35. 春を告げる舞踏会です(本編)
その日は朝早くから、大きな春色のトランクを持った仕立て妖精がリーエンベルクを訪れ、目を輝かせたネアの前に、美しいドレスを広げて見せた。
ぱかりと開いたトランクから取り出されたドレスを見て、ネアは思わず弾んでしまう。
同席してくれていたディノとノアは、びゃっとなって慌てて逃げて行ってしまうので、もしかすると魔物にはドレスを見たら取り敢えず逃げる的な、精霊とジャガイモな法則があるのかもしれない。
「まぁ、…………なんて綺麗なのでしょう!妖精さんの前で言うのも恥ずかしいですが、妖精さんのドレスのようです!」
大はしゃぎのネアに、くるくるとした短い髪の毛と萌木色の瞳が魅力的な仕立て妖精のシーは、にんまりと微笑んだ。
本日の装いはどこか異国風なベージュ色のスーツスタイルだが、色とりどりの織り模様が美しい腰布をきゅっと締めていて、それがまたシシィにとても似合うのだ。
この装いは腰がぎゅっと括れた手足の長い妖精向きで、尚且つボーイッシュに見えそうでとても蠱惑的というシシィには抜群に似合う。
ネアは、自分には似合わないその装いが羨ましくて、シシィがトランクを開けている間に周りをぐるぐるしてしまったくらいである。
「んふふふ。でもこれは、ネア様のドレスですからね。今回は、夫の弟がご迷惑をおかけしたみたいなので、たっぷり針を通させていただきました」
「…………アンセルム神父の事でしたら…」
「あ、あまり口に出さないで下さいまし。終焉の系譜の者は、終焉の祝福や守護を持たずして、その者達と知り合いだと言うのは好ましくないんです。うちは、もう地竜になってしまいましたからね。すみません、今は私が切っ掛けを作ってしまいました」
そう言えば終焉の系譜は、あれこれ規則があるのだという事を思い出し、ネアは慌てて頭を下げる。
二人の愛情のバランスがとても明快で大好きな夫婦なので、迷惑をかけたくはない。
「そのようなお作法なのですね、失礼しました。その方の事はその方の問題ですし、いつもの様にドレスを作っていただけるだけで、私は大満足ですからね?」
「いえいえ、たっぷり手を加えましたので、今年もアルテアを大いに動揺させてやって下さいな。んふふふ」
「むぅ。まだ復讐の道具にはされているようです……………」
ネアは早速そのドレスを着てみると、たいへん上品でこちらの世界らしい魔術の叡智の込められた不思議なドレスであると結論付ける。
さらりと肌に触れる生地は、とても気持ち良かった。
大きめに露出があっても決して品位を落とさず動きやすいのがシシィの品質だが、今回のドレスはあまり露出もないようだ。
動きに制限もなさそうで、伸び伸びとダンスを踊って飲み食い出来そうな、舞踏会を全力で楽しめる系ドレスである。
(それに、一度でいいからこんなドレスを着てみたかったわ…………)
ふわりとドレスの裾が揺れた。
そんな裾の布地の中で、はらはらと桜が舞い散る。
胸がいっぱいになったネアが大きく深呼吸したその瞬間、そろそろとこちらに戻って来ていたディノとノアが、またしてもびゃっと逃げてゆきカーテンの後ろに隠れてしまう。
「なぜ逃げてしまうのでしょう?」
「ネアが虐待する……………」
「わーお、それはちょっとまずいって…………」
「今回は最初のダンスの時間がなくて、最後のお直しと髪型をやってこの時間ですから、もうすぐアルテアさんが来てしまいます。ディノは、形だけでも最初のダンスを踊るべく、くるっとターンをしてくれる約束でしょう?」
「ネアが、………………虐待……した…………」
「なぜ、遺言になったのだ…………」
「うーん、ネア様のところって、新婚のあれやこれきちんと済ませてます?有り体に言えば、夜の寝室での…」
「おや、シシィ。もうこんな時間ですから、そろそろお送りしましょう」
「ヒルド…………」
ここでシシィは、またしてもヒルドに羽の付け根を持たれての退出となり、随分と朝早くから来てくれたのだからとおろおろするエーダリアが慌てて追いかけてゆく。
実は先日、エーダリアとシシィは、思いがけないところで一緒になったそうで、薔薇の祝祭で恋に破れて行方不明になっていたガレンの魔術師を保護していてくれたシシィとルグリューに、エーダリアはすっかり懐いてしまったようなのだ。
はっきりとした物言いだが、受け入れた相手に対しては情深いシシィと、控えめだが包容力があるルグリューは、夫妻が訪れていた別荘地に心神喪失状態で迷い込んだ魔術師がエーダリアの部下だと知ると保護してくれ、恐縮しきって引き取りに行ったエーダリア達にも、とても穏やかに接してくれたのだとか。
その一件の後なので、羽の付け根を掴まれて追い出されるのが見ていられなくなってしまったようだ。
ネアも慌てて手を振り、シシィからはぐっと拳を握って振り上げる荒々しい激励を受けた。
(さてと、……………)
一度試着してから最後のお直しの間に簡単な朝食も済ませてしまったし、後はもう、野生の獣のように物陰からこちらを見ている美しい伴侶を捕まえてダンスを踊るだけだ。
(アルテアさんとは暫く会わなくなるから、今日の内にお喋りする事を考えておいて、別れ際には、一人で羽を伸ばしている間に事故らないように、しっかりと念を押しておかないと…………)
年末年始から、何かと一緒に過ごしてくれていた使い魔である。
ガーウィンの任務では、アンセルムをその正体を知った上で使えるようになったことなど、リシャード枢機卿としてのアルテアにとっては、それなりに得るものもあったのだとは思う。
けれどもやはり、随分とこちらに寄り添ってくれているので、この辺りで存分に森の魔物として過ごす時間を作ってあげるのも、ネアのご主人様としての役目なのである。
「…………さぁ、ディノ。時間には限りがありますので、くるっとして下さい」
「……………ネアが可愛い。ひどい………」
「その並びに因果関係はあるのでしょうか…………」
めそめそしながらも、カーテンの裏側からびっと引っ張り出されたディノは、一緒に隠れていたノアと無残に引き離される幼気な兄弟のようにも見える。
しかしながら、この世界の始まりから生きているとてもいい歳の大人であるので、是非にしゃんとして僅かなダンスの相手を務めて貰おう。
激しく震えている魔物をまずは真っ直ぐ立たせ、ネアはその腕の中に収まってみたが、ディノの両手は目元を覆ったままで、一向にネアをダンスに誘ってくれる気配もない。
「ディノ、腰に手を回してくれないと、私はターンで吹き飛んでしまいますよ?」
「……………うん。……ネア、………その、とても綺麗だよ。どうしてかな、……そのドレスを着ている君は、とても捕まえたくなるんだ」
「ふむ。このドレスの美しさの最たる要素は、幻想的なくらいの儚さですよね。…………ほら、また花びらが舞い散りました。夜明けの満開の桜の森を表現しただなんて、物語のようなドレスではありませんか」
「………………か、かわいい」
「息も絶え絶えなのがなぜなのか解せませんが、…………むぅ。…………深呼吸をしみましょうか?……はい。少し落ち着きましたか?」
「ネアが、………か、かわ、いい?」
「なぜ片言になったのだ……………」
すっかり目元を染めてしまいその上で涙目という、魔物的な表現で言えば最大限に虐待された状態のディノは、とてもよれよれになりながらではあるが、ネアをくるっとターンさせてくれた。
ほんの僅かな短いステップにも、ドレスの中でははらはらと桜の雨が降る。
(ああ、綺麗だわ……………)
このドレスは、淡い白灰色から複雑な白みのピンクの桜の森の裾に向けて、夜明けの霧に包まれた神秘的な桜の森を覗いたようなドレスの布地こそが全てである。
実はこれは、物語のような桜の森の記憶を織り込んだ布の切れ端を巧みに縫い合わせてドレスの中に森を閉じ込めてあるそうで、その上から角度によって浮かび上がるくらいの細い糸で霧雨と花びらの影を刺繍で施したのは、刺繍妖精の中でも随一の腕を誇るアーヘムである。
ドレスの形としては、華奢な肩紐は肌にあたる部分がちくちくしないように魔法のような縫製で結晶石を縫い留められており、すっきりとした弧を描く胸元はとてもシンプルだ。
上半身にもこれといった特別な装飾は施さず、どこまでも布地と、薄い布地が何層かに重なったように見える縫製の美しさで見る者の心を奪う。
内側にたっぷりと菫色がかった白灰色のペチコートを入れ、腰回りがぴったりとしているので百合の花の括れのような上品な広がりを見せるスカートは、少し歩くだけで風に舞い散る花びらのようにふわっと広がる。
シシィのドレスは魔術で効果を出すことはあまりないのだが、今回は特別に魔術を使い、スカートが極限まで軽くなるようにした上で、風やエアリエルの加護などを糸にして縫製に生かしているそうだ。
勿論、舞踏会のドレスらしく背中は開いているし、胸元も綺麗に見せている。
しかしながら、少女のような清楚さと言ってもいいくらいのシンプルな形がこの上なく上品なドレスで、ネアはすっかり一目惚れしてしまった。
(仮縫いの時のシシィさんが、形さえ決まれば後は仕上げるだけだと話していたのは、こういう事だったんだわ……………)
装飾が少ないので、型がしっかりと定まれば後はもう、桜の森を象るように布を重ねてゆくだけなのだろう。
ネアなりの言葉で表現するのなら、このドレスは桜の森を閉じ込めた薄布をコラージュし、見事な桜の森をドレスの中に顕現させたと説明するだろうか。
そしてその桜の森は、魔術が潤沢に蓄えられたドレスの中で、ネアの動きに合わせてはらはらと花を散らし、ダンスでくるりとターンすればざわざわと花枝を揺らす。
本物の風景を薄布に越しに見ているような、どこか秘密めいた美しさは、この世界だからこそ表現されるドレスなのだろう。
「………………ネアが、かわ……かわいくてひどい…………」
「…………ええと、僕を置いてもう遠くに行ってしまったシルの代わりに説明すると、全く透けていない筈なのに、君の体の形を拾って落ちる影がしっかりと出るせいで、そのドレスは透けているように見えるんだよね。…………っ、…………で、その透けている体のラインを、桜の枝がぎりぎり隠しているように見えるんだけど、…………でもほら、動いたり散ったりするからさ。……………うわ、何でそんな扇情的なのに凄く無防備なんだろう。……………これはアルテアも死ぬだろうな…………」
ノアの説明に眉を寄せてネアは自分のドレスを見下ろしたが、決して際どいようなデザインではないし、体の陰影をあえて布に落とす作りも、桜の森にほんの一滴の青みが落ちた白灰色のようなえもいわれぬ影の色が美しいではないか。
「シシィさんによると、自分だけが知っている肌の温もりを想う、春の夜明けのドレスだそうです」
「……………うゎ、最高の仕事に僕からも報酬を弾みたいくらいだけど、…………わーお、夢に見そうだな……………」
「ふふ、その気持ちは分かります!夜明けの桜の森が瞼の裏に思い浮かぶようで、何て素敵なのでしょう!」
ノアはなぜか、首を振ってそれとこれは違うと呟いたが、片言になった後はそのまま石になっていたネアの伴侶が息を吹き返して虐待だと呟き始めた途端、がしっとその肩に腕を回して唐突に絆を深め始めた。
「シル、今日こそは僕も使おうかな!これって虐待だと思うよね」
「ネアが虐待でかわいい…………」
「ほらさ、このドレスを着ていても、脱がせていいよって言われたら、僕も張り切っちゃうよ?でも、このドレスを着ているところを見せられて、それなのに脱がせられないってなくない?」
「ヒルドさん、ノアがまだ少し寝惚けているようです……………」
「それはいけませんね。ネイ、少し気持ちをすっきりさせましょうか?」
「うわ、いつの間に戻って来て…………無理無理無理!何でネアから貰ったキリン札出そうとしてるの?!」
「ヒルド……………。やめてやってくれ………」
にっこり微笑んでネア的には渾身の作の、赤ちゃんキリン札を出そうとしたヒルドに、ノアは、慌ててエーダリアの背中に隠れる。
ノアの方が背が高いので隠れられていないが、ディノは虐待だと呟き続けているし、エーダリアは、なぜこんな騒動に巻き込まれたのだろうと目が死んでいるし、なかなかにカオスである。
そしてそこに、本日のネアのパートナーである選択の魔物がやって来た。
さも、この部屋にも通い慣れています風に飄々とした顔でやって来たアルテアは、すぐに室内の異様な空気に気付いたのだろう。
ネア達の方を見ると、赤紫色の瞳を瞠ってぎくりと固まった。
じりりっと一歩下がりかけ、その事に自分で気付いてしまったのか、ぞくりとする程に魔物らしい苛立ちを一瞬だけ見せると、すぐさまこちらに歩いて来る。
そんな表情を見てしまえば、ほんの少しだけ、ネアはこの後にお仕事を入れません期間を予定していた事に感謝する。
この後と言えば毎年恒例のダナエとのバルバもあるが、これはあえて自由参加にしておき、リーエンベルクの料理人達に焼くだけセットを作って貰おうと計画しているのだ。
「中に合わせるドレスを一枚忘れたようだな。それとも、まだ上に羽織るのか?」
「率直にお伝えすると、これは透けているのではなく効果ですので、このドレスはこれで完成なのです。…………ほら、見て下さい。とっても上品なドレスでしょう?」
「…………シシィを呼び戻せ、やり直しだ」
「なぬ。ちゃんと見て下さい!このドレスはとっても上品なのですよ?それと、舞踏会会場のように、正面からではなく真上からの光源になら、加えてあちこちの角度から影が落ちる場所に行くと、また影の入り方が変わって体の輪郭は出なくなるそうです」
「……………それを先に言え」
「なお、その場合この影は、一緒に踊る相手にしか見えないのだとか」
「……………………は?」
なぜか固まってしまっているが、本日のアルテアの装いも素晴らしかった。
ネアのドレスと色を合わせたものか、白灰色の絵の具で塗り潰されたその奥に、下地にはアルテアの瞳の色が隠れていたのだと薄っすらと感じさせてくれる風合いの色を乗せた布地は、しっとりとした分厚いシルク生地に似た手触りだ。
僅かに掠れたような色合いが、その色一つで、ただの布地ではない装飾としての価値さえも与えている。
(…………何て素敵な生地なんだろう。もしかして、今年の春告げの装いのテーマは、特別な生地なのかもしれないわ…………)
特にアルテアのものは、何よりもまず手触りが素晴らしい。
ネアも勿論、 エスコートして貰う時に触れる上着の腕の部分をすりすりしてしまい、顔を顰めたアルテアに撫でても獣にはならないぞと叱られてしまう。
どうやら、布の肌触りを確かめてみたかっただけのネアに対して、アルテアの心の中のちびふわは、撫でられたように思えてしまったようだ。
「とろつやな触り心地ですね。さらりとしているのに、微かな起毛感を感じるしっとりさが堪りません」
「ほお、体を寄せる口実なら、踊り方を変えても構わないぞ?」
「あら、もっと撫でて欲しいのですか?甘えたなちびふわが、きちんと自立し直せるのかどうかとても心配になって来ました…………」
「………………は?」
ここで、部屋にあった時計が澄んだオルゴールを鳴らして時間を知らせた。
そちらを一瞥したアルテアから、そろそろ時間になったと出立を促され、ネアも頷く。
ネアはまずとても弱っているディノのところにぱたぱたと小走りに駆け寄り、道中にいたノアからきゃっと顔を覆われてしまう。
伴侶な魔物もなぜか脱走しようとしたので、ガシッと三つ編みを掴んで捕獲すると、へなへなと蹲ってしまうではないか。
「ディノ、出かけてきますね?」
「アルテアなんて………………」
「ダナエさんや、今年はどんな参加方法なのか謎のバーレンさんもいるので、安心して楽しんで来ます。でも、帰って来たら絶対にディノとも踊りたいので、それまでに元気になっていて下さいね?」
「ずるい……………。かわいい…………」
こんなに何度も死んでしまって平気なのだろうかと危ぶみながらも、両手で顔を覆ってしまった魔物から離れると、長椅子の影に隠れていたノアを捕まえて、不在時のディノのことを頼んでおく。
最後にエーダリアとヒルドに行ってきますの挨拶をすれば、いよいよ出発だ。
妖精対策は万全であると、しゃりんと色味を変えてつけているヒルドの耳飾りを揺らして見せれば、ヒルドも微笑んで頷いてくれた。
「行くぞ」
「はい。アルテアさん、今日は宜しくお願いします」
「いいか。今までの年よりもいっそうに、今日は俺の傍を離れるなよ?」
「む。勿論危ないことなどしないように注意を払いますが、去年までの私とはもう違うのですから、そうそう事故りませんよ?」
「ほお、既に誘蛾灯を点けた状態でよく言えたものだな?」
「解せぬ」
ふわりとした転移の風に煽られ、ネアのドレスの裾と、アルテアの羽織ったケープが揺れた。
好んでいる形なのか、冬告げの舞踏会の時のウィリアムの王冠のように、立場的にこの形が決まりなのか、アルテアは、片側の肩だけに流すようなケープ使いをしていた。
この羽織り方をすると、ケープ姿が古典的になり過ぎず、いかにも舞踏会などの華やかな催しの為の盛装姿といったお洒落感も出る。
雪のようなクラヴァットがしゃりりと揺れ、それを留めた宝石のブローチとケープの裏側だけが、トーンを落とした渋めの赤紫色ではっと目を惹いた。
そして、繋ぎ色の耳飾りがそれよりも彩度が高く、ひと際に鮮やかに煌めく。
よく見れば上着の袖口や軍靴にも似たブーツなど、同色で施されているからこそ控えめに見える装飾がしっかりと施されていて、高貴な軍人風にも見える手の込んだ盛装姿だ。
けれど、ウィリアムの白い軍服とはまるで印象が違うのは、そもそも高位の魔物達が誰かと重なる程に印象が薄くないからなのかもしれない。
ネアの思い描く理想の白い騎士服姿の騎士とは毛色が違うが、とは言え軍服も騎士服も正義なので、ネアはそんな装いには重々しく頷いて感謝の意を示しておいた。
お馴染みの薄闇を経てゆっくりと煌めく魔術の光に目を凝らせば、今年の春告げの舞踏会の会場は、偶然にも、朝もやに包まれた水辺と桜の森に囲まれているではないか。
「ほわ……………」
会場をぐるりと囲んでいるのであれば、本当は不自然な形である筈なのだ。
けれども、違和感を覚えることはなく、桜の森に囲まれた湖畔に立っているような気持になってしまうのだから、魔術というものがどれだけ巧みなのかを思い知らされる。
(………何度見てもまるで違う春の華やかさで、けれどもいつも同じだけの安定の美しさで、春告げの舞踏会の会場は何て素晴らしいのかしら…………)
さわさわと温度のない風に揺れるのは、湖畔を彩る様々な春の花々だ。
舞い散る桜の花びらを浮かべた宝石のような湖面は、光を受けてエメラルドグリーンになる部分と影の部分の瑠璃色のコントラストが美しく、覗き込めば吸い込まれそうなほどである。
自分でつけていたアルテアとの繋ぎ石の耳飾りの位置を直された後、アルテアの腕に手をかけてそんな春告げの舞踏会の会場に踏み込めば、選択の魔物の訪れに気付いた春の系譜の者たちが優雅にお辞儀をした。
一斉に色とりどりの花が咲いたみたいに、女性達のドレスの裾が揺れる。
やはり今年も少し遅めの到着で調整したらしく、会場では既に多くの参加者達が思い思いに過ごしていた。
ネアの方を見ておやっという顔をする者もいるが、多くの者たちはあまり興味がなさそうにも見える。
「やあ、今年も同じ女性を連れてくるとは、興味深い状態にあるのかな?」
そんな中、ふっと影が落ちてそちらを見ると、柔和な微笑みを浮かべた春宵の魔物の姿がある。
淡い桜色の巻き毛にセージグリーンの瞳の美しさは、色合いだけを見ていればネアの大好きな組み合わせの一つなのだが、眠たげな美貌のこの魔物はいつも多くの女性の取り巻きに囲まれているのだ。
春告げに限らず季節の舞踏会への参加は、厳格にパートナー同伴での参加を決められているので、この状況が出来上がるには増えてしまっている女性の数だけ、どこかであぶれている男性がいることになる。
「放っておけ。ただし、手は出すなよ」
「アルテア、君のお相手のドレスは誰の作品なのかな?初めて見るようなドレスだし、これは興味深い…………おっと、」
「仕立て妖精のシー達に聞け。もういいな?」
「君だったらシシィかな。彼女は得意を多く抱えているから、なかなか注文を受けてくれないんだ。君からそれとなく話をしてくれないかい?」
「あいつなら、創作意欲が湧く注文なら、どれだけ忙しかろうがどうにか調整して捩じ込むぞ。どうせ手でも出そうとしたんだろう」
「はは、そう言えば、あんな凡庸な地竜など捨ててしまえとは言ったかな」
「それなら、お前からの注文は生涯受けないだろうな」
「いや困った。お嬢さん達、誰か代わりにお願い出来ないだろうか?一緒に同じようなものを頼んであげるよ?」
そんなリーヌスの言葉に、彼にへばりついた四人の女性達がきゃあっと歓声を上げる。
やはり高位の生き物たちが集まる春告げの舞踏会らしく、私が私がとやっているので、皆、シシィには伝手があるようだ。
賑やかな様子を見ながらその場を通り過ぎ、ネア達は会場の奥に進む。
ぱたぱたと飛んでいる不思議な黄色の生き物は、今まではお目にかかったことのない空飛ぶ鉛筆のような生き物だ。
あれはどんな生き物なのだろうかと凝視していたネアに、アルテアが僅かに眉を寄せた。
「竜は増やせないと、何度言わせれば分かるんだ」
「寧ろ、あのぱたぱた生物が竜だと、どうやったら分かるのでしょう。空飛ぶ鉛筆にしか見えません」
「鱗もあるし、尾もあるだろう」
「鉛筆生物ではなく………」
離れていても、そんなネアからの否定的な視線を感じてしまったものか、こちらに気付いた鉛筆生物の一匹が、近くまで飛んで来ると、ふしゃーと威嚇した。
しかし、ネアがすかさず魔物の指輪のある方の手をすっと持ち上げると、慌てたように飛び去っていったので、隣で冷ややかな目をしていた選択の魔物には虐められずに済んだようだ。
ふわりと風が吹き抜け、馨しい花々のその香りと温度に目を細めた。
この舞踏会の柱となる、春を司る人外者は四柱いる。
先ほど出会った春宵の魔物ことリーヌス、春闇の竜であるダナエ、春風の妖精に、しっかりと気体化してしまっているのでほぼいないと思っていい春告げの精霊がその四者になり、ネアの場合はダナエと仲がいいので、そんな様子は早めに周囲に誇示した方が良いのだとか。
春の系譜の生き物達は、儚げで美しいその外見に反し、気紛れで残忍だと言われている。
興味を向けたり持たれたりと、不用意な注意を惹くことは、どんな階位のどんな生き物であれ気を付けた方がいいのだが、ネアは現在、お米の精にしか見えない木蓮だという何某かを眺め、そんな生き物がどうやってダンスを踊っているのだろうという未だ解けない謎について思いを馳せていた。
「アルテアさん、あの枝垂れ桜の方にあるテーブルのお料理が、一番素敵なものが集まっているようだと思うのですが、如何でしょうか?」
「……………真っ先に興味を持つのがそれか」
「いえ、参加者の方への興味で言えば、あの奥に立っている白い髪の毛の男性の方は、何だか絵のように綺麗ですね。……………むぐ?!」
鼻を摘ままれて怒り狂う人間を冷ややかな目で見つめ、アルテアは赤紫色の瞳を細める。
「余分を増やすな。そんな一言を理解させる為に、指輪を増やす必要があるのか?」
「指輪は一つで充分ですし、今の会話はただの他愛もないお喋りではないですか。男性の方だって、あの女性が素敵だなとか、あちらの女性は可愛いなだとか、異性にかかわらずそのようなお喋りをするでしょう?」
「生憎だがしないな」
「むぐぅ。選り取り見取りな贅沢魔物めがここにいました。それなら、お友達になれそうな誰かを私に紹介して下さい」
「却下だ。………おい、やめろ。つつくな」
「たいへん傷心の私は、あちらにおわすお肉巻き的なものに…………まぁ、ダナエさんです!」
ここでネアは、お久し振りの大好きな竜の姿を見付け、びょいんと飛び上がった。
ダナエ達もこちらに気付いたようで、目が合うと微笑んでくれる。
その隣にはいっそ悟りを開いてしまったかのような静かな目をしたバーレンもいるので、今年も二人で参加しているようだ。
そちらの方に向かいながら人波を抜けてゆくと、ふっと鋭い視線を感じたような気がした。
だが振り返ってみても誰かがこちらを見ている様子はないので、気のせいだったのかもしれない。




