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225. 思わぬ怨嗟の火がありました(本編)





ゴーンゴーンゴーンと、鐘の音が鳴り響いた。

三つの鐘の音は、先程の火の手が上がったという警鐘ではなく、慰霊祭の終了を告げる鐘の音だ。 


ディノの話で既に儀式が終わっている事は知っていたが、この鐘の音が鳴らされたという事は、領民に向けての慰霊祭終了の合図でもある。

もしかすると、ヴェルリア側での議論も含めた対策がまとまったのではないかと考え、ネアは顔を上げた。



「……………ネア、これからエーダリア達が戻ってくるそうだよ。ドリーは空の上のものの対策に当たる。第一王子は、ダリル達と共に現場の指揮を執るそうだ」

「ウィームで、ヴェンツェル様が、表立って指揮を執るという事なのですか?」

「さすがに街中には出られないだろう。魔術的な場を整えた儀式会場をそのまま使うようだ。ドリーが側を離れる間は、オフェトリウスが警護をする。必要であれば、グラストとゼノーシュを伴って街に出る事もあるかもしれないそうだ。……………やはり、火の手を鎮めるのには有効な人間だからね」

「……………それはつまり、王都の方で、ヴェンツェル様の参加を容認せざるを得ないくらいの状態でもあるのですね」



これ迄の火の慰霊祭で、ヴェンツェルがウィーム中央の視察などを行っていたのは、怨嗟の起こる場所を巡り慰霊にあたるという名目ではあったが、第一王子の独断によるものだった。


王都では、ウィーム領民との関係維持に加え、統一戦争で命を落とした者達が残す怨嗟を宥めるのが王族としての役割でもあるという説明だったようだが、今回は、いつもの慰霊祭にはいない国王派も同席しての決定である。


第一王子の助力が国の決定であると見做せるものであるだけに、国王派が、ウィームに肩入れし過ぎだという批判を受けることも覚悟の上で、腰を据えて解決に当たろうとしている姿勢が窺えた。


そのあたりの政治的な判断までは読み解けてしまうので、ネアは、そわそわしながら足踏みしたい気持ちを何とか呑み込む。


ディノの膝の上に設置された先程からずっとそこに居座っているのだが、伴侶な魔物の腕の中にすっぽり収まっていなければ、不安のあまり部屋の中を歩き回ってしまったかもしれない。



「……………怖いかい?」

「むぅ。ディノには、すぐに気付かれてしまうのですね」

「ギモーブかな…………」

「吝かではありませんが、こうしてぎゅっとしていて貰えるだけでも、安心します」

「ずるい……………」

「ですが、私は不安があると動き回りたくなる人間なので、どうしてもそわそわしてしまいますね。…………アルテアさんとグラフィーツさんは大丈夫でしょうか」

「…………あの二人でいれば、大きな問題はないだろう。ただ、こちらにも波及した火の起こりが、グラフィーツを少し怒らせたようだね」



(え……………)



ディノの声は静かであったが、ネアは、あの砂糖の魔物を怒らせる事態とは、一体どんなものなのだろうかと考えてしまう。


リーエンベルクの見回りは、あくまでも助力を要請してのものである。

そこに、グラフィーツの心を波立たせるような事があるだろうかと首を傾げた時にふと、ネアは、グラフィーツの亡くした歌乞いが、ウィームに関わりのある人間だったのではないかと考えていた事を思い出した。



(だとすればそれは、私にとっての、山猫の使い魔さんの紫陽花のようなものなのだろうか)



直接の関わりがなくても、心を寄せるものはある。

また、思い出の場所や風景というのは、共に過ごした人がいなくなってからの方が、失い得ないものになるのだ。



そう考えていた時の事だった。


突如として、がおんという物凄い衝撃音が響き、ネアは、ディノの膝の上で飛び上がってしまう。

一般の住宅であれば、天井からぱらぱらと埃でも落ちてきそうな轟音に呆然としてしまった。



「ディノ……………。わ、」



慌てて何があったのかを調べて貰おうとしたのだが、ディノは膝の上のネアを持ち上げ、そのまま会食堂を出て行くではないか。

この魔物が無言でいる事は珍しいので、ネアは息が止まりそうになった。



こつこつと、天井の高い廊下に靴音が響く。


元は一国の王宮であったリーエンベルクは、居住棟以外の廊下の造りはとても広い。

かつてはここを、沢山の王族や文官達、リーエンベルクで暮らしていた竜達などが歩いていたのかと思えば、統一戦争時の悪夢しか知らないネアは、あの日の炎の色を思い浮かべてしまうのだった。



「先程の音は、……………悪意だ。対象を得て研ぎ澄まされたものではなく、大衆の悪意に近いものなのかもしれないけれど、ここは私の領域でもあるからね」

「……………誰かや何かが、リーエンベルクに影響を及ぼしたのですか?」

「今回は火竜だろう。……………失われた筈のものが戻ると、関わりのあった者の感情が再び揺り動かされる事がある。そして火竜は、戦いなどに向いた気質故に、そのような傾向が強い生き物なんだ」



その説明に、ネアは、そんな竜は全て、すぐさまにきりんを使って滅ぼすべきだと思った。


けれども、水紺色の瞳にひやりとするような、けれども魅入られてしまいそうな光を孕むディノの横顔を見上げると、もう自分の仕事ではないのだと気付いたのだ。



「……………ディノ、悪い奴はぺしゃんこにして欲しいです」

「そうだね。……………階位の低い竜ではないけれど、今の代の火竜達は、王の号令の下で比較的落ち着いて組織されている。そうなると、あの竜はもういらないだろう。……………ネア、君を外には出したくないのだけれど、少しだけ我慢していてくれるかい?今日のような日は、離れない方がいいだろう」

「はい。ディノにしっかりと掴まっていますね」

「うん」



転移の可能な区画は淡い転移を踏み、ディノが向かったのは正門前であった。



建物の外に出ると、ぐっと気温が低くなる。

そこには、一人の背の高い騎士が背中を向けて立っていて、ぴりぴりとするような空気の重さに、ネアは小さく息を呑んだ。



(……………ゼベルさんだ。…………物凄く、怒っている)



外は、ぞっとする程に暗かった。


闇が落ち込んでくる気象性の悪夢の暗さとは違うのだが、色硝子を重ねたような暗さこそ、悪夢の中の風景のような不穏さがある。

おまけに、紫陽花が蕾を付ける季節であるのに、吐息が白くなるような寒さではないか。

足元の石畳の表面が霜でぴしぴしと白くなってゆき、こうっと灰混じりの風が吹き抜けた。



リーエンベルクの敷地内の石畳の上は綺麗になっているが、門の向こうのリーエンベルク前広場にはうっすらと灰が積もっている。


そしてそこには、一人の赤い髪の老人が立っていた。



(……………あれ、どうして私は、あの人の事を老人だと思ったのだろう)



目を凝らせば、そこに立っているのは一人の壮年の男性であった。


目元の表情などには僅かな年齢の影があるが、出会った頃のグラストくらいと言ってもいいくらいの年恰好で、老人だと感じるような身体的な特徴はない。


ゆったりとした少し異国風の装束で、この位置からではよく見えないが、赤混じりの橙のような鮮やかな色の瞳は、門の内側に立ったゼベルを睨みつけているようであった。



「狡猾な策を巡らせ、あの方を隠したウィームの人間どもめ。あの方がお戻りになられた以上は、残った王族の血など、今度こそ徹底的に排除してくれる」



風に乗って届いた声は、まさしく怨嗟であった。



ああ、こうして過去の怨嗟としての火の手が上がるのだと、ネアは息苦しさと共にその声を聞く。

男はゼベルだけを見ているようなので、こちらの姿はまだ見えていないのだろうか。

そして、体格などから明らかに竜だと知れる門の向こうのお客を、ゼベルは一人で迎え撃つつもりだったのだろうか。



何となくではあったが、門の向こうの男があの方と呼ぶのが、海の底に沈められていたと判明したばかりの火竜の王子なのだろう。


これ迄はその顛末が定かではなかった者の亡骸が、海の底から戻ったことで、統一戦争時の憎しみが蘇ったのかもしれない。



「であれば、君は私が排除しよう。私の領域に触れたのだからね」



ディノがそう言った直後、ぱりんと何かが割れるような音が聞こえた。

はっとしたネアが周囲を見回すと、そこにはもう霜の色はない。

呼吸も楽になっていて、先程までの異様な暗さは、僅かながらではあるがいつもの慰霊祭の日らしい暗さに戻っていた。



ゼベルは振り返りはしなかったが、それでも、張り詰めたような背中が少し安堵に揺れただろうか。

視線をこちらに向けないのは、ゼベルがリーエンベルクの守りを任された騎士としての役目を、ほんの僅かであっても緩めるつもりがないからだろう。




「……………白持ち…………、いや、……………何だ、その白は」


そして、漸くこちらに気付いたのか、対する門の外側の男は、割れんばかりに目を見開いていた。


ひび割れたような声には驚愕が混じり、先程までの暗い怨嗟の声から一転して、酷く頼りない。

こちらを見た恐怖の表情があまりにも鮮やかで、けれどもネアは、こんな表情を大事な魔物に向けたというだけでも許し難いという、理不尽な怒りを覚える。



「……………っ、あ、」


ざあっと灰になった指先に、男が悲鳴を上げる。

その声はやはり、先程の怨嗟が嘘かと思う程に頼りないものであった。



動揺と恐怖にひたひたと満たされた声が、それでもネアは腹立たしかった。

自分の冷酷さを知ってはいるが、それでも、恐怖に狼狽えながら指先から壊れてゆく火竜を見ていても、少しも哀れだとは思わない。



だが、自分がもう助からないと悟ったのだろう。

体の崩壊を止められないと分かると、ぎりっと歯噛みするような表情になった男が、吠えるように声を上げた。



「っ、さ、先にあの方を殺したのは、お前達ではないか!!!卑劣で悍ましい………ウィームの……っ、………」

「私には関わりのない事だよ。君の理由も、君の正しさも。ただ、私のものに害を成したことが不愉快だというだけだ。だから君はもう、いらないだろう」



ざざんと、体が崩れる音がする。


ディノの声は、一貫して静かなものだった。

その言葉を、もはや為す術もなく聞きながら、門の向こうで一人の竜がぼろぼろと灰になってゆく。


ディノは途中でこちらを見て、ネアの目を手で隠してくれようとしたので、ネアは、その必要もないのだと大事な魔物を見上げてにっこり微笑んでおいた。


最後まで見届けるという気概を示してディノを心配させる必要もないし、最後まで見届けていても、ネアの心は少しも揺らがない。

ただ、それだけをディノが知っていてくれればいいのだ。



「……………ディノ、困った方をくしゃりとやってくれて、有難うございます」


けれども、こうしてお礼だけは言うべきだった。


戦争というものが起き、その憎しみを引き摺ってあの火竜がこの地を訪れたのは、やはり人間の営みの影響でもあるのだから、人間の領域にこの魔物を押し込めている人間として、きちんと労っておかねばならない。



「残しておくべきだったのかもしれないけれど、不愉快だったんだ」

「ええ。けれども、ここにはディノがいることくらい、上の方々もご存知なのですから、きっとこれでいいのでしょう。今回の事は、あの方を公な裁きの場に引き摺り出しても何も解決しないような気がしますから」

「……………うん」



ふうっと息を吐く音に顔を上げると、ゼベルがへなへなと肩を丸めている。

あの不愉快なお客がいる間は一度も隙を見せなかったが、やはり相当に緊張したらしい。



「ゼベルさん、大丈夫でしたか?」

「……………ええ。ネア様、ディノ様、……………来ていただけて、助かりました。リーエンベルクの守りもあるので、僕一人でも抑える事は出来たでしょうが、悪変や狂乱があると、取り返しのつかない障りを残しかねません。これから何年もの間、正門前でも鎮魂の儀式を行うのは、さすがに嫌ですからね………」

「怨嗟が残らないよう、練り直しながら壊してあるよ。障りの心配もいらないだろう。……………アルテア達を見なかったかい?」

「西門の側で、投げ落とされた怨嗟の対処をされている筈です。……………先程、雲の上が赤く染まり、火竜の角と思われるものが落ちてきました。そこから立ち昇った怨嗟が、少し厄介なものだったようです」



ゼベルの説明に頷き、ディノは少しだけ眉を顰めた。


あまりいい反応ではないのでネアはひやりとしたが、ややあって、大丈夫そうだねと呟いてくれたので胸を撫で下ろしてしまう。



「…………空の上にも、竜さんがいるのですか?それとも、先程話していた、海の底から巻き上げられた怨嗟なのでしょうか?」

「怨嗟が凝ったものだ。こちらで、怨嗟の火が上がっている事に気付くのが遅れたせいで、実体を持つ、凝りの竜になってしまったのだろう。今は、ヨシュアが覆いをかけ、下には被害が出ないようにしているけれど、最初はその対応が間に合わなかったのではないかな」

「という事は、……………空の上に」



怖々と空を見上げると、雲の中で走る雷のように、時折ざあっと雲の奥が赤く輝くのが見えた。

ああ、その向こうに凝りの竜がいるのだなと思えば、そこで戦っているのは誰なのだろう。


魔物達は翼を持たないので、ドリーだけで対処をしているのであれば、捕縛や調伏の手は足りているのだろうか。



「空の上の凝りに対しては、今はドリーを始めとした、ヴェルリア側の者達が対応に当たっているようだ。今回の事態に対する懸念があった以上、どこかに、その理由と責任があるのだろう。他にも火竜が来ているようだから、時間はかかっても解決は出来るだろうけれど……………あまりウィームに影響が出るようであれば、どちらの区分ということは考えずに排除するべきかもしれないね」

「ノア達や、その他の方達が対処に当たられていないのは、影響が出ている別の場所を見ているからなのでしょうか?」

「うん。空の上の怨嗟の影響で、火の起こりが多い。茨の魔術師は、主に人間が残したものを選別して、広域の鎮魂と封じを行っているようだよ」

「…………エーダリア様達が、早くお戻りになるといいのですが……………」

「うん。そろそろ……………おや、」

「むむ?」



ここでなぜか、ディノが小さく目を瞠った。


空を見上げたのでネアも倣えば、ゼベルもはっとしたように顔を上げたようだ。


その直後、ざあっと空が光った。


けれどもそれは日の色ではなく、満月の光のような淡い金色の輝きである。

その光を見た途端、不思議なくらいに清廉さに打たれるような思いになって、ネアは目を瞬いた。



「バーレンが来たようだ。どこかで話を聞いたのか、気付いて見過ごせなかったのか。………光竜の魔術は、一時的にとはいえ、竜の狂乱や残虐性を鎮める力がある。既に個を失ったものではあるけれど、先程迄よりはずっと、あの怨嗟を鎮めるのは楽になる筈だよ」

「バーレンさんが!」



ネアは、思いがけない参加者の頼もしさに、ディノの腕の中で弾んでしまったが、エーダリアが僅かにではあれその血を同じくすることを、バーレンは知ったばかりなのだ。


まだ、エーダリアが街の方にいる事を思えば、その助力は必然のものだったのかもしれない。



(という事は、ダナエさんも一緒なのだろうか…………)



そして、これだけの時間が経ってもまだ姿を見せない、アルテアとグラフィーツは、西門に落ちた怨嗟の対応にそれだけ苦慮しているのだろうか。


心配になってそちらの方に視線を向けてしまうのだが、外周の木々や庭園の木々が目隠しになってしまっていて、何も見えなかった。



「凄いなぁ。エアリエル達が大喜びだ。……………光竜の魔術は、少し冷たいですけれど、素晴らしく綺麗なものですね」

「浄化に近い影響もあるから、エアリエルは好むだろうね」

「これなら、もうひと頑張りしてくれそうです。西門の方へ行かれるのであれば、誰か同行させましょうか?」

「いや、こちらには来るなと言われているので、この子を連れて中に入っているよ。エーダリア達は、もうすぐ並木道に入るようだ」

「おっと。………では、僕は、急ぎ迎えの準備をしますね」

「うん。そうするといい」



ネアは、ディノとゼベルのやり取りにふむふむと頷きつつ、乗り物になったままの魔物が屋内に向かうと、少しばかり後ろ髪を引かれるような思いで、もう一度だけ木立の向こうに視線を投げた。


気付いたディノが、そっと頭を撫でてくれる。



「………皆さん、お怪我などは、されていません?」

「剥離した部分の怨嗟が強かったのだろう。思わぬ落下だったせいで少し対応に手間取った感じはあったけれど、大きな問題は出ていないよ。ただ、アルテアとグラフィーツは、多少の損傷はあったようだ。アメリアは避難させたみたいだね」

「……………ふぇぐ」

「怨嗟というものは、やはり因果の魔術も巻き込む事が多いんだ。なので、慰霊祭を行っても全ての火を鎮める事は出来ないし、前年の弔いがどれだけ大掛かりでも、翌年にはまた、火の慰霊祭が必要になるだろう?」



ネアがくしゃんと項垂れてしまったので、ディノがそう説明してくれる。

今日という日には、やはり優位性が高いものなのだと知り、ネアは悔しさを噛み締めながら頷いた。



「……………これは、とんでもない我が儘さだと言われてしまうので、ディノにしか言わない秘密なのですが、………私は、私の大事なものを脅かすものなんて、みんな大嫌いなのですよ」

「私も、………火の慰霊祭の日は、あまり好きではないかな。………さぁ、中に入っていようか。君が屋外にいると、ノアベルトが不安がるからね」



ディノが珍しく嫌いだと言えたので、ネアは、そんな魔物の頭を丁寧に撫でてやった。

少しだけ目元を染めて撫でられるがままになっている魔物の乗り物で屋内に入ると、ネアの持っている魔術通信端末に、エーダリアから、間もなく戻れるという連絡が入る。



また一つ安堵の息を吐き、ネアは、ディノに会食堂に向かって貰うと、昼食の準備に忙しい給仕達の手を煩わせないようにしながら、帰って来る家族の為に飲み物の準備をした。


いつもなら冷たい飲み物だが、ディノから馬車の中は寒いようだと聞き、温かな紅茶を淹れる。



「……………くそ、思っていたよりも手こずった」

「アルテアさんです!……………け、怪我などは……?」



そこに、アルテア達が戻ってきた。

後ろにグラフィーツも立っていたので、ネアは、びゃんとなって慌ててカップを増やして貰う。


アルテアのような魔物が問答無用でこちらに連れて来るとは思えないので、恐らく、エーダリアかヒルドには、ノアを通して確認済なのだろう。



「ミルクティーにしてくれ」

「な、なぬ!では、先生用に牛乳を用意しますね……………!」

「おい、出されたもので我慢しろ。お前は、報告だけだろうが」

「グラフィーツも来てしまったのかい…………?」

「ノアベルトに確認する事が幾つかあるらしい。ったく…………。おい、まさかとは思うが、わざわざ沸かすつもりか?」

「むぐ。私は、ミルクティーとなると、途端に譲れない美味しさを主張したい人間なのですよ!」



アルテアは呆れていたが、ネアは、庭に続く硝子戸の鍵穴を借りて厨房を開き、牛乳用の小鍋でささっと牛乳を温めた。


あつあつのお湯は会食堂にあるポットで手に入るので、先に準備した果実と霧雨の雫の紅茶ではなく、ミルクティー向けの茶葉を使って淹れることにする。

その様子を見ていたアルテアがなぜか、盛大に顔を顰めた。


「……………俺もそっちにしろ」

「なぬ。用意したもので我慢する系の魔物さんなのでは…………?」

「俺は砂糖はなしだ」

「ふぁい!」



なので、やっと安全なリーエンベルクに戻ったエーダリア達が見たのは、大忙しでミルクティーの準備をするネアと、飲み物もご主人様の手作りの認識に入ってしまうディノが、少しだけ荒ぶって自分の分も所望している様子であった。


ネアは、早々に煮出す方式の紅茶は諦め、ポットで淹れた紅茶と温めた牛乳の合わせ技で完成とさせたのだが、こうもみんなにじっと見られてしまうと、もっと本格的なミルクティーだって淹れられるのだと弁明したくなってしまう。


ウィームも紅茶文化が豊かなので、ネアの祖国程ではないにせよ、紅茶の淹れ方に関しては様々な議論や嗜好がある土地なのだ。



「……………はぁ。……………やっと家に帰って来たなぁ。僕もミルクティーがいい」

「ぐぬぬ。今後、ミルクティーを申請する方は、必然的に二杯となりますからね?」

「うん。こっちの紅茶を飲んで待ってるよ。…………ありゃ、これも美味しいや」

「ある程度覚悟はしておりましたが、……………今年は随分と火の気が強いですね……………。ネア様、紅茶を有難うございます」

「用意してくれていたのだな。有難くいただかせて貰う。………ああ。事前に守り手を増やしておかなければ、どうなっていたことか。………ネイアが、火の手が上がる前に気付いてくれるのが心強いと、街の騎士達から感謝された。彼への依頼を提案してくれた者達には、礼をいっておかねばならないな」



そんな話声を聞きながら、ネアはミルクティーの準備を終え、まずは先に戻っていたアルテアとグラフィーツにふるまう。


グラフィーツは食べる用とは違うのか、砂糖壺からきっちり小匙二杯の砂糖を入れて一口飲むと、ふうっと息を吐いて椅子に深々と背中を預けていた。


ディノとノアにもミルクティーの準備を済ませたネアは、ここでもう一度使い魔の横に戻ってくると、側面からこめかみのあたりをじっと凝視する。

気付いたアルテアが遠い目をしたが、明らかにこの部分だけ髪型が違うではないか。



「……………髪の毛が、なくなってしまったのです?」

「……………いいか、おかしな言い方はやめろ!怨嗟の障りに触れた部分を、自分で排除したまでだ。後で補填するまでは多少歪だが、さしたる支障はない。放っておけ」

「角め……………」

「こっちは、質量が大きかったんだよね。………街の方はさ、数が多かったんだ。あの水竜の働きぶりを見てたけど、彼をウィームに引き入れられたのは、結構大きかったね」


そう話したノアに、アルテアが頷く。


「海の系譜だと、後々に魔術の調整が必要になる部分もあるからな」

「そうそう。ヨシュアの雨でも火は消せるけどさ、やっぱり、浄化という意味では水竜の水は強いね。後は、リドワーンがいたことも助かっていたみたいだよ。空の上での作業に加わってくれたってさ」

「まぁ。リドワーンさんが……………」

「でも一番は、バーレンかな。たまたま近くに来ていたらしいよ。光竜は、この手の障りの気配に敏感だからさ、そのお陰で気付いたみたいだ」

「……………ああ。初めて、光竜の魔術調整を見た。王都からの客人達に悟られてもいけないので、僅かな滞在時間だったが…」



そんな会話の途中で、エーダリアは、同じテーブルに着いたグラフィーツのことを思い出したようだ。

分かりやすく、そう言えばという表情になって押し黙ったエーダリアに、ヒルドが溜め息を吐いている。



「面倒にしかならん光竜の存在なんぞ、あいつ等に話せるか」

「では、その誓約は取っておこう。……………それと、ノアベルト、街の右側の調整は閉じてもいいよ」

「ありゃ。シルはすぐに気付くんだもんなぁ。…………うん。川沿いの怨嗟は和らいだみたいだね。少し休憩しておこうかな」



魔物同士では、魔術調整の様子が分かるのだろう。

いつものような朗らかさではないが、ノアが小さく笑って頷くと、隣に座っていたエーダリアが目を瞬いている。


ヒルドは、街に残ったグラスト達との連絡を取りながら紅茶を飲んでおり、まだ皆が落ち着かない様子だ。



(……………でも、みんなが無事に戻ってきたのだわ)



テーブルを見回し、そんな事が何だかとても嬉しくなったネアは、唇の端を少しだけ持ち上げると、予め用意しておいた方の紅茶のカップに口をつけた。


温かな紅茶と豊かな香りに、ほろりと心が解けるような安堵がある。



「さてと、報告会かな」

「こちらでは、火竜を一人壊している。件の怨嗟の原因となった者の、従者だったようだよ」

「ああ、前王派の竜だね。契約者が死んだから、もう人間とは繋がりがない筈なんだけど、古参だから扱い難いって聞いた事があるかな」

「ご報告いただいた竜については、確認が取れております。宰相経由で、こちらでは関与せずという返答をいただいておりますので、問題はないでしょう」

「それなら、こちらの領域で引き取ってもいいだろう。……………あの結界への体当たりだな。どこだ?」

「正門前だよ。ゼベルが時間を稼いでいてくれた。ただ壊すのであれば簡単だけれど、怨嗟を残されないようにする必要があったから、この子を連れて外に出なければならなかったんだ」

「………よーし、そいつの仲間がいたら、全部処分しよう」

「ノ、ノアベルト……………」

「であれば、お手伝いしましょう。幸い、竜を狩るのは得意ですからね」



ちょっぴり過激なやり取りもあるが、わいわいとしている会食堂の空気に、ネアはどこからともなく漂ってきたいい匂いをくんくんする。


気付いたエーダリアが、ちらりとグラフィーツの方を見てヒルドに頷きかけた。



「宜しければ、食事をしながらの報告と共有とした方が効率的かと思いますが、お時間などの問題はありますでしょうか?」

「いや。その問題はないが……」

「そうだね。彼等がそれでいいのなら、私は構わないよ」



こちらを見たグラフィーツに、ディノが頷き、グラフィーツが了承すると、ヒルドが厨房に連絡を入れている。


突然のお客の増員だが、外に出る者達の数が読めない日の食事の準備は、少し多めに作ってある事が多いので問題ないのだそうだ。



ゴーンゴーンと、どこかでまだ鐘の音が響いた。



ネアは、その音が警鐘ではないことを確かめてから、窓の外を眺める。


今はもう灰の雨は降っていなかったが、何と暗い日だろうと思うと、手の中のカップの温かさが例えようもなく大事なものに思えた。











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