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葡萄と持ち去り




「ぶどう!」

「収穫したてだからな。………何だ?」

「こ、これは私のものです?」

「…………好きに食え。料理には向かない葡萄だからな」

「まぁ。そのようなものがあるのです?」




ことんと、テーブルの上に置かれたものを見て、ネアは目を輝かせた。


朝食を終え部屋に戻ったばかりのネアに届けられたのは、白い陶器で籐籠のように作られた鉢の中に山盛りになった、艶々の葡萄である。

薄緑と紫の入り混じった実は少し縦長で、一目見ただけでも瑞々しいの分かり、ネアは爪先をぱたぱたさせてしまう。


そして、そんな貢ぎ物を届けてくれた使い魔は、赤紫色の瞳を細めてこちらを見ていた。


仕事があるということで、朝食の席には姿を見せず部屋で食事をしていたそうだが、よもや葡萄の収穫ではあるまいかとそちらを見たネアに、器用に片方の眉を持ち上げてみせる。


だが、続けて葡萄の説明が入ったので、ご主人様は、なぜ料理に向かないかの解説をご希望だと思ったのだろう。


「火の気に弱い果実だ。雪と湖の祝福を得ていて、熱で変質しやすい。今日の内に少し食べておけ」

「ふむふむ。という事は、このままもぐもぐしていいのですね。ふふ、葡萄は大好きなのです」

「だからと言って、間違っても葡萄の系譜には手を出すなよ。信仰に近しい厄介さがある」

「ゼノが、葡萄の妖精さんの粉は美味しくなかったと話していたので、もはや興味はありません。おまけに、つぶつぶすらしていない始末です」

「お前の認識の方がおかしいんだがな。まぁ、興味を持つよりはいいだろう」




窓の外には、細やかな雪が降っていた。


予報の通りのお天気であるので、ネアは朝食の前に雪薔薇の庭園を見て回り、すっかり堪能してしまったばかり。


灰色の中に細やかな光が煌めくようなウィームの冬の色は、より冬の最盛期となると、犠牲の魔物の瞳のような色に染まる。


その色を見るのは次の冬だと思うと、少しだけ寂しい気持ちになってしまった。



ふぅと息を吐いたアルテアは、本日は休日仕様なのか、生成色のシャツに灰色の天鵞絨のジレ姿だ。

しっとりとした質感の天鵞絨は、上質な毛皮のようで、思わず撫でたくなってしまう。

合わせの部分に刺繍があるので、どこか優美さの際立つ装いだ。


毛皮がない時も撫でられんとする使い魔の健気さにほっこりしつつ、ネアは、早速テーブルの上に置かれた葡萄の鉢を引き寄せると、濡れおしぼりを用意してぱくぱく食べ始めた。



「………むむ!」


瑞々しくじゅわりと弾ける果実に頬を緩め、これは高い葡萄の味だぞと笑顔になる。

種がないのでそのまま食べられてしまうともなれば、手を止めるのは難しい。

皮ごと食べてしまえる品種なのも、素晴らしいではないか。



「おや、払暁の葡萄かい?」


そこに戻って来たディノが、テーブルの上の葡萄に気付いた。

ここは自室なので、伴侶な魔物は、通信の為に少しだけ外していたのだ。



「ディノ、アルテアさんに葡萄を貰ったのですよ。………ふつぎょう………」

「うん。それぞれの季節のものがあるけれど、夜明けにだけ収穫される葡萄なんだ。古い信仰に根差した収穫の儀式なので、教会信仰の魔術を洗うのにとてもいいと聞くよ」

「まぁ。だからなのですね。私はてっきり、家庭菜園的な感じで、うっかり作り過ぎてしまってのお裾分けなのだとばかり………」

「何でだよ」



顔を顰めたアルテアに、ネアはぺこりと頭を下げた。


お裾分けではなく、体調を気遣って持ってきてくれたのなら、お礼は言わなければならない。

しかしアルテアは、淑女らしい心遣いを見せたネアのおでこを指先でびしりと弾くと、どこかへ行ってしまった。



「…………まぁ、照れてしまいました?」

「照れたのかな………」

「あ、払暁の葡萄だね。お兄ちゃんにも一粒くれるかい?」

「むむ、ノアが入って来ましたが、ノックはしたのです?」

「ありゃ………」

「沢山あるのでどうぞと言いたいのですが、昨日の一件へのお薬的な感じで渡されたのであれば、この量を食べることが必要なのでしょうか?」

「少しでも効果がある筈だよ。効果を得るのなら、ひと房くらいでいいのではないかな?」

「では、ノアも一緒に食べましょう!アルテアさんが、沢山持って来てくれたのですよ」

「わーお。アルテアが持ってきたんだ。やっぱり、使い魔とは仲良しじゃなきゃね」

「むぅ。義兄に利用されようとしています?」

「ノアベルトが…………」



部屋にやってきたノアは、やっと忙しい夜が明けて、これでゆっくり妹を心配出来るねと笑っている。


王都との調整は無事に終わり、今回の事件は、国王派が引き取っていったそうだ。



「王様がとなると、思っていたより厄介な事件だったのですね………」

「今回は、ガーウィンの上層部にとっても頭が痛い案件だったみたいだね。銘のある武器を勝手に持ち出されたどころか、取り込まれて失わせた訳だから、王都への補償もそれなりのものになる上に、ガーウィン側の損失としてはかなりのものだ」

「…………補償は、王都なのですか?」

「ウィームに支払うってなるとさ、………知った事じゃないんだけど、ガーウィン側の感情としても……って感じかな。勿論、王都を経由してというだけだから、災害復興の形式でウィームへの補償もあるよ」



にやりと笑った塩の魔物の表情を見れば、その交渉をしたのが誰なのかは一目瞭然であった。

きっと、ダリルダレンの書架妖精が頷いたからには、こちらが溜飲を下げるに充分な額が支払われるのだろう。



(そうか。だからこそ、国王派でもあるのだ。事が大きくなったのでそちらで引き取った案件ともなれば、それだけの負担を課した身内の方へこそ、厳しい目が向く。国王派が動いてしまったのでという名目で、ガーウィンの領主側もアリステル派の洗い出しがし易くなるのではないだろうか………)



「うむ。支払われるのであれば、経緯はどうでもいいのかもしれませんね。国内が安定していて、このような事が二度と起こらないようにする事こそが最重要課題とも言えます」

「うんうん。僕の妹は賢いね。…………ああ、やっぱり美味しいや。僕、酸味と甘味の配分的にこの葡萄はかなり好きなんだ。それにほら、アルテアが持ち込んだってことは、品質的にも間違いないし」



隣に座って、葡萄をぱくりと食べたノアが、青紫色の瞳をきらきらさせる。

そのままずるりと長椅子に伸びてしまったので、もしかすると、まだ寝ていないのかもしれない。


お喋りをしながら葡萄を食べていたが、疲れていないだろうかとネアが心配になって覗き込むと、ふっと視線を持ち上げてどこか悪戯っぽく微笑んだ。



「僕だって、昨日のネアに付き添いたかったんだよ。だからこれが、僕なりの休息ってところかな」

「むぅ。……この後でもいいので、少し休んで下さいね」

「そう言われるのって、凄く家族っぽいね。さっきさ、ヒルドにも言われたんだよ。因みにエーダリアは夜明け前に寝かせたから」

「ふふ。仲良しですねぇ」

「ありゃ。………虐待?」

「なぜなのだ」



(そう言えば、アルテアさんはお部屋に戻ったのかな?)



気になってひょいと部屋の向こうを覗き込んでみたが、姿が見えないままなので、アルテアはもう帰ったのだろうか。

ネアは、次なる葡萄をいただいてしまうことにして、ぱくりとお口に入れた。



窓から穏やかな雪模様を見ながら、朝食では、お目当ての美味しいローストビーフサンドを食べられたので、何とも幸せな朝と言えよう。

小さなチーズスフレのデザートがあったが、葡萄は果物なので腰には影響ないと信じている。



「むぐ!………美味しいでふ。ディノも食べてみます?」

「………うん。…………ネア」

「まぁ。儚くなってしまったのですか?」

「ネアが虐待した………」

「お口に葡萄を押し込んだだけなのです………」

「よーし、お兄ちゃんも挑戦してみようかな!」

「むぅ」



義兄な魔物が頑張ったのは間違いないので、ネアは、こちらを見ている義兄のお口にも、えいっと葡萄を押し込んでみた。

幸せそうにむぐむぐしている塩の魔物は、幸いにも儚くなる事はないようだ。



「…………ところでさ、窓の外に変なものいない?」

「窓の外…………ぎゃ!!」



ノアの言葉でうっかり窓の方を見てしまったネアは、しゅばんとした謎生物とばっちり目が合ってしまい、慌てて傾いている伴侶の影に隠れた。



「ふ、ふほうしんにゅうです!!」

「階位的にすり抜ける範疇なんだろうね。………うーん。雲羊かなぁ。でも、あんまり見ない形状だよね。………ありゃ、苦手かい?」

「ふぇぐ!…………ひとつめです!」



はらはらと雪の降るリーエンベルクの庭園を悠々と歩いている生き物は、積み木を積み上げたような奇妙な形をしており、ふさふさとした毛並みは風に煌めく程だ。


しかしながら、くりんとした睫毛がどれだけ愛らしくても一つ目なので、ホラーの苦手なネアにはいささか荷が重い。


ふるふるしながら伴侶の背中の後ろに潜り込もうとしていると、漸く意識が戻ったらしいディノが、不思議そうに目を瞠る。



「ネア?」

「窓の外に、おかしなものがいるのでふ!」

「……おや。積み木の精かな。子供を探してこちらに迷い込んでしまったのだろう」

「わーお。積み木の精かぁ。他の土地だともっと小さいんだけど、ウィームは大きく育つなぁ………」

「こちらにちびころはいません!立ち去るのだ!!」



しかし、こちらを凝視している謎生物は、ネアの方をじっと見つめると、わおーんと遠吠えするではないか。


聞けば、小さな子供を見付けると嬉々としてあやす生き物なのだが、一つ目の謎毛皮にあやされた子供はどうなってしまうのだろう。

そもそも、手も足もないので、あやし方も問われる生き物である。



「よーし、それじゃあ優しいお兄ちゃんが、あの積み木の精は追い払ってこようか。美味しい葡萄のお礼にね」

「…………ぽいです。とは言え、優しい生き物のようですので、お子さんがいそうなところにぽいです」

「うん。街に置いてくれば、子供も沢山いるかな」



にっこり笑って立ち上がり、硝子戸を開けて庭に出ると、ノアは積み木の精を片手でひょいと持ち上げる。

すると、塩の魔物に持ち上げられた積み木の精は、もう一度、わおーんと雄叫びを上げた。



「…………怖かったのかい?」


ディノにぴったりくっ付いて運ばれてゆく積み木の精を見送っていると、伴侶な魔物が心配そうにこちらを見る。

こくりと頷くと、そっと頭を撫でてくれた。



窓を背にすれば、こんな雪の日でも逆光になる。

僅かに翳った目元に、光を孕むような瞳の色は例えようもなく美しかった。



「では、この庭には入らないようにしようか」

「ふぁい。………リーエンベルク全体だと問題が出るかもしれないのですが、我々のお部屋に面した庭は、立ち入り禁止です!」

「選択の系譜のものだから、アルテアの気配を追いかけて来てしまったのかな」

「な、なぬ。………アルテアさんの系譜の生き物は、変なものばかりなのです………?」

「おい、聞こえているぞ」

「…………まぁ。まさかのところで、お部屋に戻って来てしまいました」



何か用事があって外していただけらしく、当たり前のように部屋に戻って来た選択の魔物がとても怪訝そうな顔をしていたので、ネアは、庭に現れた積み木の精の事を話してみた。


だが、系譜の生き物を締め出されて怒るかなと思えば、アルテアは困惑したように眉を寄せるではないか。



「いや、おかしいだろ。普通は、積み木一つ分の大きさだぞ」

「複数個体かなと思ったけれど、一匹………一本だったよ」

「数え方もおかしいだろうが」

「あやつめは、今後、こちらのお庭へは立ち入り禁止ですからね!もし、仲良しの積み木の精さんがいても、連れて来てはなりませんよ?!」

「いや、いないからな………」



ここで、先程までノアが座っていた場所にアルテアが腰を下ろし、ふうっと息を吐く。

そしてなぜか、どこか詰るような目でこちらを見るのだ。



「オフェトリウスが来たのか」

「む?オフェトリウスさん………?」

「このグラスは誰のものだ?」

「これはノアの分ですよ。今は、積み木の精さんを街に捨てに行ってくれています」

「ノアベルトならいいが、オフェトリウスは部屋に入れるなよ。なまじ騎士の資質なだけに、観察眼が厄介な事になりかねない。余計な情報は渡すな」

「そこまでよく知らない魔物さんは、お部屋に入れたくありません………」

「ほお?俺の時は、最初の頃から入れていたようだが?」

「あの頃は、まだディノとも手探りでしたので、断りようがなかったのですよ。………おのれ、はにゃを摘むのはやめるのだ!」



どうやらネアの使い魔は、野生の魔物の存在にとてもぴりぴりしているようだが、そんなオフェトリウスは、早朝に騎士達と共に朝食を摂ると、ザハに宿泊した副官を連れて王都に帰ったと聞いている。


ザハなのだなと思えば、疲弊しきった副官がゆっくり休めるホテルを選び、オフェトリウスが私費で泊めたと聞けば、防壁の魔物の心酔ぶりも頷けるのかもしれない。



「………ウィリアムは、帰ったのか」

「ええ。朝食だけ一緒にいただきました。忙しいのにこちらに泊まって下さったので、沢山お弁当を渡してあります!」

「やれやれだな。…………俺もそろそろ出るが、今日は聖域に入るなよ」

「はい。先程ディノとも話して、今日は歌乞いのお仕事もやめておくことにしたので、安心していて下さいね」

「…………魔術洗浄が無駄になるからな」

「むぅ。つんつん期に入りました。このような場合は、フルーツケーキなどを与えるといいのですよ?」

「そうなのだね………」

「おい………。それと、二日後に様子を見にくる。念の為に魔術洗浄をかけて何もなければ、もういいだろう」

「にゅまはうけつけません…………」



顔を顰めた魔物は剣呑な表情を浮かべはしたが、ネアが、首飾りの金庫からすかさずフルーツケーキの箱を取り出すと、受け取りはするようだ。


休日仕様な装いに見えたのでゆっくりしていくのかなと思っていたが、今日は予定があるらしい。




「おや、帰るのかい?」

「仕事がある。言っておくが、来過ぎているくらいだぞ」

「ドルシーマに行くのかな。ヴレメが滞在しているようだけれど、もしそちらの領域に入るのであれば、あまり羽目を外さないようにした方がいい」

「っ、………グレアムか」

「今回は、ヴレメが困ったことをしていたから、少し調整する必要があったんだ。その時に、大きな赤煉瓦色の建物に君の証跡があった。あちら側の土地は、あまり基盤を歪めないで欲しいかな」

「………育てさせておいた技術の回収だ。欠けるとしても、せいぜい、医療院の研究所の一つ程度だろう。土地の魔術を崩す予定はない」

「だとしても、国が壊れる切っ掛けは残さないようにね」



そんなやり取りがあり、アルテアが部屋を出てゆけば、ネアは、珍しく魔物の王様らしい酷薄さであったディノの袖を引いてみる。



「ディノは、時々こっそり遠くに出かけているのですね。危ない事はしていません?」

「君が怖がるような事はしていないよ。………おいで」

「………むぐぐ」



ひょいと膝の上に持ち上げられ、ネアは、むぐむぐした。


こちらを見たディノの眼差しに、ぞくりとするような仄暗さと、男性的な微笑みが滲んだからだ。



「のあがぶどうをたべにくるのです…………」

「アメリアとボールの約束をしていたそうだ。アルテアがリーエンベルクを出たので、これから狐になって騎士棟に向かうらしいよ」

「な、なぬ………」



膝の上に横抱きの位置で乗せられると、ふつりと寄せられた唇が目尻に触れる。

落とされた口付けの甘さにあわあわしていると、魔物が、深く艶やかに微笑んだ。



「少し、守護などを深めておこう。季節の継ぎ目が近付いてきたから、問題がないかどうか見ておかないとね。………私の城に行くかい?それとも、ここでいいかい?」

「にゃむ………」



ネアは、儚い思いで爪先をぱたぱたさせたが、あえなく持ち上げられてしまった。


しかし、窓の外は雪である。

ぬくぬくと毛布に包まって過ごす冬の日もあと僅かだからと、そのままの持ち去りを受け入れたのだった。






明日4/8の更新はお休みとなります。

TwitterにてSSを書かせていただきますので、もし宜しければご覧下さい!

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