そんなケーキを噛み締め、ざくざくとしたクランブル部分の噛み応えと、熱が入り、ねっとりとした果実の酸味と甘さが絡み合う美味しさに、ネアは身震いした。
双方をぐっとひとまとめにする蜜の味わいの素晴らしさは、確かに、何でもない紅茶に一滴落としたり、水割りにしていただいても美味しいだろう。
「……………ふは!」
「美味しかったかい?」
「はい!皆さんと同じものではありませんが、これは特別ですよ!先程のお肉にかけた花蜜も美味しかったですが、あちらとはまた違った味で、このケーキにぴったりです」
「良かったね。……………有難う、アルテア」
「あのまま何もかけずにいてみろ、こいつなら、本気で祟りものになりかねないぞ」
「その理由は納得だけど、相当珍しいものを一気にいったなぁ……………」
「むぐ!……………適切なもてなしを忘れなければ、たたりものにはならないのですよ。………美味しいれふ」
ノアがあまりにも驚いているからか、エーダリアが、おずおずとそれは珍しいのだろうかと尋ねている。
すると、真夜中の座や一部の夜霧の系譜の者しか収穫出来ない、特別に貴重な蜜であることが判明した。
となれば一滴も無駄に出来ないと考えた人間は、すぐさまクランブルケーキのお代わりを所望する。
これは、シロップ状の露惑いの雫をもっと食べたいのだという訳ではなく、お皿に残った雫を余さずいただく為だ。
「おや、ダナエ様は、こちらにはあまり興味を示されないのですね」
「うん。その雫は、竜はあまり食べない」
「まぁ。そうなのですか?」
「夜や露の系譜の、魔術そのものが育む甘露だからな。成果物として育まれるものの多くは、収穫量に見合わない食欲を持つ生き物には、好まれないようになっている。先程の蜜粒が、お前には苦く感じられるのと同じだ」
「ぐるる……………」
だが、露惑いの雫を退けるのは、竜だけではないそうだ。
大きな獣や、火の系譜の者達も好まないらしいので、雫なりに、ご遠慮下さいと判断した者達なのだろう。
また、この雫を食料ではなく商品として収穫しようとすると、途端に味が落ちてしまうらしい。
今回のものも、アルテアが、夜の資質の魔術を借りて自ら収穫した雫であったらしい。
(そうか。だからこそ、なかなか出回らないものなのだわ……)
「え、この領域での資質の擬態って出来たっけ?」
「特殊な手袋を使えばな」
「あ、その手法で、露惑いの雫も騙せるのかぁ………」
ネアは、お代わりのクランブルケーキでしっかりとお皿の上に残った露惑いの雫もこそげ取ってしまい、じゅるりごっくんと、クランブルケーキらしからぬ食感で食べ終える。
美味しさに満たされてふぅと息を吐けば、仲間達が、雨上がりの蜂蜜を美味しそうに食べていても、もう気にならなかった。
「そして次は、マフィンなのですよ。ブルーベリーたっぷりで、…………これはもしや、クリームチーズではなく、しょっぱいチーズが少し入っています?」
「美味しい……………」
「ふふ。私も大好きですが、これはもう、ダナエさんもお気に入りで間違いない、甘いとしょっぱいの素敵なマフィンに違いありません。ディノも、きっと好きですよ」
「……………うん。………美味しい」
ネアに言われて、おずおずとマフィンを食べてみたディノは、目を瞬き、幸せそうにふにゅりと微笑む。
この組み合わせは子供舌でも美味しいものなので、ネアは、そんなディノに微笑みかけ、ぱくりとマフィンを齧った。
(美味しい!)
きっと、すっかり仲間の輪になったバルバなので、今日のデザートは、素朴だが間違いなく美味しいものが多いのだろう。
食べやすく切った季節の果物のお皿と、お代わりのマフィンの籠もテーブルの上に現れ、ダナエはすかさずマフィンを三個確保していた。
「……………ふぁぐ。ムースです」
「君の好きなものだね」
「はい。果物味がしっかりあるムースは、大好物なのです。バット一個分だって、食べられますよ!」
「まだあるようだよ」
「………む。これは、すぐさまお代わりしますね」
「控えめにしておけ。お前はどうせ、料理にも戻るんだろうからな」
「美味しいお酒があって、お料理だってまだ残っているのですから、当然の運びなのでは……」
誇らしくそう宣言したネアは、ふと、ダナエが窓の方に視線を向けた事に気付いた。
おや何だろうと視線を巡らせると、窓にべったりと張り付くようにしてこちらを覗いている謎生物がいるではないか。
両手で作る円くらいの大きさの不思議な生き物に、思わずびゃんとなってしまったが、それよりも前にダナエと目が合ってしまった謎生物は、けばけばになってどこかへ逃げていってしまった。
「………今のは、毛皮巨大葉っぱでしょうか?」
「霧歌いだね。嗅覚に優れた魔物だから、雨上がりの蜂蜜の香りを嗅ぎつけてきたのかもしれないね」
「美味しそうだった…………」
「ここで、妙なものは食うなよ」
「思ってたよりも大きなものでしたので、心臓がぎゅっとなりました………」
「心臓……………」
ネアの言葉に、なぜかダナエが背中を見る。
その仕草が不思議だなと思って目を瞠ると、気付いたエーダリアが淡く苦笑する。
「ダナエは、背中なのだな」
「……………もしや、心臓ですか?」
「姿を変える時には、場所を変えるよ」
「……………もしや、心臓の位置をですか?」
呆然と呟いた声音で、ネアが困惑していることに気付いたのだろう。
こちらを見たヒルドが、そろりと尋ねた。
「もしかすると、ネア様の生まれ育った場所では、統一の、……規格のようなものがあったのですか?」
「はい。人型の違う種族の方がいませんでしたので、このようなお話は初めてしました………。ノアの件もあるので、魔物さんの心臓は自由な運用が可能なのかなとは思っていたのですが…………」
思わぬところから判明した心臓談義で、バーレンが目を瞬く。
「そう言えば、人間は、魔術の核という認識もなかったのだったか……」
「謎の表現が出てきました……」
「人間以外の生き物は、心臓を、魔術生成の核としている場合も多い。魔術を生み出す組織として、核とする認識もあるのだ。人型の生き物の多くは、心臓という表現で統一しているが、古い竜種は核という表現をしていたのだったな………」
「ああ。光竜はそのような言い方をしていた。今は、一族から離れた後の生活の方が長くなっているので、普通に心臓という言い方をするようになったが、時々、人間に擬態していても核と言ってしまって不審がられる事がある」
思えば、そんな事を細かに確認はしてこなかったなと慄きながら、ネアは頷いた。
この世界には、人間ではない生き物が沢山いるし、彼等は別種族なのだという認識はしっかりしているつもりだったが、ついついこのようなところで驚いてしまうのは、人間の傲慢さだろうか。
「魔物はさ、司るものから派生しているから、心臓があっても、どこかが厳密に核ってことはないんだよね。だから、ある程度の損傷なら回復も早いし、失った部位の方が多くなければ、そこまで深刻にもならないのかもね」
「し、心臓の位置も、それぞれなのです?」
「うーん。人間とあまり変わらないんじゃないかな。重きをおけば大事な部位になるから、その場合は、状況に応じて隠したり分離したりも出来るよ。……パンの魔物とかがどうなのかは、ちょっとよく分からないけど………」
「隠したり分離したり………?」
困惑しているネアに更に追い打ちをかけるように、謎めいた心臓運用情報が齎された。
だが、よく考えてみれば、生まれ育った世界で読んでいた物語でも、魔物や悪魔が、心臓だけを別の場所に保管しており、なかなか倒せないというような展開はあった気がする。
(それなのに、違う生き物としての作法や習性は受け入れていても、そんなところは、人間と同じだと思っていたのだわ………)
おまけに、先程のヒルドの表情からすると、特別な秘密ではなく、常識的なことなのだろう。
「パンの魔物さんは、よく馬車に轢かれてぺしゃんこになっているのですが、あのような状態からでも、牛乳さえあれば元通りのふっくら一斤パンに戻るのですよ?」
「………何でだろう」
「王様であるディノにも、分からないのです?」
「うん。全体をとなれば、本来の階位的には、死んでしまっても不思議はないのだけれどね。………ただ、土地に合わせて細かな特徴などを変化させているけれど、パンの魔物自体は、とても古い魔物なんだ」
そう教えて貰えば頷くより他にないが、一度奇妙な生き物達の心臓問題を考え始めてしまえば、先程食べたばかりの山鳥の中が、ただの美味しい鶏肉ばかりであったことがとても気になった。
しかし、そのあたりは追及しない方がいいのだろう。
主に、ネア自身の心の為である。
「そう言えば、お前がよく獲ってくるカワセミなどは、体の中央から下にかけての胴体に、薄く引き伸ばした細長い心臓を持つと聞いているが、そのせいで体が強靭なのかもしれないな」
「あの儚い生き物が、強靭なのでしょうか………?」
「ええと、そこで首を傾げちゃうの、ネアくらいだからね」
どうやらネアは、そんなカワセミの心臓をぎゅっと握り締めて捕獲していたらしいと、今更ながら判明してしまい、ぺらぺらリボン生物を狩り続けて来た獰猛な人間は、じっと手のひらを見る。
「まぁ。心臓を……………」
「成る程。ネア様の狩ったカワセミの評価が高いのは、活き絞めにされているからだったようですね」
「よく、アイザックさんが状態がいいと仰って下さるのは、カワセミの鮮度だったのかもしれません………」
「鮮度なのだね………」
「ディノ?どうして三つ編みが献上されたのでしょう?」
なお、魔物達は形状が独特な生き物の心臓問題になると、途端にもぞもぞし始めるので、謎生物の生態についてはあまり把握したくないようだ。
ネアは、森編みの妖精についても知りたかったが、ヒルドが妖精の話はしなかったので、であれば訊かないでおこうという選択をした。
何しろ心臓なので、そうそう簡単に秘密を明かせない可能性もある。
「さて、そろそろもう一度、お肉などを…………」
「言っておくが、このバットはもう空だからな」
「ぎゃ!」
「そのタルタルを食えばいいだろ」
「これは、もう残り少しなので、ちびちびバルバ会の終了まで美味しくいただくものなので、安易に減らしてはならないのですよ?」
「どこかから、棘牛を持ってこようか」
「まぁ。ダナエさんが、牛さんを増やしてくれるのです?」
「……………やめろ。…………くそ、何か出してやる!くれぐれも、棘牛や他の生き物をここに持ち込むなよ」
ネアだけでなく、ダナエももう一度お肉の気分になってしまったと知り、アルテアは顔色を悪くしていた。
さすがに、ほろ酔いのいい気分から棘牛を捌くのは嫌だろうと、ネアは、海老も吝かではないと伝えたのだが、残念ながら在庫は食べ尽くしてしまったらしい。
その後、アルテアが、市場で雨の花を買った時に目について購入しておいたらしい大きな魚が、貝類と一緒に酒蒸しにされた。
バターと薄切りにした檸檬に、フェンネルを入れて蒸せば、包み紙を開いた途端に、ふわっといい香りが立ち昇る。
その香りに釣られて、エーダリア達や、ディノも少し食べ始め、きりりと冷えたシュプリが振舞われると、この楽しい時間はもう少し続く事になりそうだ。
ただし、ダナエに気付かれないような位置に移動した、霧歌いが、天窓からこちらをじっとりと見ている事が判明したので、温室を出る際には注意が必要なのかもしれない。
だが、途中まではそう考えていた筈なのに、会がお開きになって部屋に戻ってから、霧歌いの存在を思い出したネアは、温室を出た後のダナエが、何をもぐもぐしていたのかは深く考えないようにした。
繁忙期につき、明日6/18、明後日6/19の更新のどちらかを、こちらでの、3000文字程度のSSとさせていただきます。
あらためて、当日の更新のお知らせでご案内いたしますね。