218. 薔薇への拘りを感じます(本編)
敷き詰められた薔薇を、踏みしめる。
さくさくふわりと、雪の上に振り撒かれた薔薇の花びらは、うっとりとしてしまうくらいに美しい。
この贅沢さは、ウィームだからこそ。
薔薇の祝祭の彩りに溢れたウィームは、この土地の祝祭の為に薔薇を捧げてくれる人外者達の祝福があって初めて、この美しさとなる。
他領でも薔薇の祝祭はあるが、もし、ウィームのように主だった歩道の全てに薔薇の花びらを敷き詰めようとしたなら、大量に購入した薔薇の花びらを黙々と引き千切る為の人員が必要になるだろう。
勿論、多少のものであれば、土地の人外者や魔術師達にも、魔術的な叡智や蓄えで補える。
だが、系譜の人外者達や、そのような備えを多く持つ高位の人外者、はたまた、その日までに家で愛でて来た薔薇の花びらを綺麗なまま保有出来る魔術を手にした領民のいるウィームにしか、これだけの祝祭の準備は出来なかった。
そのみんながウィームを愛し、愛した土地の祝祭を盛り上げ、祝祭の魔術に己の魔術を還元してゆくために花びらを振り撒くのだ。
「今年の夜火薔薇は、水色なのですねぇ。ぼうっと優しいオレンジの火に燃えるのが、なんて綺麗なのでしょう!」
「可愛い。弾んでしまうのだね………」
街の中に入ると、今年は例年よりも早い訪れとは言え、やはり恋人達の姿が圧倒的に多いようだ。
そんな中に、花束を手に帰路を急ぐ青年や、ケーキの箱や薔薇の花束を手に家族で仲良く手を繋いで歩く者達もいる。
時間の関係か、これ迄より積み残しの者達に出会うことは少なかったが、やはり、通り沿いの噴水や看板などに仰向けになって引っ掛かっている者達の姿はあった。
裏返しになって伸び切っている竜は、雪竜ではないかと思えたが、何しろ裏返ってしまっているのでふかふかの毛皮に覆われた腹部しか見えない。
ぴくりとも動かないので、余程悲しいことがあったのだろう。
「ディノ、………あちらで蹲って泣いているのは、妖精さんでしょうか?」
ここでネアが目を止めたのは、建物と建物の隙間に押し込まれたように蹲っている一人の少女だ。
膝を抱えるようにして蹲っているので造作は見えないが、透けるような金髪はくっきりとしたイエローゴールドで、繊細な指先などの造作から、かなりの美少女なのだろうと伝わってくる。
「………水仙のようだね。近付かないようにしようか。少しだけ、魔術の道に入っておいた方がいいかな」
「はい。ではそうしておきますね。水仙さんがあのようになっていることを、どこかに報告をする必要はあります?」
「あの様子だと、領民達が既に連絡はしているだろうけれど、街の騎士を見かけることがあれば、伝えておくといいかもしれないね」
「はい。そうしますね」
思わずディノの手をぎゅっと掴んでしまったので、こちらを見た伴侶の魔物は、ネアが怖がっていると思ったようだ。
ひょいと持ち上げてくれたディノに、ネアは慌ててしがみつくと、困ったように髪を撫でてくれる。
「ディノ………?」
「怖かったかな。………こちらを認識させないようにしてあるから、もう大丈夫だよ」
「むむ、そうではないのですよ。………小さく小さくなって膝を抱えて悲嘆に暮れているあの方の足元に涙の跡が見えて、いつかの日の私のようで胸が苦しくなってしまったのです。…………しかしながら、今の私にはこんなに素敵な伴侶がいるので、絶対に手放さないぞという決心を新たにし、その手を握り締めてしまったのですよ?」
「………ずるい」
「ふふ。私の伴侶は、こうしてすぐに守ってくれる自慢の伴侶なのですね」
そう言えば、澄明な水紺色の瞳を瞠った美しい魔物が、途方に暮れたように小さく頷く。
ネアは、そんな魔物にこつんと額を合わせてやった。
ふるりと震えたのは、真珠色の睫毛だ。
「……………頭突き」
「さては、せっかくのディノの時間なのに、私が、あの妖精さんに怯えてすっかりお外が嫌になってしまったのではと、怖くなってしまいましたね?」
「………今日ではなくても、君が怖がるのは、………あまり好きじゃないかな」
「ふふ。ディノが伴侶でいてくれて嬉しいだけなのですよ?なので、一緒に薔薇の祝祭を楽しんで欲しいです」
「…………ずるい」
「ディノがいてくれるので、私はもう、一人ぼっちで膝を抱えて踞らずに済んで、尚且つ大切な人に薔薇の花束を贈れてしまうのです」
「うん。………私も、………君がいるから、……薔薇のビーズを貰えるんだ」
「今年は透明なビーズではなくて、陶器のビーズなのですよね。五年に一度はそうなのだと知らなければ、儀式のお手伝いに出かけてしまうところでした………」
「陶器のビーズ………」
拳を握ってビーズへの意気込みを示したネアに、ディノも、目をきらきらさせる。
今年のローゼンガルテンで配られる薔薇のビーズは、白い陶器の薔薇に淡い水灰色で絵付けのある陶器のビーズなのだ。
飾り木のオーナメントにも使えると大人気で、それを取りに行ってはどうかと教えてくれたエーダリアに、今年のビーズの様子によっては、薔薇の祝祭の仕事を手伝いに行こうかと話していたネア達は大慌てとなった。
陶器のビーズについて教えてくれたエーダリアによると、そのビーズにかけられた祝福は、愛情の祝福の中でも愛する者の長寿を祈る祝福なのだそうだ。
となれば、長い長い時間を生きる魔物の伴侶であるネアは、是非に手に入れておかねばならない。
エーダリアがなぜこのビーズを勧めてくれたのかと言えば、グラストとゼノーシュが貰ってきたことがあるからだという。
その当時は気付かなかったが、ゼノーシュはきっと、グラストと少しでも長く一緒にいたいと思ったのだろうと考えたエーダリアは、そんなビーズなら、ディノも欲しがるだろうと考え、教えてくれたのだった。
「エーダリア様が教えてくれたお陰で、陶器のビーズを知る事が出来ました!色々な方々が、様々な形でビーズを求められるよう、薔薇の祝祭にも工夫があるのですね」
「ヒルドが、魔術可動域の差による寿命の違いや、異種婚姻なども対象にしているのではないかと話していたよ。ウィームには、そのような者達が多いからね」
「………可動域で寿命が変わるのでしたものね」
ウィームには、人間の身ながらにして、親しい者達と同じ時間を生きられない者が少なくない。
永遠の子供と呼ばれる低可動域の人間も長命だが、可動域が飛び抜けて高い者達は、それを遥かに超え、普通の人間達よりもずっと長く生きるようになる。
そんな角度からウィームを眺めると、ネアは、だからこそウィームの人達は、人ならざる者達との婚姻への抵抗があまりないのだろうかと考えた。
長く生きること、取り残されること、すぐ隣にいる愛する誰かと、自分が決定的に違うこと。
その孤独と悲しみをよく知る民達だからこそ、人ならざる者達と心を通わせられるのかもしれない。
「…………君は、………いや、」
「私は、出来るだけディノの側に居られるように、健康には気を付けて頑張りますね。………ディノ?」
「……………ずるい」
ディノが飲み込んだ言葉がちゃんと聞こえたような気がしたので、ネアがそう言えば、伴侶の魔物はまたしてもくしゃくしゃになってしまう。
「ふふ。少しだけくしゃくしゃなのですか?でも、私がこの世界で真っ先に手を取ったのはディノなので、そんなディノとこそ、出来るだけ長く一緒にいたいと思うのは当然なのですよ。なので、ディノも魔物さんだからと安易に怪我をしてはなりませんし、ずっと側にいてくれなければ嫌なのです」
ふんすと胸を張ったネアに、魔物は更にくしゃりとなってしまったが、安心したのか幸せそうにふにゃりと微笑み、近くの花壇の薔薇をきらきらの結晶にしてしまった。
ぎょっとしたネアが、魔物な乗り物に慌ててその場から離れるよう指示したのは、その花壇が公共の花壇ではなく、恐らく花壇に面したケーキ屋さんのものだったからだ。
危うく花壇の薔薇を結晶化させてしまった罪で捕縛される危険を回避すると、ネアは、ふうっと安堵の息を吐く。
いきなり急かされた魔物は、ただ、伴侶が大急ぎで陶器のビーズを欲したのだと思ったようで、嬉しそうに目元を染めていてくれた。
「そろそろ、魔術の道を出ようか。君は祝祭の道を歩くのが好きだろう?」
「ええ。この、薔薇の祝祭の薔薇の花びらを踏みながら歩くと、とても贅沢な気持ちになるんです。私も皆さんと一緒に祝祭の魔術に貢献していると思えば、何だか誇らしくもあります!」
先程の水仙の妖精の現場からも遠ざかったので、もういいだろうと魔術の道を出ることになり、ネアは、魔物の腕から地面の上に解放された。
敷き詰められた花びらを踏み歩くのも、薔薇の祝祭らしい贅沢な楽しみの一つなのだ。
その時のことだった。
ふっと落ちた影に振り返り、ネアは目を瞬く。
いつの間にか真横に立っていた黒いウールのコート姿の男性が、じっとこちらを見ているではないか。
「よし、お前に求婚しよう」
「お、おのれ!!自立した途端に、おかしな通り魔に出会いました。立ち去り給え」
どうやらネアは、魔術の道から出た途端に、通り魔に遭遇してしまったようだ。
見ればたいそう美麗な男性なのだが、少しだけ襟元のクラヴァットが乱れているので、間違いなく積み残しだろう。
幸いなのは、比較的傷が浅そうなところだろうか。
本当に危険な積み残しは、もはや意思疎通が不可能なくらいの壮絶な荒み方をしていることが多い。
(………この人の場合は、どちらかと言えば、心の傷というよりも、矜持の傷を受けたという感じなのかしら)
何を言い出すのだろうかと首を傾げて見つめると、恥じ入って立ち去るかと思えばなぜか得意げな顔をした男性は、輝くような艶を宿した栗色の髪に、艶やかな紫紺の瞳をしている。
ややきつめの面立ちだが文句なく美しいその容貌から、階位の低い人外者ではないと推察出来た。
背は高く、どちらかと言えば武人寄りの体型で、それこそ騎士などが似合いそうな容貌だ。
「恥じらう乙女もいいものだが、私の求婚を断るのは不敬にあたるのだぞ」
「私には既に魔物の伴侶がいますし、あなたへの興味と好意は微塵もありません。今後育つ土壌も何もないので、お引き取り下さい」
「…………っ、伴侶だと……………?」
ここで栗色の髪の男性は、ようやく、ネアの隣にいるディノに気付いたようだ。
髪色を擬態していても、美貌でも測れる階位である。
案の定一瞬たじろいだように後退したが、困ったことにすぐに驚愕の表情を収めてしまった。
この際、諦めの悪さは美徳にはならないので、ネアはあからさまに渋面となった。
「ま、まぁ、人間は指の数だけ、伴侶を持てるというからな。致し方あるまい!」
「何が仕方ないのでしょう。そもそも、私が求婚をお受けしておりませんので、お帰り下さい」
「…………この子は、私の伴侶だよ」
「か、構わないではないか。今夜は、薔薇の祝祭なのだぞ!」
いつもであれば、魔物らしい目をしたディノがひたりと見据えれば、こんな通り魔であっても、慌てて立ち去ったことだろう。
しかし、今いる場所がなかなかの大通りの歩道であることが災いし、ディノは、姿の擬態は元より、気配の上でも擬態をしたままであった。
魔物らしい精神圧を解放すると、周囲の人々にまで影響を及ぼしてしまう。
言葉を重ねるように言い返され、ふっと瞳を細めた魔物は残忍にも見える。
だがネアは、大事な伴侶が感じた怖さや不安に気付いてしまった。
「ぎゃあ!!」
次の瞬間、獰猛な人間に容赦なく爪先を踏み滅ぼされた男性は、その場に蹲ってしまう。
涙目でこちらを見上げ震える姿が子犬のようでもあったが、残念ながら、怒り狂っているネアの心を動かすには足りなかった。
「伴侶がいるのでとお断りした筈の求婚を押し付けるなど、我が儘にも程がありますよ?おまけに、よくも私の大事な魔物を怖がらせましたね!それだけでもう、その毛髪はいらないという結論に達しましたので、全て毟り取って草むらに投げ捨ててくれる!!」
「……………っ、……………」
あまりにも残酷な宣言をし、突然本性を現した人間を見てしまった男性は、震え上がったようだ。
困ったことに、通行人も怯えさせてしまったようで、さっと己の頭頂部を手で押さえてしまった男性が何人かいる。
なぜか、涙ぐんでこちらを見ている通行人もいるので、この人間の近くにいると髪の毛を毟られるぞと怖くなってしまったのかもしれなかった。
「……………先程の言葉を撤回し、立ち去りますか?それとも、全ての髪の毛を失ってから、水路の藻屑となりますか?」
「……………に、」
「に?」
「人間が、こんなに獰猛だとは知らなかった!!!そんな生き物に求婚などするものか!!わ、私は、国に帰る!!!」
「……………むぅ。逃げましたね」
だしんと地面を踏み締めて詰め寄ったネアに、びゃっと飛び上がった男性は、そんな捨て台詞を残してぽふんと転移で消えてしまった。
若干逃げられた感が否めないが、幸いにも求婚は撤回していったので、後は捨て置くとしよう。
捨て台詞的には、もう人間に通り魔的求婚はしなさそうなので、ウィームの治安の為にも一役買ったと言えよう。
「あんな魔物なんて……………」
「しかも、魔物さんだったのです?ディノを見てもあの様子では、先が思いやられるのでは………」
「派生したばかりの魔物のようだったね。……………十年くらいかな」
「魔物さんは、ある程度完成された状態で派生すると聞いているので、十年も世の中を知れば、常識的な振る舞いを学ぶには充分ですよ。……………ディノ、嫌な奴は追い払ったので、もう怖くないですからね」
「……………ネアが、……………守ってくれた」
「ふふ。私は、大事な伴侶を傷付ける者など、絶対に許さないのです!!」
ここで、伴侶感を示すのではなく、もじもじと三つ編みを差し出してくるのは審議案件であったが、両手で差し出す恋文方式を運用されてしまうと、周囲の目もあり、言葉通りに伴侶第一である姿を見せねばならない。
ネアは、先程まで手を繋いでいたのに、なぜに三つ編みに切り替わったのだろうと怪訝に思いつつも、青灰色に擬態して薔薇の祝祭に相応しいリボンを結んだ三つ編みを受け取ってやる。
すると、歩道沿いのお店の扉がからんと開いて、慌てて駆け寄ってきたなかなかの美少年が、先程の魔物はいきなり求婚してきて、一年程ずっと見ていたと言われてとても気持ち悪かったので手酷く断ってしまったのだと謝ってくれる。
断じてその少年のせいではないので、お気になさらずと言ってあげたのだが、少年の父親だという男性まで出てきてしまい、お店で売っている薔薇の祝祭用の石鹸を、通り魔の危険に晒してしまったお詫びにくれた。
「先程の男の子は、あの有名な石鹸屋さんのご子息だったのですねぇ。このお店の石鹸は、リノアールでも取り扱いがあってとても評判がいいのですよ!」
「あの魔物も、洗浄や浄化の系譜のものだったから、同じ系譜の魔術から惹かれたのだろう」
「……………となると私は、性別すら違うどころか、そちらの系譜の魔術も持たない完全なる通り魔の被害者なのでは…………?」
「……………そうなるのかな」
「おのれ。せめて、拘りくらいは持って欲しいものです………」
はらはらと、どこからともなく薔薇の花びらが振り撒かれる。
それは、屋根の上に並んで座る美しい妖精の恋人達の手でだったり、びゅおんと空を飛んでゆく竜の持つ花籠からこぼれたものだったり。
祝祭飾りのある街灯に入った火の色が、まだ青さを残した夜闇に丸く浮かび上がる頃、ネア達は、お目当てのローゼンガルテンの前に辿り着いた。
まだ花火の場所取りにも充分に間に合う時間なので混雑しているかと思えば、そこは経験からか、薔薇のビーズを受け取りたい人だけの列が設けられているようだ。
そちらに並んでもローゼンガルテンのそこかしこに茂る見事な薔薇を鑑賞することは出来るので、ネア達はビーズだけの引き取りの列に並ぶことにする。
「入り口からもう、見事な薔薇があちこちに咲いていますね。あちらの淡い紫色の薔薇も綺麗ですし、こちらに咲いている白ピンク色の薔薇もとっても綺麗です………」
「以前に来た時とは、薔薇の配置が少し変わっているのかな。………祝祭の魔術を読んで、丁寧に薔薇の住処を変えているのかもしれないね」
「まぁ。祝祭に合わせてのお引っ越しがあるのですね…………」
行列の最後尾に付くと、係員から本日のビーズの種類が記されたチラシが渡され、ネアは、今年こそこの紙を使った抽選も当たるべきなのだと、遥かなる願いを込めて受け取った。
このビーズの種類を説明するお知らせの紙は、ただのゴミとならないように、豪華な商品の当たる抽選に使えるようになっている。
今年は四種の薔薇ジャムの詰め合わせの箱や、結晶化した一輪の薔薇が貰えたりするので、周囲の者達も、貰ったチラシは丁寧に折り畳みポケットや鞄にしまっていた。
「………むむ!絵付けの色が、微妙に違うようですね。水灰色というところまでは同じなのですが、青みの強さで三段階に分かれているようです。…………ふむふむ。絵の具の色を大きく変えられないのは、付与する祝福に差が出てはいけないからなのだとか。青みの灰色の絵の具にこそ、この祝福を定着させる魔術を宿せるのだそうです」
「二番目にしようかな」
「まぁ。ディノはもう決めてしまったのですか?」
まさか種類があるとは思わずにいたネアは、ディノが、素早くその中の一つを選んだことにも驚いてしまった。
目を瞠ったネアに見上げられた魔物は、どこかきりりとしている。
そうしているとはっとするような美貌なので、通りがかったご婦人達が頬を染めていた。
「……………拘りは、あった方がいいのだろう?」
「まぁ。それで素早く決めてくれたのですね?………拘りがないことが問題になるのは、恋人選びや求婚などの場面ですので、このようなものは、他の方のご迷惑にならないところまではじっくり悩んでもいいのですよ?」
「そうなのかい?」
「ええ。ですが勿論、これだと決めるくらいに目を引くビーズがあるのは、とても素敵な事ですね。私は、三番の一番青が強いものにします。どことなく、ディノの瞳の色に似ていますから」
「君に一番近いのは、二番目かな………」
「あらあら、それで二番を選んだのです?」
「ご主人様……………」
こくりと頷き、それで良かっただろかとそわそわした魔物の為に、ネアは、互いの瞳の色に合わせての選出は、お揃いの選び方であることを提示しておいた。
列が一つしかないので大丈夫だろうかと周囲を見回せば、どのビーズも充分な量が揃っているこの時間は、ビーズの色ごとに列を分けてはいないらしい。
規定された残量になると、並び損の人や受け取りの際に急な再選択を強いられる人がいないよう、列を分けるのだそうだ。
互いに選んだ色が違うせいで列が分かれてしまうこともないと知り、ネアは、安心してビーズの列に並ぶことが出来た。
残念ながら、薔薇の形をしたころんと丸い焼き菓子の屋台は、ローゼンガルテンの庭園に向かう列の方にあるが、同じ店の屋台が街中にも出ている事を今年になって知った人間は、悠然と構えていられる。
ややお口が焼き菓子を求め始めているが、ここはビーズを最優先としよう。
ネア達の並ぶ列から鑑賞出来るのは、小さめの薔薇が何個かまとまって咲く、紫陽花のような薔薇の茂みだ。
こんもりと花をつけるので見ごたえがあり、集まって咲く薔薇の美しさには、思わずほうっと感嘆の息を吐いてしまう。
ただ鑑賞するだけならもう少し足早に通り過ぎてしまうかもしれないが、横に立ってじっくりと楽しませて貰うと、夜の色が変化してゆけば、夕闇が夜の色に変わると僅かに光を宿すように見えるのだと知る事も出来た。
「綺麗ですね。今年も、ディノと一緒に薔薇のビーズを貰いに来れて、とっても嬉しいです。来年は今年とは違う過ごし方をするかもしれませんが、どんな過ごし方を選んでも、ディノが一緒ならきっと楽しい薔薇の祝祭なのでしょう」
「来年は、エーダリア達の仕事を手伝ってみるかい?君は、今年もそうしたかったのだろう?」
優しい目をした魔物にそう尋ねられ、ネアはこくりと頷いた。
ただし、それにあたっては、ウィリアムやアルテアなどの訪問客が予約する時間が重ならない事が大前提となる。
「ええ。薔薇の祝祭の儀式のお手伝いも、お時間によって可能であればしてみたいです!私の場合は祝祭の薔薇を貰うことを優先させた方が良いみたいですし、儀式的なものなので大事なお役目は拝せませんが、それでも会場警備などは可能ですから」
「そうだね。君の場合は、薔薇の受け取りを優先させた方がいいのだとは思うから、約束の時間次第にはなるのかな………」
「はい。通常よりも守護を手厚くさせることが可能な祝祭なので、エーダリア様からも、私の……………か、かどういきでは、そちらの受け取りを優先させるように言われています。……………わ、わたしのかどういきは、ほんのちょっぴりせんさいなだけで、頼りなく見えても立派な淑女なのです……………ぎゅ」
「うん。ネアは可愛い……………」
ふわりと幸せそうに微笑んだディノがそう言えば、薔薇の茂みの周囲をぶーんと飛んでいたココグリスがぼさりと地面に落ちてしまったが、薔薇の茂みにはぽひゅんと幾つか新しい花が咲いたので、近くにいた人々を喜ばせたようだ。
ネアとしては、ここは可憐さではなく強靭さをこそ褒めて貰いたかったのだが、伴侶が口元をむずむずさせて幸せそうに微笑んでいる姿に、まぁいいかと頷いてしまう。
大事な者が幸せそうにしている姿を見れるのもまた、薔薇の祝祭の醍醐味と言えるからだ。
そうこうしていると、萌黄色の毛玉に小鳥の羽が生えたような生き物がぱたぱたと飛んできた。
はっとしてディノの背中の後ろに隠れたネアに、ディノが僅かに目を瞠る。
けれども、毒があると聞いて警戒していたその生き物は、ネア達の二組後ろに並んでいた男性にわしりと捕まえられてしまうと、何処か遠くに投げ捨てられてゆく。
そちらは素手で大丈夫だろうかと慄いたが、どこか人間離れした美貌の御仁なので、擬態をした人外者なのかもしれない。
このビーズの列に並んでいるということは、長生きして欲しい誰かがいるのだろうか。
「もういなくなったようだよ」
「ふぁい。………毒はならぬのですよ。私はとてもか弱い乙女なので、せっかくの薔薇の祝祭に肌がかぶれたり、爛れたりしたら怒り狂います………」
「うん。君の守護に触れるものではないから、そのようなことにはならないと思うよ」
「なぬ。守護でばしんと出来たのですね……」
配布所が近くなってくると、ビーズを貰った人達とすれ違うようになってきた。
嬉しそうに持っているビーズは、リボンが通されてどこかにかけられるようになっているらしい。
リボンの色は一色で、薔薇の祝祭の文字と年号が記された灰色に淡い水色の文字抜きのものだ。
その姿を見てそわそわする頃にはネア達も受け取りが近くなり、お願いするビーズは決めてあるのに、なぜだか胸がどきどきしてしまう。
そっと胸を押さえたネアは、ビーズを受け取って戻ってくる人波の中に、見知った人物を発見した。
「…………先生です」
「おや、グラフィーツだね」
その姿は一瞬で消えてしまったので、途中から魔術の道に入ったのだろう。
持ち帰るビーズが今は亡き彼の歌乞いの為のもののような気がして、ネアは、少しだけ切なくなる、
或いは、かつては、その歌乞いと一緒に取りに来たこともあったのだろうか。
「二番目と三番目のビーズを一つずつ下さい」
「はい。こちらと、こちらですね。割れや欠けがないよう、裏表をご確認下さいね」
「はい。…………問題なさそうです。とっても綺麗なビーズですね」
「この模様には、薔薇の祝祭の祝福が込められておりますからね。これから先もずっと、薔薇の祝祭を楽しんでいただけますように」
そっと手渡された陶器のビーズは、ネアの手のひらの中にすっぽりと収まるくらいの大きさで、茎と葉のある一輪の薔薇を模してある。
顔料を使い葉の部分に描かれた繊細な模様は、とろりと青みの灰色に煌めき、白磁の薔薇のビーズをなんとも繊細に仕上げていた。
「釉薬に淡い灰色が入っているので、白磁の白を透かすようにして何とも言えない美しい輝きが現れるのですね。………宝物がまた増えてしまいました!」
「………綺麗だね」
「あらあら、また泣いてしまうのです?」
「このビーズは、知らなかった………」
「ええ。私も初めて手にするビーズです。一緒に貰えて良かったですね!」
「うん………」
薔薇のビーズに関してはとても涙腺が緩くなる魔物が涙目になってしまい、大事そうに陶器のビーズに状態保存や守護の魔術をかけている。
もはや、戦場に投げ込んでも壊れないのではという念の入れようだが、それだけ大切だと思えるものをディノが貰えたのだと思えば、ネアも笑顔になってしまう。
「さて、次はザハですので、手を繋いでいきましょうか」
「…………大胆過ぎるのではないかな」
「むぐぅ…………」
薔薇の茂みの近くを通った際に、葉っぱの上に立っていたむくむく毛玉がビーズを奪おうとしたので、ネアは、そんな不届き者はがしっと鷲掴みにして遠くに投げ捨てつつ、大事なビーズを首飾りの金庫にしまう。
なぜかその途端にざわりとどよめいた男性達がいたので、こちらの人間のあまりの獰猛さに慄いたのかもしれない。
だが、是非に参照して欲しいのは、奥で求婚してきた妖精を言葉通りに蹴散らしている可憐なご婦人だ。
良く見れば伴侶らしき男性がお子さんを抱いて隣にいるので蹴散らされて当然なのだが、遠くへ蹴り転がされた妖精はご存命だろうか。
「さて、ザハに向かおうか。リノアールの前を通るのだろう?」
「はい!リノアールの飾り付けも見てゆきましょうね。わくわくしてきました!」
「可愛い………」
この後には、花火とシュプリの時間が控えている。
ネアは握り締めるのが三つ編みであることに一抹の無念さを抱きつつ、大事な魔物を牽引して、華やかな薔薇に溢れるローゼンガルテンを後にした。