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雪降る街の怪物 6



ごうごうんと風のうねる音がする。

ネアが目を覚ましたのは、沼味でしかない薬湯を飲まされ怒り狂っているところを、巧妙に寝かしつけられてから暫くしてからだ。


悪夢の中でも寝て起きたばかりであったので、脱出酔いをしたとは言え睡眠は充分に足りている。

薬を飲んで少し横になっていたお陰で、気分はすっかり良くなっていた。


「……………っ、」


それでも、ネアがぎくりとしたのは、窓の外や部屋の暗さのせいであった。

まるでまだ夜が続いているような暗さに息を呑み、けれどもここがいつもの自分の寝室だと気付き、胸を撫で下ろした。


「……………気分はどうだ?」

「む。アルテアさんです。…………乗り物酔いのような気持ち悪さはなくなりましたが、まだお食事をいただくには時期尚早かなという気がします」

「当たり前だろうが。晩餐をしっかり食べてそのまま眠り、起きて早々にそれなりの量の朝食を食べた後、一刻も経たない内にこちらに戻ったんだ。次の食事まではもう少し時間を空けろ」

「なぜ、私のお食事情報が握られているのだ…………」

「食べたもので胃を悪くしている可能性もあったからな。一通り聞き取りはしてある」

「…………むぅ」


食事の内容な情報は、乙女としてはあまり公開したくないものだ。

ネアは少しだけふすふすしてしまったが、体調管理をしてくれる良い使い魔なのでここは我慢しよう。

ぐぬぬと耐え忍んでいると、呆れ顔の使い魔にふうっと溜め息を吐かれた。


(そして、……………ディノはどこに行ったのかしら?)



寝台には、ネアしかいなかった。

夜のような暗い部屋の中で、寝室の各所にある明かりが灯されている。

窓の外はあまりにも暗いが僅かに風があるようで、寝台の横の水差しにはきらきら光る祝福石が入っていた。


大事な魔物はどこにいったのだろうと視線を巡らせると、ぼさりと手のひらを頭の上に載せられる。


「ご主人様の首を大事にして下さい。場合によっては、反撃しますよ!」

「ったく。……………シルハーンは、この悪夢の被害状況について、エーダリア達と会議中だ。悪夢の中に印を置いてきたとは言え、それを辿って脱出出来る者がいるかどうかは賭けに等しいからな」

「……………脱出?」



そう言えばと、ネアは、サン・クレイドルブルグを出る直前にディノが取った、不可思議な行動を思い出した。

出口であり、あの争奪戦の成果物であった、悍ましい障りとも称されたイブメリアカードに貼られたシールには、どんな意味があったのだろう。



(……………もしかして、会議の内容はそのような事だろうか)


窓の外を見ると、そこには明らかに気象性の悪夢の暗さがあった。

そう言えば、こちらでも悪夢が落ちているのだと考え、ネアは、先程のアルテアの言葉について考える。

だが、それよりも早く回答が成された。


「悪夢に取り込まれたのは、お前だけじゃない。今回のような単発の悪夢は、規模の割に被害が出やすいからな」

「…………リーエンベルクでは、どなたかがいなくなったりしていませんか?」

「こちらでは、お前だけだ。その一人枠を当たり前のように押さえるのが、如何にもお前らしいがな。……………現在のところ、行方不明者は十八人確認されている。とは言え、悪夢が落ちてからの連絡で判明しただけだからな。もう少し増えるだろう」


それが、ウィーム全域ではなくウィーム中央だけの数だと知り、ネアは、少しだけ呆然としてしまった。

ネアが悪夢に引き込まれたのは、ロガンスキーの何かとネアの履歴が重なったからだろうかと考えていたが、悪夢の中での重なりが解けると、それはネア一人ではない程度の相似性でしかない。


ではなぜ、ネアだったのか。


(それに、…………悪夢が取り込むのは同じ資質を持った人ではなくて、遮蔽に仕損じて悪夢に触れてしまった人の全員なのだ……………)


いきなり発生した悪夢である以上、そのような者はいつもより多かったのだろう。

魔術的な知識を他領より多く有しているウィーム中央とは言え、今回の悪夢は不意打ちに近い。

これだけ高位の魔物に囲まれていながら、ネアが悪夢に迷い込んだのがいい証拠ではないか。



「お部屋の遮蔽が間に合わなかったのですが、せめてその中でも、エーダリア様達や騎士さん達が巻き込まれなくて良かったです………」

「ある程度の階位があれば、一瞬の遮蔽くらいは、排他結界を展開出来るからな」

「……………なぬ」

「リーエンベルク内は、全員がその対応で難を逃れている。取り込まれたのは、自分で結界を展開出来ず、あの瞬間は一人でいたお前だけだ」


ネアが悪夢に飲み込まれたのは、会食堂でのことであった。

たまたま別件でアルテアがウィームを訪れており、ウィリアムもこちらに来る予定だったのがせめてもの幸いなのだろう。


だが、あの瞬間のネアは、今日は少しいいお天気だぞと一人窓際に向かい外を覗いていて、ディノはアルテアと話していて側にいなかったのだ。


「け、結界を自分で……………」

「考えてもみろ、リーエンベルク職員だぞ」

「……………わ、わたしとて、偉大なのですよ。結界はちょっと手持ちがありませんが、悪夢の中でもアクスの職員さんを倒しました!」


慌てて自分もそれなりに優秀だと主張してみたが、結界が展開出来ない事は確かなのだ。

ネアは、他にも何か自分の凄さを伝えられる逸話はないだろうかと必死に考えたが、今回の悪夢の中で成果物を見付けたのは、ディノの助力があったからに過ぎない。


「お前が無力化したアクス職員を調べたが、……………あの争奪戦に加わっていた職員の補佐をしていたのは、そいつで間違いないだろうな。道理で、想定外の方向から動きがあった訳だ」

「む。さては、当たりを引いたのですね!」

「お前が、どれだけ事故り易いかという証明でもあるな」

「ぐるる……………」


がたんと、どこかで風が音を立てた。

その音にぎくりとしたネアは、この悪夢の帳の向こう側でそれが過ぎ去るのを待っている者達と、あの雪の降る街に迷い込んでしまった人達のことを思う。


(今も誰かが、あの夜明けのない街の中にいるのだろうか……………)


「……………悪夢に取り込まれてしまった方の中に、私の存じ上げている方はいるでしょうか?」

「アレクシスと、たまたま一緒にいたザハの料理人と連絡が取れなくなっているそうだ。……………まぁ、シルハーンの持ち込んだ目印は、そいつら用だな。自力で帰還出来る見込みがあるのは、そこくらいだろう」

「……………アレクシスさんが」


ネアは、勇気を出して聞いてみたところ、思いがけず近しい人の名前が出てびっくりしてしまい、慌てて立ち上がり、寝室をうろうろした。

アルテアはそれを止めはしなかったが、あいつが帰れなくなるとでも思うのかと、なぜか呆れ顔である。


立ち上がって歩き始めると背中の真ん中がずきずきしたので、どうやら、枕への頭の設置個所が宜しくなかったようだ。

意識に僅かな鈍さがあったものの、立ち上がって動き始めると明瞭になる。


部屋は暖かかった。

からりと乾いて底冷えするような、サン・クレイドルブルグの気配はもうどこにもない。

同じ気象性の悪夢の中でも、季節も違えば土地の特性も違うのだから当然だろう。


(でも、アレクシスさんは、そこにいるのだわ。……………ザハの料理人さんも)


そう考えると、心の端をぎゅっと掴まれくしゃくしゃにされたようで、我が儘な人間は、どうにかしてその皴を伸ばしてしまいたくなる。

けれども、ここにいてどうこう出来るものではないことも、自分の知る誰かに無責任に解決を願えることではないことも、痛い程に分かっていた。



「迷宮のあわいにも、単身で食材を探しに出かけるような人間だぞ」

「で、ですが、……………悪夢だけは不得手だという事も考えられます。帰れないようであれば、お迎えに行くことは出来るのですか?」


思わずそう尋ねてしまったネアに、アルテアはすっと瞳を細めた。

魔物らしい酷薄で排他的な怜悧さに、ネアは、このような事で不機嫌になるのだなと眉を寄せる。


「お前の手のひらの狭さを考えろよ。……………線引きをしっかり付けておけ」

「まぁ。ディノとウィリアムさんが、助けてくれたばかりですので、私が乗り込むような無茶はしません。……………ですが、例えば、夢繋がりでドーミッシュさんに長い紐をつけ、悪夢の中に投げ込んでみたりすれば…」

「……………そうか、やめろ。お前の主張だと、次に投げこまれるのは俺だろうが」

「アルテアさんは、私の使い魔さんなので投げ込みません」



驚いてそう言えば、こちらを見たアルテアが、なぜか目を瞠っている。


だが、知人を救う為とは言え、身内の輪に近しい相手を悪夢に放り込める程、ネアは善人ではないのだ。

そもそも、アルテアに、その領域外のものまでを強いる事が出来る筈もないので、ネアとしては、なぜ驚かれたのだろうと腑に落ちなかった。



「……………相変わらずの節操のなさだったな」

「その評価にされた前後関係が、よく分かりません…………」

「アレクシスの事であれば、心配するだけ無駄だろうよ。あいつは問題ない。……………だが、それ以外の連中は難しいだろう。それなりに魔術階位が高くても、出口の制限がいやに狭い。悪夢の元となった事件が、一組しか勝ち抜けられないというものだったせいだな」

「………あの中で身を守る事が出来ても、こちらには、戻れないのかもしれないのですか?」

「いや、悪夢が晴れれば、こちらに戻って来る者もいるだろうが、…………自分の力で抜け出さない限りは、何某かの対価は取られるだろうな」



そう聞いてしまえば、背筋が寒くなるような災害であった。


自然災害から受ける被害は、ある程度想像がつく。

肉体に負う傷や、財産などを失うような被害は確かに過酷だが、それはやはりと表現するのも短絡的かもしれないものの、己の領域の中で起こる事ではないか。



(でも、悪夢に取り込まれた人は、見知らぬ場所や、どこでもないどこかに連れ去られてしまう)



だが、こんな時もネアが願うのは、真っ先に自分の知る人達が帰ってきて欲しいという、ただそれだけの残忍さなのだ。



「取り込まれたのが私だったせいで、ディノ達は、帰りを急いでくれたのでしょうか。あの場で、せめてアレクシスさんくらいは探せたのなら、そうして貰った方が良かったかもしれません…………」

「忘れたのか?出口は一つ限り。出られるのは一組だけだ。アレクシス達は、次の回の参加になるだろう」

「………むむ。となると、ウィリアムさんがばりんとやった白樺さんや、遅れて参加のアルテアさんもいるのです?」

「……………あいつなら大丈夫だろ」



なぜか少し遠い目をしてアルテアはそう言うが、ネアは、すぐには楽観視出来なかった。


だが、幸運な事にそうこうしている内に部屋に連絡が入り、エーダリアから、アレクシス達が無事に戻った旨がアルテアに伝えられ、安堵のあまりにへなへなと座り込んでしまった。



もし無事に帰ってきてくれるにしても、もっと長い間はらはらして待ち続け、漸く連絡が入るくらいの覚悟でいたのだ。

この早い知らせは僥倖であった。



「………ふぇぐ。よ、良かったでふ」

「やれやれだな。……おい、床に座るな」

「ここには一応、絨毯というものがあるので……………にゃふ」


ひょいと抱え上げられ、ネアはへにゃりと眉を下げる。


でも、ただの隣人の線引きを越えた立ち位置の誰かがこんな風に危険に晒され、動揺してしまったのだ。


アルテアが指摘するように、ネアだって、自分の抱え込めるものの少なさは承知している。

この冷酷な人間は、いざとなれば綺麗事を言うまでもなく他の誰かは諦めるだろうし、どれだけ残酷であっても優先順位を付けるだろう。


それでもやはり、親しくしていた誰かに不慮の事故という形で立ち去られるのは、とてつもなく苦手だった。

その怖さが払拭され、安堵のあまりに力が抜けてしまったのだ。



「最低でも、もう一刻は時間を空けてからだが、無花果のパイを焼いてある」

「……………いちじく」

「食べ過ぎない程度にしろよ。……………なんだ?」

「チャタプ……………」

「何でだよ。……………ったく、明日にしろ」

「むぐ!」



この暗さが、あの蝕の時の色を思い出させるのだろうか。

なぜだかチャタプが食べたくなってしまい、ネアは、素敵な約束を取り付けてほっとした。


アレクシスとザハの料理人が帰還したという報せに、呆れてしまうくらいに心が軽くなり、食欲も戻ったのだろう。


エーダリア達は、引き続き被害情報を集約しながら、ディノとウィリアムから悪夢の構造を聞き、その中に残されているであろう被害者の位置の割り出しや、今後の対策を練るのだそうだ。


伴侶な魔物がこちらの部屋に戻るまでは、もう少しかかるらしいが、そこは、少しでも被害を押えられるような進展があればと願うばかりだ。



(……………私にも、何か情報がないだろうか。自分一人では考えが及ばなくても、その場にいて会議に参加していたのなら、何かの役に立てるかもしれない)



「私も、会議に参加した方がいいでしょうか?」

「いや、お前の目線はお前だけのものだ。第三者の意見や情報の方が、その他の被害者用だな。状況を混乱させるような情報は、落とし込まない方がいいだろう」

「……………ふぁい。確かに、私はロガンスキーさんと融合気味でしたものね」

「お前の持ち帰った最大の成果は、出口となる核の場所を特定し、その形状を明らかにしたことだな。それだけで充分だろうが」


珍しく慰めるような事を言われ、ネアは目を瞬いた。

じっと見つめていると、アルテアは、僅かに嫌そうな口調で、自分には発見出来なかったものだと付け加える。



(そうだ。……………あのカードの中に何があったのかは、誰も知らないままなのだ)


ロガンスキーの愛した王女。

ネアが覗き見たのはほんの一欠片だけだが、あの王女が、その秘密を持っていってしまった。



「……封じ込められていた障りは、どのようなものだったのでしょうね」

「想像に難くないな。…………イブメリアのカードだったとなれば、そんなものが封じられるのは祝祭の災いでしかない。イブメリアの守護を受けているお前に触れる事はないだろうが、本来、祝祭程に転じて大きな災いになりかねないものはないだろう。あの内側にあったのは、間違いなく祝祭の災いだ」

「……………そうなのですね」

「お前に魔術洗浄をかける程の影響が出なかった事と、……お前があの悪夢との親和性が高かったことを考えると、イブメリアそのものの災いだった可能性もある。赤い封筒だったんだろ」

「む。赤い封筒の、リースの絵のあるイブメリアカードでした!」

「サン・クレイドルブルグで、赤い封筒に入った祝祭のカードは、音の魔術で、オルゴールや小さな唱歌を収めている事が多い。祝祭音楽の系譜のものだろうな」

「祝祭音楽……………」



ネアは、そんな事までが考察出来てしまうものなのだと感嘆していたが、ふと、こちらを見るアルテアの奇妙な眼差しに気付く。



「…………イブメリアの祝福を受け、音楽を殺す術を身に付けている。お前があの悪夢に呼ばれたのもある意味必然かもしれないな」

「……………音楽は殺しません」

「ほお、外に出て歌ってみるか?」

「アルテアさんに、歌乞い教本の中の一曲を歌って差し上げる事も出来ますよ?」

「無花果のタルトがいらないなら、やってみろ」

「………タルト様は必須なのですよ?」




(あの悪夢の中に、イブメリアの気配はあっただろうか)



そう考え、首を傾げた。


だが、ロガンスキーはそのような嗜好とは無縁の人物だったという気がするし、ネアが目にしたのは、リストランテとサン・クレイドルブルグ駅くらいのものだ。


街中にも祝祭の飾り付けがあるウィームと、軍人の多いあの土地では祝祭に対する関わり方が違うかもしれず、意識して探していない以上は断定のしようがない。


その要素に気付かなかったのだとすれば、やはりネアが得られた情報には、ロガンスキーの視点が大きく影響しているということなのだろう。




「…………発掘された成果物なのですよね?オルゴール付きのカードは、ずっと昔からあった物なのですか?」

「祝祭と音楽の親密さは、ラエタの時代からだ。簡単な音階だけであれば、あの四百年以上前から流通していただろうな。発掘地が喪失区画であることも考えると、傾向としてもおかしくはない」

「そうしつくかく……………」

「人外者の障りを受け、人間の管理地から削り取られた場所だ。一定期間の後に放棄され、人間が再開発や調査に乗り出す事も少なくない。あの時は、軍の偵察の後に、大学の調査班が現地入りしたと聞いている。因みに、その区画を取り上げたのはクライメルだな」

「大嫌いなやつめです……………」



だが、そうして説明を重ねられてゆけば、事件の輪郭は浮かび上がってきたように思う。


エーダリア達はここまでを知っているのかなと思ったが、アルテアは現地入りしていなかったので、ネア達が戻るまでは、適時そのような情報のやり取りはしていたのだそうだ。



(でもそうか、……………私が取り込まれた事に、少しの理由もあったのだ……………)



後から判明した事実を並べると、ネアがロガンスキーの役を割り当てられたのは、必然の箇所もあるらしい。


一度捕まって尋問されている事を知っているので、ネアとしては首を傾げるところだが、あの悪夢の中の事件に於いて、唯一、成果物周りの障りを受けなかった者として、イブメリアの祝福を持つネアにはあの席が用意されたのだ。


であれば王女でも良かったのではと思ったが、アルテア曰く、軍部や政府に籍を置き、サン・クレイドルブルグ側に固定の駒となる人物は、外様の者には割り当てられないだろうという事であった。



「となると、アルテアさん役の可能性もあったのです?」

「悪夢の中でも魔術階位は適用されるので、まずないだろうよ。他にも、事件に関わった役どころは幾らでもある。組織立って動く者が多かったからな。関係者だけで言えば、百人近い」

「ふむふむ。謎の端役に当たる可能性もあったのですね……………。そう言えば、サン・クレイドルブルグで、アルテアさんに会いました!銀髪の擬態は珍しいですね」

「序盤では、先に死んだ魔物に擬態していたからな。…………お前は、同じような状況で俺を見付けた場合は、絶対に近寄るなよ」

「はい。今回も、悲しみを堪えながらではありますが、ハンマーで粉々にするか、べたべたきのこまみれにするしかないと考えていました」



ネアが神妙な面持ちでそう申告すると、アルテアは、露骨に顔を顰めた。

悪夢の中の個体とは言え、やはり自分がきのこまみれになると考えるのは嫌なのだろうか。



「……………やめろ」

「ですが、ウィリアムさんがいると分かると、すぐにいなくなってしまったのです」

「災厄を内包した魔術の成果物だからだ。あの手の催しは、ウィリアムが一番嫌う。競り合いの途中で大規模な被害が出る事もある上に、勝ち抜けた者が災厄を好んで呼び込まないとも限らない。…………そのような場合は、あいつは、成果物を真っ先に見付けて破壊するか、参加者を剪定するかのどちらかの方法を取る」

「……………まぁ。アルテアさんも、ばっさりやられてしまうかもしれなかったのですね」

「あいつのことだ。俺を最優先で排除にかかるだろうな」



そんな話をしていると、部屋の扉が開いた。


振り返ったネアは、戻ってきたディノににっこりと微笑みかける。

その後ろには、エーダリア達もいるので、少し落ち着いたところでお見舞いに来てくれたのだろう。



ぴゃっとこちらにやってきた魔物に受け渡され、ネアは大事な魔物を撫でてやった。



「ディノ、アレクシスさん達を助ける為の印を残してくれて、有難うございます」

「うん。……………でもあの印は、エーダリアから相談を受けたノアベルトが作った物なんだ」

「まぁ、ではノアにもお礼を言いますね」

「よーし。沢山褒めて貰おうかな。………でも、まずは何よりも僕の妹が無事に帰ってきたことに感謝しないとね」



皆が揃ったのでテーブルセットのある居間の方へ移動し、ヒルドが備え付けのポットでお茶を淹れてくれる。


まだ窓の外はしっかり暗いので、悪夢が明けるには今少し時間がかかるのだろう。

ネアは悪夢の中であったことをまた少し話し、エーダリア達が、ウィームで起きている事を教えてくれた。



「カードを手にしたディノとウィリアムからも話を聞いたが、やはり、成果物は、イブメリアの障りで間違いないだろうな。……………であれば、ウィームの民は比較的耐性がある筈なのだ。今は、一人でも多くの者がこちらに帰る事を祈ろう」

「はい。どこかに上手く溶け込んでいれば、そこまで生活水準が低いという事はないと思うのですが、ロガンスキーさんはなかなかの凄腕調査員だった筈なのにやや困窮していましたので、私が見たお部屋は参考にならないかもしれません」

「あいつは、稼ぎの殆どを、最上位の妖精煙草につぎ込んでいたからな。それがなければ、もう一階級上の区画で生活出来ていた筈だ」

「なぬ。そのせいで、私までが残りの紅茶を計算しなければならなかったのですね……………」



どうやらあの生活ぶりは、本人の嗜好のせいだったらしい。

アルテアの口調からすると、かなりのお金が煙草になっていたのだろう。



「アレクシスが、作り直した印を置いてきてくれましたので、出来れば、もう一組引き上げられるといいのですが……………」

「ああ。名簿を確認したが、可能性があるのは街の騎士団の事務員だな。何度か話をしたことがあるが、頭の回転が速く、魔術可動域も高い」

「ええ。グラストも、そう申しておりましたよ」

「と言うか、あの印を作り直して置いてこられるのって、スープの魔術師だからだよね……」

「おや、……………失礼」



ここで、朗報が届いた。


ずっと連絡が取れなかった魔術学院の生徒たちが、運河沿いの作業小屋で、独自に遮蔽をかけ無事でいる事がわかったのだ。

課外授業の帰り道で巻き込まれたお陰で、生徒たちが固まっていた事が幸いしたらしい。



「十一人、全員無事とのことでした。それだけの人数であれば、子供達だけでも充分な遮蔽空間が作れるでしょう。家族には、街の騎士団から連絡が入っているようです」

「……………そうか、良かった。……………子供達が取り込まれるには、いささか難しい悪夢だからな」

「それだけの人数のお子さんが、所在不明でいたのですね。無事で良かったです……………」

「ああ。…………今回は、ウィーム中央が悪夢の中心になる。これで、おおよその不明者の確認は取れただろう」

「観光客については、悪夢が晴れてからでしょうね」



そう話すエーダリアとヒルドを見ていたウィリアムが、ふっと視線を窓の方に投げた。

続けて、アルテアとノアもそちらを見る。



「……………そろそろ、悪夢が晴れそうだな」

「うん。時間としても、想定内か。……………はぁ。もう一組くらい、悪夢が晴れる前に戻って欲しかったけど、新たな被害者が出ないっていう意味では、そろそろ晴れてくれないとね」

「むむ!空が少し明るくなってきました!!」

「…………きっかり三刻か。長引くような要素が増えず、良かったとするしかないだろう。さて、これからは、被害者の保護と事後処理だな」



少しだけ悲しそうに呟き、エーダリアが立ち上がる。

悪夢が晴れたら、ウィーム領主がやるべきことは沢山あるのだ。


ぐいんと伸びをしたウィリアムは、戦場明けでこちらに来たらしく、悪夢が晴れた後はリーエンベルクでひと眠りするらしい。

アルテアは、仕事があるので、そちらに戻るそうだ。



「いいか。パイはふた切れまでだぞ。それ以上は与えないようにしろ」

「ふた切れ迄なのだね……………」

「ありゃ。シルに預けると、ネアに負けちゃいそうだなぁ………」

「あら、お茶の時間は、ふた切れあれば充分なのですよ?後は、晩餐の後にでも………」

「お茶の時間と、夜とでふた切れだな。残りは明日以降にしろ」

「ぎゃ!」

「もうひと切れくらいはいいのではないかな………」

「こいつは、魔術酔いを起こしたばかりだろうが」

「………ごめんね、ネア。ふた切れだけにしようか」

「ぎゅ………ぐるるる」




リーエンベルクに再びの朗報が届いたのは、それから暫くしてからの事だった。


騎士団の事務員と、一緒にいた彼の叔母が、アレクシスが残した印を辿って無事に戻っていたのだ。

二人は、どこからともなく漂う、スープのいい匂いに気付き、ウィームのスープ専門店の香りではあるまいかとその匂いを辿った事で、無事に魔術の印に気付いたらしい。



その日の夕刻までに、行方不明者四人、魔術浸食や損傷を受けた重軽傷者が十七人となり、最終的には被害者を少し増やしたものの、あのような悪夢に触れたにしては少ない被害の報告が上がった。


観光客の被害はもう少し大きくなりそうだが、そちらの被害詳細を把握出来るのは、夜半過ぎの見込みになるという。



ロガンスキーの三つ編みの王女が、イブメリアの災厄を封じたカードをどこでどのように破棄したのかという記録は、どこにも残っていない。



だが、王族には、どんな出自であれ、それなりの人脈や備えがある。


ロガンスキーが王女の元から去った翌年、彼女が明らかに人外者だと分かる奇妙な人物の訪れを受けたという記録が残っており、その訪問者の特徴からすると、祝祭の王直々の回収があったのかもしれないと魔物達は言う。



その王女がイブメリアの祝祭期間に生まれた子供だったと知り、ネアは、そう言えば自分もクリスマスの数日前の生まれだったことを思い出した。

そんな偶然のような符号もまた、少しの呼び声になったのだろうか。


紅茶の残量を気にしていた僅かな時間の懐かしさに、ネアはふと、そこに暮らしていたのがネアハーレイだったらと考えてみた。



一欠片の魔法もなく怪物になった哀れな人間であれば、夜しかない街の空も、心から美しいと思って見上げたのかもしれない。










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