バルバと雨上がりの蜂蜜 1
待ちに待ったその日、ウィームは霧深い朝を迎えた。
ネアは、今から殺人事件が起きるのかなというお天気ぶりに慄いてしまったが、この土地ではさして珍しくないのだと思い直し、腰回りに協力的なドレスを見繕う。
何しろ今日は、バルバなのだ。
料理を取りやすい袖口と、沢山食べられる装いは、決して欠かせない大事な装備なのだった。
「ディノ。三つ編みにして、リボンを結びましょうね」
「………うん」
「いつもはふんわり編みですが、今日は、大きな海老さんを焼くバルバだと聞いているので、少しきつめに編みます」
「きつくしてしまうのだね……………」
「ええ。普通のお食事より隣の方が近いですし、海老のような不規則に嵩張る物体が置かれた場合、うっかり髪の毛を引っ掛けて焼き網に触れると怖いので、食べ易いようにします」
であれば、同じように海老も参加する海遊びもそれでもいいのだが、あちらはもう少し開放的な砂浜なので、うっかりお隣さんに髪の毛を引っ掛けてしまったというような事件は少ないだろう。
ディノは、汚したり焦がしたりしてもいいような日用のリボンを結んで貰い、嬉しそうに目元を染めている。
こんな時に、どうでもいいリボンの運用に荒ぶる事なく、そちらも一つの経験として喜んでくれるとても良い魔物なのだ。
そして、いつもは髪の毛の巻きを潰さないようにしているゆったり三つ編みをきつめにすると、ぐっと男性的になるので印象が変わる。
密かにこちらも悪くないぞと考えた人間は、また今度、理由を作ってきつめ三つ編みにしようとほくそ笑んだ。
「さて、行きますよ!」
「可愛い。弾んでしまうのかい?」
「ええ。棘牛のタルタルに、美味しい焼き物が沢山いただけるので、ずっと楽しみにしていました!」
「今年は、エーダリアが雨上がりの蜂蜜を持ち込むそうだ。アルテアが準備をしていたので、珍しい料理も出て来るかもしれないよ」
珍しく料理についての情報をくれた魔物が、その蜜は、魔物も好きなのだと教えてくれる。
また、蜂蜜という名前が付けられているが、実際には雨上がりに日差しにきらきら光る陽光の結晶が湛える蜜なのだそうだ。
「まぁ。魔物さんもお好きだというと、巣蜜のデザートのようなものなのです?」
「条件を揃えた場所でしか食べられないので、珍しい嗜好品という感じかな。自分が好むような蜜の味になるので、最初に食べた者は蜂蜜に似た味わいだと思い名前を付けたのだろう」
「むむ!」
そう聞けば、美味しいのは間違いない。
ネアは、三者三様の味わいになる蜜をアルテアがどう扱うのだろうと考えながら、弾むような足取りでバルバ会場に向かった。
(…………少し、ひんやりとするかな)
屋外に出ると、深い霧が肌に触れた。
この時間でも霧が出ているということは、今日はもう、一日中霧模様なのだろう。
肌寒いという程の気温ではないのだが、肌に触れる霧は、少しだけひやりとする。
だが、このような気候でこそウィームの花々は美しく咲き誇るのか、ふっくらと咲いた薔薇や菫に彩られた景色は息を呑む程の美しさであった。
唯一心配だったのが春を司るダナエとの相性であったが、季節の遷移が無事に済んでいれば問題ないとディノが教えてくれる。
(おや………?)
いつもの温室に向かう道中では、木に繋がれてワンワンと鳴いている棘牛がいるかなと思ったのだが、今年は見かけないようだ。
ネアは、もしやお肉が手に入っていないのではと震え上がりながら、バルバ会場に入る。
「ネア」
「ダナエさん、バーレンさん、シュタルトぶりです」
「ああ。今日は、少し先にこちらに入らせて貰った」
振り返ってそう教えてくれたのはバーレンで、隣にはダナエが座り、その正面の席にはエーダリアが座っている。
エーダリアの隣に座るヒルドが淡く苦笑してみせたので、前回の食事会で親交を深めた二人は、バルバの開始前に時間を取って、こちらでお喋りを楽しんでいたようだ。
(バーレンさんに会えるという事で、早めにこちらに来れるように調整したのかな)
そんな風に過ごせるようになったのなら、今日は、エーダリアの執務が立て込んでいなくて良かったと思う。
エーダリアにもバーレンにも、今はもう大切なものがあるのだが、その上で広げてゆく交流の輪も、きっととても素敵なものなのだ。
限られた季節しか会えないダナエ達だが、こうしてエーダリアとも仲良しになってくれると、何度もネアの大事な家族を助けてくれたという縁だけではなく、もう少し深い付き合いの段階に入ってきたのではないだろうか。
「…………ネア様?」
ここで、ヒルドがこちらの様子に気付いたようだ。
バルバ会場に棘牛が隠れていないか探していたネアは、へにゃりと眉を下げる。
「今日は、いつもの木のあたりで棘牛さんを見かけなかったのですが、もし未入荷のようであれば、さっと行って買ってきましょうか?」
「………お前は、その気軽さで狩りに行くのはやめるように。それと、棘牛については、アルテアが既に捌いてある。先程こちらに来て、連れて行ってくれたぞ」
「まぁ。もうアルテアさんが連れて行った後だったのですね。であれば安心です!………因みに、狩りに出ようとしたのではなく、お買い物に行くつもりだったのですよ?」
ネアがそう言えば、言葉の響き上、てっきり狩猟だと思っていたらしいエーダリアは、なぜか不思議そうな顔をするではないか。
いくらネアでも、棘牛の大きさの生き物は気軽に狩りに行く獲物ではないのに、市場で買うつもりだった事に驚かれてしまうのは、たいへんに解せない。
「それと、今日は、雨上がりの蜂蜜があるので用心するようにな」
「……………ようじん?」
何やら不思議な言葉が聞こえたような気がしたが、聞き間違いかなと目を瞬いた。
好みの味の蜜になってくれる雨上がりの蜂蜜には、注意するべきところなどない筈なのだが、食べ過ぎてしまうと良くないのかもしれないと頷いておく。
(希少なもののようだから、量で食べるような食べ方を好まれなかったり、あまり一度に沢山食べると良くないものなのかもしれない)
そう思って流してしまった事で、後でとんでもない騒ぎに巻き込まれるのだが、この時のネアはまだ、待ち受けている悲劇を知らずにいた。
「そして、既に、雨の花の和え物とサラダは用意してあったのですね」
「ああ。アルテアが、ダナエが待てないだろうと言って、少しずつ食べられるものを用意していってくれたのだ。お前達の分は、こちらに分けてある」
「はい。では、私達も席に着きましょうか。今年は、ゼノは参加出来ないのですよね?」
「ほこりと、出掛ける予定があるそうですよ。取り置きの出来る料理は後で食べるそうですので、こちらで取り分けておきましょう」
ネアが、こちらの世界で初めて作った友達が、ゼノーシュだ。
そんなゼノーシュが、名付け子とすっかり仲良くなってくれたのは、思いがけないことであったが、とても嬉しいことでもある。
食いしん坊の二人のことなので、出掛けた先で何かを食べたりもするだろう。
この世界に状態保存の魔術がなければ、美味しいバルバ料理のお裾分けが出来なかったところだが、魔術の叡智は、お出かけのクッキーモンスターにも、バルバ気分を楽しんで貰えるのだった。
「こちらで宜しいですか?」
「はい。有難うございます。ディノはどうしますか?」
「同じでいいかな……」
ヒルドが水晶のピッチャーから飲み物を注いでくれたので、ネアはまず、ほんの少しだけ杏のお酒が入った飲み物をぐいっといただき、果実水のような爽やかな甘さに頬を緩めた。
目の前にあるので我慢出来ずに少しだけサラダをつまんだが、本格的に食べ始めるのは、バルバの魔物の到着を待つ事とする。
(そろそろかな……)
そわそわしながら、開始時間を待っていると、温室の扉が開き、次にやって来たのは、明らかに直前まで寝ていたなというくしゃくしゃの髪のノアであった。
白いシャツをさらりと羽織った気軽な装いだが、ノアにはやはりよく似合う。
目が合うとにっこり微笑んだが、これは寝起きだなというふにゃりとした表情は、まだ少し眠そうだ。
「………ありゃ、僕が最後かな。もう始まっちゃった?」
「いや、アルテアが、棘牛を捌きに行っているので、まだなのだが、先に、話し始めていたところなのだ」
「エーダリアが飲んでいるのって、……………うん、この前の白葡萄酒だよね。僕も、最初の一杯はそれにしようかな」
「ダナエが、また春闇の酒を持ってきてくれましたので、後で開けましょう」
「わーお。そりゃいいや」
「それはそうと、………昨晩は部屋におりませんでしたが、その様子ですと、また廊下で寝たのでは?」
「……………え、気のせいだと思うよ」
そんなやり取りが聞こえてしまい、バーレンが驚愕の眼差しでノアを凝視しているが、何も、この魔物姿で廊下で寝てしまう訳ではないのだ。
ネアは、銀狐のまま遊び疲れて眠ってしまったのだなと頷き、今度から、廊下に義兄が落ちていないかどうかの見回りを強化しようと心に誓う。
夜間にヒルドが部屋を確認してくれてはいるのだが、その時間に起きていたり外出中だったりすると、部屋でちゃんと寝たのかの確認が出来ぬまま、朝になってから思わぬところに仰向けになって落ちていたりするので、油断も隙もないのだ。
そして、そんな事件が多発するのが、比較的過ごしやすい気温の季節であった。
「揃っているな」
ここで、また扉が開き、お肉や料理を載せたトレイを軽やかに持ったアルテアが入ってきた。
危なげなく大きなトレイを二つも持ってしまい、人気の食堂の店員さんかなというくらいの才能を披露していたが、それでも高位の魔物らしい優雅な所作が崩れることもないので、このあたりはもう、種族的な特徴でもあるのだろう。
そして、手に持ったトレイには、漬けダレに漬け込まれたお肉や、ネアが愛してやまないタルタルの入ったボウルや小鉢が見え、ネアを狂喜させた。
一刻も早く食べ始めるために、他の料理も運ぶのなら手伝おうかなと見上げると、目が合った選択の魔物は、どこか厳しい面持ちで短く首を横に振るのだ。
「まだ、他のお料理を運ぶのですよね。ここに有能な乙女がいますが、お手伝いしなくていいのですか?」
「お前は座っていろ。それと、他の料理なら、もう準備してあるぞ」
「ここに、ですか……………?」
まさか、今年はサラダだけなのかなと目を瞠っていると、呆れた顔をしたアルテアが、持っていたトレイをテーブルに置くと、ひょいと右手の人差し指を動かす。
するとどうだろう。
ネア達の隣にある作業台用のテーブルの上に忽然と現れたのは、いつもの賑やかなバルバ料理の数々ではないか。
「お料理が!!」
「この部屋にあったんだね。気配があったけれど見つからないから、エーダリアにも探して貰ったんだ」
「お前が食い過ぎないように、違う階層を重ねてあったんだ」
ほっとしたように微笑んだダナエは、どうやら、気配を察した料理を探してしまったらしい。
すぐ側のテーブルの上にあった筈なのに見付けられなかったのも凄いが、そのあたりは、ネアには未知の魔術の世界なので、こちらは料理を美味しくいただく事に専念させていただこう。
エーダリアは目を丸くしており、くすりと笑ったノアが魔術の仕掛けを説明しているようだ。
(いつの間にか、こんなに沢山のお料理が、隣のテーブルに並んでいたのだわ………!!)
目を輝かせてテーブルを見渡せば、これからの時間への期待にどうしても唇の端が持ち上がってしまう。
もはやバルバの化身かもしれないアルテアは、隣のテーブルから料理を移動させつつ、手際よく温めるものを焼き網の上に載せ、下味をつけた鶏肉なども焼き始めてくれる。
じゅわっと上がった音に、いよいよバルバが始まったのだなという楽しさが込み上げてきた。
ネアは、可憐な乙女らしく、ここでもお手伝いしますという風に立ち上がったが、先に立ち上がったヒルドとアルテアとで分担されてしまい、出る幕がないまますとんと座り直した。
「おにく……………!」
「ったく。お前は、こちらからにしておけ」
「タルタル様!」
「いいか、そのボウルの中身を全部食べるつもりなら、他の料理の量で調整しろよ」
着席すると、やはりバルバと言えばの網の上のお肉を凝視してしまったが、アルテアが手元から渡してくれたのは、タルタルの入ったボウルである。
ネア専用であるらしいので、思う存分食べ尽くせるタルタルボウルだ。
じっとそのボウルを見ているダナエに、アルテアは一回り大きなボウルを差し出す。
「お前の分はこっちだ」
「うん。これもいつも美味しい……………」
「ダナエの分も別にしてくれて、助かった……………」
「こいつとダナエは、別にしておいた方が問題がないからな」
アルテアの言葉を聞き、エーダリアが、悪食の竜と同じ扱いの部下をちらりと見る。
とは言え、ネアの個別運用はお気に入りのタルタルだけなので、器ではなくボウルごとになってしまっていても、こちらは可憐な淑女なのだった。
ネア達に次いで、これは人数分の小鉢があるタルタルが配られ、他の焼き物ではない料理も、一つのお皿にまとめずに二皿に分け、どの席からでも食べやすいようにしてある。
また、それとは別にダナエの料理だけお皿を分けているのは、食いしん坊の春闇の竜対策だろう。
じゅわり。
ぱちぱち。
じゅわん、じゅうじゅう。
賑やかな焼き音が、料理の多さを教えてくれるので、ネアは幸せな思いで耳を澄ました。
タルタルを頬張ればお口の中も幸せなので、既に満ち足りた気分である。
手際よく作業をしながら料理を行き渡らせてゆくバルバの魔物な使い魔を、尊敬の眼差しで見つめた。
「……………ふぁぐ」
「美味しいかい?」
「はい!棘牛のタルタルは、いつだって私を幸せにしてくれるのです」
こちらは食べる専用の伴侶の魔物も、タルタルを一口食べ、幸せそうにしている。
お子様舌のディノの普段の嗜好とは違う料理だが、タルタルは気に入って食べているようだ。
「よいしょ。こっちのシュプリも開けようか」
「ほお。その銘柄の白か……………」
「これ、結構珍しいでしょ。タルタルには、これくらいすっきりしたのだと、鶏肉とも相性がいいと思うんだよね」
「…………タルタルは、美味しい」
「ダナエ!入れ物は食べては駄目だ!!」
「おや、空になった器は、こちらで回収しましょうか」
「私達の方が隣のテーブルに近いだろう。空いた皿やボウルは、こちらに置いておけばいいだろうか?」
「ああ。そこに置いておけ。油ものは重ねるなよ」
(初めての頃とは、やはり違うような気がする…………)
いつの間にか、当たり前のように連携している姿に微笑みを深め、ネアは、バルバによく出てくるのでディノもすっかりお気に入りの、ドライトマトを使った新鮮チーズと鶏肉の和え物をいただく。
毎年の開催なので、何となくそれぞれの動き方が決まってきており、ネアがディノを、ヒルドがエーダリアを、そして、バーレンがダナエの面倒を見るようになる。
エーダリアについては自分でも出来ることが多いので、全体の進行管理をするアルテアを補佐するのは、必然的にヒルドになるようだ。
だが、やはりバルバとなればアルテアの独壇場と言えよう。
網の上を上手に使いながらも、特定の料理ばかりが目の前に並ばないようにしてくれるのは、バルバの魔物と言っていい程の、細やかな気遣いではないか。
自分の前の網には焼き胡瓜こと鯨焼きしかないというような悲劇を避けられるので、お肉や野菜などの様々な食材が綺麗に並ぶ様に、いっそうに食欲も掻き立てられる。
全体を見渡してみれば、アルテアは広い焼き網を三面に分け、それぞれの区画を巧みに管理してくれているようだ。
(ノアはお酒の担当だけど、視野が広いからテーブル全体の管理も上手だな)
さすが場数を踏んでいるなと思わせるのは、ノアもであった。
料理はしないが料理の取り分けやお皿の移動は上手な塩の魔物は、ちょっと取り難い角度のお皿を直してくれたり、グラスが空くと飲み物を補充してくれたりする。
アルテアが差し出したグラスにも、当たり前のように葡萄酒を注いでいるので、仲良し度が深まっているのは間違いないだろう。
アルテアは白いシャツに黒いジレ姿なのだが、さり気無く色が揃っているのも仲良しだからに見えてきてしまうので不思議である。
「この、ホイルで巻かれて準備されているのは、あざみ玉でしょうか。雨の花の和え物もありますし、………青い胡瓜にしか見えない鯨さんもあります。……………そして、黄色の卵です?」
「山鳥だ。珍しい食材だが、ウィームの市場に売っていたぞ。これも季節の食材だからな」
「……………とり?」
ネアは、綺麗な黄色い卵をしげしげと見つめ、黄身をお肉に絡めて食べるのだろうかと考えた。
しかし、アルテアが、何の躊躇いもなくそのまま網の上に置くと、あんまりな仕打ちにわなわなと震えてしまう。
火が入ってばちんとはじけ飛んだら事故ではないかと思ったが、エーダリアやヒルドも、山鳥焼きかと嬉しそうに見ているので、これが正解であるらしい。
(……………黄色い鶏卵にしか見えないのだけれど、……………網で焼いてもいいのだろうか)
食材になってしまう前の山鳥がどのような生き物なのか分からないネアは、ただ、くつくつという謎の音を立てて焼かれていく黄色い卵を、怖々と見守るばかりだ。
お近くには、ダナエが持って来てくれた丸薬スグリが並んでいて、奥には青い胡瓜な鯨焼きもある。
もはや、視覚的な暴力と言っても過言ではない一画であった。
「……………山鳥、なのだね」
「さては、ディノも初めての食材ですね?」
「うん。……………卵ではないのかな」
「まさかの直立置きで凄まじく不安定に見えるのに、しっかりと焼かれています……………」
「鯨と同じように、成長過程で姿を変える鳥の一種だ。幼鳥の時期だけ、こうして食材になる」
「ようちょう……………?卵ではなく?」
「山鳥はさ、このままの姿で飛んだり囀ったりするんだよ。確か、雷鳥と同じ種だったっけ?」
「……………そう言えば、雷鳥めも卵姿で荒ぶっていたような気がします」
「雷鳥と同じなのだね……………」
「山鳥は美味しい……………」
アルテアがスグリにナイフで切れ目を入れている間に、ダナエが安心させるように、お店でもいただける食材だと保証してくれた。
そう言われてしまうとこの世界の善意を信じるしかないので、ネアは小さく頷く。
やがて、焼き上がりの謎料理は、アルテアの手でお皿の上に置かれてしまい、ネアは、ほかほかと湯気を立てる黄色い卵を言葉もなく見つめた。
山鳥焼きをお皿に移動させてくれたアルテアは、これはどうやって食べるのだろうと悲し気に顔を上げたネアを見て意地悪な微笑みを浮かべるので、一人の乙女が未知の食材との関わり方を探っている事には気付いている筈だ。
なかなか助言をいただけないので眉を寄せると、ふっと微笑みを深めた。
「香草ソースか、塩だろうな。この時期は肉質がいい」
「……………このまま?……………む、エーダリア様が、ナイフでさくさく切り分けています」
「…………切れるのだね」
「もしや、見た目に反して柔らかいのでしょうか?」
「言っただろ。普通の鶏肉とさして変わらんぞ。ただし、味は格段にいい」
「こやつは卵感の方が強くて、見た目からして全く違うのですよ……………」
焼き立てが美味しいと聞けば、視覚的な違和感をぐっと呑み込み、ナイフで切ってみる。
むちむちした鶏の胸肉を切るような感触があり、ぱかりと開いた中身に何かが詰まっている訳でもないのは、青い胡瓜な鯨と同じ現象のようだ。
ネアは、生き物の中身はこれでいいのだろうかと不安になったが、魚をいただくように内臓などを避けて食べるにしても、この形状であると余計に不安になりそうなので、このままの方が心には優しいのかもしれない。
「切れました……………」
「切れた……………」
「エーダリア様の真似をして輪切りにしたのですが、これでいいのでしょうか?」
「ああ。切り分けたら、ソースか塩で食べてみろ」
「……………むぅ」
未だに怖さもあったが、皆は美味しそうに食べているので、ネアは、淡泊過ぎない香草ソースを取って貰い、そちらをかけてぱくりと食べてみる。
すっかり怯えてしまった伴侶が隣で見ているので、まずはお手本を見せねばならないのだ。
「…………こ、これは!!」
それは、想像もしない体験であった。
警戒しながら食べた山鳥は、色と形状から受ける印象を裏切る繊細な美味しさで、口の中に入れると、上質な鶏肉のような美味しさが弾けた。
棘雉と少し似ていて、味としてはとてつもなく美味しい鶏肉だが、僅かな薫香にも似た香ばしさがある。
その豊かな森の香りがふわっと鼻に抜けると、成る程、山鳥をいただいているのだなという感じがした。
むふんと頬を緩めたネアが次の一切れも食べ始めたので、安心した様子でディノも食べ始める。
こんな時、遥かに長く生きている魔物の伴侶らしくリードして欲しいと思っても、ディノはすぐに弱ってしまうので難しい。
「美味しい……………ね」
「ふふ。まだ、不思議さが抜けない感じも私と同じですが、さすが鳥さんという、美味しいお肉ですね」
「うん。飛べるのかな………」
「確かに、こやつはどうやって飛ぶのでしょう……………?」
「幼鳥だから、あんまり飛ばないんじゃないかな。でも、木登りは得意だから、捕まえるのが難しいんだよね」
「……………きのぼり?」
沢山の謎に包まれてしまった人間は、異世界の食材はその履歴を考えてはならないと首を振った。
うっかり掘り下げてしまったせいで、木の幹をよじ登る黄色の卵が想像されてしまい、とても辛かったのだ。
(……………これは)
お皿の上には、焼き立ての丸薬スグリと鯨も載せられる。
焼き始めのタイミング的に嫌な予感はしたのだが、とんでもない絵面にされたぞと慄いていたが、どれも選りすぐりの季節の味覚である為、美味しさも間違いない。
「……一切れ寄越せ。そうだな、塩だ」
「まぁ。輪切りの手間を惜しみましたね?」
「おい、誰が焼いてやったと思っているんだ」
「困った使い魔さんですねぇ」
山鳥の輪切りの塩味を所望され、ネアは仕方なく自分のお皿のものをアルテアの口に押し込んでやる。
その場合は、不公平にならないように、ディノにも同じふるまいをするので、減ってしまったお皿の上の山鳥を回収するべく、続けざまに交換も申請しなければならない。
食べ進めの配分に拘る人間にとっては、なかなかの追加作業だと言えよう。
「そして今年は、岩スグリめが自爆する事はなかったのですよ!」
「当然だな。お前が見えない位置を選んで、籠を置いてあっただろうが」
「なぬ………」
「そうか。それで、こちら側にスグリの籠があったのだな」
「じ、自爆しません……」
「試してみてもいいが、今年は不作だったようで数が少ないからな。焼く前のスグリには近付くなよ」
どこか真剣な面持ちでそう言われてしまい、ネアは、誰かが味方になってくれないかと周囲を見回した。
しかし、つい先ほどまでバルバを楽しんでいた仲間達は、さっと目を逸らすではないか。
目を合わせてくれたのは、どこか無垢な佇まいのディノとダナエだけだったので、ネアは、そんな二人に証言を強要する訳にもいかず、悔しさのあまりに地団太を踏む。
「さてと、……そろそろ、雨上がりの蜂蜜も出しちゃおうか」
「私の義兄は、ずっと年上なのに話題の変え方がとても不自然なのですよ…………」
「わーお。荒んでるぞ………」
「ギモーブを食べるかい?」
「バルバ中なので、こちらのタルタルを食べますね……」
しかし、あぐりと頬張ったタルタルの素晴らしい美味しさに簡単に転がされてしまい、ネアは、机の下で爪先をぱたぱたさせる。
多少、スグリ自爆誘導疑惑をかけられていようと、こんなに美味しいタルタルが食べられるのだから、やはり今日は素晴らしい日なのだろう。