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苦いシロップと魔物の新薬




リーエンベルクは、ウィームの領主館だ。

ネアは時々、そんな大事な事を疎かにしてしまう愚かな人間になる。



それは即ち、政治的な要所であり、それだけの立場に見合う悪意や注意がどこからともなく集まるかもしれないということなので、決して油断をしてはならないのだと。


だが、ネアはついつい、リーエンベルクを大勢の人がいてくれる頼もしいお家だと思いがちだったのだろう。

排他結界に囲まれたその敷地内であれば、騒ぎを起こすのはせいぜい不可思議な生き物達くらいだと気を緩めていた。




だからその日、悲劇は起こってしまったのだ。




「まぁ。さては騎士さんの落とし物でしょうか」

「キュ」



ムグリスな伴侶と散歩に出ていたネアが、正門前で見付けたのは、リーエンベルクの騎士が身につけるサッシュであった。


斜め掛けにするこの装いは何だか貴族的かつ騎士的でとても好きなのだが、エーダリアの正式な装束として採用されている腰の飾り帯のように、このサッシュにも、魔術刺繍を施した守護の道具としての役割がある。

装飾に見えるものの全てに魔術道具としての意味を持つのが、ここに務める者達の装いなのだ。


勿論、ネア自身も公式の場や任務で身につける衣服にはそのような規則を取り込むのだが、だからこそ、騎士のサッシュが落ちているともなれば、拾わずにはいられない。

鍛錬の際などに外す事もあるのだが、とは言えこれは大事な仕事道具なので、持ち主は困っているだろう。



その時のネアは、思い返すのも恥ずかしいぐらい、すっかり油断していた。


何しろそこは、リーエンベルクの敷地内に当たる場所だったので、何か問題のあるものが入り込むとは思ってもいなかったのだ。



(……………っ、)



しかし、ネアが手を伸ばしてサッシュを拾おうとした瞬間、ムグリスディノが、びゃいんと三つ編みを逆立てた。


そしてネアも、体を屈めた際に、落ちているサッシュになぜか影がない事に気付き、慌てて手を止める。

だが、そうして事前に気付けた筈の罠から逃れられなかったのは、さも地面に落ちているかのように思われたサッシュが、光か何かの魔術で木漏れ日の煌めきのように地面に映し込まれたものだったからだ。


伸ばした手が該当部分に触れておらずとも、ネアは既に、それを投影する光の筋の中に指先を入れてしまった後だったのである。



「……………ぎゃふ!!!」



その直後のネアを襲った悲劇は、言葉にしようがなかった。


ぼてんと落ちた先は、見知らぬ街の路地裏で、ひんやりとした石畳にべしゃりと転ぶ。

覚えのある展開に光竜の事件のことを思い出してしまったのは、潰さないように体を捻った胸元に、ムグリスディノが収まっていたからだろう。



「ディノ、元の姿に……………にゃぐ?!」



そして、そんなムグリス姿の伴侶を抱き締めようとしたちびこい自分の手を見て、ネアは仰天した。


(……………こ、これはどういうこと?!)


多種多様な事件の経験が豊富なあまり、ネアは、ある程度の事では動じない自信がある。

だが、突然ちびころ化ともなると、さすがに驚愕せざるを得なかった。


何しろ、ちびころ化が起こった際に体に合わせて伸縮するような服地でもないので、今のネアは、服の中で体が泳ぐような状態になっているし、すぽんと脱げ落ちないだけましではあったが、この上ない無防備さではないか。


おまけに、ゆるゆるになった服地からぽてんと落ちたムグリスディノは、人型に戻ってくれることなく、けばけばになって必死に首を傾げている。


事故の多いネアが、この状況の異常さを理解出来ない筈もなく、これはまさか、ディノは元の姿に戻れないのではと考えた人間の行動は、とても早かった。



「アルテアさん!」


すぐさま使い魔の名前を呼んだのだ。


「……………おい。何だ、この有様は」


そして勿論、何の前置きもない名前による召喚がどのような意味を持つのかを知っている使い魔は、ネアが呼んだ名前の響きが消えるか否かくらいの素早さで駆けつけてくれた。


使い魔の名前を呼びながら、ネアはまず、長すぎる袖を素早く捲り上げて、何とか手を出せるようにした。

そして、けばけばのムグリスディノを、はぐれないように両手で抱っこしていた。

そこに到着した使い魔にほっと胸を撫で下ろし、どこかへお出かけ中だったのか漆黒のスリーピース姿の魔物を見上げる。


あまりの高低差に首がおかしくなりそうになり、むぐぐと顔を歪めていると、静かな溜め息が落ちた。

身を屈めたアルテアの手で、もだもだになった服で包まれ、軽々と抱き上げられる。



「もんのうちぎゅ……………側に落ちていたサッシュを拾おうとしたら、光で映し込まれたような、おかしな物だったのです!触る前に気付いたのですが、間に合わず光の筋に触れてしまい、……………むぐぐ、ここに落ちたばかりか、ちびころでした……………」

「その様子だと、シルハーンも擬態を解けないな。………特定の付与効果を持つ、武装解除型の召喚魔術か。……………ほお。お前の守護の重さに、召喚には仕損じたようだな。これだけの術式を動かすとなると、異国の王族か高位貴族の子飼いだろうが、術者が死んだ以上、ある程度の証拠固めは可能だろうな」

「……………むむむ」


ネアに額を合わせるようにしてそこまでを読み解くと、アルテアは、魔物らしい赤紫色の瞳を眇め、ひやりとするような暗い微笑みを浮かべた。


まるで牙を剥く獣のようだが、その不機嫌さは幸いにもこちらには向いていない。

であれば、ネアとしては、そろそろ是非に体に合った服などを用意して欲しいのだった。



「ノアにも連絡しましゅ………す!」

「……………まさかとは思うが、知能も体と同じ仕様にされていないだろうな」

「むぐ。………こちらに落とされた際に転びまして、頬の内側を噛んだのでふよ。ついつい、ぴりりとしないように喋ろうとしてしまい、言葉がくしゃくしゃになります」

「…………ったく。治癒は、移動をしてからだ。それと、ノアベルトには連絡をしておいてやる。………ダリルにもだな。お前は、少しの間、俺の屋敷で預かりだ」

「………ふぁい。お家には帰れないのですか?」



虚空に何かを指先で書いたアルテアに、ネアは、くしゅんと項垂れた。

指先で描いた文字がぼうっと光り、吸い込まれるように消えていく。

以前、特別な隔離地でなければ、アルテアの仕事で使う連絡術式を使い、ある程度の連絡体系を構築しておくと話していたので、これがそうなのだろう。



「投影型の魔術を敷いた条件付けがどこまでかは分からんが、あちらの調査が終わり、この武装解除が解けるまでは、魔術の場となったリーエンベルクに戻るのはやめておけ。……………因みにここは、ヴェルリアの郊外の街だ。恐らく、目的地は王都だったんだろうよ」

「犯人めは、滅びればいいと思います」

「お前に召喚をかけたんだ。実行犯は、もう跡形もないだろう。……………残党がいれば、ダリルあたりか、まぁ、ノアベルトかもしれないが、対処するだろうよ」


ふわりと転移を踏むアルテアの腕の中で、ネアは、ちびころ姿では、魔術の風でふぉっとなるのだと初めて知り、慌ててアルテアの胸元に顔を埋めた。

普段であれば心地よいくらいの風量が、体が小さくなっただけでこんなにも印象が変わるものなのかと驚いてしまう。


ぎゅっと抱き締めたムグリスディノはまだけばけばだが、アルテアが来てくれたことで、少し落ち着いたようだ。

元の姿に戻れないので三つ編みをへなへなにしているものの、頬を寄せたネアにすりすりしてくれているので、もふもふの姿でも精一杯慰めようとしてくれているのだろう。



「……………追跡魔術も動く様子はなかったな。武装解除と捕縛の用意までが限界だったか、或いは、お前を呼び落そうとしたことで、術者以外も全滅したかのどちらかだろう」

「アルテアさんのお家です!」


転移の先で、いつものアルテアの屋敷に到着すると、ネアは、ぱっと笑顔になった。


安堵の息のあまりの深さに胸が痛めば、今更、胸がどきどきしてきてしまい、まさかのちびころ姿で放り出された事が、どれだけ怖かったのかを思い知らされる。


帽子を取り、そんなネアをまずは長椅子に設置したアルテアも、ふうっと息を吐いていた。



「………これは、ただ時間が経てば、元に戻るのでしゅ………すか?」

「キュ」

「ああ。一定時間の後、自然に解けるようなものだろう。無理矢理引き剥がしてもいいが、魔術洗浄の必要量と、お前の今の体格が合わないな。その体だと、飲める薬湯の量も限られる」

「にゅまはきゃっかします……………」

「キュ……………」



カーテンは閉めてあったが、もう見慣れてしまったその屋敷の中には、花瓶に生けられた花の香りがした。


アルテアが片手を振ると、カーテンが開かれ、穏やかな午後の木漏れ日が部屋に差し込む。

その不思議な穏やかさに、ネアは、膝の上のムグリスディノを撫で、体に巻き付けたドレスをクッション代わりにして長椅子に沈み込む。



「武装解除の術式は、捕縛する、………或いは排除するまでの間に無力化を図る為のものだ。ここまで強引なものは、それを許された位階でしか使えないが、リーエンベルクの門の内側だったんだな?」

「はい。正門前広場の、門の内側のところです。落としたままではいけない物だと思い咄嗟に手を伸ばしかけてしまいましたが、地面との接触面に影がなかったので、触れる前に手を止めたのです。………ただ、間に合いませんでした」

「元々、拾い上げる前に気付くのも想定の内だろうな。光に触れさせることが目的だろう。………そろそろ、ウィリアムも来るな」

「お約束していたのですか?」

「今回の事は、お前の守護に触れたんだぞ。あいつが、黙っている訳がないだろうが。余計な騒ぎを起こさないよう、すぐに連絡を入れてある」



そう言われたネアはこくりと頷き、ディノも、ネアを意図的にどこかに連れ去るような魔術を展開した者への対抗策を用意していたことを思い出した。


迷い込んだり召喚されたりする事はあるが、その排除術式に触れるような意図的な連れ去りというものは、実はそう多くない。

本来はそちらの方が稀有なのだが、今迄の事故は既存の対応策に触れないやり方が多く、今回は、珍しくしっかり守護に触れるやり方だったようだ。



「……………む。もしや、そのような守護の反応で、召喚者めはばりんなのでしょうか」

「当然だろ。どれだけの守護が動くと思っているんだ。………思っていたよりも跡形もないが、シルハーンの守護はそんなものだろう」



そう聞けば、呼んですぐにアルテアが来てくれたのも、守護が揺れたからなのかもしれない。

ふむふむと頷き、長過ぎる袖をもう一度捲り上げていると、アルテアが呆れ顔でこちらを見る。



「……………因みにアルテアさんは、ちびころの服などは、持っていませんよね?」

「俺の趣味じゃないな。……………ウィリアムを、リーエンベルク経由にさせておいてやるから、服を持たせるように連絡しておけ。ノアベルトはリーエンベルクに留まらざるを得ないが、あいつは、どうあってもここに来るだろう。………守護を揺らされた以上はな」


ネアはこくりと頷き、そこからたいそう苦労して首飾りの金庫の中を探った。

幸い、この首飾りと指輪については、体に合わせて形を変え、決して落としたり外れたりしないようになっている。

だが、とても悲しい事に、ちびころの手の長さでは、首飾りの金庫の中身を取るのが一苦労だったのだ。


んぐんぐと、じたばたしながらピンブローチを取り出し、その途端に通信の通知が入り、ぎゃっとなる。

慌てて対応可能にしたところ、すぐさまエーダリアの声が飛んできた。



「ネア、大丈夫なのか?!」

「……………ふぁ、ふぁい!アルテアさんに保護して貰い、アルテアさんのお家にいます」

「…………そうか。……………お前の守護が揺れたと、ヒルドとノアベルトが同時に気付いたので、……………ひやりとした……………。ディノも一緒だと聞いているが、二人とも無事なのだな?」

「はい。私はちびころになり、ディノはムグリスのままですが、一定の時間で解除されるようですし、二人共怪我はありません」

「キュ!」

「………ご無事でほっといたしました。…………ネイ、落ち着いて下さい」

「ネア、どこも怪我はしてないかい?擦り傷一つでもあったら、お兄ちゃんに教えて欲しいな」



(あ、……………これは凄く怒っているぞ)



いつもよりも朗らかでさえあるノアの声に、ネアは、ぎくりとした。


ネアとしても、善良な人間とは言えないので、報復をしてくれる分には構わないのだが、冷静さを失う事で、本人や家族に不利益があっては困る。

なのでネアは、頬の内側を噛んだ事は伏せておこうと考え、凛々しく頷いた。



「怪我は、軽微なもので済んだようだな。それと、ウィリアムにそちらを経由させる。子供用の服を用意しておけ」

「ぎゃ!なぜ言うのだ!!」

「……………へぇ。僕の大事な女の子に、怪我なんてさせたんだ。……………ん?………何で子供用の服なのさ?」

「身体能力を奪うという意味で、対象を子供姿にする魔術は、存外珍しくはない。それを武装解除の術式として組み込むあたり、なかなか術式構築に長けた奴がいたんだろう」

「肉体的な変化も伴う武装解除の術式を許されているのは、国内だとヴェルリアだけだね。装備の解除だけならガーウィンとアルビクロムも可能だけど、そこ迄となると難しいかな。……………後は、カルウィあたりはその手の術式が潤沢かな」

「ランシーンにも古式の武装解除術式がある。………だが、今回のものは、純粋な人間には扱えない魔術が含まれている」



そう返したアルテアに、ネアは、ぎりりと眉を寄せた。


敵が人外者であれば、きりんを使い滅ぼせるという利点もあるのだが、どこかの国が絡むような政治的な繋がりを持つ相手だと、対応は慎重にならざるを得ないだろう


他国と高位の人外者との繋がりというのはとても厄介で、こちらが邪魔に思う者を排除して済むという簡単な話ではない。


例えば、今いる人外者を排除した後に、より面倒な人外者と契約をされてしまう恐れもある。

それを避ける為に、敢えて対処可能な現在の人外者を残すという判断も、国や政治が絡むと少なくない。


高位の人外者を駒に見立てた配置は、そのまま大陸内の勢力分布に繋がる。

大きく盤面を変えるような行動は、駒の配列を戦略的に調整出来る者しか許されないのだ。



「ダリルには話したのかい?まだだったら、僕から連絡するけど」

「既に連絡してある。こいつの守護の重さに召喚も途中で仕損じたが、当初の取り寄せ先はヴェルリアだ。……………後は、そちらでどうにかしろ」

「うん。そうしよう。……………それと、リーエンベルク周辺は僕が調べておくから、こちらの安全確認が終わるまではネアを預かってくれるかな?」

「当然だ」

「ネア様の着替えは、こちらでウィリアム様にお渡ししておきましょう。どうぞ宜しくお願いいたします」



心配してくれた家族にお礼を言い、また、とても元気なので安心してくれるようにも重ねて伝えると、ネアは、通信の切れたピンブローチをしまいながら、くすんと鼻を鳴らす。


アルテアは、暫くどこかへ連絡を取り続けていたが、それらを終えてしまうと、前髪を掻き上げ、上着を脱ぎながら長椅子の上のちびころなご主人様を観察してくる。



「……………にゅぐ」

「まずは、治癒からだな。……この状態だと、ウィリアムが俺の屋敷の魔術基盤を崩しかねない」

「お口の中だけですし、じそんじこ、なのでふよ……………あぐ」



袖を捲ったアルテアが、床に膝を突き、ネアの顎先に手を当てた。


唇に触れた指に、歯医者に行った時の事を思い出しながらあぐと口を開けば、親指を噛ませて口を閉じないようにさせられつつ、口内を覗き込む視線を感じる。


あまり丁寧に生活をしていない乙女は、歯を磨いておけば良かったと悲しい気持ちになったが、幸いにも視診はすぐに終わり、ふわっと魔術の温かさが頬に触れる。


「…………もう、どこも痛まないな?」

「……………んむぐ。………はい!すっかり痛い部分がなくなりました。アルテアさん、有難うございます」

「キュ!」



治療のお礼を言ったものの、いつもならあれこれと面倒見のいいアルテアらしくなく、未だに大人用の服にぞんざいに包まれただけの状態なのはなぜだろう。


守護が揺らされた事でまだ不快感が残るのかなと思ったが、まだ落ち着かないという事もなさそうだ。


不思議に思って少し表情を観察したところ、どうやらこの魔物は、自分のご主人様がちびころなのがあまりお気に召さないようだぞと考える。



「私にとってもたいへん屈辱的な姿ですが、アルテアさんは、ちびころは嫌いなのですね?」

「……………言っておくが、幼児に傅く趣味はない。俺は、ウィリアムやノアベルトとは違うからな」

「確かに、この姿では、いつもの私の偉大さはあまり感じられませんものね」

「偉大?」

「ぐるる…………」



使い魔がとても落ち着かない様子なので、ネアは、一刻も早いウィリアムの到着を願った。


何しろやはり、脱げかけた服に包まれているだけというのは、乙女としてたいへん心許ない。

そこばかりは一刻も早くどうにかして欲しかったが、幼女の世話をすることが不愉快であるのなら、苦手な事を強いて苛々させるのも酷だろう。


きっと何か用事があった筈なのに、こうしてすぐに助けに来てくれたのだ。

この魔物にとって、それがどれだけ稀有な事なのかくらい、ネアにだって分かっているのだから。



「アルテアさん、助けに来てくれて、有難うございます」

「今回は、お前の迂闊さのせいでもある。狙いは騎士だろうから、エーダリアやダリルあたりは、お前に礼を言いそうだがな」

「はい。自分の行いは、きちんと反省しておきます。……………そして、騎士さんを狙ったとなると、政治的な背景や理由があるのでしょうか」

「その辺りの調査は、あいつらがやるだろう。……………だが、この武装解除のやり口は、狩りの方法にも近い。素材や道具としての捕縛目的でもあったかもしれないがな」

「まぁ。そのような理由があるのかもしれないのですね。…………困った事件に繋がらないといいのですが」



何しろ、リーエンベルクの内側への浸食を可能にした事件なのだ。


ネアは、今回の事件を皮切りに、何か大きな事件に発展するのではと不安になったが、それはないときっぱり首を横に振ったアルテアによれば、事件の全体像を見てみれば、そこまでの事件ではないようだ。



「…………しかし、敵めは、リーエンベルクの内側にまで介入出来るような、凄腕さんだったのでしょう?」

「騎士の装束を調べた程度の下準備もしているな。だが、そこに勤める者がどの程度の階位なのか、どんな守護や付与魔術を持ち、どんな人外者を得ているかの情報がまるで足りていない。こちらの手の内を読む為に仕掛けただけだとしても、あれだけの武装解除術式の構築者を失うのは、俺の目から見ても不利益が過ぎる。今後も懸念材料が残るような相手とするには、あまりにも稚拙な作戦だろう」

「む!…………言われてみれば、そのような面もあるのですね」



なのでアルテアは、その稚拙な作戦を立てた誰かが使った術者が、思っていたよりも高度な術式を組み立てられてしまったという事件だと考えているようだ。


話を聞けば確かに、やってみて全滅というのはあまりにも行き当たりばったりだし、アルテアの見立てでは、ネアが召喚の途中で落とされた事からしても、より可動域の高い騎士達を運べたのかどうかは怪しいと言う。


「もしや、可動域が少ないと軽いのです?」

「魔術的にはな。特に運命の魔術を持たない個体は軽くなる。だからこそお前は、こうも事故り易いんだろうよ」

「ぐぬぬ………」




ここで、アルテアが何かに気付いたように顔を顰めた。

どうやら、ウィリアムがこちらに到着したらしい。



「……………くそ。なんであいつまで、この屋敷に招き入れなきゃいけないんだ」

「ほわ、……お世話をおかけします………?」

「キュ………」



アルテアが、とても嫌そうに招き入れに行くと、ゆったりとした動きではあるが、隠しようもない焦燥感を滲ませ、ウィリアムが部屋に入ってきた。


ばさりと揺れた白い軍服のケープは、居心地のよい屋敷の居間で見ると、何だか不思議な気がする。

ちびころになり、お膝の上にむくむくのムグリスディノを抱っこしているネアを一瞥し、終焉の魔物は白金色の瞳をはっと瞠り、凍えるような冷たい目をした。



「……………ネア、怪我はないか?」

「ぼてんと転んだ際に、自分で頬の内側を噛んでしまいましたが、それはアルテアさんが治してくれましたので、ちびこい以外は元気いっぱいです。……ウィリアムさん、来てくれて有難うございます」

「……………ああ。…………守護が揺れた時は、息が止まるかと思ったぞ。………引き落とし先については、守護に触れたことで受ける障りを反映させ、より負荷をかけて念入りに潰しておいたから、安心していいからな」

「ほわ、…………念入りに」

「…………妙に跡形もなくなったのはシルハーンの守護のせいかと思ったが、お前のせいかよ」

「キュ……………」



ネアは、召喚者がどうなったのかについては深く考えないようにし、そろりと頷いた。


今回はそれでいいが、間違いでの召喚などもあるかもしれないので、今後の運用については少し考えて貰った方がいいのだろうか。

 


「アルテア、死者になった人間を五人確保してあります。どうやら、カルウィの王族の末席の、王族籍を持たない程度の人間だったようですね。誰かに取り入る為の手土産が欲しかったのか、何か政治的な悪意があったのかは定かではありませんが、術式を扱う指先が器用な割に、理性を宿す頭は軽かったらしい。職種としては、商人のようですよ」

「ほお。捕縛済か。…………それなら、俺からも少し話をしておこう。ノアベルトに渡す前に、一度俺に寄越せ」

「最後は俺が引き取りますので、それまではどうぞご自由に。………さて、ネアはまず着替えようか」



こちらに視線を戻してそう微笑んだウィリアムに、ネアは、こてんと首を傾げた。

さも、一緒にお着替えします風の言い方だが、ちびころく見えても、こちらにいるのは淑女なのである。



「はい。ヒルドさんから、私のちびころ服を預かって来てくれたのですよね。お着替えは自分でも出来るので、……………むぐぐ」

「その様子じゃ難しいだろう。向こうで着替えような」

「じ、自分で着替えられまふ?!」

「キュ?!」



ネアは、慌ててちびころでも有能であることを示そうとしたが、春先とは言え、ウィームの女性の装いはたっぷりとした布地を使ったドレスである。


ネアの場合は動き易さを重視して、街中で働く女性達のように少しばかりスカート裾を上げているが、それでも幼児姿でその中に閉じ込められると身動きがままならない。

じたばたしているところをウィリアムにひょいと持ち上げられてしまい、ネアは、絶望と悲しみの眼差しのまま、隣室に連れていかれる羽目になってしまった。



「ひ、一人で頑張ります!」

「ネア?今度は、ここで転んだらどうするんだ」

「ふにゃぐ…………」



ただのちびころお着替えならまだしも、脱げかかっている服から解放される為の手伝いもして貰わねばならず、ネアは、ウィリアムに、途中まで手伝って貰っては一時的に背中を向けて貰う運用をお願いし、ぜいはぁしながら着替えを終えた。


漸く着替えが終わると、疲労困憊した乙女は、抱っこしたまま一緒に来たムグリスディノを抱え、ぼふんとその毛並みに顔を埋めてしまう。

くすりと笑ったウィリアムが、そんなネアごと、ムグリスディノも一緒に抱き上げてくれた。



「これで、動きやすくなっただろう」

「はい。有難うございました………。武装解除という魔術に、ちびころがあるとは知りませんでした」

「武器や魔術などの使用を禁じても、身一つで戦える身体能力が高い人間も少なくはない。要人達の集まる場所にそのような人物を証人として連行する場合や、有能な敵将などを捕虜とした場合に使われる、術者側からの強制魔術だな。呪いから着想を得たようだが、意識や思考を奪わずに無力化出来る利点がある」

「確かに、幼児にされるだけで出来なくなることは、随分多いように思います。先程、首飾りの金庫の中に手が届かなくてはらはらしました」

「……………それは、シルハーンやアルテアにも話しておいた方がいいな。いざという時の為に、調整をして貰っておいた方がいいだろう」

「は!そうでした。ではお願いしておきますね!」

「キュキュ!」



思わぬ事から魔術金庫の弱点が露呈し、先程の部屋に戻ると、アルテアが魔術通信で話をしていた。

音声を閉ざしてはいないのでやり取りが聞こえてきており、どうやら相手はダリルらしい。


ネア達が戻ってからのやり取りは事後調整のようなものばかりだったので、通信を切ったアルテアが、要点を掻い摘んで説明してくれる。



「どうやら、王都に情報があったようだな。お前を捕縛しようとしたのは、ウィリアムが話していた通り、カルウィ出身の商人だ。ヴェルクレアとの交易が許されるくらいにはあちらでの階位や家格が低いが、王族の血を僅かに引いてはいる。顧客から、王族への献上品の相談を受けていたようで、仕入れと称してヴェルクレアに入ったらしい。王都では、何かろくでもないものを持ち帰ろうとしかねないと注視されていたようだ」

「やれやれ、観察対象でありながら、今回のような事が起こるまで見咎められずにいたのだとすれば、王都の監視体制はあまり優秀とは言えませんね」

「死後の再評価という形にはなるが、ヴェルクレアが思っていたよりは、遥かに優秀だったようだな。だが、魔術の才はあってもそれを生かすだけの才覚はなかったことは把握されていたようだ。……………不祥事を起こすのを見越し、であればこちらで削っておける枝だと泳がされた可能性もあるらしい」



(……………それはつまり、もし、その人を上手く使う人が現れたのなら脅威になるので、そうなる前に排除をしてしまいたいと思われていたという事なのだろうか……………)



「であれば、中央でも責任の在処が問われそうですね。ネアが絡むので、表沙汰には出来ないでしょうが」

「そのあたりは、ダリルが毟り取るだろうよ。中央との交渉は、ダリルとノアベルトで対応するそうだ」

「……………まぁ。寸分の隙もないという感じです」

「王都の連中は、捕縛が出来る程度の問題を起こさせ、極秘裏に始末した上で、身に持つ魔術だけを魔術に置き換えて回収しようとしていたんだろう。そちらもそちらで、策に溺れたと言わざるを得ないが、混ざりものの判別は容易ではない事が多いからな」

「ふむふむ。その方は、純粋な人間の方ではなかったのですね?」

「かなり微量だが、妖精混ざりだったようだな。迷路の魔術と鏡面魔術の組み合わせだそうだ。詳しくはまぁ、死者から聞くさ」



そう微笑んだアルテアに、ネアは、今回の犯人は死者として捕縛されていた事を思い出した。

それも、死者の王自ら捕縛済みとなれば、これ程に容易い取調べもないだろう。



今回の事件の魔術構築が、人間だけでは難しい魔術だと判断したのは、ダリルも有する、迷路の魔術の要素が使われていたからなのだそうだ。

これは、試練というものを授ける生き物達と、一部の人外者にしか有する事が出来ず、生粋の人間には扱えない固有魔術になる。


どれだけ有能な魔術師でも、種族的に持つ事が出来ないとされる魔術もあるらしい。

ひやりとするような事件であったが、大きな禍根を残す事はなく、ネアはほっとして、魔術の影響が抜ける迄の時間をアルテアの屋敷で過ごした。



そろそろ術式が剥がれるという頃合いで、いつもの薬湯を煮詰めたようなとんでもない子供用シロップを飲まされてしまい危うく味方の手で儚くされるところであったが、それは、魔術洗浄の為にアルテアがその短い時間で開発してくれたものらしい。



「そして、アルテアさんが、ちびころ嫌いなのは初めて知りました」


無事にその日を終え、自分の部屋に戻ったネアがそう言えば、こちらも元の姿に戻れたディノが首を傾げる。


「そうではないと思うよ。…………あの状態の君は、守護が及ばずに無力化された状態だっただろう?その脆弱さを視認するのが、不愉快だったのではないかな………」

「むむ、そういうものなのです?」

「私も、今回の事件で、ムグリスの状態だと武装解除の魔術が届くと知ってしまったからね。今後はそのような事がないように、魔術の組み換えをしておこう。…………魔物の肉体では、幼い頃の姿が存在しなかったので、あの状態を、魔術で無防備な幼さとして固定させたらしい。私達の守護に触れて壊れてしまったけれど、優秀な魔術師だったのだと思うよ」

「………きっと、そのような方も、世の中には沢山いるのでしょうね。今後も、どこからどんな攻撃や罠が仕掛けられるか分からないので、幼児化解除のお薬なども作っておくといいかもしれません」

「……………作れるのではないかな。作ってみるかい?」



そんなやり取りから生まれた、幼児化の解除に特化した武装解除魔術の対策薬は、ガレンから内密に国王と第一王子に試作品が納められ、すぐさま継続発注が入った。


聞けば、これまで対応策のなかったものであるらしく、リーエンベルクの歌乞いの魔物は、うっかり期待の新薬を開発してしまったのである。


ネアは勿論、エーダリアも常備する事になったが、身内からの振舞いについては無効というおかしな利用規則が設けられ、ネアとエーダリアは、ぎりぎりと眉を寄せる事になったのだった。









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