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風の強い日と白いハンカチ



その日は朝から不思議な天気で、ごうごうと風が唸り続けていた。


どこかで風の系譜の人外者が喧嘩でもしているのかもしれず、ドルトは小さく身震いする。

関わり合いになる可能性のない高位の人外者より、障りの大きな植物の系譜の妖精達や、天候を司る人外者の方がずっと恐ろしい。



そして今は、この風の動きに注視していよう。



森の木々は風に揺れざわざわと葉擦れの音を立て、千切れとんだ木の葉が空に巻き上げられる。

木々の向こうを駆けてゆくのは、見慣れない色だが森狼だろうか。


不穏な気配のする森の様子に、早めに今日の仕事を終えてしまわなければと考えた。



(天候を読み誤ったかもしれない。…………今日は、森に入るべきではなかったのだろうか)



朝から、どこか奇妙な風だなとは思っていたが、雨が降るまでは問題がないと思っていた。

けれども、晴れた空には未だに雨雲の気配はないのに、風が強まるのと共に、何とも言えない切迫感のようなものが募っている。


一度たりとてこの予感を無視したことはなく、そのお陰で何度も危険を脱してきた。

つまりこれは、何か良からぬ事が起こるという前兆に他ならないのだ。



ドルトは、収穫者だ。



収穫者というのは、土地に根差していない流しの冒険者のような存在の中でも、薬草や木の実、鉱石や祝福石などの収集の任務を中心に引き受ける者の総称である。


国によって呼び方は違うのだが、この国では収穫者と呼ばれる事が多く、一説によれば、比較的柔らかな名称を心掛け、農民たちなどにも受け入れられ易くしているのだという。


冒険者たちのように、より高階位の人外者に挑んだり、古い遺跡や迷宮に侵入したりしない分、危険の少ない仕事でもあるが、土地に暮らす人々がキノコや木の実を収穫に出るよりは危険が伴う採取や収穫である。


生き物を狩らずに、魔術的な素材を集める冒険者だと言えばいいだろうか。



隣国のヴェルクレアでは、冒険者のような流浪職はあまり歓迎されないらしいが、それは、土地の人外者の管理や国の基盤がしっかりしているからだろう。

土地に根差して定職を持ち、その土地の稼ぎだけで暮らしてゆける国民が多いからこそ、各地を旅して一攫千金を狙う者達が殆どいないのだ。



(生まれ育った土地で職を得て、ずっと同じ場所で暮らしてゆくのはどんな気持ちだろう)



そこには大きな街があり、学院や貴族の館などがある。

ご近所付き合いがあって、自分の家や家族を得て、一緒に暮らしてゆく。



孤児上がりのドルトが想像する定住の人々の暮らす場所はせいぜいがそんなものだが、この国にだって、勿論そのような大きな都市は幾らでもあった。

とは言え、大国程に郊外の管理が行き届いていない為、冒険者達や収穫者達の商売が成り立っており、そのような者達が、討伐や調伏の任務や収穫物を求めて国のあちこちを移動するのだ。



「ヴェルクレアにいたら、俺達みたいなもんは、ならず者に振り分けられちまうんだろうなぁ」


そう笑ったのは、この森で出会った剣士で、小さな村や中規模の町などに現れる、魔獣や低階位の人外者の討伐を行っているらしい。


戦いにはからきし向いていないドルトは感心してしまうばかりだが、まだ若いのに魔術詠唱が早く、剣の腕もいい。


珍しい単身の冒険者をやれるくらいのこの腕であれば、王都の騎士にもなれた筈なのだが、やはり、騎士団などでは貴族籍を持つ者達が優遇されがちであるのと、一か所に留まって暮らすのが性に合わないということで冒険者になったらしい。



「それなら、僕みたいな収穫者は、カルウィに行ったら吊るされてしまうよ」

「ああ、あの国は、土地ごとにその地を治める王族がいて、資源類は相当厳しく管理されているらしいからなぁ。……………で、どうだ?今日は少しでも稼ぎになりそうか?」

「うん。やはりここは豊かな森だね。…………でも、この風は少し良くないかもしれない。ぎりぎりまで収穫をしようと思っていたけれど、多少物足りなくてもそろそろ町に帰らないと、厄介なものに出会ってしまいそうだ」

「ドルトが言うなら、違いないだろうな。お前のその勘の良さのお陰で、何度命拾いしたか」

「大袈裟だよ。まだ、一緒に仕事をし始めたばかりじゃないか」



実は、この剣士とは、三日前から組んで仕事をしている。



森の中で、たまたま同じ木苺の茂みに駆け寄った事で出会い、甘酸っぱい木苺を食べながら少しの間だけお喋りをしたのが出会いの切っ掛けだ。


その後、厄介な森編みの気配に気づいたドルトが、森の奥に向かおうとしてた彼を呼び止め、今日は森の奥に入らない方がいいと忠告した。

すると、勘ばかりは鋭いドルトを気に入った剣士から、この森で仕事をしている間は組まないかと持ち掛けられたのだった。



(腕のいい剣士が一緒にいれば、護衛代わりになる)



ドルトが得するばかりの契約に思えたが、とは言え、剣士にも利点はあるらしい。

一緒に仕事をするのでいつもより少しばかり森の奥深くに入り、ドルトが、何か不穏な気配がないかを常に警戒し、引き時や方向の指示などを出すのだ。


剣士の獲物は近くにある町から討伐を依頼された古木の竜達だが、この森には、普段は森から出ずに人間の暮らしには立ち入らない代わりに、森で出会えば人間を襲う妖精や精霊達も多い。

畑や羊を襲う竜を駆除しに来ているのだが、うっかりそんな生き物達と出会ってしまえば、狩られるのはこちら側である。


なので、周辺の気配に敏感なドルトが共に行動することで、剣士は、そんな出会ってはいけない人外者達との遭遇を回避出来るという訳なのだった。



(彼が一緒にいるお陰で、僕はいつもより森の奥深くに入れる。勿論、そのような所の方が、いいものが沢山収穫出来るんだ。昨日なんかは、凄く立派な星屑を拾ってしまった)



「でも、君の魔術階位なら、本当は危険の回避なんて簡単だったろうに」


思わずそんなことを呟くと、こちらを見た剣士がおやっと眉を持ち上げた。


美麗な面立ちというには粗削りだが、魅力的な男だとは思う。

酒場に行けば女性達に言い寄られているが、残念ながら、人型の女性には興味がないらしい。

あんまりな嗜好だが、ではどういうお相手が好みなのかは、さすがに怖くて聞けなかった。



「それが、この剣のせいで台無しだ。前にも言ったが、……………何しろこいつは煩いからなぁ」

「仕事には役立つけれど、そんな弊害があるものなのだね。今もかい?」

「ああ。近くの気配はさすがに分かるが、遠くの魔術反応はさっぱりだ。…………とは言え、この階位の武器を持てたからこそ、気儘に暮らせているんだが」



剣士が持っている剣は、銘のある武器なのだそうだ。


武器としての階位が高く戦いでは役に立つが、それだけの階位にある武器を常に携帯しているせいで、彼は、近付いてはならない人外者達の気配が離れていると察知出来なくなってしまったそうだ。


普段であれば、そこまで人外者を警戒することもないので支障はないのだが、この森のように様々な人外者が暮らしている場所での任務となると、彼曰く、人混みの中を、目を閉じたり、耳を塞いだりして歩いているようなものなのだとか。


だからこの森では、ドルトがそんな彼の眼や耳の代わりになる。


剣士が古木の竜を討伐する間は近くで隠れていなければならないが、一頭につき鱗を十枚貰えるので、その時間の手当も保証されていた。


収穫者を馬鹿にする冒険者もいるが、この剣士はとても感じのいい人物であった。

破格の報酬ともいえる十枚もの竜の鱗を気前よく渡してくれて、体が資本の職業であるので、自分に出来ないことを任せられる相棒は何にも代え難いとからりと笑うのだ。



なお、渡される竜の鱗は、三枚でドルトの平均的な日給になる。


この森には五十から七十頭程の古木の竜の群れが暮らしており、その中の一部の個体が町に出て畑を荒らすので、数を減らして欲しいというのが剣士への依頼だ。


森に対して竜の数が増え過ぎたのは、町の畑を食い荒らしているからだろう。

最終的に二十頭程減らせば元の数に戻るようなので、一頭につき十枚の鱗を貰えるともなれば、どれだけの臨時収入になるかを考えるだけで、ドルトはほくほくしてしまう。



おおんと、どこかで風が唸った。



(まずいな。風の質が変わってきた……………)



眉を顰め、ドルトは、大きな木の根元に落ちていた森結晶の小さな欠片を拾い、近くの茂みに紛れて咲いていた、薬草の新芽だけを素早く採取する。


茂みをかき分ける時には、妖精が隠れていないかどうかを確認し、収穫は素早く行わねばならない。

折角森に入ったので、ここだけはと思い、仕事を済ませてしまった。


今すぐに、何かが起こるという程ではないだろう。

だが、帰還の為に必要な時間を考えると、今日はもう帰った方がいい。

剣士の獲物である竜には出会えなかったなと思いながら、はたはたとケープを揺らす風に目を細めて立ち上がると、空を見上げて目を細めている剣士の横顔を見た。



(彼の名前は知らないけれど、多分、僕と同じくらいの年齢ではないかな)



銘のある武器を持っているので、念の為だがすまないと言って、剣士は名乗らなかった。


なので、ドルトは剣士さんと呼んでいる。

通り名を付けてもいいのだが、この森があまりにも豊かなので、うっかり考えた通り名が森の生き物と同じで障りを受けるというような事故を避け、仮の名前を作ることもしなかった。


勿論彼も、ドルトが裏切って自分を魔術拘束するとは思っていない筈だ。


だが、森で高位の生き物に襲われた際に、真っ先に捕縛されるのは弱いドルトだろう。

その際に剣士の名前まで取られてしまうと、二人揃って無力化されてしまう。


また、ドルトがうっかり浸食型の魔術を使うような人外者に取り込まれ、剣士を剣士たらしめている武器が奪われる危険もある。


高位の武器を持っているからこそ優位に戦えている剣士は、武器を奪われるという展開に於いては、大きな弱点を抱えていると言ってもいい。

彼が高位の生き物との遭遇を警戒しているのも、銘のある武器が彼等の目に留まる品物だからであった。



「剣士さん、そろそろ森を出た方がいい。今日は竜を見付けられなかったけれど、大丈夫かい?」

「そうか、ではそうしよう。なに、夕暮れまでにこの風が収まらなきゃ、明日、余分に狩ればいいだけだ」

「昨日、三頭も狩っておいて良かったね。…………森を出るまでに雨が降らなければいいのだけど」

「通り雨の魔物や、雨降らしに出会ったら一大事だからな」

「……………そんな恐ろしい目に遭ったら、二人ともお終いだからね」

「違いない。今日は早めに町に帰って、あの店で一杯酒でも飲むか」

「あなたの一杯は、一杯で済まないと初日に学んだけれどね」

「はは、そうだったな」



そんなやり取りをしながら、収穫したものを丁寧に鞄にしまった。


より高い値段で売る為に状態を落とさないようにするのもそうだが、森結晶などは、持っている事に気付かれると妖精に襲われることもある。


価値のある物を集めて持っているからこそ、その管理には用心しなければいけないというのが、収穫者の仕事の鉄則なのだ。


折角、お金になる植物や鉱石を集めても、ギルドに売る前に妖精に襲われて全部奪われましたとなれば、その日の稼ぎはなしとなる。



(その点、冒険者は、稼ぎのない日があっても気にならないのだろうなぁ……………)



彼等の報酬は普通の収穫者よりは遥かに高額なので、大きな仕事を一つでもこなせば暫くは懐が潤う。

ひと月に三回も仕事をすれば充分だという者もいるくらいで、この剣士も、恐らくはそのような暮らしをしているのだろう。


今回の仕事は駆除する竜の数が多いので、一頭あたりは安価な報酬としているものの、これだけ深い森であれば、暫くすると別の大口の任務も出て来るかもしれない。

ふた月程はこの町に留まるつもりだと話しているのは、そんな仕事を求めているからではないだろうか。



「それにしても、雨さえ降らなければと思ったけれど、思っていたよりも妙な風だね」

「ああ。さすがにここまで風が強くなると、俺にも妙だと感じられる。獲物の竜達も、巣穴に引っ込んじまっているだろうよ」



その剣士の言葉に、朝から不思議な風の騒めきを感じていたが、天候が崩れるまでの時間である程度の仕事は出来るくらいだろうと考えて森に入ってしまったことを、ドルトは改めて恥じた。


雨が降らずとも撤退する羽目になったのは想定外だが、こうなってしまったら仕方ない。

周囲の気配に気を付けつつ、剣士と共に森の出口に急いだ。



とは言え、周囲には、同業者の姿もちらほら見えたが、皆は、雨が降る迄は問題ないだろうと森を出る様子はない。


僅かに眉を顰め、彼等は森に残っていて大丈夫だろうかと考えたものの、仲間ではない者達にまで、早く森を出るように注意して回る訳にもいかない。


彼等には彼等の生活があるし、安易にこちらの感知能力をひけらかしても騒ぎの元になる。

隣を歩く剣士に声をかけた時は、たまたまその前に短い世間話をした後だったから、見過ごせなかったというだけなのだ。



(……………おや)



その時のことだ。


剣士が立ち止まったので、ドルトも慌てて足を止める。

何かあったのだろうかと眉を寄せると、こちらを見た剣士が、困ったような目をするではないか。



「なぁ。……………あれは、同業者じゃないよな?」

「……………本当だ。普通のお嬢さんだね。………町に住んでいる子だろうか」



剣士が目を止めたのは、サンザシの木の下に立って茂みをかき分けている、一人の少女だった。


長い灰色の髪は左右に飾り三つ編みを作って綺麗に一本に縛り、動きやすそうな服装ではあるものの、スカート姿である。

森に仕事で入る者達のような荷物や装備はないので、花でも摘みに来てうっかりここまで入り込んでしまったというところなのだろう。


二人で顔を見合わせ、小さく息を吐いた。

さすがに一般人がこの森にいるのを見過ごす訳にはいかない。



(でも、こんな日に森に入るようなお嬢さんだから、面倒な事にならなれければいいのだけどなぁ……………)



冒険者や収穫者の仕事は、的確な判断こそが命を守る。


そこに、自分の身を守れないような一般人が加わり、尚且つこちらの行動を鈍らせるような反応を示せば、ドルト達にとっても命取りになりかねない。

人助けといえば聞こえはいいが、ある程度の危険を覚悟の上で声をかける必要があるのだ。




「お嬢さん。今日は妙な風が吹いている。森を出た方がいいぞ。俺達も森を出るところなので、もし良ければ一緒に行かないか?」


歩み寄って声をかけたのは剣士で、振り返ったのはまだ少女ともいえる年頃の女性であった。

だが、落ち着いた眼差しを見ていると、思っているよりも年嵩なのかもしれない。

しかし、可動域が随分と低いようなので、ただそういう顔立ちなだけかもしれなかった。



「ご忠告いただき、有難うございます。ですが、とても大事な落とし物を探しているので、どうかお気になさらずに。幸いにも、私はなかなかに頑丈な守護を持っているので、この風を唸らせている愚かな妖精めは、見付け次第捻り潰しておきますね」

「……………捻り……………」



思いがけない返答に絶句してしまった剣士が、助けを求めるように振り返った。


実は彼は、こういう思いがけない事態にとても弱い。

今朝だって、風に煽られて転んだ子供がわんわん泣いている場面に遭遇してしまい、途方に暮れた大型犬のようにおろおろしていたくらいなのだ。


なので、ここからはどうやらドルトの出番のようだ。

それに、目の前の少女の返答は、そのまま聞き流せるようなものではなかった。



「……………もしかして、この風の原因に心当たりがあるのですか?」

「ええ。この風を吹かせている狼姿の妖精めに、私の家族のハンカチが奪われたのです。そのままには出来ないものでしたので、こうして探しに来ているのですが……………む」



少女が頭上を見上げるのと同時にがさがさと木の枝が揺れる音がして、ぎょっとしてしまった。


はっとしたように前に出た剣士が剣を抜こうとするや否や、軽やかに木の上から飛び降りてきた男性が、優雅な仕草でその手を押さえた。



「……………っ、」


(妖精だ……………!!)



羽織っているケープが翻った瞬間、鮮やかな青緑色の羽が見えた。


だが、こちらを見ている怜悧な美貌と息を呑む程に美しい青い瞳を見るだけでも、人間ではないのは一目瞭然ではないか。



「失礼、私は彼女の連れですので、どうか剣をお収めいただけますよう」

「……………そうだったんだな。こちらこそ、失礼なことをした。………御身は、高位の妖精の方とお見受けしますが…………」

「探し物で立ち寄っただけですので、この森に長居をするつもりはありません。あなた方の狩場や、……………恐らくは収穫の場なのでしょう。荒らすつもりはありませんので、安心して下さい」



穏やかな口調でそう言われ、剣士は、ほっとしたように頷く。


ドルトはすっかり緊張してしまって喉がからからになってしまい、何も言えずにいる。

妖精であることはすぐに分かったが、こうして目の前に立つと、肌に触れる魔術の質量が尋常なものではない。


膝が萎えそうな程の重たい気配は、シー以外の何者でもなかった。




(……………シーだ。……………それも恐らく、森の系譜の)



シーを見るのは、生まれて初めてである。

あまりの美しさに、この妖精が女性であったなら、その場で求婚したかもしれないだなんて馬鹿なことを考えつつ、背中に嫌な汗をかきながら、じりりと一歩下がる。


現実には、過ぎたる美貌は男性のもので、その鋭利な重さに畏怖を覚えたのだ。



「木の上に、引っかかっていました?」

「いえ、この木から森に下りたのは間違いありませんが、どこかに落とした様子はありませんね。となると、まだ咥えている可能性が高いでしょう。……………ネイが、すぐに魔術追跡を行っていなければ、失せもの探しの結晶が使えるようになるまで待つしかありませんでしたが…………」

「むぅ。失せ物探しの結晶が使えない、攫うことを資質としているだなんて、困った妖精めですね。……………毛皮は立派でしたが、見付け次第滅ぼして……………ていっ!」




その直後に起こったことを、どう説明すればいいのだろう。


突然、近くの茂みから何か細長いひらひらしたものが飛び掛かってきた。

ドルトの目にはそのくらいしか分からなかったが、少女が鷲掴みにしてぶんぶん振っているものを見た瞬間、血の気が引いてしまう。



「……………カワセミだ」

「……………カワセミかよ……………。まさか、この森にもカワセミがいたのか」



それは剣士も同じだったようで、どんな銘ある武器でも攻撃が通らないという悍ましい怪物を、まさかここで見ることになるとは思っていなかったのだろう。



カワセミは、高位の魔物や竜ですら、両断が難しい生き物だ。


だからこそ、王が公式行事に出る際には、代々受け継がれるカワセミを使ったケープが羽織られる。

けれども、そんな生き物を目の前の少女は片手で握り締めており、あろうことか振り回しただけであっさり殺してしまった。



「ふむ。滅びましたね。相変わらず、儚いくせに襲い掛かってくる愚かな獲物です」

「お怪我などはありませんか?獲物をしまったら、手を拭きましょう」

「はい。……………そして、あちらに固まってけばけばになっているのは、もしや、ハンカチ窃盗犯の妖精めでしょうか……………」

「おや。……少々こちらでお待ちいただいても?私が話をしてきましょう」



少女の言葉に木立の向こうを見ると、尻尾の先まで毛を逆立てた森狼のような生き物が、目を丸くして、こちらを凝視したまま震えていた。



確かに背中には妖精の羽があるし、口元にはハンカチと思わしき白い布切れを咥えている。

となれば、この二人連れが探している妖精に違いなく、つまりは今日の異様な風を引き起こしている主でもあるのだろう。


森にこれだけの異変を起こしているともなれば、相当に高位の生き物に違いない。


しかし、そんな生き物は今、カワセミを素手で殺した少女を見てとても怯えていた。

更には、自分に歩み寄ってきた妖精に少し遅れて気付き、ギャインと悲鳴を上げて地面に伏せてしまっている。



「……………あの妖精は、相当な階位なんだろうな。………目が合っただけだぞ」

「うん。あの狼、さっきも見たような気がする。森狼じゃなかったんだね」

「つむじ風の妖精王さんなのだそうですよ。私の家族のハンカチを盗んだ、ただの窃盗犯でもありますので、場合によっては尻尾を引っこ抜くしかありません」

「……………そうでしたか……………」

「はは、ようせいおうかぁ………!」




剣士と僕は、素早く視線を交わしてまた少し後退った。


間違いなく、この森で今一番恐ろしいのは、この少女だ。

可動域も低いし人間の少女に見えるが、恐らく、擬態などでそう装った高位の人外者なのだろう。



やがて、先程の青い瞳の妖精が、取り返したハンカチと、立派な宝石の首飾りのようなものを手に戻ってきた。

狼姿の妖精王はそのまま地面に突っ伏しているので、死んでいなければ死んだふりをしているのかもしれない。



「尻尾は引っこ抜かなくていいのですか?」

「ええ。反省しているようですのと、ある程度の謝罪を心得ておりましたので解放することにしました。同じような真似をすれば、首を落とすと誓約させましたので、今後の危険もないでしょう」

「うむ。であれば、早く帰って皆さんを安心させてあげるべきですね。……………転移をお願いしてもいいですか?」

「キュ!」



どこからともなく、第三の生き物の存在を示す鳴き声が聞こえてきたが、ドルトはもういっぱいいっぱいだった。


どうぞ一刻も早くお帰り下さいと頭の中で念じていたが、なぜか、先程の少女が振り向いてしまう。



「先程は、身を案じて下さって有難うございました。恐らく、もう風も落ち着くと思います」



そう言って微笑んだ少女に、ドルトはちゃんと微笑み返せただろうか。

引き攣った微笑みを浮かべがくがくと頷くと、少し離れた位置で転移しようと、妖精と一緒に少女が立ち去るを何とか見送り、完全に見えなくなった時点で、剣士と共にずしゃりと地面に崩れ落ちる。




森には、あの奇妙な風が吹く前の静けさが戻っていた。




「……………はは、とんでもないものに遭遇しちまったなぁ」

「うん。……………心臓が飛び出すかと思ったよ。……………こちらに悪意を向けないもので良かった」

「ああ。……………すっかり、膝が使い物にならなくなっちまった。今日は、風が落ち着いても、仕事にはならないだろうな」

「うん。……………僕は、今日の事を一生忘れないと思うよ。……………あんなものに遭遇して生き延びられただなんて、今でも信じられないや」

「……………そうだな。今日は、奮発していい酒でも飲むか……………」

「だね。……………あれ、……………」



そこで、ドルトは、きらきら光るものが先程まで少女が立っていた茂みの前に落ちている事に気付いた。


なんだろうと思い、まだうまく立てなかったので、四つん這いのような情けない動きでそちらに近付き、地面に落ちた、千切れたリボンのようなものを指先で摘まんで拾い上げる。



「……………ドルト?」

「……………どうしよう、剣士さん。……………ぼろぼろになってカワセミの残骸が、千切れ落ちてる」

「……………は?」

「二匹分くらいあるよ。……………ってことは、あの子は、……………一度に三匹も倒したのかな」

「カワセミを……………?」

「うん。しかも、残りの二匹は、ばらばらだ……………」



そう言えば、剣士も同じ姿勢でこちらに近付いてきて、二人で、地面に散らばったカワセミの残骸を囲んだ。



「お前、……………これって」

「うん。……………これってさ……………」





結論から言えば、二人は拾い集めたカワセミの残骸を二等分し、ギルドに高値で買い取って貰った。



この町のギルドでは資金が調達出来ないと言われ、王都から担当職員がやってきた程だ。

カワセミは千切れていたが、資源としての活用方法はいくらでもある。

尚且つ、狩り立ての新鮮なもので、加工するには最高の状態だったのだとか。



一生遊んで暮らせる程のお金とはいかなかったが、立派な一軒家を建てるには充分な稼ぎではあった。

ドルトと剣士は相談し、二人ともこの町に立派な家を建てると、今度は、お隣さん同士としての付き合いを開始することになる。



豊かな森で時々仕事をするくらいで充分であったし、家を買った後も、何年か分の蓄えは残った。

なぜそんな高収入になったかと言えば、件のカワセミがこの国の二人の王子の公式礼装に使われる事になり、王子達の身を守るカワセミを狩った事に対して、王から褒章までが出されたのだ。



あの日以降、つむじ風の妖精王を見る事もなかったが、風の強い日に森に入ると、森で出会った奇妙な二人連れの事を思い出す。


あの日回収されたハンカチは、恐らく、あの二人よりも位の高い誰かのものだろう。

そこにどんな家族構成があるのかは想像するだけでも恐ろしかったが、あの出会いがあったからこそ、今の暮らしがある。



剣士は、森で出会った太った兎のような変な生き物を伴侶にした。

そういう趣味かと思い遠い目になったドルトには、可愛い奥さんと最高に可愛い娘がいる。

家族ぐるみの付き合いも増え、ますます仲良しになった相棒とは、今日で七年と三日の付き合いだ。



あの森でカワセミの残骸を拾ったこの日にはいつも、互いの家族を交え、木苺のパイを食べるのが二人なりの記念日の祝い方であった。









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