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檸檬色の小鳥と憧れのリボン



リーエンベルクの歌乞いにして、偉大なる狩りの女王は、自分がそれなりに優秀な乙女だと自負している。

何しろ、獲物を踏み滅ぼす技術には日々磨きをかけているし、武器の開発にも余念はなく、収穫の祝福は勿論のことカワセミの備蓄も潤沢なのだ。


また、この世界に来てから手に入れた髪と瞳の色は、ディノが特別にどこかから引っ張り出してきたというよりは、見合った資質の色でもあるようだが、とても気に入っている。


もう少し身長が伸びて、シシィのようにすらりとパンツスーツを着こなしてみたかったが、身長や体型に関しては以前の生活で健やかだった時代と大差ないので、高望みをしてぎゅっと細い腰への憧れに眠れない夜以外は、比較的満足していた。



しかし、そんなネアにも、一つの大きな欠点がある。

特定の資質や系譜の者達との相性が、徹底的に悪いのだ。



「ギィ!」

「や、やめるのだ。………おのれ、やめ給え!!」

「ギィ!!」

「ぎゃ!!」



ネアは今、そんな難敵から襲撃を受けていた。


頭頂部に飛び掛かり髪の毛をくしゃくしゃにする悪漢は、綺麗な檸檬色の羽を持つ、陽光の系譜の小鳥である。

檸檬色の冠羽と橙混じりの尾羽を持つ小鳥で、どうにもネアがお気に召さないらしい。



哀れな乙女は、そんな小鳥からの理不尽な暴力を受けていた。



ネアの身に持つ色や造作は、このウィームで暮らしていく上では冬の系譜との相性がいいという、最も手堅いものだろう。

また、人間の領域の中では、目を引く美貌や愛くるしさという評価は受けず、端正な面立ちと褒めて貰えるのがせいぜいだが、どうやらそのくらいの配分の方が高位の魔物には評判がいいらしい。


とは言え、それはあくまでも一部の者達からのみ得られる評価に過ぎず、ネアとは徹底的に相性の悪い者達も数多く存在する。

それが即ち、春と夏の系譜の者達や、黄色や橙、場合によっては赤などを持つ資質の者達だ。



容姿の地味さが上手く作用し、あまり王都での評価がぱっとしないことで穏やかな暮らしに役立ってくれてもいるのだが、こうして陽光の系譜の精霊から飛び蹴りを受け続けている現状では、なぜこんなにも嫌われるのだろうと悲しくもなった。



怒り狂ったネアが必死に応戦しても、残念ながら相手には羽がある。


また、びゅんびゅんと飛び交う意地悪小鳥を撃ち落とそうにも、ネアには振り回すカワセミリボンがあるくらいで、より高くへ逃げてしまう小鳥をどうにかするような魔術はない。


肝心な護衛はと言えば、足元でネアと同じように小鳥の襲撃を受けた銀狐が、涙目でけばけばになってムギャワーと泣き叫んでいるところだ。



(確かに、ダナエさん以外の春の系譜の人達には、春告げでもドレス以外で褒めて貰える事はほぼないし、ドリーさん以外の火竜さんからは醜いと言われるばかりだし、夏告げの舞踏会はあまりにも不人気で虐められるから連れていってすら貰えないけれど…………!!)



それでも、ネアだって、傷付きやすい心を持つ乙女なのだ。


あまりにも似合わないのでそんなに得意ではない前提でも、明るく可憐な色や春夏の系譜の者達への憧れも少なからずある。

軽やかな色彩や鮮やかな彩りに憧れるのは、女性としての本能とも言えよう。


それが、愛くるしかった檸檬色の小鳥からこんな風に大嫌いだと攻撃を受ければ、やはりとても悲しい。



「おのれ!!すぐさま下りて来るのだ!!焼き鳥にしてくれる!!!」

「ギィ!」

「くっ、投げつけるような武器も持っていませんし、狐さんジャンプは当然のこと、カワセミリボンでも届きません。頭上にいるので、激辛香辛料油をかける訳にも……………!」

「ギィ!ギィ!」

「ぎゃ!またしても飛び蹴りをしましたね!!」



襲撃現場はリーエンベルクの庭園とは言え、ネアにはディノの守護がある。

よって、どんなに頭頂部を攻撃されても毛髪を奪われる事はないのだが、その代わりに髪の毛はくしゃくしゃになった。



今日は、単発の悪夢の事後処理も終わり、春らしい晴れやかな青空の日になったので、銀狐な義兄と一緒に庭に散歩に出ていたのだ。

うきうきとしていた気分をずたぼろにされ、ネアは、じわっと涙ぐむ。


こんな憤り方はたいへん子供じみているのだが、合計二十七回も頭頂部に飛び蹴りをされ、その度に、小鳥なりの表情で、あら、なんて醜いのかしらといわんばかりの蔑みの表情をされれば泣きたくもなる。


ノアが魔物姿に戻れればいいのだが、この見慣れない小鳥がいる以上、今は擬態の変化を警戒するべきだろう。


ネアを攻撃する事によって、巧妙に銀狐の正体を暴こうとしている可能性など、ないなとは思っても秘密がある以上は用心深く対処しなければならないのだ。




「ネア殿?!」


そこへ駆けつけたのは、騎士棟からもこの騒ぎが見えたのか、まさにその陽光の系譜の寵愛を受けるグラストであった。


契約の魔物による手入れのせいで、ネアが出会った頃より若返ってしまったが、幸いにも、きっと幸せを取り戻したことで表情が明るくなったのだろうと思われる程度の若返りで済んでいる。

ゼノーシュも、歌乞いの契約でグラストの寿命を削らないようにしつつ、うっかり若返らせないようにする為の微調整が、最近は得意になったらしい。


そんなウィーム随一の騎士がリーエンベルクの騎士服で走ってくる様は、こんな時でなければ、おおっと思うような素敵さだったかもしれない。



「ギィ?!」

「……………ネア殿、……………っと、少し待ってくれ………」



グラストが現れると、なぜか驚愕したように空中でぴょんとなった檸檬色の小鳥は、怯んだようだ。


その隙に髪の毛がくしゃくしゃになった乙女を保護しようとしてくれたリーエンベルクの筆頭騎士は、ネアよりも先にけばけばになって飛びついてきた銀狐のところで足踏みしてしまう。

だが、すぐに体を屈めて片手で銀狐を抱き上げると、ネアのところに来てくれた。



「……………ふぇぐ」

「ああ、……………これは酷いですね。怪我などはされていませんか?」

「……………ふぁい。何度も頭頂部に飛び蹴りをされ、何度か葉っぱや土のようなものをどこからか持って来て落とされ、尚且つ、大変蔑まれましたが、怪我はしていないのです……………」

「ディノ殿の守護があるからとは言え、お辛かったでしょう。すぐに気付かずに、申し訳ない」

「あともう少しで、私は悔しさのあまり倒れるところでした。グラストさんに助けて貰えて、良かったです……………」



ネアはくすんと鼻を鳴らし、大人しくグラストの庇護下に入った。


要人の警護に慣れたグラストは、このような時に、警護対象には触れずに自分の影に引き入れるのがとても上手い。

守り慣れた人の影に隠れてほっとしていると、何やら上空が騒がしくなるではないか。



「ギィ!!!ギィ?!ギィー!!」

「……………む。あやつめは、私や狐さんに攻撃が出来なくなり、怒り狂い始めました」

「ギィ」



しかしなぜか、このままではネアを庇ってくれているグラストも危ないかと思いきや、檸檬色の小鳥は、そんなグラストには攻撃を仕掛ける様子はない。


それどころか、グラストの方に来るときだけ、翼をぱたぱたさせて可愛らしく飛んでみせるではないか。

これが系譜の嗜好による扱いの差なのかと半眼になりながら、ネアは、未だに怒りで震える手で髪の毛を直そうともがもがした。



グラストが持つ陽光や木漏れ日などの祝福は、このウィームで暮らす上で、決して恩恵ばかりを与えてくれるようなものではなかった。


それどころか、陽光が障る体質であった娘がいた頃は、騎士としての仕事で限界まで身に預かる魔術を削り、少しでも愛娘の体調を損なわないようにしていたと聞く。


そんな話を思い出してしまう程の反応の顕著さに、ネアは、やはり系譜の嗜好というものは大きいのだなと感じてしまったりもする。

それがネアとグラストへの対応の差で、尚且つ、青紫色の瞳の銀狐も同じように虐められた理由なのだろう。



(でも、攻撃が止んで良かった…………)



グラストには可愛らしい小鳥感を出しているので、その影に守られているネアには手出し出来なくなった小鳥は、こちら側を飛ぶときだけギィギィと騒ぐばかり。


やっと飛び蹴りの暴行が終わり、ネアは、ほっと胸を撫で下ろす。



「陽光の系譜の精霊ですね。…………あの冠羽は、黎明から昼の系譜にかかる陽光鳥でしょう」

「はい。以前に、別個体を森で見かけた事があり、ディノに、陽光の系譜の鳥さんだと教えて貰いました」

「……………おや、リーエンベルクの敷地内では、あまり見かけない精霊ですね」

「ヒルド!」



グラストに続けて来てくれたのは、ネアの頼もしい家族だ。


触れて直してくれる程の距離感ではないものの、ネアが何とか髪の毛を直そうとじたばたしているので、困ったようにしていたグラストが、ほっとしたように微笑む。


ピギャっと声がして頭上を見上げると、檸檬色の小鳥は、新たな登場人物も嫌いではないらしく、先程よりもおろおろと頭上を旋回している。


そんな小鳥を一瞥したヒルドはふうっと溜め息を吐き、すぐにネアを引き取り、くしゃくしゃになった髪の毛を丁寧に直してくれた。



「……………有難うございます」

「ひとまず綺麗にしましたが、土などもかけられていましたので、入浴した方がいいでしょう。……………あの精霊は、グラスト目当てですね」

「……………ん?俺なのか……………?」

「なぬ。グラストさん目当ての鳥さんなのです…………?」


思わぬヒルドの指摘に、グラストは驚いたようだ。

いつもとは違う口調は、同僚でもあるヒルドや騎士達との会話で使う、ネアには馴染みのない温度である。


「先日も、ゼノーシュが心配しておりましたよ。この時期は、木漏れ日の竜や、陽光の系譜の精霊や妖精が求婚の時期に入るので、何かと心配事が多いと」

「……………ほわ」

「……………俺なのか……………?」




困惑したように頭上を見上げたグラストに、ヒルドの登場で竦み上がっていた小鳥が、ぱっと目を輝かせる。

小鳥の表情が明らかに歓喜のそれになったのが分かるくらいなのだから、さぞかし嬉しかったのだろう。


ネアは、グラストが顔を上げただけで、ゼノーシュの瞳の色によく似た綺麗な姿を取り戻した小鳥に、悲しみでいっぱいのまま小さく唸った。

グラストの腕に抱えられたままの銀狐も、ムギャムギャと抗議している。


だが、精一杯に可愛らしい姿を披露しようと、舞い降りてきた小鳥は、もっとも注意しなければいけない相手を忘れていたようだ。



グラストと小鳥の間にあまり見かけない姿だが、高位の魔物らしくふわりと転移を踏んで現れたのは、この時期はグラストに近付く全てを滅ぼさんとする、クッキーモンスターこと、契約の魔物のゼノーシュである。



(グラストさんが沢山求婚されてしまうのは、気象性の悪夢が確認され始める季節から、獣さんの予防接種が始まるまでの、ほんの短い期間なのだけれど……………)



それが、先程ヒルドが話していた、春の系譜や陽光の系譜の者達の、最も一般的な求婚期間なのだ。


ゼノーシュは、ネアがリーエンベルクにやって来るまでは、そんな季節をぐっと堪え、目に余る相手を影で排除するくらいだったようだが、力いっぱいグラストを誰にも渡さないと言えるようになった今は、そんな求婚者たちを絶対に許さないのだった。



「……………僕ね、やっと木漏れ日竜を捨ててきたところだったんだよ。それなのに、僕のグラストに求婚するなんて、絶対にだめ」

「ほわ、……………ゼノのお顔が……………」

「求婚の舞に入ろうとしておりましたからね。ゼノーシュが怒るのは当然でしょう」

「それに、僕の友達に意地悪をしたんだ。………この精霊は、絶対に森に埋めてくる」



暗く冷え冷えとした声にネアは動転してしまったが、さすがにもう、グラストはそんなゼノーシュに慣れっこであるらしい。


高位の魔物の精神圧にやられてしまったのか、ゼノーシュが現れた途端にぼさりと地面に落ちた檸檬色の小鳥とゼノーシュとの間に入り、どこか擽ったそうな我が子が可愛くて堪らない父親の目を一瞬したものの、どうして結界の中に入り込んだのか分からないので、まずは捕縛しようと優しい声で話しかけている。


だが、ゼノーシュはふるふると首を横に振った。

こうして見ていると可愛いばかりなのだが、契約の魔物らしい狭量さとなるのだろう。


「だって、僕のグラストに求婚しようとしたんだよ!」

「ああ。だが、まずは、今回の事件に裏がないかを確かめてからにしよう。今日は早い時間に仕事が終わるから、それまでに片付けて、買い物にでも行こうか」

「……………クッキーのお店に行ってもいい?」

「ああ、勿論だ。なので、この小鳥は通常のやり方で対処しような」

「じゃあ、僕が捕まえておくね。一緒に買い物に行く日だから、すぐに終わらせるよ!」



そんなやり取りが聞こえてくると、ネアは、先程までの憎しみと悲しみが洗い流されるような思いで、愛くるしさの最上級であるゼノーシュのきらきらの微笑みを堪能した。


どす黒い憎悪の思いを消し去るには、可愛いさというものは、この上ない恩寵なのだと思う。


グラストがゼノーシュの頭を愛おし気に撫で、頭を撫でられたゼノーシュが目をきらきらさせて幸せそうに微笑むと、それだけで浄化され、ぱたんと倒れてしまいそうになる。


襲撃犯を捕縛してくれた二人にお礼を言い、二人は、犯人の尋問を行うべく騎士棟へ戻っていった。




「むふぅ。……………ゼノの愛くるしさで、むしゃくしゃでいっぱいだった心が、とても癒されました」

「であれば、僅かなりとも幸いでした。ディノ様はどちらに?」

「ディノは、お店を離れられないアレクシスさんのスープを、貰いに行ってくれているのです。今日は、ノアがごろごろしている日でしたので、こうして護衛につけてくれたのですが……………」

「ネイ……………」



地面に下ろして貰ってこちらに残った銀狐は、ネア達にじっと見つめられ、尻尾をびゃんと立てて再びけばけばになった。

びょんびょん跳ねてヒルドの足にすりすりしているが、未だにもふもふのままである。



「グラストからの連絡が入るまで、こちらでのことには気付かずにおりました。………ネア様、このような場合は、すぐに私を呼ぶように」

「はい。鳥さんが荒ぶり出してからは、念の為にノアにも元の姿に戻らない方が安全という気がしたのですが、であればこそ、ヒルドさんに助けを求めておけば良かったです」

「ええ。これからの季節は、あのようなもの達も増えますからね。時期を終えても求婚するものはおりますし、リーエンベルクの周囲にも、春から夏の系譜の者達が増えてきます。……………ネイ、もういいのでは?」

「……………ありゃ。……………ええと、ごめんなさい」



ここで、そう言えばもう銀狐のままでいる必要もなかったのだと思い出したのか、ノアが元の姿に戻った。


なぜ銀狐のまま護衛になったのだというヒルドの眼差しにくしゅんと項垂れ、ヒルドの腕の中にいたネアを引き寄せると、ぎゅっと抱き締めてくれる。



「……………ごめんね、ネア。こっちの姿でいるべきだったね」

「むぅ。……………そう思わずにはいられませんが、狐さんも何回か飛び蹴りされていましたので、同じ被害者なのです」

「うん。僕も、グラストにはボールで遊んで貰うからさ、それで気に入らなかったんだと思うよ。ネアは、リーエンベルク内で唯一の女の子だからさ、それで追い出そうとでもしたのかな」

「まぁ。そんな理由だったのですね。ゼノの瞳の色に似ている綺麗な小鳥さんだと思った私が、愚かでした…………」



人間らしい我が儘さで、似合わない色を苦手なものだと判断してしまうようになったネアにも、今は一つだけの例外があった。


僅かに青みのある澄んだ檸檬色は、大事な友達の瞳の色なのだ。

なので、黄色領域の特別対象とし、お友達色として大事に愛でてきたのである。



(そのせいで、先程の小鳥めを見付けた時に嬉しくなってしまって、少しだけ近付いてしまったのもいけなかったのだろう)



結果として、ネア達を見付けた小鳥はすぐさま飛び掛かってきた。


ノアが言うような理由があるのなら、ただでさえ憎い相手な上に、系譜的に嫌いな配色ではないかという嫌悪感の二倍重ねだったのだろうか。



「今回の個体は、僅かに橙がかった尾羽を持つ個体でしたからね。陽光の気質はより顕著だったのでしょう。守護があるとはいえ、意図せずに足や嘴が肌を傷つける事もあったかもしれません。本当に、ご無事で良かった」



そう言うヒルドも、ネアが春から夏にかけての系譜の者達の好みに合わない事は承知している。

それくらいに相手によっての反応がはっきり分かれるのだと思えば、家族の中にそちら側の資質の者がいなくて良かったと、今更だがネアはひやりとしてしまった。


そのような理由がなくとも、ダリルやアイザックのような、嫌いな色合いや造作ではないが個人的には何とも思わない層から、霙の魔物のような足元に滑り込んでくる系の魔物、また、ネアは大好きでならないのだが、可もなく不可もないという対応しかされない植物の系譜の者達など、色々な生き物がいる。


おまけに、職人などの守護をするような人外者に気に入られて、ある日突然物作りの才能が開花するという夢を見ていたネアだったが、そちらの界隈の人外者は、ネアの可動域の低さにしょんぼりしてしまって近付いてこない。


一度、印章を作ってくれた工房のもふもふ兎を撫でようとしたネアは、ネアを見るなりあからさまに落ち込んだ様子で巣穴に引き籠ってしまった兎姿の生き物に心を折られた事がある。




「……………小鳥さん。……………むぐ、小鳥め!」


ついついこれ迄の悲しい出来事が思い返され、ネアは、もう一度くすんと鼻を鳴らした。


乙女らしい憧れで、春の系譜や可愛らしい小鳥達や小動物に愛され、インク工房や刺繍やレースの工房で素晴らしい腕前を披露するという人物設定を夢見る事もあったが、それはどう頑張っても叶わない夢なのだ。


何しろネアは、このウィームの伝統的な産業である刺繍などは、妖精の紡いだ特別な守護の糸を針穴に通すことさえままならない。

自分で洗濯が出来ないように、そんなところでも可動域が足りないのであった。


そんな義妹の落胆に気付いたのか、こちらを覗き込んだノアがふわりと優しく微笑む。



「久し振りのいいお天気の日の楽しみを邪魔された妹には、後で、運河沿いのお店のどこかで、ケーキでもご馳走しちゃおうかな」

「む……………。ケーキワゴンのあるお店に行きたいです!」

「うん。じゃあそうしよう。…………ところでヒルド、女の子の髪の毛って洗える?」

「……………あなたには任せておけませんね」

「ヒルドさん?……………その、髪の毛を洗うくらいは自分で出来ますので、ささっと入浴してきてしまいますね」



何やら髪の毛を洗ってくれるような流れであったので、ネアは慌ててそう付け加えた。

しかし、相手が精霊で、今回の事態は一応は襲撃であった以上は、魔術洗浄が必要になる。

そう教えられたネアは、あらためて、先程の小鳥への怒りにわなわな震えた。


だが、今はその怒りを何とか鎮め、早急に解決しなければいけない問題があった。

ネアは、唇を噛み締め、忙しなく視線を動かす。


(……ヒルドさんに髪の毛を洗って貰うのは、……ちょっと気恥ずかしいのだ)


なので、そんな状況をどうにかしてくれそうな義兄に必死に無言の訴えを投げかけると、おやっと目を瞠ったノアが、得心したように微笑んで頷いた。



「ヒルド、洗髪台を使うなら、ネアは目を閉じていてもいいよね?ちょっと恥ずかしいってさ」

「おや。であれば構いませんよ。少し残念ですが」

「ぎゃふ!!なぜに言い方を変えず、有りの侭に伝えてしまったのだ……………」

「ほら、こういうことって、変に装飾するよりもまっさらなままの言葉の方がいいっていうしね」

「ふむ。ではいずれ、ノアもそうやってアルテアさんに告白するのですね?」

「……………ありゃ。………ええと、もう少しアルテアの好感度を上げてからにしようかな。……………あれ、そういう場合って好感度でいいの?なんか、僕とアルテアだと変な感じじゃない?!」

「好感度を上げてからの告白も、なかなかに残酷な仕打ちですね……………」




アレクシスから、悪夢の魔術洗浄を行う為の美味しいスープを貰ってきてくれたディノは、ご主人様が洗われていたので少し荒ぶったが、陽光の系譜の小鳥の襲撃を受けていたと知ると悲し気に目を瞠った。



「……………ごめんね、ネア」

「まぁ。どうして、ディノがしょんぼりしてしまうのでしょう?私は、今の髪の色や目の色が、とても気に入っているのですよ?」

「うん。………元々の色彩が良かったと思う事はないかい?」

「生まれ持った自分の姿に不満を持つまでの事はありませんでしたが、とは言え、私の大好きな色が悉く似合わない色彩にがっかりすることは多かったです。………なので、こちらの世界に来てからやっと、大好きだった色合いの服が沢山着れるようになったのですよ。このままでなければ嫌ですからね!」

「ご主人様!!」



だが嬉しそうに目を輝かせた伴侶の魔物の頭を微笑んで撫でてやった人間は、夕刻近くになって、買い物帰りのグラスト達とたまたま大通りで遭遇し、すっかり意気消沈することになる。


系譜の精霊が騒ぎを起こしたことを、グラストの契約の魔物であるゼノーシュに謝罪しに来た黎明の座の精霊が、抱っこしてお持ち帰りしたくなるような可憐な美幼女だったのだ。


あまりの愛くるしさにびょんと飛び跳ねてしまったネアに気付きこちらを見た黎明の座の精霊は、とても残念なものを見るような眼差しになり、そっと視線を逸らした。


大事な歌乞いによりにもよって美幼女が近付いた事に怒り狂ったゼノーシュにすぐさま追い返された結果、そちらの精霊に依頼を受け、次に謝りにきたのは正午を司る時間の座の精霊である。


リーエンベルクに戻ったグラストを訪ねてきたのは、陽だまりのような温かな配色を持つ老紳士姿の正午の座の精霊で、ネアの大好きなハザーナのような、穏やかな美貌を備えていた。


あまり見かけない傾向の、とびきり素敵な人外者なのだが、ネアは同じ過ちを犯さないように物陰からこっそり覗くばかりである。


謝罪を受け入れたグラストは、なぜかその老紳士に気に入られてしまい祝福を増やし、ネアは何となくむしゃくしゃしたので、アルテアが残していった無花果のパイを三切れも食べてしまった。


その話をどこからか聞きつけてきたアルテアが、チャタプを作ってくれながらオレンジのタルトも増やしてくれたのは、哀れなご主人様の相性の悪い系譜への憧れへの弔いだったのかもしれない。



常夜の檸檬を使った鶏肉のスープと、使い魔特製のチャタプをいただき、オレンジのタルトを頬張るという不思議な晩餐になったその夜、ネアは、こっそり似合わないと分かっていても買ってしまった檸檬色のレースのリボンを抽斗から取り出し、髪の毛に当てて鏡を覗き込むと、ぐぬぬと顔を顰めたのだった。







繁忙期につき、明日5/13の更新はお休みとなります。


TwitterにてSSを書かせていただきますので、もし宜しければご覧下さい!

(いつもより遅めの更新時間となります)

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― 新着の感想 ―
[一言] 「繁忙期なので」って断り書きを見るたびに、桜瀬先生はそんなスキマ時間を絞り尽くすように使って書いておられたのかなぁって思ってしまいます。この物語がどんな風に断ち切られてしまうのか判らないけれ…
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