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227. おまんじゅう祭りがありません(本編)



ウィームはその日、本来ならおまんじゅう祭りが開催される予定であった。

うきうきしながら起き出したネアは、窓の外を見て呆然と目を見開く。


そして、慌てて駆け出してゆくと、おまんじゅう祭りのカタログを持って来て開き、最初の頁の右下に書かれている大事な注意書きを何度も読んだ。



「……………ぎゅわ。……………うてんちゅうし……………」



窓の外では、ざあざあと音を立てて、雨が降っている。

ネアが、雨の系譜の生き物達への深い殺意を抱いた瞬間だった。





「……………ふぇぐ」

「可哀想に。…………今から、雨を止ませてこようか」


その後、なんとか身支度をして会食堂に移ったネアは、傷付いた心を慰める素敵な朝食を食べると、そのままくしゃんとテーブルに突っ伏していた。


ディノだけではなく、エーダリア達までもがおろおろしているが、どうぞお気遣いなくと言う力も残っていない。



「…………えぐ。今から雨が止むと、雨天中止の準備をしている運営側の方々が死んでしまいますので、どれだけ辛くても我慢するより他にありません。わ、……………私は、かつてあの方々が死んでしまう姿を見たのですよ……………」

「木箱の魔物が崩壊した時かな……………」

「よりにもよって、一昨日からヨシュアさんの統括地で荒ぶっている白樫めは、いつか真ん中からへし折ります……………」

「ご主人様……………」

「私のおまんじゅうが…………!」



ウィームのおまんじゅう祭りは、残念ながら雨天決行のお祭りではない。

雨天中止なのだ。


食べ物の屋台が並ぶだけなのだから、雨天決行でもいいだろうと思ってしまうのだが、そう簡単にもいかないのがこちら側の世界の魔術の仕組みである。


雨であることを特性としない祝祭やお祭りの場合は、雨に紛れて良くないものが忍び寄って来たりもするので、儀式的な意味合いを持つ祝祭以外の催しは、雨天決行を好まれないらしい。


また、雨の系譜の資質には、洗浄や冷却があるので、会場や屋台に敷かれた魔術付与を壊してしまったり、雨の系譜の魔術特性と反する、温かなおまんじゅうの風味を落としてしまったりもする。


中止は仕方ない事なのだと理解はしていたし、だからこそ悲しみが募るのであった。



「…………実はな、前々から言おうと思っていたのだが、この時期に開催されるおまんじゅう祭りの雨天中止は、珍しくはないのだからな」

「ぎゃふ……………。悲しい知らせが増えました……………」

「エーダリア様?」

「ヒルド…………。だが、このような事は、早めに知っておいた方がいいではないか」

「わーお。追い討ちだぞ……」

「おのれ、なぜ雨が降り易いこの季節に、大事なおまんじゅう祭りを行うのだ……………」



そう呟くネアの声は怨嗟に満ちていたが、勿論、この時期に開催する理由はきちんとある。


この時期におまんじゅう祭りを行うのは、他の大きな祝祭がなく、季節の系譜や関係者の繁忙期を避けた、意味ある期日決定なのだ。


その唯一の欠点がお天気なのだが、そもそも、雨が多く客足が落ちるこの季節にこそ、楽しく買い物をして貰うような催しをという背景もあったと聞けば、なぜ損失を補う為に、その損失を齎すものと再び戦うのだろうと思わずにはいられない。


(楽しみにしていたのに………!)


会食堂のテーブルにぱたんと倒れ伏し、すっかりくしゃくしゃになっていたネアを延命させてくれたのは、もう一度控えめにかけられたエーダリアの声であった。



「その、カタログの最後の頁は見ただろうか?………雨天中止となった場合は、カタログの引換券を持って行けば、指定された引き換え店で商品と交換出来るのだからな」

「……………ひきかえ?」



その言葉にもそりと体を起こしたネアは、テーブルの上にぺいっと放り出していたカタログを引き寄せる。


よれよれになったまま頁を捲ると、会場でのおまんじゅうとの引き換え券がついている頁が現れた。

そこまでの道中で各店舗の一押しおまんじゅうの紹介ページを開いてしまい、危うく心がひび割れかけたが、何とかお目当ての頁に辿り着けた。



「……………当日の会場でひきかえ…………」

「その上の部分に注意書きがあるだろう」

「……………中止となった場合は、葉っぱ印の屋台の実店舗にて、お好みのおまんじゅう二個と交換いたします……………。……………ほわ」



朝に何度も読み直した雨天中止の項目のように、ネアは、その文章を夢中で五回は読んだ。


じわりと涙を滲ませた瞳を瞬き、おまんじゅうは二個までで、複数店舗で一個ずつでもいい事までを読み取ると、記載された二頁目のウィーム中央の地図のページを慌てて開き、葉っぱ印のお店を探した。



「……………マロンクリームと、……………グヤーシュまんじゅうもあります!!」

「グヤーシュ……………」

「ど、どちらにも行きましょう!二個交換出来るので、一個ずつ手に入れられるのですよ!」

「念の為に付け加えると、準備をしてしまった分だけは販売するという店も多い。お前であれば、ディノの転移を借りられるのだから、他の店舗も回ってみてもいいのではないか?」

「……………ほ、他のお店でも、……………売っているのです?」



またしても新事実が発覚し、ネアは椅子の上で小さく弾んだ。


祟りものが生まれずに済んだからか、エーダリアの表情は先程よりも明るい。


「ああ。引き換えをする店では、販売もしている筈だ。雨天中止の場合は、販売そのものを取りやめるという店もあるが、そうでなければ、昨日までに作っておいた分の販売はするからな」

「そ、そうでした!お店側も、在庫を無駄にはしない筈なのです!!」

「店舗では販売が難しいという店は、主に施設上の問題であったり、リノアールの企画商品だったりするようですよ。そちらについては、日をあらためての販売が行われることもありますので、今年は手に入らないという訳でもないようですね」

「他のおまんじゅうも、買えるかもしれないのです……………?」



思いがけない救済措置に、ネアは声が震えてしまった。


悲しみに握り締めていた指先は、昨晩までに散々眺めてきた会場の地図ではなく、素通りしてきたウィーム中央の実店舗案内の地図の頁を辿る。


すると、香辛料のソースとソーセージのおまんじゅうや、チーズとトマトソースの鶏肉煮込みのおまんじゅうなども買えることが分かり、加えて、今年の目玉商品はリノアールの企画商品だということも分かった。


それ等の情報も予め記載されていたのだが、当日の段取りに心を砕いていたネアは、さして注意を払っていなかったのだ。



「……………ぐる。リノアールのおまんじゅうの、雨天中止の場合のお知らせがありません」

「リノアールの企画商品は、後日販売の事が多かったように思う。とは言え、案内所で確認した方がいいとは思うが……………」

「商品解説の頁に、雨天中止の場合は当日の販売はありませんとだけ書いてありまふ……………」

「ありゃ。でもさ、そう書いてあるなら後日の販売はありそうじゃない?」



そう言ってくれたのは、ネアがあまりにも荒ぶっていたので、少しだけヒルドの影に避難していた義兄の魔物だ。


隣の席に座っている伴侶は、ネアの怨嗟の声を恐れてどこかに隠れてしまう事はなかったが、ご主人様の膝の上に三つ編みをそっと献上しておいたようだ。



「ごじつ…………。ふむ。こちらの情報収集は、後にしても良さそうです。本日はまず、引換券でお目当てのおまんじゅうを手に入れ、その後は、実店舗を巡り今日の為に用意した商品を買えばいいのですね…………」

「もうこの時間ですので、開店時間なども参照された方が宜しいでしょう。店によっては、開催する場合に比べ、用意の数が減る事もあるかもしれませんからね」

「……………そうなのですか?」

「ええ。商品によっては、仕込みや仕上げが今朝になるものもありますからね。であれば、中止に合わせて作成数を減らしていてもおかしくはありません」

「ああ。余分な在庫を抱える危険を冒さずに済む訳だからな」

「か、かいてんじかん…………!!」



ネアは、時計を見てびゃんとなった。

悲しみのあまりゆっくりと食事をしていたので、既に、菓子店などがそろそろ開きそうな時間になっている。




「残念ながら、中止となると今年の販売を見送る店も、少なくはないのだがな………」


エーダリアによると、会場で用意される調理器具などもあり、その準備が店舗では叶わないという事もあるのだそうだ。


店舗販売があるかどうかの差は主にその設備の有無が大きいらしく、エーダリアの記憶では、グヤーシュまんじゅうは、会場で用意される大型の森結晶のオーブンの準備がないので、買ってすぐに食べられるものの販売数は少なくなるそうだ。




「ディノ、急ぎ出掛けようと思いますが、出られそうですか?」

「うん。いつでも出掛けられるよ。まずは、どこに行こうか」

「むむ!最初の三店舗の位置を覚えてしまうので、少し待って下さい。街で敵と遭遇してもこちらの正体に気付かれないよう、カタログはしまっておきますね」

「ありゃ、奇襲戦の作戦実行時みたいになっているぞ……………」

「こちらが敵だと気付き、お店近くにいた人達が足を速めてしまった結果、あと一つというところで先を越され、お目当てのおまんじゅうを失うかもしれないのですよ?!」



かくして、雨天中止のおまんじゅう祭りにおける、店舗販売分のおまんじゅう入手の任務が始まった。


ネアは動きやすい装いに素早く着替え、勿論、足元は戦闘靴である。

それを知ったエーダリアは真っ青になってしまい、おまんじゅう争いで領民を滅ぼさないようにと約束させられてしまった。



ざあざあ、ぱたぱた。



相変わらず外では本降りの雨が降っていて、ネアは、雲の魔物の調整を逃れておまんじゅう祭りを中止にしてくれた雨天を呪った。


本来、雨の系譜と雲の系譜は違うのだが、雲の魔物であるヨシュアの方が高位である為に、雨天回避などの手助けをして貰えていたのだ。



「この雨模様は、嵐の精霊さんによる影響なのだそうです……………」

「うん。ただの雨というよりも、嵐が近付いている影響もあるのだろう。………普通の嵐よりも気温が低くなっているようだし、この季節の嵐は、それを喜ぶ植物の系譜もいるので、ヨシュアがいても調整は難しかったかもしれないそうだよ」

「……………まぁ。そうなのですか?」

「嵐の系譜には、破壊と再生の双方を司る者達がいる。長期的な目線で系譜の成長を考えた上で、そのどちらの効果も必要とする種類の植物も多いのだそうだ」



それは、選択の魔物が行う世界の剪定にも似ており、その瞬間は枝を断ち切る無情さであっても、先々の成長には必要な損失であることが多いらしい。

また、夏の系譜の植物や生き物達には、元々、荒々しい嵐や通り雨を好む者達も多いのだそうだ。


そんな話を聞きながら、ネアは、ひょいと持ち上げてくれたディノの腕の中で転移を踏んだ。


魔術の薄闇を渡る時、これ迄は気にならなかったその場所はどこなのだろうかと少しだけ考える。

これもまた、先日ウィリアムが話していた、境界のようなものなのだろうか。



(……………わ。思っていたよりも、肌寒いのだわ)



独特の温度のない風の中を渡ると、ふわっと水の香りに包まれる。

ざあざあと石畳の地面を打つ音に、独特の湿度と肌の表面を薄く冷やすような雨の日の暗さ。

この季節のウィームの雨は、蒸し暑いというよりは僅かに肌寒くなるのだが、今日は取り分け気温が低いようだ。



「まぁ。このようなところに、お店があったのですね。普段からおまんじゅうを販売している訳ではないので、こちらを訪れるのは初めてでした」

「おや。ペストリーの店なのだね」

「意外でしたが、あの美味しいマロンクリームを思えば、このようなお店であっても不思議ではないのかもしれません」



最初にネア達が訪れたのは、大聖堂裏の路地にある、小さなペストリーの専門店だ。


店内に入って買い物をするような店構えではなく、カウンターのショーケースを見て、ペストリーを注文するような小さなお店であった。


お店の規模的には、常時の店員は二名程度だろう。

あれだけのマロンクリームまんじゅうの販売を可能とする為には、それなりに時間をかけて準備をしてきた筈だ。


「既に、四人ほど並ばれていますね。ですが、ここから販売開始という感じですので、間に合ってほっとしました……………」

「あの奥に並べられているのが、販売するものかな。沢山準備があるようだね」

「ええ。きっと……………二十七箱?!」



このお店は、大聖堂近くの、比較的人通りが多い通りにある。


買い物客や観光客が足を運びやすい立地であるだけでなく、近くの施設で働く者達が昼食やおやつの買い物にも出掛けやすい位置だ。


店舗規模や、多く準備されるマロンクリームまんじゅうは、中止に伴って会場近くに住む人外者達へのお見舞いの品としても確保されることを踏まえ、一番最初に行った方がいいだろうと教えてくれたのは、ヒルドであった。


長らくウィームに暮らしているのはエーダリアの方なのだが、そんなヒルドの分析に目を丸くしていたので、雨天中止の場合のおまんじゅう争奪戦に参加したことはなさそうだ。


おまけに今、列の先頭に立っている立派な体格の男性は、二十七箱ものお買い上げ注文をしなかっただろうか。


明らかに個人用の買い物ではなく、誰かへの贈答品や配布を目的とした注文数である。

ネアは、わなわなしながらお店の奥に置かれた箱を凝視し、カウンターの上に置かれた五個入りのおまんじゅうの箱を、魔術金庫に次々としまっていく男性の立派な背中を暗い目で見つめた。



「……………ふぎゅ。先程まであった箱の山はなくなってしまいましたが、奥からまた持って来てくれたようなので、大丈夫かもしれません。……………十三箱……?」

「みな、沢山買うのだね………」

「お、おかしいです。まだ開店時間をほんの少し過ぎただけなのに、目の前で二百個以上も売れているのですよ?」



二番目のお客には、更にばら売りの注文まで重ねられてしまい、ネアは、不安のあまりに足踏みしてしまった。


だが、幸いにも続くお客の注文数はひと箱で、ネア達の前のお客は三箱と少なめである。

ネアも家族用と保存用を見込み三箱のつもりだったが、大量購入のお客にあてられ、四箱購入してしまった。



「……………か、買えました!」

「うん。良かったね。……………もう、予定販売数の半分以上が終わってしまったみたいだよ」

「開店時間より少し前に伺ったのに、まさかの、団体注文があるのでと開店時間を早めていたという罠が仕掛けられているとは…………」

「次は、グヤーシュかい?」

「はい!まずは、我々の定番のおまんじゅうを手に入れてしまいましょう!」

「ご主人様!」



定番の商品があるということが、ディノは嬉しかったようだ。

目元を染めてこくりと頷いたディノに転移を任せつつ、ネアは、すでに大聖堂の向こう側までの行列になったペストリーの店を怖々と振り返る。


ちらほらと見知った領民も並んでいるので、やはり、皆がこの実店舗での在庫販売を知っていたようだ。

気付かせてくれたエーダリアがいなければ、ネアは、後日その話を聞いて祟りものになっただろう。


古い街並みの石畳は整然と整えられてはいるが、それでも、馬車の轍などで僅かな窪みが出来る。

ここは歩道などはない細い道なので、雨水の溜まった部分を踏まないように注意しつつ、次なる目的地への転移に身を任せた。



次に訪れたのは、商店や飲食店の立ち並ぶ通りだ。

アーチ型の美しい屋根があり、こんな日でも傘を閉じることが出来る。


「……………ここです!こちらのお店では、以前にパイ包みのシチューをいただいた事がありますね」

「うん。おまんじゅうを作るのは、この季節だけなのだよね………」

「ええ。あの時は、お祭りの日以外のおまんじゅう販売がないと知りがっかりしましたが、せめて、雨天中止でも販売があるお店で良かったですね。……………ほわ」



しかし、ここでネアは恐ろしいことに気付いてしまった。


既にお店の前には十人ほどのお客が並んでいるのだが、最後尾につこうとしたお客が、店員から何かを言われて立ち去っているではないか。


嫌な予感に震えながら、そっと最後尾に近付いてみれば、悲し気な顔をした店員がこちらを見る。


この辺りは飲食店の立ち並ぶ通りなので、店前には外回廊のような屋根のある歩道が続いていた。

雨の心配はないがその代わりに少し薄暗く、夜に灯される壁灯に明かりが入っている。



「申し訳ありません。こちらのお客様迄で、予定数が終了となりまして……………」

「……………しゅうりょう」

「例年であれば、もう少し販売時間があるのですが、今日はこの雨と冷え込みですので、客足が早く、また、雨除けのある当店にお客が集中してしまったようですね」

「……………ふぁい」


案の定、待っていたのは無情な宣告であった。

項垂れる事も出来ずに呆然と立ち竦むネアに、こちらもしょんぼりとしたディノが、三つ編みを差し出してくれる。



「なくなってしまったのだね……………」

「天候と買い物のしやすさを、考慮し損ねていました。そして、駅近くでカフェにもなっているお店ですので、朝食営業があったと考えると、開店時間はかなり早かったのかもしれませんね…………」



ヒルドも、雨の日のお客達のお買い物嗜好までは読みきれなかったようだ。

とは言え、この段階での売り切れとなると、マロンクリームのお店に寄らずとも、売り切れになっていた可能性が高い。



(グヤーシュまんじゅう……………)


ネアは、思ったよりも厳しい争奪戦に慄き、一刻も早く三店舗目に移動しなければならないと知りながらも、ほんの少しだけその場に立ち尽くしていた。


ふかふかの生地を割ってあつあつのグヤーシュが楽しめる小さなおまんじゅうは、定番商品でありながらも、毎年美味しい驚きと喜びを齎してくれていたのだ。


もう二度と食べられない訳ではないのだが、次の機会は来年となる。

ネアは、嵐の精霊を見付けたら、とりあえず一人は滅ぼそうと心に決めた。



「くすん……………」

「次の店に向かうかい?」

「ええ。そうしましょう。また売り切れてしまうと……………むむ?」


その時、丁度お店から出てきた男性が、こちらに気付き片手を持ち上げた。

見慣れた容貌に目を瞠り、ネアはディノと顔を見合わせてしまう。


「まぁ。グレアムさんです……………」

「グレアムは、買えたようだね」

「……………ぐる」


時に羨望が人を殺す事をしっている人間は、己の醜い欲望が顔に出ないように何とか表情を整えたが、こちらにやって来たグレアムが携えていたのは、お店の買い物袋だけではなかった。

そしてそれは、思わぬ朗報として、ネア達に齎されたのである。



「シルハーン、ネア。後で会いに行こうと思っていましたが、ここで会えて幸いでした。……………その様子ですと、この店の商品は買えていませんね?」

「うん。こちらに来た時にはもう、売り切れになってしまっていたよ」

「俺の前あたりから、一人五箱までという制限がついたので、少し嫌な予感がしていたんです。上限いっぱい買っておきましたから、何箱か差し上げますよ」

「……………ぎゅ」

「……………いいのかい?」

「ええ。そのつもりで買いましたので」


そうにっこりと微笑んだグレアムが、この時ほど眩しく見えた事はなかっただろう。


ネアは、目をきらきらさせて犠牲の魔物を見上げ、ふと、グヤーシュがディノの大好物だとグレアムは知っているのだと気付いた。


(もしかしたら、そんなディノがこのお店のおまんじゅうを買えなかったらと考えて、心配してくれたのかもしれない…………)



ネアは勿論、代金を支払おうとしたのだが、グレアムは受け取らなかった。

おまけに、グレアムが購入したのは五個入りだったのでひと箱でいいと言ったのだが、結局、家族の数に足りないだろうと言われて二箱も貰ってしまった。



「……………そう言えば、香辛料のソースとソーセージの店にワイアートとベージがいますが、そちらにも行かれる予定ですか?」

「うん。次はそちらの店に行く予定かな」

「おや。では、彼等がまだ買い終えていなければ、一緒に頼んでしまっては?」

「頼んでしまえるのかい?」

「……………まぁ。いいのですか?」

「ああ。この通り、今年は雨脚が強めなので、温かいおまんじゅうは、早く売れる傾向にあるみたいだからな。今から駆け付けるよりも、先に並んでいる仲間に任せた方が安全だろう」


グレアムは素早く連絡を取ってくれ、まだ買い物を終えていなかったベージ達に、ネア達の分の買い物も頼んでくれる。

そちらのお店は三個入りの箱のみのようなので、ネアは、可能であれば三箱、難しければ二箱とお願いをさせて貰った。


(グレアムさんもそうだったように、ベージさんも代金は受け取ってくれない気がするから、何かお返しを考えておかないと…………)


それを見越して注文数を減らすことも考えたが、通信の向こうでベージが五箱くらいかなと尋ねてくれたので、三箱とお願いしやすくなってしまった。

恐らくは、そんな尋ね方も、ベージなりの配慮なのだろう。

ネアは、ますます氷竜の騎士団長が大好きになってしまう。


冬の系譜の竜達が動けているのがこの冷たい雨のお陰だと思えば、雨天中止への怨嗟もあるので複雑な思いになる。



「他にも、買いに行く予定のものはあるのか?」

「はい。シナモンの風味のある煮林檎とクリームチーズのものと、鶏肉とトマトソースにチーズを入れたおまんじゅうのお店にも行こうかなと思っています。確かそちらの店舗は、街の中心部から外れたところにありますので、まだ売り切れていないと思うのですが……………」

「鶏肉とトマトソースの店は、ミカ達がいる筈だ。…………少し待っていてくれ」

「ほわ……………」



ネアは、素早く次の連絡に入ってしまったグレアムをぽかんと見上げ、そろりとディノを振り返る。

こちらを見たディノは良かったねと微笑むばかりだが、何やら、物凄い幸運に恵まれてはいないだろうか。


ややあって、鶏肉とトマトソースのおまんじゅうも四個買えることがわかり、ネアは、すっかり恐縮しながらも、喜びを噛み締めてグレアムにお礼を言った。



「すまないな。そちらの店は、箱売りなどはしていないようだ」

「いえ、買えただけでも、とっても嬉しいのですよ。蒸かしたてですので、持ち帰ってすぐにいただけるのも、幸せしかありません」

「ああ。……………シルハーン、品物は後で俺がリーエンベルクに届けましょう。次の店に行かれては?」

「いいのかい?」

「ええ。……………実は、ベージが、この雨の冷たさを少し気にしているんです。既に、街の騎士達やその他の者達からリーエンベルクには一報が入ったかもしれませんが、このような雨の日には、雨の向こうから厄介な客人が現れる事がありますからね」

「……………では、先に買い物を済ませてしまおう。有難う、グレアム」



ネアは、最初にグレアムが後で届けると言った時に慌ててここで受け取ると言葉を重ねようとしたのだが、ちらりとこちらを見たグレアムの眼差しに、言葉を収めていた。


続くディノとの会話に目を瞬き、確かに随分と肌寒い日だなと、もう一度周囲に視線を向ける。



(……………雨の向こう側から、………厄介なお客様が………?)



そう聞けば、最近、漂流物の話をしていたばかりなのでぞくりとしたが、グレアムと話し終えてネアを抱えたディノの肩に掴まり、慌ててグレアムに、ベージ達へのお礼の伝言を預ける。


夢見るような灰色の瞳を細めて微笑んだ魔物は、代わりの買い物が出来ただけでも皆は喜ぶだろうと言ってくれた。



「ディノ、……………こんな雨の日には、何かが現れるのですか?」

「そのようだね。私は知らないものだけれど、グレアムやベージなどの、ウィームに長く暮らしている者達には心当たりがあるようだ。非ざるものに近しいと話していたので、街にも警報が出るかもしれない」

「もしかすると、お店の開店時間が早まっていたり、大量買いする方々が多かったのは、その気配を察した領民の方々が、急ぎ、買い物を済ませようとしているのかもしれませんね……………」

「うん。そうかもしれないね」



ネア達が次に訪れたのは、街道添いにあるジャムの専門店であった。


このお店のジャム作りの技術を生かして作られる煮林檎のおまんじゅうは、毎年出店する訳ではないので、会場で絶対に買おうと思っていたものだ。


幸いにもこちらはまだ売り切れておらず、ネアは、少し考えて多めに購入しておいた。


もし、グレアム達がこのお店の買い物が出来ていなければ、交換という形で配ってもいいと思ったし、重なってしまうようであれば、リーエンベルクには、騎士棟という素晴らしい配布先もあるからだ。



「たくさん買っていただけて、助かります。雨湖が現れると商売にならないので、店を閉めなければいけませんでしたから」

「うこ……………というものが、現れるかもしれないのですか?」



ネアがそう聞けば、大量買いをしたからには雨湖を警戒しているのだろうと考えていたらしい妖精の店主は、目を丸くした。


やはり、非ざるものに近い厄介なものなのだと言うが、詳細などは、禁忌に触れるので話してはいけないらしい。

とは言え、珍しい怪異ではなく、何年かに一度は現れるのだそうだ。



「ウィームのものではなく、元々は、ガーウィンで観測されていたものなのですね………」

「あちらの派生となると、信仰の庭のものかもしれないね。グレアムが警戒していたのは、それでなのだろう。一つの国に統一された事で、こちらに道が繋がってしまったようだ」

「むぅ。そのような事もあるのですか?」

「国境は、強固な境界として機能する古い魔術でもある。それが取り払われた事で、自由に行き来するようになったものたちも多いだろう」



そう教えてくれたディノにこくりと頷き、ネア達は、早く帰るように連絡するところだったというエーダリア達に安堵の表情で迎え入れられつつ、リーエンベルクに戻った。


これからウィーム中央には警報が出されるようで、そうなるとやはり、対策の取れない店は閉めるしかないのだそうだ。


会食堂のテーブルに付くなり、我慢出来ずに、マロンクリームのおまんじゅうをあむりと齧ってしまったネアは、ほこほこした生地にとろりと蕩ける美味しいクリームの甘さに、伴侶の魔物のお陰で少しも濡れなかった爪先をぱたぱたさせたのだった。








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