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224. 火の慰霊祭は思わぬ不穏さです(本編)




仄暗いその日、どこかでぼうっと火の手が上がる。

窓硝子にぴしぴしと音を立てて氷が張り、吐き出す息が白くなれば、火の前兆が現れ始めているのだろう。




ウィームがまた、火の慰霊祭を迎える日がやって来たのだ。




かたかたんと、庭から何かが風で揺れる音が聞こえてくる。


今日ばかりは、確認出来ない場所で火が上がった時のことを考え、リーエンベルクには、小さな生き物達の避難用に、汲み上げた水を入れたバケツなどが置かれているので、その持ち手が風に動いたのかもしれなかった。



(なんて暗いのだろう…………)



今年は気象性の悪夢で事件が続いたので、ネアは、儀式には参加せずにリーエンベルクでのお留守番となる。


最初の水鉢の悪夢で吹き飛ばされた先で出会ったのは、前世界の生き物であるし、サン・クレイドルブルクでの悪夢は、死者の今わの際の悪夢から派生した過去の事件の中であった。


そのどちらの要素もが、終わったはずのものが再び現れたという認識になるので、火の慰霊祭にはあまり良くないエッセンスとなるようだ。



ヴェルリアからの弔問客達の集まる儀式会場には、やはり、火の怨嗟は凝り易くなる。

同郷の者達が弔ってくれるからこそ鎮められる特定の意思や魂を残さない程度の曖昧な怨嗟は、その僅かな影響でどう変化するのか分からないのだ。



(………あ、)



こうっと音を立てて窓を揺らす強い風に、僅かではあるが灰が混じる。

今年の火の気配は例年より早く、出掛けて行くエーダリア達の表情は冴えなかった。


最初に不穏な気配が捉えられてから調査を進めているが、未だに、なぜ火の気配が強まっているのかが判明していないのだ。



「……………急遽、王都からオフェトリウスさんが同行する事になったと聞きました」

「うん。この国の王の手配であるようだから、今回は、王都の方で不手際があったのかもしれないね」

「あちらで今起きている問題であれば、例のアリステル派の一掃でしょうか」

「その問題は片付いたと聞いているけれど、…………今日は統一戦争が終結した日だ。そのような部分から繋がる魔術の糸がないとは、言いきれないのかもしれない」



リーエンベルクを訪れる人がいても、家族が戻ってきてもいいようにと、ネア達は会食堂にいることにした。


ほんの数日前の月の明るい夜はどこか幸せな家族の時間であったが、一転して今日は、はっとする程に暗い一日が始まろうとしている。


本来であればもう少し遅い時間から始められる慰霊祭の開始が早まったのも、ヴェルリア側の参加者達が、あまりにも強い火の気配に、儀式の時間を早める事を提案したからだという。



「その提案が、ヴェルリアの貴族の方達からなされたのが、とてつもなく怪しいではありませんか。今回は国王派での動きかもしれず、ヴェンツェル様は何も知らずに困惑しているくらいだと仰っていましたので、このまま無事に終わってくれるといいのですが……………」

「会場に入っているノアベルトの見立てでは、駒の配置が随分と緻密なのだそうだ。………国王派だけが知る事情があり、それを、彼等も全力で抑えにかかっているというのが、ノアベルトの考えのようだよ」



ネアは、あの国王が悪巧みをしているのだろうかと足踏みしてしまったが、どうやらそうではないようだ。


真珠色の睫毛を揺らしたディノは、太陽が翳り、どうしようもなく暗い窓の向こうを眺めながら、魔物らしい光を孕む瞳を細める。


全くの偶然なのだが、今日は三つ編みのリボンが黒い天鵞絨であることが、なぜだか慰霊祭の日に相応しい装いのようにも思えた。



「この儀式は、国王派と呼ばれる者達にとっても、失敗が許されない儀式だ。…………であれば、こちらに話を通せる問題は、そうしてしまった方が危険が少ない。けれどもそれをせず、国王派の中でもあの人間のお気に入りだという有能な駒ばかりを儀式会場に設置してあるのだから、…………起きている問題について言及出来ないと考えるべきだろう」

「何か問題があり、それを明かす事が出来ないような呪いや制限がかけられているかもしれないのですね」

「………その事情が探れないのであれば、せめて、エーダリアが同行した騎士の、災いの天秤に触れればいいのだけれどね」




輪郭すら掴めない何かが、今年の慰霊祭には控えている。



そう気付いたウィーム側の備えは、迅速であった。

ダリルは儀式会場に擬態させたウォルターを潜入させているし、水竜のエメルもダリルダレンの書庫の屋根の上からウィームの街を監視している。


リーエンベルクから正式な依頼として、ハツ爺さんに会場への招待状が送られ、その他にも特殊な鎮めの才を持つ領民達や、問題を起こすかもしれない者を索敵するのに長けた領民にも、外部協力者としての依頼をかけた。



(バンルさんを筆頭とするギルドへの協力要請は勿論、アクス商会へも業務委託の発注があったという。それどころか、旅に出ていて連絡が取れないアレクシスさんの代わりに、ネイアさんがウィーム中央に来ていると思えば、とんでもない頼もしさなのだけれど……………)




それでも、この世界では事故や事件が起こるのだ。


高位の者達や聡明な者達が、全ての災厄の芽を摘めないのがこの世界で、そこには魔術の理や因果や運命といった、誰かの思惑や意思だけでは制御しきれない大きなうねりがある。

それは、万象であるディノが、この世界の有能で美しい部分だけを有する魔物ではなく、相反する資質も含むその全てを司るからこその不自由さでもあった。



けれども、それは必要な事なのだ。



もしディノが有能なだけの万象であれば、この世界では、歪なものや足りないものは、テーブルの上から弾き出されていってしまう。

相反するものを有する危うさと引き換えだからこそ、この世界は、自由で寛容で、そして変化や再生を許していく柔軟さもあるのだった。



(だから、これだけの備えをしても、………起こるべきことがあるのなら、何かが起こる可能性は皆無ではないのだわ。備えが厚ければ、その瞬間に損なわれるものが少なく済むというだけでしかないのかもしれない)



ことりと音がして振り返ると、一人の魔物がカップをソーサーに戻したところであった。


「……………戦時契約の中に、秘密を強いる術式があったのかもしれないな。今回の顔ぶれは、ヴェルリア王家の古い剣や盾達だ。塩の魔物の不興を買う事を恐れずにそいつ等をウィームに投入したのであれば、………何か厄介な負の遺産が掘り出された可能性もある」



それまでは黙っていたアルテアが、そんな事を言う。

こちらも漆黒のスリーピース姿で、帽子と杖は、隣の椅子の上に置かれている。


負の遺産という言葉の重さに、ネアは、ぎゅっと持たされていた三つ編みを握り締めてしまい、ぞっとする程に暗い窓の向こうに、はらはらと雪のように降る灰を見つめた。



「そう言えば、ヴェルリアの葬儀では、海に灰を撒くのだったね」

「ああ。前回の水鉢の悪夢は、海の底からの訪問客が多かったからな」

「ノアベルトがあの土地にかける呪いは、そこに暮らす人間達が思う以上に広範囲に及ぶ。そのような遺産が現れたとしても、彼なら気付けるだろう」

「或いは、判明した後に手綱は取れるだろう。………とは言え、まずは確定を急ぐべきだ」



魔物達のやり取りを聞きながら、ネアは、ずっと前に聞いた事を思い出していた。


ヴェルリアの葬儀について聞くのは初めてであったが、あの土地は、海との共存が長い一方で、最も残忍で酷薄な気質の者達が多い海に、取られてしまう者達も多い。


葬儀の作法から海に眠るものもあるだろうが、ヴェルリアの海の底には、奪われたり繋がれたりして失われていたものも、数多く眠っているのだ。



(海の底にあったものが、……………あの水鉢の悪夢でこちら側に打ち上げられたり、戻ってきたりしているのなら)



それはもしかしたら、漂流物が現れるような年だからこそ起こるのかもしれない。

思わずそんな事を考えてしまったネアは、ぶるりと身震いし、ふっと瞳を揺らしたディノに、すぐさま膝の上に持ち上げられてしまった。



「君は、今日はリーエンベルクから出てはいけないよ」

「ふぁい。家族が心配でなりませんが、もう、事故は御免です」

「儀式が終わるまでには、こちらにグレアムかグラフィーツが来るそうだ。彼等の訪問があってから、私が外の様子を見てこよう。力を貸してくれるとは言え、彼等だけに、リーエンベルクの守りまでを委ねる訳にはいかないからね」

「はい。……………ディノ、私の我が儘を聞いてくれて、有難うございます」

「うん。君が、怖くないようにしよう」



くすんと鼻を鳴らしたネアがそう言ったのは、アルテアにネアを預け、ディノが騎士達と見回りに出ようとしたからだ。


だがネアは、それを頑なに嫌がった。

何だかよく分からないが、このような日ばかりは、大事な魔物に一人で行動して欲しくなかったのだ。


であればとディノが連絡を取ってくれて、もう少しすると、グレアムかグラフィーツのどちらかがリーエンベルクを訪ねてくれる運びとなった。


そうして人員を増やしたところで、ディノには、リーエンベルクに来てくれた者と一緒に見回りに行って貰うようにしたのだ。



「過剰だと思うが、………お前の勘の良さは侮れないからな」

「…………むぅ。一人は絶対に駄目なのですよ。もし外に出るのであれば、私達も一緒に行くか、他の頼もしい誰かが一緒である必要があるのです」

「ギモーブを食べるかい?」

「……………むぐ」



不安のあまりに目がしぱしぱしてしまい、小さく唸ったネアが指先で目頭を揉んでいると、慌てたディノがギモーブをお口に入れてくれた。


窓の向こうの禁足地の森に何か異変がないだろうかと目を凝らし過ぎたせいで、すっかり目が乾いてしまったらしい。



「……とは言え、お前が手を打った場合は、大事にはなるまい」

「そうなのですか…………?」

「今迄の流れからすると、お前が何かの予兆を得るのは、それを変える為の分岐に留まる為である事が多い。こうして対策を講じた以上は、想定されていた災厄は避けられると考えておけ」

「………ふぁい」



しかし、ネアがこくりと頷いたところで、いつもの鐘の音とは違う響きが微かに聞こえてきた。

ぎくりとしたネアが体を竦ませると、ディノがしっかりと抱き締めてくれる。



「……………警鐘だな。街の方か。……………ヨシュアも来ているんだったな?」

「うん。雲の系譜の会議があったようだけれど、話を聞いたイーザが、父親を代理出席させることで、ヨシュアをウィームに留め置く事にしてくれたらしい」

「思うところもあるが、あの連中の役割は、思っていた以上に大きくなってきたな……………」

「そうして祝福の手を集めるのも、この土地の本来の機能なのかもしれないけれどね」

「かもしれんな。ウィームやリーエンベルクは元々、二王家で成り立つように設計された魔術基盤だ。こいつが単一の王として認識されているのであれば、ウィームには土地本来の機能が戻りつつある可能性はある」

「……………む?」




首を傾げたネアに、アルテアが簡単に説明してくれた。


ウィームは元々、対になる王家によって興された国であり、最も古い土地の魔術基盤や、この地に王都を築いた最初の構築式の全てが、その前提の上にある。


その後、一王家になった事で様々な仕様が書き換えられているものの、蓋をして機能を閉ざしただけの仕掛けも数多く眠っていると言われてきた。


現に、リーエンベルクには誰も知らないような部屋がまだあるくらいなので、その説は限りなく正しいと見るべきだろう。



「お前が、この世界に氏族や履歴を持たない迷い子として招かれ、このリーエンベルクで暮らしている事で、単一の王として認識をされるのであれば、リーエンベルクやウィームには、本来の魔術的な役割が回帰しつつある可能性がある。建国の当時にこの地に居たのはオフェトリウスだが、土地の守護を司ったのは魔物じゃないからな。詳しい事は確かめようがないが」

「………ウィームには、他の種族の方の守護があったのですか?」



それは初耳であったので、ネアは目を瞠った。

ウィームは、竜達の守護が篤かったとは知っているが、そのような役割を果たすのは、この世界では魔物だとばかり思っていた。



(でも確かに、まだ国としての規模が小さかったのであれば、ここがどれだけ豊かな土地だったとしても、守護などを与えたのは、竜さんや精霊さんだったのかもしれない……………)



しかし、そう考えて重々しく頷いたネアを見て、なぜかアルテアが呆れたような顔をするではないか。



「お前、………ウィームがどういう土地なのかを忘れたのか?」

「…………むぅ。冬と雪の国で、財産の質を持つ土地です!」

「ネア。ウィームは、この世界で唯一、一つの祝祭を司る土地でもある。冬と雪の最も上位の祝福を宿す土地であったからという事もあるけれど、土地の質が財産であった事もその影響なのだろう」

「……………もしかして、イブメリアですか?」

「うん。ここはね、元々はクロムフェルツの祝福や守護を与る、祝祭の贈り物とされる豊かな土地だったんだ。だからこそ、その土地の豊かさに適応出来る者達が集まり、国を興すに至ったんだよ。国として成り立ってからは竜の守護が大きかったと言われているけれど、元々の土地の基盤の守護にはクロムフェルツの影響が大きい」

「まぁ。……………それは、知りませんでした。……………というよりも、ずっとそう言われていたのに、私が考えてもみなかったのですね」



ウィームは、最もイブメリアが美しい土地だと言われる。


世界で最も盛大にイブメリアを祝い、考えてみれば確かに、信仰の魔物と送り火の魔物が揃って儀式をするのは、世界中でこのウィームだけなのだ。



「土地の特性を理解して作られた国であれば、クロムフェルツの守護が残された、土地の仕掛けや仕組みも多いだろう。………だが、あいつの領域のものは特殊だからな。これまでは、ウィーム王家の子供達だけが動かせたものであったと可能性が高い」

「……………なぜ、私をじっと見るのでしょう」

「ネアは、可動域の関係で、ずっとイブメリアの愛し子でいられるからね」

「ぎゃ!」

「あれは祝祭そのものだから、抱えた秘密をそう簡単には明かしはしないだろうよ。昨今のウィームの潤沢さには、そのような理由もあるかもしれないとだけ覚えておけ」

「私は立派な淑女なのですが、その問題についてのみ、お引き受けしておきましょう……………」



忸怩たる思いでそう頷いたネアに、ふと、アルテアが薄暗い部屋の中で光の尾を引くような鮮やかな瞳を細めた。


その視線がディノに向けられ、ネアは目を瞬く。



「………まぁ、万象の起点もこの土地なのかもしれないがな。俺達の派生日も、イブメリアから始まるだろ」

「それは本当に、私も分からないんだ。気付いた時には、この世界を彷徨っていたし、私が派生した場所は、前の世界が終わった場所だと考える者達も多い」

「普通に考えてもみろ。その世界が終わってゆく様を見ていたのなら、今代の万象の派生した場所が、そこである筈もないだろう」

「君は、そう考えるのだね。……………ウィームだと、思うのかい?」

「原初のイブメリアの祝祭は、世界の生誕を祝うものだった筈だ。ここにクロムフェルツの庭があったのなら、そうだと考える方が自然だろ」



(……………これはもしかして、とんでもない議論に立ち会っているのではないだろうか)



ネアは暫し、火の慰霊祭の怖さを忘れた。


何しろ、今行われているのは、今代の世界がどこから始まったのかという物凄い議論であるし、ネアにとっては、大事な伴侶の生まれた場所を探る話し合いでもある。


どうやら、ディノは自分の意識がはっきりした場所を派生場所だと考えているようだが、アルテアは、三人目に派生した魔物として、当時の状況から色々と考えてみた事もあるのだろう。


聞いている話では、ウィリアムはあまりいい精神状態ではなかったようなので、そのような疑問を持てるのはアルテアしかいないのかもしれない。


(となると、前の世界の終わり方を知って絶望したウィリアムさんが命を絶とうとした場所こそが、ウィリアムさんの派生した、前世界の最後の場所であって、……………でもそこは、ディノが派生した場所ではないのかもしれない…………?)



では、元は王族だったというノアは、どこで派生したのだろう。


ずっと眠っていたので気付いたらいたという状態だったそうだが、そんなノアにだって、発見された場所がある筈だ。



(……………魔術は、どこから始まるのだろう)



ノアは、かつては命とも呼べるものを司った、魔術の原初を司る塩の魔物だ。

であればその派生は、命が現れた場所そのものだったのかもしれない。


そう考えたネアは、一つだけ、あまりにも荒唐無稽な仮説を立てたが、壮大なお伽噺のような思惑が強過ぎたので、自分の心の中でも言葉にはしなかった。




「………街の方の火の気配は、鎮められたようだね。ヨシュアが火を消したのだろう」

「ふぁ、……良かったです…………。被害などが大きくないといいのですが」

「だが、引き続き火の気配が強いな。………慰霊祭が始まって、そろそろ半刻か。何の問題もなければそろそろ儀式の結びだろうが…………」

「こちらでも魔術の動きを見ているけれど、儀式そのものは、滞りなく終わりそうだね。それでも、火の怨嗟の全てが鎮められる訳ではないから、残るものを見極めていけば、その中に今回の異変の正体があるかもしれない」

「今回は、…………灰の雨がずっと降っているのですが、禁足地の森の方ではなさそうな気がします」

「うん。予兆の顕現が、それだけ広範囲なんだ。雨雲自体が大きいと思えばいいのかな」

「……………あまぐも」



ふと、その言葉が引っかかった。


一瞬、生まれ育った世界の雨が降る仕組みを思い出して、まさかそれではと考えかけたが、こちらの世界の雨は、同じ仕組みでは降らない。


似たような現象から、海で雨雲が育つ事もあるのだが、雨その物を含めた気象を動かすのは、それぞれの魔術なのだ。



考え込んでしまったネアを、ディノが心配そうに覗き込む。



「ネア、何か気にかかるかい?」

「……………いえ。閃いたような気になってしまいましたが、この世界での雨雲の発達は、海とは無関係なのでした………。一瞬、問題はお空の上かと……」

「シルハーン!」

「………っ、……そこかもしれないのだね。儀式が終わり次第、ドリーと話した方が良さそうだ」

「む、……………むむ?!」


ネアの外れの推理から、突然魔物達が何かに気付いてしまい、置いてけぼりになったネアは、目を瞬いておろおろした。


ディノはどうやらノアに何かを伝えているようで、慌ててアルテアの方を見たが、こちらの魔物もどこかに連絡を取っている。


自分だけ正解に辿り着けずにむしゃくしゃしていたネアに漸く答えが齎されたのは、ディノよりも早く連絡を終えたアルテアの袖を引っ張ってからであった。



「……………空の上だ」

「なぬ。お空の上に、何かがいるのですか?」

「ヴェルリアの連中が集まっている割には、対策を講じている様子がないのが疑問だった。……恐らく、あいつ等も探し物がどこにあるのかが分からないんだろう」

「探し物……………」

「水鉢の悪夢は、気象性のものだ。悪夢の特性は嵐に近く、特に水鉢の悪夢は海の底からの来訪者を招き入れるくらいの上昇気流が起る」

「ふむ。……………ですが、あの日からはもう随分経っていますし、その間には青空の日もありました。巻き上げられた何かがずっと空の上に留まっているというのは、少し不思議ではありませんか?」



ネアがそう言えば、アルテアが、再び呆れたような目をする。

本日二度目なのでぐぬぬと思っていると、連絡を終えたディノが答えを教えてくれた。



「ネア。火の慰霊祭は、主に火竜を鎮める為のものだ。この慰霊祭に上がる火は、統一戦争時にウィームで命を落とした火竜の怨嗟が残ったものだとされているだろう?………けれども、あの戦で火竜が命を落としたのは、ウィームばかりではない。戦争の終盤にウィームが戦場になる前までは、他の領でも戦いが行われているし、ヴェルリア本国に攻め入った者達もいる」

「……………は!という事は、そんなどこか遠くに眠っていた火の怨嗟が、水鉢の悪夢で……………むむ?……………もしや、……空の上にその怨嗟が留まっているのは、翼を持つ竜さんの怨嗟だからなのですね?」



途中で一度思考が迷子になってしまい、けれどもネアは、何とか答えに辿り着く事が出来た。



「うん。最も大きな火の慰霊祭が行われるのは、ウィームだと聞いているよ。その気配に呼ばれて怨嗟が舞い戻ったのか、……………或いは、その火竜を沈めたのが、ウィームの者だったことで、どこかに打ち上げられたその残滓や怨嗟が、ウィームにやって来たのかもしれない」

「ウィーム侵攻の直前であれば、魂も意思も風化した怨嗟だけが、当時の命令のままにこちらに向かうという事もあり得るな。……………確か、火竜の王子で、妙に不自然に姿を消した奴がいただろう」

「………そのような者がいたのであれば、その答えは、古いウィームの民の誰かが持っているかもしれないね」



そう呟いたディノの言う通り、統一戦争時に不自然な形で姿を消した火竜の王子の情報は、思わぬところから情報が入った。



到着してすぐに出かけるのではなく、まずは一杯の紅茶を所望した魔物は、お皿の上に盛った砂糖をじゃりじゃり食べながらそれを飲み、ネアをわなわなさせた。


「こちらを見ながら食べるのをやめるのだ………」

「その王子とやらは、当時のウィームに愛し子を持っていた竜が、開戦直後に秘密裏に葬ったらしい。その竜は海の系譜の竜だったからな。まだ、ウィームへの侵攻はなかったので公にはされなかったが、最も残忍で享楽的とされた火竜の王子だけは潰しておくべきだと、真っ先に殺しておき、海の底に沈められたようですよ。……まぁ、俺も偶然聞いた話ですが」

「……………あいつか。…………まぁ、転属前なら可能だっただろうがな」



リーエンベルクを訪れたのは、グラフィーツであった。


一応グラフィーツは外客となるので、外客棟に移動して先程の話を続けていたところ、そんな真実が一つ明かされた。


ネアは、どうしてそんな事を知っているのがグラフィーツなのだろうと思ってしまったが、かつてはウィームに屋敷があったというのだから、グラフィーツも、丁度その頃にこちらにいたのかもしれない。

そして、火竜の王子を葬った竜とは、知り合いであるようだ。



「…………もしや、バンルさんなのです?」

「さてな。……………それより先は、個人的な領域になる。俺は踏み込むつもりはない」



ネアは、話の流れからすると、バンルがその竜を葬ったのは、リーエンベルクに紫陽花を贈ってくれて、エーダリアの帰還を喜んでくれた山猫の使い魔の為だったのかなと考えたが、確かに本人がそれを公にしていないのであれば、こちらが踏み込むことではないだろう。



だが、空の上に火の怨嗟があるのではという懸念は、早急に、儀式会場にいるノアからエーダリアを介してヴェンツェルに伝えられ、すぐさま王都からのお客達は対策会議に入ったらしい。


アルテアが指摘した行方不明の竜の王子の話をしただけで対策会議が行われたので、国王派の中では、その竜が火の慰霊祭で問題を起こしかねないという情報は掴んでいたのかもしれない。



「であれば、………ドリーさんにはお話しするべきだったのでは?」

「それが出来ないとなると、大方、…………統一戦争下で、その竜は奇襲か暗殺の任務でも与えられていたんだろう。戦時中の作戦に於ける、極秘情報であれば、作戦を知らない者へは情報の開示が許されない誓約魔術が残っていてもおかしくはない」

「それは、…………とても迷惑ですね」

「ああ。だが、…………そのようなものが残ると想定出来ずに解除設定を付けずに魔術を組むのが、人間だからな」

「言われてみれば、確かにそうかもしれません」



いつだって、遠い未来を見通すのが苦手なのは、短命で刹那的な人間ばかり。

海の底に沈んでいた竜の王子の怨嗟を鎮めるのに、戦時中、作戦の機密保持の為に必要だった誓約が足枷になるだなんて思いもしないだろう。



とは言え、その怨嗟が災いを及ぼせば、人間の命令によって齎された災いとして、魔術的に認識されかねない。


何しろ、ヴェルリアがウィームを損なってはならないと告げ、今も尚、ヴェルリア王族を呪う塩の魔物が、このウィームにはいるのだ。

場合によっては、取り返しのつかない事態になる。




「……………となると、グレアムじゃなくてお前が来たのも、そちら側の意向か」

「いんや、グレアムが来れなくなったのは、カルウィの州都で小規模な戦乱が起きているからだな。そうでもなければ、あいつは絶対に来るだろう」

「まぁ。となると、ウィリアムさんが足止めをされているという、従兄同士の骨肉の争いとやらなのです…………?」



グラフィーツが頷いたので、どうやら二人は同じ現場にいるらしい。


とは言えそれはグレアムがこちらに来られない理由でしかないので、グラフィーツが助力に訪れた背景には、繋がりがあるというヴェルクレア国王からの依頼や相談などもあるかもしれないのだが、そこまでを明かすつもりはなさそうだ。



「………そちらは、ノアベルト達に任せても良さそうだね。ネア。念の為に、グラフィーツとリーエンベルクの周囲を見回ってくるよ」

「はい。この近くではないのかもしれませんが、気を付けて下さいね」

「……………見回りは俺が行く。お前は、統一戦争時はあちら側だろうが。妙な引きになっても面倒だ」

「……………アルテア」



ディノが見回りに立とうとしたところで、リーエンベルク内でネアと留守番する筈だったアルテアが席を立った。


目を瞠ったディノに首を横に振ると、ちょっと嫌そうな顔をしているグラフィーツに向き直る。



「何で、あんたと見回りなんぞしなきゃいけないんだ。…………シルハーンなら兎も角、あんたなら、一人でいいだろ」

「同感だが、大事を取るぞ。こいつの予感は、妙なところで当たるからな」

「……………予感?」

「予兆と言ってもいい。俺としても、お前との見回りなんざ御免だが、こいつ周りの問題は軽視してもろくな事がないだろう。……………事件事故類の引きの良さは随一だからな」

「おかしいです。良かれと思って忠告をしただけの筈なのに、私が問題児のように纏められました………」

「ったく。……………いいか、シルハーンから離れるなよ」



そう言って、アルテアはまだ渋っているグラフィーツを連れて、部屋を出ていってしまった。


ネアは、見回りに行こうとして立ち上がりかけたディノと顔を見合わせ、ディノは、まだ少しおろおろしたまま、ネアを抱え直して椅子に座る。




「……………アメリアは、大丈夫かな」

「そ、そうでした。……見回りなので、騎士さんも同行する予定だったのです。アメリアさんは、ディノが一緒だと安心していた筈なのに、突然、アルテアさんとグラフィーツさんとの見回りになるのです…………?」



あまりご新規さんとの人付き合いが得意ではないネアは、そんな苦行を強いられるアメリアが心配で堪らなくなったが、アルテアがディノと入れ替わったのにも理由があるので、ここは頑張って貰うしかない。


今回は、火の怨嗟を強める理由が統一戦争そのものにかかる問題であるのがほぼ確定したと言ってもいいので、確かに、当時のヴェルリア宰相に手を貸したディノの存在は少しばかり危うい。


見回りに出掛けたことで、中央に近しいところにいたその火竜の王子の怨嗟を引き寄せてしまっても大変なので、こうしてお留守番組になるのがいいのだろう。



「……………ディノ、儀式が終わったのであれば、エーダリア様達は一度戻ってきますよね。グラフィーツさんは、見回りの間だけの増援なので終われば帰ってしまうでしょうし、我々は、会食堂に戻っていましょうか」

「うん。そうしようか」



ネアの提案にディノもこくりと頷いたので、ほっとした人間は、こてんと伴侶の胸に頭を預けてしまった。


まだ問題が解決したわけではないのだが、原因が分かったのはきっと大きな前進の筈なのだ。

どう解決するのかは分からないが、きっと、何かの対策が立てられるだろう。



会食堂に向かう道中も、窓の向こうではやはりまだ、灰が降っていた。


薄っすらと降り積もった灰の多さにぎくりとし、ネアは、一刻も早くの海からやって来た怨嗟の鎮魂を祈ったのだった。











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