竜の話と妖精の話
「私が、光竜の血を継いでいるの……………だな」
その話を聞いた時に、まず感じたのは驚きであった。
だが、上手く反応出来ずに思わずヒルドを見てしまい、どこか悲しげに淡く微笑んだヒルドに気付いた。
だから、その時に、彼は気付いていたのだと知ったのだ。
「ヒルドは、どうして私にそのことを言ってくれなかったのだろうか」
そう尋ねたのは、部屋にある長椅子の上に膝を抱えて座っているネアだ。
部屋には柔らかな明かりが落ちており、彼女は既に室内着を着ているので、本来はこのような時間帯に部屋を訪ねるべきではない。
加えて、舞踏会の後の夜なのだからもう寝かせてやるべきだが、どうしたらいいのか分からずに、こちらに来てしまった。
きっと、ヒルドの部屋には銀狐がいるのだろう。
あの優しい契約の魔物は、こんな時にはとても勘がいいのだ。
快く部屋に招き入れてくれたネア達と共に、あらためて、自分は恵まれているのだなと感じている。
紅茶を出そうかと言うネアに首を横に振った。
幸いにも喉は乾いていないし、長居をするつもりもない。
それに、ネアは自室で使った食器を自分で洗う傾向があるので、この時間にその手間をかけさせたくなかった。
「もし、ヒルドさんがどこかでその事実に気付いていたのなら、エーダリア様を怖がらせたくなかったのかもしれませんね」
「……………私が、ヒルドを怖がる?」
「ふふ。少しもそんな事を思っていないので、エーダリア様は首を傾げてしまいますが、ヒルドさんは、光竜さんを狩っていた妖精さんの一族の、王様なのでしょう?」
「ああ。……………だが、ヒルドはヒルドではないか。私が……………?」
こんなにも多くを預けているのに、今更怖がると思うだろうかと首を傾げると、ネアは、時折見せる不可思議な微笑みを浮かべた。
その微笑みの向こうに静かな湖が見えるようなのだと話してくれたのはノアベルトで、かつてその向こうには、傷だらけで立つ、怪物になった少女がいたらしい。
もしかしたら、こちらで保護したばかりの頃のネアはそうだったのかもしれないのだが、あの頃は、エーダリアにもまだ余裕がなかった。
今のように互いを信頼し、心の距離を詰めてもいなかったので、目の前の家族になった少女が内包していた怪物には、きっと気付かないままだったのだろう。
「…………自分が厄介なものだと知るとき、それはそれは、不安になるものなのですよ。それに、消し去りようのない履歴や異端さが自分の欲する者を遠ざけるかもしれないと考えるのは、とても憂鬱で悲しい事でしょう。ヒルドさんが抱えていたのが、確信であったのか、微かな懸念であったのかは分かりません。ですが、それを秘密としてでもエーダリア様の側にいたかったのでしょう」
「……………ヒルドを、どこかにやるつもりはない」
「あらあら、そんな風に強張ったような声を出さずとも、これからヒルドさんのお部屋に行って事実を聞き出す前に、ずっとどこにも行かないで欲しいとお願いしてしまえばいいと思います」
「……………ずっと、どこにも行かないで欲しいと、……………言うのか」
さすがにそれは気恥ずかしいのではとおろおろすると、ネアは、にっこりと微笑んだ。
隣に座っているディノが三つ編みを渡していて、少し困ったように受け取っている。
「ええ。そんな時は、怖がっていないと言うよりも、あなたがいない事の方が恐ろしいのだと伝えて差し上げると、そんな不安を抱えた者でもきっととても安心してしまうのでしょう。……………私がこの世界に来て、私の魔物が大好きになり、ずっとこの魔物と生きてゆくのだと決めたのは、ディノがそのような主張をしてくれたからなのですよ」
「……………ネアが虐待した……………」
「むぅ。もう少しだけ生きていて下さいね。……………こんなに頑固で臆病な私ですら、その甘美さに心を蕩かされてしまう魔法の………特別な言葉なのですから、エーダリア様の事が大好きなヒルドさんは、簡単に篭絡出来る筈なのです!」
「篭絡……………」
いつもながらネアの言葉選びには困惑してしまうが、確かに自分は、ヒルドを捕まえておきたいのだろう。
ノアベルトが来てくれてから、ヒルドが、誰も見ていない夜の内にどこかに消えてしまいそうな恐ろしさは随分と軽減されたように思う。
今でも、時々無茶なことをしそうで心配ではあるが、ネアの事も大事に思っているようだし、自分の命をかけてというような危うさはなくなった。
けれどもきっと、あのような危うい部分もまた、ヒルドの一面なのだ。
あんなに美しく優しい妖精なのに、彼はいつも、一歩影になった方へと後退してしまう。
そんなヒルドにどこにも行かないでくれと言えば、この手でも引き留められるだろうか。
気付いてしまった違和感のせいで、彼が、今日までと変わってしまったりせずにいてくれるだろうか。
(光竜の血を継いでいると分かったのは、……………嬉しいには、嬉しいのだ。……………だが、)
もし、そのことでヒルドとの関係が変わるのであれば、それはエーダリアの本意ではない。
確かに竜は大好きだが、大事な家族より優先されるものなど何もありはしないのだから。
そんな事を、就寝時間に合わせて照明を落とした、リーエンベルクの廊下を歩きながら考えた。
「なので、……………今の内に言ってしまおうと思ったのだ。……………ヒルド、お前はどこにも行かないでくれ」
執務室や部屋に帰ってから自分なりの言葉を考えるつもりだった。
だが、考えれば考える程に、自分で選ぶ言葉は月並みで当たり障りのないものになってゆく。
であれば、ネアから教えられた言葉の衝撃が残っている内に、少し乱暴でも伝えてしまうべきだと感じたのだ。
(思えば、こんな風に内側からの思いに突き動かされて言葉を発したのは、ノアベルトに契約を申し込んだ時以来かもしれない……………)
部屋に招き入れるなりそんなことを言ってしまったからか、こちらを見て目を丸くしているヒルドを見つめ、すっかり開いてしまった妖精の羽がざあっとさざめくように淡く光るのを見ていた。
部屋の奥では、尻尾をけばけばにした銀狐が目を丸くしており、成る程、魔物としてではなく敢えてその姿で部屋に来たのだなと考える。
言葉を交わせる魔物姿であれば、暫く一人にして欲しいと言われてしまえばそれ迄だが、銀狐の姿であれば、無理矢理部屋に飛び込んでしまう事も出来るだろう。
(いや、……………或いは、ヒルドはあの場でのみ動揺しているように見えたものの、すぐに落ち着いていて、いつものように普通に部屋に招き入れたのかもしれない……………)
そう思えば、こんな風に前のめりに思いの丈をぶつけてしまった自分は何だろうと恥ずかしくなったが、ヒルドの羽は確かに淡く光っているのだった。
珍しい程に無防備に目を瞬き、けれども瑠璃色の瞳にはやがて、言葉にはならない程の微かな苦さが浮かぶ。
それに気付きひやりとしたが、続けて浮かべられた微笑みは、思っていたよりも穏やかなものだった。
「……………やれやれ、私は、あなたを不安にしましたか」
「お前は、……………私が、光竜の血を受け継いでいると、知っていたのか?」
「いえ。そのような確証などはありませんでしたが、あなたの魔術の才の高さや、本来は人間の領域のものではない禁術を扱えたこと、そして、それが調整や調停などの光竜が得意とした系譜の魔術であったことなどで、疑念は感じていました」
「そうだったのだな……………」
「私は、光竜を良く知る一族の者ですので、たまたまそう考えるだけの材料を持っていたのでしょう。ですが、……………私がそう感じたと伝える事で、あなたに余計なご負担をかけることは懸念しておりました」
「……………そう、なのか?お前が気付いてくれたのだとしても、私は、気付かれたことを負担に思う事などはなかっただろうに…………」
そう言えば、こちらを見たヒルドがふわりと微笑みを深くした。
その表情はいつものもので、はっとするのと同時に安堵してしまい、気付けばほわりと微笑んでしまっていた。
部屋の奥にいる銀狐の尻尾が、微かに振られている。
「私は、狩人の側で、あなたは獲物の側ですよ?そのような者に光竜の資質に近しいものを持っていると言われたのなら、自分を損なう可能性があると考えても不思議はありません」
「い、いや。……………だが、お前達の一族が光竜を狩ったのは、………言い方があんまりだが、本能とかではなく、それを獲物として見定めての事だろう?」
思わずそう返してしまったエーダリアに、ヒルドは目を瞠った。
暫しそのまま固まり、小さくくすりと笑う。
「……………おかしなところで、あなたはネア様によく似ておられる」
「私が……………?」
「ええ。或いは、家族として暮らしているのですから、それも当然かもしれませんが。……………エーダリア様。そう不安そうにされずとも、私はもう、あなたが私を厭う事はないと知りましたから、ご安心なされて下さい」
「……………私が、そんな事でお前を厭うと考えていたのか?」
ヒルドは愉快そうに微笑んでいたが、告げられた言葉はいささか衝撃であった。
途方に暮れてそう問いかけた自分に、今の言葉は聞き流すべきだったのかもしれないと唇を噛む。
もう、子供ではないのだ。
何もかもを彼に強請らずとも、共に生きてゆくことは出来る。
その心を開いて全てを差し出させなくとも、ヒルドはこれまでのように微笑んでくれるのだろう。
(だが、……………それでは嫌だったのだ)
そう考え我慢出来なかった自分の幼さに落胆していると、不意に体がふわりと浮き上がった。
一瞬何が起こったのか理解出来ず、一拍遅れてから状況を把握する。
「ヒ、ヒルド?!」
まるで小さな子供のように抱き上げられたのだと気付き動転したが、思わずその腕から何とか下りようとしてしまっても、細い腕で簡単にこの体を持ち上げてしまったヒルドは、しっかりとそのまま立っている。
人間と妖精の違いにはっとさせられるのは、こんな時だ。
ともすれば儚げにすら見えるヒルドなのに、この程度の重さのエーダリアが多少暴れても、少しも苦にならないのだろう。
「私の側の懸念は、本能的なものです。……………王宮におられた頃、あなたは何度もその命を狙われました。政治的な理由や、派閥の手土産の為、或いはただの弱いもの虐めに、憂さ晴らしまで。……………様々な理由でその刃を向けられたあなただからこそ、頭で理解していても、私がその血を残した生き物を滅ぼした一族の王だったと知る事で、体が怯えるということもあり得るのではと、そう考えていたのですよ」
「……………私は、例えお前が剣を抜いて真向いに立っていても、お前を恐れたりはしないと思う」
「ええ。……………今のあなたの目を見て、そう理解しました。ですが、私はとても臆病でしたので、……………そうして、やっと手に入れた宝を失うのは耐え難かった」
「っ、……………そ、そうなのだな」
「その結果、あなたに余計な気を遣わせました。……………私はもう、どこにも行きませんよ」
少しだけ挟んだ沈黙は、躊躇いではなく、覚悟だったのだろうか。
それが例え困難であっても、ヒルドが、自分自身を切り捨てずに共に在ってくれるのだと思える眼差しに、胸の奥の柔らかな部分を掻き毟られるような思いがした。
(ああそうか。……………喜びや安堵は、……………時として苦しいのだな)
ネアが以前に話していた事がある。
ふとした時に、胸が潰れそうな安堵に襲われ、何も言えなくなることがあるのだと。
であればきっと、今のこの思いこそがそうなのだろう。
どうすればいいのか分からずに、ただ、俯いてヒルドに体を寄せた。
そうしてしまってから、この年齢ですることではなかったと愕然としたが、心のどこかに、そうしてただ心と体を預けて自分を抱き上げる者に手を伸ばした子供の姿が、ずっと残っていたのだろう。
(鎮魂の鐘の音が鳴り響く王宮の中で、そうして伝説の火竜に抱き上げられていたのは兄上であった)
ああ、この人はこうして心を預ける事が出来るのだと考え、いつか、自分にもこんなことが出来るだろうかと考えていたあの日。
誰かの腕の中はどんな体温で、どんな安堵や優しさで、その人に頭をそっと預けるのだろうか。
そう考えて憧れた子供の頃の自分が手を伸ばした妖精はしかし、エーダリアの立場を守る為に、あの王宮では分かりやすく寄り添う事はなかった。
なので、こんな風にする前に、エーダリアも大人になってしまったのだ。
「す、すまな……」
「甘やかすばかりは性に合いませんので、いつもとなると難しいですが、たまには、このようなものも良いものですね」
慌てて体を離そうとしたエーダリアの後頭部を、ヒルドがそっと片手で押さえる。
もしや、今は片手で抱き上げられているのかという驚きもあったが、それよりも、思いがけない体勢に、驚き過ぎて息が止まりそうになった。
まるで、泣きじゃくる子供を宥める為に、しっかりと抱き寄せられているようではないか。
「い、今の私は、人形飾りの桃などは食べていないのだぞ……………?!」
「おや、だとしても、今日くらいは甘やかしても良いでしょう。どこにも行かないと、理解していただかねばいけませんからね。……………おや」
ここで、ムギーという声が響き、走ってきた銀狐が、飛び上がってはヒルドの足に体当たりし始める。
涙目で尻尾の先までけばけばになり、耳などはすっかり寝てしまっているので、仲間外れにされたと感じているのだろうか。
思わずヒルドと顔を見合わせて小さく笑うと、銀狐は、またしても二人だけの話題から締め出されたと感じたようで、床の上に仰向けになってしまい、大暴れで鳴き出してしまった。
ムギャワーという何とも言えない鳴き声に、ヒルドが目を丸くする。
「ノ、ノアベルト……………!違うのだ、お前も一緒だったのだと思ってヒルドと視線を交わしただけで、…………っ、ヒルド、もう下ろしてくれないだろうか…………」
「おや、もう宜しいですか?」
「…………そ、そのような言い方は狡いだろう……………。だが、ノアベルトを宥めてやらねばならないからな」
「そろそろ、魔物の姿に戻って貰いたいという気もしますがね」
だが、幸いにもすぐに床に下ろして貰えたので、エーダリアは慌てて床に膝を突き、手足や尻尾の全てをばたばたさせて暴れている銀狐を苦心して抱き上げた。
抱き上げられると気付くと、銀狐の方からしっかりとしがみついてくれるのでほっと息を吐く。
涙目でムギャムギャと狐語で何かを訴えているが、残念ながら、同じ領域の言語を持たない動物の姿では、どのような事を訴えているのかまでは分からない。
なので、そっと背中を撫でてやった。
「この時間からあまり甘やかしますと、睡眠時間が足りなくなりますよ」
「ああ。……………部屋に……………だが、もう少しここに居ていいだろうか?」
「……………では、花影の部屋に参りましょうか」
「……………いいのか?」
「ええ。今夜は春告げの舞踏会が行われた夜ですので、あの部屋に収められた春も、さぞかし美しい事でしょう。たまには、三人で寝るのも良いでしょうし、……………私もまだ、あなたと話していたいですからね」
「……………ああ!」
「寝具などを持つのであれば、ネイは床に下ろしては?」
「……………また暴れ始めてしまったな……………」
床に下ろされると知った銀狐は、またしてもじたばたし始める。
とは言え、寝具の持ち運びをヒルドに預けてしまう訳にもいかないので、銀狐姿の契約の魔物には、部屋に戻って枕と毛布を魔術金庫に仕舞う迄の間だけ、涙目で震える銀狐に、寝台の上で待っていて貰った。
ノアベルトの寝具はどうするのだろうかと心配になったが、必要であればすぐに魔術で取り寄せられる筈だとヒルドが言うので、ここは気にしないようにした。
花影の部屋は、扉の向こうに春の夜を収めた小さめの仮眠部屋だ。
そんな部屋が中央棟にあるのは、ここが王宮で、王族の居住棟であるこの棟に、執務の為に滞在する高官がいた頃の名残である。
普段から使っている訳ではないので、寝台には枕や毛布は用意されていない。
だが、大きな花盛りの木の下で、夜空を見上げながら眠る贅沢に、時々、寝具を持ち込んでこの部屋で仮眠を取る事があった。
リーエンベルクの中にいての危険などはそうそうにないにせよ、魔術で部屋の中が変化する可能性はあるので、出来るだけ一人では使わないようにしていて、銀狐や魔物の姿の時のノアベルトや、ごく稀にヒルドが同行してくれることもある。
二度程、ここでヒルドとノアベルトと三人で眠った夜があり、その日は随分と様々な話をした。
だから、今夜もそのように。
「……………美しいな」
「ええ。そうして心を緩められるよう、この部屋は作られたのでしょう。その時代には、光竜がこの建物で暮らしていたのかもしれませんね」
「ああ。……………今更だが、不思議な感覚なのだ。……………ウィーム王家に、光竜を極秘裏に迎え入れた事は知っていたが、……………その竜から私に受け継がれるものがあったとは、思いもしなかった」
エーダリアが使う禁術は、光竜の、あるべきものをあるべき形でという資質を反対に利用し、認識の魔術の一部の書き換えを行う高度な魔術であるらしい。
認識の系譜でもあるその術式は、調停者としての光竜達にとっても必要なものだったのだそうだ。
とは言えそれは、光竜の血を継いでいると判明したからこそ、そちら側から紐解けたものである。
それまでは、ウィームの王家の血筋なので、禁術も使えたのだろうというぼんやりとした意識であった。
何しろウィームには、そのくらいの認識でより凄まじい事をやってのける領民が大勢いる。
「決定的な不和が生じるまでは、私の一族と光竜は、同じような役割を担っていたと聞いています。それぞれが独立した種族でもあり、教えや助力を請う同族や人間達に、知恵や力を貸してきました」
その関係が続いていれば、自分の一族が森の精霊王に陥れられることもなかったのかもしれないと、ヒルドはどこか穏やかな目をして語る。
ヒルドがそんな風に考えてしまうのが悲しいのだが、魔術の天秤としては、確かにそうであったのかもしれない。
それもまた、時代の変化に於ける大きな節目だったのだろうか。
柱の一つが失われた事で、残っていた柱もまた、失われたのだ。
「それならば、私は光竜の資質が継承されていて良かったと思う。……………私がいれば、お前が失われる事はないのだろう?」
「おや、そうではなかったとしても、もう、あなたを残してゆくつもりはありませんが」
「……………ああ。……………お前がいなければ、……………駄目なのだ。ノアベルトがいて、ネア達がいて、グラスト達や騎士達がいる。ダリルがいて、今の私には、このウィームや領民達がいる。……………だが、お前が最初で、……………だから、お前にはずっと傍に居て欲しいと願ってしまう」
満開の花枝を見上げ、花明かりの下で横になっているからだろうか。
思ったままのことを口にしてしまい、僅かに頬が熱くなった。
なぜかまだ銀狐のままの契約の魔物は、花びらを追いかけて周囲を走り回っては、二人の間に戻ってきて横倒しになる。
その時に腹部を見せた側にいた者が、ふかふかのお腹を撫でてやらなければならないらしい。
「……………あなたを、この地に送り届けられて良かった」
「……………ああ」
「これからはもう、得るものを増やしてゆく時期なのでしょう。私はずっとお側におりますから、安心して、新しいものに手を伸ばされて下さい」
「バーレンとも、色々な話をしてみようと思う。ネアによれば、とは言え彼もまた、大事な者は既に得ているようだ。……………不思議な事だが、バーレンにはダナエがいるのだと知ってほっとしている。私はやはり、お前達以上に彼を大事にする事は出来ないからな……………」
その言葉に微笑む気配がし、はらはらと舞い落ちる花びらを見上げ、エーダリアも頬を緩めた。
もし、この身の中に竜としての資質が残るのであれば、そんな竜の宝は、もうこの手の中にある。
ヒルドとノアベルトと、ネア達。
そんな家族と、ずっと共に戦ってくれたグラスト達を筆頭とする騎士達に、このウィームまで。
それではさすがに多過ぎるので、宝とするのは家族だけでいいだろうか。
グラストまでをこちらに引き入れると、ゼノーシュを怒らせてしまいそうだ。
“いつか……………”
こんな風に、真夜中に部屋を訪ねてきたネアがくれた言葉を思い出し、目をぎゅっと閉じた。
もっとずっと先に何か変化があるのだとしても、こうして家族を得るとは少しも考えていなかったが、彼女は確かにあの日、こんな日を祈ってくれたのだと思う。
(……………今は、毎日が優しく、……………そして楽しいのだ)
であれば、春闇の竜と世界中を旅して、そうして共に過ごす日々が愉快で幸せなのだと話していたあの光竜とは、互いの喜びや楽しみについて話そうか。
バルバの日を待たずに訪ねてくれてもいいのだが、それだけ、彼の中での優先順位が自分の大事な者と過ごす事にこそ傾いている事なのだと思えば、それもまた幸せな事だと考えた。
(楽しかった思い出ならば、もう負けないのだがな……………)
少しだけ得意になってそう考え、慣れない考え方に、少しむずがゆい思いを噛み締める。
それは、子供の頃に憧れていたお決まりの言葉で、いつかはきっと、自分もそんな風に言えるようになるのだと信じながら、誰もいない部屋の寝台で目を閉じた。
時には、命を脅かされ、戸棚の中や浴室に隠れて眠る夜もあったが、そんな日々の先には今日があって、これから先の幸福が続いているのだろう。
後日、バルバで再会したバーレンと話をしていると、ヒルド以上に強い反応を見せたのはノアベルトだった。
ネア曰く、大事な家族が取られないようにとても威嚇している状態だということで、そう言えば魔物は狭量だったのだと思い出し、慌てて宥めなければならなかった。
ボールを沢山投げて肩が大変なことになったが、家族には薬の魔物がいるので、魔物の薬を貰い翌日の執務には響かずに済んだのは、せめてもの幸いだったのだろうか。
バーレンは、その翌日に、大きな鮫の魔物を食べてしまったダナエのせいで、頭から海水を被ってずぶ濡れになったらしい。
明日4/16の更新はお休みとなります。
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