雲雀雨と報告書
その日は朝からの雨で、ウィーム中央では現在、雨雲雀という事件が起きているそうだ。
雲雀達は、春先になると精霊である青雲雀と、妖精である黄雲雀が大抗争を繰り広げるのだが、雨の日はあまり戦いが起こらないとされている。
だが、そろそろ雲雀達の戦いが落ち着くであろうこの時期、ましてや雨の日である今日に、その戦いが起きたらしい。
雲雀達の雨の日の戦いは壮絶で、びゅおんと巻き起こす風で降っている雨を巻き込み、それを相手に叩きつけるのだ。
どれだけの周辺被害が出るかは、言うまでもない。
事の発端は、とある書店の軒下を巡っての小競り合いからだったそうで、そこから大規模な抗争に発展し、ウィーム中央の人々は、よりにもよって雨の日に繰り広げられる雲雀の戦いによって、びしゃびしゃにされるという被害を被る羽目になった。
流石にこれはということで、グラストとゼノーシュも現場に出向き、街の騎士達と共に、荒れ狂う雲雀の調停と追い出しにあたっているのだとか。
なお、こうして雲雀達が雨の日に騒ぎを起こす事を、雨雲雀という。
雨雲雀という新種が現れたのではなく、事案そのものの名称なのだなと考えたが、名前のある事件という事は、その名付けが必要なくらいの被害は出るのだろう。
ネアは、雨模様の窓の外を眺め、そっとグラストの健闘を祈る。
そんな話を聞きながら、ネアは、今朝から報告書を書いていた。
ざあざあ、ぱたぱた。
雨音には一定のリズムもあるが、今日は、朝からそれが途切れる事はない。
ネアは、室内履きの爪先を浮かせ、魔術の宿るインクに浸したペン先を紙に落とすと、また新たな部分の修正に入る。
本来なら、このような業務は仕事部屋で行うものなのだが、今回のものは他国絡みであり、尚且つ第一王子の裁量の中であるとはいえ公式書類として中央に上がる書類なので、エーダリアやヒルドの添削を貰いながらの会食堂での作成となる。
中央に上がるとは言え、誰の目にも触れるような報告書ではないのだが、少なくとも、第一王子派である文官達や議会に出席する貴族達や、国王派である宰相その人や、国王の目には触れるだろう。
如何に当たり障りなく、そして必要な情報だけは記載し、不必要な情報は削除して作成するかの線引きが、政治の素人には難しいところなのだ。
最初にヒルドが大まかな土台を作ってくれたものにネアが報告内容を記入し、それをエーダリアとヒルド、そしてノアが目を通してくれて問題のある個所に指摘が入り、今は最終の手直し中である。
今回はウィームと王都の関係や、ネア自身の存在の特異性もあるのでより面倒な作業だが、こうして書類仕事をしていると王都の文官仕事はさぞかし大変だろうと思う。
ネアにだって書類仕事の経験はあるが、一枚の書類で政治的な問題の天秤が傾くという危うさは、そうそう体験出来るものではない。
(今迄にも、中央に報告義務のある事件や事故はあったけれど、どちらかと言えば秘匿性の方が高い事案ばかりだったので、私の文書で報告が上がるという事は殆どなかったから、やっぱりちょっと難しいな…………)
ディノとの契約周りの書類を作り変えた時に、ネアは、今迄で一番多くの申請書類を書いた。
だがその時も、ガレン経由で王宮への承認を得るものばかりであったので、このようなチェックはあまりなかったのだ。
家族の会話の声を聞きながら、さらさらとペンを走らせる。
雨音は、柔らかいというよりは本降りになってきたかなという感じの音で、淹れたての紅茶の香りには、それだけで感じ取れる不思議な温かさがあった。
「ふぅ。出来ました!確認をお願いします」
「ああ。面倒をかけるな。……………読ませて貰おう」
「三つ編みを持っているかい?」
「なぜなのだ……………」
今回の報告書としての構成は、リーエンベルクの門の内側で、ネアがサッシュを拾ったところが最大の山場である。
後はもう、犯人は勝手に守護の反応で滅びた事になっているので、実際に起きた武装解除による被害云々は表に出ない報告書で行われる確認であった。
提出される報告書では、武装解除術式による召喚がかけられたが、守護の比重が重いので大事に至らなかったという程度にされ、排他結界の内側に罠が仕掛けられた事への対応策などに話題が移る。
王都での議会にかけられるのは、一介の商人の構築した術式に、想定されていなかった人外者の固有魔術効果が付与されてしまい、思いがけない事件が起きたという部分こそが主軸となり、今後の対策へと繋げてゆくそうだ。
(けれども、対策を急務とする要素があるからこそ、今回は私の上げる報告書が必要なのだろう)
内々に処理して終わらせるのではなく、注意喚起を行わねばならないからこその議会提出なのだ。
「……………ええ。これで宜しいでしょう。稀有な事例ですから、今後の対策については、王都でも議題に上げて貰わねばなりませんからね」
「ああ。リーエンベルクの排他結界をすり抜けたという事は、格段に階位が落ちる王宮での守りでは、防げないような仕掛けとなるからな」
「まぁ。そうなのですか?」
ネアが目を瞠れば、エーダリアは、少しだけ遠い目になった。
「こちらには、適時排他結界の手入れをしてくれている、ディノとノアベルトがいるのだぞ。おまけに、ゼノーシュが騎士達の中にいて、アルテアやウィリアムも、守護や排他術式を補填している上に、不用な妖精種の排除などは、ヒルドがここで暮らしている事だけで事足りてしまうのだからな」
「となると、王宮は仕掛けたい放題なのでは……………」
「とは言え、あちらには国を治める王族だからこそ所持可能な、特殊な武装解除術式などもある。だが、王宮は元々多くの者達が交差する場所でもあるので、リーエンベルクとは違い、侵入や浸食を排除するのではなく、無力化にこそ比重を置く事になるだろう」
「ふむふむ。……………確かに、異国の方までもが訪問される場所ですものね。おまけに、そちらを訪れる方々の殆どが、王宮に参じる事が可能になるだけの才や地位のある方々です」
何しろその王宮には、長らくヴェルリア王族を呪った塩の魔物も入り込んでいたのだ。
そう聞けばもう、どれだけの場所なのかという想像は難くない。
また、三領の領主館の中では、リーエンベルクが最も閉鎖的である。
これは、ウィーム領主に政治的な権限を集中させたくない中央の意向でもあるが、同時に、エーダリアを守る為の盾としても機能している。
やはり、見知らぬ者達の出入りが多ければ多い程、危険は多くなるものだ。
ネアの仕上げた報告書は、最後にノアのチェックを受けた。
領主の立場であるエーダリアと、代理妖精の経験のあるヒルドは勿論だが、王都に勤める者達には人外者の庇護や介助がある。
国王の側には高位の人外者達もいるので、最後にノアも確認を入れての完了なのだ。
とは言え、その中にはネアのピアノの先生もいるようなので、完全に見ず知らずの者達の手に渡るという感じでもないのだが、国王への直接の回付は議会に提出された後の事だ。
対策案と共にまとめて承認に上がり、王の承認を得て初めて、王宮内に防衛魔術などが追加されるらしい。
「この報告書って、ある程度選別した連中だけが目を通すんだよね?」
「ええ。そうなるでしょうね。……………これは、警戒するべき事案であり、…………同時に、敵対派閥への有用な手立てとして今後の議論にも上がるでしょう。その部分を含ませますので、ウィームにとっても問題のある派閥には共有されません」
「うんうん。その辺りはまぁ、国王派も上手く取り込めてきたからこそ、生かせるって感じかな。因みに、この書類自体は、回付を終えて記録庫に入ったら自動的に消える仕組みだから」
にっこり笑ってそう言ったノアに、ヒルドが振り返った。
エーダリアも目を丸くしている。
「そ、そうなのか?」
「うん、勿論。清書されて魔術文書になるからネアの直筆じゃないけど、出来るだけ足掛かりになるものは残しておきたくないし、そこはまぁ、アルテアが統括として話を通してあるみたいだから大丈夫」
「おや、であればダリルの二の手は必要がなさそうですね。閲覧申請をかけ未返却の通知を迷路に入れると話しておりましたが、正攻法で叶うのであればそちらでいいでしょう」
お仕事終わりの紅茶を飲みながら、ネアは、報告書一枚の行方を巡ってこれだけの戦略や駆け引きが動くのだなと、すっかり感心してしまっていた。
これがまさにネアが政治の海を泳げない一端でもあるのだが、不利益だと思われる情報を開示した上で均衡を図るという手法は、事態をどれだけ俯瞰出来るかという才能あってこそだ。
ネアはその点、強欲で身勝手な自己愛の強さが足枷となってしまい、どうしても、自分や自分の手の内の者に繋がるような書類を回付するという判断は鈍くなるだろう。
だが、この一枚の報告書が届く先に輪の外側の者達がいて、彼等が仲間や味方ではなくても敵にはならないという括りであるからこそ、共有し理解しておいて貰わねばならない事は確かにあるのだとも思った。
ただ、ネアにはその線引きがやはり分からない。
全てを隠して威嚇してしまいそうなので、向き不向きというのは大きいのだと思う。
とは言えここで、ただの苦手な問題として削ぎ落してしまわずに、王宮に敷かれた魔術の変更などには国王の承認がいることなど、学べた事はきちんと記録しておこう。
「…………あぐ」
小さなお皿の上から手に取ったのは、小さめのバタービスケットだ。
僅かに檸檬の風味があり、ついつい手が止まらなくなる恐ろしいお茶請けのお菓子である。
「そう言えば、ゼノとグラストさんは、街での雲雀雨対策に出られているのですよね。お戻りが遅くありませんか……………?」
「……………完了報告が遅いようだな。連絡をしてみるか」
「確かに、グラストにしては遅いですね。私から連絡を入れましょう」
「……………雲雀が、増えたからではないかな」
「なぬ……………」
少しだけ困惑したようにディノが添えた言葉で、どうやら、身に危険が及んでいるというような深刻な事態ではなさそうだぞという空気が漂い、エーダリアやヒルドはほっとしたようだ。
ぱたぱたしたんと、先程より強く雨が屋根を打つ音が聞こえているので、今日はやはり本降りの雨である。
こんな中で荒ぶる雲雀が増えていた場合、現場どれだけの大惨事なのだろうと考え、ネアはぞっとしてしまった。
席を離れたヒルドがグラストに連絡を取り、やや切羽詰まったグラストの声が会食堂に響いた。
魔術回線の向こうで声を張らないと聞こえないくらい、グラストの居る現場は騒然としているようだ。
慌ててエーダリアもそちらに行き、ヒルドと共に、グラストと会話をしている。
通信の向こうから、うわぁぁという鬨の声のようなものが聞こえてきたせいか、怯えたディノがへばりついてきて、ネアはそんな魔物をクッキーを食べていない方の手で撫でてやった。
まるでクッキー祭りの時のような騒ぎなので、これはもう、すぐに解決するという感じではなさそうだ。
「……………今日はちょっと肌寒いので、こんな日に雨でびしゃびしゃになるのは嫌ですね」
「わーお。雲雀が十数羽って、大惨事かな……………」
「ゼベルが加わるのであれば、少しは落ち着くかもしれないけれど、山猫がいれば良かったね」
「む?ジルクさんは、雲雀さんに効果があるのですか?」
「山猫の精霊は、雲雀を季節の食事として好むんだ。雲雀達は、山猫の精霊がいると近付かないようにするものだけど、今日は雨だからね……………」
「あやつめは、水に濡れるのが大嫌いでしたね……………」
「ありゃ。じゃあ役には立たないかぁ……………」
山猫の精霊は、人間に害を及ぼさない人外者ではない。
そんな彼等は水に濡れるのが大嫌いで魔術師狩りが好きなので、こんな雨の日に引っ張り出すと、雨雲雀の事件は片付いても、気分を損ねた山猫が他の厄介な問題を起こしかねないという。
そうなるとやはり、エーダリア達が相談して追加派遣を決めたゼベルが、エアリエルの手を借りて、少しでも現場の混乱を収めてくれることを祈るばかりだろう。
本日は魔物達がこちらにいるので、ゼベルがリーエンベルクを離れても問題はない。
なお、先日の投影型の罠の仕掛けについては、既にノアとアルテアが議論し、ダリルの迷路魔術の魔術因子を借りた上で、対策用の術式を構築したそうだ。
二人の魔物が一刻程議論しただけで、これ迄のリーエンベルクの鉄壁の守りを破った程の術式専用の対抗策を構築してしまうのだから、やはり高位の魔物という存在は頼もしいものではないか。
その対抗魔術は既に運用開始されており、エーダリアは、新しい魔術の構築式にすっかり大興奮であった。
(でも、そんなに凄い魔術を構築出来る魔物さんでも、雨雲雀は苦手なのだわ)
案外、魔物達が怯えているのは雨雲雀と戦う住民の声かもしれないが、ディノに引き続き、ノアまでもがこちらにやって来て体を寄せているので、相変わらず不得手なものがはっきりしているとも言える。
ネアは、手助けに行くべきかなと思いはしたものの、この魔物達の様子を見ていると、現場に連れていっても怯えてしまって難しいだろう。
「ゼノは大丈夫でしょうか。……………お腹が空いていないといいのですが」
加えてこちらは、耐水性ではないので雨の日の任務にとても弱い乙女である。
高位の魔物達との比較はするまでもないにせよ、ネアは、可動域の低さから、騎士達よりも雨の中での動きが鈍くなってしまう。
エアリエルが雨を弾けるゼベルや、陽光の系譜の祝福が強く雨に体温を奪われないグラストはもはや例外的だが、他の騎士達も、魔術効果を展開し、雨粒が視界を遮らないようにする程度の事は出来てしまうのだ。
「雲雀が増えたから、ゼノーシュは必要だろうけれど、……………終わるのかな」
「ゼノの力も、必要な現場なのですね。そして、先程の声の様子ですと、戦っているのはどうも雲雀さんだけではないような気がします」
「近くの領民も、雲雀と戦っているんだろうなぁ。…………現場近くは商店が多いから、そりゃ店主は怒るよね」
「…………お買い物帰りにびしゃびしゃにされたら、買い物客も怒り狂いますよ」
「ご主人様……………」
またしてもディノは怯えてしまい、疲れた様子でこちらに戻ってきたエーダリア達によると、やはり、雲雀達だけでなく、荒れ狂う雲雀に雨水をかけられて激高した領民までが雲雀と戦い始め、現場はたいへんな騒ぎになっているらしい。
騒ぎが大きくなればなるほどに遠方からも気付かれやすくなり、離れた位置にいた雲雀達まで参戦するという、とても嫌な循環が出来つつあるのだとか。
「なので、まずは現場の封鎖と、雲雀達と領民の引き離しからだな。……………グラストは、街の騎士達と共に現場近くにいた買い物客の避難を優先していたようだが、今回はそれが裏目に出たらしい」
「領民達は、転移が出来る者も多いですからね」
「ああ、そっか。まさか避難誘導の隙に、後から来た買い物客が、雲雀と戦い始めてるとは思わないもんね……………」
「ああ。落ちてくる雨の被害を受けるので、封鎖した現場に留まる事が得策ではなかった事も、転移の客を見過ごしてしまう要因になり、続く混乱に拍車をかけてしまったのだろう」
グラストや街の騎士達は、雲雀の荒れ狂う区画はすぐさま立ち入り禁止にし、雲雀達の鎮静化に当たろうとした。
雲雀達が飛び交い落す雨の雫は、風雨の塊となって叩きつけられるので、なかなかの水圧となる。
今日のような本降りの雨の日ともなれば、二次被害を避ける為にそうせざるを得なかったのだ。
しかし、現場近くには商店が多く、残念なことに、ウィーム領民の中には転移を使える者が多かった。
そんな者達が、今日は雨なのでと転移を使って店先にやって来てしまい、雨雲雀の被害を受けて荒ぶり出すという展開になってしまったらしい。
「封鎖近くの外では、スープ屋の屋台が出ているようですよ」
「ほわ、…………お祭りのようになってきました」
「祝祭になってしまうのかな……………」
「わーお。僕、ずぶ濡れになる祝祭はさすがに嫌なんだけど……………」
「もはや、ラケットのようなもので、低空飛行時の雲雀さんを打ち落とすしかないのでは……………」
「ご主人様…………」
あまりにも獰猛なご主人様にディノはすっかりしょんぼりしてしまい、そっとバタービスケットをお裾分けしてくれる。
何かを思いついた様子のヒルドがなぜかエーダリアに視線を向け、エーダリアがぎょっとしたように首を横に振っているので、実はウィーム領主はテニスなどの名手なのだろうか。
「ありゃ。あの剣を使うと、商店周りの雑多な魔術式が壊れるから、やめた方がいいと思うよ」
「おや、そうなのですね。…………排除するという意味では、有用かと思いましたが」
さらりとそう告白し、にっこり微笑んだヒルドは、悪さをした妖精の羽は毟る派なので、そろそろ雲雀は一斉排除の方針になりかけているようだ。
恐らく、雲雀と戦っている領民達の中には、既にそのつもりの者もいるのだろうが、ウィーム領民が荒ぶっているのに未だに解決しないとなると、確かに雨雲雀は厄介なものなのだろう。
(ネイアさんがいれば、すぐに解決しそうな気がするけれど……………)
そう考えていたネアだったが、事態はその後、思わぬ解決となった。
騒ぎを聞きつけたシヴァルが、雲雀達の嫌う香料をその場で焚き、ぎゃっとなった雲雀が散り散りになっていっての収束になったらしい。
怒り狂う領民達は、報復の機会を逃しむしゃくしゃしていたようだが、気を回したグラストが被害者たちに屋台のスープを奢ってどうにか事なきを得たという。
後から現場入りしたゼベルのお陰で、転倒などによる被害や、周辺店舗の損傷なども防げたそうだ。
しかし、市街戦の中では、敵の捕縛よりも人的被害の軽減や施設の保護で手一杯だったと、リーエンベルク第二席の騎士は疲れ果てての帰還になったらしい。
エーダリアは、荒ぶる雨雲雀対策を魔物達に尋ねてみたが、ディノもノアもふるふると首を横に振るばかりだったので、きっとまたどこかで、こんな戦いの日が訪れるのだろう。
魔物達にも、不得手な対策もあるようだ。
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