229. みんなでいただきます(本編)
ざあざあと雨音が響く。
窓の向こうの正門前には、テルナグアに近しいとまで言われる不穏なものが来ているのだが、魔術の結界でしっかりと覆われたリーエンベルクでは、なぜか、珍しい顔ぶれでの、急遽開催なおまんじゅう試食大会が行われていた。
勿論、特設会場になった部屋には、魔術の通信板が用意され、エーダリアやヒルドには、ダリルや騎士棟経由での街の状態が逐一入ってくる。
とは言え、街中からリーエンベルクへと続く一本道は、取り残されている人がいないかどうかを確認した上で既に封鎖されたようなので、わざわざ入り込むような酔狂者がいない限りは、領民に危険が及ぶことはないだろうという安堵感もあった。
(それでも、今日の雨の中で、……………誰かは行方不明になるのだろう)
だが、それがウィーム領民でもそうではなくても、ネアはその喪失を惜しむことはない。
誰かに聞かれたら眉を顰められそうな冷酷さではあるが、ダリルが排除するのは、ここに暮らすネアの家族にとって不用な者達なのだろう。
であればどうなってもいいのかと問われたなら、かつて同じような理由で家族を奪われた人間は、自分の大事なものが守られるのならば知った事ではないと答えるのだ。
こんな強欲な人間が、二度も同じように家族を手放すことはあり得ないし、善良さというものは、余裕がある時にだけ振り撒けば充分なのである。
「……………そして、私はとても善良な乙女なので、アルテアさんの分のおまんじゅうは、しっかりとこちらに確保しておきますね」
「アルテアなんて……………」
「ディノ、ミカさんが持って来てくれた、蜂蜜豚のごろごろ煮込みおまんじゅうが美味しいので、半分こしませんか?」
「ずるい…………」
試食大会が始まってから、何よりも参加者達を驚かせたのは、物静かな佇まいのミカが買い込んできたおまんじゅうの量だろう。
どさりとテーブルに載せたお店の袋や箱の量は、そう言えばこの精霊王は、食楽をも司るのであったと瞠目してしまうくらいの様子で、どうやらミカは、限られた時間で、全ての店舗販売のおまんじゅうを買い揃えてしまったらしい。
別途部下達へのお土産もあるそうなので、全てを金庫から出していないと聞けば、どれだけの荷物を持っているのだろうかとごくりと息を呑んでしまう程であった。
「……………これは、美味しいね」
「ふふ。ディノも好きだと思いました!豚肉の煮込みに蜂蜜の甘さとこくもあって、とても奥深い味わいのおかずおまんじゅうですよね。お肉がほろほろですが、ぱさぱさはせずに、ジューシーなのですよ」
「じゅーしー……………なのだね」
「はい!……………あぐ!」
豚肉のごろごろ煮込みが入っているだけのシンプルなおまんじゅうなのだが、お肉の味わいが深いのと、意外にしっかりお肉に付いている脂身の部分がとろとろになり、おまんじゅうの皮にしっとりとお肉の味を伝えている。
同じお店で、鶏肉の白葡萄酒と薔薇塩蒸しのおまんじゅうもあるので、お肉を美味しくいただくことに長けたお店なのだろう。
「……………はぐ。……………こちらのお店は、初めての出会いでした」
「それは良かった。昨年は小さな屋台が出ているだけだったのだが、買ってみたら思っていたよりも美味しかったので、今年も食べられたらいいと思っていたんだ」
「ミカさんのお陰で、来年に行きたい屋台が増えてしまいました。……………む、ノア?」
「ありゃ、見付かったぞ……………」
「エーダリア様のお皿に、そっと鶏肉のおまんじゅうを置いていく行為でしたので、善行のようです」
「…………ノアベルト、……………その、自分でも取れるのだぞ?」
契約の魔物が、美味しそうなおまんじゅうを取ってくれたと知り、エーダリアは僅かに目元を染めている。
自分でも取れると伝えはしたものの、何だか嬉しそうにしているエーダリアに、ヒルドもくすりと微笑んでいるのは、鶏肉の薔薇塩蒸しのおまんじゅうが人数分買えていないからこそだろう。
ヒルドと分け合って件のおまんじゅうの味を見たノアは、美味しかったので、鶏肉料理が好きなエーダリアには丸々一個食べさせてあげようと思ったようだ。
ネアはディノと分け合って食べていたのだが、素朴だが後を引く味わいだと気付き、小さなお試し千切りを作成すると、さっと席を立ち、アルテアの方へ向かう。
「ネアが逃げた……………」
「この再現をお願いするべく、使い魔さんのお口に押し込んでおきますね」
「アルテアに、食べさせてしまうのかい?」
「……………おい。その前に水を寄越せ……………。あの傷薬の後味しかないぞ」
「お水です!!」
横になっているのに口におまんじゅうを押し込まれそうになったからか、どうやら目は覚めていたらしいアルテアが、顔を顰めたまま体を起こした。
少しの間眠っていただけなのだが、先程よりも、各段に顔色が良くなっている。
「……………あれは塗布用だと、何度言わせれば気が済むんだ」
「はい。次はおまんじゅうです!」
「……………っ、……………おい!」
「お口に入ったこの味を覚えて、時々再現して下さっても構わないのですよ?……………そして、目的を果たしたので、私は帰還しますね」
「……………おい」
「ご主人様……………」
「なお、アルテアさんの分のおまんじゅうも取り置きしてあるので、何かを食べられるくらいになってから、美味しくいただいて下さい」
「俺が食事をする程に本調子ではないと思っておきながら、再現用のものは食わせたんだな?」
「うむ。美味しいものの再現は、とても大事なお役目ですからね!」
ネアはついて来てしまったディノと一緒にテーブルに戻ったが、なぜか、ワイアートがきらきらした目でこちらを見ているではないか。
僅かに首を傾げたネアは、そんなワイアートに、ちゃんと手元を見ているかと甲斐甲斐しく声をかけているベージを見て、すっかり立派になったように見えてもまだ年若い竜なので、誰かに面倒を見て貰いたくなったりもするのかなと考えた。
親元を離れているのかどうかは知らないが、もし寂しくなってしまう時があるのなら、ここは既婚者の包容力を披露する為にも、子守唄くらい歌ってあげるべきだろうか。
(しっかりしているように見えるけれど、どちらかと言えば、年長の竜さんと一緒にいる事が多いような気がするし…………)
「そう言えば、ワイアートさんが一緒におられる事の多いリドワーンさんは、今日はいらっしゃらないのですね」
「……………ええ。ごしゅ……………こちらで祭りに参加したいのにと残念がっていましたが、リドワーンは、海の草原での戦に出ております。国を離れてはいても王子ではありますので、時々、呼び戻される事もあるようです」
「まぁ。海で、何かが起きているのでしょうか?」
そんな話を聞いて心配になってしまったネアだったが、小さく頷いたグレアムが、それこそが、ヨシュアとイーザがおまんじゅう祭りに参加出来ない理由でもある、白樫絡みの事件なのだと教えてくれる。
「ヨシュアの統括地には、南洋の島々の一部も含まれるんだが、そのような国々と、その海に面した港を持つ中堅の軍事国家との間に小規模な戦が起こっているんだ。白樫が関わっているのは厄介だが、リドワーンとヨシュアたちは同じ陣営の側だから、今夜の内には片が付くだろう」
「誰かが悪さをしていたせいで、そちらには鳥籠を敷けなかったからな。ヨシュアが介入したのは幸いだった」
「白樫が介入したってことはさ、やっぱり海の草原の民の、海結晶の船目当てかな」
「そのようだな。ノアベルトも、ヨシュアから何か聞いていたのか?」
目を瞠ったグレアムに、ノアは、新商品らしき、トマトソースと出来立てチーズのおまんじゅうを手に、小さく笑う。
「前に、あの船を欲しがっているのを見たことがあるんだよね。海のものはやめておけばいいのに」
「あまり魔術的な相性は良くないのに、それでも欲しくなってしまうのだね……………」
「……………海草原であれば、魔術遮蔽を敷けば屋敷を造れない事はない。その立地にも目を付けたんだろうよ」
「むぅ。アルテアさんが加わる気満々ですが、もう少し横になっていた方がいいのではありませんか?」
「口の中に欠片を押し込まれたせいで、目が覚めたんだからな?…………白葡萄酒かシュプリがあった方が良さそうだな………」
「あ、僕はシュプリがいいなぁ」
すかさずシュプリがいいと主張したノアに、アルテアは顔を顰めていたが、どこからともなく取り出したのはシュプリの瓶だったので、やはり最近は、仲良し度合いが上がっているのかもしれない。
そして、綺麗な小麦色のシュプリの瓶が出て来ると、ネアは、違う事が気になってしまった。
「……………そう言えば、今代のシュプリの魔物さんは、まだお元気なのですか?」
「ご主人様……………」
「……………あー。シュプリの魔物ね……………」
「なぜ、ディノとノアが弱ってしまったのでしょう……………?」
家族の不可思議な反応に困惑して眉を寄せれば、小さく微笑んだミカが、その理由を教えてくれる。
長い髪を一本に縛った真夜中の座の精霊王は、食事がしやすい服装にという事で、繊細なフリルレースがあっても少しも女性的にはならない白いシャツに黒いジレ、そして細身の黒いパンツ姿になっていた。
このような食卓に相応しい装いをと言うのだから、食楽の質は思っているよりも強いのかもしれない。
「今代のシュプリの魔物は、仕事中毒のようだ。仕事を厭うどころか、仕事を与えないと不安定になってしまうようなので、近しい者達は休ませるのにも一苦労だと聞く。……………今代では早々に崩壊しないようにと、周囲が育成に熱意を注ぎすぎてしまったようだな」
「育成、……………なのですか?」
「シュプリ作りの楽しさを、派生したての頃より意識付けたらしい」
「あれは、殆ど洗脳だな。外野としては特に問題はないが、葡萄の界隈はうんざりしているようだな。材料の卸し控えをしたせいで、あいつは新しいシュプリの開発にも手を出したようだぞ」
「……………ああ。その辺りは、少し注視しておかねばならないな。葡萄のシュプリなら夜の系譜の中に留まるが、オレンジなどを主軸にされると、シュプリの資質が昼の系譜に傾きかねない。我々の時間の座から出られてしまうと、いささか都合が悪い」
アルテアの指摘に溜め息を吐いたミカに、ネアは、何やら事情があるようだぞと目を瞠った。
不思議そうにしている様子に気付いたのか、隣に座っているディノが、シュプリは長らく真夜中の資質を持ち、その庭に城を持っているのだと教えてくれる。
「そう言えば確かに、シュプリをいただくのは夜の方が多いような気がします」
「そんな認識を持っていて貰えると、とても助かる。黎明から真昼までの座に持ち込まれると、あちらの時間座では味が落ちかねないのだが、美しい夜には欠かせない酒だから、質を落としたくはないんだ」
そのような問題も関わってくるのだなと思えば、系譜の影響というのは大きいのだろう。
魔物達の間でも、夜の座に置いておけば料理もお酒も美味しくなるという認識が強いようで、食楽を有する時間の座は真夜中だけであるらしい。
勿論、この世界にも昼食の方が豪華だという食文化の土地もあるのだが、それは、特定の者達の嗜好として考えられているようだ。
「茶器の魔物やケーキの魔物は、時間の座とは独立した派生だから、どこにでも行けるけどね」
「……………ケーキの魔物さんがいるのですか?」
「おい、余分は増やすなよ…………?」
「あの魔物は、配分にも厳しいからな。ネアはあまり好まないんじゃないか?」
ウィリアムの言葉におやっと眉を持ち上げると、ケーキの魔物は、笑顔の素敵なおばさまで、お茶会で一度に食べるケーキ量は、厳密に上限二個までと決めているらしい。
それが最も美味しくケーキをいただける分量だということだが、ネアは、早々にケーキの魔物とは折り合えないと気付いてしまい、知り合いになるのは遠慮することにした。
「ウィリアムは、一度、褒められた事があったな」
「……………人間に擬態していたから、俺だと気付かないままだったけれどな。彼女の人となりを知っていたから、怒らせないように用心したんだ」
「でもあのケーキの魔物って、少し古い時代の派生だよね。最近の時代のケーキの楽しみ方としては、嗜好が合わなくなってきてるんじゃないかな」
「……………むむ。ケーキの流行りも把握しておかなければいけないのですね」
「話題に上がっている魔物が最も有名ではあるけれど、その系譜には、若いケーキの魔物達もいる筈だよ。スフレはあの形だったけれど、……………ケーキは人型ではないかな」
「……………スフレさんは、もふもふわんこでした」
ウィームは、伝統的なお茶文化がしっかりと根付いている土地なので、新しいお菓子が流行っても伝統に戻るという嗜好が強く、新しいケーキの魔物の派生には向かないそうだ。
寧ろ、現れるのであればアルビクロムの方が可能性が高いと聞き、一同はとても暗い目になる。
(……………あ、)
ざざんと、風雨が強まり、窓に強い雨が打ち付けた。
外はどうなっているのだろうとカーテンを開けたくなってしまうが、思わず視線を巡らせかけたネアに、隣にいたアルテアが、無言で、トマトソースと出来立てチーズのおまんじゅうを口に押し込んでくる。
「むぐ!」
「………外にあまり注意を向けるなよ。……………雨湖か」
「ありゃ。そう言えば、アルテアは寝てたから、その話って知らなかったんだっけ?」
「転移の際に話したが、意識がなかったかもしれないな……………」
にっこり微笑んだウィリアムに、アルテアは少し遠い目をしている。
お仕置きの意味合いもあったのは間違いないので、ネアは、こういう事は珍しくはないのだろうなと頷いておいた。
(不思議な感覚だ……………)
それは、不思議な温度であった。
背中合わせの薄い硝子の壁の向こうに、深い湖が広がっているような感覚がある。
冷たい水の温度を感じ、水の香りがして、水辺に咲き誇る花々の香りが少し混ざる。
湖の中に立っているのは、美しい乙女か、青年なのだろうか。
背中越しに感じる気配にはなぜだか見てもいないのに朧げな輪郭があって、けれども、決してそちら側に呼ばれる事はないという不思議な確信があった。
“それはそうだ。どの祝福の墓場や災厄の庭に取られようとも、お前達はずっと、私の子供なのだから”
そう呟いたのは誰だろう。
けれどもその声に重ねるように、穏やかで柔らかな笑い声が聞こえた。
“その子供はもう、私の愛し子だよ。私の庭に住み、私の授ける祝福と成就の手を取った、可愛い子供だ”
“手をかけて、贄として育てたものを”
“決して、贄などにはしないものだよ”
それはまるで白昼夢のような囁きで、ネアがふっと息を詰めた間に記憶から滑り落ちてしまい、何かを聞いたような気はするが、何も思い出せなくなる。
「ネア?」
「……………む。何かに触れたような気がしたのですが、思い出せません」
「君に触れたものかい?それとも、君が触れたのかな?」
「どちらかと言えば、誰かの話し声が聞こえてしまったような感じでしょうか。会話の内容は私の事かもしれませんが、何か悪い影響があるような内容でもなかった気がします」
ネアの言葉に一つ頷き、であれば心配しなくてもいいだろうと、ディノが言ってくれる。
「このような季節には珍しい事だけど、イブメリアの気配が僅かに動いたようだね。門の外にいるものには、祝祭の魔術も関わっているのかもしれない」
「あー、そっか。祝祭が絡むと、非ざるものになり易いもんね。あれは独特な魔術の場だからさ」
「グレアム、何か感じるか?」
「……………いや。俺も、こちらの系譜のものかと思っていたんだが、犠牲や願い事を動かすような質は持たないようだな」
「となると、核となった祈祷書に記されていた内容が、本来の信仰の形とは合致しなかったのかもしれないね」
ディノがそう言い、魔物達は得心気味に頷く。
ネアとエーダリアが顔を見合わせて首を傾げていると、今度の解説はアルテアが引き取ってくれた。
「祈祷書の体裁を取りながらも、信仰の規則を守らずに書かれた内容だった可能性が高い。信仰の裏付けを得られない教えは、物語本と相違ない区分になる。その結果、信仰の庭の好む祈りや犠牲を動かす類の悪変とは違い、人造精霊に近いようなものを生み出す悪変になったんだろう」
「むむむ…………?」
「まぁ、それだけとも言えないけどね。今代の世界層の信仰とは引き合わないってだけで、前の世界層の遺物だったかもしれないし、削ぎ落された世界層が残していったものかもしれない。でも、どちらにしてもこちら側の形をしていないせいで、正しい魔術には結ばないんだろうね。……………うん。無事に終わったみたいだね」
「……………ああ。終わったようだな」
にっこりと微笑んだノアに、ミカも頷く。
この様子からすると、直前にひと際風雨が強まったのは、ちょうどそこで、生贄が捧げられたからなのかもしれない。
後はもう、雨湖が鎮まり姿を消すばかりだと聞き、エーダリアが深い溜め息を吐いた。
「半刻程で、この覆いも解けるだろう」
「……………ああ。被害が出る前に対処出来て良かった。……………複雑な思いもあるが、望まぬ被害を出さずに済んだ事は幸いだと思おう」
「嵐の精霊さんを投げこんでおいても良かったのですが、そやつらを捕まえるよりも、おまんじゅうを優先してしまいましたね…………」
「ありゃ……………」
「ご主人様……………」
ネアの言葉に、ワイアートがこくこくと頷いていたので、こちらも、おまんじゅう祭り中止への恨みが深い同志のようだ。
目が合うと少し恥じらうのは、おまんじゅう好きである事が少しだけ照れ臭いのかもしれない。
「とは言え、この冷気のお陰で、久し振りにこちらで長らく過ごせました。雨湖の出現は望ましいものではありませんが、このような機会を持てた事については、今回の事件のお陰かもしれませんね」
微笑んでそう言ってくれたのはベージで、先程ノアが出した、強そうな蒸留酒を飲んでいるようだ。
冬の系譜の人外者はお酒が強い事が多いそうなので、例に漏れずこちらもそうなのだろう。
何となく場をまとめるような切り出しでもあったので、ネアは、確かにそうだと頷き合う男達の会話が落ち着くのを待ち、おまんじゅうの返しとするお土産については、本人に聞いてしまう事にした。
「……………そう言えば、おまんじゅうのお代の代わりに、お酒やお菓子をお土産にお渡ししようと思ったのですが、ベージさんとワイアートさんは、縄の方がいいですか?」
そう切り出した途端、かしゃーんと音がして、食後の紅茶に移っていたエーダリアが、スプーンを取り落とす。
ふうっと息を吐いたヒルドがスプーンを拾い上げてやり、エーダリアは、我に返ったようにあわあわとお礼を言っていた。
「……………縄」
「縄、……………ですか」
ワイアートとベージもどこか呆然としているので、ネアは、少し不安になった。
もしかすると、竜が縄で遊ぶのは、他の種族には秘密なのかもしれない。
「い、いえ!きっと、お酒などの方がいいですよね……」
「僕は、縄でお願いします!」
「……………わーお。正面から行ったぞ……………」
「ついでに買ってきただけですので、このようなところでお気遣いいただくのも恐縮なのですが、……………であれば、私も同じもので」
「はい。では、お二人には縄も付けさせていただきますね」
「ネア、ミカも同じ物でいいと思うぞ」
「むむ。やはり、皆さん同じものがいいですよね。では、そうしますね」
さてミカはどうしようと思ったところであったので、ネアは、グレアムの助力に感謝し笑顔になった。
グレアムの方を見ると、苦笑して首を横に振ったので、犠牲の魔物には縄はつけなくてもいいようだ。
「……………うーん。なかなか凄い会話だな」
「縄でいいのだね………」
「ノアベルト。お前だろう………」
「ありゃ、僕が勧めたってばれてるのって、何でだろう……………」
「様々な嗜好がありますので、問題さえ起こさないようであれば、後はもう好き好きかと」
「ヒルド……………」
しかしここで、まだ年若い竜が、少しだけ気持ちが昂ってしまったようだ。
「……………その、縄だけ手渡しでも…」
「ワイアート、少し二人で話をしようか」
「ほわ、……………ワイアートさんが、グレアムさんに連れ去られました」
「ワイアートは、年齢に対して落ち着いた印象の青年だが、時々、まだ若いなと感じる事があるな」
「構って欲しかったのかもしれないな。叱られて落ち込んでいるだろうから、後で慰めておこう」
ワイアートは、さっと立ち上がったグレアムに隣室に連れていかれてしまったが、ミカとベージの会話からすると、ネアはどうやら、竜相手に縄じゃらしをせずに済んだということらしい。
ネアとしては、銀狐のボール投げでも肩が死んでしまうので、縄を差し上げるのは吝かではないが、遊ぶ分には仲間内で頑張って欲しいと思わずにはいられない。
「……………いいか。そちらの要求には、絶対に応じるなよ」
「むぅ。私としても、縄を差し上げるまでだと弁えていますよ。そしてウィリアムさんは、なぜ剣を取り出されたのでしょう?」
「ああ、もし落ち着かないようであれば、躾が必要かなと思ったんだが、グレアムがいれば大丈夫だろう」
「……………え、この専門的な会話、そろそろやめない?エーダリアが死んじゃいそうなんだけど………」
おずおずと申し出たノアに、ネアも頷く。
竜に憧れがあるエーダリアには、立派な竜達が、縄にじゃれて遊ぶ姿は想像し難いのだろう。
男性同士なので、凛々しいままの印象を持っていたいというような、竜達への理想もあるのかもしれない。
「窓の外が、少し明るくなってきましたね」
「うん。そろそろ、カーテンも開けて良さそうだよ」
「ふふ。お部屋が明るくなったところで、このどなたかが食べずにいた、トマトソースと出来立てチーズのおまんじゅうは、私のお腹の中に回収してもいいのでしょうか」
「おい……………。お前は何個食べたんだ」
「まぁ。このような会なのですから、誰かの領分を損なう事なく、けれども状況を窺いながら、あるだけを美味しく食べるのがマナーなのですよ?」
「そんな訳あるか」
「グレアムのものだろうな。諸事情で、グレアムは今、トマト風味の強いトマトソースは避けているから、ネアが食べてしまっても問題ないと思うぞ」
「むむ。グレアムさんの担当分であれば、こちらに戻るのを待って、お聞きしてみますね」
ややあって部屋に戻ってきたグレアムに、残りのおまんじゅうについて尋ねてみると、やはり、トマトの風味が強いおまんじゅうは、最近出会ったトマトの祟りものの事件のせいで躊躇ってしまうのだそうだ。
食べてくれると嬉しいと言われ、ネアは、材料のトマトの品質がいいので、ローリエの風味が微かにあるくらいのシンプルなトマトソースと、出来立てのむちむちとろりとチーズたっぷりのおまんじゅうを、はふはふとろりといただいてしまう。
デザートまんじゅうで終えてから、戻ってのおかずまんじゅうであったが、思いがけず後味さっぱりで素敵な気分のまま試食大会を終えた。
「来年こそは晴れて欲しいですが、もし雨天中止になったら、また、こうして皆さんとおまんじゅうを食べれたらいいですね」
「ああ。そのような時は、またリーエンベルクを訪ねてくれ」
「うんうん。こうして集まって貰ったお陰で、土地の魔術基盤への浸食もなく済みそうだし、時々こうやって集まるのもいいかもね。一緒に食事をするのも、祝福の輪の内だし」
ノアの言葉に、ディノもこくりと頷いたので、もしかするとまた、おまんじゅう祭りが雨天中止になる年には、こんな風にみんなで集まって、持ち寄ったおまんじゅうを食べられるかもしれない。
家族の輪とはまた違う賑やかさに微笑み、ネアは、部屋に戻ってからとても大人しいワイアートは、帰り際に頭を撫でてあげようと考えた。
なお、一般的な乙女の所蔵品に、縄数がそこまであるということもないので、ネアは、グレーティアから貰った可愛い色の縄を、ベージとワイアート、そしてミカにもあげる事にした。
元々、贈答用の縄として貰っているので、誰かにあげてしまう事に罪悪感もない。
勿論、シュタルトの湖水メゾンの葡萄酒とセットにしたので、縄だけを渡すような真似はしていない。
あくまでも、縄はおまけである。
ただし、縄を授与した際に背伸びをして頭を撫でてやったワイアートが、両手で顔を覆ってしくしく泣き出してしまったので、友人達の誰かが、時には、大人になっても親御さんに甘えてみてはどうだろうかと提案してあげるべきだと思う。
ネアは私生活までは立ち入らない主義だが、ワイアートが一人でちゃんとご飯を食べられているのかどうかなど、少し心配になってしまった。
「むぅ。きちんと、栄養の偏らないような食生活を送れているかどうか、心配ですねぇ」
「ネアが浮気した……………」
「おい、余分を増やすなと言っただろうが!」
「っていうか、もう、会ってネアの所有物の一つなんじゃないのかなぁ……」
「……………ヒルド、この床に竜鉱石の花が咲いた…………!!」
「採取をするのは構いませんが、観察と研究は、雨湖の報告が終わってからにするように。それと、明日はギルドとの会合がありますから、今夜は早めに寝て下さい」
相変わらず、窓の外は雨模様だ。
しとしと、ぱたんと雨音が響き、庭園の紫陽花もそろそろ見頃になっている。
ネアは、雨湖の影響がなくなったのであれば、夕方前に、南門の山猫の紫陽花を見に行こうかなと考え、美味しいおまんじゅうで満たされた胸を押えて幸せな溜め息を吐いたのだった。
本日で継続理由も700話となりました。
ここまでお付き合いいただき、有難うございます!
明日は、Twitterより、薬の魔物についてのご報告があります。
0時に情報公開時間のお知らせをしますので、ご確認いただけますと幸いです。
こちらの活動報告でも、明日中にご報告をさせていただく予定ですが、そちらの公開時間は未定となっております。
なお、6/8〜6/10までの更新はお休みとなります。
期間中のSSなどは、 Twitterをご確認下さい。