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38. 春告げの女王は半分です(本編)




さあっと、どこからともなく花びらが舞い散った。


春告げの舞踏会の主柱であるダナエが踊ったので、春の訪れの祝福があるのだ。

ダンスが終わったところで、ネアは額に落とされた口付けに目を瞬いた。


こちらを見て微笑む桜色の瞳は、はっとするほどに澄んでいる。



「…………ほわ」

「ここが一番祝福が強く現れるから」

「おでこ………」

「私と一緒に、春告げの魔術を踏み固めた直後だから」



そうおっとりと微笑んだダナエに、ネアは、口付けの位置ではなく、この場で祝福を贈る事の方だったのだなと頷いた。

褒めて貰えるのかなと期待に満ちた顔をしているダナエに微笑みかけ、えいっと伸び上がってその頭をそっと撫でる。



「有難うございます、ダナエさん」

「…………撫でられた」



ネアが触れた場所を手で押さえてぽぽっと頬を染めたダナエに、近くでダンスを終えた他の竜が呆然と目を瞠っている。

お相手はとても美しい妖精で、その女性も目を丸くしてほんわり微笑んでいるダナエを見ているではないか。


(みんなが知ってくれれば優しい竜さんなのだけれど、ダナエさんの場合は、怖くない部分を知られてしまうということも安全上良くないのかしら………)



「そう言えば、お料理は食べられましたか?」

「うん。バーレンが、みなが食べるものだから、一人で一皿食べてはいけないと言うから、必ず二つは残している」

「…………もしや、花びらの入っているゼリー寄せもでしょうか?」

「美味しかったけれど、グレアムがネアに一つ残すと話していたよ。食べたかい?」

「その流れでグレアムさんが持っていてくれたのですね。美味しくいただきました!」



そんな風に、ダナエとお喋りをしながら戻って行く途中の事だった。



(あ、……………)



すっと人並みを縫って伸ばされた誰かの腕に、ネアは、時間がゆっくりと流れるみたいにして白い指先がこちらに伸びてくるのを見ていた。


けれどもその手を、横から伸ばされた誰かの手ががしりと掴む。



どちらも、ほんの一瞬の事だった。



「…………ジョーイ」

「これはこれは、ヴレメ。気紛れに参加者を持ち帰るにしても、この女性はやめた方がいい」



ぎくりとしたネアのすぐ近くで、二人の男達が何やら険のある言葉で話している。

今、その手はこちらに向かっていたのだろうかと眉を寄せたところで、ネアの手を腕にかけてくれていたダナエが、ひょいっとネアを持ち上げた。



「…………ダナエさん?」

「危ないからこうしておこう」

「……………ええと、あちらの方々は、あのまま置き去りにしてしまって良いのですか?」

「うん。止めてくれたのは白百合の魔物かな」

「もしかして、私は今、狩りの獲物にされかけていたのでしょうか?」

「白虹は、気に入ったものを持ち帰るんだ」

「…………それはもはや誘拐と言うのでは………」



白虹と言えば、先程ネアが見ていた美しい男性だろう。


春告げの柱の誰かと同じ曲で踊ることも祝福とされるらしく、ダナエが参加したダンスが終わったばかりのあの場所は、とても混み合っていた。

大柄な竜の影になっていて、ネアには手を伸ばした相手は見えていなかったのだ。

ただ、その手を遮ってくれた男性の瞳がちらりとこちらを見て微笑んだのが、また別の参加者の隙間から見えたくらい。



(と言うか、ヴレメと聞こえたような………)



それは厄介な生き物ではなかっただろうかと首を傾げていると、先程の料理のテーブルから少し離れた位置の桜の木の下で、アルテアとグレアムを囲みかけている女性達の姿に気付いた。


それぞれに高位の魔物だからだろうが、二、三人の控えめな人数ではあるのだが、そのご婦人達のパートナーはどうしたのだろうという集まり方でもある。

ネアはダナエと顔を見合わせ、あの場所に帰るのだろうかと困惑していたが、もう一度そちらを見ると、巻き込まれてすっかり冷淡な無表情になってしまっているバーレンを見付け、あちらの竜は救出すべきであるという結論に達する。



しかし、端から攻めてバーレンを救出した後、またお料理のテーブルに戻る予定だったのだが、なぜかこちらを見たアルテアがすっと瞳を細めて温度のない微笑みを浮かべると、ご婦人達はさあっとその場から撤退してしまうではないか。



(あ、未来のお友達になるかもしれなかった人達が……………)



その可能性を潰したくなくて、あえて魔物達はそっとしておく方針だったネアは、悲しく無念の息を吐いた。

おまけに、抱えていてくれたダナエが下ろしてくれるなり、アルテアから叱られるではないか。



「たった一曲、手を離しただけで、どうやったらヴレメに目をつけられるんだ?」

「…………む、むぐぐ、……もしかして、どなたかの見知らぬ方が、私の手を掴もうとした事でしょうか?」

「見ていないと思ったら大間違いだぞ」

「私は無実です。見知らぬ方に突然の捕獲されかけただけですし、そもそも初めて見る方です」

「ここに来て早々に、お前はあいつを見ていただろうが」

「…………そ、それは、とても綺麗な方でしたのでつい……………」

「ほお…………」



赤紫色の瞳を眇めたアルテアに対し、ネアは慌ててまだ一緒に居てくれたグレアムの方にしゅばっと逃げ込む。

背中の影に隠れられたグレアムは苦笑していたが、謂れのない罪で裁かれるのだけは避けたい。


威嚇の為に小さく唸っていたネアを、振り返ったグレアムが片手を伸ばして捕まえると、夢見るような灰色の瞳を細めて愉快そうに教えてくれる。


「彼は、希少魔術の蒐集家なんだ。今日の君は彼の興味を引くようなドレスだから、それで目をつけられたのだろう。帰るまではアルテアから離れない方がいいな」


それを聞いて、ネアはほっとした。

ドレスが目的であれば、ネアの方には過失はない。


「まぁ、そのような理由だったのですね!おのれ、いきなりか弱い乙女の腕を掴もうとするような失礼な方にこのドレスは渡しません。今度近寄って来たら踏み滅ぼしてくれる」

「勿論そうして構わないと言いたいんだが、白虹が現れた春告げは災厄を終えてしまうという意味で、祝福が強まる。気質としてはなしだが、司るものとしては恩寵寄りの要素もある魔物だから、滅ぼさずに良いところだけ吸収して帰った方がいいかもな」

「恩寵寄りの要素もある魔物さんなのですね?」



そう言いながらも、気質としてはなしだとばっさり言い切られてしまう魔物とはどんな厄介な生き物なのだろうと首を傾げていると、まだ顔を顰めたままのアルテアが、とても分かりやすい例えを出してくれた。



「アクスを持たないアイザックだと思え。知られていない魔術と聞けば物だろうが生き物だろうが、全て持ち帰る。買い付けも蒐集も、全てが個人所蔵で違法だ」

「…………たいへん恐ろしい想像しか出来ませんでした。お持ち帰りが生き物の場合は、ほぼ、変態か犯罪者です」

「その認識をそのまま固定して、二度と近付くなよ」

「…………そう考えると、アイザックは欲望でアクスを抱えていてこそ、この世界で御せる魔物になるんだな………」


ネア達のやり取りから何か思うところがあったのか、グレアムが神妙な面持ちでそんなことを呟いている。



「そう言えば、助けて下さったのは白百合さんなのですが、お礼も言わずにその場を離れてしまいました」

「それでいい。ジョーイと顔見知りだとなれば、余計に拗れるだけだ」

「という事は、その魔物さんは、ジョーイさんと何やら因縁があるのでしょうか?」

「あいつの伴侶の髪を奪おうとして、かなり拗れた事があったな」

「ああ、あの時は小国の西半分が荒地になってしまって、ウィリアムが頭を抱えていたな…………」

「髪の毛は大切なものです。何と迷惑な生き物なのだ……………」



ネアは、ご婦人の髪の毛を毟ろうだなんて、どれだけ悪辣なのだろうと、ますますの拒絶感を募らせる。


髪の毛はとても大事なものなのだ。

それこそ、魔物であるのならギョームの魔物を観察して、人々の髪の毛への熱い思いを知るべきである。



(ジョーイさんには、後でゼノ経由で、ほこりからお礼を言って貰おう)



正式な御礼となると魔術的な絡みもあるものの、ほこり経由なら問題ない。

そんな厄介な魔物から守ってくれたのも、きっとネアがほこりの名付け親だからという事もあるのだろう。



「…………そう言えば、ジョーイさんはアイザックさんとも折り合いが良くないのですよね?」


その種の気質と合わないのかなと首を傾げたネアに、グレアムが微笑んで首を振る。



「ある種の、魔物が同族の伴侶を持つことで現れやすい弊害の一つだ。魔物は狭量だが、同時に伴侶であってもお互いに独立した資質を強く持つ。その結果、外部とぶつかる箇所が増え、取りこぼすものが………存外に多くなる」



声に滲んだ後悔の欠片に、ネアは、説明を断念せずにこの話をしてくれたグレアムに感謝した。

かつて、グレアムには魔物の伴侶がいて、だからこそ、その伴侶を喪って狂乱した人の言葉にはずしりとした重みがある。


けれども、ここで彼に不用意な言葉をかければ、グレアムが対価を支払って隠している秘密が露見しかねないので、ネアは、あえてそこには触れなかった。



グレアムという名前が今代の犠牲の魔物の名前でもある為、このような場所ではその名前を呼ぶ事が可能であるし、場合によってはシェダーという通り名を呼ぶ事をあえて避ける事もある。


しかし、グレアムが人間として暮らしているウィームの地で躊躇いなくその名前を呼ぶようになれるまでには、まだ時間がかかるだろう。


知ってしまったのなら赦され、知らせてしまったは命取りとなる。

魔術の理がかくも込み入ったものである限り、入れ替わりの魔術が求めた対価を安全に踏み越えるにはこの先も油断出来ない。




「………私とディノには、当て嵌まらないことだといいのですが…………」

「君とシルハーンなら大丈夫だろう。それでも、君の側にアルテアのような、一度に複数の事案を動かす事に慣れた魔物がいる事は大きい。………それに、失ったという経験を持つ者達がいる事もだな」

「そして、グレアムさんや、ダナエさんやバーレンさんが助けて下さった時も、とても心強かったです」



ネアがすかさずそう言えば、グレアムは微笑み、ダナエは、またバーレンの方を見て唇の端を持ち上げている。


しかし、勿論これはお世辞ではなく、実際に彼等がいてくれたからこそ逃げ延びた試練がネアにはあったのだ。



「魔物ではない立場で、尚且つその力を完全に切り離して世界を知るという事は、大きな強みだな。…………やってみて初めて、俺はそれを理解したような気がする」

「お前のあれと、俺の仕事を一緒にするな」

「はは、確かにアルテアの立場の方が、そこまでの擬態を有するのなら、より難解な場面に立ち会う事が多いだろう」



どれだけ高位の魔物でも、どれだけ器用な魔物でも、自分達とは違う形の生き物や心を扱う事に長けているのといないのとでは、想定出来る危険の幅がまるで違うのだそうだ。


この世界はやはり、知るという事こそが大きな力になるのだろう。




そうこうしている内に、ネア達のところにも、羊頭の春告げの系譜の従者達が桜の小枝を持って来てくれた。


ちょうどデザートテーブルを襲っていたところだったのだが、ケーキやゼリーで山盛りのお皿を持つネアと、大皿をそのまま手にしているダナエの姿に動揺されてしまう事もなく、一人一本ずつ、小枝が手渡される。



(最初は驚いたけれど、見慣れてくると可愛い精霊さん達だな………)



春告げの精霊の従者である彼女達は、とても良く気がつき、仕事も丁寧でお仕着せも可憐だが、強欲な人間は、本来の姿だというもふもふ羊姿を是非に見てみたいと考えてしまう。


羊のままなのは頭部だけだが、その部分の毛並みのもふ具合がとにかく素晴らしいのだ。



けれども、まず優先するべきはデザートである。

桜色のクリームの美味しいケーキや、果物が宝石のように盛り付けられた春果実のゼリーを焦る事なく楽しんでいただき、ネアはお皿を置いてからあらためて小枝に向き合った。



「ふむ。今年は頑張れば満開に…………」

「ならないだろうな。お前の可動域は幾つだ?」

「……………きゅうです。とてもいだいなすうじではありませんか」

「そうか、増えたんだな。おめでとう」

「ダナエさん!」

「………九、…………それは、どうやって生活をしているんだ?」

「おのれ、本気で困惑するのはやめるのだ…………」



なぜか、悲しげに目を瞠っておろおろし始めたバーレンの肩に、グレアムが片手を乗せている。


「彼女には、可動域では計れない才能があるんじゃないかな」

「……………そ、そうなのだな」

「ネアは食べたくなくて可愛い」

「きゅうはいだいです…………」



手の中にある小さな小枝をじっと見つめ、ネアは、じりじりとしながら念じてみた。

咲かないとへし折るとまで念じたのだが、残念ながら小枝には変化がないままだ。

ぞっとして周囲を見回せば、そこかしこで皆の小枝が咲き始めているではないか。



ダナエは一瞬で満開にしているし、バーレンも見事に咲かせている。

アルテアとグレアムも、それなりに花を咲かせているので、周囲に剥き出しの枝を持っている者はもういないようだ。



(私だけ、花が咲いていない…………!)



じわっと涙目になって小枝を振っていると、頭の上にぼさりと手が乗せられた。



「むが!この髪型はウィリアムさんがふわっとさせてくれたのですよ!」

「咲かせてやるとしても、二輪までだな」

「私の使い魔さんは、休暇も取らない上に、小枝の桜も満足に咲かせてくれません………」

「そもそも、お前の可動域なら本来は咲かないんだぞ?」

「使い魔さんを得ているのも私の実力の内なのでは…………」

「私が咲かせてあげるよ」

「っ、おい!」



ネアがしょんぼりしていたからか、気付いたダナエがこちらを見て微笑みかけてくれた。

ぎょっとしたようにアルテアが声を上げたが、次の瞬間にはもう、ネアの小枝はふわりと満開になっている。



「咲きました!」



目を輝かせて軽く弾んだネアに、ダナエは満足げに頷いてくれているが、なぜかバーレンは頭を抱えてしまったし、アルテアは深い溜め息を吐いている。



「……………ダナエ、白虹がいるんだぞ」

「今年の祝福は、とても良いものだよ」

「…………どんなものだ」

「春告げの王か女王が決まるまでは言えないんだ。ネアが取れるといいな」



どうやらアルテアは、ネアが目立つことを懸念しているようだ。

ダナエとしては、どうやら今年の賞品を取らせてくれようとしているらしい。

そんなやり取りを隣に聞きながら、ネアは手の中の美しい花枝をじっくりと堪能する。



(…………綺麗だわ)



美しい花がたっぷり咲いてふんわりとした小枝を眺めれば、ついつい唇の端が持ち上がってしまう。

満開になった小枝の美しさは、こうして持っているだけでも、ネアを充分に幸せな気持ちにしてくれた。



「私だけが、寂しく枝だった時代は終わりました。こうしてじっくり見れば、心がふんわりするとても綺麗なお花ですよね…………」

「…………ったく」



嬉しくなって見ていると、隣のアルテアが呆れたような溜め息を吐いた。

そして、おもむろにネアを背後から腕の中に収めるような位置に立ち、片手をネアの腹部に回してしっかり固定する。


ネアはいきなり背後からぐいっと拘束されてしまい、眉を寄せて振り返ろうとしたが、この位置関係で拘束までされているとなると、アルテアの顔を仰ぎ見るのは難しい。



「……………むぐぅ」

「この位置にいろ。妙な介入をされかねない状況だろうが」

「アルテアさんが、羽織りものに…………」

「だいたい、…………っ、」


何かを言いかけこちらを見下ろす気配がした後、アルテアは、なぜか言葉を詰まらせて黙り込んでしまった。



「…………アルテアさん?」

「…………シシィが、多忙でドレスを当日渡しにすると話していたのは、出来上がりを隠す為だろうな………」

「ふふ、秘密にしてしまいたいくらい綺麗なドレスですよね。このドレスは着ている私にも素敵な部分が見えるので、とてもお気に入りなんです。ほら、こうしてスカートの裾をふわっとさせると、私からも桜の森が楽しめるのですよ」

「………………やめろ」

「まぁ、なぜ弱ってしまったのでしょう…………」



片手でスカートを摘んでひらひらさせたネアに、なぜか背後のアルテアががくりと肩を落とすのが伝わってきた。

子供っぽかったかなと眉を寄せたネアに対し、隣のグレアムがくすりと笑う。



「さて、そろそろ選定だろうな。…………今年の白虹が本気で賞品を取りに来ていないといいんだが…………」

「…………あいつの場合は、身の内の資質の反映の仕方によって、咲かせられるかどうかが本人にも選べないからな…………」



ここからは、その魔物の姿は見えないようだ。

あの独特の装束がどこにも見えないことを確かめ、ネアは、自分の手の中の桜の枝に視線を落とす。



(…………そっか。術式を集めているのなら、珍しい祝福を得られるこの春告げの王や女王の座は、その魔物さんにとっては得難いものなのだわ……………)



そこには気付いていなかったと、ネアは眉を下げる。


そうなると、さてどうしたものかなと考えもしたが、やり直しのチケットは、色々な事件があった時にもこの上ない心の支えであった。

今後の生活の中で同じように助けになるものならば、賞品を得た当人にしか使えないものであるし、やはり得た者勝ちという側面もある。



やがて羊頭の女性がネア達の前までやって来ると、ネアの持つ小枝を見てから小さく頷いて去っていった。


この選定の間はしばし歓談の時間でもあるので、時折、高位の生き物達が挨拶に来る事もある。

ネアは、アルテアとグレアムに挨拶をして去って行く春風の妖精夫婦を見送りながら、今年はヨシュアを見ていない事に気付いた。



「今の方が、主柱になる春風の妖精さんなのですか?確か、以前にお見かけした綺麗な女性の妖精さんも、どこかにいらっしゃったような…………」

「あれはそれより下の階位だ。だが、あの程度の春風の方が、薬園の管理には向いているからな」

「畑の手入れ的な……………」

「ある程度の階位を得る為には畏怖も必要だが、エティメイトの風は強すぎる」



そう呟いたアルテアに、やはりそれは薬園の管理と育成の為の評価なのだろうなと頷き、ネアは不自由な体勢ながらも周囲を見回した。



しっとりとした朝靄に囲まれ、その切れ目からは花びらを浮かべた水面が煌めく。

幽玄なまでの桜の森だが、木の根元や大きな桜の木の影には、色のコントラストを絶妙に整える為に配置された、淡い赤みの紫色のライラックの木があったり、奥の方にほんの少しだけ覗くミモザの大木があったりと、上品な差し色が楽しめるのが素敵だった。



今年はスリジエがいないので、あえて桜の会場にしてその欠けた要素を補っているらしく、健やかな新芽の緑の森を見どころとした会場の事もあるのだとか。

夜の菜の花畑だったこともあり、ネアは是非に見てみたかったが、草花の系譜の中での黄色は貴賎がやや低くなる。


ミモザや水仙などの、色はさて置き花そのものの階位が高いものもあるが、菜の花の階位はそこまで高くない。

そうなって来ると、春告げの舞踏会の会場としては物足りないのではと言い出す者も少なからずいるのだそうだ。



胸の奥まで春の香りを吸い込み、ネアはうっとりと春告げの会場の空気を楽しんだ。

ダンスを踊っている間の楽しさも好きなのだが、こうしてゆったりと止まって感じる季節の舞踏会も大好きなのだ。



「ああ、来たみたいだな」


その声に我に返れば、グレアムの向こうから先ほどの羊頭の女性がやってくるのが見えた。

そちらを見るついでに、ネアはグレアムの周囲を探ってみたが、がらんどうだというお相手の女性の姿はないようだ。



(こんなに放置していて大丈夫なのかしら?)



「……………グレアムさんのお相手の方は、いいのですか?」


人形ですかとも聞けずにそう尋ねると、こちらを見たグレアムが小さく微笑む。

桜の森を映した灰色の瞳が煌めき、優しい表情ではあるのだが、どこか秘密めかした眼差しは魔物らしい美貌でもあった。



「俺は材料を割と人道的なものにしているからな。今は適当な場所で休ませている」

「……………材料」

「ああ。今回はアルテアやダナエと話をしたかったし、帰るまでにはジョーイとも話をしておきたいんだ。忙しくなるから、生身の相手では失礼な扱いになってしまう」

「それで、…………手作りのお相手にしたのですね?」

「ああ。他にも何人か注視しておきたかった相手がいたんだが、彼等は、今年は来ていないようだ」


春告げの舞踏会だからこそ顔を出す者達は、このような場所でしか話を出来ない相手と言葉を交わすことが目当てでの来訪であるが故に、お相手を邪魔にならないもので調整する事は実は珍しくはないのだとか。


春の系譜ではない者を伴う以上はある程度の制限はあるが、あまり望ましくはないものの、人造物であれば却って問題はない。

ネアからしてみると、以前、アルテアが人形を連れて来た事で驚いてしまっていたが、中には野生の小鳥を肩に止まらせておいて、これがパートナーだと言い張ってしまう者もいたのだとか。


勿論、そのような無理が通せるのはかなりの高位の者に限られ、より多くの者達がこの春告げの会場を踏み締めることも春を告げる魔術の一環なので、本来は、きちんとしたパートナーを伴うのが大前提だ。



(今年の春告げの女王の座を得られるだろうか…………)



再びこちらに向かって歩いてくる、春告げの系譜の従者の姿が見えた。


何やらお仕着せの色が違う、少し上役めいた雰囲気の女性で、ネア達の前でぴたりと止まり、アルテアに向かってメェメェ何かを話しかけている。



(まさか……………)



ネアは、不正がばれたのだろうかとぎくりとしたが、どうやらそのような気配はなさそうだ。




「今年は優勝者が二人いるらしい。君とその人物とで、賞品を半分に分け合うようになるそうだ」


そう解説してくれたのはグレアムで、ネアは、ディノからあれこれと言語機能を授けて貰ってはいるものの、なぜかこの羊頭の精霊たちの言葉や、ムグリスの言葉などは分からないのだなと今更に気付いた。



「分け合うことには異存はないのですが、半分こに出来てしまうものなのですか?」

「そのような判断であれば、出来るのだろうな。今、アルテアがそれで了承してくれた」

「ったく。妙な目立ち方をしやがって」

「むぐぅ……………」



アルテアと話し終えた春告げの系譜の精霊は、今度はダナエに何かを話しかけていた。

先程より若干距離を取っているのは、悪食である春闇の竜を恐れてのことなのだろうか。



「ネア、望む限りという条件が、望む限りの半分になってしまうけれど、半分でもいい?」

「ええ、いただけるものですので我が儘は言いません」



そもそもダナエのお陰で手に入るものなので、ネアは勿論頷く。

するとダナエが羊頭の精霊に頷いてみせ、その直後にメェーと大きな声が上がる。



今年の春告げの勝者の決定に、わぁっと舞踏会の会場が沸き、柔らかな風に桜の花びらが舞い散った。



今年は以前のチケットとは違う形状のものでるらしく、小瓶に入ったきらきらとした丸い宝石のようなものを銀盆に乗せた者がやって来ると、厳かな所作でネアに向かってそれを差し出してくれる。


幸い、背後の羽織りものの魔物が手を放してくれたので、ネアは何歩か前に進み出ると、そのお盆に持っていた小枝を置き、小瓶を受け取った。



「……………春の光を閉じ込めた飴玉みたいですね。なんて綺麗なのでしょう」

「指定した一つの春を、望む限り………の半分得られる祝福なんだ」

「むむ、それは、季節としての春の効果を得られるということですか?」

「春が持つ他の意味でも構わないよ。愛情の成果としての春も得られる」

「よし、俺が預かっておいてやる」

「むが!これは私のものです!!奪わせませんよ!」



すかさずアルテアにその小瓶を奪われそうになって、ネアは慌てて握り込んだ。

意地悪な魔物に頬っぺたを摘ままれてしまったが、どう使うのかは勝者の権利である。



「むぐるるる!」

「アルテア、ネアの賞品だよ?」

「愛情の成果を得てみろ。シルハーンが大騒ぎだろうが」

「まぁ、アルテアさんは私を何だと思っているのでしょうか。春を得られるものであれば、冬の系譜が強いウィームではきっと素敵なものに違いありません。これは、エーダリア様へのお土産にするのです!」

「ネアはしっかり者だな。だが、幻惑や微睡の効果支配などもある。しっかり議論して使えば、かなり有用なものになりそうだ」

「はい、そうさせていただきますね。………む、頬っぺたが解放されました。…………ふと思ったのですが、もし愛情を得る効果があるのであれば、アルテアさんのお嫁さん探しに使うという手も…………。もしかして、その為に必要なので欲しかったのですか?」



もし、そんな願いを持っての略奪騒動だったのならと、ネアは眉を下げてしまう。

しかし、最近いい出会いがないのかもしれない使い魔を案じた心優しいご主人様に対し、アルテアは盛大に顔を顰めた。



「やめろ。いらん」

「ゆくゆくは私のお友達になって、お泊り会などをする予定の方ですので、その為であればお譲りするのも吝かではありません」

「その種の問題は、二度と踏み込むなと話さなかったか?」

「今年の星祭りの星屑もあえなく砕け散ったのです。来年こそは、同性のお友達を………」



ネアは儚く訴えてみせ、可憐さが伝わるようにと目をしぱしぱ瞬きさせたが、残念ながら、使い魔は恋人は自分でやりくりすると言って聞かずにとうとう最後まで素直になってくれなかった。



(…………………ん?)



そんなやり取りの中、不意に横にいたダナエが僅かに体を屈めるのが見えた。


おやっと思う間もなく、何かを捕まえてぱくっと食べてしまったようだ。

ぎょっとしてそちらを見たが、足元にいた何かを食べてしまったこと以外は分からなかった。


ごりごりという咀嚼音に、近くにいた男女が蒼白になって逃げてゆき、ダナエはバーレンに叱られてしゅんとしている。

会話の内容的には春の系譜の妖精だったらしいのだが、果たしていなくなってしまって問題のない生き物だったのだろうか。


ダナエは叱られて悲しかったのか、ネアの方をそっと窺ったので、ネアは微笑んで小瓶を持ち上げてみた。



「ダナエさんのお陰で、素敵なものを貰えてしまいました。有難うございます」

「うん……………。気に入ったかい?」

「ふふ、これでリーエンベルクではずっと美味しい春野菜が収穫出来たりするのかもしれないと思うと、わくわくしてしまいますね」

「その使い方だけはよせ…………」

「むぐぅ……………」



きらきらと、春告げの会場の夜明けの光を受けて、手の中の小瓶が煌めく。

中に収められた宝石は飴玉のような形をしてるのだが、よく光を集めて、瓶の中に光の粒を広げている。



「さて、そろそろ俺は失礼しよう」

「グレアムさん、ゼリー寄せを有難うございました」

「こちらでも白虹の動きは気を付けておこう。帰り道も気を付けるようにな」

「はい!」



探していた人物を見付けたグレアムが立ち去り、ダナエ達は、知り合いだという春風の妖精とお喋りをするらしい。


春告げの舞踏会で共に過ごした仲間たちと別れ、舞踏会の終盤に演奏されるものに相応しいどこか物悲しい響きのワルツを聞きながら、ネアは、そっとこちらの手を取ったアルテアを見上げた。



今年の春告げでは普通に下ろしていたアルテアの前髪を、柔らかな春の風がさらりと揺らしている。


決して彼らしいとは言えない春の夜明けの情景の中ではあるのだが、盛装姿のアルテアは、この舞踏会の主人のようにその背景に馴染んだ。


こちらを見てふっと艶やかに微笑んだ姿に、嫌な予感を覚えたネアは眉を寄せる。



「まさか、…………また踊るつもりではありませんよね………?」

「白虹は帰ったようだな。もう一曲行けるだろ」

「ぎゃ!ダンスが大好き過ぎるのだ!!」



ネアが再び会場の中央に連れ戻されてゆく中、帰ろうとしているロサに出会った。

お相手の女性は昨年とは違うようだが、しっかりと白薔薇の魔物の腕を掴んでおり、幸せそうに頬を上気させている。


会釈を交わし、ロサは立ち止まってくれようとしたのだが、自分の同伴者がもう一度踊りにゆくらしいネア達をじっと見つめたことに気付いたものか、はっとしたように視線を前に戻す。



「い、いずれまた、祝いも兼ねてあの方にご挨拶に伺わせていただこう。その、今日は帰りを急ぐからな………」



ネアが返事をする間もなく素早く離れていったロサの後ろ姿を見送り、期待に満ちた眼差しから落胆の表情になったお相手の女性の姿に、ネアは、なぜ白薔薇の魔物があんなにも帰路を急いだのかが何となく想像出来るような気がした。



周囲を見れば、ロサと同じ窮地に立たされている者たちが、男女問わず一定数いるようだ。


中にはネア達を露骨に視線で示し、春告げの女王がまた踊るのだからと、渋る同伴者を誘っている者もいるようだ。



(…………私とアルテアさんは、使い魔と雇用主の関係だから適用されないけれど、恋人同士でここに来ている人達にとっては、何曲踊るのかがとても重要な問題なのかもしれない…………)



ロサのように、相手の期待に気付いてしまいそそくさと会場を後にする者や、念願の最後の一曲でお互いの思いを確かめられたものか、うっとりと体を寄せて幸せそうに踊る者達。



その全てを包み込むように、春の色の花びらが降り注ぐ。



ネアは、靴擦れの気配もなく疲労感すらない靴を履いているせいか、踊っている内に人の減った会場で踊るのが何だか楽しくなってきてしまい、ふわりと回されたターンで翻るドレスの裾に唇の端を持ち上げた。



奥の方で激しく回転して踊っている米粒生物こと木蓮の魔物が見えたが、そちらは見なかったことにしておき、満開の桜の天蓋を見上げ、またふくよかな春の香りを吸い込む。



(ああ、なんて美しいのかしら…………)



きっと今夜の夢の中でも、ネアはこの色彩を見上げているに違いない。


そう考えると幸せな気持ちになって、こちらを見ているアルテアににっこりと微笑む。




ステップを一度間違えてしまったものの、今年の春告げの舞踏会は、比較的穏やかな一日だったのではないだろうか。



そう思いすっかり穏やかな気持ちで帰宅したネアだったが、持ち帰った小瓶を見せたところでエーダリアが飛び上がり、リーエンベルクでは緊急会議が行われる事になってしまった。
















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