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雪の傾斜地と森のベル




もふもふとしたお気に入りのコートを羽織り、ポケットには汚してもいいハンカチと、お出かけ用の小さなポケットティッシュを詰め込んだ。

多少もこもこしてもまだ冬用のコートであるし、今日のお出掛けの先は雪の傾斜地なのだ。



先日のネアが大好きな季節の終盤に触れた事で、ディノがお出かけを提案してくれた特別な観光地なのだが、そこがたまたまエーダリア達もお忍びで視察してみたいと思っていた場所ということもあり、急遽、家族でのお出掛けとなった次第である。



(今日のお出掛けは、突然決まったものだ)



仕事を終えたら午後から出掛けてくるというような話をしたところ、であればと決まった、みんなでの賑やかなお出かけに、あまりそちらの方面の経験のないネアは、何とも家族らしいお出掛けではあるまいかとすっかりご機嫌である。



全員で出かけてしまうことになるが、雪の傾斜地への視察は、元々ダリルが推奨していたようで、急な決定ではあるものの、連絡を入れたところ、こちらに来ていてくれることとなった。


最近は思春期なのか綺麗なお部屋や建物に目のない青い小鳥姿のララを連れて来られるのでと、ダリルは、以前よりリーエンベルクのお留守番を引き受けてくれるようになったらしい。


雪の傾斜地と呼ばれる、毎年最後まで冬の系譜と雪が残る土地に行くにあたり、注意事項などをエーダリアとヒルドと話し合ってくれている。


はっとする程の青い瞳を持つ書架妖精は、こちらを見て微笑むと、リーエンベルクに大興奮の青い小鳥をそっと撫でる。


「いつか、ネアちゃん達が出掛ける時に、同行させようと思っていたんだよ。助かった」

「であれば、もう少し事前に予定を立てられるようにしておけばよかったですね。いきなりになってしまい、お騒がせしました」

「いんや。そういう場所もね、行こうと決めた時にしか道が開かない土地だからね。エーダリアには元々、ネアちゃん達が行くと言い出したら、その時に同行させて貰いなって伝えてあったんだよ」

「まぁ、そうだったのですね」



コロールやネア達が以前に訪れた季節の駅もそうであったが、こちらの世界の特定の土地の中には、行こうと思い立った時にしか道が開かないという魔術的な隔離地がある。


住人や、仕事で日々通う者達からしてみれば、条件が揃わなければ開かれない土地だということすら意外な場所も多く、普段縁がない者達だけが、条件が揃わなければ容易く踏み込めない場所となるのだとか。



「そういう場所ってさ、意図的に整えられていない場合は、魔術的な要所ってことが多いんだ。不特定多数に踏み荒らされないように、土地そのものに人除けの魔術がかかっている事が多いんだよね」

「ああ。禁足地の森にも、似たような魔術が敷かれているそうなのだ。勿論、土地の魔術が濃く、気軽に入り込める土地ではないが、そのようなこともあって無謀な立ち入りが少ないらしい」



そう教えてくれたエーダリアが複雑そうな顔になってしまったのは、この世界一日目であったネアが、部屋を抜け出して森に入った事を思い出してだろう。


どこかでディノの守護が働いていたのだろうが、今思えば、どれだけ危うい行為だったのだろうとひやりとする過去の行いである。



「ディノが、妖精さんの乗り合い馬車を呼んでくれましたので、そろそろでしょうか」

「ああ。髪色は、このくらいでいいだろうか」

「うん。僕の擬態はエーダリアに寄せておくよ。その方が、家族かなって感じになるしね」

「そうだな………」



恥じらうように視線を伏せたエーダリアに、なぜかノアまでもじもじしてしまい、二人は暗い藍色で髪色を揃えたようだ。


妖精の力の強い土地なので、ヒルドは、擬態をすると却って悪目立ちしてしまうのだとか。

なので、ヒルドはフード付きの妖精の羽を隠せるケープコートを羽織り、ネアは、淡い砂色の髪色に擬態してお揃い大好きな魔物も同じ髪色にしていた。



そうして、隔離地にも送り届けてくれる妖精の乗り合い馬車に乗って訪れたのは、ごくごく普通の広場の入り口のような、賑やかな森の入り口であった。



森沿いに開けた土地には木造の屋台が沢山立ち並び、イブメリアの街並みのような賑やかさだ。

そしてそんな傾斜地の入り口には、擬態はしているものの、見慣れた二人の男性が立っていた。



「…………むぅ。現地集合で、ウィリアムさんとアルテアさんもいるのです?」


音の遮蔽をしているので、今回は、偽名を用意する必要はない。

ウィリアムはネア達と同じ砂色の髪に、アルテアは黒髪に擬態している。



「ああ。アルテアには、同行可能かどうか私が頼んだのだ。隔離地の様子に問題がないかどうか、統括の魔物の目を通しても確認しておきたかったのでな」

「まぁ。そうだったのですね。ウィリアムさんも、一緒に来てくれたのですね」

 

そう言えばエーダリアは視察込みだったのだと思い出し、ネアは、となると、こちらの訪問にも意味があるのかなと考えた。

そんなウィリアムは、丁度、ディノに同行の理由を説明しているところだ。



「アルテアから、俺もいた方がいいだろうと言われたので同行しました。季節の系譜の隔離地ですから、終焉の予兆なども調べておいた方がいいですからね」

「うん。有難う。冬は、君の資質だと計りやすいからね」

「ありゃ、大人数過ぎない…………?」

「ふふ。みんなで屋台のお菓子がいただけるのですね」

「……………お前は、ドレスは着られるようにしておけよ」

「ふっ。今日は午前中に祟りものめを滅ぼしていたので、運動は充分なのですよ!」



高らかにそう告げたネアに、ウィリアムとアルテアが瞠目する。


慌てたように事情を聞かれているディノが、リーエンベルク前の広場に現れた竜姿の祟りものは、騎士達から報告を受けたネアが、きりん符ですぐさま滅ぼしてしまったのだと話していた。


なお、その際に、大きな祟りものの顕現を受けて派生した小さな祟りものがいたので、そちらについても、ネアが一匹残らず踏み滅ぼしている。

楕円形のクッションのような謎めいた形状であったが、街に解き放たれると人間を襲うらしい。



「……………ディノ、あのお花は初めて見ました」

「冬の系譜のものだね。葉の形や実の様子を見て御覧、ホーリートに近い種のものだよ」

「椿のようなお花が咲いていて、綺麗ですね。花びらは透明……なのでしょうか?」

「うん。水晶花や硝子花と呼ばれる花びらが透明なものだ。ライラックや紫陽花にも、透明な花びらを持つ種があった筈だよ」

「綺麗ですねぇ…………」



ネア達が訪れた本日の冬の傾斜地は、幾つか存在する傾斜地の中でも、特別に賑やかな場所である。


深い雪の森に面した広場のようなところで、細長い広場は随分と奥まで続いていて、そのずっと遠くには教会と思われる建物の尖塔が見えた。


以前に、シナモンロールを買いに出かけた場所に少し似ているだろうか。

ただしここは、奥に行くと妖精の国に入り込んでいるので、立ち並んだ屋台に惑わされて進み過ぎると厄介な事になる。


行方をくらませていた小さな子供が、見知らぬ土地で賑やかなイブメリアの屋台市に迷い込んだと言う場合は、ウィームでは大抵がここなのだそうだ。

不特定多数の人々の訪れを防ぐ魔術が敷かれている反面、土地の調整に必要な者達を招き入れる事も多いらしい。



「奥に続く妖精の国の土地を治める、夜の系譜の氷の妖精達は、面倒見が良く生真面目な者達で、そうして招かれた子供達も必ず帰ってくることが多い。ただ、この通り賑やかな広場なのでな。ここで出会った人ならざる者達と不用意な約束を交わすと、魔術的な障りを得て帰ってくることもある」

「思っていたよりも、………ずっと賑やかなのですね。屋台も沢山ありますし、楽し気な音楽も流れています」



ウィーム中央でよく見る、木の小屋のような屋台よりは簡素な造りの店が多いようだ。


屋根の色は統一されておらず、赤や緑に黄色と色とりどりの玩具箱のような楽しさがある。

赤や黄色が多いところが、どちらかと言えば青みの色彩のものが多いウィームにある屋台との違いだろうか。


そうした色相の違いから、ここが、厳密にはウィームの管理外の土地なのだと教えてくれる。



「ここは、ウィームの中にあるものの、管理上は季節の系譜の土地なのですね」

「ああ。季節ごとの傾斜地は、相性のいい土地に重なりながら季節と共に移動するので、冬の系譜の者達が立ち去れば、ここも本来の景色に戻る。実際には、ブナの木の森に面した小さな針葉樹の森なのだ」

「冬の後半の間だけ、冬の系譜の者達の管轄下に入るという感じだな。…………ウィリアム、様子はどうだ?」

「ああ。いつも通りの様子だな。不穏な予兆も、終焉の系譜の痕跡もない」



さくさくと踏み固められた雪を踏みながら、広場の入り口にある屋台で売られている色鮮やかなタッセルのついた籠を眺める。


これは、この先に立ち並ぶ屋台で買い物をする際に利用してねというような籠で、この傾斜地でしか買えない冬の祝福の強い木々の枝や蔓ばかりで作られている物なのだそうだ。

果物などの保管にとても良いらしく、早速エーダリアが二個購入している。



「とても可愛いので、迷ってしまいますが、今日のお目当ては食べ物と飲み物なので……………」

「おい、食い気しかないぞ。あの籠は買っておけ。収穫の祝福もある」

「か、買っておきます!」


呆れたような顔をしたアルテアにそう言われ、ネアは、慌ててしゅばっと籠を並べた屋台に駆け寄った。

この場所の代表的なお土産になるので多くの人が見ているのかなと思ったのだが、収穫の祝福があるのであれば見過ごす事は出来ない。



(凄い種類がある………!)



「……………むぅ」

「幾つでも買ってあげるよ」

「大きめの籠ですので、一個でいいのですが……………この、青緑色の布に、赤紫と灰色のタッセルの籠にしますね!」

「こちらに、ビーズタッセルの籠もあるけれど、いいのかい?」

「ぎゃ!」


うっかり心が乱されてしまったが、最初に見ていた籠の方が素朴な美しさであったので、やはりそちらの物を買う事にした。

もっとじっくり見ていれば他に欲しい物があったかもしれないが、まだまだ広場の入り口付近なのである。

ここは手早く済ませてしまい、食べ物の屋台こそじっくり見たいではないか。


店の主人が魔物だったらしく、籠はディノが買ってくれた。

お礼を言って受け取った大きな籠を見ていると、生まれ育った国でかつて使われていた赤ちゃん用のバスケットを思い出してしまう。



「…………ふむ。この籠いっぱいに果実を詰め込んだら、確実に腕は死んでしまいますね」

「死んでしまうのだね……………」

「人間の女性の筋力はそのくらい儚いものですが、ディノであれば軽々と持ち上げてしまうのでしょうか」

「…………ずるい」

「むぅ。見上げただけなのに、もう弱ってしまうのです?」



差し出された三つ編みを受け取る為に、買い上げた籠はひとまず金庫の中だ。


お部屋に置いて何かを入れておいてもいいそうで、手に入れるということで収穫の祝福を得られた後は、どのような使い方をしてもいいという。

使い道が決まる前に購入してしまったので少しだけそわそわしながら、ネアは、立ち並ぶ屋台に繰り出した。



はらはらと降る雪は、冬の最盛期に降るような粉雪で、風はなく、しっとりとした灰色の毛皮のような雪空は青みがかって美しい。


森の木々は白樺のようにも見えるが、よく見てみると幹は白茶ではなくきらきらとした淡い水色の結晶化部分を内包した砂色であった。


行き交う人々の数は多く、皆が買い物を楽しんでいる。

ウィーム中央の市場くらいの賑わいかなと周囲を見回していたネアは、はっと息を飲んだ。



「ネア?」

「……………ディノ、焼き立てのシナモンのパウンドケーキに、自家製コンフィチュールをあつあつでかけてくれる屋台がありました。小さめのお菓子で、甘さ控えめだそうです」

「買ってみるかい?」

「はい!」

「やれやれだな……………」


早速美味しそうな屋台に出会ってしまい喜びに弾むネア達の隣で、ほんの少しだけ離れて、エーダリアとヒルドが緑の屋根の屋台を覗き込んでいる。

売られているのは乾燥させた薬草のようで、あのじっくり具合はかなりの興味津々だなと、ネアは微笑んだ。


麻袋にぎゅうぎゅうに詰め込まれた薬草は量り売りで、麦色の紙袋に詰め込んでいる。

お買い上げで渡されるそんな紙袋の玄人魔術師具合に憧れてしまい、ネアは、使い方も分からない薬草を買ってみたくなってしまった。



「そして、ここは定番で森苺のコンフィチュールにしました。まだまだ色々なお店があるので、半分こにしましょうね」

「いいのかい?」

「ええ。色々なものを少しずつです。…………あぐ!……………ふぁ!ほっくりした焼き立てのパウンドケーキが優しい甘さで、あつあつとろりのコンフィチュールが、甘酸っぱくて美味しいでふ。ささ、ディノもどうぞ」

「……………美味しい」



紙皿の上の、ほかほか湯気を立てているパウンドケーキを一口頬張り、水紺色の瞳をきらきらにさせた魔物を見て、店主のご婦人が満足気に微笑んだ。

買いに来ていた子供連れの家族も、こりゃいいぞとわいわいコンフィチュールを選んでいる。


「……………ほお。シナモンだけじゃないな。かなり複雑に香辛料を入れてあるが…………これは、冬明かりの実か……………」

「む。アルテアさんは、個人でお買い上げをしています」

「珍しいですね。……………ということは、かなり美味しいのかな」

「ウィリアムさんも食べてみます?」

「いいのか?……………じゃあ、一口」



振り返れば、アルテアが、同じ森苺のものを注文していた。

ネア達が食べる前に買いに並んだのだから、何か目を引く要素があったのかなと聞いてみると、香りに馴染みのない香辛料が混ざったので気になったらしい。


たっぷりの薬草を買って笑顔になったエーダリア達も合流し、オレンジのコンフィチュールがけを三人で食べていた。



「これは、パラチンケンではないのですね…………」

「どちらかと言えば、砂漠の国で見かけるパンに近いな。…………胡桃油を使って焼いているのか」

「ほわ。お買い上げです?」

「ああ。こういう土地の料理は、季節の魔術の抽出効果のお陰であまり外れがないから、俺は好きなんだ。……………うん。……………ネアも一口食べてみるか?」

「じゅるり……………」



ウィリアムが購入したのは、薄い円形のパンを中央を窪ませて鉄板で焼き上げ、香草塩で味付けしただけの挽肉とたっぷりの濃厚な黄色いチーズをとろとろに溶かして包んで食べるものだ。

鉄板の上でくるくると巻いてくれ、厚手の紙で包んでいただく。


少し代金を上乗せすると、自家製のタルタルソースもかけてくれるが、一口齧らせて貰ったネアは、とろりと蕩けるチーズの味わいが素晴らしい素朴な美味しさに、こちらで充分だと頬を緩めた。

お肉の嵩増しの為か、細切れのポテトフライとマッシュポテトの間くらいのジャガイモ料理が少しだけ入っていて、それがまた挽肉の脂を吸って美味しいのだ。



「こやつは自分買いです!ディノ、半分こしましょう!」

「ご主人様!」


すっかり気に入ってしまったネアは自分でも注文し、伴侶な魔物と、こちらは自分用の購入はしなかった使い魔と分け合って食べた。


途中で使い魔については横からばくりと食べられてしまったので、事前申請が必要なのだと告げておく。

屋台料理は皆で食べても美味しいが、一番チーズがかかっているところは、購入者特権と言えよう。



「む。エーダリア様達は、何をいただいているのでしょう。おまんじゅう……………」

「ふかふかとした白い生地の中に、茶色い牛肉のシチューが入っているのだ。雪麦を使ったこのような料理は初めて食べた……………」

「雪麦さん……………」

「……………一つ買ってやる。四人で割れば、お前の腰もなんとかなるだろう」

「こ、腰は元気なのですよ?!」


さも手の施しようがないというように言われたので慌てて反論したが、ネアとしても、四等分は大歓迎だ。

まだまだ入り口付近なのに、この美味しい物の渋滞は一体どういうことなのか。


なぜ、もっと早くに連れて来てくれなかったのかと足踏みしてしまうものの、事前に聞いていたように、必要な時にしか訪れる事が出来ない土地なのだろう。



「あぐ!」

「おい、指を噛むな」

「……………むぅ。シチューが零れたら大変なのです」

「……………これを、半分に」

「シルハーン、俺がやりましょう。これは少しこつがいりそうですからね」

「うん……………」


美味しいお店ばかりなのは、ウィリアムの教えてくれた魔術の抽出効果とやらのお陰であるらしい。


季節の最終経由地として、この冬の傾斜地には、最後まで美しい冬が残る。

お鍋で煮詰めてジャムを作るように、美味しいものや美しいものが集まるのだそうだ。



(冬の系譜の人外者さん達は、それぞれの領域があるので、ここに集まるのは、違う季節の訪れの間だけ姿を消しているような、もう少し階位の低いものなのだとか…………)



それは例えば、氷で出来ているような美しい花を咲かせる木や、冬の日のうっとりとするような美しい雪空と、どこからかイブメリアの賑わいが戻ってきそうなこの屋台の広場。


オーナメントにも似た小さな飾りを売るお店や、冬景色の織物を集め、ランチョンマットにして売るお店。

しっとりと温かそうな毛糸や、毛皮で裏打ちされたブーツや手袋など。


そのどれもが、季節が廻り春が来る頃には、いつの間にか姿を消しているものばかり。



「ふにゅ。………素敵なホットワインがありました」

「おや、好きな味だったのかい?」

「はい。私の好きな、子供用の葡萄ジュースを使ったものなのです。紅茶も考えましたが、最後に、ノアの知っているお店でクリームを乗せたメランジェを飲むので、今はこちらなのですよ」



どこからともなく、聖歌のような少年達の透明な歌声が聞こえてくる。


遠くに見える教会で週末にミサがあるそうで、そこで披露される唱歌なのだとか。

今は教会がお祈りの時間なので、近くの森で練習しているらしい。


歌声や唱歌に付与される魔術効果は大丈夫なのだろうかと思えば、土地そのものに還元される魔術の祝福なので、こうして広場に集まった人達に聞かせてしまっても問題ないという。



しゃりん。

りぃん、しゃりん。


心配になってしまいそうな程に薄い水晶のベルを鳴らしているのは、森に暮らす、雪の生活魔術を売る魔術師達なのだそうだ。


はっとしたように顔を上げたエーダリアに、ヒルドとノアが顔を見合わせて苦笑している。

三人でその屋台を見にゆき、小さな硝子玉のようなものに入った、軒下などで硬くなった雪の塊をふわふわ雪に戻す魔術を買ってきた。



「むむ。こちらのお店は、夜の雫入りのシュプリを売っているのですね。……………まぁ。アルテアさんとノアがお買い物に入りました…………」

「特定のメゾンの委託販売じゃなく、色々な葡萄酒を集めた店みたいだな。掘り出し物があるんだろう」



くすりと笑ったウィリアムも、見付けた白葡萄酒をお買い上げするようだ。

リーエンベルク分はノアが買い集めてくれるそうで、アルテアと競うように、五本も買い上げしていた。



「ほら、その奥に見えるのが、僕が話していたカフェだよ。冬の中のどこに本店があるのかは毎年変わるんだけど、かならず傾斜地には出張店舗が出るんだ」

「まぁ。遊園地の回転木馬のように見えていたのは、カフェの出張店舗だったのですね!」

「雪の楽譜か。この店なら間違いないな」

「入った事はあるかい?」

「いえ。俺は初めてだと思いますね。………いい匂いだな」

「むぐ。チーズトースト………」

「おい。どれだけ食ったと思っているんだ……」



午後からのお出掛けであったので、既に空の縁には、淡い夕闇の青色が見える。

まだほんの少ししか見ていないのにと思ってしまうが、気付けばそれなりの時間が過ぎているようだ。



「こうした、季節の要素が残る傾斜地は、暮れてゆく土地でもある。訪れる分には愉快でも、一人でいるとあっという間に夜になって帰り道を見失ってしまうから、気を付けなければいけないんだよ」

「夜になってしまうと、帰れなくなってしまうのです?」

「夜に訪れた者は夜に帰れるけれど、陽の残る内に訪れた者は、夜になると出られなくなるそうだ」



カフェの席に座り、ディノのそんな話を聞いている。

百合の花のような少し嵩のある白灰色の陶器のカップで、綺麗に絞り載せられた生クリームを浮かべたメランジェが運ばれてくると、すっかり気分は高まるばかり。


エーダリアもいい買い物が出来たのか頬を上気させていたが、時折、心配そうに空を眺める姿は、ガレンの長らしい冷静な魔術師の眼差しであった。



「話に聞いていたよりも、時間が経つのが速いような気がする。あっという間に、もうこんな時間になってしまったのだな………」

「エーダリア様が、お買い物よりも、食べる方が多かったのは珍しいような気がします」

「この傾斜地には、食べ物の店が多いだろう?これは、冬であればこそ、最も貴重なのは食料だからなのだそうだ。祝福の織り込まれた布や、雪の系譜の魔術を紡いだ糸よりも、ここでは、食べ物や飲み物にこそ上質な祝福が宿るらしい」

「ああ。ダリルからも、何種類かの料理を食べるようにと言われているのだ」

「それで、アルテアさんも、あれこれ食べさせようとしてくれるのですね……………」

「とは言え、この店では、チーズトーストはなくとも、メランジェがあれば充分だな」

「……………ぐるるる」



予定してたお出掛けではなく、突発的に決まった買い物なので、まだ心の端が少しだけそわそわしている。

あの屋台に寄れば良かっただとか、あんな店があるとは思わなかっただとか、このカフェでひと休憩入れつつ、色々な話をする。


八人がけの丸いテーブル席が空いていたので、そんな一つのテーブルを囲んで思い思いの飲み物を頼み、ほこほこと湯気を立てるカップを置いて、当たり前のように集まる日は、何て素敵なのだろう。



一段高くなった木製の舞台のようなカフェの仮設店舗は、外側に円柱を設け、屋根を支えている。


中に入るとぐっと広く感じるのも、外壁がないのにふわりと温かな空気に包まれるところも、相当な魔術構築がなければ成せないものであるらしい。

この店の主人は冬の系譜の魔物か精霊であるそうなのだが、趣味でやっているカフェなので、正体は明かしていないのだとか。



「最近まではニエークだと思っていたが、違うだろうな」

「……………む。なぜこちらを見るのだ。ニエークさんの個人情報には詳しくありません…………」

「であれば、アルミエかもしれないね。…………この店の嗜好は、ウィーム中央の伝統的な物が多いようだ」

「言われてみれば、ザハやその近くのカフェにあるようなメニューが多いかもしれません」



ディノ曰く、土地の料理や飲み物などの固有のメニューは、暗黙の了解として、その土地を治める人外者の管轄となるのだそうだ。

なので、ご主人様と一緒によくお茶をしに行く魔物にも、おおよその推理が可能であるらしい。



「……………あっという間でしたね。まだ、来たばかりのような気がします」

「ああ。どちらにせよ短い時間には違いないが、思っていたよりは長く歩いたんだな」

「…………良い土地ですね。ウィームの中にある隔離地の一つですので懸念もありましたが、少なくとも、問題のあるような魔術の凝りなどはないようです」

「ああ。………気持ちのいい土地だ。人々の表情も明るく、法外な値段のものは一つもなかった。………ただやはり、これより先に進むのは望ましくないのだろうな」

「……このお店より先にも屋台がありますが、あまり行かない方がいいのですか?」

「少し先からはもう、妖精の国の領域に近い魔術基盤になっている。明確な境界はないが、踏み込んではいけない場所というのもやはりあるのだろう」



そう言われこくりと頷いたネアには、その境界とやらは見えなかった。



妖精の国に迷い込んでもすぐに障りはないが、とは言えそこはもう、違う階層である。

線引きを越えた者というのは、必ず何らかの対価を支払う事にはなるので、用心するに越したことはない。



じわじわと夜の色彩を深めてくる空には美しい教会の尖塔が重なり、妖精の国側には、石造りの家々が立ち並ぶ中規模の街があるようだ。


薔薇色がかった茶色の瓦を使った家が多いようで、白壁の家と雪景色との組み合わせで、不思議なくらいに温かな景色に見えた。



「帰りに、雪結晶のオーナメントを一つ買っていきたいです。これからの季節には使わないものですが、きっとまた、春の後に夏が来て、秋がくれば冬なのですからその時に使えますものね」

「では、先程の屋台には寄って帰ろうか。…………そちらはどうするんだい?」

「うん。こっちも、雪シロップの店に寄って行こうって話してたんだ。ウィリアムとアルテアは?」

「俺は、食事も済ませたし葡萄酒も買ったから、他に気になるものがあればというくらいだな。元々、冬の傾斜地に何か異変や損傷が出ていないかの確認が目的だ。こうして、何の問題もないだけでも充分なんだが……………」


そう微笑んだウィリアム曰く、様々な季節の要素が集まる中で、その季節に大きく損なわれたものがあれば、こんな傾斜地にも影響が出るのだそうだ。


通り過ぎてゆく季節の状態確認も出来てしまうので、来るだけでも意味があったらしい。



「俺は、雪縛りの布と氷胡椒を買うくらいだな」

「わーお。かなりしっかり楽しんでるぞ……………」

「完全な客人として入るのは、久し振りだからな」



アルテアは、統括の魔物としていつもこの傾斜地の確認には来ていたそうだ。


しかし、そのような招かれ方だと、客として店を見て回る訳にはいかないので、こうして買い物や食事の為だけに来た時にしか見えない店も多いのだそうだ。




「むむ。私も負けじと、あちらの葡萄パイなども……おのれ、はにゃをかいほうするのだ!」

「ったく。食い過ぎだぞ………」

「はは、アルテアは意地悪だな。後で叱っておくよ」

「…………ぐるる」

「沢山食べていいのに………」




はらはらと舞い落ちる雪の向こうで、ゴーンゴーンと鐘の音が鳴り響いた。



すっかりテーブルの上に置いたカップの中身は飲み干してしまい、手早くお会計をすると席を立つ。

美しい冬の中でぐいんと伸びをすると、ネアは、大切な家族達と共に、いそいそとそれぞれのお目当ての店に向かったのだった。







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