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37. 春は出会いの季節です(本編)




使い魔のダンス大好き過ぎる問題により、危うく花びらゼリー寄せを食べ損ねかけたネアに、お目当ての品が乗った白いお皿を差し出してくれたのはグレアムだ。



ネアは一瞬、躊躇した。



(食べ物を与えることがまずいのなら、グレアムさんの恋を壊すのは不本意だもの…………)



これは決して、綺麗事ではないのだ。

何しろネアには、ある程度近しい誰かに恋人か伴侶を迎えて欲しい切なる理由がある。

よって、どれだけ美味しそうなゼリー寄せが差し出されていようが、その邪魔だけは出来ないのだ。


幸いにも、そんな場面を見られたら不安がらせてしまいそうな同伴女性の姿が見当たらなかったこともあり、ネアは、今の内にそのお皿を受け取るべくさっと手を伸ばした。


しかし、その手はあえなく意地悪な使い魔に掴まれてしまうではないか。



「おい」

「むぐるるる!」

「心配しなくていい、魔術の繋ぎは切ってある」



そう微笑みかけてくれたグレアムに目をきらきらさせると、ネアは、食べ物の恨みは恐ろしいのだぞというじっとりとした暗い目でアルテアの方を振り返る。


ゼリー寄せを取っておいてくれたグレアムに感謝するより先にネアを叱ってきたので、アルテアは、このゼリー寄せがなかったら己が謹慎処分になっていたことをまだ理解出来ていないようだ。



「グレアムさん、有難うございます。そして、アルテアさんは、このゼリー寄せが残っていなかったら、即座に謹慎処分だったのですからね?」

「また妙な就業規則を作ったな…………」

「見て下さい、この宝石のようなゼリー寄せを!お花を閉じ込めた琥珀のようで美しいのに、中に入っているお花やゼリー部分も含めたお味としても絶品であるという、期待せずに食べたら思いがけない美味しさで虜になった、春告げの舞踏会の外せない一品なのですよ」



グレアムから受け取ったお皿を掲げてそう宣言すれば、アルテアは呆れたような顔をしたが、ご主人様はとても真剣なのだ。


このゼリー寄せを食べることも含めて、春告げの舞踏会の醍醐味といえよう。



「それなら、やはり確保しておいて良かったな。先程は、戻り雪の領域に落ちたようだが大丈夫だったのか?」

「まぁ…………。グレアムさんにも見られてしまっていたのですね………。お恥ずかしながら、私がステップを間違えてしまい、アルテアさんに助けて貰いました。初めての失態に、すっかり落ち込んでいます……………」


しゅんとしたネアにグレアムは心配そうな目をしてくれたが、なぜかアルテアは顔を顰めている。


「ほお、それならその皿の上は何だ」

「む?これは、グレアムさんの確保してくれていたゼリー寄せに加え、美味しそうだと思った前菜を全部乗せした、これからの幸せを約束してくれる一皿なので、絶対に差し上げませんよ?」

「いらん。それと、この鶏肉には、こっちの香辛料のソースだろう。お前がかけたのはタルタルソースだぞ」

「…………こっそりお魚料理のタルタルソースを奪ってきた事を、よくもグレアムさんの前で指摘しましたね…………。ゆるすまじ………」

「ネアは、タルタルソースが好きなんだな?」

「………ふぁい。辛い香辛料のソースも好きですが、今日はドレスを汚したら大変なのでという意味も込めて、私に優しいタルタルソースにしました」

「ああ、綺麗なドレスだから、汚したくないよな。敢えて霧雨と桜にしたのが、ネアにとても似合っている」

「まぁ、有難うございます」

「…………こいつも大概か」



何かをぽそりと呟いたアルテアに対し、微かに目を瞠ったグレアムが、小さく笑ってそうではないよと話している。


夢見るような灰色の瞳は、舞い散る桜の中でこの上なく美しく、ネアは、こっそりとお気に入りの美しい人外者の一人を観察した。


単純にそう表現すると色々と問題になりそうだが、ネアは、グレアムが伴侶な魔物を見ている時の眼差しが大好きなのだ。

そして、グレアムの話をする時のディノのことも好きなので、今日のグレアムの服装を覚えておいて、帰ったらディノに教えてあげよう。



アルテアと、何かややこしそうな話をしているグレアムは、どうやら何らかの疑念を晴らしているようだ。



その白灰色の正装姿は、今回も華美な装飾などは控えめにしており、グレアム本人の美貌と縫製の優美なラインで華やかさを出している。

思っていたよりずっと大振りで実用的だった武器といい、犠牲の魔物には、身に纏う貴族的な雰囲気とは対照的な嗜好があるのかもしれない。



(それはさて置き…………)



ここでネアは、この世の楽園を一枚のお皿の上に再現した己の技量に惚れ惚れとしながら、やっとありつけた春告げの舞踏会の御馳走を、銀色のフォークでぱくりと頬張った。



「むぐ!」



やはり今年も抜群に美味しいゼリー寄せは、ゼリー部分の味わいが、ゼリー寄せさえ作れれば何でもいいというものではなく、如何に美味しいゼリー寄せを作るかの努力が窺えるのが素晴らしいのだ。


幸せな味にお皿の上のものが転げて逃げてしまわない程度に小さく弾めば、アルテアにじろりと睨まれてしまう。


だが、こんな風に山盛りのお皿を持った上での弾みという不安定な状態では、肩を押さえたりしないのがアルテアの細やかなところなのだろう。



「グレアムさんはもう、お食事は済んだのですか?この、春のお野菜とを細切りにした和え物はとっても美味しいですよ」

「ああ、それは美味しかったな。さっき、ダナエ達と話していた時に食べたよ」

「まぁ、ダナエさんともお話しされたのですね?」



ネアがそう微笑めば、グレアムはなぜか淡く、けれども深く艶やかに微笑む。



「ああ。…………彼とゆっくり話す機会は、季節の舞踏会くらいのものだから。今年は、ずっと昔に生まれた古い呪いの話をしていた」

「…………呪い、ですか?」

「そう。………アルテア、少し音の壁を立てさせてくれ。……君達がガーウィンで触れた新興の魔術のようなものだ。その呪いは、かつてはクライメルが最初の一手として錬成したものだが、一度産まれた魔術は、潰えても例外なく必ずどこかでまた目を覚ましてしまう」

「…………お前は今回の事には噛んでなかっただろうが。今年の連れががらんどうなのは、この話をする為か」


そのアルテアの言葉に、グレアムは珍しく魔物らしい表情で目を細めて頷いた。

舞い落ちる花びらの中で、なぜかそれはとてもこの魔物らしいような気がして、ネアは目を瞬く。



「…………昨年、ダナエから久し振りにその呪いを見かけたと聞いてから、少しの間は俺の方でも網を張っていたが、幸い、一過性のものだったようだ」

「ほお、とは言え冬眠明けの魔術は大きな力を持つ。穏やかな話じゃないな」



そう呟いたアルテアがこちらを一瞥したのは、なぜだろう。

どうやらグレアムは、この話をする為に声をかけてくれたようだ。



(がらんどう…………?)



その言いようだと、グレアムのパートナーは普通の人ではないようだ。

まさか、こちらも今回のパートナーが人形なのだろうかと、ネアは少しだけハラハラする。


これでも伴侶を得たばかりで少し浮き足立っている人間としては、心を傾ける相手には幸せでいて欲しいのだ。



(と言うか、圧倒的に女性が足りていない…………!)



身近な魔物達の内の二人もとなると、季節の舞踏会での、パートナー人形率が高すぎやしないだろうか。

ネアの、知り合いの伴侶や恋人から同性の友達と出会う計画は、現状、なかなかに困難を極めている。

どの魔物達もとても人気があるだけに、無念としかいいようがない。



「この魔術に関しては、その限りではなかったんだ。術式の成り立ち上、ダナエだけがその呪いを退ける力を持っていたから、君の領域に関しては、もうその心配はないだろう」

「……………待て。お前の口調だと、…………くそ……」

「俺も、まさかあの呪いの話をもう一度耳にするとは思わなかった。どこかでまた目を覚ますとしても、もう一度同じ土地に現れるとは思わないからな。………だが、ひとまず二次災厄は収束だ。この後にまた現れるとしても、三次になれば魔術階位が落ちるからな」



はらはらと、桜の花びらが舞い落ちる。

漂う朝靄の帯を揺らして踊っているのは、美しい黄色の羽を持つ妖精と、黄緑から水色に変わる翼を持つ少女だ。


笑いさざめく女達に、ひらりひらりと翻る薄物。

春の系譜の男達は、やはり、繊細で儚げな美貌が多い。

そして、微笑んでいるようで微笑んでいない生き物達が多いのも、春の舞踏会の特徴だった。



(ここには、人ならざる生き物達が沢山いて……………、)



今年はスリジエが眠ってしまっているので、この世界のスリジエは、どんな土地に咲く一輪までもが桜と呼ばれていた。


それは、布告されて認識される事ではなく、誰かがふとそう呟き、今年はスリジエがいないのだと知るというのだから、やはり、人ならざる者達の存在は不思議なものだ。


スリジエが眠っているのは、その花木が蝕の怨嗟の隠れ家になり易いからなのだとか。

場合によってはそれを司る自身をも損なう怨嗟や穢れを、スリジエは、蝕から半年間冬眠するようにして自分の城で過ごす事で浄化する。


しかし、それはあくまでもスリジエの決める事なので、知ったことかと気儘に過ごしていた結果、なかなか侮れない災厄の引き金になった事もあるのだそうだ。



(……………今の、アルテアさんとグレアムさんの会話も、そういう、危うくて人知を超えた領域のこの世界のことなのだと思う…………)



会話が飲み込めずに困惑していたネアの視線に気付いたのか、こちらを見たアルテアが会話の内容を噛み砕いてくれる。

先程まではばさりと下ろしてしまっていたケープは、いつの間にかまた、最初からそうであったように片側にまとめられていた。

すぐに直したのかなと思えば、このような拘りは如何にもアルテアらしい。



「新しく生まれた魔術の話だ。錬成されたものは、最初の一つを滅ぼしてもまたどこかで現れるのは知っているな?」

「…………ええ。だからこそ私は、その抗体を持ち帰らなければならなかったのですよね?」

「ああ。その種の話だ。そうして再び現れた術式を二次災厄と呼び、その次を三次回付と言う。………まぁ、呼び名は土地によりけりだがな。そして、回数を重ねてゆく度にその効力が落ちるのが常だ」

「それは、…………どんな魔術にも言えることなのですか?」



新しく編まれた術式には、悪いものや不穏なものだけではなく、良いものや細やかなものも沢山ある筈だ。

例えば、洗濯物のより良い洗い方の魔術に対し、二次災厄と呼ばれるのは不当な気がしてしまう。



「そうなんだ。どの魔術も、完成されて錬成されたものについては、最初のものが最も強い。第一顕現や初版、初号魔術や黎明術式など、これも土地によって様々な呼び名がある。不完全なものであれば、その限りではないかな」

「災厄の名がつくのは二次からだ。即ち、一度は誰かの手で根絶された魔術に限る」

「は!良きものであれば、根絶はされないので、災厄の名前が付けられることもないのですね?」

「そう言うことだな」



薄いグラスの縁に唇を付けて、グレアムがシュプリを一口飲む。

ほうっとどこからともなくご婦人方の溜め息が聞こえてくるので、遠巻きにしていながらも、そんなグレアムや、隣のアルテアを見ている者達は多いのだろう。


音の壁を展開した上での会話のようだが、ふと、こんな風に注目を受けている事は息苦しい事もあるのではないだろうかと考える。

誰の目も惹かずに話していたい話題もあるだろう。


(それとも、煩わしいと感じることすらもうないのかしら…………)



ディノを見ていて時々感じるのだが、あまりにも多くの者達に望まれると、却ってその思慕に鈍感になってしまうのではないだろうか。



「…………この話を、わざわざ春告げでした理由があるだろう。ヴレメか」

「かもしれないな。俺は、実は彼をよく知らないんだ。だが、彼はアイザックと並ぶ術式の蒐集家で、その時期はウィームで顕現した新種の生き物の証跡を追ってたまたまウィームに来ていた。無関係だとは思うが、念の為に君にも共有しておきたかったんだ」

「……………あいつは、嗜好としては春の系譜だろ」

「それを言うのなら、ダナエも春の系譜だ」



不可思議なやり取りに首を傾げながら、ネアはヴレメと呼ばれる人物が厄介なのだなと、ふすんと頷く。


聞いたことのない名前だが、アルテアとグレアムが警戒をするのならまず間違いなく高位の生き物である。



(この会場に来ているのなら、遭遇しないようにしないと……………む)



ここで、ネアはお皿を手にしたまま固まった。


ぱたぱたと羽音が聞こえそちらを見ると、先程遭遇した鉛筆竜が、テーブルの上の料理のお皿の周囲を飛び交っているではないか。


ネアと目が合うとフシャーと威嚇しているので、どうやら春辛子のソースをかけた、蜂蜜チーズの棘牛肉巻きを狙っているらしい。

しかし、その料理はネアとて二個目を狙っているので、鉛筆ごときに負ける訳にはいかない人間は小さく唸り声を上げた。



太古より変わらない、生き物同士の食べ物を巡る縄張り争いである。




「ぐるるる」

「……………え、」



しかし、敵の出現にあまりにも過敏になっていたせいか、うっかり近くにいた見知らぬ人のことまで脅かしてしまったようだ。

小さな動揺の声にぎくりとしたネアが見たのは、死角になっていた、テーブル近くの桜の木の影にいた一人の男性がびくりと体を揺らした姿だった。



「…………まぁ」



研ぎ澄まされたような精悍な美しさがあるとすれば、まさにこのような美貌だろう。


ネアはあまり出会わない質の容貌だが、軍用犬のような雰囲気はすらりと美しく、こちらを見た瞳は決して凡庸ではない琥珀色で、おまけにそこに、僅かに灰色がかった白混じりの髪が揺れる。


生粋の白というよりは白灰色だが、これは随分と白の分量が多いなと眉を寄せたところで、ネアは後ろから伸ばされた手にするりと拘束された。



「いいか。一日に二度も事故るな」

「むぐ?!お、おのれ、戦いの途中で捕獲されました………!」

「何の戦いだよ。それと、あの話の後で余分を増やそうとするとはいい度胸だな?」

「……………む?棘牛肉巻きのことですか?」

「そんな訳ないだろ」



そのままひょいと小脇に抱えられそうになり、ネアは慌てて腰に巻き付けられた腕を外すと、しゃっと悪い魔物の背後に回り込んでその手を躱した。


しかしなぜか、アルテアはそんなネアを捕まえようとはせずに、片腕を回してネアを自分の背中に固定したようだ。

これ幸いとそうしたような動きに、ネアは目を瞬く。



「やあ、シュタム」



(……………あ、さっきの………)



ふっと視界が翳った。

ネアがアルテアに捕縛されている間に、一歩前に出たグレアムが、ネアの見付けた人物のものとおぼしき名前を呼んでいる。

独特な配置と微かにぴりりとした空気を見れば、これは厄介な知り合いなのだろうか。


そう考えてアルテアの背中越しに覗いてみれば、見慣れた筈の色彩がこんな風に鮮烈な色を帯びるのだろうかと思ってしまう琥珀色の瞳がネアの方を見る。


けれどもそれは、すぐに逸らされた。

決して最初ではなく最後でもないだろう無関心な視線だが、だからこそ特に不快感もない。



「グレアムか。…………新代の犠牲がアルテアと共にいるとは驚きだな」

「そうでもないさ。統括同士で話すべき事もあるからな」

「知らずに歩み寄ったのなら、やめておいた方が無難だと言うところだが、今の君なら話が合うかもしれないな。カルウィの北西部では、君の機嫌を損ねて滅びた街が幾つもあるくらいだ」



その会話を聞いて少し驚きかけたが、グレアムとて魔物なのだから、例え理由がなくともそういう事はあるだろう。


何しろネアはあまりカルウィ贔屓ではないので、とても身勝手な一個人の嗜好として、そちらの土地の統括をしているというグレアムの無条件の理解者である。



「敢えて会話に持ち出される理由は分から無いが、場合によってはそうするしかない事もあるだろう」

「やはり、今代の犠牲は少し変わったようだな」

「それで君は、それだけを言う為に俺達の背後に立ったのか?」

「思いがけない所でアルテアが指輪を与えた人間を見付けたので、よく見てみようとしたのだが、ちっとも見栄えがしないな。いささか期待外れだ」



人外者にありがちな事だが、えてして彼等はとても好奇心旺盛な生き物だ。

高位の魔物が毛色の変わったものを連れていると、寄って来てしまう習性があるらしい。


こうして、なぜ押しかけて来て不満を言うのだろうという手合いも少なくなく、そもそもネアとしても、人外者と人間の造形にはそれなりに差がある事をよく知っているので、そう言われましてもという気分になる。


だから、そう呟いた男性にネアが体を強張らせたのは、この距離になったところでダナエやドリーくらいの身長だったことに気付いたからだ。


今迄だって立っていた筈なのにその身長に気付かなかったのは、気配が軽いと言えばいいものか、木立の中の一本の木のように違和感がなく、その輪郭を理解するのに手間取ってしまうからだろう。

体格的には竜だが、どうも竜らしい気配はしないので、身長が高いだけの他の生き物なのだろうか。



(随分と背が高いけれど、竜…………、じゃない?)



思わずぽかんと見上げてしまいそうになり、ネアは、こちらを見下ろして嘲るように小さく笑った人外者の表情に微かな苛立ちを見た。



「…………しかも人間か。よりにもよって、あんたが、こうも特別に脆弱で醜い生き物を選ぶとはな」

「言っておくが、こいつは獰猛だぞ」

「へぇ、君からそんな薄っぺらな言葉を聞くとは思わなかったよ。見たところ、可動域も随分と低いようだ。そうそう、ダナエには、近付けない方がいいぞ。この凡庸さだと餌にしか見えないだろうからな。…………え」



だしんと音がした。

琥珀色の瞳の男性は、その音を辿るようにして視線を落とし、たった今、自分が取ろうとした棘牛の肉巻きに礼儀作法の概念の欠片もなく、鋭くフォークを突き立てた人間の姿を見る。


先程の遭遇の時の様子もだが、アルテアやグレアムと対等に言葉を交わしながらも、思いがけない出来事に少し動揺しがちな生き物のようだ。



(……………魔物さんかな)



「…………っ、醜いだけではなくて、礼儀もなっていないのか」

「アルテアさんの言うように、人間はとても獰猛なので、狙っていたお料理を奪わんとする敵は討ち亡ぼすのみです。この鉛筆めのようになりたくなければ、私の獲物には手を出さない事ですよ」

「…………鉛筆?」



おかしなことを言い出した人間に眉を顰め、シュタムと呼ばれた男性は、ネアが持ち上げた片手を見た。

左手が塞がっていたので、ネアは、多少お行儀が悪くても肉巻きにフォークを突き立てるしかなかったのだ。


そのまま動きを止めたシュタムの代わりに反応したのはアルテアで、ネアの手の中のものを一瞥すると冷ややかな眼差しになる。



「…………おい、竜は狩るなと言わなかったか?」

「このような、ご自由にお取り下さい方式の食事の場では、残り少ない同じお料理を狙う者達は全て敵です。とても残酷な世の中の定めとして、私の前で私の獲物に手を出した場合は、力のままに蹂躙されても文句は言えませんね」

「お前な…………」

「鷲掴みにしたら儚くなってしまうのに、なぜこやつは私に戦いを挑んだのでしょう?」

「普通は、人間と競ったくらいじゃ死なないからだろ」

「この、か弱い生き物がですか?」



ここで、やっとシュタムは我に返ったらしい。



「竜を素手で…………」



どこか唖然とした様子でぽそりと呟いたシュタムは、いっそ無防備な程に見えたが、グレアムやアルテアは相変わらず、ネアを自分達の影から出そうとしていない。

その過剰な警戒心に違和感を覚え、ネアは小さく首を傾げた。

なお、手に入れた獲物をいただいているので、口はもぐもぐしている。



「それから、一つ君に説明しておいた方が良さそうだな。シュタム、彼女の持つ指輪の贈り主はアルテアじゃない」

「……………魔物が他の魔物の指輪を持つ相手を、季節の舞踏会に連れてくるか?あり得ないだろう。それも、ここまで何の特徴もない凡庸な人間の…………何をしているんだ?!」



とても静かな声でそう尋ねられ、ネアは目を細めた。

ここは華やかな舞踏会の場であり、現在のネアは、不埒な参加者を成敗していたところである。

ご婦人が、わざと足を引っ掛けようとした人外者を成敗していても、気付かないふりをするのも紳士の務めだろう。


なお、この場合は成敗されたのもご婦人だが、場合によっては致し方ない。



「おい………………」

「いや、今のは正当防衛だ。ネア、すまないな。今のは俺達で対処するべきだったな」

「いえ。この方は先程から私にとても非友好的な視線を向けていらっしゃったので、なにやつだろうと注視していたのです。とても意地悪な感じでしたが、やはりこうなりました………。恐らく、ゼリー寄せか肉巻きの競合だったのでしょう」

「何でだよ」

「……………む?し、しかし、そうでなければなぜ、この場でわざと私の足を引っ掛けようとする悪さに出たのですか?」

「自分より弱い生き物の足を払って枷をつける、足枷の精霊だからだ。更に付け加えると、主食はその獲物で、シュタムが連れて来た女だな」

「あしかせのせいれいさん……………」



ネアは、それは足に布紐を結んでご主人様を捕獲しようとする悪い魔物の使うやつだろうかと眉を寄せてふるふるすると、足を引っ掛け返してばたんと打ち倒してしまった生き物を渋面で見下ろす。


ぱっきりとした黄色のドレスを着た女性で、床に倒れて踠いていても、本来の美しさが想像出来るくらいだ。

びたんと倒れたので、多少鼻は欠けたとしても、きっと人外者なので頑張って元通りにしてくれるだろう。


ネアとて女性は大切にする方針であるが、食べ物を山盛りにしたお皿を持っている時に足を引っ掛けようとする生き物に容赦する程、狩りの女王は甘くないのだ。



「俺の方で引き取ろう。…………おや」

「ネア、大丈夫?」



そこにまた新しい影が落ち、この歪な輪に加わったのはダナエだった。

すぐ後ろにはバーレンがおり、こちらは、ネアの足元を見て何やら過去の思い出が蘇ってしまったものか、やや強張った表情を浮かべている。



「ダナエさん!足を引っ掛けようとする悪いやつでしたので、女性の方とは言え、ここは戦うしかありませんでした………」

「うん。それは人間を食べるから、忍び寄られない方がいい。アルテアは気付かなかったのかな」

「そんな訳あるか。こいつには重ねて守護をかけてある。ここに来てから、この女はずっとこちらを見ていたからな」

「………まぁ、アルテアさんも気付いていたのですか?」

「お前に足をかけた段階で、押さえるつもりだったからな」

「その場合、私は一度転ぶのでは…………」

「これだけの守護があって、捕食用の魔術工程を受けることはない。………ったく。お前は何でもかんでも引き寄せやがって」

「解せぬ……………」



ネアが倒してしまった精霊は、グレアムが、ぎょっとする程に容赦なくシュタムの方に蹴り転がしてしまった。

ぐえっと低く呻いた後、そのままぴたりと動かなくなったので、なかなかに過酷な移動方法になったらしい。



(怒ってくれたのだわ…………)



グレアムにとって、ネアは、我が君と呼んでとても大切にしてくれているディノの伴侶だ。

こうして、大切な友人の伴侶を食べようとした精霊をきっちり排除してくれる頼もしさは、今回に限らず、何だかディノ側の親戚のようで胸がほかほかする。


この話をディノにしたら、あの魔物はきっと嬉しそうに口元をもぞもぞさせるに違いない。



「彼女は責任を持って連れ帰ってくれ。彼女に踏まれてしまった以上、その階位では階位落ちしているかもしれないが」

「…………なぜ、その可動域でサンシュを………。グレアム、その指輪は誰の…」



ここでシュタムは、引き続き何かを言おうとしたのだろう。

しかし、ここにはグレアム以上にそうは見えないものの、手の早い人物がいたらしい。



「シュタムは煩い」



ひゅっと風を切るような音がしたと思えば、柔らかな桜色を帯びた闇が凝ったようたものが、シュタムの頭に巻き付いている。

みしりと嫌な音がして、シュタムが顔を歪めた。



「……………っ、」

「ネアを虐めたら君も食べてしまうよ」



冷ややかな程の声でそう告げられ、顔を歪めながらも歯をぎりりっと噛み締めたシュタムに、小さく溜め息を吐いたのはアルテアだった。

呆れたように肩を竦め、手袋に包まれた片手をひらりと振る。



「こいつの守護をよく見なかったようだが、このおかしな接触については、ウィリアムには俺から話しておいてやろう」

「……………ウ、ウィリアム?」

「そうだ。ああ、お前はあいつと仲が良かったな」

「あ、あの方は、春枯れが続くと、苛立ちを隠しもせずに俺の手足を切り落としてゆくばかりだ。………まさか、あの方の…………」

「ほお、縁深くて良かったじゃないか。また近い内に会うだろうさ」



ここでダナエが拘束を解いたからか、シュタムと呼ばれた魔物は、終焉の魔物の名前にがくがくと震えながら、足元に転がっていた黄色いドレスの精霊を買い物袋でも持つようにひょいっと抱え、その場から立ち去ってしまった。


高位の生き物らしくばたばたはしないものの、それなりに慌ただしく立ち去ってゆくのでやはり衆目は集める。

密やかな囁きに見送られ、初めましての生き物達は忙しなく去っていった。



「………あの方は何がしたかったのでしょう?」

「あれは、春枯れの魔物だ。伯爵位だが、この時期だけは春の森で迷う者達を殺して侯爵まで階位を上げる。お前が俺の指輪持ちだと思って、様子を見に来たんだろう。前に色々とあったからな………」

「…………という事は、これはアルテアさん主導の事故だったのですね………」

「その目をやめろ。真っ先に出会ったのはお前だろう」

「因みに、あしかせさんはそのしゅのぎょうかいのかたですか?」

「だったら、脇目も振らずにお前を狙って来たのはそういう事だな」

「…………かいなどありません」



悲しく項垂れたネアに、先ほどの魔物らしい鋭さを潜めたグレアムが、にっこりと微笑みかけてくれる。



「俺は知らなかったが、ウィリアムのことを天敵としているようだから、もうネアには近付かないだろう。目的が不透明だから、少し泳がせようかと思ったが、アルテア絡みだったようだな」

「知るか。あいつが勝手に寄ってきただけだからな。………おい、その目をやめろ」

「……………アルテアさんの事故に巻き込まれました」


どうして我が家の使い魔はすぐに事故ってしまうだろうとしょんぼりと呟き、ネアは、見兼ねて割って入ってくれたらしいダナエ達の方を振り返る。

まだ少し心配そうに瞳を曇らせているダナエには、きちんとお礼を言わなければだ。



「ダナエさん、助けて下さって有難うございます。頼もしい友達がいて、私は幸せ者ですね」

「……………ネア」



嬉しそうに唇の端を持ち上げ、ダナエはこくりと頷いた。

その様子を見て、バーレンも微笑んでいる。



そっと差し出された手にネアが目を瞠ると、ダナエは恥じらうように目元を染めた。



「…………踊ってくれるかい?」

「ええ、勿論。ちょうどお皿を空っぽにしましたので、デザートのテーブルを襲う前に、一曲踊って下さると嬉しいです」

「うん」

「アルテアさん、ダナエさんと踊ってきますね」

「いいか、一曲までだぞ」

「……………お父さんのようです」

「やめろ」



グレアムはまだアルテアと話があるようだったので、ネアは、事故りがちな使い魔を預けて安心してその場を離れる事が出来た。

バーレンも加わって三人でお喋りするようなので、ダナエも安心して離れられるだろう。



「ダナエさんは、グレアムさんとは、以前からお知り合いだったのですか?」

「うん。グレアムは怖い事もあるけれど、優しい」

「ふふ、私もそう思います」

「バルバに来るかな………」

「まぁ、誘ってみますか?グレアムさんはディノのお友達なので、ディノも喜ぶかもしれません」


そう提案すると、ダナエが嬉しそうに頷いたので、ネアも微笑みを深くする。

やはり、この美しい春闇の竜には悲しい目をして欲しくない。



会場の中心でダンスの輪に加わると、やはり春告げの四柱の一人であるダナエは、人目を引くようだ。


人間を連れている事も興味の対象になるのか、微かな囁きがあちこちで落ちる。

それを気に留めようにも、周囲にはネアの目を奪うような美しい男女が次の音楽を待っていて、ネアは舞踏会の華やかさに気もそぞろだ。


ふわりとドレスの裾が花びら混じりの風を孕めば、差し出されたダナエの手を取って綺麗な瞳を見上げた。



「では、宜しくお願いします」

「うん。………有難う、ネア」

「私こそ、今年も踊ってくれて有難うございます」



音楽が流れ始めたその時、ネアは、先程にも見かけた白い髪の男性が、人並みの向こうにいるのを見た。


胸上までの白い髪を一本に縛り、ランシーンの人々のような布を幾重にも巻き付けた異国風の装束だが、白みがかった布をふんだんに使っているからか、このような場所でもとても高貴な身分の人に見える。




(……………神話に出てくる神様のよう。とても綺麗な人だわ…………)



ついそちらを見てしまったからか、一瞬目が合ったような気がしたが、こちらを見たとしてもほんの一瞬の事だった。



ネアのよく知る魔物達や、ターバン姿のヨシュアともまた違うその雰囲気は、身に馴染んだ文化の装いではないからこそ、人ならざる領域のものに思えるのかもしれない。



「あれは、白虹かな。珍しいね」

「まぁ、あれが白虹さんなのですね……」

「人間には、危ない………のかな?」

「むむ、では近付かないようにしますね」

「君を虐めようとしたら、齧ってあげるよ」

「ふふ、それなら、ダナエさんが一緒なら私は安心してダンスを踊れますね」



ダンスの中で、ダナエの三つ編みからこぼれた濃紺の長い髪がさらりと揺れる。

片方しかない白い角も、白瑪瑙めいた宝石質な輝きで、ついつい見てしまう美しさだ。


ダナエの服装は少しひらりとした異国風の装いから貴族的な盛装姿と様々だが、本人曰く特に拘りはないらしい。

食事に行く時には、あまり邪魔にならない服装を好むだけであるらしく、そんな無頓着さもこの春闇の竜らしかった。


今日は腰回りに美しい織地の腰帯を巻いた、けれどもウィームなどでも通用しそうな貴族的な盛装姿で、隙のない装いのアルテアと共にいたネアの目にもとてもお洒落に映る。

よく見れば、髪飾りや耳飾りなどといい、ダナエはなかなかに上級者の装いをしていた。


そんなお気に入りの竜とこの美しい春告げの会場で踊れるのだから、楽しくない訳がない。


途中で踊れる子犬大の米粒こと、木蓮の魔物の姿も見かけたものの、昨年の様子ではあまり好意的ではなかったし、見ていると心が不安定になるのですぐさま目を逸らしながら、ネアはダナエとのダンスを楽しんだ。



ターンでくるりと回された時に、まだ話し込んでいる様子のアルテア達が見えた。



(…………その呪いは、大変なものだったのかしら…………)



アルテアもグレアムもその種の事には敏感そうなので、情報が早い魔物同士で情報交換しておきたいのだろう。

今は世界中を旅しているバーレンからも、有益な情報が聞けているかもしれない。



ダナエがその呪いに対して力を持つと聞いたからか、ネアはふと、夢の中でダナエがあの黒い車を追い払ってくれたことを思い出した。



この友人は凄いのだぞと何となく誇らしくなってふんすと胸を張ると、こちらを見たダナエもネアがダンスを楽しんでいると考えたのか、とても嬉しそうに微笑んでくれた。










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