名無しの自治区と海老のスープ
その海沿いの街には、美味しいリストランテがあるらしい。
そう聞けば行かざるを得ず、ネアは、お誘いを受けてすぐに大事な伴侶の手を取った。
かぎ尻尾亭は、名前に反して街の食堂やオステリアではなく、老舗のリストランテだ。
実はこの名前、オステリアではよく付けられるものなのだ。
かぎ尻尾亭は、魚介の旨味たっぷりのトマトクリームベースのスープに、大きめの海老を一尾丸ごと入れたスープが有名である。
水色のクロスに真っ白なナプキンと、手書きの模様があたたかな食器を使い、海沿いにあるお店の窓からは、夕暮れから夜に移り変わる美しい風景が楽しめる。
青く青く滲む夕闇にぼうっとオレンジの街灯が灯り、海沿い並木道に作られた歩道を歩く人達もいる。
とは言え、馬車で訪れるような距離なので夕闇の時間は歩行者に風景を遮られる事なく、のんびりと景色と料理を楽しめるお店なのだ。
「……………わ、私もいいのだろうか」
「うんうん。この店なら、大丈夫だよ。ずっと昔から来てるけど、まさかアルテアの持ち物になっていたとはなぁ……」
「やれやれだな、………お前は、何人呼ぶつもりだ」
「む?家族と、ウィリアムさんとグレアムさんです?」
「行くなら連れて行ってやるとは言いはしたが、……………何だ?」
「この、メニューに書かれている、お料理の間に出る口直しの季節のシャーベットは、どんなものなのでしょう?」
「………おい」
アルテアは遠い目をしていたが、他にも連れて行きたい者がいるのなら食事の間だけ店を貸し切りにすると言い出したのは、こちらの使い魔なのだ。
ネアはすかさずノアとヒルドを味方にしてダリルに連絡してしまい、選択の魔物のお店での貸し切り営業であればと、エーダリアを連れ出す事に成功した。
ウィリアムとグレアムは忙しいかなと思って本来なら遠慮していたところなのだが、ダリルからの指令が少しでも周囲を頑強にしておくことだったので、もし良ければと誘ってみた。
残念ながら、ギードは仲間の狼の誕生日があって来られないらしい。
「……………ここは、自治区なのだな」
そう呟いたエーダリアが、窓の外を眺める。
青い夕闇に街灯のオレンジ色が煌めき、穏やかな海が見える。
店内にもシャンデリアはあるが、テーブルの上にはオイルランプが置かれ、この時間は窓からの光を楽しめるように照度を落としてあった。
「うん。元々はロクマリアの一部だったけど、周辺は未だに国の輪郭が落ち着かないからなぁ。とは言え、この自治区の一帯はリゾート地だからね。自治区として独立させて中立地帯にしておかないと、周辺諸国としても都合が悪いって訳だ」
名無しの解放区。
この土地は、そう呼ばれている。
旧ロクマリア地域の中の一部の土地で名無しという意味を込めたアノルノーンドを短く切り上げ、アノンと呼ばれることが多いそうだ。
そんなアノン自治区は、政治的な立場を強くする者達の手を離れ、商業ギルドが治める珍しい土地だ。
それ以前までは、未だに建国と滅亡を繰り返す周辺諸国でも、この土地に残る優美な歴史地区と、その中に内包された有名な菓子店や料理店の扱いについては頭の痛い問題であった。
混乱が続く理由でもあるのだが、ロクマリア滅亡後の跡地には、広域を治めるような突出した国や為政者が出てこないままで、アノンも、いつ戦争に巻き込まれるか分からなかったのである。
よって、今はこの国の物でも、暫くしたらあの国の物というようなころころと所有者が変わる場所も多く、もしそのような土地の一か所になってしまうと、先週までは通えていたお気に入りの店に、来週からは通えないというような悲しい事件が起こりかねない。
元々、商業ギルドの力が強かったアノンなので、各方面での議論が持たれた後、アクス商会とアルテアの持つ複合的な商会に権利を譲渡し、アノンに暮らす者達を主導とした自治区としてどの国からも切り離される事になった。
「賢い選択肢だよね。商会を代表にしておけば、各国が自分の意思の反映を打診出来る訳だ。交渉の余地のある管理者で、尚且つ、二社経営なら、特定の国や人のみを優遇することも少なくなる。そういうところもあって、自治区に切り出されたんだろうけど」
「まぁ、そうなるように仕向けはしたがな。剪定にも手間をかけた」
食前酒を飲みながら、アルテアがそう言えば、だよねぇと、ノアが魔物らしい目をして笑う。
十六種類のグラッパ、もしくは果実水と一緒に出されるシェフからのご挨拶の一品は、チーズと香草のクリームパフであった。
チーズを使った生地がぷわりと膨らみ、中にはとろりと蕩けた香草の香りの素晴らしいクリームチーズが入っている。
このお店は前菜より前にサラダが出される事で有名であったので、最初の一品に香草の味をしっかり入れても問題はないのだろう。
「この周辺の情勢も踏まえてなのだろうが、そのような事が出来てしまうのだな……………」
「いずれ、周辺の国が安定すればどこかの属国にはなるかもしれないが、アクスは手放さないだろうな。欲望の資質を持つアイザックが、気に入っている土地をそう容易く手放すとは思えない」
「まぁ、ここはアクスとアルテアの管理地でいいんじゃないかな。この店もそうだけれどさ、行きつけの店や気に入っていた街並みが失われるのって、結構堪えるんだよね」
(……………それは、そうだろうな)
まだこの世界にちょっぴりしか暮らしていないネアだって、お気に入りのお店が突然なくなってしまったら、むしゃくしゃして悲しくて大暴れするだろう。
魔術的な要素から可能とされる範囲が広い代わり、この世界では、積み上げられたものが壊れた時には、取り返しがつかなくなる度合いも大きい。
人間より長きを生きる魔物達にとって、そのような事は珍しくないだろう。
だからこそ、人間達の事情で予定より早く失われてしまえば不愉快だろうし、気に入っていた風景を損なわれてしまえば、そこから失われる思い出の重さは人間とは比べ物にならない。
「あぐ!………ふぁ。こ、この、クリームパフは、お土産に買えますか?」
「可愛い、弾んでる………」
「これは美味いな。………中のクリームチーズが少なめなのが丁度いい」
「ウィリアムがそこまで言うのは、珍しいな。………ああ、確かにこれはいいな。生地がまだ温かいので、クリームチーズがとろりとするんだな」
「むぐ。こやつだけをおつまみにして、お酒などをいただきたいです。………このグラッパもとても美味しいですね」
「妖精の食前酒をこれだけ取り揃えられるのも、珍しい事でしょう」
そんなネアの言葉に頷いたのは、ヒルドだ。
妖精の作るものの効果の一つとして、媚薬などにも通じるのだが、期待値を高める興奮作用がある。
花火などが打ち上げられる際に、最初の一つを妖精の花火にするのもその為で、そんな種族特性を生かし、食前酒は妖精の酒が好まれる傾向にあった。
だが、一般的な妖精の食前酒の中でも、生粋の妖精の食前酒は稀少な物が多いのだ。
よって、ザハなどにも、純粋な妖精の食前酒となると、十種類程しか揃えがない。
人間の持つ蒸留所などで作られる妖精食前酒もあるものの、妖精の国で作られる食前酒には特別なラベルが貼られ、妖精ラベルと呼ばれていた。
一時、高価な妖精の食前酒の模造品が流行った事もあるが、このラベルを偽装すると妖精の呪いを受ける為、割りに合わないとして廃れたようだ。
今回はグラスで出されたのでボトルは見ていないが、華奢な夜水晶のグラスも何とも美しい。
「………この食前酒は、森の歌と夜の静寂というのだな。思っていたよりも、ずっと美味しかった」
「よーし、今度取り寄せよう。………アルテア、仕入れ先を教えてよ」
「悪いが、仕入れ先は明かさない約束だ。帰りに一本買い取らせてやる。必要なら都度契約だな」
「わーお。オーナーになったぞ………」
「アルテアが……………」
ふぁっと、穏やかな息を吐き、ネアは、夜の青さに変化してゆく海を眺めた。
景観のいい場所を押さえたリストランテが多いので、海沿いの街は明るい。
そのせいで海にも街の煌めきが落ち、アノンの街は、夜でも明るいという。
宿泊施設も多いので、ひと月ほど滞在して街中の美味しいお店に通い尽くす旅人のことを、アノンの食い道楽と言うのだそうだ。
商人達や修行中の若手の料理人も楽しめるようにと、低階級の宿はぐっと価格を抑えており、移動費さえどうにかなればと庶民にも人気のある観光地となった。
(その辺りは、商会が自治区を治めているからこそなのだろう)
通常の観光地であれば、やはり宿主にも生活というものがある。
だがこれが、宿もリストランテも経営している商会の持ち物となれば、全体的に採算が合えばいいので、経営の仕方に幅が出るのだ。
勿論、異業種もいいところなので、それぞれのノウハウがなければ成り立たない手法だが、アクスにも、アルテアの統括する商会のこの街を預けられた部門にも、各分野の専門家が揃っているので問題ない。
「わーお、酒類の揃えが更に充実したね。あ、これ、僕の好きなお酒だ………」
「料理としては、コースの品数が多い店じゃないがな」
「その代わりに、お酒のすすむような、本日のメニューが黒板に書いてあるのですね。………むむ、貝柱のタルタル………じゅるり」
「タルタルなら、鮮魚もあるぞ」
「ふぁ!………赤海老の塩焼き!」
「塩焼きもあるのか。コースの配分を見てからの方がいいかもしれないが、追加で頼んでもいいかもな」
「むむ、ウィリアムさんも一緒に頼みます?」
海の食材の料理が多いのは、時期的な影響なのだそうだ。
秋になると、キノコやジビエ系の肉料理が増え、名物の海老のスープの他にも、様々な季節の料理が楽しめるようになっている。
朝の仕入れで地元の漁師による水揚げの内容が充実している日は、こうして本日のメニューに魚介が多めとなるのだとか。
「この季節は、魚の種類が豊富だからな。アノンの周辺の海は、晩冬から春にかけてが最も豊かな漁場になる」
「サラダと前菜とスープとパンはコースにありますので、海老の塩焼きと、タルタル……」
「お前の事だからな。他の料理を頼んで丁度いいくらいのコース量にしてある。追加の目安は、分け合っての三品くらいだろう」
「は、はい!海老さんは一尾なので数に入れず、あと二品ですね!」
「腰がなくなるぞ……」
エーダリアとヒルドは、他に頼みたいものがあったので、塩焼きの海老は一尾を分け合うようだ。
柔らか烏賊とオリーブとジャガイモの炒め物を選び、烏賊墨のリゾットにも興味津々である。
リゾットはしっかりめの分量なので、皆で一口ずつくらいで分け合うことにし、ご機嫌になったノアがシュプリを追加注文した。
「ふむふむ。デザートは、五種の果実たっぷりゼリーから選べるのですね」
「成る程。いい配分だな。食事を中心として、デザートは軽めの爽やかな物にしてあるのか。このような店だからこそ出来るメニュー作りだな」
「元々はケーキ類もあったが、採算の取れない品目だったからな。看板の海老のスープでどうしても店内に料理の香りが強くなる以上、酒と料理を主力にした方がいい」
「ほわ、オーナーさんです………」
「アルテアが………」
本日は、ネア達の食事の間の時間だけ貸し切りとなっているが、外の看板には、店内の魔術調整の為に開店時間が遅くなると書かれている。
外から見ると店内には誰もいないように見えているらしく、一組だけ、知らずにやって来てしまい時間を見てまた来よう的なやり取りをしているお客達がいた。
「………まぁ。ドレッシングが、とても素敵なお味です。さっぱりしているのに美味しいと感じるドレッシングは、とても貴重なのですよ」
「うん。これは美味しいね」
「はい!酢漬けの蓮根とトマトが添えてあって、最後の葉っぱまでドレッシングが行き渡って美味しくいただけてしまいました」
「………オリーブの祝福の入ったドレッシングは、初めて食べた。味がここまで変わるのだな………」
「アノンでは、そのオリーブ油のアクスでの取り扱いがある。この地の物ではないが、アノンだからこその金額で買えるので、店で使うのは殆どがその油だな」
「………ふむ」
ネアは、素早く伴侶の方を見上げ、帰りにオリーブ油をお土産にするのだと訴えてみた。
こくりと頷いたディノに、グレアムがご一緒しましょうと話しかけている。
残念ながら、ウィリアムは食事の後は仕事に戻るようだが、グレアムは明日の昼までは自由時間なのだそうだ。
「アルテアさんも、夜からはこの土地でお仕事なのですよね」
「アクスの連中と、幾つか詰めておきたい案件があるからな。………どうした?」
ここでアルテアが眉を寄せたのは、お皿に盛られた海老が運ばれて来たところで、ネアが、わなわなし始めたからだろう。
「な、なぜ、塩焼きの海老に、エシャロットソースが付いて来たのです?これでは、二尾頼まなければなりません………」
「ご主人様………」
「ったく。半分ずつにすればいいだろう?」
「かぶりつけば一瞬でなくなる儚い海老に対して、何という仕打ちなのだ…………」
勿論、海老は追加注文し、鮮魚のタルタルと同時に運ばれて来た前菜のお皿に目を輝かせた。
煮込みの一品もあるのでこのタイミングになった前菜のお皿には、こちらの人気料理の大蒜とトマトのトリッパも入っている。
「いい夜だなぁ。どれもこれもシュプリと合うし、何しろ、この街の景色がいいよね」
「ええ。海の向こうに街の景色が見えるので、まさに絵のような景色ですね。………エーダリア様、ご自身で殻を剥けますか?」
「ヒルド………」
その問いかけに、海老の殻は自分で剥ける系のウィーム領主は遠い目をしていたが、ノアとヒルドの会話で、アノンの海沿いの土地の形状に興味を持ったようだ。
「ここは、入り湾なのだな。嵐などの影響は受けないのだろうか」
「ああ。元は海の系譜の者達の寝床だったが、近くの海に、海妖精の城が出来た事で放棄された湾だからな。波や海面上昇などの影響を排除する祝福がかけられている」
「成る程。そのような土地を、後から人間達が利用したのだな………」
そんなお喋りをしながら、シュプリや蒸留酒と共に料理を食べ進めていると、檸檬のシャーベットを挟んで、いよいよ海老のスープが運ばれて来た。
スープとしては、海老風味のトマトクリームスープとミネストローネの間くらいで、細かく角切りにした野菜がたっぷり入っている。
最後に回しかけたサワークリームには香草と大蒜と胡椒が効いていて、ぷりぷりの茹で海老が一尾、頭付きでどんと上に鎮座していた。
なお、殻は剥いてあるので、頭を落とすだけで食べ易いのも素敵な心遣いだ。
見栄えとしては殻付きだが、ネアは、スープやソースに浸かった海老の殻を剥くのは、あまり好きではない。
「……………じゅるり」
「これは、………美味しそうだな。旅行記では読んだ事があったのだが、このスープは初めてだ………」
「そう言えば、エーダリア様は、よく旅行記も読まれていますよね」
「ああ。土地の風習や名物は、得てして魔術の恩恵を受けている事が多いのだ。例えばこの土地は、海沿いの建物の軒下や窓に、海からやって来る災いを退けるための術式や魔術具の設置がないだろう?……それは、土地としてそのような危険が少ないということを示している。旅行記で、この地の建物は窓を開けて夜を過ごせると書いてあったので、ずっと気になっていたのだ」
やっとその答えを得られたと微笑むエーダリアに頷き、ネアは、大きめのスプーンで、スープの最初の一口をいただく。
スープの表面に僅かに浮かんだオレンジ色の泡には、海老の美味しいスープがたっぷり混ざり込んでおり、まずはそのあたりからごくりとやってしまい、美味しさに打ち震えた次は、サワークリームが溶けている部分をいただき、椅子の上でびょんと弾んだ。
「………あまりの美味しさに、パンをどの段階で投入するのかが分からなくなりました」
「美味しいね………。クリームが混ざったところだと、味が変わるのだね」
「ジャガイモに茄子にズッキーニにセロリ、どれも小さめに切られているので、スープがしみしみになっていて、幸せしかありません………」
ネア達がスープの美味しさに夢中になっていると、海老の頭を器用にスプーンで外し、ウィリアムとグレアムもスープを美味しそうに飲んでいる。
エーダリアは、目をきらきらさせて少し見つめてから飲み始め、アルテアとノアとヒルドは、シュプリを飲みながら。
千切ったパンを浸しても美味しくて、ネアは、むふんと幸せな溜め息を吐いた。
からんと音を立てて氷を鳴らしたのは、誰のグラスの蒸留酒だろうか。
シュプリは勿論のこと、強い酒にもよく合う料理ばかり。
「もし、漂流物で海の障りが出た場合は、アノンにある治療院を使うといい」
「……………アルテア?」
それは、食事も後半に差し掛かる頃、アルテアから為された提案であった。
エーダリアに向けられた言葉だったので、ウィーム領主は、鳶色の瞳を瞠っている。
「寝台を、五つだけ押さえてある。使える数に限りがある以上、使う相手は慎重に選べよ」
「あ、そっか。ここは、海の魔術の中にあって、海の災いが届かない場所なのかぁ……。海の障りってさ、急激にそこから剥離させると、却って負担が大きい場合もあるからね」
「ああ。アノンであれば、領外の患者を入れても、アクスあたりと取引をしたのだろうと説明がつく。いらん懐を探られる事もないだろう」
「…………有り難く、使わせて貰う。ヴェルリアの治療院などでは既に準備が始まっているが、とは言え、あの土地も漂流物の影響は受けかねないので、排除魔術の調整などをガレンでも行っていたところだった」
そう言われて頷いたアルテアは、統括の魔物として、漂流物の際の対処法も考えていたようだ。
とは言え今回の提案は、個人的に確保したものなので、どうしても損なえない者に影響が出た時のみの奥の手になるだろう。
「………ふむ。完全に埋めてしまう訳にはいかないので、たとえ誰かを見殺しにするとしても、失えない誰かが障りを受けるまでは空けておかなければならない寝台なのですね」
無駄になるとしても、命の取捨選択をするとしても、一時的な良心などの為に、本当に救いたい者を喪っては意味がない。
その点に於いてはとても冷酷なネアがそう言ってしまえば、魔物達がまじまじとこちらを見るではないか。
特にアルテアは、赤紫色の瞳を揺らし、目を丸くしていた。
「……む。残酷過ぎます?」
「……………お前は、相変わらずだな。………いや、だが、そうするべきだろう。俺からも重ねて言っておくつもりだったが、どこまでを対象とするのかを決めておき、最低でも三台はぎりぎりまで空けておけ。こいつくらいなら、アノンにある俺の屋敷で受け入れてやるが……何だ?」
「エーダリア様と、グラストさんも入りますか?」
「…………ったく。だが、グラストについては、ゼノーシュもアノンに屋敷を持っている。騎士達も含め、数人程度なら、そちらで対処出来るだろうよ」
それを聞き、エーダリアはほっとしたような笑顔になる。
恐縮してはいるが、今回の提案が統括の魔物からのものだと理解もしていて、必要以上に遠慮することはなかった。
「………むぐ」
無花果のゼリーをぱくりとやりながら、ネアは、五台の寝台について考えた。
アルテアが、リーエンベルクの騎士達をゼノーシュの屋敷で引き取れると考えていたのなら、与えられた寝台数は、リーエンベルクの外側、もしくは他領の誰かに障りが出た場合を見越している。
それはもしかしたら、ウィーム中央で失えない領民かもしれないし、ガレンの魔術師や、場合によれば、各領の領主や王族かもしれない。
先程のエーダリアは、ヴェルリアでは場所を整備しても危険が残るようなことを話していたので、王都なら相応の治療施設があるとも言えないのだろう。
(それでいて海に面した場所となると、ヴェルクレア内で適切な場所を確保するのは、思ったより難しいのかもしれない………)
「むむ。その場合、カルウィからもアノンにお客様が来ていたりするのでしょうか?」
「いや、カルウィには名の通った遮蔽地が幾つかあるので、ここまでは来ないだろう。元々、古い時代の繁栄地に近い土地だからな。カルウィにある俺の神殿も、遮蔽地の中にあるくらいだ」
そう教えてくれたのはグレアムだ。
カルウィを統括地としている犠牲の魔物がこちらの輪に加わってから、比較的カルウィの情報が手に入りやすくなっていた。
「カルウィについては、グレアムがいるからある程度の振り分けは出来るだろう。俺の印象としては、漂流物の訪れで、そこまでカルウィに大きな影響が出た事はないしな」
「あちらは、災いを見つけ次第、早々に贄を与えるからだな。その上で、元より海の障りや災いは大きい。漂流物の被害が出ようと、今更という事でもあるんだろう。君が呼ばれる程の騒ぎにならないのは、そのせいだろうな」
「………そうか。確かに、海の障りだけでも年間かなりの人間が死んでいるな………」
窓の向こうには、穏やかな夜の海が見える。
ネアは、モナの海辺の街のホテルでのことや、影の国で出会ったもののことを思いぞわりとしたが、ゼリーを食べてしまうと、もう一度スープを飲むのも吝かではない思いにそわそわした。
大切な人達とテーブルを囲み、こんな風に穏やかに食事をしている。
そう思えば、絵本の中の竜の事を思い出し、こちらも負けないぞとにっこりしてしまう。
「ディノ、あちらに船が出ているみたいですよ」
「おや、星獲りの船だね」
「まぁ。星さんを捕まえてしまうのです?」
「いや、船に星灯りを積んでおき、そこに集まる魚を捕らえる船だよ。人魚の多い海域だと難しいので、ヴェルクレアでは見かけない漁法ではないのかな」
「星獲り………」
「むむ、エーダリア様が立ち上がってしまいました……」
「エーダリア様?立つのであれば、ナプキンは置いていかれるべきでは?」
「す、すまない。ついな。………窓の方に行ってくる」
ネア達の席も窓際なのだが、テーブルに置かれたオイルランプの灯が窓に映るので、エーダリアは、慌てて灯りがあまり入らない窓に向かったようだ。
微笑んだノアが付いて行ったので、星獲りの解説などが始まるのかもしれない。
「…………気持ちのいい夜ですねぇ。晴れた夜の街と海に、オレンジ色の街の灯が揺れていて、素敵な晩餐とお酒で、紅茶も出てきました!」
「来られて良かったね」
「はい!後は、オリーブ油を買い占め、お土産などを手に入れるばかりです……」
「いいか、事故だけは起こすなよ。グレアムがいるなら問題はないだろうが、余分も増やすな」
「むむぅ………」
最後に出た濃いめの紅茶も、アノンの名物なのだそうだ。
ネアは、こちらについては牛乳をたっぷり入れたくて堪らなかったが、このようなものだと聞くと、こればかりは土地の味をいただこうぞと、渋々ながらにぐいっと飲み干したのだった。